身近な死
朝ドラの「ブギウギ」は欠かさず観ています。波乱万丈の人生を歩んでいる福来スズ子(笠置シズ子)にすっかり感情移入してしまっています。先週は,終戦直後で東京ブギウギが大ヒットしている頃の話でした。ぞの時代,多くの人が家族や親戚に戦死者や行方不明の人を抱えていたことでしょう。ドラマでも,そういう人が多数登場してきます。また,スズ子の最愛の人の愛助もそうであったように,昭和20年代までは,結核は不治の病で,それで亡くなる人も多かったです。子どもは多数生まれても,早世することも多かったのです。もっと死が身近な社会だったことでしょう。家族が死んだからといって,いつまでも悲しんでおられず,みんな生きていくのに必死でした。
現在の日本では長寿は当たり前です。徴兵もなく,おそろしい感染症もなく,大地震など突然の天災に巻き込まれることはあるのですが,そういうことでもないかぎり死はそれほど身近なことではありません。コロナに過剰なほど怖がったのは,死の危機に,日頃,慣れていなかったからかもしれません。
高齢の親が亡くなったときも,悲しみは深いものでした。昔なら大往生であれば,地域によっては紅白饅頭を配るところもありました。そこまで行かなくても親を送るということは悲しいとはいえ,身近なところに悲惨な死が多いなかでは,言葉は変ですが,まだましな死であったのだと思います。とはいえ,悲惨な死が減ってくると,一つひとつの死が重くのしかかってきます。これは平和な世の中であることからくる贅沢なことなのかもしれません。
最近,大学関係で私と年齢が近い現役の人が立て続けに亡くなりました。定年までたどりつかなかったことに,とてつもなく大きなショックを受けています。ご家族の悲しみを思うと,いたたまれない気持ちにもなります。同時に,私くらいの年齢になってくると,なんとなくまだ先のことと思っていた自分の死をもっと意識しなければならないとも感じています(そういえば,高校時代の同級生も2年前に亡くなっています) 。
それでも,日本は,平和ですし,医療の技術も高いです。日常生活における死のリスクは低いでしょう。一方,世界のどこかでは,いまでも日本の80年前と同じように戦争に巻き込まれたり,感染症で命を落としていたりする人がたくさんいます。私たちはこの国で,平和に元気で生きることができていることに感謝をしながら,世界の平和と健康のために何ができるのかをもっと考える必要があると思っています。
(*)昨日のBlogで,労働基準法上の条文を間違えていましたので,訂正しておきます(110条→100条)。また,労働基準法を「女性」のワードで検索すると,当然のことながら,妊産婦等関係の規定は,生理日の休暇も含めヒットしていたので,そのことも念のために追記しておきました。
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