ファーストシンク事件の示唆するもの
先日の神戸労働法研究会では,ファーストシンク事件・大阪地判(2023年4月21日)が採り上げられました。アイドルグループのメンバーの労働者性が争点となっていますが,事件は芸能事務所が,辞めたタレントに対して,契約違反があったことなどを理由に,契約書に基づき,1回200万円×5回分の違約金1000万の請求をしたというものです(元タレント側からは未払賃金請求の反訴)。
判決は,このタレントは労働者性があるので,違約金の約定は労働基準法16条に違反するとして,請求を棄却しました。労働者性が認められるかどうかは微妙なところです(後述)が,かりに労働者でないとしても,公序良俗違反であること(民法90条)は言えそうな事案であったと思います。ということで,結論は妥当ですが,それは労働者性があるからではなく,契約内容が不当だったからです。
この事件は,労働者性をめぐる議論が,いかに争点を誤誘導するかを示していると思います。労働基準法の労働者性というのは,労働基準法の適用範囲を画定する概念です。労働者性概念が実際に意味をもつのは,労働基準法の規制内容が,労働基準法に固有の内容を含んでいる場合です。そこでいう固有の内容にも,実体面と制裁面とがあり,労働基準法が,民法の公序良俗違反の範囲を拡大して定めているとすれば,そこには実体面に固有の内容があることになり,また,公序良俗違反ではあるが,強行的・直律的効力を認めたり(一部無効の法理の特別規定),罰則や行政指導などの公法的なサンクションが付着したりする場合には,そこに制裁面における固有の内容があることになります。ただ後者の制裁面の固有の内容については,脱刑罰化論などもあり,立法論としては,規定によっては労働基準法から外してもよい(民法の公序良俗違反にゆだねる)ものがあると思います。これは労働者概念の多様化とも関係しており,多様な労働者を一律に強い制裁内容をもつ労働基準法の適用下に置くべきではないということです。
実は私が労働者概念を自身の研究テーマから外したのは,労働者かどうかよりも,個々の就労者や個々の契約に対してどのような法的ルールを適用すべきかという議論をすることこそ重要ではないかと思ったからです。こうした発想で最初に書いたのが,1999年に発表した日本労働研究雑誌「労働保護法の展望-その規制の正当性に関する基礎的考察」(日本労働研究雑誌470号32-42頁)です(その内容は,現在の「労働基準関係法制研究会」の問題関心と重なる部分がかなりあるように思います)。2004年に発表した「従属労働者と自営業者の均衡を求めて-労働保護法の再構成のための一つの試み」『中嶋士元也先生還暦記念論集 労働関係法の現代的展開』(信山社)47頁以下は,それをさらに展開したものです。また,その間に発表している「労働法と消費者契約」ジュリスト1200号90-98頁(2001年)のなかでは,労働基準法16条を正面からとりあげて,違約金について労働者性の問題で処理することの疑問を明確にしています(91-92頁)。
このような問題意識を四半世紀前からすでにもっていた私としては,本件のような違約金の問題を労働者性の問題として処理しようとすると,やはりおかしくなるな,ということを再確認できたような気がしました。労働者性の判断基準としてみると,指揮監督がどうかとか,諾否の自由がどうかとか,出口のない議論に陥りがちで,あげくは,アイドルや芸能人は独自の基準でやらざるを得ないというようなところに落ち着いてしまいかねないのです。
本判決は,結論はこれでよいと思いますが,それは当該タレントが労働者であるからではなく,契約内容が単にひどいからです。だから労働者性が否定されても仕方がないような芸能人でも,多額の違約金の約定がある場合であれば,あきらめてはいけないのです。なお,今後は,これはフリーランス法の問題となるかもしれませんが,高額の違約金だけではフリーランス法には直接抵触しないと思われるので,そうなると独禁法の優越的地位の濫用の問題として扱われ,いずれにせよ公正取引委員会マターとなるでしょう。ただ私法上の問題であれば,公序良俗違反で裁判で戦うことになります。
ところで,こういう裁判は,芸能事務所がいかにひどいことをやっているかを示すことになりかねず,どうしてこんな訴訟を事務所側から起こしたのか理解に苦しむところです。労働者性が肯定されると,すでに退職しているとはいえ,労災保険や雇用保険,社会保険の未加入問題も出てくるのであり,司法手続とは別の手続とはいえ,実務上はどう処理されるのでしょうかね。私が弁護士なら,こういう裁判は,あぶなくてできないですね。
ただもう少し考えると,芸能事務所は,タレントの育成などいろいろ経費がかかっているし,本人も自分の夢のために,契約内容を理解して署名しているので,そうみると当然にはこの違約金が不当とはいえないかもしれません。本件では,弁護士がそういう事情をふまえて提訴していたのであれば,そのことについて理解できないわけではありません。また1回200万円なんて違約金は,普通の労働者なら署名しないので,そうした額について署名すること自体,労働者性を否定する要素といえなくもありません。高額の違約金があるから労働者としての拘束性が生じるのではなく,そうした違約金に署名すること自体,労働者性を否定する徴表であるともいえるのです。ということで,労働者性を認めることについては,かなり疑問があるのですが,ぞれでも社会通念上は,個人への1000万円の違約金の請求は無茶苦茶であり,結論は動かせないところでしょう。
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