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2024年1月の記事

2024年1月31日 (水)

次の総理候補現る?

 この人がいたか,という感じです。すでに次の首相候補の調査でいい順位に名が挙がっていたようなので,世間では注目されていたのでしょうが,例の麻生太郎氏の問題発言で,次の総理・総裁候補として,上川陽子大臣に注目する人が増えてきたのではないかと思います。
  実は前回の内閣改造で,外相を林芳正氏から上川陽子氏に交代させる人事には,私は反対でした。外務大臣を簡単に代えるべきではないと思っていたからです。ただ上川大臣の就任後の行動力はみごとで,精力的に外交をこなしています。英語も堪能です。自分の考えを自分の言葉で話せる人のようでもあります。年齢が70歳というところは少し気になり,もう少し若い人に期待したいのですが,健康に問題がなければかまわないでしょう。法務大臣時代の死刑への署名も話題です。旧オーム信者からの復讐のおそれがあるので,生涯,自身も家族もSPなしでは生活できないとネットで書かれていましたが,もしそれがほんとうなら大変なことです。信念に基づき自身の職務を遂行したということでしょう。
 当選回数でみてはいけないとはいえ,7回当選は実績十分です。大臣在任期間も長いです。経済政策としてどのようなものを考えているのかはよくわかりませんが,いいブレーンをつければよいでしょう。
 ちなみに麻生氏の問題発言は,別に擁護するつもりはありませんが,上川氏をベタぼめするのは気恥ずかしいので,どこか悪口を言おうとしたけれど,悪口できそうな部分がないので,外見のことしか言えなかったのかなとも思えます。もちろん,公の場の発言としては著しく不適切なのですが,麻生氏から他派閥(現在は無派閥)の議員であるにもかかわらず,高く評価されている政治家に,はやく岸田後を任せてみたいという気もしてきました。日本にも優れた女性政治家がいると世界にアピールすることは,国益にもかないますし,日本の女性にも勇気を与えることになるでしょう。

2024年1月30日 (火)

若い医師の過労死・過労自殺を防げ

 研究者コースの大学院の授業で,長崎市民病院事件・長崎地裁判決(2019527日)を扱いました。医師の過労死について病院側の安全配慮義務違反が問題となった事件です。昨年は,近所にある甲南医療センターの医師の自殺が問題となりました。若くて優秀で真面目な人ほどリスクが高くなるという印象があり,それでなくても医療人材の不足が言われているなか,社会的に医師の過労問題には真剣に取り組まなければなりません。2024年問題もあります。
 裁判では遺族に対する事後的な補償しかありません。これにより病院側が経営体制を刷新して,働きやすい環境になればよいといえるのですが,問題はそう簡単にはいきそうにない点にあります。
 医師には,まず患者への対応という本来の業務があります。救急の患者もあり,患者の受け入れ態勢いかんでは,休息を十分にとれないことがあります。宿日直当番もあります。労働時間はもちろん適切に算定され,時間外労働に対しては割増賃金が支払われるのが大前提なのですが,それが医師の業務を軽減するわけではありません。
 患者への対応ということに限れば,病院が業務量を減らすためには,患者の受け入れを減らすしかありませんが,これでは住民の医療ニーズに応えられなくなる懸念があります。病院ができることとしては,医師の増員,業務の効率化(DXなど)によって医師に雑用をさせないことなどが挙げられますが,これには相応の費用がかかります。その費用については,税金を用いる価値があると思いますが,コロナ禍での補助金不正申請などもあり,簡単にはやりにくい状況があるかもしれません。
 医師の増員については、まずは医学部に入ろうとする若者の数を増やす必要があります。ただし,質の低い医師が増えることは避けなければなりません。これらをふまえると,教育体制をしっかり整備し,優秀な人材が長く安定的に働けるようにすることこそ,国が積極的に取り組むべき課題と言えるでしょう。授業の中では,宇沢弘文の「社会的共通資本」の話もしました。医療は社会的共通資本であるということを前提に,その公的目的から,市場メカニズムには不適合で,倫理性の高い専門家による自主的な管理が望ましいといえそうですが,
 ところで判決にもどると,自主的な研鑽は病院内で行われていても,労働時間に該当しないとしています。学会への参加やその準備に要した時間も自主研鑽の範疇に入るとして,やはり労働時間該当性が否定されました。「自主的」である以上,使用者の指揮命令下に置かれていた活動とはいえないということでしょうが,「自主的」という名の強制のおそれもあります。これは,あたかも大学受験する学生が,試験前に受けるプレッシャーと同じようなものなの(大学受験も自主的なものです)か,職場の上下関係において暗黙のプレッシャーがあるのかといったことは,よくわかりません。でもこの種の「自主研鑽」が,若い医師を時間的にも精神的にも追い詰めているという話はよく耳にするので,せめて労働裁判では,このあたりの自主性はしっかりチェックしてほしいですし,行政は,自主研鑽とされているものでも,ある種の活動に過労につながるリスクがあるのであれば,それについて枠をはめるような介入(ガイドライン策定など)をしてもよいかもしれません。
 昔はみんなやっていたから,お前たちも従え,というような昭和的な価値観は,令和の時代には通用しません。若い世代は,上司世代とは,まったく違った環境で育ち,違った感覚で働いているという意味で,外国人に接するのと同じようなつもりで臨んだほうがよいのです。
 判例研究のつもりの授業が,いつのまにか医師が過労に追い込まれないようにするにはどうしたらよいか,ということを考える授業になっていました。

 

2024年1月29日 (月)

大相撲初場所

 大相撲の初場所は,照ノ富士の優勝(9度目)で終わりました。休場明けで,中日までに2敗したときは苦しいかと思いましたし,存在感もあまりありませんでした。翔猿を荒い相撲で押し出したときに,感情むき出しであったところは,横綱としてどうかという批判もありました。ところが,終わってみれば132敗でした。終盤戦の迫力はすごかったです。若き挑戦者の大の里を退け,琴ノ若にも完勝しました。14日目の豊昇龍戦が不戦勝で休めたのも大きかったでしょう。千秋楽の霧島戦は,格の違いを見せつけて,霧島が可哀想になったくらいです。霧島は綱取りの場所ですが,この一番で綱取りなど,あっというまにしぼんでしまいました。琴ノ若に対しては,優勝決定戦でも熱戦ではありましたが退けて,横綱の貫禄を見せました。こういう相撲をみせられると,膝に爆弾をかかえていても,まだやれるし,いなくては困る力士だと思いました。
 琴ノ若は大関昇進となりそうですが,ぜひ強い大関になって,短期で横綱昇進してほしいです。おじいさんの琴櫻は,万年大関かと思っていたら,突然,目覚めて連続優勝で横綱になりました。輪湖時代の到来までの短命横綱でしたが,でも一瞬の輝きで頂点をとったことが印象的でした。
 熱海富士や豪ノ山など,ここ数場所活躍していた若手にとっては,今場所は試練の場所になりました。そのなかで,驚きの新星が上記の大の里です。稀勢の里の二所ノ関部屋のホープです。今場所は,新入幕なのに,横綱との対戦が組まれるなど(この割り崩しのため,照ノ富士はやや苦手の関脇大栄翔戦がなくなり,優勝に有利となった可能性があります),得るところの多い場所であったと思います。どことなく北の湖を彷彿とさせるところがあります。
 今場所途中休場の貴景勝は,来場所はカド番です。そろそろ大関の地位を守るのが難しくなってきたかもしれません。ケガを直して,若手への壁となってほしいです。
 大ケガで幕下に転落していた若隆景は幕下優勝で,十両復帰が確定的です。ここからもう一度這い上がってほしいですね。若元春は照ノ富士をたおすなど復活をみせ,2桁勝利で来場所は関脇復帰が濃厚です。再び大関昇進に向けて挑みます。朝乃山と並んで次の王関候補です(朝乃山は復帰ですが)。

2024年1月28日 (日)

王将戦第3局

  菅井竜也八段が,藤井聡太王将(八冠)に挑戦している王将戦は,藤井王将の2連勝後の3局目が行われました。菅井八段が先手番でしたが,うまく攻めることができず,この局も藤井王将の快勝でした。途中から差がついて,それが縮まらないという前局までと同様の展開になりました。勝負どころもなく,もしこのまま今日のような内容で次局も敗れて4連敗するようなことになると,ほんとうに振り飛車はプロのタイトル戦から消滅するのではないかとも思えます。
 ところで,この日のNHK杯では,藤井八冠は解説で登場していました。対局者は,佐々木勇気八段と古森悠太五段で,佐々木八段が貫禄の勝利でした。古森五段は神戸大学経済学部卒で,応援しており,今年のNHK杯ではすでに2勝するという活躍を見せていました。相手の佐々木八段は藤井八冠のデビューからの連勝を29で止めた棋士としても有名ですが,いまやA級棋士であり,名人への挑戦に向けて近いところにいます(今期の挑戦可能性はありませんが)。古森五段は,振り飛車党ですが,残念ながら,うまく攻めきることができませんでした。
 先週は藤井八冠が王将戦とNHK杯で振り飛車を撃破し,今日も藤井八冠が王将戦で,佐々木八段がNHK杯で,振り飛車を撃破するということで,振り飛車党にとっては,2週連続のブルーサンデーという感じですね。一度,藤井八冠に振り飛車で指してもらいたいなという気もしますが,無理でしょうね。

 

2024年1月27日 (土)

イベント情報

 2月1日には神戸大学のV.School サロンのイベントである「公共政策における法学と経済学の役割」というイベントに,経営学研究科の内田浩史教授といっしょに登壇します。WEBでも配信しますので,ご興味のある方はご参加ください。
 V.SchoolのVは,Value(価値)のVであり,内田先生は経済学者の立場から,価値の問題に関心をもっておられます。同じV.Schoolのイベントで,アダム・スミスの研究などで有名な堂目卓生大阪大学教授とのジョイントイベントの内容は,『SDGs時代における価値と経済的価値』(神戸大学出版会)という本も刊行されています。
 今回は私の立場からは,法学一般というよりも,とくに労働法学からのものとなりますが,経済学との思考法の違いというものを意識しながら議論できればと思っています。経済学者との対話は,もう20年近くやってきましたが,まだまだわからないことばかりです。
  今年は,もう一回,いろんな勉強を基礎からやってみたいなという気持ちになっています。経済学者との対話もその一つです。このイベントの後も,ある雑誌の企画で,経済学者の方との対話の機会があり楽しみにしています。今年は,アウトプットよりも,充電のための期間にできたらよいなと思っています。

 

2024年1月26日 (金)

アメリカの民主主義の劣化

 昨日の日本経済新聞の「グローバルオピニオン」で,米ユーラシア・グループ社長のイアン・ブレマー(Ian Bremmer)氏の「大統領戦で悪化する米民主主義」という記事は,「もしトラ」(もしもTrumpが大統領に再任されたら)のあとの悲観的シナリオが書かれていました。   「米国の軍事力と経済力は極めて強いままだが,米政治システムの機能不全は先進民主主義国の中で最もひどい。そして,今年はそれがさらに悪化するだろう。」
「米政治システムの正統性が低下している。議会,司法,メディアといった中核となる機関に対する国民の信頼は歴史的な低水準にあり,党派間の対立が非常に激しい。さらに,アルゴリズムによって増幅された偽情報が加わり,米国人はもはや国家と世界に関する共通の確定事実があるとは信じられなくなっている。」
 こうしたアメリカにおいて,共和党の候補となる可能性が高まっているのがTrump。さすがにTrump再選はもうないだろうと思っていましたが,アメリカもきわめて深刻な人材不足で,Haley氏に頑張ってもらうしかない状況です。
 民主党のほうも,超高齢者のBidenであり,かりに体力的に問題はなくても,認知機能の低下は避けられず,そうした人物が核ボタンをもつというのは,Trumpがそれをもつのとは違う意味で怖しいです(Trumpもまたかなりの高齢者です)。
 アメリカは,連邦レベルでは,あまりにも巨大な国になり,多様な人を抱え込みすぎて,これを統合して率いることができるような人材がいなくなってきているのかもしれません。
 軍事力と経済力は強くても,統治は国民の分断で機能不全となりつつあり,国際的な場では,国内基盤が脆弱で信用のおけない国として,そのステイタスは低下することになるでしょう。アメリカは,ロシアや中国とは違うという先進国の認識は改められることになるでしょう。
 Bremmer氏も,「米国はすでに世界の先進民主主義国家で最も分裂しており、機能不全に陥っている。11月の選挙は誰が勝っても、この問題を悪化させることは間違いない。」と述べています。
 日本では,Trumpが復活したときに備えなければなりませんが,「猛獣使い」の妙技を駆使した安倍元首相のような政治家は,なかなか現れないでしょう。岸田首相が「私がやる」としゃしゃり出て,いろんな要求を飲み込まされてしまうことは避けてもらいたいです。
 次の大統領が選ばれる前に,日本の政治体制も再建し,BidenTrumpのどちらが再選されてもしっかり対応できる陣営で臨んでもらいたいです。

2024年1月25日 (木)

真の政治改革とは

 自民党の派閥解散ドミノが起きていますが,派閥からの大臣ポスト等の推薦がなくなれば,どうなるのでしょうか。これまでは,大臣になってから,その担当する分野の勉強をするというようなことを平気で言う人がいました。現在の岸田政権においても,どれだけ,その担当分野の専門家が大臣,副大臣,政務官に選ばれているでしょうか。派閥の推薦というものがなくなれば,このあたりの問題は解決していくのかもしれません。一方で,首相の人事権がそれだけ強化されるのでしょう。そうなると,それだけの権力を与えてよいのかという心配もないわけではありません。とくに岸田首相であれば,心配です。ただ首相の選び方も変わるでしょう。ほんとうに国民のためになる人を総裁に選び,首相に選ぶという見識をもつ国会議員を選んでいかなければなりません。そういう国会議員が選ぶ首相であれば,きちんとした人事をしてくれるでしょう。
 大臣にはその分野の専門家をあてるべきであり,そうコロコロと変えるべきではないと思っています。内閣に多様な専門分野をもつ優秀な人材を集め,それを日本が世界に誇る優秀な官僚によって支えるというという構造が理想なのです。
 もっとも,後者の官僚が支えるという点は,安倍政権時代から官邸の権限が強まり,官僚の出番がなくなりつつあります。東大嫌い(?)の首相が続いていることの弊害もあるかもしれません。今日,東大生は官僚になりたがらず,外資系企業を含む民間企業に流れており,それは嘆かわしいことです(加速する東大生の「霞が関離れ」、その本当の問題とは?)。民間企業で働くことも大切ですが,政治家や官僚に優秀な人材が集まってこなければ,日本の将来は暗いでしょう。
 週末は地元の挨拶まわりが欠かせないというのは困ったものです。選挙に勝つためには仕方がないとはいえ,私なら,地元で応援している議員がいれば,地元に帰る時間は,中央での活動に充ててくださいと言うでしょう。現在は,地元民とは,リモートでつながることもできるのです。ときには地元でリアル辻説法をするのもいいですが,それは年に数回でよいでしょう。冠婚葬祭,町内会の行事への参加など論外です。デジタル時代にあったスマートな政治をしてもらいたいです。
 優秀な人に政治をしてもらうのは,言うまでもなく,私たちにとっての利益です。この人に政治を任せたいという人を,国政に送りこみ,存分に力を発揮してもらいたいです(そういう政治家が増えてくれば,官僚の世界にも優秀な人材が戻ってくるかもしれません)。そのためには,政治家がくだらないことに時間を使わなくてすむように,有権者の意識が変わらなければなりません。真の政治改革は私たちの意識改革なのかもしれません。

2024年1月24日 (水)

春季労使交渉(春闘)スタート

 岸田政権は,現在の政治的難局のなか,賃上げに活路を見出そうとしているのかもしれません。しかし,これについては,おそらく多くの人が疑問を感じているのではないでしょうか。個々の企業の経営者が,みずから賃上げをすると宣言するのはよいですし,労働組合が賃上げを要求するのは当然ですが,政府や経営者団体が個別企業に賃上げを要請するというのは,どういうものでしょうかね。一昨日の「大機小機」(日本経済新聞)は,この疑問が的を射ていることを示してくれています。
 それによると,物価高を超える賃金の上昇とは,実質賃金を高めることを意味し,その方法は,①分配率を高めること,②交易条件(輸出価格と輸入価格の比)を日本に有利にすること,③生産性を引き上げること,という方法しかなく,持続可能なのは③の方法だけである,としています。そして,結論として,「生産性を引き上げて付加価値を増やし,それを背景に賃金を引き上げていくのが経済の王道である」と述べています。
 春季労使交渉が実質的に始まりましたが,政府も含め,どのアクターが,生産性向上への筋道を具体的に述べるかというところが重要です。DXが鍵となることは言うまでもないことです。賃上げを口にしているから,政府は庶民の味方というのは,単なるイメージ戦略にすぎず,だまされてはなりません。

2024年1月23日 (火)

労災保険のメリット制

 大学院の授業で,あんしん財団事件の東京高裁判決(2022年11月29日)を素材に議論をしました。労災保険の支給決定について,事業主に取消訴訟の原告適格を認めた判決に対して,疑問はあるとしながら,メリット制の対象となる特定事業主の手続保障はどうなるのかが議論の焦点となりました。
 行政の通達(2023131日基発01312号)は,特定事業主は,保険料の決定を争う取消訴訟で,支給要件の非該当性の主張はできるとし,ただ,そこで勝訴しても,支給決定が取り消されることはないという立場です。この内容は妥当といえますが,実は,あまり知られていないようです。それでは特定事業主の手続保障につながりませんが,通達とは異なる内容の上記の高裁判決が出ており,それは上告されているので,最高裁が,高裁判決を支持する可能性がある以上,最高裁が決着をつけるまでは,積極的に周知しづらいのかもしれません。
 ところで,この問題はメリット制とは何かというところから考えていかなければなりません。メリット制が,労災予防へのインセンティブという意味をもっているとするならば,この事件でも問題となったような精神疾患の事案で,メリット制がどれだけ予防に効果的かということを,よく検討する必要があると思います。精神疾患の認定基準は変更されて,業務起因性が認められる範囲が広がってきて,それ自体は理解できることですが,その分だけ予防という点では,事業主にすると結果論ではないのかと考えたくなるケースが増えるおそれがあります。そう考えると,労災保険法の目的にもある「迅速かつ公正な保護」(1条)という要請が,誤った支給決定を争う機会を事業主から奪うほどの強い正当理由になるかは,慎重な検討が必要でしょう。
 このほか,メリット制を適用するとしても,少なくとも事業主に過失がある場合に限定すべきではないか,というような議論も,授業の中では出てきました。
 思うに,工場労働のように,労災のパターンが比較的予測されやすく,それゆえ事業主の予防策もある程度明確である場合には,無過失責任による補償責任(労働基準法の災害補償責任)を認めることは,理解を得やすかったと思います。無過失責任といえば,報償責任や危険責任という観点から説明されるのが普通ですが,加えて,事故類型から過失を推認しやすいという点で,あえて過失を問わなくてもよいという説明も付加できるような気がします。それだけなら過失の推定をして,使用者に反証の余地を与える手続のほうがよいのでしょうが,そこに労働者の迅速な保護という理由を持ち出すことができるのだと思います。もしこうした説明ができるのならば,精神障害のような事案になってくると,そのパターンは多様であり,予防策も多様となり,「これをしていなかったから過失が推定される」とは言いにくいケースが増えてくると思います(実際,あんしん財団事件では,いったんは不支給決定となり,労働保険審査会での再審査でそれが覆ったという微妙な事案でした)。そうなると,無過失責任の正当化根拠がゆらいでくることになり,そのようななかで(労働基準法の災害補償責任の責任保険である)労災保険の支給決定がメリット制に反映してくるとなると,どこかの段階で事業主に反証を認める機会を設けるべきという意見が出てきてもおかしくないのです。それが違法性の承継を認めるというようなやり方か,事業主に支給決定についての取消訴訟の原告適格を認めるか,あるいは,昨年の行政通達のようなやり方によるのかはさておき,何らかの手続は必要となるでしょう(あんしん財団事件では,事業主側のメリット制適用の結果の差額が合計で約760万円とかなり大きいことから,こうした手続の必要性をいっそう意識しやすくなるでしょう)。
 労災補償とはそもそも無過失責任なのだからとか,支給決定の誤りは想定されているとか,そういった議論もできそうですが,やや乱暴な感じがします。もちろん精神疾患について,事業主がしっかり取り組むことは当然のことです。しかし,労災予防策は,メリット制ではなく,違った方法のほうが効果的ではないか,という問題意識をもった検討も進めるべきでしょう。
 いずれにせよ,原告適格の問題は,行政事件訴訟法9条の解釈問題ではありますが,同条2項に「当該法令の趣旨及び目的を考慮する」となっているので,労災保険法の問題にもなってくるわけです。その際は「迅速かつ公正な保護」ということの意味を深く考察していくことが必要であると思っています。

2024年1月22日 (月)

みんな偉くなった

 JR東日本の社長に,喜陽一さんがなると報道されていました。ちょうど私が留学中に,東京大学の大学院の修士課程に「専修コース」というのができて,そこに社会人の方がたくさん入ってこられたと記憶しています。留学から帰ってきたら,労働法専攻の社会人の院生の方が何人かいて,喜さんもそのお一人であったと思います(間違っていたら,すみません)。喜さんで印象的であったのは,ジュリストに,菅野和夫先生と連名で判例評釈を書かれていたことです。あらためて調べてみたら,ジュリスト1007号の文祥堂事件でした。なぜ印象的であったのか,よく覚えていないのですが,たぶん菅野先生が院生と連名で評釈を書くということが極めて珍しかったことに加え,先生と連名で書いているのを羨ましいと思ったのではないかと思います。もう30年以上前のことです。それにしても社長というのは,すごいです。JR東日本は,将来の社長になるような有望な人材を,若い時に大学院に送り込んで,しっかり労働法を勉強させていたということでしょうかね。いずれにせよ,しっかり長期的なビジョンをもって人材育成をしてきたということは間違いないでしょう。
 そういえば,喜勢さんよりかなり前のことだと思いますが,アメリカからフルブライト(Fulbright)の留学生として来ていたJenifer Rogersさんのチューターを少しだけしたことがありました。たしかワープロがまだそれほど普及していなかったころで,彼女が苦労して日本語を手書きしていたような記憶があります(これも間違っていたら,すみません)。彼女は,日産自動車の社外取締役などを歴任して,大活躍されています。
 このほかにも大学院時代に何らかの交流があった人は,同業者以外でも偉くなった人がたくさんいます(「偉い」の基準は主観的ですが)。自分は,こういう将来活躍する優秀な若者が集まってくる環境で勉強できていたのだなと思い,その有り難さを再認識しています。

2024年1月21日 (日)

藤井八冠の振り飛車退治

 昨晩は20時前には床につき,何度か目が覚めましたが,ゆっくり休めたこともあり,今朝は平熱に戻り,胃の違和感は夜になるとなくなりました。疲れから来たのでしょうかね。今日は,仕事をする元気はなかったので,ダラダラとしていました。いい静養になりました。
 今日は将棋で藤井聡太八冠が,振り飛車相手に二連勝でした。まずNHK杯では,久保利明九段相手に快勝し(実際の収録はずっと前のことでしょうが),また昨日から始まっている王将戦では,菅井達也八段相手に完勝でした。久保九段も菅井八段も振り飛車の大家ですが,藤井八冠には歯が立ちませんでしたね。NHK杯では藤井八冠は2連覇に向けて順調ですし,王将戦ではこのまま4連勝で防衛しそうな勢いです。
 順位戦は,A級で,6連勝していた豊島将之九段が広瀬章人九段に敗れました。まだトップですが,52敗で追いかけている菅井八段にもチャンスがでてきました。広瀬八段は降級のピンチですが,ここで1つ勝って25敗となりました。順位の関係で,同じ勝敗数の斎藤慎太郎八段が最も降格に近い状況になりました。まだ2局残っているので,34敗の稲葉陽八段,佐藤天彦九段,佐々木勇気八段,中村太地八段にも降級の危険があります。
 B1組は大混戦です。独走状態であった増田康宏七段がここに来て連敗し83敗です。それでも残り2局で一つ勝てば初昇級です。羽生善治九段に勝った千田翔太七段も73敗で自力昇級の目があります。千田七段も初昇級がかかっています。羽生九段の今期のA級復帰はなくなりました。増田七段も千田七段も棋士なら誰もがめざすA級棋士にあと一歩というところです。しびれる勝負が続くと思いますが,ここを乗り越えなければなりませんね。また糸谷哲郎八段は順位がよいので,現在64敗ですが,84敗まで星を伸ばせば,増田七段や千田七段が一つでも負けると,1期でA級に返り咲きとなりますが,どうでしょうか。このほかにも,同じく6勝4敗の大橋貴洸七段も上位陣が総崩れになれば昇級のチャンスがあります。

2024年1月20日 (土)

胃腸炎

今日は久しぶりに体調不良でダウンしました。熱は微熱でしたが、足はフラつき、胃腸をこわしました。近所ではこども中心に胃腸炎が猛烈に流行しているようで、私も疲れがあったことからウイルスに負けてしまったのでしょう。昔から一月は鬼門でよく胃腸をこわしていたのですが,コロナ以降は恒常的に気を付けていたこともあり,そのことをすっかり忘れていました。今日は食事会があったのですが、泣く泣く私は欠席です。皆さんもご注意ください。

2024年1月19日 (金)

JALの新社長

 JALの新社長が,誕生します。スポニチのタイトルですが,「JAL,異例ずくめの新社長 鳥取三津子氏 東亜国内航空出身,元CA,女性,短大卒…全て初」。これは,すごい人事ですね。もちろん,すでに社内で実績を積んできていて,内部的には順当な人事であったのかもしれませんが,外からみると大抜擢という感じです。
 JASとJALの経営統合後も,私が使っていた伊丹・羽田線は,便によって,JAS系のCAとJAL系のCAが分かれていて,両者が混在する便はなかったような印象があります(あくまで個人的印象です)。ベテランの洗練されたサービスを受けられるのがJAL,安定感はないが,一生懸命に仕事をしていて好感度が高かったのが旧JASというのが,当時の私の感想ですが,おそらくそういう垣根はとっくの昔になくなっていて,そしてついに旧JASのCAからJALの社長へという人事が登場したのでしょう。
 JALというと,役所的で硬直的な組織で,政治家に牛耳られていたというような話があり,そしてついに経営破綻して,京セラの稲盛和夫氏に任せざるをえなくなった会社でした。当時はまさに『腐った翼』だったのです。しかしその後,奇跡的な再生を遂げます。国費の投入のおかげということもあったのでしょうが,やはり経営改革が成功したのでしょう。それが今回の社長人事につながっているのかもしれません。
 学歴は関係なし。性別も関係なし。そして(実質的に)吸収された企業の出身であることも関係なし。新しい時代を感じさせる良い人事です。新社長には,ぜひ頑張ってもらいたいです。

 

2024年1月18日 (木)

検察のメッセージ?

 安倍派の事務総長経験者が不起訴となりそうなことに対する不満が国民の中で広がっています。しかし,政治資金規正法は本来,政治家に責任を問うことが難しいようになっています。この法律で起訴までもちこもうとすることにはそもそも無理がありました。この法律が,その意味で欠陥があることはわかっていたことで,問題はそれを追及してこなかったことにあります(この面では,マスメディアの責任も大きいでしょう)。 国会議員は自らを縛る法律を作ろうとしないのは当然なので,彼ら・彼女らを動かすためには,外部からの圧力が必要です。今回の不祥事が明るみに出て,ようやく国会議員の中でも改革派として振る舞う者が出現しています。そのなかの一部は急に改革派になったという印象も否めませんが,それでも,この流れを活かして,望ましい法改正に取り組んでくれることを期待しています。いまいちど,政治資金規正法1条にある,「議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性にかんがみ,政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため,……政治活動の公明と公正を確保し,もつて民主政治の健全な発達に寄与すること」という目的に照らして,政治と金の問題をどうすれば一番よいのかをしっかり議論して,結果を出してほしいです。
 検察官は,意図したかどうかはともかく,今回の不起訴により,法改正の必要性を国民に気づかせて,今回の裏金問題に対する政治家個人の責任は,刑事責任よりも政治責任の問題だというメッセージを発したことになるのかもしれません。政治資金規正法による処罰よりも,選挙での落選こそが政治家に対する適切な責任追及手段であるということでしょう(もとより,検察官は,証拠を捏造するような人は別として,証拠に縛られるので,証拠が不十分であれば刑事責任を追及できないのは当然です)。私たちはこのことを受け止め,次の選挙において適切な判断を下す必要があります。

2024年1月17日 (水)

震災の日

 阪神淡路大震災から29年経ちました。私の震災経験は中途半端なところがあります。西宮の実家は多少ヒビが入り,下の妹などは間一髪で上からの重い落下物を避けたということはありますが,私自身は東京にいたので,少し揺れを感じた程度でした。私は被災者ではなく,親や妹は,若干の被災者という程度でした。
 ただ,震災後に実家に帰ったときの,道路や建物の凄まじい破壊ぶりには言葉を失いました。あの光景は忘れられませんし,朝日新聞のフォトギャラリーをみて,あのときのことを思い出しました。地震は怖いです。
 いつも言っていることですが,私たちは地震から逃れることはできません。活断層の破壊的な影響と、僅かにずれた場所にいただけで,まったく被害がないという極端な格差を目の当たりにし,私は(普段は無神論者ですが)神の不公平さを感じることがあります。一方で,活断層の情報を可能な限り得て,危険なところには住まないようにするということも必要です。神の不公平さを嘆くのではなく,人間の力でやれることをすることが大切なのでしょう。
 29年前の震災からしばらくは,関西人どうしの会話には「あの震災は……」という話がよく登場しました。しかし,今では神戸も西宮も復興し,地震の傷跡は表面的には見当たらないかのようで,「あの震災は……」という会話もほとんど聞かれなくなりました。しかし,震災(天災)は,忘れた頃にやってくるのです(寺田寅彦の言葉)。能登半島地震は,震災を忘れてはならないことを私たちに思い起こさせてくれました。

2024年1月16日 (火)

二度と戻らない風景

 作家の小池真理子さんが,日本経済新聞の夕刊の「あすへの話題」(1月5日)で,「二度と戻らない風景」というタイトルでエッセイを書かれていました。
 最後の部分を引用すると,「夕日の射(さ)し込む路地で遊んでいると,大根が覗(のぞ)いて見える買い物籠を腕にかけた母が,妹の手を引きながら笑顔で帰って来る。どこかで豆腐売りのラッパの音が鳴り響いている。近所の主婦たちが豆腐を入れるための小鍋を手に,外に出て来る。遠い日の,二度と戻らない風景である。」
 昭和30年代後半の話だそうですが,小池さんより10歳以上若い私も,その風景は懐かしく感じます。現在の子どもたちに伝えたいですが,簡単ではありませんね。
 「歌の町」という童謡があります。「良い子」という言葉が出てくれば,そのあとに思わず口ずさむ歌ですが,いまではほとんど歌われていないようです。歌詞の内容がやや古くて,いまの子にはぴんとこないのかもしれません。
 現在の幼児は,親がスマホで電話をしたり,幼稚園からの連絡をみたり,天気予報をみたり,スケジュールを確認したり,買い物のリストを書き込んだり,時間を確認したり,支払いをしたり,電車の改札や飛行機に乗るときにタッチしたり,お金の振込をしたり,体重や一日の歩数を記録したり,わからないことを調べたり,本を読んだり,動画をみたり,ゲームをしたり,メールやLineをしたり,語学の勉強をしたりしているのをみており,世の中というのは,そういうものだと思っています。テレビも,おそらくYouTubeをみるものと思っているでしょう。今後も,ますます「デジタル度」が強いデジタルネイティブ(digital native)が出現してくるでしょう。
 私たちが懐かしく思うアナログ社会は,まさに「二度と戻らない風景」になるでしょう。町のどこかにわずかに残っているアナログ社会を大事にしたいと思う気持ちは,私のなかにも少しはありますが,でもそこに完全に戻ることはできないですし,政策的な面ではデジタル推進は,様々な理由から(たとえば弱者にとっての強力なツールとなる),積極的にやるべきだと思っています。
 数年後には,黒電話,レコード,リモコンが使えないテレビ,紙幣,紙媒体の新聞紙,百科事典,辞書などを体験できるビジネスが出てくるかもしれませんし,もうどこかで,部分的には,そういうビジネスがあるかもしれません。小学校の歴史教育の一環として,昭和時代の体験学習なるものが出てくるかもしれませんね。

 

2024年1月15日 (月)

気になるイエメン情勢

 紅海の入り口にあるYemen(イエメン)という国の現在の情勢が気になります。行ったことがない国です(それどころか中東のどの国にも行ったことがありません)が,コーヒーのMokha(モカ)で有名なモカ港があることは知っており,親しみは感じていました。しかし,いまその国で,危険な事態が進行中のようです。同国のフーシ(Houthi)派というイラン(Iran)寄りの勢力が,日本の船舶を拿捕して連行しました。遠く離れた国の出来事であるとはいえ,この地域の航路をおさえられると,日本経済にも深刻な影響を及ぼす可能性があるでしょう。さらには英米がフーシ派を攻撃するために,軍事作戦を始めたとの報道があります。イスラエル(Israel)とパレスチナ(Palestina)との紛争も激化しており,徐々に戦線が広がっていく嫌な予感がします。第3次世界大戦につながらないことを祈るばかりです。
 フーシの背後にはイランがいる以上,アメリカの攻撃にイランは黙っていないでしょう。さらにイランとイスラエルの戦いが本格化すると,手がつけられない状況に陥るかもしれません。そうならないように,現在の段階で,紛争を抑え込む必要がありますが,アメリカはあまりその気がないようです。どうして,みんなこんなに好戦的なのでしょうか。
 こうした危機的な情報にもかかわらず,日本の株価は連日大幅に上昇しています。大地震があったために,日銀の金融政策が継続されると予想されています。それによりアメリカとの金利差は維持され,当分は円安が続くとみられています。その結果,輸出関連企業を中心に株式市場に資金が流入しているようです。海運企業も例外ではなく,商船三井も日本郵船は4%以上,川崎汽船は10%近い大幅増です。紅海の不安定化など,どこ吹く風です。でも,これは不思議であり,どこか異常な状況に感じられます。世界的な危機が始まる前の最後の宴ということにならないか心配です。
 平和があってこそ経済が成り立つのです。中東においては,これまでの外交努力などもあり,日本がはたせる役割は大きいと言われています。はやく国内政治を整えて,この問題に取り組まなければならないのです。それなのに,自民党の政治刷新本部は,冗談ではないかと思えるようなメンバーで構成され,とても国内政治の混乱は終息しそうにありません。いつも人事で遊ぶだけで,問題の本質に向き合わないこの政権の欠点が露呈しています。嘆かわしいことです。

2024年1月14日 (日)

AIと大学入試

 昨日から大学入学共通テストが実施されています。知的な作業が,生成AIにより大きく変わりつつあるなか,大学入試で問われる知識について再考していく必要があります。
 子どもを抱えている親は,いずれ自分の子供が同じ試験を受けるところを想像しているかもしれませんが,現在10歳くらいの子どもから下の世代の大学入試の予測はかなり難しいです。大学入試そのものが存在しなくなっているかもしれません。というのは,これからは,AIが個人の学習の到達度をスコア化できるようになるからです。入試をしなくても,本人の能力がわかるのです。各大学は,特定の科目のスコアが高い人を集めるといった形で,差別化を図っていくでしょう。こうしたスコア選抜は,受験に特有の一発勝負の不確実性をなくすこともできます。
 どの科目もそこそこ点数がとれる者が,偏差値の高い国立大学に合格しやすいといった状況は変わっていくでしょう。苦手科目の克服といった苦行もなくなるでしょう。もちろん本人の苦手な科目の学習に意味がないとは言いません。とくに苦手かどうかが主観的ではなく,AIによって客観的に把握できることは意味があります。AIによると苦手とされたけれど,それにあえて挑戦してみようというのは意味がある場合もあります。それにAIを疑うということもありえます。将棋の藤井聡太八冠はAIを活用して勉強していますが,実戦では,AIの評価値を上回る好手を指すこともあるのです。これは藤井八冠だからだともいえますが,AIが万能ではないことの証しでもあります。
 AIは道具であり,それをどう使うかは人間次第です。効率化が必要であれば, AIを使ったほうがよいでしょうし,効率化がそれほど重要でない場合は,あえてAIを使わなくても構いません。では,大学入試はどうか。これはおそらく効率的にすませたほうがよいタイプのことでしょう。若い時期の貴重な時間を有意義に使ったほうがよいからです。このように考える人が増えると,ますますAIの導入が進み,大学入試も廃止される方向に進んでいくでしょう。そもそもAI関連の社会実装に関する予測が,ほぼ当たってきたのは,人間がこの新しい道具への好奇心を抑えられないからだということも忘れてはなりません。

2024年1月13日 (土)

自律分散型

 能登震災の復興に向けて,いろんなスタートアップの活躍などが報道されるようになりました。もっと最新技術を使えないかということを前に書いたのですが,私が心配するまでもなく,そういうイニシアティブは進んでいたようです。WOTAのシャワーも活用されているようです。Starlink,ドローンも活躍しているようです。さらに,いろんな支援が来るまえに,被災者たちが自分たちで支援物資の受け入れを進めるなど,自助努力をしているようです。
 11日のテレ東のWBSでは,立教大学ビジネススクール・田中道昭教授が,自立分散型システムの重要性を指摘されていました。「自律分散型」と書いたほうがよいかもしれませんが,地域レベルで,住民が政府の手を借りずに進める復興を,最新技術がサポートするということは,まさに自律分散型の復興といえるでしょう。
 これは,前に書いた今後の企業のあり方と実は同じです。個人のフリーランスが中心となるのは,自律分散型の労働社会です。プロ人材が集まってプロジェクト型企業(スタートアップなどの中小零細企業)を作っていくのは,自律分散型を基礎とした組織化といえます。大企業でも,現場に権限委譲していれば,これもある種の自律分散型の組織といえます。
 平時には,大組織のスケールメリットが発揮されることが多いのでしょうが,有事には,中央集権的となりがちな大組織では,機動的な行動をとれず,迅速かつ柔軟な対応をしにくいように思えます。これは,今回の復興で,公的な支援がうまくいっていないこと(それには,いろいろな事情はあるのでしょうが)に通じるのではないかと思います。
 震災のような極限的な状況において,組織に頼った復興をしていると,意思決定をするだけで時間がかかってしまい,手遅れになることが多いでしょう。社会のレジリエンス(resilience)は,危機や変化に機敏に対応する力にかかっているのであり,そのためには,組織に頼らない個人の強さを鍛えることが必要だと思います。
 これを第4次産業革命に引きつけて考えると,この革命は,地震のように急激に変化をもたらすものではないとしても,私たちの社会に持続的に大きな地殻変動がもたらしているといえるのであり,レジリエンスが問われるという点では同じです。フリーランス政策というのは,組織に頼らなくても,社会に貢献できる人材を育成するという大きな社会的な課題の一つとして捉えて展開される必要があるでしょう。

2024年1月12日 (金)

土田道夫『労働法概説(第5版)』

 久しぶりに大学の郵便ボックスを確認しに行くと,土田道夫先生からの『労働法概説(第5版)』(弘文堂)が届いていました。いつも,お気遣いいただき,ありがとうございます。
 定評の高い土田先生の教科書です。5年ぶりの改訂版です。最近の労働法の世界では,大きな変化が次々と起こり,5年というのはかなり長期ともいえますが,本書には,その間の重要判例やフリーランス法などの新法・法改正などに関する新しい情報がしっかり盛り込まれています。
 本書は,随所にある設問を考えながら,勉強していけるので,初学者にも理解が深まりやすいです。概説ということですが,500頁に及んでいます。しかし,長さを感じさせません。設問もよく考えられていて,解説はコンパクトですが,必要な説明はしっかり入っています。初学者よりも少し上の中級クラスにとっての労働法学習には,最適であると思います。

2024年1月11日 (木)

賃上げについて

 労働法や社会保障法における貧困対策の制度として最低賃金や生活保護などがあります。政府は最低賃金の大幅な引上げを目標に掲げています。民間でも,アトキンソンという方が最低賃金引上げを強く主張されています。
 アトキンソン氏のあるHPでのインタビュー記事をみましたが,生産性の低い中小企業で働く労働者が多すぎることを問題視されています。最低賃金を上げると,その支払いができない中小企業が淘汰されていて,高い賃金を支払える中小企業が増えていくということでしょう。そうなると,平均的に日本の賃金も高まるでしょう。生産性の低い中小企業が生き残るのは,補助金などによる中小企業延命政策が機能しているからでしょう。コロナ下の政策でも,多くの資金が中小企業救済に投入されています。
 デジタル変革は,大企業の組織に変革をもたらし,企業は,プロ人材の結集によるプロジェクトを遂行する場というように変容していくでしょう。中小企業は,そうしたプロ人材の特定のプロジェクトを,比較的少人数で継続的に行うようなものになっていくのです。プロ人材は独立して個人で仕事を請け負うこともあるでしょう。フリーランスが増加することが予想されるのは,そのためです。いずれにせよ基本となるのは個人のプロ人材です。職業教育の目標も,そうしたプロ人材の育成であり,そのためには,まず何についてプロになるかを,子どものころから意識させる必要があるし,しかも将来の技術環境もふまえて,つぶしが利くような能力やスキルの習得をさせておく必要があります。そのためには基礎的な素養を身につけることも重要であり,それが現代の教養教育であるべきです。
 現在の政策課題として,エッセンシャル・サービスの人手不足も指摘されています。20244月から時間外労働規制の適用猶予がなくなる業界に,この種のサービスを担うところが多いので,2024年問題などとも言われています。人材不足に対しては,デジタル化で対応するしかないというのが,私の答えです。また,もしほんとうに必要なサービスであれば,市場(価格)メカニズムが機能さえすれば,賃金が上がり,それにともない労働供給が増えるはずですが,そうならないのは,どこかで市場メカニズムが機能していないことが考えられます(介護労働者の賃金などは,まさにそういうものでしょう)。そうすると対策は,市場メカニズムを機能させることにあるのですが,それが難しいとすると,国が税金を使って人を雇ってサービスを提供するしかないことになります。
 いずれにせよ,賃上げは,労働者の生活保障だけでなく,企業の淘汰による全体的な生産性の底上げ,人材不足の業種・職種における労働供給の増加などの多面的な政策課題にかかわっています。いずれの課題も簡単に解決できるものではなく,賃上げ以外の方法(たとえば貧困問題であれば,給付付き税額控除といった方法)でも解決できる可能性があります。あるいは,賃上げは手段ではなく,それ自体が目標であり,その手段こそ重要ともいえます。教育は,まさにそういう手段なのです。

2024年1月10日 (水)

政治家の逮捕

 政治家の逮捕をやたらと期待するのは適切ではないと前に書きましたが,ついに自民党の池田佳隆代議士が逮捕されました。検察側は,軽々しく逮捕したわけではないことを強調していました。証拠隠滅の可能性があったということです。リークされている情報からすると,証拠隠滅をしていたのであり,本人が雲隠れしていたことからすると,逮捕の要件は充足していたのでしょう。政治家の逮捕はないと言っていた政治評論家が批判されていますが,まさかここまでやるような政治家がいるとは想像できなかったのかもしれません。
 言われている内容が事実であるとすると,とんでもない政治家がいたものです。この代議士は,2018年に,元文部科学事務次官の前川喜平氏による名古屋市の中学校での授業について,名古屋市の教育委員会に授業の内容や経緯の説明をしつこく求めていた議員の一人でした。当時,このような政治介入に不快感をもった覚えがありますが,安倍政権全盛時の出来事であり,彼はもちろん細田派(実質は安倍派)です。また,この人は,岸田政権で,文部科学副大臣にもなっています。岸田首相の「適材適所」のハズレぶりは見事です。今回,自民党を除名になっていますが,除名になるような議員を副大臣に選んでいた責任はどうなるのでしょうかね。首相は,負うべき責任が多すぎて,何か一つ責任が追加されても,あまり重みを感じなくなっているのかもしれませんが,もしそうなら,ひどい話です。それにしても文部科学大臣というのは,これからの日本において最も重要なポストの一つです。教育に見識のあるもっと立派な人を大臣,副大臣,政務官にそろえてもらいたいです。そういう人は自民党にはいないのでしょうか。

2024年1月 9日 (火)

王将戦始まる

 藤井聡太王将(八冠)に,菅井竜也八段が挑戦する第73ALSOK杯王将戦が始まりました。王将戦は二日制で,伝統もある重要な棋戦です。羽生善治九段が七冠(当時の全冠)を達成したのは,当時の谷川浩司王将(現十七世名人)からタイトルを奪取したときでしたね。
 菅井八段は振り飛車党ですので,戦型は振り飛車対居飛車になることは予想されていました。初戦は菅井八段が先手となり,三間飛車穴熊を採用し,藤井王将も居飛車穴熊で対抗しました。相穴熊戦は,素人には難しい戦法で,本局でも微妙な攻防が続きましたが,評価値的には,藤井王将が微差で有利という状況が続きました。菅井八段は,攻め合いに行ったところから,徐々に形勢を損ねてしまい,最後は互いに王手をかけることもないまま,投了となりました。
 振り飛車については,佐藤天彦九段が,振り飛車党に転向して好調で,先日のNHK杯でも,渡辺明九段に逆転勝利をしているなど,戦法として注目されてはいるのですが,藤井八冠に通用するものとなるでしょうか(ちなみに,藤井八冠は振り飛車を指したところを見たことがありません)。今回の王将戦は,振り飛車戦法の今後を占うような重要な棋戦となるでしょう。もし菅井八段がストレートで敗れ,その負け方も今回のようなものになれば,振り飛車戦法はプロ棋士の棋戦から,しばらく姿を消すことになりかねません。アマチュアには,振り飛車のほうが指しやすいので,テレビ観戦でプロの振り飛車戦法をみることは,勉強になることが多いのです。その意味でも,菅井八段には,ぜひ頑張ってもらいたいです。
 藤井八冠は,2月になると,伊藤匠七段との棋王戦が始まりますが,今回は北陸の震災地での開催となります。24日に魚津(富山),24日に金沢,33日に新潟という順番で行われます。対局ができるくらいの状況に戻っていたらよいですね。そうなっていたら,タイトル戦は,被災者の方にも喜んでもらえるのではないかと思います。
 将棋界では,里見香奈女流四冠が結婚して,福間香奈さんになったというおめでたいニュースもありました。旧姓使用をすることもできたのですが,戸籍上の姓を使うそうです。女流棋士のなかには,中井広恵女流六段のように,結婚しても旧姓を使用し続ける人もいます。室谷由紀女流三段のように,最初の結婚では改姓し,離婚後に旧姓に戻し,2度目の結婚では旧姓を使用し続けるというパターンもあります。自分で名乗りたい姓は自分で決めるというのが,現代風ですね。

2024年1月 8日 (月)

適正な報酬とは何か

 適正な報酬とは何か。これはとてもむずかしい問題です。報酬は契約で決めるものですから,客観的な適正さとは無関係というのは,労働法の議論をするときには,そう言うのですが,ただ高すぎる報酬というのには,どことなく違和感を覚えることは確かです。大谷翔平選手の71000億円というのは桁違いなのでコメントしようがないですが,ちょっと異常な額であり,後払いとか,税引き後の手取りがいくらかということはさておき,こうした値付けがされる背景にあるビジネスの構造に,なんとなく不審感をもってしまいます(大谷選手が高額年俸をもらうのに適した選手であることには,まったく異論はありませんが)。 
 昨年の終わり頃に観たテレ東の「ガイヤの夜明け」で,ビッグモーターのことを特集していましたが,そこで店長クラスの社員の年収が約3000万円という話が出ていました。3000万円というのは,普通の労働者からすると破格であり,どういう仕事をしたら,それだけの報酬額となるのか疑問も出てきます。他人の報酬について,とやかく言うつもりはありませんが,結局,そうした報酬を支払う会社のビジネスにはどこか歪みがあり,やがて立ち行かなくなるのではないかという気がしました。
  フリーランス新法では,「特定受託事業者の給付の内容と同種又は類似の内容の給付に対し通常支払われる対価に比し著しく低い報酬の額を不当に定めること」が禁止されています(514号)。これは,「買いたたきの禁止」と呼ばれるものであり,下請法にも同様の規定があります(415号)。ただ,「通常支払われる対価」は明確でないように思えます。たとえば,グローバルに展開しているサービスに関するもので,グローバルな相場があり,為替の影響を受けるようなとき,「通常支払われる対価」の判断は難しくならないでしょうか。だからといって,フリーランスに,家内労働法の最低工賃のような規制をすることも難しいでしょう。
 適正な報酬とは何かについて,かつて考えたことがあり,有斐閣の「書斎の窓」で連載していた「アモーレと労働―イタリア的発想のすすめ」の「第9回 対価について考える」(20104月号)でも書いたことがあります。この回は盛りだくさんの内容でしたが,ここで再掲したいのはイアリア憲法36条です。
[原文]Il lavoratore ha diritto ad una retribuzione proporzionata alla quantità e qualità del suo lavoro e in ogni caso sufficiente ad assicurare a sé e alla famiglia un'esistenza libera e dignitosa.
[拙訳]労働者は,その労働の量と質に比例し,かつ,いかなる場合でも自らおよびその家族に対して自由でかつ尊厳ある生存を確保することができるだけの報酬を請求する権利を有する。

 この条文に,適正な報酬を考えるうえでのヒントが隠されているように思います(同条の「労働者」には,概念としては,従属労働者だけでなく,独立労働者すなわち自営業者も入ると思いますが,その点はイタリアの学説上も争いがあります)。具体的な報酬水準額はさておき,労働の量と質との比例性という観点と,自身や家族の自由かつ尊厳ある生存の確保という視点が大切なのです。後者はよくわかるのですが,前者の比例性というのは,原理的には,おそらく過小な報酬だけでなく,過大な報酬にも否定的となるでしょう(あえて「原理的」と言うのは,過大な報酬は,通常は,紛争が生じないからです)。
 あの当時の「書斎の窓」での連載は,いろいろ物議を醸したのですが,結構面白いことを書いていたと思いますので,第9回だけでなく,その他の回も(全部で12回),手に入る方はご覧いただければと思います。

2024年1月 7日 (日)

大地震に備える

 能登地震の悲惨な状況をみて,改めて家屋倒壊の怖さがわかりました。被災地域では耐震構造でない家屋も多かったようです。これを教訓として,住宅の耐震度を全国的にチェックし,必要な補修などについて,ある程度は強制的にやってもよいのではないかと思います。家屋の倒壊は,本人たちだけの問題ではなく,周りにも被害を与える可能性がありますし,救出のためのマンパワーがとられ,他の救出を困難にするなどの影響が出てしまうからです。費用をどこまで公費でまかなうかは議論があるでしょうが,とにかく事前にやれることをやっておくことが必要です(現在でも一定の要件を満たせば,税額控除や固定資産税の減額があるようです)。
 道路の寸断により陸の孤島と化しているような地域には,ドローンの活用ができるはずです。日頃からドローンで物資を運搬することを,各地域でシミュレーションしておくのが望ましいでしょう。充電不要のスマホ,スターリンク(Starlink)などの人工衛星を使った通信網なども,情報不足による孤立を防ぐために必要でしょう。水は,WOTAの水循環型シャワーなどが役立つでしょう(お湯は出るのでしょうかね)。仮設住宅の迅速な建設技術も役立つでしょう。こういういろんなアイデアや技術を結集して,たとえ災害があっても,迅速に日常生活を復興できるシステムを平時から準備しておく必要があると思います。
 地震と共生しなければならない国土に住む私たちは,はたしてどこまで地震に備えたシステムを構築できているでしょうか。最悪の場合,死者が約32万,全壊家屋が約240万と想定されている南海トラフ地震は,明日にでも起こる可能性があるのです。今回も,人々の献身的な救助活動や医療活動,ボランティア活動などがされていて,それには頭が下がりますが,人力以外に,もっと活用できる先端技術があるようにも思えます(実情がわかっていないだけかもしれませんが)。それに住民のほうにデジタル化が浸透していれば,たとえば緊急SOSの発信などにより,救えた命がもっとあったかもしれません。とくに高齢者こそ,スマホが頼りになるはずです。デジタル技術は,弱者にとってこそ力強い武器となりえるのです。今後の復興においてもデジタル技術は頼りになるでしょう。この面でも政府の早急な対応が必要です。

 

2024年1月 6日 (土)

事故回避のためにすべきこと

 JALの事故について,管制官の確認ミスという話も出てきました。あまりにも人間の手に依存しすぎではないのかという素朴な疑問も出てきます。人間にしかできないことだと思っていても,人間のミスは避けられません。それを常に責めることができるわけではありません。もちろん,機械にさせてもミスはあります。ただ不幸な結果が発生したときに,責任追及できる相手となる人が必要だという議論があるようですが,そうではなく,不幸な結果を起きないようにするためには,どうすれば確率が高い方法がとれるかということが大切だと思います。こう考えると,人間に責任を負わせて,事故回避に向けたインセンティブを与えるよりも,機械の活用による事故回避のほうが優先的な選択肢となると思われます。
 高齢者施設で,夜中に異常な行動がないかチェックするために,人が巡回するよりも,監視カメラをつけてAIにチェックさせるほうが,はるかに効率的です。これは数年前から実用化されています。この種のことができるのであれば,もっといろんなところで活用できないのでしょうか。おそらく技術的には可能であり,それを受け入れるかどうかは,経営者の判断なのでしょう。国家公務員の管制官であれば,政府の判断でしょう。コストの問題は言い訳にすぎません。人命のリスク回避こそ最優先であり,多くの無駄遣いをやめることが大切です。
 AIの活用は,それが進むと,人間の仕事を奪う可能性があると言われています。しかし,それは人間側の無策に起因するところもあり,人間とAIの協働がうまくできれば,人間の仕事は新たな形で残ります。いずれにせよ,経営者には,AIを導入できることなのに,それを怠って損害を発生させたら,過失があるというような判断がなされる状況が来るかもしれません。かりに法的責任がないとしても,経営者には真剣に事故回避のためのデジタル技術の活用を検討してもらえればと思います。

2024年1月 5日 (金)

自助と公的支援のバランス

 14日に,NHKのBSで「AI×専門家による“6つの未来”」という番組を観ました。ゲストは,いま最も勢いのある学者といえる「人新世の『資本論』の斎藤幸平氏,経済再生大臣の新藤義孝氏,若者代表で政府の少子化関係の会議のメンバーでもある櫻井彩乃氏,サッポロビールの取締役常務執行役員の福原真弓氏です。とても良い番組だと思いました。2054年の日本について,AIに分析させると6つのシナリオがあり,番組では,そのうちゲストの2人が良いと言った2つのシナリオ(未来1「地方分散,マイペース社会」と未来5「多様性イノベーション社会」) を中心に話が進行しました。2つのシナリオの実現のためには,いくつかの分岐点があり,そこでは賃金・働き方(テレワーク,労働時間短縮など),少子化対策,イノベーションがポイントとなるとされ,最終的には,未来5のグローバルイノベーションと未来1のローカルイノベーションがうまく実現していく社会をめざすべき,というようなまとめになっていたと思います。
 私は,企業とは本来,社会課題の解決というパーパスのために存在するものであり,個人はデジタル技術を使いながら,自分なりの知的創造性を発揮して貢献していくことが求められるという主張からすると,未来1がこれに沿うものだと思います。番組のなかでも,未来1に肯定的な意見が多かったように思いました(とくに福原氏のご意見には賛同できるものが多く,こういう方が役員にいるサッポロビールは良い会社だなと思ってしまいました)が,若干気になるところもありました。それは,イノベーションのところで,アメリカにおけるスタートアップについて公的支援がうまく機能して,それが社会実装にまでつながっていることの紹介に関してです。このアメリカの例自体は素晴らしいのですが,この話の前提には,個人が新たな企業を立ち上げているという点があります。個人の企業家精神があってはじめて,公的支援も機能するというところを忘れてはなりません。ゲストの発言のなかには,国の政策が悪いから日本はダメという論調のものもあったのですが,根本的には,自分たちにサポートができなければ,国を出てしまうよ,というくらいの気概のある若者が出てくる必要があるのです。もちろん,企業家精神をもてるような独創的な人材を育てる公教育が必要なのは言うまでもありません。独創的というのは,大発明をするというようなことにかぎらず,自分の日常生活のなかにある細かいニーズを拾い上げて,そこに自分なりの解決方法を見つけ出すということを含むのであり,これこそローカルイノベーションの基盤となるものです。福原氏が言われていたように,企業であれば,現場にいてわかる課題の解決が大切なのです。そうした課題をみつけだし,その解決を模索するためのスキルこそが日本社会の未来を輝かせるための鍵なのだと思います。
 世間では,新自由主義を批判し,自己責任を強調する見解に疑問を投げかける動きが強いと思います。そのことは間違っていないのですが,自助の精神がなく,何でも国が悪いといっている国民ばかりになるとダメです。繰り返しますが,国が,「それは自助でお願いします」とばかり言うのは責任放棄だと思いますが,国民が,自分たちが希望を持てないのは政治が悪いとばかり言うのであれば,それも甘えのように思います。大切なのは,自助を基礎としたうえで,政府が何をどう支援すべきかを議論することです。
 ゲストの一人の櫻井氏はフリーランスだと言っておられました。フリーランス的な働き方こそ,実は大切なのです。政府に守られてはいないけれど,自主独立でやっていこうとする働き方です。そのうえで,自助と公的支援とのバランスをとることが必要なのです。このあたりの政策研究が,私が2024年に取り組みたい第一の課題です。

2024年1月 4日 (木)

年次有給休暇の取得推奨

 3日前に,地震の際の本の落下の危険について書きましたが,どうも落下防止テープなるものがあるようであり,そのテープは貼っても本の出し入れに困らないようなので,勤務先の大学の事務に在庫があるかたずねてみようと思います。
 ところで,14日は御用始めのところが多いでしょうが,勤務先では年休取得推奨日になっていました。自由年休だけであった時代は,年休をいつ取得するのか(時季指定権の行使時期)の判断は労働者の自由でなければならず,使用者は「事業の正常な運営を妨げる場合」にしか,年休に介入できませんでした。その後,計画年休制度ができて,5日を超える部分は,労働者の時季指定権を取り上げられる可能性が出てきましたし,さらに「働き方改革」で,「年5日の年休の確実な取得」が,使用者の義務になったため,年休の取得について,使用者からの圧力(?)がかかるようになりました。年休の法的性格は変わったのです。
 ただ,私見では,年休は,5日に限定せず,すべての日数を,(労働者の時季指定や計画年休の有無に関係なく)使用者の付与義務とすべきだと考えており,現行法は半端な内容だと思っています。理想は,エグゼンプションを広く認め,休息は個人の裁量でとれるようにし,あえて現行法の年次有給休暇という形での休息をとらなくてもよいような働き方が広がることです。ただ,現状では,そこにまで至っていないので,当面は年休法制を残さざるを得ないでしょうが,現在の労働者の時季指定による取得という方法は,自由な働き方ができる自己管理型従業員にこそ適用すべきものと考えています。それ以外の(伝統的な働き方をする)旧来型従業員には,年休はその名のとおり年ごとにすべて取得できるようにすべきです。具体的には,労働者が1年内にその保有する年休を取得できそうにないなら,使用者のほうから労働者の希望を聞きながら完全取得をさせなければなりません。私は,これは立法論ではなく,解釈論としても成り立つのではないかと考えていますが,学説上は誰からも相手にされていないので「珍説」なのでしょう(こうした扱いは,とくに珍しいことではありませんが)。詳しくは,拙著『人事労働法』(2021年,弘文堂)の189~190頁を読んでみてください。

2024年1月 3日 (水)

JAL機の事故に思う

 新年早々,地震に続き,大変な事故が起きてしまいました。第一報の段階で,飛行機が火だるまのようになっている映像をみて,てっきり墜落して炎上したものだと思い,これでは全員助からないではないかと,背中に悪寒が走りました。その後,地上で海上保安庁の飛行機と衝突という情報が入り,そして飛行機からは全員脱出したという情報が入ったので,少しほっとしました。しかし当初は全員脱出なんてできるのかという半信半疑でした。見事に脱出していましたが,間一髪であったのかもしれません。幼児も車椅子も含め,400名近くいたなかで,17名のケガですんだのは奇跡的です。CAの訓練と乗客の協力がスムーズにいったのでしょう。いままで飛行機を利用して怖い思いをしたことはありませんでしたが,何かあれば大惨事となることはわかっており,やはり離陸・着陸は緊張感をもつべきということを,改めて認識させられました。そして,CAは若い女の子がいいなどという不謹慎なことは考えず,老若男女に関係なく,いざというときに命を守ってくれるプロフェッショナルの仕事をしてくれるかどうかで評価しなければならないということもまた再認識できました。
 かつては週に1度くらいは出張していたことがあり,飛行機に乗ることには慣れていたのですが,やはり離陸のときの緊張感にはなかなか慣れることはできませんでした。帰りなどはラウンジで酒を飲んでおいたほうが,すぐに眠れて恐怖感から逃れることができるなどと考えたものでした。飛行機に乗るときには,自分の運命を操縦士に委ねなければなりません。これは不思議な感覚です。もしかしたら全身麻酔の手術を受けるような場合に,医師にすべてを委ねるというのと同じような感覚かもしれませんが,まだそういう手術の経験がないので,日常生活のなかでは飛行機に乗るときしかない感覚なのです。搭乗し,ドアが閉められたとき,ああこれでもう逃げられないと観念するのですが,これは良い気分ではありません(それなら,少なくとも国内なら,飛行機に乗らずに,列車で行けばよいじゃないかと言われそうですが)。
 海上保安庁の方は気の毒です。亡くなった方の遺族も辛いことでしょう。管制官のミスか,海上保安庁側の機長のミスかはまだわからないようです(JAL機のほうのミスではないようです)。航空事故調査は,再発防止のためには,事故原因の究明を最優先にする必要があり,関係者には,自分や仲間の刑事責任が問われるような証言も積極的にしてもらう必要があります。そのため事故調査委員会などでの報告書を裁判手続で利用することの制限や刑事免責などの制度化が必要という議論は以前からあります。医療事故などでも同様です。現時点の法整備がどうなっているのかよく知りませんが,まだ進んでいないのなら,ぜひこれを機会に検討を進めてもらいたいものです。
 また,今回の事故も含め,衝突防止のための技術的な対応可能性はなかったのかも,ぜひ検証してもらいたいです。専門家ではないのでよくわかりませんが,今回の事故についての解説を聞いていると,着陸時の安全は,管制官とのやりとりや操縦士の視認などに頼る部分も大きいようであり,もしそうなら,そこにはなお技術的改善の余地があると思いました。「最後は人間」ではなく,安全のための人間とテクノロジーの最適な協働のあり方を,今後も追求してもらえればと思います。

2024年1月 2日 (火)

紅白歌合戦の感想

 能登の地震の被害が,徐々に明らかになってきました。火災も怖いですが,家屋倒壊もおそろしいです。iPhoneの緊急SOSのチェックをあわててやりました。研究室でも自宅でも,大きな地震のときには,本棚の上段のほうからの本の落下が怖いですが,これはどうしようもないですね。網を張ってもよいのでしょうが,そうなると使いにくいです。本も電子化が進んでいますが,研究書などで,いろんなところにジャンプしながら読むようなときは,紙のほうがまだ便利なことがあります。そのうち電子書籍でも,ジャンプ機能がもっと高まることを期待しています。

 ところで,大晦日の夜は,ここ何年かはいつも紅白歌合戦をみており,一昨日も観ました。プロの歌手の出場が減っていますよね。司会の二人の女性タレントは,若くて綺麗でしたが,なぜ歌わせたのでしょうか。放送事故レベルの歌唱力です。あんな歌唱力の素人と,一緒の舞台で歌わされたら,プロの歌手はつらいでしょう。この二人は,明るい番組づくりには貢献していましたが,どちらか一人でもよかったような気がします。司会の有吉も緊張感が観ているほうにも伝わってきて,向いていない感じがしました。歌番組としてみた場合は,例年どおり,トリのMISIA頼みという感じです。サザンくらいが出てくれたら良かったのですが。懐かしい歌手がたくさんでてきました(個人的には,伊藤蘭のキャンディーズの歌をもっと聞いていたかったです)が,そのたびに,この人は何歳だったっけと言いながらスマホを手にとってWikipediaで年齢を調べていました。年齢は嘘をつかず,みんな声が出ていないなという印象を受けました。演歌歌手は,歌唱力はありますが,単独では難しいということで,芸人と組まされたり,ドミノやけん玉に主役が奪われたりで(おまけに,けん玉では,ギネス認定が取り消されるなど,後々語り継がれるような「事件」が起きてしまいました。失敗することは想定していなかったのでしょうかね),石川さゆりクラスにならなければ,きちんと歌わせてもらえない感じです。
 個人的にはヒゲダン(Official髭男dism)の「Chessboard」がMVPです。この曲は中学のNコンの課題曲だそうです。この難曲を合唱で歌いこなすのは,大変でしょう(合唱用に編曲するのが難しそうです)。途中はどことなく「ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody)」を思わせるような構成のように思えました。クイーンという言葉も出てきましたし,クイーン(Queen)を意識した作品ではないでしょうか(音楽の専門家からすると,戯言かもしれませんが)。そのクイーン(Queen + Adam Lambert)も紅白に登場してくれて,これも良かったです。

2024年1月 1日 (月)

新年のご挨拶

 皆さん,明けまして,おめでとうございます。皆さんにとって,本年が良き年になることを,心よりお祈りしています。そう書いているときに,北陸地方で大きな地震が起きたという情報が飛び込んできました。被害ができるだけ小さく終わることを願っています。
 自分や身近な人だけでなく,世界中の人が幸せにならなければ,自分たちの幸せも実現しないと思っています。簡単なことではないのですが,一人ひとりが世界のために自分でできることをやっていく必要があります。今回の被災者との連帯も,その一つとなるでしょう。

 新年の初めに,昨年の研究活動のことを振り返ると,昨年は2001年以来22年ぶりに1冊も本を刊行しない年になりました。とはいえ,個人的にはそれほど停滞した1年だとは思っていません。今年の前半に出す予定の3冊(共著の新作1冊と改訂版を2冊)のための準備作業をしていたからです。また,昨年3月には,少し温めていた規制手法というテーマで,季刊労働法に「労働法の規制手法はどうあるべきか―政府規制の限界と非政府規制の可能性」という論文を発表しました。その他にも,生成AI関係などの論考をいくつか諸雑誌に発表しました。ビジネスガイド(日本法令)に連載中の「キーワードからみた労働法」も無事12回原稿を落とさずに書きました。「無事これ名馬なり」ということで,突出した業績が出なくても,こつこつと継続して仕事をしていくことが大切と考えています。

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