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2024年2月の記事

2024年2月29日 (木)

政倫審初日

 政治倫理審査会で,突然,首相が出席し,しかも公開を受け入れると言い出したのは驚きでした。そのため,これまで出席の意向は示していたが,公開を渋っていた政治家も,公開に応じざるを得なくなったようです。首相がリーダーシップをとって,国民の要望に応えたという印象を与えようとしたのかもしれません(首相の印象を良くするために,わざとゴネさせていたのかなと勘ぐりたくもなりますが,たぶん違うでしょうね)。

 私は80分のライブをずっと観ていました。まず15分少し,本人の弁明がありました。首相としては,ここが勝負で,これでアピールできるという勝算があったから公開を受け入れたのでしょう。自民党の鷲尾英一郎氏からの緩やかな質疑をこなしたあと,立憲民主党の野田佳彦氏からの質疑に移ると,形勢がやや悪くなりました。野田氏から,首相になった後の大変な時期もパーティを繰り返していたことについて「詰問」され,さらに,首相には総理としての「内なる規範」がないのかという質問については,「内なる規範」の意味がよくわかっていないような答弁でした。最後は,在任中の資金パーティはしないという答弁を引き出させられたところは,追い込みに屈したという印象を受けました。一方,十分準備していたと思われる首相のリーダーシップについての質問については,政倫審の出席は本人の意思を尊重するルールになっているという答えを繰り返しました。しかし,野田氏が言うように,本人の意思を尊重するとしても,本人に出席や公開を呼びかけるという形で指導力を発揮することは可能なのであり,首相の言い訳は形式論に聞こえました。もちろん,首相は,ほんとうは指導力がないので,呼びかけても無理であったのかもしれませんが,それは自民党のガバナンスの欠如を意味することになります。どっちにしても,首相には良い結果にならないので,これは野田氏の追い込み方がうまかったのかもしれません。
 続く日本維新の会の藤田文武氏からは,首相は裏金問題の調査をしっかりしたうえで出席しているはずであろうという先制パンチを受けてからの答弁とおり,結局,すでに発表されている「聴き取り調査に関する報告書」以上の内容は出てこず,裏金問題が,いつから,誰が,どのように進めてきたのかという本質的な点は何も明らかになりませんでした(この点は,共産党の穀田恵二氏からも追及されました)。これでは首相は何のために出てきたのか,という疑問をもたれても仕方がないでしょう。藤田氏からは,さらに首相自身の宏池会の問題についても追及されました。首相は当初の弁明では,清和会や志帥会とは違い,不記載額は少なく過失によるものにすぎないとして,責任が小さいかのような印象を与えようとしていましたが,藤田氏の追及で不自然さが出てきました。

 公明党からの質疑は,とくに注目すべきものはありませんでした。与党側の質疑応答からは,政治資金規正法を改正して,連座制や議員本人の責任を認めるところを落とし所にしたいという意図は確認できました。一方,野党からの裏金問題の構造の明確化という点は,内容がない答弁に終始しました。過去のことよりも,再発防止に力を入れるという態度で国民に理解を求めるという方針ですが,これは成功するでしょうかね。

 次に登場した二階派の武田良太氏の弁明は,ちょっと物足りなかったです。言い訳はしないと言いながら,経理のことはよくわからず,事務局長しか真相は知らず,その不注意によるものであったという言い訳に終始したように思えました。ただ,立憲民主党の寺田学氏の追及があまりうまくなかったなと思いました(共産党の塩川鉄也氏の追及のほうが厳しくできていた印象です)。日本維新の会の浦野靖人の最後の質問である,この裏金問題の動機は何かについて,ぜひ武田氏に語ってほしかったですが,無理なのでしょうね。ということで,これを視聴した人は,やっぱりボスの二階俊博会長を呼ばなければならないと思ったでしょうね。武田氏は二階氏を守ろうとしていたのでしょうが,自身も守らなければならないということで,その結果,二階氏からも話を聞くべきという流れができてしまったような気がします。
 それにしても,塩川氏の追及の途中で,大谷結婚の速報を流すのはいかがでしょうか。自動的な処理なのかもしれませんが,物事の重要性を考えると,緊急性が高くない大谷速報は,政倫審のあとでも良かったのではないかと思いました

 

 

2024年2月28日 (水)

試験監督のこと

 今日で2月が終わるかと思っていたら今年は閏年でした。29日まであると得をした気分になります。3月の締切の原稿も1日長くなってラッキーな気分です。2月は28日の平年にしろ29日の閏年にしろ,残日数を間違えやすいので,原稿書きにとっては要注意です。固定の月給制であれば,2月は労働日数が少なくなりやすいので,1日あたりの収入が増えるといえそうですが,時給や日給であれば,労働日数が減ると,月額総収入が減るということもあるでしょう。飲食店では,二八(にっぱち)は客が減るということを言います。日頃,予約が取れない店でも,2月なら取れるかもしれません。2月というのは,そういう月です。

 国立大学の教員は,2月は,通常の授業は終わり,試験のシーズンになります。期末試験,大学院入試,学部の前期日程入試,学位論文の審査(口頭試験)などが次々とあって多忙です。寒い季節なので体調も崩しやすいので要注意です。

 ところで,大阪大学の前期日程入試で試験監督者が談笑していたことが問題となっていますね。ほんとうであったら,ひどい話です。監督中に思わずあくびが出そうになることはありますし,正直に言うと,過去にはうとっとしてしまったことがないわけではありませんが,他の試験監督者と試験時間中に入試に必要なこと以外で言葉を交わすことはありえません。こういう不祥事が起きてしまうと,いっそう管理強化をしようということになりそうですが,もうこれ以上強化されると,うとっとすることも許されないというような非人間的な管理になりかねません。大学が,そういうことはさすがに言わないと信じています。長年教員をやっている私たちは,試験監督は教員がやるべき重要な仕事であると洗脳されていますが,たぶん他の仕事を経験してきた実務家経験者のような方なら,試験監督業務の異様さに驚くと思います。入学試験それ自体,やめてもらいたいのですが,やるとしても,そして厳正にやるというのであれば,コストをかけても,試験監督は監視カメラとAIがやるようにしてもらいたいです。デジタル庁は,こういうことにも介入してほしいですね。

 

 

2024年2月27日 (火)

ロシアのこと

 Putinは,ナバリヌイ(Navalny)を殺したのでしょうか。大統領戦に勝つことは疑いの余地がなく,圧勝の形をつくることも,Putinの力からすれば簡単なはずなので,わざわざ殺す必要はないように思います。日本人の感覚では,弔い合戦のようなことになると,かえって反対票が増えそうではないかと思ってしまいます。それにしても,ロシアは遠い国です。隣国ではありますが,何を考えているのか,よくわからないところがあります。Putinは,1721年に帝政ロシアを建国したピョートル大帝(英語では,Peter the Great)を意識しているという話を聞いたことがあります。ロシアを近代国家に押し上げた,あの皇帝を目指しているということでしょうか。

 ところで,このBlogで前に何度か,兵庫県淡路島出身の江戸時代の商人である高田屋嘉兵衛のことを描いた司馬遼太郎『菜の花の沖』のことに言及したことがあります。文庫で6巻本なのですが,その途中の巻で,延々とロシアの歴史のことに触れている場面があります。高田屋嘉兵衛の話のはずが,それはすっ飛ばされて,ロシアの歴史のことを書いているのです。なかでもピョートル大帝のことは詳しいです。高田屋嘉兵衛がなぜロシアに連行されたかを知るためには,ピョートル大帝から,エカテリーナ大帝(英語では,Catherine the Great)のことまでを語っておかなければならないということでしょうが,型破りの小説です。でも勉強になります。
 それはさておき,ピョートル大帝は男子に恵まれず,数少ない息子のアレクセイ(英語表記の一つが,Alexey)も,その無能ぶりもあり殺してしまいます(謀反の疑いで捕まり獄死となっていますが,大帝が撲殺したとの噂もあります)。そして男の後継者がいないなか,ピョートル大帝は急死し,なんと皇后のエカテリーナ1世(英語表記はCatherine Ⅰ)が即位します。売春婦の噂もあった人です。ここからロシアにはエカテリーナ大帝まで4人の女帝が誕生します。エカテリーナ1世のあとは,アレクセイの息子のピョートル2世(Peter Ⅱ)が即位しますが早世し,その後,ピョートル大帝の異母兄であるイヴァン(Ivan5世の娘のアンナ(Anna)が皇位につきます。しかし,ピョートル大帝直系のエカテリーナ1世の娘エリザベータ(英語表記は,Elisabeth)は,これに不満です。イバン5世の系統とピョートル大帝系統の間で,皇位継承についての女(および,そのバックにいる宮廷勢力) の戦いになりました。アンナは,エリザベータの野望を打ち砕くために,イヴァン5世のひ孫で,自分の姉の孫のイヴァン6世を誕生後にすぐに即位させるという無茶なことをしましたが,エリザベータの反乱でイヴァン6世は廃位され,その後,可哀想なことに,彼はずっと幽閉されてしまいます。そして,最後は看守に殺されてしまうのです。これでイバン5世の系統はとだえ,その後即位したエリザベータの後を継いだのは,エリザベータの姉の子のピョートル3世でした。しかし,敵国プロイセン王を崇拝しているドイツびいきの皇帝は国内では不評で,ドイツ人出身ですが,ロシア化に尽力していた皇后を支持する勢力が,ピョートル3世を廃位します(その後,殺害されます)。こうして,この皇后が即位するのですが,それがエカテリーナ大帝であったわけです。彼女の治世で,ロシアは大きく飛躍するのですが,この4人の女帝が登場するゴタゴタ騒動をみたとき,もとはいえばピョートル大帝が後継者問題をきっちりさせていなかったことが原因であったように思います。そして結局は,血筋がまったく関係していない外国人出身の女帝に皇位をゆだねることになったのです(外国の教養がある啓蒙専制君主であったことが,ロシアには良かったのでしょうが)。

 日本の皇位継承問題と結びつけるつもりはありませんが,いろいろ考えておかなければならないという教訓になるでしょう。Putinの話から,思わぬ方向に脱線してしまいました。

 

 

2024年2月26日 (月)

社会保障の再構築

 今朝の日本経済新聞の「核心」で大林尚編集委員が,「年金の主婦優遇は女性差別」というタイトルの記事を掲載していました。国民年金の3号被保険者問題です。「夫への依存を前提にした昭和の年金をいつまでも引きずるのは,みっともない。女性が真に自立するカギは,令和の年金改革である。」というのが,彼の主張です。連合も昨年,3号被保険者廃止論を唱えています。専業主婦を優遇しているというより,専業主婦を家庭に閉じ込めているという構図でみるべきだということでしょう。記事の中では,連合は,「所得比例と最低保障の機能を組み合わせた新しい年金制度への衣替えを提唱している」と書かれていました。私は不勉強で,連合がこういう主張をしていたのは,知らなかったのですが,個人的にはフリーランスの社会保障という問題を考えるうえで,現在の年金制度には問題があると考えていました。働く人のセーフティネット問題を根本から考え直そうということをいまやっていて,そこでは,これは労働法の問題,あちらは社会保障の問題といったことは言ってられなくなっています。自営的就労者(フリーランス)は,企業に頼らずに働くわけで,そうした人の保障のあり方を考える際には,政府が直接関与する社会保障のあり方を考えざるを得ず,そうした視点から現在の社会保障のことをみると,いろいろ改善すべき点がみえてくるのです。3号被保険者問題はその一つですが,より大きな問題は,最低保障+所得比例保障という仕組みを,いかにして現行の枠組みにとらわれずに(つまり働き方に中立的に),国民に公平な形で再構築できるかということになります。
 この点を考えるため,315日に神戸大学でミニシンポジウム(オンライン)を開きますので,関心のある方はご参加ください。制度を変えると誰が得をするか損をするかという話とはいったん切り離し,また移行にともなうコストもいったん忘れ,タブラ・ラサ(白地)から制度を作ると,どういうことになるかという思考実験ができればよいと思っています。法学と経済学と実際のフリーランスの立場から論客に参加してもらいます。このシンポの詳細は,近いうちに神戸大学の社会システムイノベーションセンターのHPに掲載されると思います。

 

2024年2月25日 (日)

棋王戦第2局

 第1局が持将棋となったあとの仕切り直しの第2局でしたが,藤井聡太棋王(八冠)が,挑戦者の伊藤匠七段に勝ちました。途中までは明らかに伊藤七段が優勢であったと思います。藤井棋王の玉が丸裸に近い状況で,飛車を打ち込まれて,素人なら生きた心地がしないような状況ですが,そこからうまく守りを再構築して,いつのまにか逆転していました。やはり強いです。伊藤七段は,持将棋を挟んで,対藤井8連敗で,まだ勝ったことがありません。藤井八冠を追う候補のNo.1と言われていますが,これでは厳しいです。かつての大山康晴15世名人と二上達也九段(羽生善治九段の師匠)という感じにならないか心配です(二上九段は打倒大山の一番手でしたが,何度もタイトル挑戦して敗れていました。それでも2度はタイトルを大山から奪取しましたが)。
 NHK杯はベスト4が出揃いました。羽生九段,藤井八冠,佐々木勇気八段と,A級にあと1勝となっている増田康宏七段です。次の藤井・羽生戦は注目です。 
  女流は,里見あらため福間香奈女流四冠が,女流名人戦で,ライバルの西山朋佳女流名人からタイトルを奪還して五冠に返り咲きました。西山さんは三冠に後退しましたが,今後も二人のタイトル争いは続くでしょう。
 今週はいよいよA級の最終局,「将棋界の一番長い日」があります。豊島将之九段が勝ってあっさり挑戦を決めるか,菅井竜也八段が勝ってプレーオフになるか。その場合,永瀬拓矢九段も勝っていれば3者のプレーオフになります。個人的には,久々に豊島九段にタイトル戦に出てもらって,藤井八冠への「最後の挑戦」をしてもらいたいですね(年齢的にも,今度負けてしまうと,さらなる成長が予想される藤井八冠に勝てるチャンスはなさそうということで,「最後の」と書かせてもらいました)。

2024年2月24日 (土)

北青鵬問題に思う

 北青鵬が,凄惨な暴行・傷害をしていたことが発覚して引退となりました。引退勧告処分ではなく,事前に引退届を提出し受理されたので,形式的には懲戒処分はされなかったようです。懲戒処分がされなかったことで,具体的にどのような影響があるのかよくわかりませんが,通常の民間の事例では,懲戒解雇相当事由があった場合には,自発的に辞職により,企業が懲戒解雇をできなかった場合でも,就業規則に規定があれば,退職金は不支給となります。
 いずれにせよ,今回の北青鵬の場合は,おそらく本人がまだ若く,将来のことを考えたうえでの温情措置なのでしょう(引退勧告処分でも,懲戒解雇ではないので,民間でいえば,一段軽い諭旨退職のようなものでしょう)。そうなると,むしろ親方の管理責任が厳しく問われるはずです。元白鵬の宮城野親方への2階級降格と報酬減額という処分がどれだけ厳しいかはよくわかりませんが,師匠の地位の剥奪はされるようであり(宮城野部屋は一門預かり),実質的には相撲界追放に近い処分であるとすると,それは妥当なものといえるのでしょう。
 将来有望な幕内力士による,相撲部屋内での継続的な暴力事件は,現在の日本社会における「いじめ」への厳しい視線への感度が鈍すぎた宮城野部屋の問題であるような気もしますが,相撲界全体として,まだそういうものを許容するものがあるのではないかとの疑惑も捨てきれません。これを宮城野部屋だけの問題にしてよいのか,ということです。
 この力士は長身の大型力士で,体力もあり,荒々しい取り口は,この力士の個性としてみることもできました。ただ,この力士だけではないのですが,相撲の取り口における荒々しい内容は,ときには見苦しいこともあります。とくに,かち上げや張り手などは,やり方によっては,子どもにはみせられないように思えます。相手の顎を狙って,あわよくば失神させようとするかのようなエルボーのかち上げは危険なもので,白鵬は多用していましたが,横綱のやるようなことではないと思っていました。ルールで禁止されていないからといって何でもやってよいということではないでしょう。こういうことも含め,もう少し相撲がきれいになってほしいです。そのためには日頃からの部屋での教育が重要です。親方になるというのは,それだけの責任があるということであり,現役時代の実績というものとはいったん切り離して,よい親方が部屋を仕切るようになってほしいです。北青鵬問題の根底には,こうしたことが関係していると思います。

2024年2月23日 (金)

岡田スタイル

 阪神タイガースの「アレンパ」がかかる今年のプロ野球ですが,もうすでにシーズンが始まったかのように,個人的には,阪神の情報を追っかけています。これだけ強くなると,みていて面白いです。サトテルは飛躍するか,外野の熾烈なポジション争いで誰が勝つか,充実の投手陣のなかで誰がローテーション投手の座をつかむか,超高校級といわれている高卒2年目の門別投手は江夏豊の再来となるか(江夏は高卒2年目で,いまでも破られていない年間最多三振記録をつくりました)など,見所満点です。
 いつも言っているように,監督が変わるとここまで変わるのかと驚きです。もっとも,岡田監督のスタイルは,時代に逆行しているようなところもあります。前の矢野監督は,選手との距離が近く,選手をファーストネームで読んだり,ホームランのときにメダルをかけるといった子供じみたことをしたりしていました。監督は兄貴という感じでした。一方,岡田監督は,選手にはほとんど直接声をかけないそうです。兄貴ではなく,怖いオジさんでしょう。選手へのコメントも,マスメディア経由で本人に伝わるようにしています(これは監督のコメントが,ほぼ必ずマスメディアに取り上げられる人気球団だからこそのことでしょうが)。選手は,間接的に聞くことになる監督のコメントの意図を探りながら行動しなければなりません。これは昭和時代のやり方のような気もします。ところが,プロ野球のようなところでは,一般社会ではパワハラとなりかねないことでも,結果(勝利)がすべてのプロの世界なので,結果が出ているかぎりは問題とならないのでしょう。よく考えると,岡田監督のスタイルのほうが,実は選手の自主性を高め,その力を伸ばしていく面があります。どうしても困っているときには,監督が直々にアドバイスすることもありますが,日頃そういうことをしていないので,これもまた効果的です。何よりも岡田監督が大の阪神ファンであり,純粋に阪神を強くするためには何でもやるということを知っているので,選手も納得しやすいのかもしれません(選手のために,四球をとるといった地味な貢献も年俸の査定で考慮するようフロントに進言したのも岡田監督です)。距離を近くして,フレンドリーに接することだけがよいのではありません。チームが強くなるという目的のための手段として何がよいのかを考えると,勝利のためということに徹している岡田スタイルもあるということでしょう。もちろん岡田スタイルの最終評価は,「アレンパ」ができるかによって変わってくるかもしれません。単発の優勝は,勢いでできることもありますので。

 プロ野球の世界の話を,そのまま労働の世界にあてはめることはできませんが,岡田スタイルが成功するかどうかは,経営者にとっても注目でしょう。

 

 

2024年2月22日 (木)

カスハラについて

 「キーワードからみた労働法」の930号(20232月号)でも取り上げた「カスタマーハラスメント」(カスハラ)ですが,東京都の小池百合子知事が,220日の施政方針演説で,東京でのカスハラの被害が深刻化しているとして,条例でルールづくりに乗り出すと発言しました。罰則は設けないようですが,構成要件を明確にするのが難しいでしょうから,当然でしょう。
 カスハラからの保護は,労働法上の問題でもあり,労働施策総合推進法に基づき策定されたパワハラ指針のなかにも,カスハラへの言及があります。ただカスハラは,職場の問題とはいえ,従業員が行うセクシュアル・ハラスメントなどの他のハラスメント(これらについては,民法上も,企業が民法715条の使用者責任を負うことがありうる)とは違い,企業の客や取引先からの行為であるため,企業の責任の程度はやや弱そうな感じです。それでも,企業には,労働者が安全で快適な職場環境で働くことができるよう配慮する義務はありますので,やはりカスハラから従業員を守ることは必要だといえるのですが,労働法学ではやや関心が薄いテーマであったと思います。しかし,労働者のことを思うと,企業が取り組むだけではなく,社会的な関心事として,国や自治体もカスハラ対策に取り組むべきでしょう。またそれは,日本は未批准ですが,ILO190号条約「暴力及びハラスメント条約」の趣旨に則したものでもあります。
 カスハラは,40代から50代の高所得者の会社役員,自営業者などによるものが多いと言われています。こういう人は,自分が厳しい環境で仕事をしているため,他人にも厳しく,少しでも問題があると感じられる従業員の態度に,激しく反応してしまうのかもしれません。それに日頃から仕事上の心理的プレッシャーを受けているので,何かあればすぐに爆発(暴発?)するのかもしれません。従業員のほうに非がある場合もあるかもしれませんが,やはり見苦しいです。
 欧州にいくと,お客様第一主義などはありません。店員の対応の悪さに腹が立つこともありますが,むこうの人は,店員なんてそんなものと最初から思っているので,別に気にしないでしょう。笑顔の一つでもみせてくれればラッキーという感じです。店員は,労働契約上の義務に含まれていないサービスはしないのです。そう考えると,日本でときおりみられる過剰な接客サービスは,労働契約上の義務に(黙示的に)含まれているのかもしれません。もしそうなら,これはやはり労働法の問題(契約解釈の問題)になりえますし,労働組合が労働者の業務内容の改善という形で要求していくべきことかもしれません。
 日本でも過剰サービスのない欧州型のスタイルが広がると,客のほうも良いサービスを期待しなくなり(良いサービスを期待したいなら,それを売りにしている高額の店に行くべき),カスハラも起こりにくくなるという好循環が生まれるでしょう。とはいえ,そのためには,サービスはタダではないということを理解し,無愛想でも最低限のやるべきことをやっていればそれでよしとするという意識が,日本人のなかに根付く必要がありますが,可能でしょうかね。

2024年2月21日 (水)

文理融合について思う

 昨日の日本経済新聞の「Deep Insight」に,編集委員の矢野寿彦氏の「『理系か文系かやめませんか」というタイトルの記事が出ていました。そのなかで,高橋祥子氏が「文理分け」はイノベーションを求める今の社会になじまないと述べたという話が紹介されています。文理を分けるのは,効率的な勉強につながり,外国の文明水準へのキャッチアップをしなければならない時代であればよいとしても,イノベーションが求められる時代であれば,文理の区分は無意味で,かえって思考を既存の学問の枠におしとどめてしまい,有害無益であるということなのでしょう。
 だからこそいまでは,文理融合ということがよく言われます。これまでは,どちらかというと,文科系のほうが理科系にはコンプレックスをもっている傾向があり,理に近づくことに臆病であったような気がします。理科系のほうが,専門技術性が高く,その分だけ障壁が高く,その理解が難しいというイメージがあるからです。しかも,理科系の人は,文科系の人が理解系のものを勉強しようとしない姿勢に厳しい言葉を投げかけることもあります。だから,みんなもっと数学を学ぶべきだというような意見が出てくるのです(この点では経済学部は理科系に近い科目です)。しかし,その逆はどうでしょうか。たとえば,とくに法律のような分野になると,法律のことはよくわからないので,と言う理科系の人はよくいます。謙遜なのかもしれませんが,法律のことを知らなくても仕方ないかな,という態度がみられることもあります。他方で,人によっては法律を過剰に「おそれる」人もいます。遵法意識が高いことはよいのですが,そういう人は,法律を刑法のイメージでとらえている場合が多いように思います。日本人の一般の人の法意識では,法は処罰につながっているのです。しかし,それは法の一部にすぎません(重要な部分ではありますが)。法学の立場からみたときの,バランスのとれた文理融合というのもまた難しそうです。
 いずれにせよ,文か理かに関係なく,自分の得意な分野で専門性を伸ばせばよく,大切なのは,子どものころから,あなたは文科系だから,数学は勉強しなくてよいというようなことを言ったり,逆に理系だから,国語の学習は不要というようなことを言ったりして,その子の可能性を狭めないということでしょう。文理を分けることはやめ,同時に,文理ともに学べというのもやめ,個人が関心のあることを,好きなように極めることが大切ですし,また,そういう人がふと別のことを勉強したくなったときに,いつでもその勉強ができるような環境を用意することが大切です。そう考えると,問題の根源は「文理分け」や文理で分けられた試験にあるではなく,子どものときに,勉強というものを受験のためにやるものと意識づけてしまうことにこそあるといえそうです。

2024年2月20日 (火)

代書屋

 小泉和子『こんな仕事があったんだ! 昔のお仕事大図鑑』(日本図書センター)という本を読みました。昔のお仕事が写真入りで紹介されていて,面白かったです。いろんなお仕事があるなと思ったのですが,そこで気になったのが代書屋です。司法書士と行政書士の起源でもあります(代書屋という響きには,なんとなくネガティブなものがありそうですが,重要な仕事です)。
 連城三紀彦の小説に「藤の香」という短編の名作があります。『戻り川心中』(光文社文庫)に収録されています。これは代書屋が関係しています。色街で文字のかけない女たちのために代書している男が,彼女たちの秘密を知ってしまうことから連続殺人事件に関係していくという作品です(Amazonで調べたら,私はこの本を2016年に購入していました)。代書屋というのは,現代風にいえば,個人情報を知りすぎてしまう仕事であり,信用されていなければできません。
 大河ドラマ「光る君へ」の主人公まひろ(紫式部)は,男たちのためにラブレターの代書をしていました。1000年以上前の話です。代書といっても,書く内容も自分でアイデアを出しているので,高度な知的仕事です。彼女は決して顔を出さずに男のふりをして仕事をしていましたが,それは男が女に頭を下げて教わるというのを潔しとしない時代だったからでしょうか。女の気持ちは女が書いたほうがよく,それがまひろのような文才があればなおさらです。いまなら生成AIに頼ることができそうです。私も,テーマを与えて,AIに短歌をつくってもらいましたが,その出来栄えにびっくりしました。みなさんも,ぜひ試してみてください。

2024年2月19日 (月)

労働組合の危機

 労働組合の人に,「今年の春闘は楽ですよね,何もしなくても大幅アップでしょうから」と,ちょっと軽口をたたいてみたあと,すぐに思い直して,「でも,普通の賃上げだったら,手柄は政府や経営者のものになってしまうから,労働組合としてはかえって厳しいですかね」というと,その人はうなずいていました。春闘の様相が今年はずいぶんと違っています。労働者にとって良い方向の気もしますが,気になるのは労働組合の存在意義です。今日の日本経済新聞の「複眼」に,立正大学の戎野淑子さんが,労働組合に活を入れるようなことを言われていました。「労働組合は満額回答に満足しているだけではダメだ」ということで,同感です。
 また,もう一つ気になる記事がありました。田中陽編集委員の「<経営の視点>相次ぐ不祥事,労組の影薄く 危機訴える声を届けよ」というものです。不祥事を起こした企業が設置した第三者委員会などで,労働組合幹部への意見聴取がなされていないようです。それについて,久保利英明弁護士の労働組合に対するコメントとして,「そもそも御用組合が多く,ガバナンスの一翼を担っていない。だから委員会は『組合に聞いても意味がない』と思っている」というものが紹介されていました。田中氏は「手厳しい」と書いていて,そのとおりだと思いますが,多くの人の大企業の企業別組合に対するイメージはそういうものであり,それは実態とそれほど違っていないのでしょう。
 実は公益通報者保護法などにおいても,本来は,企業別組合を内部通報の受け皿とすることが定められてもおかしくないのですが,日本では,企業別組合は,ほんとうに労働者側かどうかが疑わしいという実態もあるのです。学生に出す試験問題として,「企業の不祥事を目撃した労働者としてとるべき行動としては,どのようなものがあるか」といったものを出題すれば,労働組合に相談するとか,労働組合に結成したり,加入したりして,団体交渉をとおして問題解決を図るといった答えを期待したいところですが,実際の社会では空論に近いものかもしれません。
 問題は,そんな労働組合でよいのか,ということです。戎野氏も,田中氏も,労働組合への期待を込めているのであり,私もずっと労働組合を応援する法解釈を主張してきたので,なんとか頑張ってもらいたい気もします。ただ労働組合自身が本来の役割をよく考えて行動しなければ,ほんとうに存在意義がなくなってしまいかねません。
 今回の春闘は,賃上げでわきそうですが,実は労働組合としては大変なピンチにあるという状況認識が必要だと思います。

2024年2月18日 (日)

民意とは

 テイラー・スウィフト(Taylor Swift)を知らないというのが,どれくらい恥ずかしいことかわからないのですが,アメリカの大統領選挙を左右するくらい影響力があると聞き,YouTube で数曲聞いてみました。聞いたことがある曲もありましたが,「ああ,アメリカ人が好きそうな曲だな」というくらいの印象で,良さはよくわかりませんでした。それはともかく,こういう人気歌手がとくに若者に影響力をもち,それが民主党や共和党のコアな支持層よりも多くの票を動かすというのは,すごいことです。

 でも,これはアメリカだけのことではないでしょう。前の参議院選挙で,ガーシー氏が当選したことを忘れてはなりません。暴露系YouTuberと言われている彼が当選してしまったことの意味をよく振り返っておく必要があるでしょう。
 参議院は,非拘束名簿式で,名簿順位ではなく,個人票で決まりますが,特定枠の人だけは優先的に当選する(順位が上位となる)という仕組みが採用されています。島根・鳥取,高知・徳島が合区になったので,どちらかの県からは立候補できない人が出てくるため,その救済策として設けられたそうです。自民党ではこの枠を使っており(もともと自民党が要求して実現したものです),実質的には無選挙で当選できる人が2人います。これは自民党の出世で考慮される当選回数に含まれるのでしょうかね(そういう当選回数主義をなくすという声もでていますが)。先回の選挙でも自民党の2名が特定枠で,その他にれいわで1名特定枠当選者がいました。特定枠では個人名で投票されても政党への投票とカウントされます。昨年は自民党の特定枠の当選者が,徳島県の知事選に立候補するために辞職して,徳島とは関係のない地域の人が繰り上げ当選したということがありました(ちなみに知事選に立候補した人は落選しました)。これでは徳島からの参議院議員がいなくなり,特定枠を設けた意味がなくなってしまいます。小さい政党であれば,知名度が高い人が個人票でかせいで,特定枠の人に議員になってもらうという戦略もあるのかもしれませんが,いずれにせよ特定枠は,有権者にはわかりにくい制度のように思えます。

 ところでガーシー氏は約29万票を獲得していました。自民党の大口支援団体のあるような人は別としても,一般個人ではきわめて高い集票力をもっていたことになります。ガーシー氏でこりた有権者も多いかもしれませんが,インフルエンサー(influencer:和製英語っぽいですが,英英辞典に掲載されています)たちが呼びかければ,それに反応する有権者は多いと思われ,第2,第3のガーシーが出てくる可能性もあります。浮動票というのは,既成政党側の言い分で,これこそがほんとうの民意なのかもしれません。コアな支持層がいる政党は,安定しているともいえますが,知らぬ間に社会の変化から取り残され,民意と乖離している可能性があります。とはいえ,政治的なメッセージを発するインフルエンサーがどれだけの見識をもって発言しているかわからないのがネット社会の怖さであり,有権者の政治リテラシーが問われるところでしょう。
 衆議院のほうは,比例代表は拘束名簿式ですので順位に縛られますが,選挙区との重複立候補が認められているので,選挙区で敗れても,比例の名簿での順位と政党の獲得した票(比例代表は政党名のみ記入する)によっては比例復活ということがあります。これは評判が悪いものです。選挙区で敗れたということは,民意としては不適格としたということなので,政党の票で,復活するというのは,同一順位の場合には惜敗率が考慮されるとしても,釈然としないものがあります。小選挙区の問題点である死票を少なくできるというメリットはありそうです(接戦で落選した人も,復活当選することは,民意の反映という点ではプラスになりうる)が,それは比例名簿の順位の決め方という政党の都合によっても左右されます(低い順位なら復活当選できないことが多いでしょう)。やはり小選挙区で立候補するのなら,比例代表では立候補しないのが政治家としての心意気でしょう。

 

 

2024年2月17日 (土)

身近な死

 朝ドラの「ブギウギ」は欠かさず観ています。波乱万丈の人生を歩んでいる福来スズ子(笠置シズ子)にすっかり感情移入してしまっています。先週は,終戦直後で東京ブギウギが大ヒットしている頃の話でした。ぞの時代,多くの人が家族や親戚に戦死者や行方不明の人を抱えていたことでしょう。ドラマでも,そういう人が多数登場してきます。また,スズ子の最愛の人の愛助もそうであったように,昭和20年代までは,結核は不治の病で,それで亡くなる人も多かったです。子どもは多数生まれても,早世することも多かったのです。もっと死が身近な社会だったことでしょう。家族が死んだからといって,いつまでも悲しんでおられず,みんな生きていくのに必死でした。
 現在の日本では長寿は当たり前です。徴兵もなく,おそろしい感染症もなく,大地震など突然の天災に巻き込まれることはあるのですが,そういうことでもないかぎり死はそれほど身近なことではありません。コロナに過剰なほど怖がったのは,死の危機に,日頃,慣れていなかったからかもしれません。

 高齢の親が亡くなったときも,悲しみは深いものでした。昔なら大往生であれば,地域によっては紅白饅頭を配るところもありました。そこまで行かなくても親を送るということは悲しいとはいえ,身近なところに悲惨な死が多いなかでは,言葉は変ですが,まだましな死であったのだと思います。とはいえ,悲惨な死が減ってくると,一つひとつの死が重くのしかかってきます。これは平和な世の中であることからくる贅沢なことなのかもしれません。

 最近,大学関係で私と年齢が近い現役の人が立て続けに亡くなりました。定年までたどりつかなかったことに,とてつもなく大きなショックを受けています。ご家族の悲しみを思うと,いたたまれない気持ちにもなります。同時に,私くらいの年齢になってくると,なんとなくまだ先のことと思っていた自分の死をもっと意識しなければならないとも感じています(そういえば,高校時代の同級生も2年前に亡くなっています) 。
 それでも,日本は,平和ですし,医療の技術も高いです。日常生活における死のリスクは低いでしょう。一方,世界のどこかでは,いまでも日本の80年前と同じように戦争に巻き込まれたり,感染症で命を落としていたりする人がたくさんいます。私たちはこの国で,平和に元気で生きることができていることに感謝をしながら,世界の平和と健康のために何ができるのかをもっと考える必要があると思っています。

 

(*)昨日のBlogで,労働基準法上の条文を間違えていましたので,訂正しておきます(110条→100条)。また,労働基準法を「女性」のワードで検索すると,当然のことながら,妊産婦等関係の規定は,生理日の休暇も含めヒットしていたので,そのことも念のために追記しておきました。

 

 

2024年2月16日 (金)

心配なのはむしろ男性

 214日の日本経済新聞の「大機小機」では,「人的資本と女性管理職」というタイトルの記事が出ていました。最後に,「女性活躍を推進する企業は国内外の投資家に高く評価されるだけでなく,消費者や就活生も引き付けており,企業にとって重要な経営テーマとなっている。女性の活躍が日本企業を変えていくと期待したい。」と書かれており,個人的にも,自分の周りにいる女性のことを考えると,ほんとうにそう思うのですが,大学教師の立場からすると,ちょっと心配なのはむしろ男性のほうです。私が教えている大学の法学部では,女性のほうが男性よりも成績が良いというのは常識で,いっとき女性の法学部生が増え,成績不良の女子学生もやや増えた気がしましたが,最近ではやはり平均すると女性のほうが優秀という印象です(しっかりしたデータをとったわけではないので,あくまで印象論です)。

 女性のほうが,いろんなことに貪欲で,積極姿勢をもっている人が多いように思えます。コミュニケーション能力というか,人との付き合い方がうまいです。男性の方が不器用な人が多いですね。先日なくなった赤松良子さんのころとは全く違い,いまのリーダー層には女性が少ないのは確かとはいえ,先日紹介したwiwiw社の本のなかに出てきたなかの若き女性リーダーをみればわかるように,女性は意欲さえあれば,どこにでも社会進出できる時代になりつつあります。そうすると,むしろ気になるのは,男性の消極姿勢です。現在の若者の動向は20年後に現れるでしょう。そのころになると,むしろ男性リーダーの少なさが問題となる可能性があるでしょうが,男性とか女性とか言わない時代になっているのでしょうね。
 ところで話は変わりますが,労働基準法108条で調製が義務づけられている賃金台帳には性別を書く欄があります(労働基準法施行規則5412号も参照)。性別情報は,必要なのしょうか。妊産婦以外に女性に対する特別な規制はありましたでしょうか。いちおう労働基準法の条文で「女性」で検索をかけると,[妊産婦等関係と生理日の休暇以外では]100条[110条と書いていましたが,誤り]の女性主管局長のところで引っかかっただけでした。もちろん男女雇用均等法では,女性労働者に関する特別な規定があるので,その関係では性別は必要な情報かもしれません。でも,いつかは賃金台帳から性別欄が消える時代も来るような気がします。

 

 

2024年2月15日 (木)

新NISAの影響

 13日の日経平均は前日より1000円以上上昇し,一時的には,過去最高額を超えることもあったようです(14日は少し下落しました)。日本株がここまで好調なのは,円安による日本企業の業績の好調さであるとか,海外投資マネーが,中国の景気変調から,日本に回ってきているとか,新NISAで個人株の流入があるとか,米国景気が良く株高で,それに引っ張られているとか,いろいろな理由がありそうですが,やはり根本的には,大口の投資を行う海外のファンドの,日本企業への期待の高さがあるのでしょう。株主を重視するコーポレートガバナンスの動きも好感されているようです。
 もっとも,これまでの日本の常識では,株主の利益よりも従業員の利益を重視するということをやってきて,それが日本の会社の強みでもあったわけです(従業員主権)。海外投資家の目を意識した企業経営と従業員の利益の衝突は,あまり顕在化していなかったのです(もちろん,昔よりはアクティビストとの対立が増えています)が,今後,どうなっていくでしょうか。
 この点では新NISAにより,新たに投資を始めた日本人が,株主としての視点をもつようになったとき,従業員の利益の重視は当然という意識しかもっていなかった人と比べて,何か変化が生じるのかが注目されます。雇用確保に力を入れている企業は,魅力的に映るでしょうか。雇用確保にこだわらず,個人の成長に力を入れている企業のほうが魅力的に映るかもしれません。
 辞職する人が多い企業はどうでしょうか。その企業をステップにして,次の企業に行くという自発的な移動であれば,辞職率が高くても,良い企業である可能性があります(優秀な人が集まり,活気のある企業であるかもしれないからです)。もちろん,たんにブラックな企業であるから,辞職率が高いだけかもしれません。投資先として考えたとき,こういうところを見極めることが必要でしょう。
 ただ,これは,就職先や転職先を考える時にも必要なことです。結局のところ,良い企業を選ぶことが大切ということでは,労働者も投資家も同じです。新NISAは,そういう労働者兼投資家を増やしていくことになると考えられます。これにより,若者たちを中心に意識変化がおこれば,雇用社会にも何らかの影響が生じるのではないかと思います。

 

 

2024年2月14日 (水)

LSの授業で学生に何を伝えたいか

 昨日のLSの話の続きですが,昨日で今期のLSの授業はすべて終わりました。私はLSの講義では,司法試験対策ということはあまり意識せず,労働事件を扱う将来の実務家を育成するという意識をもって授業をしています。試験に役立ちそうなことは,私ではなく,実際に試験を突破してきた実務家の先生の授業がありますので,そちらに委ねることにし,私のほうは,判例を素材に,生の事件に向き合い,そこで法的な知識をどう活用して,事件を処理していくかということに重点をおいた授業をしているつもりです。裁判所の判断が必ずしも正しいわけではなく,最高裁判例を絶対視する立場にはありません。
 判決の実質的妥当性となると,これは価値観の問題にもなってくるので,なかなか簡単には結論が出せません。労働法の事件では,労働者保護の結論になれば実質的に妥当であると言いやすい事例が多いとはいえ,そのようなケースばかりではありません。私の立場は,納得規範によるというもので,企業がどこまで労働者に納得を得るように誠実な説明をしているかということをポイントに評価しようと思っています。人事上の諸措置は,基本的には,就業規則に基づいて行わなければなりませんが,形式的な根拠があるだけでは不十分で,いかに具体的な措置をとる段階で労働者に向き合って誠実に説明したかに着目するのです。そして,それをしていた企業には,プラスの評価をするという解釈をとるのです。
 集団的労使関係でも,労働組合への誠実交渉というのが,やはりポイントになります。労働委員会の実務では,企業がしっかり誠実交渉をする態度をとって労働組合と向き合っているかを重視して,紛争解決に取り組んでいます。
 法的な解釈問題はいろいろありますが,結局のところは,個別労働関係にしろ集団的労使関係にしろ,相手と誠実に向き合う姿勢がトラブルの回避や解決に役立つのです。そうしたことを解釈論に取り込もうとしているのが,『人事労働法』(弘文堂)です。

 

2024年2月13日 (火)

「企業ではたらく20人の女性リーダー」

 株式会社wiwiw著『企業ではたらく20人の女性リーダー』(経団連出版)をいただきました。どうもありがとうございます。
 いろんな会社で働いている女性リーダーたち20名のインタビューを収録した本です。末尾には,こうした女性リーダーたちの共通項はなにかが分析されています。彼女たちは年齢も学歴もキャリアもいろいろですが,最大の共通項は,やはり自分でキャリアを切り開いていく意識と意欲がしっかりある点だと思いました。当たり前のことですが,強固なジェンダーバイアスがある企業社会のなかでは,それは簡単なことではないでしょう。また家族の理解を得ていた人が多かったことも印象的でした。会社では敵がいても,家庭内で味方がいれば頑張れるのでしょう。これは男性でも同じかなと思いますが,とくに女性においては,精神面だけでなく,育児などの実働面でも味方がいるかどうかは大きなポイントでしょう。女性だけでなく,男性にも読んでもらいたい本です。
 ところで,今学期のLSの期末試験では,巴機械サービス事件を参考にした問題を作りました。男女差別的な雇用制度に対して,法的にどう切り込むかということを学生に問うてみたかったからです。男女差別は重要なテーマであるにもかかわらず,試験では問いにくいものでしたが,今回は思い切って出題してみました。
 

2024年2月12日 (月)

レフティについて

 世の中には左利きが10%くらいいると言われていますが,そう考えるとプロ野球では左打ちの選手が多いですね。阪神の今年の先発予想でいうと,近本,サトテル,中野,木浪に,前川右京が入るかという感じで,約半分です。もっとも,このうち右投げもいるので,左利きはもしかしたら近本,前川だけかもしれません。岡田監督から,左投げは弱肩と言われていますが,そうなのでしょうかね。投手となると,左投げは数多くいます。こちらは,ほとんど左利きでしょう。岩崎,岩貞,大竹,伊藤,及川,門別,富田,島本,桐敷,鈴木,そして髙橋遥人です。数では右投手のほうが多そうですが,野球は一塁との距離の関係で,左バッターのほうが有利なので,右利きでも左打ちに転向する人が多く,左に好打者が多いので,左打者が苦手とする左投げ投手は貴重な戦力です。
 一般には,左利きは少数派ということで,日常生活にいろいろハンディがあるのではないかと思いますが,右脳が活性化しやすく,独創的な人が多いのではないかという想像をしてしまいます。将棋の棋士では,左利きというと,かつては大内延介九段,真部一男九段(いずれも故人)が印象的でしたが,いまでは久保利明九段,北浜健介八段,山崎隆之八段,行方尚史九段,鈴木大介九段,田村康介七段,小林健二九段あたりでしょうか。振り飛車党が多いですかね。みんな一匹狼的な印象があります。
 ところで,大河ドラマの「光る君へ」で,まひろを演じる主演の吉高由里子さんは左利きですが,ドラマで筆を使うシーンが多くあり,右利きでやらなければならないので苦労しているという話が,どこかで出ていました。まひろ(紫式部)が右利きであったことは,史実として残っているのでしょうかね。役作りのためには,やはり左利きでは許されないのでしょうかね。

 

 

 

2024年2月11日 (日)

記憶にない?

 盛山文科大臣には,このBlogでも期待することを書いていたので,その失望感は大きいです。政治家の事情はいろいろあるのでしょうが,きれいに辞職したほうがよいと思うのですがね。首相のほうも人事が好きだそうですが,辞めさせ方がきちんとできない点で,著しくリーダーシップに欠けるという印象を与えています。

 最近また「記憶にない」という政治家の言い訳をよく耳にします。不祥事があった場合の常套句です。ロッキード事件で小佐野賢治が国会での証言において偽証罪に問われないために連発したことから,この言葉が広がったと言われています。偽証罪の成立は主観説が判例の立場であり,本人が記憶している事実と異なる事実を証言したときに犯罪が成立します。「記憶にない」と言うと,本人に記憶があったかどうかの立証はきわめて難しいので,偽証罪から免れることができやすいのです。もっとも小佐野氏は,それでも偽証罪で起訴されて有罪判決も出ています(最高裁で係争中に死亡して,公訴棄却)。

 記憶にないというのは,私もこの年になると,ほんとうに記憶にないことがたくさんあるので,ありえないわけではないような気もするのですが,政治家というのは「人脈が命」みたいなところもあり,自分に協力してくれた人のことを忘れるというのは通常考えられないでしょう。そんな記憶もない人は,政治家にはなれないはずです。Biden氏が,記憶力の低下で訴追を免れたという話が出ていて,本人がやっきになって否定しているのは,それが政治生命に直結する話だからです。

 私たちも政治家たちが記憶にないということを言うならば,それだけで政治家失格とみなして,議員を辞めてもらうように投票行動をしなければならないでしょう。昭和時代のみえすいた言い訳を許してはなりません。

 

 

2024年2月10日 (土)

王将戦が終わる

 藤井聡太王将(八冠)に菅井竜也八段が挑戦した王将戦は,藤井王将の4連勝での防衛で終わりました。第4局は,菅井八段が手も足も出せない完敗でした。力の差を見せつけられて,タイトル戦でこういうことになってしまうのかと驚きでした。これならタイトル戦など出ないほうがよいという気持ちにならないでしょうか。藤井八冠と対戦さえしなければ,7割近くは勝てるトップ棋士も,藤井八冠相手になると無惨な敗北を喫するからです。それにしても鬼のような強さでした。相手は振り飛車で来ることはわかっているので,十分に対策を練っていたのでしょう。しかも最終局は,序盤から角が成りあう乱戦を藤井王将が仕掛けました。予想外の展開であったことでしょう。ペースを相手に握られたまま翻弄されてしまった感じです。
 菅井八段は,A級順位戦では,最終局で豊島将之九段に勝てば,プレーオフとなり,名人挑戦のチャンスが残っています。名人戦で,再度,藤井名人に挑戦することになる可能性もあります。ここは菅井八段にとって棋士人生を賭けた大きな勝負どころだと思います。
 B1組は,最終局を待たずに,千田翔太七段が昇級と八段昇段を決めました。ずっとトップを走っていた増田康弘七段は空き番で,最終局を勝てば昇級です。負ければ,大橋貴洸七段が,最終局に屋敷伸之九段に勝てば逆転で大橋七段の昇級・昇段となります。また降級については,最後の一人が大混戦です。いまのところ,5勝の棋士全員に降級の可能性があります。順位が下からいうと,屋敷九段,山崎隆之九段,三浦弘行九段,佐藤康光九段です。康光九段は,ラス前の1局がまだ終わっていないので,澤田真吾七段に勝てば降級可能性はなくなります。
 今日の朝日杯では,準決勝と決勝が同日に行われました。藤井八冠が糸谷哲郎八段との熱戦を制して決勝に,また永瀬拓矢九段と西田拓也五段は,大激戦で双方入玉する将棋となりましたが,永瀬九段が勝ち切って決勝に進出しました。決勝は,藤井対永瀬となりましたが,永瀬九段が勝ち,初優勝となりました。藤井八冠は連覇ができませんでした。永瀬九段の鋭い切り込みが功を奏しました。永瀬九段もまだ名人戦挑戦の可能性が残っており,藤井・永瀬戦が名人戦という最高の舞台でみられるかもしれません。
 藤井八冠は,年間最高勝率の記録更新の期待も高まっているのですが,この敗戦で,0.8571427敗)となりました。最高記録は,中原誠十六世名人が1967年に達成した0.8545478敗)です。あと51敗のペースであれば並びます。これからの棋王戦のタイトル戦と勝ち残っているNHK杯でどこまで負けないかがポイントになりそうです。先日は王将戦の防衛で,タイトル戦の連覇記録を,大山康晴十五世名人の19を破り,20という新記録を達成しました。昨年は史上最年少名人について,谷川浩司十七世名人の記録を破りました。最高勝率でも,歴代永世名人の記録を塗り替えることになるでしょうか。

2024年2月 9日 (金)

公務員の処遇のあり方を考えよう

 先日,NHKのニュースで,国土交通組合が,「2024年1月2日に発生した航空機同士の衝突事故を受けて」というタイトルの声明を発表したことが報道されていました。そのなかで「今回の事故を受けて,1月6日から羽田空港において,航空管制官による監視体制の強化として,滑走路への誤進入を常時レーダー監視する人員を配置しました。同様のレーダーが設置されているほかの6空港(成田,中部,関西,大阪,福岡,那覇)においても順次配置するとしています。しかしながら,この人員は新規増員によらず,内部の役割分担の調整により捻出するとされており,国土交通労働組合は,航空管制官の疲労管理の側面から問題視しています」と書かれています。
 最初,事故対策のために,常時レーダーを監視する人員を内部分担調整により配置するという話を聞いたとき,これだと管制官の業務過多となり大変ではないか,それにより新たな事故を誘発するのではないか,ということを心配していました。デジタル技術で対応できることはあるはずで,なにかあれば,まず人ということではなく,まず機械という発想で臨んでほしいものです。もちろんコストの問題はあるのですが,現状でもおそらくかなり厳しい人員体制だと思います。管制官の仕事の重要性に鑑みると,簡単に人の配置で対処するということでは困ります。労働組合の声明は,こういう私たちの心配にも応えるものであり,非常に重要な社会的意義があるものだと思っています。
 ところで,公務員の労働組合というのは,あまり知られていないと思うのですが,いつか紹介しようと思っていた良い本があります。晴山一穂・早津裕貴編著『公務員制度の持続可能性と「働き方改革」―あなたに公共サービスを届け続けるために―』(旬報社)です。早津さんからいただきました。どうもありがとうございます。公務員のことは,身近な存在とはいえ,知らないことが多くあります。この本では,今回の国土交通労働組合のことも書かれています。限られた人員のなかで,新たな業務も増えてきて,現場が疲弊しているということが,文章は状況を客観的に書いたものですが,そこには悲痛な叫びがあるようにも思えました(99頁以下。航空関係は103頁以下)。本書のタイトルにもある「公務員制度の持続可能性」のためには,処遇の改善による人員の増加も必要ですが,それだけでなく,人手不足に対処するためのデジタル化の推進が重要でしょう。これは民間と同じ処方箋です。デジタル化により,従来のスキルが通用しなくなる人も出てくるかもしれませんが,リスキリングなしでは,公務員制度が立ち行かなくなるおそれがあると思います。
 早津さんは,本書の最後に,公務員に対して私たちは「安ければ安いほどよい」という姿勢で臨んでよいのかという問題提起をされています。公務員にきちんと仕事をしてもらうためには,それなりの処遇を保障することは必要です。公務員の「役得」のようなものは困りますが,その仕事の価値に見合った報酬は必要だと私も考えます。「民主主義の担い手である国民・住民一人ひとりにおいて,……ときに予算全体の配分のあり方,また,コスト負担のあり方とも向き合い,これを社会・経済全体の好循環にもつなげていくことをめざしていくのかが問われている」(350頁)という早津さんの指摘は重要でしょう。

 

2024年2月 8日 (木)

『最新重要判例200労働法(第8版)』

 『最新重要判例200労働法』(弘文堂)の第8版が届きました。改訂作業に入った当初は,もう少し先の刊行の予定でしたが,作業が順調に進み,この時期の刊行となりました。作業時期はずれていたのですが,日本法令の『労働法実務講義』の第4版の改訂と重なりました。
 何版か前から,収録する判例は200に維持するという方針にしており,新たに増やした分は,減らすということにして,入れ替えを進めてきました。団体法の収録判例数を減らそうとすることは前から考えているのですが,今回もまた維持しました。
 労働社会は大きく変わりつつあります。日本型雇用システムを前提とした重要判例が,新たな判例に生まれ変わるということも期待したいものです。10年後には3割くらいは収録判例が入れ替わっているというくらいにならなければ,いけませんね(そのときは,私が著者をしているかわかりませんが)。
 そうそう今回の「キーワードからみた労働法」(日本法令のビジネスガイド)は200回目ということで,いつものとは違い,「4大判例法理」というテーマで,過去の4つの重要判例を紹介しました。これは,菅野和夫先生と諏訪康雄先生の『判例で学ぶ雇用関係の法理』(1994年)で挙げられていたものです。どの判例であるかは楽しみにしておいてください。昭和40年代,50年代のものですが,昔は最高裁による積極的な法創造がされていたことがわかります。近年は判例は小粒になっていますが,それは労働法が成熟したからでしょう。4大判例のうち2つは成文化されていますので,これを別の判例に入れ替えるとすると,重要性という点からは,朝日放送事件・最高裁判決,日産自動車(残業差別)事件・最高裁判決,あるいは山梨県民信用組合事件・最高裁判決あたりが候補になるでしょうかね。

2024年2月 7日 (水)

東野圭吾『ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人』

 東野圭吾『ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人』(光文社文庫)を読みました。
 結婚を控えた神尾真世に,突然,実家に一人で住んでいた父の英一が殺されたという訃報が届きました。英一は元教師で,多くの教え子に慕われていました。殺される理由はなさそうです。あわてて実家に帰ったところ,久しぶりに父の弟(つまり真世の叔父)の神尾武史に会いました。この武史が超人的な(?)推理力を発揮して犯人を見つけ出すという話です。怪しそうな人物はいろいろいるのですが,犯人は意外な人でしたので,読んで楽しみにしてください。ストーリー自体は面白いのですが,神尾武史が元マジシャンということで,警察官からスマホを盗んで,こっそり送信してしまうなど,かなり無理なことができてしまえるようになっていて,不自然さを感じてしまいました。マジシャンが,マジックの技をつかいながら謎解きをするというのは面白いですが,ちょっとスーパーマンすぎますかね。個人的には,相棒の杉下右京くらいのスーパーマンぶりであったら,また納得できるのですが……。
 でも,この神尾武史のキャラでシリーズ化していきそうです。

 

2024年2月 6日 (火)

棋王戦始まる

 一昨日の日曜は,藤井聡太八冠と伊藤匠七段の対局が2つありました。NHK杯と棋王戦で,前者はもちろん事前の収録ですが,視聴者はNHKAbemaTVの両方で,同時進行的に藤井・伊藤戦をみることができました。NHK杯では,藤井八冠が快勝しました。現在の将棋界では,藤井八冠に次ぐ2番手は伊藤七段です。しかし,伊藤七段は,藤井八冠にこれで7連敗となり,まだ一度も勝ったことがありません。この将棋も,藤井八冠の攻めは強烈で,あっという間に投了に追い込まれました。強すぎます。伊藤七段は,この前の稲葉陽八段戦では,まったく隙をみせない完勝をしていました。藤井八冠と伊藤七段は,年齢も同じでライバル対決と言うべきなのでしょうが,解説の佐々木勇気八段も述べていたように,ライバルというには,藤井八冠が強すぎるので,まだその表現を使うことは難しそうです。藤井八冠はこれでベスト4に進出一番乗りです。羽生善治九段と中村太地八段の勝者と準決勝を戦います。残りの山は,佐々木八段と佐藤天彦九段の勝者と,八代弥七段と増田康宏七段との勝者が戦います。
 棋王戦は,5番勝負が始まりました。北陸シリーズで地震の影響が心配されましたが,今回は魚津市で無事に開催できてよかったです。藤井棋王は,王将戦とタイトル戦が並行していますが,王将戦は今週に第4局があり,すでに3連勝しているので,次局で終わる可能性があります(菅井八段には悪いですが,濃厚です)。
 第1局は持将棋となりました。要するに引き分けです。双方の玉が,相手陣に入り,どちらも相手玉を詰ますことが困難となった場合において,双方が24点(大駒が5点,小駒が1点)以上あれば,合意で持将棋とすることができます。この日の対局は,伊藤七段が持将棋に誘導したのではないかとも言われています。不利とされる後手番を引き分けにできれば,それだけ有利になるということでしょう。なおタイトル戦では持将棋は指し直しではなく,勝ち負けにカウントされません。つまり001持将棋と記録され,5番勝負は仕切り直しになります。22敗となると,第6局目が実施される可能性が出てきました。これで伊藤七段は,対藤井戦のいやな流れを断ち切ることができるでしょうか。
 藤井八冠は,初めての持将棋だそうです。羽生九段も,生涯で持将棋は2局しかありません。谷川浩司十七世名人も3局しかありません(いずれもタイトル戦)。強い棋士はあまり持将棋にはならないようです。そもそも素人には,入玉の将棋は難しすぎて面白くないです。できれば持将棋ねらいのような将棋にはならず,きちんと決着がつく対局を期待します。

2024年2月 5日 (月)

ペトルーニャに祝福を

 欧州の知らない言語の映画を観たいと思ってAmazon Prime Videoで見つけたのが,北マケドニアの「ペトルーニャに祝福を」です。英語での題は,「God Exists. Her name is Petrunya.」。監督は,同国の女性Teona Strugar Mitevska(テオナ・ストゥルガー・ミテフスカ)。タイトルは挑発的です。神が女性になっています。
 主人公のペトルーニャは,32歳の独身女性です。両親と一緒に住んでいます。大学では歴史を専攻しましたが,就職はできず,ウエイトレスのアルバイトをしているだけです。太めで,化粧っ気もあまりなく,男に好かれる感じではありません。父は娘の優しい理解者であり,母も娘を愛していますが過保護で,それが娘にはうっとうしく思えています。母は伝統的な考え方の女性で,娘にもそれを押し付けているようなところがあります。娘は学があるのですが,それを発揮する機会がありません。
 あるとき,ペトルーニャは,母の知人の紹介で,就職面接に行きますが,面接官の男性にはやる気がありません。コネの入社ということなので,もともとスキルなどは期待されていなかったでしょう。しかし先方の希望は若い娘だったようです。母からは25歳と言うようにと言われていました。彼女は年齢を聞かれて嘘をつこうとしましたが,思い直して正直に言いました。そうすると,面接官には42歳にみえると言われました。それでも男は彼女に近寄り太ももを触り始めました。彼女も覚悟を決めて,男の要求に応じようとしたのですが,男は手のひらを返したように,彼女に対して,そそるものがないと言い放ちました。屈辱と怒りに満ちた彼女が帰宅途中に,上半身裸の男性の行列に巻き込まれます。この日は,ギリシャ正教の神現祭の日で,司祭が橋の上から川に十字架を投げこむという行事がありました。その十字架を取った人は,その1年幸福になれるということで,半裸の若者たちは,冷たい川(冬の行事)に飛び込むのです。今年も司祭が投げ込んだのですが,たまたま十字架が,川端にいたペトルーニャの近くに流れてきたので,彼女は飛び込んで取ってしまいました。男たちはペトルーニャから十字架を取り上げますが,司祭は彼女が先に取ったとして男から十字架を取り上げます。ペトルーニャはその十字架を奪い,逃げていきます。
 この儀式では,十字架をとる資格は男性にしかないとされていました。しかし,それは法律ではありません。ペトルーニャが最初に十字架を取ったのは確かであり,彼女が十字架を持って逃げたのは犯罪ではありませんでした。しかし十字架を女性がもって逃げたということはテレビで報道されてしまい,自宅に帰っていたペトルーニャは,娘がその女性であることを知った母親から叱責されることになります。母親は宗教の伝統に反するような行為をした娘が許せず,警察に通報します。ペトルーニャは警察で事情聴取を受けることになりましたが,犯罪ではないので逮捕されたわけではありません。
 警察も司祭も,ペトルーニャの行為を非難し,十字架を返すように求めますが,彼女はそれに応じません。理由のない事実上の拘留状況に置かれながら,彼女は次々に現れる男たちの言動に冷静に応答し,理不尽な要求ははねつけます。一方,この事件を,テレビの女性レポーターは,男女差別の問題として取り上げようとしますが,ペトルーニャは,それには協力しません。彼女は,これが個人の信念の問題だと考えていたのかもしれません。
 彼女はいったん釈放されますが,警察の前には,彼女に十字架をとられた若者たちが怒り狂って集まっていました。彼らは彼女のことを激しくののしり,現れた彼女を小突き,そして水をかけます。彼女は再び,警察に逃げ戻ります。もちろん司祭も,十字架を返してもらえず困惑していましたが,基本的には暴力は許されません。司祭は若者を説得して,その場を退散させます。
 警察署長は,ペトルーニャに十字架をみせてほしいと騙して,それを警察の金庫に入れてしまいます。その後,検事がやってきます。検事も彼女の味方ではありませんでしたが,十字架が彼女の手にないことは問題と考えたようで,警察署長に返還を指示します。
 ペトルーニャは決して激しいフェミニストではありませんでした。その日の就職面接で受けたあまりにもひどい屈辱のなかで,発作的に川に飛び込んでしまったのです。でも彼女は,法律に違反したわけではありません。そして,なぜ女性が宗教行事に参加してはだめなのか,彼女が十字架をもっていてはなぜダメなのかを問いかけているのです。警察に連行したものの,誰も彼女の問いにはきちんと答えられません。警察官も司祭も,懇請するか,おどすかしかできません。署長は詐欺的手法で十字架を取り上げたので,検事に叱られたのでしょう。若者たちは暴徒と化して,暴力的な手法しかとれません。こういう男たちの情けない状況を,この映画は,ペトルーニャの落ち着いた対応と対比して巧みに描き出しています。 
 警察内にもペトルーニャの味方が一人だけいまいた。Darkoという若い男性警察官です。彼は当初はペトルーニャに冷ややかでしたが,徐々に彼女に理解を示すようになります。若者に水をかけられて寒がっているペトルーニャに上着をかけるなどして,親切にしてあげます。自分は組織の一員として上司に仕えるしかできないなか,信念をもって行動をしているペトルーニャを尊敬し,,共感したのかもしれません。
 十字架を返してもらったペトルーニャは,警察から出るときに,Darkoからまた連絡をするという言葉をかけられました。彼女は,うなずいて去っていきますが,その表情はにこやかです(恋の予感もしますが,それよりも誰かから認めてもらったという満足感が強かったのかもしれません)。ずっと暗い表情であった彼女がはじめて笑顔をみせてくれたのです。そして,警察署の外で出会った司祭に十字架を返します。彼女はもう十字架を必要としていませんでした。そして,くだらないことにこだわる男たちにこそ,幸福が来ますようにと考えたのでしょう。男性社会で押さえつけられていた自分が,男性たちと戦うなかで,確かな自信を得たのでしょう。この満足感により,男性たちの情けない姿を「あなたちこそ不幸だね」とみる余裕ができたのでしょう。このラストシーンの逆転が,カタルシスを感じさせます。
 フェミニズム映画のようでもありますが,男性の私にも,この女性に感情移入しやすかったです。男性優位の社会の掟があり,法律の外で,社会を縛っていて,それが女性の生きづらさをもたらしているという状況は,これは男女問題にかぎらず,若者が伝統や因習に支配された社会で行きづらく感じることとも共通するものといえるでしょう。とくに宗教が大きな力をもっている社会における男性優位というものは,女性にとって宗教とは何かということを問いかけるものでもありました。映画のなかで,ペトルーニャの知人の男性が,彼女を擁護しながら,神は女性かもしれないという趣旨の発言をしていました。そして,映画のタイトルは,ペトルーニャこそ神であるということを示唆しています。人々は,キリストも,当時の社会から理解されずに迫害を受けた(最後は処刑までされてしまいました)ということ(受難物語)を想起させるタイトルでもあります。

 

2024年2月 4日 (日)

イランと日本

 サッカーのアジアカップの日本・イラン(Iran)戦は地上波で放映されていたので,すべて観ました。かつての弱いころの日本のような試合で,後半はイランに一方的に攻められていました。イランのDFは疲れているようでしたが,日本が攻めないので持ちこたえましたね。他方,日本のDFの板倉選手は,前半にイエローカードをもらい,足の調子も悪そうで,その後は思い切ったディフェンスができず,最後はPKを献上してしまいました。後半から交代すると思っていたのですがね。それにしてもイランは強かったです。勝つ意欲が強かったと思います。
 ところで,イランといえば,政治のレベルでは,アメリカと交戦状態に入りつつあります。現段階では,イラク(Iraq)とシリア(Syria)でイラン革命防衛隊の精鋭部隊「コッズ部隊(Quds Force)」や親イラン武装勢力への空爆にとどめているので,直接イランと交戦しているわけではありません。しかし中東情勢はきなくさく,どこで暴発するかわかりません。とても心配です。イスラエル(Israel)とハマス(Hamas)の停戦交渉も難航しているようです。
 最近,佐藤優氏の『イスラエルとユダヤ人―考察ノート』(角川新書)を読みましたが,佐藤氏は,イスラエルを支持することは国益にかなうと述べています。ハマス側に同情的な世論が多い中,違った見解を知ることも必要だと思います。その佐藤氏が,先週,クローズアップ現代に登場していました。彼がテレビに登場するのはきわめて珍しいことのようで,私も初めて観たと思います。番組のなかでは,たとえばゴルバチョフ(Gorbachev)の生存情報をいち早く得たというような,たぶんインテリジェンスの世界では重要だけれど,やや自慢話が入っているかなと思って観ていたのですが,教育の話などについては傾聴すべきことがありました。番組は30分でしたが,HPでは彼のインタビューのフルバージョンが出ていて,それを読むと,佐藤氏の言いたいことがよくわかりました。相手の論理を理解すること,そして相手に自分の論理を理解させるためには信頼関係が重要であること,恵まれた人はそれを社会に還元しなければならないこと,自分たちが先人から受け継いだものは,きちんと次世代の引き継がなければならないこと,人間はほおっておくと排除の論理で殺し合いをしてしまうので,それを避けるために知恵があることなど,一つひとつしっかり突き詰めて考えるべきことを提示してくれています。
 イランと日本との間には,百田尚樹の『海賊とよばれた男(上)』『海賊とよばれた男(下)』(講談社文庫)でも描かれていた「日章丸事件」などからくる深い絆があるはずです。イスラエルやアメリカの論理もイランの論理も理解しながら,日本ならではの立場で平和を訴えることができるはずです。岸田首相は,広島に首脳を集めたパフォーマンスで満足するのではなく,もし彼がこれまでの悪評を乗り越えて,政治家として名を残すことがあるとすれば,それは広島出身であることを最大限に活用して,世界平和に貢献する成果をあげたときではないかと思います。サッカーの日本代表は勝利への熱量が足らなかった感じがしますが,首相には情熱をもってこの仕事に取り組んでもらいたいです。

 

2024年2月 3日 (土)

令和につなぐ

 今日は節分です。豆まきをして邪気を払い,そして女の子がいるうちでは雛人形を飾ることになるでしょう。雛人形という習慣がいつまで続くかわかりませんが……。むかし私の実家の近くにあり,谷崎潤一郎の作品にも出てきたことのある老舗料亭の播半(残念ながら2005年に閉店)で,食事のあとに,雛人形を見せてもらったことがありました。見事な雛人形でした(何度か,このBlogで書いたことがあります)。昭和中期世代の者にとってみれば,時代物の雛人形をみると,心に深く感じるものがありました。サトウハチロー作詞の「うれしいひなまつり」は,ちょっと内容が古いので,いまでも歌い続けられているのは嬉しいです。ただ,令和の時代にどこまで残るでしょうか。
 ところで,播半の跡地はマンションになっているそうです。いろんなところで,古い建物が相続の問題があるのでしょうが,マンションに入れ替わっていくような印象があります。近所の建設中のマンションは,値段をみると,誰が買うのだろうというくらいの高額物件であり,どう考えても普通の人には手が出ないものです。外国の富裕層が投資目的で買うのでしょうかね。一方で,神戸市はタワマンを規制しており,一定の成果を出していると言われています(「神戸『タワマン規制』から3年 街づくりの理想と現実」)。神戸市には,住民として,厳しいことを言うことも多いのですが,久元喜造市長は,よくやっていると,いまは評価しています。もちろん,神戸市政には,いろいろ問題点を感じることもありますが,これだけ大きな都市なので,住民が100%満足できるように期待するのは無理なことはわかっています。一歩ずつ改善していけばよいのです。久元市長が神戸出身者であることも,彼を信頼してよいのではないかと思う理由です。神戸への愛があると思うからです。かなり長期政権となっているので,後継者をしっかり育ててもらいたいと思っています。そして伝統ある神戸を,令和の時代にもずっと残るような市にするために,頑張ってもらいたいと思います。

 

2024年2月 2日 (金)

ハイブリッド型

 2週間前くらいに胃腸炎になって,それは数日で治ったものの(その間に体重が減りました),その後,軽い風邪のようなものにかかり,喉や鼻の不調や咳がずっと続いています。これはコロナ前によくなっていた症状と似ていて,一回,軽く風邪をひくと,治ったあとも,ずっとひきづるのです。とくに今は鼻づまりが治らず,よく知っている人と電話で話をしても,声を聞いただけでは,私が誰かわからないということがありました。
 昨日のV.School サロンでは,身体は元気なのですが,声だけ聞いた人は私だとわからなかったかもしれません。声だけでなく,もしかしたら頭の調子も外れていたかもしれませんが。マイペースで話をさせてもらいましたが,WEB参加の方も含めて,聴衆の方はどう思ったでしょうかね。
 私は大学内の会場にまで言って話をしたのですが,昨日のような形なら,自宅からWEBで参加して話をしてもよかったかなと思っています。会場に人がいると,どうしても,会場の方を意識して話すことになり,いわば会場がメイン,WEB参加者はサブというようなことになってしまいます。WEB参加者も同じようにメインにするためには,登壇者自身が会場にいないほうがよいのではないかと思いました。参加者の方がVideo Onにしてくだされば,皆さんの顔を観ながらお話できるので,そのほうが全員参加という感じになります。ハイブリッド型だとそうはいかないのです。ただ,やり方を工夫すれば,なんとなか克服できるのかもしれません。大学の通常授業で,ハイブリッド型でやった経験がないのですが,今後はそういうものも取り入れてみようかなと思います。
 これはテレワークにも通じる話で,ハイブリッド型ならではのメリットが何かあるかどうか,これから探っていきたいと思います。

2024年2月 1日 (木)

A級順位戦ラス前

 昨日は,将棋のA級順位戦のラス前の一斉対局でした。藤井聡太名人への挑戦者が決定するかもしれないと思っていましたが,最終局に持ち越しとなりました。トップを走っていた豊島将之九段が,降級の危機にあった斎藤慎太郎八段に負けて62敗となり,さらに豊島九段を追っていた菅井竜也八段も,佐藤天彦九段に負けて53敗となりました。最終局は豊島九段と菅井八段の対局で,豊島九段が勝てば挑戦決定,菅井八段が勝てばプレーオフです。永瀬拓矢九段は,佐々木勇気八段に勝って53敗となり,最終局に中村太地八段に勝てば3人のプレーオフに進出できる可能性があります。渡辺明九段は中村八段に敗れて44敗で,今期の挑戦はなくなりました。降級争いは,降級の危機にあった広瀬章人九段が稲葉陽八段に勝って二人とも35敗となりました。44敗で順位が下の佐藤天彦九段と中村八段にも降級の可能性がありますが,まずは35敗の佐々木八段,稲葉八段,斎藤八段,広瀬九段に危険があります(降級は二人)。最終局は,佐々木八段と斎藤八段が対局し,こちらは負けたほうが降級確定です。あとの一人については,稲葉八段が佐藤九段との対局で敗れれば,降級確定です。稲葉八段が勝って,広瀬九段が敗れれば,広瀬九段が降級となります。問題は,佐々木八段が勝ち(斎藤八段は降級確定),稲葉八段が勝ち(佐藤九段負け),広瀬九段(渡辺九段負け)が勝って45敗となった場合の,最後の1人の降級です。この場合,中村八段の対局が重要となります。中村八段が永瀬九段に敗れれば45敗となり,同じ星の人が,順位の上から渡辺九段,広瀬九段,稲葉八段,佐藤九段,佐々木八段,中村八段となります。この場合,最下位の中村八段の降級となります。中村八段が勝って54敗となれば,佐々木八段の降級となります。他方,佐々木・斎藤戦で斎藤八段が勝った場合(佐々木八段は降級確定),中村八段は敗れれば降級となりますが,中村八段が勝った場合には,45敗のなかで最下位の佐藤九段の降級となります。
 こうみると最終局は,佐々木八段には自力残留はありませんが,その他の3勝,4勝の棋士は,すでに残留を決めている渡辺九段を除くと勝てば残留であり,斎藤八段と稲葉八段は負ければ即降級で,広瀬九段は敗れれば,稲葉八段が勝てば降級,佐藤九段は敗れれば,中村八段が勝てば降級,中村八段は敗れれば,広瀬八段と稲葉八段がともに勝てば降級となります。
 たぶん正しいと思いますが,かなり複雑な勝敗計算となります。順位の差が大きな意味をもってきますね。

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