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2024年1月30日 (火)

若い医師の過労死・過労自殺を防げ

 研究者コースの大学院の授業で,長崎市民病院事件・長崎地裁判決(2019527日)を扱いました。医師の過労死について病院側の安全配慮義務違反が問題となった事件です。昨年は,近所にある甲南医療センターの医師の自殺が問題となりました。若くて優秀で真面目な人ほどリスクが高くなるという印象があり,それでなくても医療人材の不足が言われているなか,社会的に医師の過労問題には真剣に取り組まなければなりません。2024年問題もあります。
 裁判では遺族に対する事後的な補償しかありません。これにより病院側が経営体制を刷新して,働きやすい環境になればよいといえるのですが,問題はそう簡単にはいきそうにない点にあります。
 医師には,まず患者への対応という本来の業務があります。救急の患者もあり,患者の受け入れ態勢いかんでは,休息を十分にとれないことがあります。宿日直当番もあります。労働時間はもちろん適切に算定され,時間外労働に対しては割増賃金が支払われるのが大前提なのですが,それが医師の業務を軽減するわけではありません。
 患者への対応ということに限れば,病院が業務量を減らすためには,患者の受け入れを減らすしかありませんが,これでは住民の医療ニーズに応えられなくなる懸念があります。病院ができることとしては,医師の増員,業務の効率化(DXなど)によって医師に雑用をさせないことなどが挙げられますが,これには相応の費用がかかります。その費用については,税金を用いる価値があると思いますが,コロナ禍での補助金不正申請などもあり,簡単にはやりにくい状況があるかもしれません。
 医師の増員については、まずは医学部に入ろうとする若者の数を増やす必要があります。ただし,質の低い医師が増えることは避けなければなりません。これらをふまえると,教育体制をしっかり整備し,優秀な人材が長く安定的に働けるようにすることこそ,国が積極的に取り組むべき課題と言えるでしょう。授業の中では,宇沢弘文の「社会的共通資本」の話もしました。医療は社会的共通資本であるということを前提に,その公的目的から,市場メカニズムには不適合で,倫理性の高い専門家による自主的な管理が望ましいといえそうですが,
 ところで判決にもどると,自主的な研鑽は病院内で行われていても,労働時間に該当しないとしています。学会への参加やその準備に要した時間も自主研鑽の範疇に入るとして,やはり労働時間該当性が否定されました。「自主的」である以上,使用者の指揮命令下に置かれていた活動とはいえないということでしょうが,「自主的」という名の強制のおそれもあります。これは,あたかも大学受験する学生が,試験前に受けるプレッシャーと同じようなものなの(大学受験も自主的なものです)か,職場の上下関係において暗黙のプレッシャーがあるのかといったことは,よくわかりません。でもこの種の「自主研鑽」が,若い医師を時間的にも精神的にも追い詰めているという話はよく耳にするので,せめて労働裁判では,このあたりの自主性はしっかりチェックしてほしいですし,行政は,自主研鑽とされているものでも,ある種の活動に過労につながるリスクがあるのであれば,それについて枠をはめるような介入(ガイドライン策定など)をしてもよいかもしれません。
 昔はみんなやっていたから,お前たちも従え,というような昭和的な価値観は,令和の時代には通用しません。若い世代は,上司世代とは,まったく違った環境で育ち,違った感覚で働いているという意味で,外国人に接するのと同じようなつもりで臨んだほうがよいのです。
 判例研究のつもりの授業が,いつのまにか医師が過労に追い込まれないようにするにはどうしたらよいか,ということを考える授業になっていました。

 

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