メディアの責任
ヤメ検で政治家になって,いまは弁護士をしている若狭勝氏がテレビで,政治家を長くやっていると,世間の常識に鈍感になってしまうという趣旨のことを言っていました。政治家の世界は独特の村社会であり,それだけ一般の人にとっての参入障壁が高いし,そこに馴染むためには,一般社会の常識を捨てなければならないのでしょう。パーティなるものをして,政治資金を集めなければならないというのも,やはりこの村社会独特のしきたりのようです(ノルマで社員を追い立てるブラック企業のようだとも言えそうですが)。自分たちのつくった政治資金規正法では,きちんと記載をしていれば問題がないはずだったのに,それを記載せず,裏金にしてしまうというのが,安倍派を中心にやっていたことです。表に出ない金で,政治家が政治活動をしているというのは不気味です(もちろん個人的に使っていたとなると別の倫理的問題がありますし,税法上の問題もあります)。最初は,違法かもしれないけれど,みんながやっているのだからということで,徐々にそれがその組織での常識となり,異を唱えることが難しくなっていったのかもしれません。安倍派の政治家のなかには,派閥の指示でやったことだとして保身に走り始めた人がいます。気持ちはわからないではないですが,政治家としては情けないですね。上から言われたら,おかしいことでも従うという主体性のない政治家なんて頼りなさすぎます。
これがただの村社会なら,どうでもよいことなのですが,権力をもっている集団が勝手なことをしているのですから,世間の目でチェックすることが必要です。本来はそれをやるべきマスメディアが,すっかり政治の常識のほうにとりこまれてしまって,批判的な能力を失っていたのではないかと思えます。裏金問題をスクープしたのが赤旗であるという事実を忘れてはなりません。共産党は,党内体制があまり民主的にみえない点では世間の常識から離れていると思います(それゆえ多くの支持は集められないでしょう)が,金銭的にきれいなので,政治とカネというテーマでは,期待できるところがあります。赤旗のスクープの後も,それを後追いをする他のメディアがなかったようなので,それはどういうことなのでしょうか。一般の政治報道記者は,どうしても政治家と近くなりすぎて,どうしても彼らの常識に影響されてしまうのかもしれません。それに,もし影響されなければ,政治家から「君は頭が悪い」などと言われてしまうのでしょう。どちらのほうが頭が悪いか,勝負しよう,と言えるくらいの気概をもったジャーナリストに出てきてほしいです。
いずれにせよ,いまいちどメディアは,自身のレゾン・デートルを問い直すべきでしょう。これはジャニーズ問題も同じです。みんなが黙っているから,報道しないことにしようというようなメディア人は,職業倫理的に大きな問題があり,不要であるどころから,有害です。ジャニー氏や裏金政治家たちと同罪なのです。
結局,私たちがフェイクであるリスクも感じながら,YouTubeなどで発信される情報に頼ることが多いのは,既存メディアに対する不信からです。労働問題であれば,その情報提供の不正確さや偏りについては,私自身も多少の専門知識がありますから,疑問に思うことはブログで発信しますし,価値観に関わることは,そのことを断ったうえで私の見解を述べますが,専門領域でないことになると,一般社会人のレベルでのコメントしかできません。しかし,それでもできるだけ何かおかしいと思われることは発言したほうがよいと思っていますし,日頃からそうしたアンテナを張って,自分の感覚を研ぎ澄ます訓練をしておこうと思っています(それは,まずは読書から始まるのですが)。
いまやメディア(元は,「媒介」という意味)というものを通さなくても,国民がみんな言論フォーラムで自由に政治的な意見を戦わせることができます。これにはいろいろリスクもあるのですが,いずれにせよ従来型の報道メディアの役割は終わりつつあるのかもしれません。
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