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2024年3月の記事

2024年3月31日 (日)

夏にはリベンジを

 桜の開花宣言があった兵庫県南部で,今日は,春の選抜高校野球の決勝戦がありました。ずっと応援している報徳学園が昨年に続いて大阪桐蔭を破るなどして決勝まで来ました。決勝は,惜しくも23で健大高崎に敗れましたが,相手が強かったです。背番号10のエース今朝丸投手は,変化球が決まらず苦しみながらも,なんとか3点に抑えましたが,打線が相手投手に抑え込まれました。1番の橋本が不調(守備はよかったですが)で,4番の斎藤も打てなかったので,この結果はしかたありません。それでも,飛ばない金属バットの時代になり,守備が重視されるようになった高校野球のスタイルに,堅守の報徳学園は見事にマッチして,十分に存在感を示したと思います。夏のリベンジに期待しています。

 昨年夏は5回戦で神戸国際大付属に敗れました。その神戸国際大学付属に準決勝で勝った社が兵庫県代表として出場しましたが,初戦に日大三高に敗れました。完敗でした。報徳学園が出ていればもう少しなんとかなっていたのではと思ったのは私だけでしょうか。夏の兵庫県大会を勝ち抜くのは,ほんとうに大変です。

 ところで甲子園を高校野球に明け渡していた阪神タイガースは,「アレンパ」を目指して,開幕カードは東京ドームでの巨人戦となりました。完敗の2連敗で始まりましたが,なんとか3戦目に才木の好投と森下の一発で勝てました。ほとんど昨年とメンバーは変わりませんが,今期はレフトで,ノイジー(Neuse)と前川の争いとなりそうです。ショートは昨年は開幕スタメンであった小幡からレギュラーを奪った木浪ですが,開幕3戦は不調でした。今日は小幡がホームランを打ったので,昨年と逆の立場になるかもしれません。捕手は坂本があまりに打てず,また2連敗したこともあり,今日は梅野で勝ったので,今後は先発投手との相性もありますが,もっと梅野が使われるかもしれませんね。

 

 

2024年3月30日 (土)

水町勇一郎『労働法』

 水町勇一郎さんから『労働法(第10版)』(有斐閣)をお送りいただきました。いつもどうもありがとうございます。『詳解労働法』と合わせて,順調に改定作業を続けて,日本の労働法学習を引っ張ってくれていると思います。来週からLSの講義が始まりますが,教科書としては『ケースブック労働法(第8版)』(弘文堂)しか指定しておらず,基本書の選択は各人の判断にまかせています。学生から相談を受けたら,菅野和夫『労働法』(弘文堂)を推奨しています(もうすぐ改訂版が出るようですね)が,学生は水町『労働法』を選択している人が多いのではないかと推察されます。ソクラティックメソッドの授業なので,学生にいろいろ事前に質問を出して,準備させていますが,妙にしっかりした答えであれば,土田道夫『労働法概説』か,水町『労働法』を使っているのかなと推測しています。授業では,アドリブで「変化球」を投げることもあるので,それに対応するためには,基本書をおさえたうえで,どこまで自分の頭で応用を効かせられるかが大切です。優秀な学生は,しっかりした基本書にそれほど「洗脳」されないのですが,レベルが高い基本書は「洗脳」力が強いので要注意(?)です。
 今回の第10版では,「フリーランスに関する法」やLGBTなどが新たな項目として追加されています。労働法の変化の流れを示すものといえるでしょう。

 

2024年3月29日 (金)

「ブキウギ」最終回

 今日は初夏のような陽気でした。夕方,近くの公園で散歩していたら,桜が咲き始めていました。Spumante が美味しい季節になりましたね。

 ところで,NHKの朝ドラ「ブギウギ」は今日が最終回でした。全回観ました。1年前の「ちむどんどん」に次いで「完走した」という感じです。この作品をプロはどう評価するかわかりませんが,私はとても楽しめました。前向きな福来スズ子(笠置シヅ子)の生き方に共感する人も多かったことでしょう。福来スズ子の人生を追体験させてもらってよかったです。
 笠置シヅ子については,もちろん絶頂期のころは知らず,でも「東京ブギウギ」や「買物ブギ」などの歌は知っていましたし,コマーシャルや歌番組の審査委員としても,もちろん知っていました。鶴瓶が若い頃にネタで笠置シヅ子の息子だと言っていることなど,結構,歌手引退後も馴染みのある方でした。しかし,その人生がこんな劇的なものであったとは,今回始めて知りました。もちろん脚色は入っていますし,とくに美空ひばり(番組では,水城アユミ)との関係に関わる部分は,ほとんどフィクションでしょうが,そんなことはどうでもよいです。
 このドラマは,歌もまた主人公です。これだけ歌を使って展開されたドラマというのは珍しいのではないでしょうか。笠置シヅ子の代表曲がどのように生まれてきたのかがよくわかりました。そして服部良一(羽鳥善一)という作曲家の偉大さもよくわかりました。笠置シヅ子に作った曲のほとんどは,じっくりピアノやギターで弾けばわかるように,洒落たコード進行が使われています(今日の最終回でも,「東京ブギウギ」の前半の伴奏はピアノだけで,メロディーの良さを味わえました)。でも服部良一には「青い山脈」のようなシンプルな名曲もあります。自由自在で,才能あふれた人だということがよくわかりました。

 

 

2024年3月28日 (木)

過半数代表制を超えて

 最近は,自分の過去の業績を振り返ることばかり書いています。昔は,粗い思考でも,いろいろ考えていたなと感慨に浸っているのですが……。
 労働基準関係法制を検討するうえで,過半数代表制が論点の一つに挙げられているようです。過半数代表制については,かつて私も労働者代表法制という観点から論じたことがあります。私は過半数代表者だけでなく,過半数組合も含めて,過半数代表の労働者代表としての正統性という観点から議論をしており,とくに労働条件の不利益変更という具体的な局面を想定して,この制度が機能するために,なかでも少数派も含めた労使コミュニケーションの手段としての機能させるためには,どうすればよいかについても検討しています。その内容は,2007年に上梓した『労働者代表法制に関する研究』(有斐閣)に収められていますが,もとの論文は,2004年に発表した「労働条件の変更プロセスと労働者代表の関与」日本労働研究雑誌527号19頁以下です(書籍収録の際に,加筆・修正しています)。そこでは,「意見聴取手続は,過半数組合は単に過半数を代表する労働組合としての意見を述べるだけでは不十分で,当該事業場の過半数代表として,従業員全員の意見を聞き,どの程度の賛成や反対があったか (修正意見なども含めて)を使用者に伝える場と構成するのが妥当である」と述べています(2004年論文では25頁,2007年本では185頁)。過半数代表者についても同様のことがあてはまるとしています(2004年論文では27頁,2007年本では190頁以下)。
 過半数代表の労働者代表としての正統性という切り口は,私が1997年に神戸法学雑誌で発表した「労働者代表に関する立法介入のあり方とその限界-最近のイタリアの議論を参考にして-」(47巻2号255-310頁)で,すでに比較法的考察から導いていたものであり,個人的には2007年の書籍刊行で研究はひとまず完結しています(その間の2000年度には,労働問題リサーチセンターの委託研究で,私が主査となり,優秀な若手研究者に集まってもらって,比較法の共同研究として「企業内労働者代表の課題と展望 ―従業員代表法制の比較法的検討―」 を発表しています。これは良い報告書だと思いますよ)。
 労働者代表の問題は,その後も散発的に議論されることがありますが,やや物足りないのは,私がこだわってきたような原理論(正統性論)があまり重視されていないからではないかという印象をもっています。
 とはいえ,私の過半数代表論は,実はその先に進んでしまっています。上記の私の提言とは異なり,現実には過半数代表制は労使コミュニケーションとしては機能していません。とくに過半数代表者はそうです。そうだとすると過半数代表者をはさまずに,労働者と使用者との間で直接コミュニケーションをとれるようにするために過半数代表制を活用したほうがよいという発想が出てきます。今日では,使用者側ともメールでやりとりすることが多いという現状もふまえると,間接民主制(代表方式)ではなく,直接民主制(直接方式)をとれないかということです(代表制ではなくなるのですが)。使用者側からいうと,直接労働者に向き合ってコミュニケーションをとるべきということです。現行の過半数代表制では,労働者は過半数代表者の選出のときの形式的な投票という形でしか意思決定プロセスに参加していませんが,重要な決め事は使用者と労働者が直接向き合うべきなのです。そして,そこでの交渉や協議で限界を感じた労働者は,労働組合を結成して,労働組合ルートで交渉・協議をするというのが労働法の本筋の議論なのです。この点は,『人事労働法―いかにして法の理念を企業に浸透させるか』(弘文堂)の29~30頁「思考―労働者代表制論」で論じていますので,この議論に関心がある方は参照してみてください。

 

2024年3月27日 (水)

早稲田大学事件を素材に「採用の自由」を考える

 先日の神戸労働法研究会では,早稲田大学事件(東京地判2022年5月12日)も採り上げました。公募の教員募集の選考から落ちた大学教授が訴訟を起こした事案です。明治大学商学部教授と所属する労働組合東京ユニオンが原告です。原告が提訴に至った経緯は,ネット上でもみることができます。
 原告Aは,被告であるB大学の大学院アジア太平洋研究科の専任教員の公募に応募しましたが,書類審査で不合格となりました。そこで,Aは大学側が採⽤選考過程や評価基準について情報を開⽰し説明をする義務に違反し,Aの採⽤選考に対する期待権や社会的名誉を侵害したと主張して,不法⾏為に基づく損害賠償⾦等の⽀払を求め,またAの加⼊する労働組合が,大学側が採⽤選考過程等に関する情報開⽰や説明を交渉事項とする団体交渉を正当な理由なく拒否したと主張して,団体交渉を求める地位にあることの確認と,不法⾏為に基づく損害賠償の⽀払を求めました。すべての請求が棄却されました(Aからの未払賃金の請求は認容されました)。
 個人情報保護法上の個人情報の開示は,現行法の条文でいえば33条1項に基づき請求できますが,その対象となる個人情報は,「保有個人データ」であり,「個人データ」は,「個人情報データベース等を構成する個人情報」であるので,本件では,選考過程での個人の評価などが,データベース化して管理されているかが,まずポイントとなります。このような「個人データ」が存在していないとなれば,開示請求を受けた個人情報取扱事業者は,遅滞なくその旨の通知をしなければならず(同条3項),その際には,本人にその理由を説明する努力義務があります(同法36条)。
 本判決は,個人保有データ該当性を否定したので,この論点はそこで話が終わっています。ただ,判旨は,かりにAの個人情報がデータベース化されている場合であればどうだったかについても判断しています。個人情報保護法33条は,「当該個人情報取扱事業者の業務の適正な実施に著しい支障を及ぼすおそれがある場合」には,個人情報取扱事業者は開示を拒否できると定めています(2項2号)。この点について,本判決は,「B大学は,採⽤の⾃由を有しており,どのような者を雇い⼊れるか,どのような条件でこれを雇⽤するかについて,法律その他による特別の制限がない限り,原則として⾃由にこれを決定することができるところ,⼤学教員の採⽤選考に係る審査⽅法や審査内容を後に開⽰しなければならないとなると,選考過程における⾃由な議論を委縮させ,B大学の採⽤の⾃由を損ない,B大学の業務の適正な実施に著しい⽀障を及ぼすおそれがあるからである。したがって,B大学は,個⼈情報保護法28条[現在は33条]2項2号により,これらの情報を開⽰しないことができる」としています。ここでは「業務の適正な実施に著しい⽀障を及ぼすおそれ」の解釈において,三菱樹脂事件・最高裁判決の影響が及んでいることがわかります。ただ,同判決のいう「法律その他による特別の制限」に,個人情報保護法33条があてはまるとする解釈もありえるでしょう。ここでは,開示の例外となる開示拒否事由の判断のところで採用の自由を重視した解釈をとるのか,あるいは保有個人データの開示規定は,「法律その他による特別の制限」と解して,「業務の適正な実施に著しい⽀障を及ぼすおそれ」の該当性は,きわめて限定する解釈をとるのかによって結論が違ってくるでしょう(なお,個人情報保護法のガイドライン(通則編)3-8-2では,「個人情報取扱事業者の業務の実施に単なる支障ではなく,より重い支障を及ぼすおそれが存在するような例外的なときに限定され,単に開示すべき保有個人データの量が多いという理由のみでは,一般には,これに該当しない」とされていますが,具体性に乏しいので,あまり参考になりません)。三菱樹脂事件・最高裁判決の伝統的な解釈であれば,前者となりそうですが,同判決の妥当性が揺らいできているともいえるので,後者の解釈も可能かもしれません。
 なお,Q&Aでは,「個人情報取扱事業者は,雇用管理情報の開示の請求に応じる手続について,あらかじめ,労働組合等と必要に応じ協議した上で,本人から開示の請求を受けた保有個人データについて,その全部又は一部を開示することによりその業務の適正な実施に著しい支障を及ぼすおそれがある場合に該当するとして非開示とすることが想定される保有個人データの開示に関する事項を定め,従業者に周知するための措置を講ずることが望ましいと考えられます」と書かれています。これは「望ましい」というレベルの話ですが,ある種の「共同規制」を認めたといえるかもしれません(33条2項2号の内容の具体化は,労使の合意で決めてよいということ)。もっとも,本件との関係では,採用の自由論をあてはめると,「雇用管理情報」に採用選考に関する情報は含まれないということになるかもしれません。
 以上のような個人情報保護法の議論とは別に,採用の自由との関係では,そもそも本件で問題となっているような不採用に関する情報の開示を認めることの適否という論点もあります。実はこの論点は,かつて守島基博さんと『人事と法の対話―新たな融合を目指して』(有斐閣)のなかで議論したことがあります(8~9頁)。そこでは,新卒採用の場合を中心に論じていますが,中途採用であっても,正社員採用の不採用理由開示は難しいという話が出てきています。
 もちろん教員のような専門職となると話は違うともいえそうです。ただ,大学の教員といっても,実情をみると,完全に専門職として扱われているとは言い難いところもあるのであり,そうしたなかでは,社風(学風)にあうなどの非言語的な要素(組織のために膨大な雑用に忠実に専念できる姿勢など)を重視することは避けられないのです。そうなると,やはり理由開示は難しいという議論があてはまりそうです。
 では,これでよいかということですが,私は『人事労働法―いかにして法の理念を企業に浸透させるか』(弘文堂)において,「企業は求職者の能力や適性のみを基準として採用選考を実施するよう求められていると解すべき」とし(63頁。93頁も同旨),「今後は,……ジョブ型雇用が増えていくことが予想されるので,従来の採用の自由論は修正を余儀なくされるだろう」(63頁)と書いています。こうした考え方からは,開示についても積極的に求められることになるでしょう。研究会で私が意見として述べたのは,企業は,少なくとも採用基準を開示した場合には,その基準にどのような理由で合致しなかったかの説明をする必要があるのではないか,ということです。採用基準の開示は,適切な人材を獲得するために必要なことであり,とりわけ中途採用の場合には必要なことでしょう。しかし,開示した以上は,そのあとの選考理由についてもきちんと開示すべきということです。これは企業にとって負担の重いことですが,抽象的な基準を開示したければ,そうする自由はありり,その場合は不採用の事由の説明も抽象的なものでたります。あとは求職者が,企業の採用基準の開示に関する姿勢を判断するということです(採用基準が抽象的であれば,優秀な人材が集まりにくいでしょう)。いずれにせよ,これは手続的なルールであり,実体上は,前述のように,能力と適性のみを採用基準とするのが,労働法の理念に適した採用となると考えています(もちろん,その能力の意味は,ある程度広くとらえるべきでしょう)。
 本件で,B大学側が示していた採用条件は,「〔1〕原則として博⼠学位を有すること,〔2〕博⼠学位取得後,B⼤学⼤学院アジア太平洋研究科の修⼠課程及び博⼠後期課程の研究指導,講義科⽬を担当できるに⼗分な期間の研究教育上の経験及び実績を有すること,〔3〕博⼠後期課程で研究指導を担当できるに⼗分な質及び量の研究実績を有すること(具体的には,邦⽂⼜は英⽂による既刊研究論⽂7本以上の研究業績を有し,うち少なくとも3本は評価の⾼い学術誌に掲載された査読付き論⽂であること),〔4〕⽇本語及び英語の両⽅で授業を担当できること,〔5〕科学研究費補助⾦など競争的外部研究資⾦を代表者として獲得した実績,⼜は同等の優れた職務経験を有すること,〔6〕B⼤学⼤学院アジア太平洋研究科及びアジア太平洋研究センターなどの業務運営の諸役職・委員等を,責任をもって遂⾏できること,〔7〕B⼤学⼤学院アジア太平洋研究科及びアジア太平洋研究センターの研究・教育活動に貢献できること」とされていました。これらの条件を開示している以上,これらの条件との関係で,Aがどう評価されて不採用となったかの理由や過程を開示することは必要ではないかと思われます。大学側としては困るかもしれませんが,公募をする以上は,やむを得ないのです。ただし,こうした意見には,研究会のなかでも,当然のことながら反対論がありました。いずれにせよ個人情報保護法の解釈とは別に,採用にどこまで法的な介入ができるのか,あるいはそうすべきかということをゼロから再検討し,どんな形であれ,三菱樹脂事件・最高裁判決の束縛から解き放たれていく必要があるように思います。
 もう一つ,団体交渉のところの論点では,判決は,「Aは,B大学から⾮常勤講師として雇⽤されていたものであり,また,B大学にはAに対する本件情報開⽰・説明義務が認められないことは前……⽰したとおりであるから,専任教員に係る本件公募の選考過程は,AとB大学との間の労働契約上の労働条件その他の待遇には当たらない」としています。義務的団交事項は,現存する労働契約の労働条件その他の待遇に限定されるのかは疑問があります。組合員であることを理由とする採用拒否を不当労働行為とみる通説の立場からすると(判例も例外的にではありますが不当労働行為の成立可能性を認めています),そうした場合には労働契約成立前の選考過程のことについても団交事項とすることは当然のことといえるので,義務的団交事項としてよいと思われます[追加:。これは使用者性の問題とも関係しています]。ましてや本件のように純然たる新規採用とはいえず,すでに非常勤講師としては契約関係があった場合には,判決の結論には疑問があるところです。 ただし,私見では,個別的事項は義務的団交事項には含まないと解しますので,結果として不当労働行為は成立しない[追記:し,本件では損害賠償請求も認められない]ことになります(前掲『人事労働法』245頁。なお,当然のことですが,私は,労働委員会の委員として仕事をする場合には,私見ではなく,判例・通説にしたがっています)。

 

2024年3月26日 (火)

学生の不祥事におもう

 神戸大学の学生の迷惑行為が問題となっています。3月末というのは大学側もあわただしい時期であり,謝罪会見に臨んだ副学長は,退任直前であったかもしれません。詳しいことは知りませんが,非公認課外活動団体であっても,対外的には神戸大学内のサークルという位置づけとなるようなので,学生が社会的批判を受けるような行為をしたときに,神戸大学が一定の責任を負うのはやむを得ないことでしょう。神戸大学は,学生向けに,課外活動団体への参加を推奨するようなことも書いています。
 私は,学生の課外活動については,何が本業かについて見失っている学生もいるので,無条件で賛成はできません。やはり本業である勉学があっての課外活動ということが,きちんと実践できていることが必要です。先日,エレビーターで一緒になった,ゼミに向かっているであろう学生たちが,こちらが教員であることを知っているかどうかはわかりませんが,競馬の重賞レースの話を楽しそうにしているのを聞いて,複雑な気分になりました。ときには気晴らしが必要とはいえ,大学施設内に学問の府としてのピリッとした緊張感がないのが残念です。
 部活動やサークル活動は,就職に有利に働き,それなら勉学よりも大切だという時代もありましたが,いまでもそうでしょうか。
DX時代はずっと学習し続けなければいけません。大学生時代の時間も無断にはできません。

 大学生が社会性を身につけるという点からは,課外活動にも意味があるでしょう。しかし,団体のなかには,上下関係が厳しいなど,前時代的なものもあります。そして,今回のように,報道どおりであれば, 幼稚な暴走が起きてしまうようなことも起きるのです。
 今回のサークルはどうかはさておき,昔から存在する伝統ある課外活動が,実は社会の変化についていけず,因習を保持する場になってしまっていないかの点検も必要でしょう。そこに大学側ができることがあるかもしれません。昔も,蛮カラを気取ってハチャメチャなことをするような学生はいましたが,時代は変わっています。伝統を守ることと打破すべき因習を温存することはまったく違うことです。

 勉学と課外活動との適度のバランスをきちんととって,充実した大学生活を過ごして,社会に出ていってほしいものです。

 

 

2024年3月25日 (月)

ファーストシンク事件の示唆するもの

 先日の神戸労働法研究会では,ファーストシンク事件・大阪地判(2023421日)が採り上げられました。アイドルグループのメンバーの労働者性が争点となっていますが,事件は芸能事務所が,辞めたタレントに対して,契約違反があったことなどを理由に,契約書に基づき,1200万円×5回分の違約金1000万の請求をしたというものです(元タレント側からは未払賃金請求の反訴)。

 判決は,このタレントは労働者性があるので,違約金の約定は労働基準法16条に違反するとして,請求を棄却しました。労働者性が認められるかどうかは微妙なところです(後述)が,かりに労働者でないとしても,公序良俗違反であること(民法90条)は言えそうな事案であったと思います。ということで,結論は妥当ですが,それは労働者性があるからではなく,契約内容が不当だったからです。
 この事件は,労働者性をめぐる議論が,いかに争点を誤誘導するかを示していると思います。労働基準法の労働者性というのは,労働基準法の適用範囲を画定する概念です。労働者性概念が実際に意味をもつのは,労働基準法の規制内容が,労働基準法に固有の内容を含んでいる場合です。そこでいう固有の内容にも,実体面と制裁面とがあり,労働基準法が,民法の公序良俗違反の範囲を拡大して定めているとすれば,そこには実体面に固有の内容があることになり,また,公序良俗違反ではあるが,強行的・直律的効力を認めたり(一部無効の法理の特別規定),罰則や行政指導などの公法的なサンクションが付着したりする場合には,そこに制裁面における固有の内容があることになります。ただ後者の制裁面の固有の内容については,脱刑罰化論などもあり,立法論としては,規定によっては労働基準法から外してもよい(民法の公序良俗違反にゆだねる)ものがあると思います。これは労働者概念の多様化とも関係しており,多様な労働者を一律に強い制裁内容をもつ労働基準法の適用下に置くべきではないということです。

 実は私が労働者概念を自身の研究テーマから外したのは,労働者かどうかよりも,個々の就労者や個々の契約に対してどのような法的ルールを適用すべきかという議論をすることこそ重要ではないかと思ったからです。こうした発想で最初に書いたのが,1999年に発表した日本労働研究雑誌「労働保護法の展望-その規制の正当性に関する基礎的考察」(日本労働研究雑誌47032-42頁)です(その内容は,現在の「労働基準関係法制研究会」の問題関心と重なる部分がかなりあるように思います)。2004年に発表した「従属労働者と自営業者の均衡を求めて-労働保護法の再構成のための一つの試み」『中嶋士元也先生還暦記念論集 労働関係法の現代的展開』(信山社)47頁以下は,それをさらに展開したものです。また,その間に発表している「労働法と消費者契約」ジュリスト120090-98頁(2001年)のなかでは,労働基準法16条を正面からとりあげて,違約金について労働者性の問題で処理することの疑問を明確にしています(91-92頁)。

 このような問題意識を四半世紀前からすでにもっていた私としては,本件のような違約金の問題を労働者性の問題として処理しようとすると,やはりおかしくなるな,ということを再確認できたような気がしました。労働者性の判断基準としてみると,指揮監督がどうかとか,諾否の自由がどうかとか,出口のない議論に陥りがちで,あげくは,アイドルや芸能人は独自の基準でやらざるを得ないというようなところに落ち着いてしまいかねないのです。

 本判決は,結論はこれでよいと思いますが,それは当該タレントが労働者であるからではなく,契約内容が単にひどいからです。だから労働者性が否定されても仕方がないような芸能人でも,多額の違約金の約定がある場合であれば,あきらめてはいけないのです。なお,今後は,これはフリーランス法の問題となるかもしれませんが,高額の違約金だけではフリーランス法には直接抵触しないと思われるので,そうなると独禁法の優越的地位の濫用の問題として扱われ,いずれにせよ公正取引委員会マターとなるでしょう。ただ私法上の問題であれば,公序良俗違反で裁判で戦うことになります。

 ところで,こういう裁判は,芸能事務所がいかにひどいことをやっているかを示すことになりかねず,どうしてこんな訴訟を事務所側から起こしたのか理解に苦しむところです。労働者性が肯定されると,すでに退職しているとはいえ,労災保険や雇用保険,社会保険の未加入問題も出てくるのであり,司法手続とは別の手続とはいえ,実務上はどう処理されるのでしょうかね。私が弁護士なら,こういう裁判は,あぶなくてできないですね。

 ただもう少し考えると,芸能事務所は,タレントの育成などいろいろ経費がかかっているし,本人も自分の夢のために,契約内容を理解して署名しているので,そうみると当然にはこの違約金が不当とはいえないかもしれません。本件では,弁護士がそういう事情をふまえて提訴していたのであれば,そのことについて理解できないわけではありません。また1200万円なんて違約金は,普通の労働者なら署名しないので,そうした額について署名すること自体,労働者性を否定する要素といえなくもありません。高額の違約金があるから労働者としての拘束性が生じるのではなく,そうした違約金に署名すること自体,労働者性を否定する徴表であるともいえるのです。ということで,労働者性を認めることについては,かなり疑問があるのですが,ぞれでも社会通念上は,個人への1000万円の違約金の請求は無茶苦茶であり,結論は動かせないところでしょう。

 

 

2024年3月24日 (日)

春場所

 大相撲の春場所は異例ずくめでしたね。昨日の段階では,尊富士は出場できそうになかったので,休場力士の優勝があるかなという感じでした。あるいは大の里が豊昇龍に勝てば,3敗で並びますが,優勝決定戦は大の里の不戦勝で優勝ということもあるかなとも思いました。でも,尊富士は見た目ほど重症でなかったのでしょう。今日の対戦相手の豪ノ山もやりにくかったとは思いますが,尊富士は足の怪我を感じさせない勝ちぶりでした。押されてしまうとケガをした右足に負担がかかっていたのでしょうが,立ち合いでうまく相手の動きを止められたので(豪ノ山も,相手のケガのことに配慮して,押すのを避けて四つでいったのかもしれませんが),得意の速攻ができたのでしょう。新入幕の優勝というのは,110年ぶりということですし,初土俵から10場所目の最速優勝でもあります。歴史的快挙です。横綱は途中休場で,4人いる大関も,そのうち霧島は大敗ですし,貴景勝は満身創痍で,上位陣が弱体の場所ではありました。それでも,豊昇龍には負けたものの,新大関の琴の若には勝っており,さらに関脇の若元春,小結の阿炎にも勝っています。また実際上は最強とも思える大の里との直接対決でも勝っていて,そうみると幕の内最高優勝にふわしい内容でした。
 昨年の名古屋場所の伯桜鵬,秋場所の熱海富士,今年の初場所の大の里,そして今場所の尊富士のように,毎場所,新入幕の力士が優勝戦線にからんだり,好成績を残したりしています。尊富士はもう一場所みてから評価したいですが,準優勝の大の里は期待どおりの安定した勝ちっぷりであり,実力的には,すでに大関級でしょう。ケガで幕下まで落ちた伯桜鵬は部屋の混乱が気の毒ですが,そのうち再入幕するでしょう。熱海富士は取り口が覚えられてきたのかもしれませんが,いつかは大関に上がれる力はもっているでしょう。

 来年の春場所は,枡席で観戦したいと思っています(まだ,枡席体験がないので,死ぬまでに一度は体験したいです)。その頃は,横綱は琴の若と大の里ではないでしょうかね。豊昇龍と霧島は大関にかろうじて残っているかもしれません。大関候補と言われていた大栄翔や若元春は大関に上がれそうな感じはないですね。それなら朝乃山の復活の可能性のほうが高いかもしれません。

 

 

2024年3月23日 (土)

規制改革推進室のヒアリング

 内閣府の規制改革推進室というところから,解雇の金銭解決制度についてのヒアリングを受けました。彼らが聞きたかったことは,外国法の動向であったようですが,私には,外国法についての最新の動向の情報はなかったので,解雇の金銭解決制度について,現在の政府の取り組みがなぜダメかということを説明させてもらいました。いつも言っていることですが,私たちが提案した完全補償ルールの金銭解決制度が,きちんと理解されずに,あたかも世に存在しないもののように扱われていることに私は不満を感じており,この機会に規制改革推進室の方にも理解してもらいたいと思ったからです。あまり期待はしていませんが,少しは動きがあればと思っています。

 日本の労働市場がこれからも機能していくためには,解雇規制改革が不可欠であり,また不可避であることは,よく考えると当然に到達しうる結論なのに,現状では,それを無視した政策論義がされています。もちろん解雇規制改革は簡単なことではありません。目先の損得勘定で議論をしていては先に進まないテーマなので,政治のリーダーシップが必要です。解雇規制改革の必要性を,これまでも何度か世に問うたことはあり,研究者向けのもの以外にも,いろんな媒体で意見を発表してきました(目立つ媒体としては,Wedge201611月号「『解雇の金銭解決』働き方改革とセットで実現を」など)。その到達点が完全補償ルールでした。そこで主張した解雇の金銭解決は,決して解雇の自由化を意味するものではありません。今後,DXにより業界の再編があるなかで,有効な整理解雇がされたような場合でも,労働者を無補償状況に置かないために(雇用保険の失業給付では不十分です),企業は完全補償(逸失利益の支払い)をしなければ解雇ができないものとし,中小企業の負担については,政府の強制的な解雇保険で対応するという構想は,そのまま受け入れることはできなくても,なぜこういう議論が必要となるかということは理解してもらいたいものです(とくに現行法における解雇要件の不明確性を解消し,労働者に明確かつ十分な補償をすることの必要性について)。

 

 

2024年3月22日 (金)

小嶌典明『新・現場からみた労働法』

 小嶌典明先生から,『新・現場からみた労働法―法律の前に常識がある―』(ジアース教育新社)をいただきました。どうもありがとうございました。『現場からみた労働法』シリーズの新作です。常識にこだわる小嶌先生の姿勢が,本書のサブタイトルに示されています。小嶌先生は,ある意味では超リアリストであり,現場できちんと法律を適用していくということにこだわっておられます。その経験に基づき,法律や法解釈のおかしさを指摘するという立場を貫徹されていて説得力があります。またデータへのこだわりの強さも,労働法学者のなかでは随一でしょう。本書に収録されている「労働時間の減少に歯止めを」(初出は,「労働判例」の遊筆に執筆されていた「労働時間によせて」)でも,過去15年の労働投入量の日米比較をデータで示しながら,労働時間は短ければよいというものではないと書かれています。同感です(私は,同趣旨のことを,ジュリスト最新号の論稿で「労働の両義性」という観点から書いています)。
 小嶌先生の著作からは,結論はともかく,示唆を受けることが多いです。学会のなかには「食わず嫌い」ならぬ「読まず嫌い」の方もいそうですが,読めば勉強になると思います。

 

2024年3月21日 (木)

橋本陽子『労働法はフリーランスを守れるか―これからの雇用社会を考える』

 橋本陽子さんから『労働法はフリーランスを守れるか―これからの雇用社会を考える』(ちくま新書)をいただきました。どうもありがとうございました。私も15年前に,ちくま新書からを出したことがありますが,ちくまの労働法関係の新書というのは,それ以来ではないでしょうか(私の本は自信作でしたが,全然売れませんでした)。
 テーマは,彼女の研究テーマである「労働者」概念の話と最近のフリーランス法をめぐる議論を扱ったもので,とくに前者についての研究成果を一般人向けに書いたものといえるでしょう。タイトルでは疑問形ですが,橋本さんの提案は,労働者性の推定規定を導入するなど,労働法を拡大してフリーランスにも最低労働基準を及ぼそうとする発想だと思われます。こうした提案に共感する人は多いでしょう。
 ただ私見では,労働者性にこだわっていては,新しい社会に対応できないのではないかと考えています(これは先日の日本経済新聞の経済教室でも書いたことでした)。裁判実務では,現段階では,フリーランス関係の紛争は,労働者性の問題として争われることが多いので,労働者性の概念や判断基準にこだわることには意味がありますが,政策論としては,フリーランスを自律的な働き方としてとらえて発展させるにはどうすればよいかということを考えていくべきであり,そのほうが,フリーランスの多くのニーズに合致するし,日本の経済の発展のためにも必要と考えています。そうなると,労働法の枠には,おさまりきらないことになります。
 もっとも,これは,現在の問題を論じるか,近未来の問題を論じるかの違いからくるもので,現在の問題を論じるならば,労働者性の判断を軸に,ドイツ法を中心とした欧州の動きをとらえて比較法的分析を展開するのは,申し分のないアプローチであり,それを新書の形で世に出したことの意義は大きいと思います。
 ただ,あえて言うと,本書における労働者性をめぐる議論は,新書の読者には難しいような気がします。たとえば,ドイツの学者であるWank(ヴァンク)の議論に基づいて,労働者性判断の再検討をしようとすることは,前からの橋本さんの主張ですが,「目的論的概念形成」や「存在論的概念形成」というような堅苦しい表現は,新書には合わないような気がします(ただ編集者がOKを出したということは,そこは問題がないということだったのでしょうが)。
 労働者性の研究にはあまり未来がないと思って(その認識はいまでも基本的に変わっていないのですが),早々に見限って,労働法の適用対象の問題として論じるべきだという方向にシフトした私としては,良い意味で愚直にこのテーマの研究をやり続け,立派な研究書を出し,新書にまでたどりついた橋本さんは,研究者としてたいへん立派だと思います。彼女の今後のさらなる活躍を期待したいと思います。

 

2024年3月20日 (水)

NHK(サイト)に登場

 昨日,NHKの神奈川のほうの方から取材依頼がありました。当初は2,3時間後に放映されるテレビに出てほしいということでしたが,それは懇親会の予定があったのでお断りしました。ただ,電話で質問に少しお答えしました。事件は,テレワークに従事していた人が過労で精神疾患を発症して労災認定を受けたというもので,テレワークの労災は珍しいということを弁護士が言っていたので,専門家の話を聞きたいというのが取材の趣旨でした。この事案の詳細はわからなかったので,テレワークについての一般的な説明をしました。テレビでは採り上げられませんでしたが,NHKのサイトには登場しています。
 テレワークだからといって,企業の法的な責任が軽減されるわけではありませんが,テレワークの性質上,企業は管理をしにくいことになるのは確かです。そうすると,企業はテレワークをさせたくないと考えるかもしれません。また,テレワークの労災というようなことがあまり大きく報道されるとテレワークについてもっと強い規制をしたほうがよいという意見も出てきそうです。しかし,テレワークには多くのメリットがあることを考えると,それは良いことではありません。この点は,拙著の『誰のためのテレワーク?』(明石書店)でも書いていることです。今回の取材でも,その点は念押しをさせてもらいました。
 テレワーカーの健康確保は,労働時間規制では無理で,デジタル技術を使ったより効果的な方法を考えていくべきというのが,私の見解ですが,そこはNHKの短い電話取材では話すとややこしくなりそうなので,とくに説明はしませんでした。もうすぐ出るであろうジュリストでの論稿では,とくにテレワークにフォーカスをあてたわけではありませんが,労働時間規制一般論のところで,この持論を書いています(私の論稿を読んでくださっている方には,とくに新しいことが書かれているわけではありません)。

2024年3月19日 (火)

送別会

 今日は今年度最後の教授会と,その後の春季懇親会があり,後者は定年や移籍により退職される方の送別会の意味を兼ねています。教員は65歳定年ということで,私も少しずつ定年に近づいてきています(これまでは教員と職員では定年格差がありましたが,職員の定年は来年度から65歳に引き上げられます)。法学部の教員は,定年後は引退する方,私立大学に再就職される方,弁護士になる方(たしか,私たちの世代くらいまでは5年の教育歴があれば,弁護士資格があります)に分かれます。大学の世界にどっぷり染まってしまって年齢を重ねると,他の業界への転職というのは難しいでしょう。個人的には保育士さんなどにチャレンジしてみたい気もありますが,そんな甘いものではないでしょうね。高年齢者就業確保措置の努力義務(高年法10条の2)というのが事業主には課されているのですが,まだ私の大学には,こうした措置は講じられていないと思います(私の定年までにできればよいのですが)。高年齢者就業確保措置のなかには,創業支援等措置もあるので,大学と業務委託契約を結んで特別講義をするというようなことができればよいのですが,これだと非常勤講師と同じなので,労働者扱いとなり,労働法の適用があるので,大学側がいやがるでしょう。こうなると,デロゲーションが認められればよいなということを実感します。労働法の適用されないことを確定した業務委託契約を締結する手続を設けるということです。 それだとフリーランス法の適用にとどまるでしょう。

 大学教員の仕事は,そもそもかなり特殊です。「教授研究」の業務は,専門業務型の裁量労働制の適用対象業務であり,労使協定が締結されていれば,みなし労働時間制の適用ができます(この4月から規制が強化されますが……)。ただし,適用されるのは「主として研究に従事するもの」に限定されており,それについての行政解釈は,「業務の中心はあくまで研究の業務であることをいうものであり,具体的には,研究の業務のほかに講義等の授業の業務に従事する場合に,その時間が,多くとも,1週の所定労働時間又は法定労働時間のうち短いものについて,そのおおむね5割に満たない程度であることをいうものであること」とされています。研究と教育は截然と区別できないのが大学教員なので,5割とか言われても算定しようがありません。ということは,この縛りは,実際上は機能しないということです。とはいえ,なかには教員として雇われても,事務作業にばかり従事させられているという人もいるかもしれません。そうしたブラックな大学であれば,もちろん裁量労働制の適用は許されません。しかし,普通の教員は,裁量労働制は適用可能ですし,裁量労働制の適用に同意が必要としても,同意を拒否した場合に使えるポストは,実際上はないでしょう。専門業務型裁量労働制は,その業務の性質からして,本来,労働時間規制になじまない仕事なのであり,本人の同意があるかどうかのチェックは無意味であると思います。むしろ,その大学の業務が,ほんとうに専門業務型裁量労働制に適した業務かどうかの判断こそ重要で,それは過半数代表によりチェックするということですね。その意味で,過半数代表の責任は重要であり,これをもっと労働者は知る必要があるということを,今日,立ち話で過半数代表の候補に選ばれた方と語り合いました。

 

 

2024年3月18日 (月)

福井に注目

 敦賀まで北陸新幹線がやってきました。関西まで,あともう少しというところですが,つながる予定はいまのところはないようです。福井県は7年ほど前に三国温泉(芦原温泉の近く)に行ったことがあります。カニを食べに生きました。近くには自殺の名所(?)の東尋坊もありました。
 望洋楼という旅館に泊まりました。温泉も料理もとても良いところでした。ただ,神戸からはあまり便利がよいところではありませんでした。一番困ったのは,旅館のチョックアウトの後,近くに観光に適当なところがなかったことです。東尋坊に寄っだだけで,あとはすぐに帰るしかないというのでは,せっかくここまで来たのにもったいなと思った記憶があります。新幹線の開通により,状況が変わっているかもしれませんね。
 敦賀から芦原温泉駅までは新幹線で行けることになりましたので,もう一度,三国温泉に行ってみたいです。ただ,これまでも新大阪から特急サンダーバードで行けたので,新幹線のメリットを発揮するためには,ぜひ新神戸や新大阪から,乗り換えずに芦原温泉まで行けるようにしてほしいですね。
 かつてのゼミ生には,なぜか福井出身の人が多く,福井県庁に就職するなど地元に戻っていた人も数人いたはずです。福井出身の学生は,まじめで,素直で,とてもよい学生であったという印象が強いです。これまでは芦原温泉駅やその先の金沢駅では降りたことはありますが,福井駅で降りたことはありませんでした。でも,いつか恐竜博物館は見に行きたいなと思っています。ゼミ生たちは,福井に来てくれたら,いつでも案内してくれると言ってくれていました。その約束はいまでも有効でしょうかね。

2024年3月17日 (日)

年間最高勝率達成か

 将棋界は年度末となり,年間最高勝率の更新が話題になっていました。現在の記録は,中原誠16世名人が五段時代に挙げた855厘(478敗)であり,それに藤井聡太八冠が迫っていました。生涯勝率が8割を超えている藤井八冠でもこの記録を抜くのは簡単ではありません。実は,今年度は,もう一人,18歳の藤本渚五段(最近,C1組へ昇級を決めて昇段)も勝ちまくっていて可能性がありましたが脱落していました。藤井八冠は,今日のNHK杯戦と棋王戦第4局でともに勝てば,477敗となり新記録となるところでした。また今日のNHK杯戦で勝てば,棋王戦第4局で負けても,第5局で勝てば,最高記録タイとなるところでした。
 しかしNHK杯では,2年連続で,決勝でぶつかった佐々木勇気八段が雪辱しました。終盤で評価値では藤井NHK杯(八冠)が勝勢でしたが,一手の緩手で逆転し,最後は佐々木八段がA級棋士の実力を発揮し,藤井NHK杯を投了に追い込みました。これで藤井NHK杯の2連覇を阻止し,また年間最高勝率記録の更新も阻止しました。ちょうどデビューからの30連勝を阻止したときのことを思い起こさせます。

 今回の佐々木八段の優勝については,外野ではちょっとした騒動が起きていました。師匠の石田和雄九段が自身のYouTube番組で,弟子のNHK杯の優勝をにおわせていたからです。テレビ棋戦は事前に収録となりますが,その結果は放映されるまでは秘密にするのが鉄則です。例外は,1000勝とか記録がかかっている場合で,谷川浩司九段も,たしか1300勝は,NHK杯での稲葉陽八段戦であり,事前に結果がわかっていたと記憶しています。しかしこれは例外であり,通常は対局結果は秘密になっています。

 しかも石田九段は,準決勝の羽生善治九段・藤井戦が未放映の段階で,藤井NHK杯が決勝進出することをにおわせていました。このため,この番組をみた人は,準決勝で藤井NHK杯が勝つことが,ほぼわかってしまいました。藤井NHK杯が負けていたら,絶対にしそうしない話をしていたからです。石田九段が結果を知らない純粋な第三者であれば,何の問題もない単なる弟子応援の動画といえたのですが,彼は結果を知りうる立場であったことをふまえれば,結果はやはりわかってしまうような動画でした。石田九段は厳密な意味でのネタバレはしていません。慎重に,言葉のうえでは回避していますが,そこが石田九段の愛すべきキャラなのですが,佐々木八段が優勝したことの嬉しさを,隠したくても隠せていないのです。石田九段を,日本将棋連盟が処分したりはしないでしょうが,今後は,テレビ棋戦に参加する棋士など関係者は,師匠や家族にも結果を言うなという箝口令がしかれる可能性はあるでしょうね。

 ただ,今日の棋王戦の始まる前に,年間最高勝率の話がまったく出てきていなかったことから(メディア関係者は藤井八冠がNHK杯決勝で敗れたことを知っているからでしょう),石田九段がにおわさなくても,私たちは察知することができていました。もしNHK杯戦で藤井八冠が優勝していれば,この対局は,年間最高勝率がかかる最高に盛り上がる対局となるはずなので,メディアがそのことに言及しないはずがないからです。

 ということで今日の棋王戦ですが,藤井棋王が勝って,31持将棋で,伊藤匠七段を退けました。伊藤七段は他棋戦ではほんとうに強いのですが,藤井八冠には歯がたちません。叡王戦でも決勝まで来ているので,次の永瀬拓矢九段に勝てば,もう1回,藤井八冠に挑戦できるのですが,竜王戦,棋王戦に続く3度目の挑戦はあるでしょうか。

 ところで,NHK杯の準決勝の藤井・羽生戦も,素人目でも名局でした。先手の羽生九段が,初心者の模範となるような飛,角,銀,桂を4筋に集めた攻めを展開しようとする一方,藤井NHK杯は,初心者がやってはいけないとされる居玉をずっと続けていました。羽生九段が優勢に攻めているようにみえたのですが,緩手ともいえないような手(3一角)の瞬間,藤井NHK杯の攻めが炸裂して,あっという間に羽生玉は「詰めろ」となります。羽生九段はこれを受けて対応しますが,藤井NHK杯の攻めは的確で,最後は「受けなし」の状態に羽生玉を追い込みます。あとは藤井玉が詰むかどうかです。藤井玉は居玉ですから危ないことこのうえありません。AIの評価値をみれば藤井勝ちなのですが,それは正確に指しきればという条件付きであり,少しでも間違えれば羽生勝ちというところでした。この難局面を藤井NHK杯は乗り切り,羽生九段を投了に追い込みました。1手勝ちを読み切って,ぎりぎりのところを正確に攻めきった藤井NHK杯の強さを改めて感じると同時に,羽生九段が依然として棋界の第一人者であることを感じさせる指しぶりでした。

 そんな藤井NHK杯に勝ったのですから,佐々木八段はお見事です。A級は最終局で勝ってのぎりぎりでの残留でしたが,残留すること自体が難しいA1年目ですから,その結果は見事でした。来年度は,そろそろタイトル戦の舞台に出てきてほしいですね。

 

 

2024年3月16日 (土)

金融教育

 昨日のシンポジウムで,フリーランスの老後の所得保障に関して,自助が一つのテーマになりました。自助というと,iDeCoのようなタイプのものを拡大していくことが,まずはイメージされますが,そこで問題となるのは投資のリスクです。リスクマネーに老後の生活保障を託すというのは,社会保障としてはあまりに不安定すぎる(「保障」にならない)というのは,誰でも理解できることです。とはいえ,厚生年金についてもGPIFでは株式投資がされているので,リスクがあることに変わりはありません。GPIFは巨額資金を集めているので,リスク分散しやすいといえますが,ほんとうにこれにどこまで頼れるのかは何ともいえないところです。もちろん,そういうことよりも,少子高齢化の進行が,賦課方式の公的年金制度の継続性に不安を与えていることの方が重要かもしれません。いずれにせよ,未来の社会保障制度を考える際には,やはり「自助年金」的な発想は必要なのです。iDeCoのようなタイプの個人年金の所得控除の限度額を思い切って引き上げたりするのも,広い意味での社会保障の一つだと思っています。

 とはいえ,現時点では,「自助年金」には高いハードルがあるでしょう。国民の多くは投資教育をまったく受けていないからです。ちまたには,「新NISA」はやるな,というような極端なことを言う人がいますが,これも国民の金融リテラシーの低さを心配しているからだと善意に解釈しています。金融リテラシーの習得こそ必要なことです。

 私たちは,貨幣経済のなかに生きています。和同開珎以降,種々の貨幣が発行されてきましたが,農村に本格的に貨幣経済が浸透するのは,明治以降です(もちろん,江戸時代でも,年貢を物納していないところでは,貨幣での納入がされているなど[金納],貨幣が入り込んでいなかったわけではありません)。もし生活に必要なものを物々交換で手に入れたり,仲間から無償で得られたりすることができれば,貨幣は不要です。ただ,そうした場合であっても,貨幣を払わなければ手に入らないようなものへのニーズが出てくると,貨幣が必要となります。文明化はどうしても貨幣を必要としてしまいます。そこから貨幣を求めて泣き笑いが起きるのです。貨幣はインフレになれば価値が下がります。だから銀行に預けて貨幣を増やそうとします(いまは金利がないという異常事態ですが)が,金利が低ければ,預金とは違う方法で貨幣を増やしたいと考える人が出てくるでしょう。そういう人は「賭け」をするのです。企業の株式を買うというのは,銀行預金とは違い,それによりいくら貨幣が増えるかは約束されていないので,あとはその企業がどれだけ成長して市場価値を高めるか,あるいは配当を株主に回すかということによって貨幣の増え方が変わります(減ることもあります)。配当については,株主の権利を行使して,その決定に参加することができますが,株価は自力ではどうしようもありません。だから株式投資は賭けということになります。賭けが一概に悪いとは言いきれません。人間は何かに賭けて生きているという面があるのであり,投資をせずに生きていけというのは暴論です。月並みの表現ですが,「賢い投資」こそが必要なのです。

 ところで,何でも貨幣があれば買うことができるというのとは対極的に,できるだけ貨幣を使わないで自身のニーズを満たすということもあります。前述のような無償のサービスの網を自身や家族の周りに張りめぐらせることができればいいのです。つまり相互扶助(共済)のネットワークを広げることができれば,それほど貨幣にこだわらなくても生きていけます。たとえば,地域社会において,自身が得意な分野で地域貢献をし,それによってアプリでポイントをもらい,そのポイントをつかって,たとえば水道修理のサービスを受けられるというのも,広い意味での物々交換です。得られるポイントは疑似的な貨幣(疑似通貨)といってよいのですが,しかしこのポイントは貯金や投資の対象にならないので,貨幣とはやはり違います。地域のこうした疑似通貨の広がりは,地域レベルの共済を進めることに資するでしょう。
 社会保障の目的を,人々が生きていくうえでの種々のリスクを分散したり,軽減したりすることであると考えると,現在の社会保障はそのための一つの手段にすぎません。他の手段でも目的を実現することができるかもしれません。自身の周りの共済ネットワーク(友達の輪)を広げて助け合うというのも,そうした手段の一つです。実はこういうことも金融リテラシーの前提として学ぶ必要があります。金融教育は,金融屋さんだけに任せるのではなく,まずはきちんとした経済史の専門家から学ぶことが必要ではないかと思います(私ももっと経済史を学びたいです)。そうした学習をした国民が増えていくと,社会保障の将来構想をめぐる議論も,もっと広がりをもつのではないかと思います。

 

 

 

 

2024年3月15日 (金)

シンポジウムの終了

 本日,シンポジウム「フリーランスの社会保障制度はどうあるべきか」が開催されました。フリーランスの社会保障制度については,いろいろ議論があるでしょうが,おそらく今日のシンポジウムでは,一般にはほとんどされていないような大胆な議論がなされたと思います。現行の制度を前提とした漸進的な議論では不十分というメッセージは,先日の日本経済新聞の経済教室でも書きましたが,なかでも最もラディカルな変革が求められているのが社会保障制度の分野であると考えています。

 今日のシンポジウムでは,同志社大学の坂井岳夫さんから新たな社会保障制度のクリアなモデルが提示され,それについて経済学者の安岡匡也教授(関西学院大学)と平田麻莉(フリーランス協会代表理事)のコメントもいただきながら,興味深い議論ができたと思います。

 坂井さんとは,他の労働法研究者とともに,2年ほど前から,フリーランスに関する法制度の研究プロジェクトを立ち上げています。昨年,フリーランス法が制定されましたが,これで終わりではないと思っています。なかでもフリーランスのセーフティネットの問題は未解決の重要テーマです。近い将来,私たちの提言を書籍にまとめる予定です。

 新たな問題に立ち向かうのに必要なのは,知的チャレンジだと思っています。フリーランスの働き方やセーフティネットのあり方を考えるのは,自分たちの子や孫の社会のために何が残せるかがかかっているからであり,国民的な議論が必要です。今回のシンポジウムがそのために少しでも貢献ができたならば嬉しいです。登壇者や関係者の皆さん,そして視聴してくださった皆さんすべてに感謝を申し上げます。

 

 

2024年3月14日 (木)

賃上げと労働市場流動化

 物価上昇の影響をめぐる経済現象は複雑すぎて,なかなか素人の私にはわかりにくいところがあります。中学生レベルの知識で考えると,こうなるでしょう。インフレになると,貨幣の価値が下がり,同じ商品を買うのにたくさんの貨幣が必要となります。マクロ的には,インフレは,総需要が増える場合と総供給が減る場合に起こるとされます。前者の場合は物価も上がり,商品も売れるので,企業の収益が高まり,賃金も上昇するということが起こるでしょう(良いインフレ)。他方,後者の総供給が減る場合には,物価は上がるものの,商品は売れなくなるので,企業の収益は悪化し,賃金も上がらないということが起こるでしょう(悪いインフレ)。賃金は下方硬直性があるので,賃金が下がりきらなければ,リストラが起こることになります。
 昨日が集中回答日であった春闘における賃上げは,総需要の上昇にともなう企業業績の改善の成果という面もありそうです。今年に入ってからの日経平均の記録的な高まりは,外国の投資家を中心に多くの資金が日本企業に流入していることが原因とみることができ,その主たる理由の一つは日本企業の今後の業績向上が見込まれているからです。他方で,ウクライナ(Ukrine)情勢やパレスチナ(Palesitn)問題などもあり,原材料価格が高騰したことなどから来る企業活動の縮小は,これも需要が超過してインフレにつながりますが,この場合は賃上げ原資が十分に集まらないことになるでしょう(悪いインフレ)。ただ,少子高齢化が進行して人手不足が起きているなかでは,賃上げをしなければ人が集まらない状況にあるのであり,経営環境が悪化するなかでも,賃上げができる余力が残っている企業とそうでない企業との差がますますついてくることが予想されます。
 円安問題もインフレと関係するでしょう。日本の貨幣の価値が下がると,ドルやユーロと交換するとき,より多くの円を払う必要があります。これが円安です。そうなると,外国からの製品の輸入の際の支払額が大きくなり,これが原材料価格の上昇⇒物価の上昇につながるという悪循環が起こります。逆に,輸出産業においては,円安は商品が増えるので企業業績を引き上げます。為替リスクを避けるために,大企業では外国での現地生産を増やすなど円安・円高の影響を受けにくいようにしているところも多いと思われますが,日本の中小企業ではそういうことは簡単ではないでしょう。
 このように,円安は輸出産業の企業の株を上昇させます。日本全体でみると輸出中心の企業と輸入中心の企業のいずれもあるのですが,一般に円安になると,日経平均は上がると言われているので,それは日本の産業(上場企業)は輸出中心であるということを意味しているのでしょう。またインフレになると,貨幣の価値が下がる以上,銀行にお金を預けたままではいけません(タンス預金は論外)が,そのときに投資に向かう資金は輸出中心の企業となるという形で,その株の価格をいっそう押し上げることもあるでしょう。なお,輸入に頼っている企業でも,今後はサプライチェーンの見直しなどで,為替リスクや地政学リスクに影響されにくい安定的な原材料調達の態勢を整えていき,国内で完結できるようにしていくかもしれません(国内雇用の増加にもつながるでしょう)。いっときの苦境は,かえって企業を「筋肉質」にして強化し,将来の発展につながる可能性があります。目利きの投資家たちは,こうした長期展望で発展可能性のある企業を物色するのだと思います。
 さて賃上げに話を戻すと,少し気になる記事がありました。3月6日の日本経済新聞に,「24年の早期退職,既に23年超え 構造改革で雇用流動化」というタイトルで,「上場企業の早期退職の募集人数が2024年2月末時点で,23年通年を1割上回り3600人に達したことが分かった。インフレで持続的な賃上げが求められる中,企業は事業収益に合わせて雇用人員を適正化している。」ということが書かれていました。
 現在の賃上げは,企業の収益が十分に改善して,それを賃上げで従業員に還元していくという場合だけでなく,人材確保のためという人事戦略に基づき行われている面も大きいと思われます。当然,企業にとって欲しい人材は優秀な人材であり,それは今後の機械との競争のなかでは,広い意味でのデジタルスキルをもった人材となっていきます。賃上げを持続的に継続していくことを収益につなげるためには,その賃上げ分がきちんと企業の業績につながるデジタル人材らに配分されていくことが必要であり,現在の従業員すべてに賃上げの恩恵が満遍なく及ぶということにはならないはずです。春闘の成果というと,全労働者の底上げにつながるという話になりそうですが,決してそうではないということを示しているのが早期退職募集の動きです。おそらく今後は,引き上げられた賃金に見合う人材とそうでない人材との選別が始まるでしょう。
 デフレ時代は,沈滞した社会で,人々は価値が相対的に高い貨幣をためこみ,安い賃金,安い商品ということで満足していました(外国人からみると夢のような価格で商品が手に入る)が,インフレ時代に変わると,人々は貨幣(それ自体は本来何も価値がないもの)をもっと有効に使おうと考えるでしょうし,それが社会課題の解決といった方向でビジネスを展開できる企業や個人に向けられることになっていきます。デフレ時代の終焉がもたらす労働政策は,労働需要の質の根本的な変化のなかで,個人がいかにして働いていくかを考えたものでなければなりません。
 先日の経済教室も含め,私の近時の論稿は,デジタル化の影響による人と機械との協働の再編成ということを中心に書いていましたが,もう一つ日本特有の問題として挙げるべきなのは,このデフレ時代の終焉からくる企業の人材選別があります。そうなると,現政権が目指している労働市場の流動化は進みますが,それは非自発的なもの,すなわち解雇や希望退職が多数含まれるようになります。これは現政権にとっては想定されていないことでしょう。そのようななかでは,昨年の経済教室で執筆したような,解雇規制の見直し(金銭解決の導入など)を論じることが不可欠であるという私の主張の意義がいっそう鮮明になると思います。

2024年3月13日 (水)

ロボ配達

 東京の日本橋で,ウーバーイーツが,ロボを使った配達をする試みを始めたというニュースをみました。アメリカで始まっているという話を聞いたことがありますが,いよいよ日本でもか,という感じです。ギグワークの典型とされるフードデリバリーサービスの配達員ですが,私は将来的にはこの仕事は人間の仕事ではなくなっていくので,こうした業界を念頭において未来の労働政策を論じるのは適切でないという立場にあります。フードデリバリーサービスのように,人々の生活において必要とされるものであっても,実は今回のロボ配達のように機械を用いて対応できるものが多いのであって,人間が必ずしもやらなくてもよいのです。定型的な業務はAIや機械が対応するというのが,今後の労働政策の大前提です(さらに生成AIによって,機械の進出は,非定型的な業務にまで及ぶでしょうが)。
 もちろん,いつも述べているように,そうした技術革新の方向性はわかっても,完全な(あるいはそれに近い)省人化の実現時期が,30年後か5年後かでは議論の仕方が変わってきます。ロボ配達についても,実際にどれくらいのスピードで普及していくかは何とも言えません。ただ,技術的に可能である以上,社会実装はちょっとしたきっかけで一挙に広がるとみています。その他の業界でも,たとえば規制が少し変わるだけで,がらっと状況が変わり,社会実装が進む可能性はあります。

 とくに配達の自動化は,高齢者が増えて買い物困難者が増えることが予想される一方,人手不足が広がるなかで,デジタル技術がその解決策になるということを示すものです。ウーバーイーツのロボ配達の試みは,これからの社会課題の解決方法の一例として注目したいと思っています。それと同時に,こうした動きを,人間と機械との協働関係を考えるきっかけとすべきであると思います。

 

 

2024年3月12日 (火)

経済教室に登場

 日本経済新聞の経済教室に登場しました。2021512日に「新しいルール,企業誘導型で ギグワーカーの未来」を,2022119日に「デジタル時代の労働法を テレワーク定着への課題」を,2023413日に「政府,人材育成に積極関与 失業給付見直しと雇用流動化」と,過去3回に書いたものと関心としてはつながっていて,個人的には一連のテーマを,いろいろな角度から書かせてもらえたと思っています。
 その前には,経済教室では,同一労働同一賃金,労働時間,労働者派遣,解雇法制など,具体的なテーマでの依頼がありましたが,徐々に大きな立法政策論のような依頼に変わってきています。とんがった意見をいつも書いていて,はじめから労働法の標準的な意見などを書くつもりはありませんし,読者(主たる対象は専門家ではない一般の人)も私が標準的な労働法学者であると思っている人はあまりいないでしょう。とにかく予断ぬきに純粋に書いていることを読んでもらい,説得力がどれくらいあるかをご判断いただければと思います。
 とはいえ3000字の制限内で書くには話が大きすぎて,正確性を追求するなら,いっぱい注釈をつけたいところですが,そういうものは削ぎ落として,言い訳はしないというのが新聞論説の書き方でしょう。
 今回は「新時代の労働法制」がテーマで,もともとは,厚生労働省の「新しい時代の働き方に関する研究会」の報告書やそれを受けた「労働基準関係法制研究会」の立ち上げなどの動きがあることから出てきたもののようですが,これらの動きに限定されずに,新しい労働法制について自由に書いてほしいという依頼だったので,自由に書かせてもらいました。とはいえ,研究会の問題意識は,かなりの部分は私も共有しており,私が著作などでいろいろ論じてきたこともかなり取り込まれていると思っています(役人は私の著作など読んでいないでしょうが)。ただ,政府がやることですと,介入色がどうしてもありそうなので(予算をつけやすいことをしたがるでしょう),そこはパターナリスティックな保護ではなく,ナッジの活用など,リバタリアン・パターナリズムでいけという趣旨のことを,これまでの経済教室でも書いていたところです。うまくデジタル技術と協働すべきであるということです(これだと予算をつけることができますよね)。
 個々の論点について踏み込んで書きたいこともありました。労働者性の問題や事業性の問題,労働者代表の問題などです。ただ,労働社会のもっと先をみると,いまとは違った技術環境が登場するのであり,ゼロから議論をすることをしなければ,間に合わないのではないかという気持ちもあります。これまでも,こうした観点から,今回の論稿と同じような主張を繰り返し行ってきました。古いものを大事にしながら改修していくのではなく,一回ガラガラポンにしてから,新たなものを作り出すことが必要なのだと思っています。ジュリストの次号では,労働時間制度に焦点をあてて,同様の問題関心で執筆しています。また,私は社会保障法学者ではありませんが,労働社会の問題を考えていくと,社会保障制度の問題に行き着かざるを得ません。今週金曜のシンポジウムは,そうした問題意識から議論ができればと思っています。

2024年3月11日 (月)

震災後の支援

 震災からもう13年ですね。日本労働研究雑誌の編集会議のときに体験した東日本大震災。奇跡的に,その日の夜の東海道新幹線に乗って,なんとか帰ることができましたが,あの日のことは今でもよく覚えています。東京駅で帰宅難民になりかけていたのですが,じたばたせず,いつか新幹線が動き出すかもしれないと思って,じっと待っていたのが良かったのでしょう。
 その後も熊本や,今年の石川のように,あちこちで大きな地震が起きていますが,やはり東日本大震災は原発事故がかさなっているだけ,とりわけ影響の大きいものといえるでしょう。
 処理水問題は,いまでもなお日本の水産業者に被害をもたらしているのでしょう。中国による日本の水産物の全面禁輸の撤回を岸田首相は求めるようですが,現在の日本の水産業はどのような状況なのでしょうか。まずは中国以外の販路拡大を目指していくべきなのでしょうね。これは日本の水産業がいっそう強くなるための試練なのかもしれません。中国頼みは危険であるのは,他の産業でも同じです。
 ホタテについては,昨年,在日米軍が日本産を購入してくれるという報道がされていました(米政府がホタテなど日本の水産物買い取り,米軍基地で販売へ…「トモダチ作戦の精神」)。有り難いことですが,その費用はまさか,日本政府の在日米軍駐留経費で支払われるものではないでしょうね。
 石川の地震についても同じですが,被災地の産品を購入することが,少しでも支援につながるのであれば,できればそのようにしたいと思っています。ただ政府の支援がどの程度入っているのか,ホタテのような米軍の支援があるのかなど,そのような情報もあったほうが有り難いです。私たちも,限られたお金のなかで,私たちの判断で支援先や支援方法を決めたいのであり,そのための情報がやや不足しているのかなという気もしています。

 

2024年3月10日 (日)

労使自治について

   3月9日の日本経済新聞の「真相深層」の「非正規も賃上げの大波 合同労組は2桁要求 連合上回る水準 スト辞さず,発言力増す」という記事が出ていました。合同労組が非正社員の賃上げ交渉で,連合を上回る高い水準の要求をしているということです。まだ組織されている人数は少ないのですが,存在感が高まっているということが報道されていました。合同労組の存在感が高まっていることは,10年以上前から,労働委員会の実務においては広く知られていたことで,中小企業では労働組合がないから従業員の権利が損なわれているという誤った「常識」は,このBlogでも,たびたび是正を求めてきました。十分な保護があるとはいえないとしても,労働組合によるサポートがないから弱い立場にあるというのは,少なくともコミュニティユニオンがある地域の従業員にはあてはまらないのです。企業別組合がないとしても,合同労組がいったん介入してくると,労働問題の「素人」である中小企業経営者は守勢に回ることがしばしばあり,ときには法的に問題のある対応をしてしまうこともあります。そうしたなか合同労組に対抗するための「社長を守る」というビジネスが出てきたりしていました。そこで私は,経営者に労働組合法の知識をもってもらいたいという思いから,経団連出版から,『経営者のための労働組合法教室』を出しました。現在,第2版が出ています。書名からは,対策マニュアル本のような印象もあたえそうですが,内容はそうではなく,正面から労働組合に向き合うことが重要で,それが経営者のためにもなるというメッセージを込めています。
 ところで,非正社員の組合活動ということでいえば,2002年に開催された日本労働法学会第103回大会のミニシンポ「労働法における労使自治の機能と限界」のことを思い出します。西谷敏先生の司会で,土田道夫先生と私が報告しました。3人は,それぞれ異なるスタンスで労使自治や自己決定のことを捉えており,でも互いに認めあえているような関係であったと思います。西谷先生については,第100回の記念大会での先生の報告にコメンテータとして参加させてもらったこともあります(20年以上前の懐かしい思い出です)。
 私は,103回大会での報告で,非正社員と労使自治にも言及しました。非正社員であっても,他律的介入はすべきではなく,現行法上は,自助の可能性を前提とした議論をすべきだと述べています(「労働者保護手段の体系的整序のための一考察-労使自治の機能と立法・司法の介入の正当性」日本労働法学会誌10023頁以下(2002年)を参照)。その後,他律的介入については,「同一労働同一賃金」のような誤った法的介入がされてしまいましたが,労使自治との関係は十分に整理されていないままでした(労使間の交渉内容を,短時間有期雇用法8条の「その他の事情」で考慮して格差の不合理性の判断をするといった解釈もありますが)。
 当時は労使自治論そのものについて否定的な意見が多く,だからこそミニシンポのテーマにもなったと思います。報告後も,非正社員の労使自治などありえないという反発があり,たしか「労働判例」の遊筆だったでしょうか,どこかの弁護士が,研究者が勝手なことを言うなという趣旨の批判をしていました。しかし,非正社員の自助努力の可能性は,決して空理ではないことが,近時の合同労組の活動などをみると,徐々に明らかになってきているのではないかと思います。
 話は少し変わり,最近「労使自治」という言葉が,新たな文脈で話題になっています。厚生労働省の「労働基準関係法制研究会」で労使コミュニケーションが採り上げられ,そのような動きをみながら,経団連が,「労使自治を軸とした労働法制に関する提言」を出し,日本労働弁護団はこれを批判する幹事長談話を発表していますね(デロゲーション批判)。私は現行法の下で労働組合と機能的に重複する従業員代表法制の構築を目指すことには反対という立場をずっと主張し続けています(『労働者代表法制に関する研究』(2007年,有斐閣))。その一方で,労働者代表制のあり方において,現在の労働組合法制でよいかということにも疑問をもっています。これらもふまえた労働者代表に頼らない現行法の再構築は,労働者個人の納得を重視した労働条件の決定・変更を軸だと思っています(詳細は,拙著の『人事労働法』(2021年,弘文堂)を参照)。さらに,そのさきのデジタル労働法への動きについては,明後日に新聞で短い論説を書いていますので,参照してください。近未来の労働社会を考えると,労使自治というような問題設定は,時代に合わなくなっていることが,おわかりになると思います。

2024年3月 9日 (土)

日産自動車問題に思う

 日産自動車の下請事業者“いじめ”は,非常に嫌な話ですね。日産だけの問題ではなく,この業界全般のことなのかもしれません。テレ東のWBSで報道されていたのは,代金を事前に決めないまま発注をし,下請側は商品を納めたあとに,代金を請求するというものですが,その額が買い叩かれるとのことでした。下請側は受注を拒否することは事実上できないので,代金を事前に決めなくてもよいということでしょう。もしこのとおりなら,そもそも代金が決まっていないので減額という概念も成立しなさそうですが,代金を決めないで取引を進めようこと自体が,よりひどい優越的地位の濫用といえなくもありません。ほんとうのところはよくわかりませんが,いずれにせよ,公正取引委員会は,下請代金支払遅延等防止法(下請法)が禁止する「下請事業者の責に帰すべき理由がないのに,下請代金の額を減ずること」(4条1項3号)に該当するとして,同法7条2項(「公正取引委員会は,親事業者が第4条第1項第3号から第6号までに掲げる行為をしたと認めるときは,その親事業者に対し,速やかにその減じた額を支払い,その下請事業者の給付に係る物を再び引き取り,その下請代金の額を引き上げ,又はその購入させた物を引き取るべきことその他必要な措置をとるべきことを勧告するものとする。)」に基づき勧告を発しました((令和6年3月7日)日産自動車株式会社に対する勧告について)。
 報道されているとおりだと,ひどい取引です。中小企業の賃上げが求められているなか,取引先に適正な代金を請求できるようにすることで,賃上げ原資を生み出す必要性が言われていましたが,公正取引委員会がしっかり仕事をしたという感じです。
 報酬についてきっちり書面で約定してくれないとか,約定したとおりの報酬が支払われないとかは,フリーランスの取引でも起きていると言われていました。昨年成立し,今年施行が予定されているフリーランス法(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律)は,業務委託事業者に対して,給付の内容,報酬の額,支払期日その他の事項を,書面または電磁的方法により明示しなければならないと定め(3条1項),特定業務委託事業者(法人である発注者など)は,「特定受託事業者の責めに帰すべき事由がないのに,報酬の額を減ずること」が禁止されています(5条1項2号)。ただし,後者は,継続的な業務委託の場合にだけ適用されるもので,昨年出された「特定受託事業者に係る取引の適正化に関する検討会報告書」では,継続性は1ヶ月以上とする方向性が示されています。
 今回の日産自動車問題での公正取引委員会の勧告は,フリーランスにとっても勇気づけられるものでしょうが,フリーランス法では継続性要件が付けられていることで,この規定の実効性が損なわれてしまわないか心配ではあります(3条については継続性の要件はありません)。5条の継続性の要件の当否については,引き続き検討されるべきでしょうね。

2024年3月 8日 (金)

五百旗頭先生

 五百旗頭真先生がお亡くなりになりました。神戸大学法学部・大学院法学研究科で,10年ほど同じファカルティメンバーでした。たしか定年前に防衛大学学長に転身されました。そのときには,意外に思ったことがあります。

 かつては大物が多かった神戸大学法学部のなかでも,とびきり大物であったような気がします。というか,視ているところが違うという感じでした。法学部は,法学者以外に,政治学者もおられ,両者はかなり学問の性質も違うので,実質的には混成部隊のようなところがあるのですが,五百旗頭先生をみていると,大物政治学者は桁違いのスケールというのを感じさせられていました。神戸大学を辞められたあとの活躍ぶりもやはり桁違いでした。こういう方と10年ほどでも同僚でいられたことは貴重な経験です。

 五百旗頭先生は,多くの方がおっしゃるように気さくなかたです。お話し好きでもあります。上品な関西弁が心地よく,でも語っている内容は含蓄深く勉強になることばかりです。BSフジのプライムニュースにもよく出演されていて,最近でも台湾の総統選挙のことでコメントされているのを聞いたばかりでしたので,訃報に驚いています。

 日米関係を中心とした政治外交史がご専門ですが,国際政治,国内政治に関係なく,先生の話されることに教わることが多かったです。多くの人が,これから日本はどうあるべきかということに悩んだときに,五百旗頭先生の意見を聞いてみたいと思ったことでしょう。

 五百旗頭先生と直接お話をしたことは実はほとんどありません。分野も違うし,年齢も違うし,そもそもあまりにも大先生だからです。56年前のことでしょうか,サントリー文化財団のイベントで,ご一緒することがあり,少し言葉をかわしたのが最後でした。10年くらい前でしょうか,たまたまですが,三宮のイタリアンレストランのVacanzaでお見かけしたことがあります。先生は仕事関係だったと思いますが,近くのテーブルにいた私には気づかれていないようでした。そこでも,先生だけが話をされて,周りの人がそれを拝聴しているという感じでした。そういえば,オープン・キャンパスで,教員が高校生相手に講義をするという企画があり,五百旗頭先生がご担当されたとき,与えられた時間をはるかに超過して,ハラハラしたことがありました。学生たちに語りたいことがおありだったのでしょうし,もう誰も止めることはできませんでした。学生にとっては貴重な経験だったでしょう。

 80歳とはいえ,お元気そうだったので,とても残念です。元同僚というよりも,一ファンとして,喪失感はとても大きいです。ご冥福をお祈りします。

 

 

2024年3月 7日 (木)

棋王戦第3局と順位戦

 棋王戦第3局は,藤井聡太棋王(八冠)が,挑戦者の伊藤匠七段に勝ちました。完勝だったと思います。これで21引き分けです。伊藤七段は藤井八冠に勝てませんね。このままあっさり3連勝で藤井防衛となると,現在のナンバー2を徹底的にたたいたことになりますね。伊藤七段は叡王戦でも挑戦者となる可能性があるほどの活躍ぶりなのですが。

 順位戦C1組で,その伊藤七段は昇級するかどうかギリギリでしたが,なんとか勝って昇級を決めました。宮田敦史七段相手に途中まで苦戦でしたが,最後は逆転して自力で昇級を決めました。すでに服部慎一郎七段が全勝で昇級を決めて,残り2枠でした。自力は,2敗ですが順位が1位の伊藤七段以外に,1敗の古賀悠聖六段でしたが,ふたりとも勝って昇級しました。古賀六段か伊藤七段が敗れれば昇級の可能性があったのが,2敗の都成竜馬七段でした。都成七段は勝ちましたが,順位の差で伊藤七段に頭ハネされて,昇級を逃しました。

 B2組は,すでに1敗の大石直嗣七段が昇級を決めていました。後は2枠で,可能性があるのは,2敗で追っている4人で,順位の上位から高見泰地七段,深浦康市九段,石井健太郎(新)七段,青島未来六段,さらに3敗で追っている3人で,順位の上位から,村山慈明八段,松尾歩八段,谷川浩司十七世名人でした。谷川十七世名人にも昇級の可能性がわずかですが,ありました。途中の経過では,高見七段はずっと勝勢でしたが,実は他の棋士は全員敗勢か接戦でした。谷川十七世名人も,飯島栄治七段と接戦で,もしかして3枠目に入るかという期待も出ていました。しかし,高見七段と青島六段が勝ち,ここで谷川十七世名人の昇級可能性は消えました。昇級は,深浦九段と石井七段が負けると,青島六段の昇級が決まります。途中までは,石井・戸辺誠戦は,戸辺有利で来ていましたが,石井七段が逆転勝利しました。深浦九段は佐々木慎七段に勝てば昇級でしたが,途中からずっと敗勢で,結局,敗れました。結局,高見七段と石井七段が昇級です。高見七段は叡王のタイトルを取ったことがあるものの,順位戦は苦しんでいましたが,ようやくB1組まで這い上がってきました。来期はA級に向けての挑戦です。

 谷川さんは惜しかったです。7番手なので,6人が敗れなければ上がれませんでした。さすがにそれは無理だろうなと思っていましたが,実際には4人が負けました。弟子の都成七段も惜しかったので,師弟ともに悔しい結果となりましたが,来期に希望をもてる順位戦でしたね。

 B1組は,千田翔太八段がすでに昇級を決めていますが,あとの一人の枠をめぐる争いは,3敗の増田康宏七段(13位)と4敗の大橋貴洸七段(11位)でした。一方,残り1人の降級可能性があるのは,56敗の棋士で,順位が上から,佐藤康光九段(2位),三浦弘行九段(5位),山崎隆之八段(7位),屋敷伸之九段(10位)でした(すでに木村一基九段と横山泰明七段の降級は決まっています)。千田八段と大橋七段,増田七段と屋敷九段が対戦していますが,先に勝負がついたのが,千田・大橋戦で,千田八段が勝ちました。この時点で増田七段の昇級が決まりました。降級争いのほうは,早々に,佐藤九段が糸谷哲朗八段に勝って残留を確定させ,残るは3人ですが,屋敷九段が増田七段に敗れて,それで降級が決まりました。屋敷九段の投了時に,横で三浦九段は,羽生善治九段と対局していて,なんとなく結果はわかったでしょうから,ほっとしたことでしょう。

 熱い順位戦,残すはC2組ですね。

 

 

2024年3月 6日 (水)

「ある男」

 「親ガチャ」と言われる世の中です。どの親から生まれてくるかによって,人生は大きく左右されるという意見が強まっているようです。これはある程度は実証的な分析が可能なものでしょう(親の年収と子の年収の相関関係を調べるとか)が,「ある男」という映画に出てくるのは,そういうレベルを超えている話でした(監督は石川慶)。以下,ネタバレ注意。
   映画は,宮崎のひなびた町で文房具屋の店番をしている里枝(安藤サクラ)が涙ぐんでいるシーンから始まります。そこに暗い印象の青年(窪田正孝)がやってきて,スケッチブックを買います。里枝は,2歳の次男を脳腫瘍で亡くし,そのときの治療法をめぐって夫婦のいさかいが始まり,それがひどくなって離婚をして,実家に帰っていました。泣いていたのは,実父が亡くなったばかりだからです。谷口というこの青年は,何度かこの文房具屋に通ううちに顔見知りになった里枝に「友だちになってください」と言います。こうして二人は付き合い始め,結婚し,女の子も生まれます。連れ子の長男の悠人も,谷口に懐いており,幸せな家庭生活を送っていました。そんな生活が39ヶ月続いたところで,谷口は不慮の事故で亡くなってしまいます。谷口は,実家が伊香保温泉の旅館を経営していて,その次男でしたが,実家との折り合いが悪くて逃げ出していると言っていました。そのためか,里枝は谷口の死のことを,彼の実家に連絡をしていなかったようです。ようやく1年後,里枝はお墓を作る必要があることから,彼の実家に連絡をし,それを受けて実家の長男が焼香をしにやってきたのですが,そこで彼は,写真の谷口を見て弟ではないと言いました。衝撃を受けた里枝は,かつての離婚手続のときに世話になった弁護士の城戸(妻夫木聡)に調査を依頼します。谷口を名乗った男Xが,谷口でないことはDNA鑑定で明らかになりました。ではいったいXは誰なのか。城戸は,ひょんなことから,戸籍交換の可能性を疑い,すでに刑務所にいる戸籍交換の犯人の元締めの小見浦(柄本明)に話を聞きます。小見浦はその場では答えてくれませんでしたが,後から曽根崎との戸籍交換を示唆する絵葉書を送ってきます。しかし,Xと曽根崎がどうしてもつながりません。あるとき城戸は,自身が関係している死刑囚の絵画展において,里枝のところで見た,Xがスケッチブックに書いていた絵と同じような,目の部分をつぶした印象的な絵があるのに気づきました。絵画展のパンフレットには,死刑囚の写真も掲載されており,それをみるとXと瓜二つでした。Xはその死刑囚の子だったのです。城戸はXの過去を洗い出すことができました。Xの父は,放火殺人をしていた死刑囚でした。Xの本名は原誠です。原はボクサーとして活躍していましたが,新人王になる一歩手前のところで,自分の過去をジムの会長に打ち明けます。この会長によると,原は父と顔が似ていて,父の血が流れている自分のことを嫌悪していると語っていました。その後,自殺未遂を引き起こし,消息をたち,そして里枝の前に現れるのです。その間に,原は,曽根崎という男といったん戸籍交換し,さらに谷口と戸籍交換していました。映画では曽根崎の話はでてきませんし,なぜ二度目の戸籍交換をしたかはわかりません(原作では書かれているようです)。
 原は,死刑囚の父をもち,激しい差別を受けていたのでしょう。彼がこの世で生きていくためには,父を変えるしかありません。それが戸籍交換だったのでしょう。原は里枝の息子の悠人に優しかったです。申し分のない夫であり,父でした。里枝は,最後に,本当のことを知らなくてよかったかもしれないと城戸に言います。自分が知っている優しい原は,すべて事実だったからであり,それで十分であり,彼の過去などは関係がないからでしょう。
 この話は城戸の物語でもあります。城戸は在日三世です。裕福な家庭の娘と結婚し,可愛らしい4歳の男がいて,他人からみれば何不自由ない生活をしているようにみえますが,家庭内ではどこかギスギスしています。妻やその両親は,城戸に対し,どこか上から目線です(最後には妻の浮気も発覚します)。城戸もまた,在日という自分ではどうしようもないものに縛られていたのでしょう。映画の最後のシーンで,城戸は,どこかのバーで,たまたま隣に座った人に,自分のことを語っています。でも,その内容は,実家は伊香保の温泉をやっていて,13歳と4歳の子がいるというものです。彼は,谷口に,あるいは谷口に成り代わった原に成り代わっていたのでしょう。最後に城戸は名前を聞かれたときに,答えようとしたところで,映画は終わります。彼は誰の名を語ったのでしょうか。
 死んだ夫が別人であったというミステリー調の出だしで,それだけなら山ほど類似作品はあるのですが,本作はまったくそれとは別です。
 ところで,この映画では,Magritteの絵画である「禁じられた複製」(La reproduction interdite)が何度か登場します。鏡に写っているのは,自分の後ろ姿であるという絵です。自分の姿を正面からみることができないという不思議な絵なのですが,映画では,自分を正面から観ることができない人物が描かれています。原が,愛する女性の前でガラスに映った自分の顔(父そっくりの顔)をみてしまい,取り乱すシーンが出てきます。城戸は,刑務所で面会した初対面の小見浦から,いきなりお前は二枚目だが,朝鮮人であることはわかるということを言われます。自分の顔は,親から受け継いだものです。顔は,自分が生まれつきこの社会に置かれている位置づけを象徴しているのでしょう。映画では,城戸の後ろ姿のシーンが何度も出てきます。でも,城戸も原も,とてつもなく優しいのです。その優しさに救われますが,哀しさも感じます。
 平野啓一郎の原作も読んでみたいと思います。

2024年3月 5日 (火)

効果があるかわかりませんが

 ほんとうに効果があるかわかりませんが……。父が,生前,テレビを大音量にしてうるさいなと思っていたのですが,いまや私も知らないうちに,テレビの音量を上げてしまっていることがあります。家系的に耳が遠くなりやすいのかもしれません。とくに私は他の音とかぶると聞き取りにくくなるので,そういうときは音量をかなり上げてしまいます。これはかなり若い時からそうです。人間ドックの聴力検査ではまったく問題ないのですが,聴き取り能力に難があるようです。APDAuditory processing disorder)という症状があるそうですが,それなのかもしれません。ネット情報では,もしこの症状なら治療はできないと書かれていました(ほんとうかは,わかりません)が,いろいろ対策はできると思います。リモート会議などは,この面でもたいへん助かります。さらに,最近,「新兵器」としてミライスピーカーというものを購入しました(私が買ったのは,この商品の「ホーム」ではなく,「ミニ」です)。まだ23日使っただけですが,なんとなく効果があるような気がしています。テレビは,いまはパソコンでも観ることができるので,それほど苦労しませんが,みんなでテレビを観るようなときには,迷惑をかけないように,この「新兵器」のお世話になるつもりです。
 もう一つ,ほんとうに効果があったかどうかわかりませんが……。こちらは過去形です。コロナが5類になってから,すっかり警戒心がなくなりました。今日のニュースで,4月以降は,通常の診療体制になり,コロナ用の特別な支援措置がなくなるそうです。結局,私も含め,周りではコロナで深刻な症状に陥った人はいませんでした。私については,ワクチンのおかげであったのかはわかりませんが,少なくとも感染した自覚はなく,そのまま今日まで来ました。ワクチンは4回打ちましたが,5回目以降は打っていません。打ったから発症を防げていたのか(あるいは重症化しなかったのか),それとも打たなくても同じだったのか。次の感染症にそなえて,どう対応してよいか考えなければならないと思ったのですが,そのとき,ふと気づいたのは,たぶんそのころには,自分は高リスクの年齢に入り,ワクチンを打たないという選択肢はなくなっているかもしれないことでした。

2024年3月 4日 (月)

低迷する日本

   3月2日の日本経済新聞の「大機小機」では,「株最高値でも縮む日本経済」というタイトルで,日本の低迷ぶりが書かれていました。
 「海外から見たこの国は,既に憧れの先進国ではなく,ハイテク分野に特段の強みを持つわけでもない。日経平均株価は史上最高値でも,世界の時価総額に占める日本株比率は6%程度である。」「安くて安全で遊びに行くには適し,美食とサブカルチャーは人気。警戒感もさほど持たれていない。ただし学びに行くには大学のレベルが高くなく,稼ぎに行くには賃金が魅力的でない。まずはそんな等身大の自画像を直視することから始める必要がある。」
 「大学のレベルが高くなく」などは,耳の痛い話ですが,いずれもそのとおりだと思います。かつて私たちが東南アジアにもっていたような感覚で,日本はみられているのでしょう。そこを勘違いして,自分たちは先進国であると思っていると痛い目にあうでしょう。たとえば,すでにデジタルのレベルでは,東南アジアより後れているかもしれません。もちろん私たちにも,誇れるものはたくさんあるのですが,よく考えると,それは西洋との関係のもので,アジア内では,それほどのものではないともいえそうです。日本は,上品な中流国というところでしょうか。私はそれでよいと思いますが,日本がアジアのリーダーとか言ってしゃしゃりでる時代では,もはやないでしょう。大学の研究者も,私のように未来の労働社会について研究したいと思っている者は,東南アジアの研究機関などに行ったほうがよいと思っています(私ももう少し若ければ,そうしていたかも)。私個人から学びたいと思っている留学生には,なにかインスパイア(inspire)することはできるかもしれませんが,日本法を学びたいと思っている人には,別の国に行ったほうがよいとアドバイスするでしょう。
 日本に学びに来る留学生は減っても仕方ないのですが,それよりも深刻なのは,円安で日本人が海外に行くことも大変になっていることです。国際的な場で活躍できる日本人の育成に支障が生じると,ますます国力は低下するでしょう。英語が話せるだけでは不十分であり,それよりも外国から尊敬される識見をもった人材をどう育てるかが大切なのです。
 
 記事では「等身大の自画像を直視することから始める必要がある」と書かれていますが,むしろ10年後の日本を想像し,自分たちの子や孫にこの国で成長してほしいと思えるかを考えたほうがよいでしょう。GDPについてドル建てでドイツに抜かれたことが話題になっていますが,それはあまり問題ではありません。欧州はどっちにしても斜陽です。むしろ,2030年には,インドやインドネシアに抜かれていることのほうが大きな問題です。たとえばシンガポールに移住したいとか考えなければならないようでは困るのです。これも少子化の問題に関係しているかもしれませんね。
 

2024年3月 3日 (日)

東京マラソン

 桃の節句の3月3日。雛祭りに全く関係ない東京マラソンの結果,男子のパリ五輪のマラソン代表の3人目は,MGC3位であった大迫傑選手に決まりました。今日の東京マラソンで,2時間550秒を切った日本人トップが3人目の代表に選ばれる可能性がありましたが,切れる選手はでませんでした。西山雄介選手は頑張りましたが,40秒近く届きませんでした。とはいえ,トップのケニア(Kenya)のキプルト(Kipruto)は2時間216秒で,その差は4分以上ある9位ということを考えると,日本だけの話としてみれば盛り上がったところもありますが,世界とは勝負にならないローカルな盛り上がりです。2時間6分台は,もちろん好記録なのですが……。ちなみに日本記録は鈴木健吾選手の2時間456秒です(今日出場しましたが,2時間1119秒で28位でした)。世界の6大マラソン(東京以外に,ボストン(Boston),ロンドン(London),ベルリン(Berlin),シカゴ(Chicago),ニューヨークシティ(NYC))でみると,2023年のボストンは2時間554秒(ケニアのチェべト(Chebet)),ロンドンは2時間125秒(ケニアのキプタム(Kiputm)),シカゴは2時間035秒(同じくキプタムで,これは世界記録),ベルリンは2時間242秒(東京五輪覇者のケニアのキプチョゲ(Kipchoge))で,シカゴ,ロンドン,ベルリンでは,ケニア勢がすさまじい記録で優勝をさらっています。そのうち2大会で優勝している世界最高の選手であったキプタムは,先月,交通事故で亡くなって,世界に衝撃を与えましたね。人類初の2時間切りの可能性も言われていただけに,残念なことです。
 パリ五輪には,日本からは,男子は,小山直城選手 ,赤崎暁選手 ,大迫選手が出場することになります。小山は自己ベストが2時間740秒,赤崎が2時間91秒です。東京五輪6位の実績のある大迫も年齢的にどうかというところであり,このメンバーで期待できるところはあまりないですね。パリ五輪の陸上は8月だそうで,どれくらいの暑さになるかわかりませんが,夏のマラソンは自己ベストタイムはあてにならないとはいえ,ケニア勢と勝負できそうにないのは明らかでしょう。

 もちろん応援はしますが,五輪ではマラソンよりも,もう少し短い距離の陸上競技に期待することにしましょう。

 

 

2024年3月 2日 (土)

ドライバーに日本語は必要か

 昨日のテレ東のWBCを観ていると,タクシードライバー不足のため,外国人を採用する必要があるものの,日本語能力の向上が問題となっているということが言われていました。実際に働いている外国人ドライバーのインタビューでも,日本語でのコミュニケーションが大切と語っていました。もちろん,日本語ができたほうがよいのですが,できなくても十分にやれる仕事だと思います。これはいつも書いているように,海外に言ってみると,何も会話をしなくても,行き先まで運んでもらえる経験を何度もしているからです。たしかに,かつては多少,不便なこともありました。タイのスワンナプーム(Suvarnabhumi国際空港からタクシーに乗るとき,空港のタクシー乗り場の担当者に英語で行き先を伝えて,それを紙にタイ語で書いてもらい,それを運転手に渡すということをしていました(いまも同じであるかわかりませんが)。運転手はタイ語しかできないので全く会話はありませんが,きちんとホテルまで連れて行ってもらっていました。町中でタクシーを拾うと同じようには行きませんが,乗るときに地図で行き先を示すとか,行きたい場所の名前を言うと,だいたい通じました。いまならGooglemap があるので行き先の指示に困ることはありませんし,アプリに入力すれば,それで十分でしょう。実際,数年前のマレーシアでは,ライドシェアサービスのGrabを利用したときは,アプリだけで問題はありませんでした。大切なのは,事前に料金が確定していることです。時間帯と距離で決まっているので,予期せぬ渋滞があっても料金が上がったりすることはありません。行き先は事前にアプリに入れていますし,料金は事前決済なので,あえて会話をする必要はないのです。同じことを日本のタクシーでもやれないことはないでしょう。何か法的制約があるのか知りませんが,技術的には可能です(もちろんライドシェアがほんとうに解禁されれば,いっそう問題がないでしょう )。

 つまりタクシードライバーに日本語能力は必須ではなく,あればよいという程度のことだと思います。コミュニケーションがとれて,サービスが良かったと思えば,チップをはずむことにすればよいということで,つまり付加的なサービスにすぎないのです。ということは,問題は,アプリの利用を私たちのほうができるかどうかにあるのです。スマホをもたなかったり,アプリを使えなかったりする人がいればダメですが,いまやスマホを使えないのは,電話をかけられないのと同じようなことです。つまりこれは,日本人側で解決しなければならないことなのです。外国人ドライバーの活用の障壁は,日本語の難しさではなく,日本人側のデジタルデバイドであるかもしれないのです。

 

 

2024年3月 1日 (金)

将棋界の一番長い日

 229日は政倫審に関心がありましたが,なんといっても将棋ファンとしては,「将棋界の一番長い日」でありますので,夜中までA級順位戦の一斉対局の結果を注目していました(すべての対局が23時台に終わり,日をまたがなかったので良かったです)。この日,最初に終局したのは,名人挑戦がかかる,豊島将之九段・菅井竜也八段戦です。豊島九段が勝って72敗となり,挑戦権を獲得しました。久しぶりの名人挑戦です。名人復位に向けて,藤井聡太名人(八冠)との対決となります。菅井八段は,54敗で終わりました。今期は叡王や王将のタイトル挑戦もあり,順位戦でも最終局で名人挑戦(プレーオフ進出)がかかる戦いをしていたので充実していたとも言えそうですが,王将戦の一方的な敗戦があまりにも衝撃的で,来期は立て直しの年になるでしょう。

 次に終わったのが,プレーオフ進出の可能性があった永瀬拓矢九段と,4勝をしているものの,順位が最下位であるため,残留争いをしている中村太地八段です。永瀬九段が勝ち63敗となりましたが,挑戦には一歩及びませんでした。今期も安定した力を発揮していたと思います。現在は,叡王戦でベスト4に残っていて,藤井聡太叡王(八冠)に挑戦する可能性が残っています(ベスト4に残っているのは,永瀬九段と対戦する糸谷哲郎八段,そして,伊藤匠七段と青嶋未来六段です)。来期のA級順位は2位です。

 中村八段は負けたので降級の危険が高まりました。次に終わったのが,負けたら降級という35敗どうしの斎藤慎太郎八段・佐々木勇気八段戦でした。この対局は,斎藤八段が途中までやや優勢でしたが,1手の緩手を咎められ,佐々木八段の勝ちとなりました。斎藤八段はA級4期で無念の降級です。名人挑戦を2回するなどA級で実績を残しましたが,今期は他の棋戦でもあまり活躍できていないので降級はやむなしです。佐々木八段は勝ってもなお降級の可能性がありましたが,中村八段が負けていたので,同じ4勝でも順位が上の佐々木八段は残留が確定しました。残りは,広瀬章人九段,稲葉陽八段,中村八段のうちの一人です。佐藤天彦九段と対局した稲葉八段の対局は,相穴熊の戦いで長くなりそうでしたが,思ったよりも早くに佐藤九段が投了し,稲葉八段が4勝目をあげて残留を確定させました。その結果中村八段の残留は,広瀬八段と渡辺明九段との対局結果次第になりました。途中まで渡辺玉が追い込まれていた感じでしたが,評価値は渡辺勝勢で,結局,渡辺九段が押し切りました。渡辺九段は54敗で終わり,来期の順位は3位です。広瀬章人は36敗で,順位2位で臨んだ今期でしたが,降級となりました。同時に,中村八段の残留が確定しました。広瀬九段は,10期守ってきたA級から陥落です。この10年間は,羽生善治九段から竜王を奪取して,羽生九段を無冠にするといった活躍もありましたが,1度も名人挑戦はかないませんでした。
 来期のA級は,千田翔太八段の昇級が確定しています。もう一人は,B1組の最終局である37日に決まります。増田康宏七段か,大橋貴洸七段かです。増田七段は勝てば確定です。大橋七段は自身が勝って,増田七段が負けた場合のみ,昇級です。どちらになっても,千田八段と同様,初昇級となります。

 今期のA級は,結果として,初昇級組の佐々木八段と中村八段がともに残留しました。来期はどうなるでしょうか。

 

 

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