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2024年1月23日 (火)

労災保険のメリット制

 大学院の授業で,あんしん財団事件の東京高裁判決(2022年11月29日)を素材に議論をしました。労災保険の支給決定について,事業主に取消訴訟の原告適格を認めた判決に対して,疑問はあるとしながら,メリット制の対象となる特定事業主の手続保障はどうなるのかが議論の焦点となりました。
 行政の通達(2023131日基発01312号)は,特定事業主は,保険料の決定を争う取消訴訟で,支給要件の非該当性の主張はできるとし,ただ,そこで勝訴しても,支給決定が取り消されることはないという立場です。この内容は妥当といえますが,実は,あまり知られていないようです。それでは特定事業主の手続保障につながりませんが,通達とは異なる内容の上記の高裁判決が出ており,それは上告されているので,最高裁が,高裁判決を支持する可能性がある以上,最高裁が決着をつけるまでは,積極的に周知しづらいのかもしれません。
 ところで,この問題はメリット制とは何かというところから考えていかなければなりません。メリット制が,労災予防へのインセンティブという意味をもっているとするならば,この事件でも問題となったような精神疾患の事案で,メリット制がどれだけ予防に効果的かということを,よく検討する必要があると思います。精神疾患の認定基準は変更されて,業務起因性が認められる範囲が広がってきて,それ自体は理解できることですが,その分だけ予防という点では,事業主にすると結果論ではないのかと考えたくなるケースが増えるおそれがあります。そう考えると,労災保険法の目的にもある「迅速かつ公正な保護」(1条)という要請が,誤った支給決定を争う機会を事業主から奪うほどの強い正当理由になるかは,慎重な検討が必要でしょう。
 このほか,メリット制を適用するとしても,少なくとも事業主に過失がある場合に限定すべきではないか,というような議論も,授業の中では出てきました。
 思うに,工場労働のように,労災のパターンが比較的予測されやすく,それゆえ事業主の予防策もある程度明確である場合には,無過失責任による補償責任(労働基準法の災害補償責任)を認めることは,理解を得やすかったと思います。無過失責任といえば,報償責任や危険責任という観点から説明されるのが普通ですが,加えて,事故類型から過失を推認しやすいという点で,あえて過失を問わなくてもよいという説明も付加できるような気がします。それだけなら過失の推定をして,使用者に反証の余地を与える手続のほうがよいのでしょうが,そこに労働者の迅速な保護という理由を持ち出すことができるのだと思います。もしこうした説明ができるのならば,精神障害のような事案になってくると,そのパターンは多様であり,予防策も多様となり,「これをしていなかったから過失が推定される」とは言いにくいケースが増えてくると思います(実際,あんしん財団事件では,いったんは不支給決定となり,労働保険審査会での再審査でそれが覆ったという微妙な事案でした)。そうなると,無過失責任の正当化根拠がゆらいでくることになり,そのようななかで(労働基準法の災害補償責任の責任保険である)労災保険の支給決定がメリット制に反映してくるとなると,どこかの段階で事業主に反証を認める機会を設けるべきという意見が出てきてもおかしくないのです。それが違法性の承継を認めるというようなやり方か,事業主に支給決定についての取消訴訟の原告適格を認めるか,あるいは,昨年の行政通達のようなやり方によるのかはさておき,何らかの手続は必要となるでしょう(あんしん財団事件では,事業主側のメリット制適用の結果の差額が合計で約760万円とかなり大きいことから,こうした手続の必要性をいっそう意識しやすくなるでしょう)。
 労災補償とはそもそも無過失責任なのだからとか,支給決定の誤りは想定されているとか,そういった議論もできそうですが,やや乱暴な感じがします。もちろん精神疾患について,事業主がしっかり取り組むことは当然のことです。しかし,労災予防策は,メリット制ではなく,違った方法のほうが効果的ではないか,という問題意識をもった検討も進めるべきでしょう。
 いずれにせよ,原告適格の問題は,行政事件訴訟法9条の解釈問題ではありますが,同条2項に「当該法令の趣旨及び目的を考慮する」となっているので,労災保険法の問題にもなってくるわけです。その際は「迅速かつ公正な保護」ということの意味を深く考察していくことが必要であると思っています。

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