ドライバーに日本語は必要か
昨日のテレ東のWBCを観ていると,タクシードライバー不足のため,外国人を採用する必要があるものの,日本語能力の向上が問題となっているということが言われていました。実際に働いている外国人ドライバーのインタビューでも,日本語でのコミュニケーションが大切と語っていました。もちろん,日本語ができたほうがよいのですが,できなくても十分にやれる仕事だと思います。これはいつも書いているように,海外に言ってみると,何も会話をしなくても,行き先まで運んでもらえる経験を何度もしているからです。たしかに,かつては多少,不便なこともありました。タイのスワンナプーム(Suvarnabhumi)国際空港からタクシーに乗るとき,空港のタクシー乗り場の担当者に英語で行き先を伝えて,それを紙にタイ語で書いてもらい,それを運転手に渡すということをしていました(いまも同じであるかわかりませんが)。運転手はタイ語しかできないので全く会話はありませんが,きちんとホテルまで連れて行ってもらっていました。町中でタクシーを拾うと同じようには行きませんが,乗るときに地図で行き先を示すとか,行きたい場所の名前を言うと,だいたい通じました。いまならGooglemap があるので行き先の指示に困ることはありませんし,アプリに入力すれば,それで十分でしょう。実際,数年前のマレーシアでは,ライドシェアサービスのGrabを利用したときは,アプリだけで問題はありませんでした。大切なのは,事前に料金が確定していることです。時間帯と距離で決まっているので,予期せぬ渋滞があっても料金が上がったりすることはありません。行き先は事前にアプリに入れていますし,料金は事前決済なので,あえて会話をする必要はないのです。同じことを日本のタクシーでもやれないことはないでしょう。何か法的制約があるのか知りませんが,技術的には可能です(もちろんライドシェアがほんとうに解禁されれば,いっそう問題がないでしょう )。
つまりタクシードライバーに日本語能力は必須ではなく,あればよいという程度のことだと思います。コミュニケーションがとれて,サービスが良かったと思えば,チップをはずむことにすればよいということで,つまり付加的なサービスにすぎないのです。ということは,問題は,アプリの利用を私たちのほうができるかどうかにあるのです。スマホをもたなかったり,アプリを使えなかったりする人がいればダメですが,いまやスマホを使えないのは,電話をかけられないのと同じようなことです。つまりこれは,日本人側で解決しなければならないことなのです。外国人ドライバーの活用の障壁は,日本語の難しさではなく,日本人側のデジタルデバイドであるかもしれないのです。
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