平和の追求と有事への備えを
今年は,昨年来のウクライナ(Ukraine)の戦争に加えて,ガザ(Gaza)地区の戦争も始まり,悲惨な1年でした。NHKの朝ドラのブギウギでも,東京空襲のシーンがありました。アメリカは,日本の民間人に向けて,空から無慈悲に爆弾を落としました(最後は広島と長崎の原爆でした)。許せないことです。神戸も空襲を受けています。私たちは,その生き残りの子孫なのです。いまウクライナやガザで起きていることは,実際,日本でも起きたことですし,またいつ起こるかわからないことです。他人事と思っていてはいけないでしょう。イスラエル(Israel)という国を理解するのは,かなり難しくなりました。テロの先制攻撃を受けたことは確かとしても,また人質がいるためにその救出が必要であることも確かとはいえ,この事態を口実として,ガザを支配下に置こうとしているのではないかという疑念もあります。ユダヤ人の歴史には気の毒なところは多々あるのですが,中東における現代のイスラエルの動きは,もともとはイギリスに責任があるとはいえ,Palestina人にとっては迷惑以外のなにものでもないのです。現時点では,よく言われる「ジャングルの掟」の世界で,力勝負で決着をつけようとするところがありますが,本来,アメリカの原爆で終わった第二次世界大戦のあとは,国際連合における五大国が国際紛争を抑止する警察官の役割をするということになっていたはずです。それがロシアの戦争で,その枠組みは崩壊し,中東については,アメリカが積極的に和平に向けた介入をしてくれないということで,世界は再び第二次世界大戦時の状況に戻ってしまうのではないか不安でいっぱいです。そうなったとき,日本は,ほんとうにあのときと同じ轍を踏まないと言い切れるでしょうか。これだけ政治が大切となっている時期に,裏金問題などで弱体化した現在の国内の政治状況は危機的でもあります。
ところで,ウクライナが,大国ロシアとの戦争で持ちこたえているのは,大統領のメディア戦術が巧みで,しかもリアルな被害状況が瞬時に世界に配信され,世界中の共感を得ていることも大きいでしょう。Palestinaへの同情が広がっているのも,同じ理由です。また,12月25日の日経新聞の記事で,ウクライナでは高度に電子政府化が進んでいたために,数百万人が住む場所を追われ,パスポートや住民票を失った人が少なくないにもかかわらず,社会がパニックになっていないということが書かれていました。国家の危機を,デジタル技術が救っている面があるのです。もちろんデジタルに頼りすぎることは,サイバー攻撃などにより一気に麻痺してしまう危険もあるのですが,それでも日本の現状は,デジタル化の危険を口にするような段階にまで至っていないような気がします。忍び寄る戦争の危機のなか,戦争を回避して平和を追求する努力は欠かせないのですが,それと同時に,有事の際の市民生活を守るためのデジタル政府化というものも,来年にはぜひとも最優先で取り組んでもらいたいです。私たちは,そういうことができる政府を選ばなければなりません。