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2023年11月10日 (金)

考える力

 昨日,NHKの朝のニュースで,「夏の甲子園が示したもの 野球が育む『考える力』」で,優勝した慶應義塾高校の練習スタイルが紹介されていました。キャッチボール一つとっても,個人が自身で課題をみつけ,考えながらやっているということで,そんなの当たり前ではないかという気もしますが,おそらくこれまでの高校野球のスタイルからすると超例外的なのでしょう。有力高校になると,監督が君臨してすべての練習メニューを考えて,そのとおりに選手も練習するということのようであり,慶応方式は,それとは対極的に監督は指示せず,選手に考えさせるというのです。別の高校では,練習試合で監督はサインは出さないそうです。選手に考えさせ,そこでの失敗は折りこみ済みで,失敗したあとに反省して考えることが大切だという方針で臨んでいるようです。練習試合が終わった後,「アフターマッチファンクション」という,将棋でいえば感想戦のようなことをやって,対戦したチームと一緒にその日の試合を振り返り,互いに意見を交換するということもしていました。
 高校野球が教育の一環である以上,「野球しかできない」では困るのです。社会人としてやっていけるような人材を育成することができなければ意味がなく,その観点からは,こうした取組みはすばらしいと思いました。
 「考える」というのは,高校野球だけでなく,日本社会全般において,とくに重要なキーワードです。学校では,実は「考えるな」という圧力をずっと受け続け,社会に出てもそれは続きます。大学教員に対しても「考えるな」という圧力があります。研究者は「考えること」が仕事なのですが,そういう仕事をしている者でも,組織というものに所属すると,「考えるな」(黙って従え)と言われることが多いのです。大学ですらそうですから,日本社会において「考えない」というのは,なかば(ネカティブな意味での)日本文化になってしまっているように思います。
 しかしAI時代の到来で「考えない」人間は,機械の下僕になりさがるだけです。社会が大きく変わるなか,常識は一変し,既存の組織も大きく変容します。そこで生き残るために必要なのが「考える力」です。拙著『会社員が消える―働き方の未来図』(2019年,文春新書)では,デジタル社会やAI社会が到来し,人々の生き方や働き方が大きく変わるなか,最後に人間にとって大切なのは「考える」ということだという,ある意味では平凡すぎるのですが,しかし日本社会においてとても重要と思える結論にたどりついています。考えなくてすむのは,社会があまり変動せず,保守的な価値観だけで十分にやっていける時代だけです。激動の時代には,自分たちでこれまでの常識や価値観を疑い,そこから考えていくことがどうしても必要となるのです。
 高校野球のような古い教育方式が濃厚に残っていそうな領域で,個人の考える力を養う教育がなされているのは,とても素晴らしいことです。もし,こういうスタイルが日本中の教育機関に広がっていけば,日本の未来は暗くないと思いました。

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