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2023年11月の記事

2023年11月30日 (木)

裁量労働制の同意の撤回について

 私たち大学教員にも適用されている専門業務型裁量労働制は,新たに労働者の同意を得ることなどが,労使協定に定める事項として追加されたのです(追記:施行は2024年4月ですが,それまでに対応が必要)が,その同意は撤回も可能とされています。でも,もしほんとうに撤回すればどうなるのでしょうかね。就業規則の規定の仕方によりますが,専門業務型裁量労働制の適用が例外的な位置づけであれば,本来の労働時間制度にもどるのだと思います。ただ,企業によっては,ある部門において,全従業員を専門業務型裁量労働制の適用を前提に採用していて,もし制度の適用を望まないなら採用しなかったであろうということもあります。同意をしなかった労働者に対して不利益取扱いをしないことも労使協定で定めるべき事項なのですが,では実際に上記のようなケースで,一人だけ同意を撤回したら,どういうことになるのでしょうか。
 ところで,専門業務型裁量労働制においても,労使協定の締結がされているだけでは対象労働者に当然に適用されるわけではなく,個人の同意や就業規則の合理的な規定が必要と解すべきものでした(追記:労基法上は同意が不要であっても,労働契約上は労働条件の変更なので必要ということです)。その意味で,法律で同意要件を課す(厳密にいうと,労使協定の締結事項に追加すること)のは,就業規則の合理的な規定ではいけないという点に意味があるといえました。人事労働法の観点からは,もともと就業規則の合理的な規定ではだめで,適用対象となる労働者からの納得同意(単なる同意では不十分)を得ることが必要となります(同書では企画業務型裁量労働制について,拙著『人事労働法』(2021年,弘文堂)179頁)。ただ,いったん納得同意をした場合の撤回に対して制約を課すことは認められるべきだと思っています。労基則では,労使協定について同意の撤回の手続を定めるべきとしていますが,就業規則で,その手続をかなり厳格な内容とすることは許されるのではないかと思っています(撤回についての制限については,拙稿「キーワードからみた労働法 第185回 裁量労働制」ビジネスガイド202212月号82頁を参照)。
 裁量労働制などにおける本人同意の要件は,それが労働者に不利益な効果をもつという点で例外的であり,一種のデロゲーションを定めたといえるので,撤回権を認めてバランスをとるという発想もありえるのですが,私は本人の同意(納得同意)をしっかりチェックするのが本筋ではないかと思っています。撤回権は労働者の権利であると言い出すと,十分に保護しなければならないという議論になりがちですが,それでよいでしょうか。それに,いったん撤回したけれど,やっぱり同意をすると労働者が言い出したとき,企業はそれを拒否できるのでしょうか(裁量労働制は,必ずしも労働者に不利とは限らないので,こうした同意を申し出る人が出てきてもおかしくないのですが,それは法の想定外のことでしょう)。
 一般論として労働者にとって不利益となる同意の撤回という法制度はあってよい気がしますが,労働時間規制(裁量労働制や高プロなど)において,こういうものを導入すると,いろいろ混乱が生じる気がします。実務上は,なにか問題は起きていないのでしょうかね。

2023年11月29日 (水)

魚からの警告

 私が気づいていないだけかもしれませんが,気候温暖化のことが,あまり議論されなくなっているような気がします。自動車産業のEVシフトややいろんな産業での脱炭素化ということは耳にしますが,もっと大きな視点で地球の未来を語ってくれる経営者がどれだけいるかということが,少し気になります。ESGという言葉も,これが定着したからなのか,それともブームが過ぎたのか,あまり耳にしなくなりました。菅政権のころに言われていたGXは,いまどうなっているのでしょうかね。環境大臣の名前もすぐには出てきませんね。
 ただ,スタートアップ企業などをみていると,社会にある様々なニーズをうまくとらえるビジネスがやはり成功しているようであり,そうした社会のニーズは地球の持続可能性を意識したものが多いと思います。若者をはじめ,人々の価値観も変わってきているはずです。ビジネス面でも,やはりESGは無視できないものでしょう。
 ところで,気候温暖化の影響は,自然の世界で最もわかりやすく発現するのであり,その代表例が魚の動きです。かつては福岡で穫れていたふぐが,北海道で大量に穫れるようになったということを,先日のNHKの朝のニュースが伝えていました。海水温の上昇のためです。北海道ではふぐを食べる習慣があまりなく安く買えるようですが,それだったら飛行機代を払ってでも北海道に行きたいと思う関西人は多いでしょう。10年ほど前に,お祝いごとのために,わざわざ博多に行って「い津み」という名店でふぐ料理を食べたことがあり,ふぐと言えば,下関か福岡かという感じだったのですが,もうそうではないのかもしれません。
 今朝の日本経済新聞の春秋では,鮭についても,同じようなことが書かれていました。福岡で穫れるものが北海道で穫れるようになるということは,北海道で穫れるものがロシアなどの外国に行かなければ獲れなくなるということです。これは困ります。魚は日本人にとっては文化です。でも,ほんとうはこれは単なる食文化の話にとどまらないのでしょう。魚が人類の危機を警告してくれているととらえるべきなのです。気候温暖化のことを,みんなと一緒にもっと真剣に考えていきたいと思います。

2023年11月28日 (火)

村上のダブルタイトル

 プロ野球のMVPは,阪神タイガースの村上頌樹投手が獲得しました(パ・リーグは文句なく山本由伸投手です)。新人王とのダブル受賞で,これはセ・リーグでは初めてだそうです。パ・リーグでかつて同じようにダブル受賞した木田勇投手や野茂茂雄投手のような圧倒的な数字を残したわけではありませんでした。岡田監督が大切に間隔をあけて万全の状態で投げさせたこともあり,勝ち数は10勝でしたが,最優秀防御率のタイトルをとり,なんといっても大事な試合できちんと仕事をしたということで,貢献度が大きかったです。岡田監督の信頼も一番でした(CSでも,日本シリーズでも,第1戦は村上が先発でした)。日本シリーズでMVPをとった近本光司選手も,後半戦の印象度は高いし,阪神の打撃の大黒柱でしたが,守り中心の岡田野球の要となったのは,やはり村上であったということで,それが評価されたのでしょう。
 新人王は,例年ならば,森下翔太選手も可能性があったでしょうが,シーズントータルでみた村上の安定感が上回ったということでしょうね。ほんとうの新人という意味では,森下のほうがふさわしいのでしょうが。
 阪神は来シーズンに向けた補強はほとんどしないようです。岡田監督に言わせれば,今年活躍しなかったけれど,湯浅京己投手がきちんと投げれば,それで十分ということでしょう。また,今シーズンは選手を固定して,手堅い選手起用をしていた印象がありますが,しかしよくみると若手選手も結構,使っていて,来年への布石を打っています。たとえば,打つ方では,小野寺暖選手や前川右京選手がかなり打席にたちました。投げるほうでは,門別啓人投手も経験させました。それと忘れてはならないのは,髙橋遥人投手です。育成選手契約となったようです(「育成」という名称はちょっとおかしいですが)が,復活すれば最大の補強です。さらにドラフトで獲得した選手にも即戦力がいそうです。これにもし打てる外国人を一人でも獲得できれば,来年もかなり期待できるでしょう。

2023年11月27日 (月)

受忍義務説と労働法的パトス

 今日のLSの授業では,団体行動権を扱ったのですが,学説の対立がなぜ起こるのかということの説明に力を入れすぎてしまいました。プロレイバー(prolabor)とは,なにかということです。初期の文献を読むと,戦後,団結権が憲法で保障され,なんとか,この団結権を解釈にいかして,労働者や労働組合の権利を拡大していこうとした労働法学者の情熱がよく伝わってきます。そうした情熱は運動論と法解釈論との融合という形をとったのですが,徐々に日本社会も豊かになり,熱気は少しずつ冷め,最高裁の冷淡な態度もあり,労働法の主流が,法解釈論としてのブラッシュアップを重視する方法論をとるようになっていきます。たとえば,企業施設を利用した組合活動といっても,使用者の所有権や占有権を無視できるのであろうか,使用者の権限を制限する受忍義務説の根拠が憲法28条の団結権だけでは不十分ではないか,そもそも労働組合には団体交渉権があるのであり,そこでしっかり交渉して企業施設の利用についてのルール形成をすればよいではないか,こういう「冷静な」最高裁の判断が説得力をもつようになるのです(学説のなかでは,山口浩一郎先生や下井隆史先生らが,反プロレイバーの「再入門学派」として強烈な問題提起をしました。『労働法再入門』(1977年,有斐閣)を参照)。しかも,最高裁は,企業の所有権や占有権を絶対視するわけではなく,特段の事情があれば例外もありうるとするバランス感覚ももっていました。それ以上の組合活動の保障は,フランスやイタリアに例があるように,立法で解決すべきなのであり,解釈論として受忍義務を認めるのには限界があるということです。こういう整理は,文章にすると,とても説得力があり,LSの学生にとっても理解しやすいでしょう。でも,それではちょっとつまらないのであり,資本主義社会の限界なんてことが言われている現在ですから,資本主義社会のなかで,資本の論理に対抗する原理を憲法28条に見出して,運動論的と言われながらも,なんとか労働者の保護のために解釈を展開しようとしたプロレイバーの努力もみてほしいなと思い,少しそうしたことを授業では語りました。
 私も,いちおうは菅野シューレの末席を汚しており,研究者としては,法解釈と運動論は区別するのは当然と思っていますし,再入門学派の系譜にあると自分では思っています。しかし教育者としては,実務家候補生には,ロゴス(論理)だけの労働法を教えるのではいけないとも思っています。学生たちには,1979年の国鉄札幌運転区事件・最高裁判決は,それとして学習してもらう必要がありますが,判例が斬り捨てた受忍義務説に学説が込めていたパトス(情熱)も理解したうえで,ロゴスとのバランスのとれた良き法曹になってもらいたいと思っています。

2023年11月26日 (日)

大相撲九州場所が終わる

 今日は,大相撲九州場所の千秋楽でした。霧島の132敗の優勝は立派でした。前半で2敗したために,優勝戦線からいったんは姿を消しましたが,そこから9連勝しました。とくに琴ノ若,熱海富士に勝った相撲は,まさに大関の相撲でした。綱取りがかかっていた貴景勝は,やはりだめでした。というか,貴景勝は安定して大勝ちはできないので,横綱にならないほうがよいように思えますが,本人は横綱になりたいのでしょうね。琴ノ若は11勝と成績はよいのですが,負けた相手が悪く,あまり良い印象はありませんね。私たちの世代からすると,顔がお父さんの琴ノ若ではなく,おじいさんの琴櫻に似ているのが懐かしいなという印象です。でもおじいさんやお父さんよりも強いような気がします。
 しかし,何と言っても今場所を盛り上げたのは,熱海富士です。先場所に続いて優勝にからんでいて,その実力は単なる一時的な勢いではありません。来年の今頃には横綱になっているかもしれません。横綱が不在の場所ということですが,毎場所,混戦になっていて,それはそれで面白いのです。この力士の一番は観てみたいという力士がたくさんいます。熱海富士だけでなく,今場所は湊富士もそうですし,関脇の若元春(今場所は不調でしたが)や大栄翔も面白いですし,遠藤の相撲もいいです。それに大関の3人はそれぞれ個性があり,別に横綱がいなくても,そして大関がとびきり強くなくても,十分に楽しめます。
 相撲は,熱海富士のような強い力士が入幕すると,対戦相手が,序盤は下位が多いので,いきなり優勝してしまう可能性があります。勝ち数が増えると,上位陣にあてられるのですが,これは,将棋の竜王戦で,クラスが下位でも勝ち上がることができ,決勝トーナメントで,他の上位クラスの上位成績者との対戦が組まれ,それにも勝ち上がると最終的には1期で竜王をとることが可能というのと,どことなく似ています。一方,横綱になるというのは将棋でいえば順位戦を経て名人になることに相当しそうです。順位戦はクラスが1期(1年)ごとの昇級で,いちばん下のC級2組からA級に上がるためには最短で4年かかり,さらにそこで勝ち上がって名人に挑戦するにはもう1年かかります。相撲でいえば,大関に上がるまでには三役で3場所は必要で(33勝するというのが一応の相場です),さらに大関で2場所は必要です(2場所連続で優勝またはそれに準じる成績というのが一応の相場です)。というように時間がかかるので,横綱になるのは,名人になるとやや似ています。ただ,名人は負けると陥落がありますが,横綱は陥落がありません。それは決定的な違いです(その点では,横綱は,永世名人に似ているのかもしれません)。横綱になるというのは,たんに強いだけでなく,特別な地位につくということなのでしょう(横綱審議委員会があるのも,そのためだということができそうです)。だから,休場が続いても,ある程度は許されるのかもしれません。ただ,横綱不在というのが当たり前というのには,やや違和感があります。負けるのは許されないが,休むのは割りと大目に見てもらえる(あんまり休んでいると引退勧告されることはあります)というのも,ちょっと変な気がします。相撲を純粋にスポーツとして楽しみたいという人もいるでしょう。横綱も実力制と無縁ではないとして,一定の条件で陥落するということにすれば,どうでしょうか。そうしたら,相撲がどう変わるか,ちょっと興味があります。

2023年11月25日 (土)

東芝の思い出

 東芝が非上場化するというニュースが出ていました。非上場化は,経営陣が,アクティビストの声を気にせず経営に専念できるというメリットがあると言われています。東芝は,JIP(日本産業パートナーズ)の傘下で経営再建をめざすそうです。
 東芝の場合には,国の政策が見え隠れしており,つぶすにつぶせないという独特の存在価値がある会社のようです。外資に狙われては困る会社でもあります。その一方で,歴代社長が不正会計問題で,刑事裁判に問われるなど,問題のある会社でもあります。
 実は,東芝には思い入れもあります。30年ほど前にMilanoに留学したとき,Duomo広場の北側にあった「TOSHIBA」という看板をみて,よく日本を思い出したものです。いまのようにインターネットがなく,日本の情報があまりほとんど入ってこない時代で,お金がないなか,1日遅れで,日本で発行されるものとは違い情報も多くない日本経済新聞(6500リラ(約650円))を,Duomo近くの新聞販売店(Edicola)で週に何日か,無理して買っていたくらいです。東芝の看板は,懐かしい故郷を思い出す貴重なものでした。それにイタリアに持っていったパソコンはDynabookでした。研究室の同僚イタリア人からは,物珍しそうにみられました(研究室のパソコンはMacintoshだったと思います)。日本のことが,まだそれほど知られていなかった時代に,高性能のノートパソコンを持ち歩く日本人の存在は珍しかったと思います。留学の思い出とDynabookは切っても切り離せないものなのです。東芝の衰退は,その意味でも悲しいことです。復活を期待しています。

2023年11月24日 (金)

JT杯と王将戦

 JT杯(将棋日本シリーズ)の決勝で,藤井聡太竜王・名人(八冠)が糸谷哲郎八段に勝って,2連覇しました。糸谷八段は,なかなか藤井竜王に勝てません。竜王獲得以来,大きなタイトルがない糸谷八段にとって,今回は大きなチャンスでしたが,これまで一度も勝ったことがなく6連敗していた相手に,今回も勝てませんでした。乱戦になって糸谷八段の得意な流れでもあったのですが,藤井竜王・名人の充実ぶりが目立ちました。持ち時間が短い将棋でも強いです。八冠に続き,将棋日本シリーズ,銀河戦,朝日杯,NHK杯という一般棋戦についても,2年連続,完全制覇となりそうな勢いです。八冠と一般棋戦完全制覇など,ありえない大記録です。どこまで記録をつくるのでしょうかね。
 藤井竜王・名人の次のタイトル戦である王将戦の対戦相手は菅井竜也八段に決まりました。最もレベルが高いと言われている王将戦挑戦者決定リーグにおいて,永瀬拓矢九段が先頭を走っていたのですが,最後に菅井八段が逆転しました。永瀬九段は羽生善治九段と佐々木勇気八段に連敗して2敗となり,菅井八段は永瀬九段に敗れた以外は全勝して挑戦権をつかみました。菅井八段は,先般の叡王戦5番勝負でも対戦しており,そこでは藤井叡王の31敗での防衛でした。ただ菅井八段は,糸谷八段とは違い,タイトル戦での1勝だけでなく,A級順位戦でも勝つなど,対戦成績は49敗とはいえ,手も足も出ないという感じではありません。現在の振り飛車党のなかの最高峰にいる菅井八段の登場は注目です。王将は,かつて同じ関西の振り飛車党の久保利明九段も4期とったことがあるタイトルであり,菅井八段の活躍が期待されます。いまの藤井王将からタイトル奪取をすることは難しいとしても,せめて昨年の羽生九段の2勝くらいはしてほしいところです。

2023年11月23日 (木)

強制ボランティアは概念矛盾

 今日は阪神とオリックスの優勝パレードがありました。神戸と大阪でそれぞれ行なわれ,神戸では午前中は阪神,午後はオリックスでした。天候もよく,多くの人が集まったようです。
 ところで,少し興ざめになるような話で申し訳ないのですが,やや気になったのは,毎日新聞にあった記事(「阪神・オリパレードへの府市職員動員 「ボランティアではない」」)です。実際に,どうなったのかわかりませんが,記事どおりですと,大阪府と市の職員がボランティアで駆り出されているというのです。職員が真に自発的にやっている場合はかまいませんが,事実上の強制があるとすると,これはボランティアとはいえませんよね。ボランティアは,イタリア語の同じ意味の言葉であるvolontarioという言葉をみてもわかるように,volontà「意志」という言葉から来ています。名詞ではボランティアの人ですが,形容詞では,自由意志による,というような意味です。仕事上の関係のある上司からボランティア活動するよう求められたとき,自由意志によるというのは,なかなか考えにくいというのが,労働法的な発想です(公務員でも同じでしょう)。
 民間企業においても,こういう大きなイベントであれば,事実上の強制ということが起こりそうですが,もちろん業務として命じる根拠がなければ,労働者は拒否できます。根拠があっても,処遇面は別の話であり,たとえばそれが就業規則上の休日でのことであれば,就業規則に基づく手当が請求できますし,法律上の休日(週に1日の休日)にあてはまれば,割増賃金の対象となります(三六協定も必要です)。労基法上の休日労働ではなくても,時間外労働による割増賃金が発生する可能性もあります(ここでも三六協定は必要です)。代休を付与したらどうなるかというのは,休日の振替をめぐる有名な論点であり,これは労働法の本を読んで確認してください。
 いずれにせよ職員は,知事や市長の駒ではないので,どうしても金を使えないというのなら,知事・市長みずからが,自分でボランティアを集めればいいのです。職員だからボランティアを頼みやすいというのはおかしいです。ボランティアに頼るという以上,むしろ仕事上の関係のない人に頼むということにしなければおかしいでしょう。
 そもそもほんとうに重要な行事であれば,きちんと税金を使って警備の人を雇うということにすべきではないでしょうか。維新は,倹約の仕方を間違っているような気がしますね。使うべきところに使わなければ,よい政治はできないでしょう。なお,神戸のほうのパレードについては,「兵庫県と神戸市の職員はいずれも公務扱いで休日出勤となり,代休が取れる」と書かれていました。

2023年11月22日 (水)

判例の新しさ

 「最近の判例」と言うときは,だいたい23年くらい前までのものを考え,「近時の判例」と言うときは10年くらい前までのものを考えています。このように自覚的に分類すればいいのですが,あまり深く考えずに話していると,平成に入ってからの判例は,比較的新しいと言ってしまいそうです。平成というだけで新しいという感覚があるのですが,これは昭和世代の悪い癖(?)でしょう。私が判例を西暦表記にしたいと思うのは,いまよりどれくらい前のものかは,西暦にしたほうがわかりやすいからです。東亜ペイント事件の最高裁判決は昭和61年のものですが,何年前かすぐには計算できません。1986年の判決というと,簡単な引き算でできます(37年前です)。ただ今度は,この37年というのが,どれだけ古いかというのも,年をとってくると時間感覚が若い人とは違ってきますよね。
 こんなことを書いたのは,学部2年生相手に授業をしていて,先日,採用内定取消に関する大日本印刷事件を扱ったのですが,学生にとって就活に関係する重要な判例だから自分のことと思って判決を読んでほしいと言ったものの,学生には,事実関係がなんとなく古めかしく感じたようです。よく考えると,判決の出た昭和54年(1979年)というと,44年も前,つまり半世紀近く前なのであり,これは学生にとっては歴史の世界の話です。私が学生のときに昭和20年代の判例というと,とても古いと感じたのと同じようなものですね。
 こうなると,ほんとうに大日本印刷事件・最高裁判決を,拙著の『最新重要判例200労働法』(弘文堂)に掲載していてよいのか,という気もしてきますね。もちろん同書は,時間的な新しさではなく,現在において意味のある判例という基準で選択しているので,大日本印刷事件はなお必要ですが,今後,就職活動のあり方が変わっていくと,少なくとも新卒の内定という観点から同判決を選ぶ意義は大幅に低減するかもしれません。
 学生たちからは,「採用内定当時知ることができず,また知ることが期待できないような事実」という判決中の文言は,SNSをチェックしたらわかるような事実も含まれるのであろうか,というような質問もありました。最高裁判決が採用内定取消を認めるかどうかの重要なポイントとしている点ですが,これを現代風にどこまでアレンジできるか,そして,それが難しくなり,時代の変化に対応できなくなったときには,「最新重要判例200」の選外となっていくのでしょう。

2023年11月21日 (火)

試験監督

 昨日の4限の授業が終わったあとに,昨年のLSの労働法の受講生で,先般,司法試験に合格した3名が,わざわざ挨拶に来てくれました(ほかにも昨年の労働法受講生の合格者は結構いて,労働法での合格率は高かったようなので,ひとまず責任を果たせたというところでしょうか)。私の期末試験を経験していたので,司法試験の本番の問題がやさしく感じたと言ってくれました。授業では試験に役立つことはあまり話していないつもりですが,そんななかでも授業から何か労働法の面白さを感じ取ってくれた人が,弁護士へと旅立ってくれるのは嬉しいことです(3人とも弁護士志望)。彼らの今後の活躍を心より期待したいです。
 司法試験は,今年度から,法科大学院に在学中での受験もできるようになりました。試験制度がよく変わるので,こちらはついていくのが大変ですが,教師としてやることには変わりはありません。
 先日は神戸大学の法科大学院の入学試験(筆記試験)もありました。1セット2時間の試験を3セットやるということで,私には想像もつかないくらい過酷なことだと思うのですが,受験生の集中はものすごいもので,いつもながら驚いてしまいます。受験生の意気込みに圧倒される一方で,試験監督をやるほうは,たんに監視しているだけで,これを2時間×3の6時間集中して行うことは不可能です。ここからは,いつもの愚痴です。こういうのを教員にやらせるというのはまったく非効率であり,機械ができることは機械にさせるという方針で臨んでもらいたいです。そもそも人間が監督しても,学生とはテンションが全然違う(試験監督を好きでやっている研究者はいないので,みんな前向きには取り組めません)ので,低いテンションが伝わって,受験生の邪魔になっていないか心配です(もちろん,そうならないように配慮はしています)。だからといって,気合を入れて監督すると,それもまた受験生に余計なプレッシャーがかかるので迷惑なことでしょう。監視カメラを設置して,おかしな動きをAIで解析してもらうほうが,学生にとっても邪魔にならないし,教員は苦役から開放されるし,結果として,不正行為をする学生の摘発可能性が高まるというように,よいことばかりなのです。
 受験生が人生をかけて真剣にやっているのに不謹慎なことを言うなと言われそうですが,そういう精神論が働き方改革を阻害するのではないでしょうかね。いつも同じようなことを言っているのですが……。

2023年11月20日 (月)

本日のLSの講義

 今日のLSの講義では,まず団体交渉のところで,山形大学事件と朝日放送事件の最高裁判決を扱いました。山形大学事件については,私独自の理解もあるのですが,まずは判決文の内容を素直に読んで確認してもらい,それについての通説的な理解を示したうえで,私のそれに対する批判を述べました。学生には,私の批判の部分については聞き流すだけでよいと伝えています。LSの授業では,私の授業であるといっても,私の意見を本番の試験で書いて不合格となっては困りますので,最高裁の判決文をしっかりふまえたうえで,あとは自分で考えて立場を決めてほしいと言っています。
 山形大学事件・最高裁判決の行政裁量論は,労働委員会の事件としては妥当なのです(懲戒免職の場合の退職手当不支給処分の適法性を肯定した宮城県教育委員会事件・最高裁判決のように,行政の裁量論に疑問の余地がある場合もあります)が,その前提にある誠実交渉義務の理解については,この最高裁判決とカール・ツァイス事件・東京地裁判決との関係をどう理解するかが難問です。個人的には,カール・ツァイス事件・東京地裁判決の誠実交渉義務論のままでよく,「合意達成の可能性の模索」こそが誠実交渉義務にとっての不可欠の中核的な要素であると考えています。最高裁は,合意成立の見込みがなくても誠実交渉義務があるという立場と読めますが,その立場だとしても,それは特殊な事例での判断と位置づけるべきでしょう(もともと事例判決ですが,その射程を限定すべきということです)。
 朝日放送事件では,使用者性の判断が先決事項であるという私の理解を強く押し出した授業をしました。学説によっては,義務的団交事項性の判断を先行させ,その事項について現実的・具体的な支配・決定力のある主体を使用者として認めるという見解もありますが,それは論理が逆転しているというのが私の理解です。こちらは自説のほうが分があると思い,少し丁寧に説明しましたが,この論点についても,学生には,最高裁判決の示した使用者性の判断基準と,それの事案へのあてはめを丁寧におさえておくようにして,学説に振り回されないようにという指示をしておきました。
 もう一つは都南自動車教習所事件・最高裁判決です。要式性を欠く労使間の合意に規範的効力があるかは,それ自体はそれほど面白い論点ではありませんが,書面性を欠く労使間の合意を,組合員が援用して賃金請求などができるかというところは,時間を割いて議論をしました。代理や第三者のためにする契約や労使慣行論など,いろいろな理論構成がありえます。そのうえで最後に,労使間では書面性がないような約束事は,事実認定として,拘束力のある合意として成立したとは認められないだろう(集団的労使間においては,要式性を欠く合意というものは考えにくいということ),というちょっとしたオチもつけておきました。

 

2023年11月19日 (日)

N高

 先日のテレビ東京のカンブリア宮殿でN高とその校長の奥平博一氏のことが採り上げられていました。この学校のことは,前から気になっていましたが,改めて番組を観て,よい学校だなと思いました。大学もつくるということで期待しています。とにかく「教える」ということに限界が感じられるなか,教育の目的は,若者たちの考える力,なにかをしようとする意欲というものなどを,どう喚起し,サポートするかに力点が置かれるべきだと思っています。知識は,何歳になっても,その気になれば学ぶことができます。どうしても必要な知識は学校などで教えておく必要がありますが,学習べきもののなかには,それだけでない部分もたくさんあるのです。
 人間は,共同体社会の一員であり,人とのつながりなしには生きていけません。しかし,それは人為的にできたゲゼルシャフト(Gesellschaft)におけるつながりとは区別する必要があります。ゲゼルシャフトが問題なのは,過剰な組織優位の思想になりがちなところです。労働法の諸問題の多くは,そういうところに起因しています。これまでの学校教育は,意図していたかどうかはともかく,組織で活躍できる従順で,かつ,そこそこ優秀な人材を育てるのに適したものでした。しかし,ほんとうに必要なのは,私たちの住んでいるゲマインシャフト(Gemeinschaft)の共同利益のために貢献できることを自分で考えたり,そのために人々を結集させたり,互いに連携したりできるような人材を育てることなのです。そういう人材こそが私の定義するプロ人材であり,企業としても,これから生き残るためには,そういう人材を集めることができなければいけません。
 N校というのは,そういう人材を育成するのに適した学校として,たいへん期待できると思います。入学者が増えているのも理解できます。もちろんテレビで観た情報だけしかなく,実際の姿を知っているわけではありません。それでも,学校の打ち出しているコンセプトには賛同できます。通信制への偏見を打ち破り,DX時代に適した教育方法として,またテレワークにもつながる教育として,今後の発展に大いに期待したいです。

2023年11月18日 (土)

宝塚のイメージダウンを避けてほしい

 11月16日の日本経済新聞の春秋で,宝塚に住んでいたことがある手塚治虫さんと宝塚歌劇との関係のことが書かれていました。実は私も,幼いときに神戸から宝塚に転居して,小学校2年まで住んでいました。駅から10分くらいのところで,宝塚歌劇と当時あったファミリーランドという動物園+テーマパークはとても身近な存在でした。母が生前,幼い私を抱いて宝塚駅から阪急電車にのると,劇団員の女の子たちが,よく声をかけてくれたという話をしていました。宝塚から西宮に引っ越したあとも,妹たちが母と宝塚歌劇をよく観に行っていて,鳳蘭,榛名由梨,安奈淳というような名前を,よく食卓で耳にしていました。ベルばらは,日本中の誰もが知っている作品でしたね。ということで,前にも書いたように,最近の劇団員の死亡事件は辛い話です。一昔まえまでは当たり前であったことが通用しなくなっていることでしょう。これは,ここだけの話ではありません。宝塚歌劇が「近代化」をするためには,抜本的な組織改革をすることが不可欠でしょう。
 映画の「阪急電車―片道15分の奇跡」(原作は,有川浩『阪急電車』)にもあるように,阪急電鉄の今津線の各駅は個性があります。私にとっても,いろいろな思い出がつまっている線です。宝塚南口駅にある宝塚ホテル(いまは移転),逆瀬川(さかせがわ)駅からバスで行った温泉スパのチボリ(いまは廃業),小林(おばやし)駅にある聖心女子学院,仁川駅にある阪神競馬場(私は競馬はしませんが,競馬があるときは,人があふれていて,ハズレ馬券が散らばっていたことが印象的です),甲東園にある関西学院,門戸厄神(もんどやくじん)にある同名の神社,そして大阪と神戸の中間地で神戸線の特急がとまる西宮北口です(西宮東口,南口,西口という名の駅はありません)。昔は,そこからそのまま阪神国道駅を経て,今津駅までつながり,阪神電車と接続していました。いまは今津まで行くときは,いったん西宮北口駅で乗り換えが必要です。
 野球は阪神ファンですが,住んでいるところをはじめ,生活の大半は阪急色でしたし,それはいまもあまり変わっていません。現在は神戸線沿線にいますが,今津線沿線で長く住んでいた私としては,その起点である宝塚は大切な場所です。そのイメージがいま悪化しているのはとても悲しいですね。

2023年11月17日 (金)

消防におけるパワハラ事件

 先日,大学院の授業で扱った糸島市消防本部長事件の福岡高裁判決(202368日)は,暴言,暴力などのパワハラを理由に消防指令という地位にあった消防職員A40歳代後半)が分限免職処分になった事件でした。1審は取消されていましたが,控訴審はこれを有効としました。
 この職員のために退職した人もいるなど,問題はあったのでしょうが,授業のなかで,判決のなかで気になる箇所が議論となりました。控訴審判決は,Aの非違行為を列挙したうえで,「公務員である消防職員として必要とされる一般的な適格性を欠くと見ることが不合理であるとはいえないし,前記のAの行為,態度は,Aの素質,性格等によるものであり,注意又は指導を行ったとしても,容易に矯正することができないと見ることが不合理であるともいえない」というのですが,この組織では,Aはそれなりに評価されていたから昇進してきたわけです。組織内でもパワハラ対策の方針について明確なものはなかったという事情もありました。Aには,大きな問題のある言動があったことは確かですが,注意や指導をしても無理なほど本人の性質や性格に難があると決めつけることができるのだろうかという疑問が提起されました。本件は公務員の事案ですが,民間部門でいうと,解雇は性急すぎるので濫用という判断もありえたかもしれません。
 パワハラによる処分は,昭和生まれ世代の40代以上の人にとっては,自分が育成されたときとはまったく異なるルールが適用されたという不意打ち感がありえます。もちろん,それに適応していかなければならないのですが,その適応のための第一次的な責任を負うべきなのは組織であり,組織の責任を個人に全面的に転嫁してはいけません。
 とはいえ,嘆願書なども出てきているので,Aをいまのポストに残すのが難しいということも理解できます。授業では,違うポストに降格させる可能性はなかったのか,という意見もありました。また,もしこういう事件が民間部門であった場合には,まさに解雇の金銭解決がぴったりなのではないかということについても議論しました。懲戒解雇ではなく普通解雇なので退職金が支払われるから実質的に金銭解決になるという話ではなく,私たちが唱えている完全補償ルール(大内伸哉・川口大司編『解雇規制を問い直す』(有斐閣)を参照)による金銭解決を適用できれば,妥当な解決となるという話です(組織のために切らなければならないが,しっかり補償はするということです)。同書では,懲戒解雇の場合は補償をゼロとすることがありえるとしています(296頁にいう「C型」)が,裁判官が一部補償という選択ができることも想定しています。

2023年11月16日 (木)

懲戒解雇と退職金

 ビジネスガイド(日本法令)の最新号(940号)の「キーワードからみた労働法」(第197回)のテーマは,「懲戒解雇と退職金」です。第184回で「退職金」をテーマとしましたが,今回は,それと連続して,懲戒解雇の場合の退職金の不支給や減額の問題を採り上げています。宮城県教育委員会事件の最高裁判決(2023627日)で,飲酒運転で物損事故を起こした県立高校の教員が,懲戒免職と退職手当の不支給処分を受けた事件で,退職手当の3割支給を認めた控訴審を破棄し,最高裁が不支給処分の適法性を認めたことから,民間部門の相場感からはやや厳しいと思えましたので,この判決を切り口にして,少し詳しく検討してみました。実は民間部門でも,少し前に,みずほ銀行事件で東京高裁(2021年2月24日判決)がやや独特の判断基準で厳しい判断をしていたので,この論点は気になっていました。
 退職金の不支給・減額をめぐる判例法理に対しては,退職金の性質論をどう考えるか,就業規則上は退職金の不支給しか規定しない場合でも一部不支給とする法的根拠はあるのか(損害賠償ではない),さらに具体的な額としての3割とか4割といった数字は何を根拠としているのか,など不明確なところがたくさんあります。永年勤続に対する功労は完全には抹消されていないということで,一部支給を認めるとしても,基本的には退職金は企業の任意の制度で,その制度設計は労使の合意で自由にできるのであり,そこに裁判所が,ほとんど実質論だけで,介入してしまっていることの妥当性は議論の余地があるでしょう。それとは別に,本稿でも少しふれているのは,退職金の一部支給は,広い意味での解雇の金銭解決という意味もあるということです。退職金の性質論だけでなく,紛争解決の妥当性という観点からもみることができそうです。裁判官の頭には,そういう発想もあるのかもしれません。
 判例の解説は,拙稿をみてください。いずれにせよ,退職金が話題になってきている今日,これと関連する,懲戒解雇の場合の減額や不支給というテーマも,理論的な検討を深める必要があると思われます。

2023年11月15日 (水)

介護離職問題

 今朝の日本経済新聞の社説は,「介護との両立支援は重要な経営課題だ」というタイトルで,介護離職対策の重要性が論じられていました。安倍政権のときから「介護離職ゼロ」は政策課題に掲げられていましたが,なかなか状況は改善していないようです。国民は,まずは育児介護休業法の内容を知り,どのような権利があるかを理解して,必要な人は,この制度を十分に活用するところからスタートしなければなりません。
 今年の第46回労働問題優秀図書賞には,介護離職の問題について正面から取り組んだ池田心豪氏の労作「介護離職の構造―育児・介護休業法と両立支援ニーズ」が選ばれました(もう一冊の受賞作は,市原博氏の『近代日本の技術者と人材形成・人事管理』です)。JILPTのHPでは,次のように,同書の概要が紹介されています。
 「本書は,現行法が想定する仕事と介護の生活時間配分の問題から守備範囲を広げて,介護者の健康や人間関係の問題など,介護離職につながりうる多様な問題にも着目し,対応可能な両立支援制度の考え方を示しています。多様な両立支援ニーズに対応することによって『介護離職ゼロ』にも貢献しうる政策研究であるといえます。」
 私も審査委員として熟読しましたが,まさに概要に書かれているような内容の研究です。具体的な政策提言まではされていませんが,今日の大きな社会問題である介護離職について,きちんとした調査をして法制度の問題や両立支援に向けた課題を,当事者のニーズに焦点をあててあぶりだした点は,労働政策研究として高く評価されるべきでしょう。
 ところで,介護離職ゼロのためには,もっとテレワークを増やすことが重要だというのが私の主張です(拙著『誰のためのテレワーク?―近未来社会のための働き方と法』(明石書店)93頁を参照)が,コロナ後の対面回帰のなかで,やや逆風が吹いています。しかし,いまいちど,介護問題にしろ,育児問題にしろ,その抜本的な解決に大きく寄与するテレワークをどのように政策的に推進するかについても,政府には考えてもらいたいです。

 

 

2023年11月14日 (火)

宝塚歌劇団問題におもう

 宝塚歌劇団の25歳の劇団員が死亡(おそらく自殺)した事件が,大きな社会問題となっています。現時点で原因として伝わってきているのは,過重業務とパワハラです。いつも言っているように,過重業務だけでは,なかなか人間は自殺まではしません(もちろん,個人の性格などもありますし,過重性の質や程度にもよります)が,パワハラが加わると,とても危険なことになります。閉鎖的な組織で上下関係に厳しいようなところでの「いじめ」問題は,組織がしっかり責任を負うべき問題だといえます。
 NHKの朝ドラの「ブギウギ」でも,少女歌劇団のことがでてきますが,先輩の絶対性と修行時代の厳しさが(それほどではありませんが)描かれていました。そういう場で,少し行き過ぎた性格の人が出てくれば,パワハラが起きてしまうということもあるのでしょう。もっとも,かつてなら,世の中はそういうものだという程度の扱いで,そこを耐えなければいけないというような精神論がまかり通っていたのでしょう。しかし,いまはそういう時代ではありません。誰一人,いじめやパワハラで死ななくてもよい社会をつくらなければなりません。
 今回の問題で,歌劇団側は,過重労働のことは認めましたが,パワハラの存在は認めていません。パワハラ該当性は判断は難しいので見解の相違ということが起こりがちですが,今後,徐々に真相が明らかになっていくでしょう。
 ところで,宝塚歌劇団では,団員との関係は業務委託契約であったようです。労働法は契約形式に関係なく適用されるので,団員が労働者と認定される可能性もあり,もしそうなると,かなりの影響がでてきそうです。団員たちの間で労働組合の結成という話も出てくるかもしれません。また,劇団側のいう安全配慮義務は,労働契約であるかどうかに関係なく認められるものであり,もし劇団の実質的な指揮監督が強ければ,義務違反は認められやすいでしょう。さらにかりにパワハラが認められると,労働契約関係になくても,フリーランス新法(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律)により,特定業務委託事業者は,適切に対応するために必要な体制の整備その他の必要な措置を講じなければなりません(14条13号)。つまり,業務委託契約であっても,委託者側には,一定の責任が課されているのです。
 このように業務委託契約であっても,安全配慮義務はありますし,ハラスメントに関する責任も避けられませんが,問題はそこから先であり,労働基準法などの労働法や社会保険の適用まであるとなると,根本的にビジネスモデルが変わるかもしれませんね。
 フリーランス新法が制定された今年,ジャニーズ問題や宝塚歌劇団の問題などがあったこともきっかけとなって,芸能人の働き方改革が進んでいくかもしれません。エンタメ業界の人も,フリーランスかどうかに関係なく,働く個人として同じなのです。従属労働かどうかで労働を分断しないほうがよいという視点が重要と指摘してきた私としても,今回の問題から,労働を提供している人は誰もが等しく(広義の)人格的利益が保護されるべきだという当然のことを,再認識できた気がしますし,こうした視点を社会にいっそう強く訴えかけていく必要があると思いました(拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」』(2020年,日本法令)277頁では,「労働の分断」に対する疑問を述べています)。

2023年11月13日 (月)

学生の直感的違和感

 今日は,LSの授業でも,学部のゼミでもユニオン・ショップを扱いました。偶然だったのですが,LSでは『ケースブック労働法(第8版)』(弘文堂)の第19講の「三井倉庫港運事件」を扱い,学部のゼミでは,日本食塩製造事件・最高裁判決を扱ったためにテーマがかぶりました。後者では,解雇のことを議論してもらおうと思っていたのですが,初学者である学生は,この判決については,解雇よりも,ユニオン・ショップに興味をもったようで,そちらのほうに意見が集中しました。たしかに,この判決は調査官解説をみてもわかるように,組合からの除名が無効であればユニオン・ショップ解雇が無効となることが言いたかった判決ともいえるので,そうなるのも仕方ないところがありました。それにしても,学生全員がユニオン・ショップに対する違和感を口にしたことは,こちらの予想を超えていました。たしかに,普通に考えれば,ユニオン・ショップ解雇が解雇権濫用とならないとする結論はおかしいと考えますよね。さらに除名が無効であれば解雇が無効であるという牽連説にも異論を唱える学生がいました。初学者の直感的な意見は正鵠を射ていることが多いので,私にも参考となります。彼ら・彼女らは,これから労働法を学習していくと,判例や通説に「毒されていく(?)」のでしょうが,法理のほうが時代後れの可能性もあるので,ぜひ批判的な精神をもって学んでもらいたいですし,こちらもそういう精神を刺激するような授業をしていかなければなりません。
 ユニオン・ショップ解雇への疑問と並んで,整理解雇はどうかということも少し議論をしました。労働者に帰責性がない解雇だから,こういうのは認められてよいのだろうか,だからといってリーマンショックやウクライナ戦争など企業にはどうしようもない事由による経営悪化であれば,企業にも責任がないのではないか,というような話になります。さらに,これからのDXの影響のことを考えると,これについていけない企業の衰退と本人のスキル不足という複合要因による解雇が起こることが予想されます。こうなると,労働法では手に負えなくなり,産業政策とリンクした雇用政策の出番となるでしょう。いずれにせよ,学生たちが社会に出ていく時代は,法律上の解雇制限が労働者保護として十分に機能するとは到底考えられないので,特定の企業に縛られずに,スキルアップを常にはかるというキャリア戦略が必要となります。学生時代は,そのための準備時期としなければならないでしょう。

2023年11月12日 (日)

維新は反自民の受け皿になれるか

 岸田政権の人気が凋落しているのは,政策の良し悪しももちろん関係しているのですが,首相本人が,何がやりたいのかが伝わってこないまま,ただ税金を無駄につかったり,あるいは減税のような露骨なポピュリズムに走ったりしているところに原因があるように思います。私たちの支払っているお金をどう考えているのか,ということについての根強い不信が国民の間にあるのでしょう。安倍政権のときのアベノマスク,菅政権のときの東京オリンピックもそうですが,自民党政権へのそうした不信が,いよいよ物価高・実質賃金の低迷のなかで,生活苦という状況がでてきた,このタイミングで噴出してきたのだと思います。岸田首相はどうも国民の前に出たがりのようですが,出れば出るほどマイナスということがわかっていないようですね。官房長官も,声質にもよるのでしょうが,その言葉の力のなさも,政権の頼りないイメージを助長しています。
 いずれにせよ,税金をもてあそぶ政治家には政権をまかせられないのです。もちろん,自民党が政権にいるから甘い汁をすえる人たちもたくさんいるのでしょうが,これまでおとなしかった反自民の国民もいよいよ具体的な投票行動を起こすかもしれません。とはいえ,反自民の受け皿となるべく維新も,万博の費用問題で,逆風が吹きかけています。ここは発想をかえて,DX時代の万博は,メタバースで実施するということにしたらどうでしょうかね(同じようなことは,日本経済新聞の1030日の私見卓見で,日本大学特任教授の若林広二さんが書かれていました) 。維新らしい,しがらみがなく,思い切ったコストカットをしたいのであれば,リアル空間での万博を止めることこそ,最も国民への強いアピールになるでしょう。万博は国の行事だと言っても,世間は維新が推進者であると思っています。維新は万博の責任から逃れることはできないでしょう。いまさら後には引けないというのはよくわかるし,国際的な信用もあります。しかしこのピンチをうまく跳ね返す乾坤一擲の勝負をしてもよいのではないでしょうか。

2023年11月11日 (土)

藤井八冠竜王防衛

 藤井聡太竜王(八冠)は,伊藤匠七段の挑戦を4連勝で退けました。八冠後の最初のタイトル防衛戦で,藤井八冠を追う一番手ともいえる,現在絶好調の同世代の棋士が相手でしたが,藤井八冠の敵ではありませんでした。この将棋は,序盤に伊藤七段が,通常なら6二に銀を上がるところを金が上がるなど,藤井竜王の早い桂跳ねに対応し新手を指していました。その後,藤井竜王が飛車を切って攻めていくのですが,伊藤七段も6七に銀を打ち,2九に飛車を打って相手玉に迫っていきます。藤井陣は飛車と歩で玉頭から攻められて,素人目には,簡単に負けてしまいそうなのですが,AIの評価値では藤井竜王が若干優勢でした。伊藤七段の攻めは比較的かわしやすいということであったのでしょう。実際,伊藤七段は飛車先の歩が成り込むなど攻勢にみえたのですが,一手空いたところで,なんと藤井竜王は37手詰めで相手玉を詰ましてしまいました(途中で伊藤七段は投了)。37手詰めなど神がかり的で,まさに神の頭脳です。実際,駒を並べてみましたが,二枚の柱がよく効いて,きれいな詰みでした。実は,途中の8四銀という派手な捨て駒の順があるのですが,そこで歩を打っていれば,もっと短い手数で詰んでいたので,藤井竜王はそのことを悔やんでいたようです。あまりにも次元の違うレベルの話です。
 これでタイトル獲得19期で,歴代6位の米長邦雄永世棋聖に並びました。この上は27期の谷川浩司17世名人です。あとは渡辺明九段(31期),中原誠16世名人(64期),大山康晴15世名人(80期),羽生善治九段(99期)となります。しかも,タイトル戦で奪取も防衛も含めて,19回連続勝利で,これは大山15世名人の記録とタイだそうですが,これまでタイトルを奪われたことがないという点では,前人未踏の記録です。桁違いの強さです。
 竜王戦が4局で終わったので,藤井八冠はしばらく休めるでしょう。次のタイトル戦は年明けの王将戦です。挑戦者決定リーグでは,いまのところ永瀬拓矢九段が4連勝で先頭を走っており,菅井竜也八段が31敗で追いかけています。羽生善治九段も32敗で挑戦の可能性が残っています。次の永瀬・羽生戦が大きな勝負となります。棋王戦も同じころに行われますが,こちらはベスト4がでそろい,豊島将之九段,広瀬章人八段,伊藤匠七段,本田奎六段が残っています。伊藤七段はこちらでも挑戦の可能性が残っています。連続挑戦の可能性は十分にあります。棋王戦は,ベスト4以上では敗者復活戦があり,2敗で敗退ということになっています。

2023年11月10日 (金)

考える力

 昨日,NHKの朝のニュースで,「夏の甲子園が示したもの 野球が育む『考える力』」で,優勝した慶應義塾高校の練習スタイルが紹介されていました。キャッチボール一つとっても,個人が自身で課題をみつけ,考えながらやっているということで,そんなの当たり前ではないかという気もしますが,おそらくこれまでの高校野球のスタイルからすると超例外的なのでしょう。有力高校になると,監督が君臨してすべての練習メニューを考えて,そのとおりに選手も練習するということのようであり,慶応方式は,それとは対極的に監督は指示せず,選手に考えさせるというのです。別の高校では,練習試合で監督はサインは出さないそうです。選手に考えさせ,そこでの失敗は折りこみ済みで,失敗したあとに反省して考えることが大切だという方針で臨んでいるようです。練習試合が終わった後,「アフターマッチファンクション」という,将棋でいえば感想戦のようなことをやって,対戦したチームと一緒にその日の試合を振り返り,互いに意見を交換するということもしていました。
 高校野球が教育の一環である以上,「野球しかできない」では困るのです。社会人としてやっていけるような人材を育成することができなければ意味がなく,その観点からは,こうした取組みはすばらしいと思いました。
 「考える」というのは,高校野球だけでなく,日本社会全般において,とくに重要なキーワードです。学校では,実は「考えるな」という圧力をずっと受け続け,社会に出てもそれは続きます。大学教員に対しても「考えるな」という圧力があります。研究者は「考えること」が仕事なのですが,そういう仕事をしている者でも,組織というものに所属すると,「考えるな」(黙って従え)と言われることが多いのです。大学ですらそうですから,日本社会において「考えない」というのは,なかば(ネカティブな意味での)日本文化になってしまっているように思います。
 しかしAI時代の到来で「考えない」人間は,機械の下僕になりさがるだけです。社会が大きく変わるなか,常識は一変し,既存の組織も大きく変容します。そこで生き残るために必要なのが「考える力」です。拙著『会社員が消える―働き方の未来図』(2019年,文春新書)では,デジタル社会やAI社会が到来し,人々の生き方や働き方が大きく変わるなか,最後に人間にとって大切なのは「考える」ということだという,ある意味では平凡すぎるのですが,しかし日本社会においてとても重要と思える結論にたどりついています。考えなくてすむのは,社会があまり変動せず,保守的な価値観だけで十分にやっていける時代だけです。激動の時代には,自分たちでこれまでの常識や価値観を疑い,そこから考えていくことがどうしても必要となるのです。
 高校野球のような古い教育方式が濃厚に残っていそうな領域で,個人の考える力を養う教育がなされているのは,とても素晴らしいことです。もし,こういうスタイルが日本中の教育機関に広がっていけば,日本の未来は暗くないと思いました。

2023年11月 9日 (木)

還暦

 コロナ禍で中断していた高校時代の旧友との年2回の飲み会(まあ,プチ贅澤グルメの会という感じでしょうか)を,この夏に復活させたのですが,これまで4人で集っていたのが3人に減ってしまいました。友人といっても,年賀状を廃止した私は基本的には連絡をとっておらず,この飲み会のときにだけ会うという薄く長い関係なので,その間に彼(Mと呼びます)が死亡していたことに気づきませんでした。仲間の一人が自宅まで行ったところ,すでにMの自宅は処分されていたとのことでした。昨年のことであったようで,Mは還暦までたどりつけませんでした。
 Mは子どものときから秀才のほまれ高く,東大文1⇒法学部というエリートコースを歩んでいたのですが,どういうわけか司法試験には縁がなく,本人の能力をまったく活かせない仕事にずっとついたままでした。昨日,司法試験の合格発表がありましたが,旧試のころは,ほんとうに狭き門で試験地獄に陥る人が少なくありませんでした。貴重な頭脳が無駄になってしまったと思わざるをえません(本人は気にしていなかったような気もしますが)。いまでは試験回数の制限がありますが,もっと早く設けていてほしかったですね。
 Mは,最後に会った2020年2月に,その年の3月でリタイアすると言っていました。お金も十分に貯めたということでしょう(いま流行りのFIREですね)。その後は,自家菜園などで悠々自適の生活を送っていると思っていましたが,おそらく病気だったのでしょう。残念なことです。独身で子どももいませんでした(おそらく)。
 年に2回という付き合いだったものの,ぽっかり穴があいたような気分です。還暦にもなると,そろそろそういう同世代の人が増えてくるのかもしれません。飲み会の仲間は,私以外には,私よりももっと社会に役に立たなそうことをやっている英文学者と,社会にたぶん貢献しているであろう精神科医だけとなり,企業人などは周りにいないので,話題は仕事の話はほとんどなく,健康のことや子どものことなどです。Mがいなくなると,いっそうそうなるかもしれません。昔はワインのボトルをガンガン空けていましたが,お酒の量も先日は少し減ったような気がします。着実に体力は衰えてきていますが,まだ先は長いです。ここまできたら,無理をせず,マイペースな生活を続けて,Mの分も長生きしたいなと思います。

2023年11月 8日 (水)

インフルエンザ予防接種

 本日はインフルエンザの予防接種を受けました。毎年受けています。副反応が生じたことがないので,とにかく安心のために受けていますが,接種しなくてもよいかなという気もしています。いまは大学で低料金(それでも値上がりしていますが)で,接種できていますが,定年後はそうはいかなくなるでしょう。ただ,神戸市のHPをみると,65歳以上になると,少なくとも今年は1500円で受けられるようなので,大学で受けるよりも安いですね。ありがたいことです。ただ,よく考えると,これでよいのかという気もします。
 インフルエンザの予防接種を通常の医療機関で受けると,価格はまちまちです。大人数家族で高額の予防接種費用を払っているという家庭やあまりに高いので予防接種を受けられないという家庭があるという話も聞いたことがあります。保険がきかない自由診療の世界では,こういうことになるのです。国民皆保険が実現する前は国民の約3分の1は公的な医療保険がないなかで生きていました。医者にかかることは簡単ではなく,少々の病気なら我慢していたのでしょう。公的保険に加入できている人といない人の差は大きかったと思います。国民皆保険は強制保険ということで強引なものではありましたが,チャレンジングな社会実験をし,それに成功したといえるでしょう。
 今日では,次々と開発されている高度医療が保険診療でないことが多いので,それを利用できる人とそうでない人との間の新たな格差問題が出てきています。難病の人の治療が保険対象外で高額になることは,やむを得ない面もあるのですが,やはり考えさせられます。医療機関では,必ずしも医師にかからなくてもよいのではと思われるような人が,安い費用で緊急性がそれほどない治療を保険適用で受けているのです。予防面ではとてもよいことなのでしょうが,そういうことが保険財政面での余裕をなくし,難病の人にしわ寄せが行っていないかが心配です。
 以前に日本経済新聞で,「広がる子供の医療費無料化,過剰受診も 見直しは進まず」(2023219日電子版)というタイトルで,子ども医療費の無料化が過剰な医療を引き起こしているという記事が出ていました。適度な自己負担が効果的ということです。神戸市をみると,3歳になるまでは無料で,3歳から高校生までは,自己負担は2割ですが,1日最大400円で月2回までの負担であり,3回目以降は自己負担なしです。子をもつ家庭にはとてもありがたい制度ですが,少し寛大すぎるのではないかという気もします。
 ただでさえ少子化で患者が減少するなかで,余計なことを言うなと医師の方からも叱られそうですが,医師の処遇改善は別途に政府に考えてもらうとして(いまの厚生労働大臣はそういうことをするのにぴったりの人でしょう),私たちはできるだけ病気にならない身体をつくることを考えなければならないのでしょう。
 いまの子どもは乾布摩擦とかしないかもしれませんが,医者に簡単にかかれなかった時代は,様々な民間健康法や食事で病気の予防を図っていたのだと思います。大家族であれば,まさにそうすることが生活防衛のためにも必要なのです。民間健康法などで防ぎきれないこともあるでしょうが,まずは,保険があるから医師にかかっておこうというのではなく,個人が病気の予防を図るようできるだけ努めるのが大切なのではないかと思います。とくに子どもたちは,身体を鍛錬するためにも,医療費の寛大な助成があるからといって,安易に医療機関にかからせないようにすることが親には求められているように思います(もちろん,ほんとうに必要な場合は利用すべきですが)。
 ということで,私もインフルエンザの予防接種が安くできるからといって,安易にそれに頼らずに,インフルエンザにかかりにくい身体をつくるように努めたいと思います。

2023年11月 7日 (火)

自己責任の覚悟

 学部の少人数授業(2年生向け)で,東芝柳町工場事件・最高裁判決を扱いました。労働法の知識がない法学部生が,この判決をどうみるのかは興味深いところですが,驚いたことに,大半はネガティブな評価をしていました。契約で2カ月となっている以上,何回更新しても,2カ月という期間の契約をかわしていたことに変わりはないので,雇止めが実質的に解雇の意思表示とみられ,解雇の法理が類推されるということに違和感があるようなのです。これがLSの授業ですと,最高裁判決に異論を唱える学生はほとんど出てこないのですが,学部学生だと,契約は守るべしというところから出発するので,最高裁判決には賛成できないようです。法学でよく出てくる「実質論」の「いかがわしさ」を直感し,それを拒絶する潔癖感が出ているという言い方もできそうです。もちろん,それは若く未熟な議論と切って捨てることもできるのですが,それは危険なことです。安易に実質論に流れてしまうと,法学にとっての生命線といえる,法律を使った論理的な議論というものが揺らいでしまいます。ただ,法律の使い方としては,実質論をふまえたうえで妥当な結論を出すことも大切だということを学生たちに知ってもらう必要があります。最高裁が,形式論と実質論のバランスをどうとってきたかを,本講義で(批判的に)学んでもらえればと思っています。
 ここ数回の授業でふと感じたのは,学生たちのなかにみられる自己責任に対する覚悟です。たとえば契約で合意をすれば守らなければならないというのも自己責任ですし,対企業関係では労働者は弱者であろうという労働法を学習した後は常識となることについても,学習前の学生たちは,そこまで労働者は弱者なのか,企業だって中小企業であれば決して強者ではないのではないか,という感覚をもっているようです。とはいえ,自分自身は強者ではないので,これから社会に出ていくのには不安があるとも感じているようです。学習前の学生たちは,労働法のようなもので守られないことを前提に,どうやって自分で生き延びていくかを考えようという姿勢があるように思います。それが,これから労働法を学んでいくことによって,そこまで頑張らなくても労働法で守られているから何とかなると思ってもらっては困りますね。
 かつて『君の働き方に未来はあるか?~労働法の限界と、これからの雇用社会~』(2014年,光文社新書)という本を上梓し,労働法に頼らない働き方について論じたことがある私としては,学生たちがもっている「覚悟」を頼もしく思うと同時に,その気概をこれから学習を深めていっても失わないようにしてもらいたいと思っています。

2023年11月 6日 (月)

日曜スポーツ(つづき)

 昨日は,駅伝の日でもありました。全日本大学駅伝は結果しかみていませんが,駒澤大学が圧勝したようです。団体競技である駅伝にこれだけ負けずに勝ち続けるというのは,驚異的です。2年連続3冠は十分視野に入ってきました。
 全国高校駅伝の兵庫県予選が実施されました。男女ともに須磨学園が勝ちました。どちらも圧勝でした。女子は,須磨学園はもともと強かったのですが,西脇工業も力をつけていて,昨年は男女ともに西脇工業が勝ちました。須磨学園としては,今年は,女子は負けられない戦いでしたし,男子は折田壮太選手という大エースがいて,そのほかにも有望選手がそろっているので,今年はぜひ勝ちたい年であったと思います。一方の西脇工業が,1年生の新妻ツインに頼る感じで,来年が勝負というところでしょう。都大路(今年は12月24日)では,須磨学園は,男女ともに,もちろん上位進出を狙っているでしょう(昨年の西脇工業は男子6位,女子20位)。須磨学園は折田選手以外に,2年生のアンカーの長谷川大翔(ひろと)選手にも注目です。
 ところで,今日はまだ日本一の余韻にひたっているところですが,昨日書き忘れたことがありました。それは第7戦の青柳投手の先発です。多くの人がすでに語っていますが,ここに青柳投手を残していた岡田監督の戦術は驚きです。
 実は日本シリーズの前哨戦となっていた6月のオリックスとの交流戦は,初戦は日本シリーズと同じ,村上対山本で,このときはオリックスの山本→山崎颯一郎の完封リレーで,阪神は敗れました。2戦目は,オリックスは新人の曽谷が先発で,初回から打ち崩して阪神が大勝しました。阪神は,西(勇)が先発でした。3戦目は,伊藤(将)と山岡の先発で阪神が8回まで勝っていましたが,9回に湯浅が,頓宮と杉本にホームランを打たれて逆転負けをしました。ということで,阪神の先発陣では,もともとオリックスにいた西(勇)以外に,村上と伊藤(将)がオリックス戦で投げていましたが,青柳は二軍にいて投げていませんでした。これにより,日本シリーズでは青柳カードを使えることになりました。岡田監督は,日本シリーズの6戦目が始まる前に,先発投手陣のうち,第6戦の先発予定の村上以外に,西(勇),青柳,伊藤(将)に準備をさせていました。そのときは,どう使うのかわからなかったのですが,どうも第6戦は,村上・西,第7戦は青柳・伊藤でいき,最後の3イニングはリードをしていれば自慢のリリーフを総動員という計画だったように思えます。第6戦が必敗になったところで,リリーフ陣は温存し,ついに第7戦で,できれば使いたくなかったかもしれない青柳カードを使うことになりました。使いたくないというのは,今年の青柳の調子からすると,試合を早々に壊してしまう危険があったからです。それに備えて,岡田監督は,残る先発陣のなかで最も信頼できる伊藤(将)を準備させていたのでしょう。この青柳カードが成功しました。青柳は変速のアンダースローで,自滅さえしなければ,そう簡単には打てません。しかも交流戦でも対戦していないので,オリックスの選手は目が慣れるまでに時間がかかります。それじゃ青柳をもっと早く使っていてもよかったような気がしますが,それは信頼度では,第4戦の先発の才木や第5戦の先発の大竹よりは劣っていたので,あくまでも青柳は最後の切り札として残していたのだと思います。青柳は見事に期待に応えて5回途中まで0点で抑えたところで,勝負有りです。しかも点差があいたので,安定感のある伊藤(将)を8回まで投げさせることができ,オリックスに付け入る隙を与えませんでした。監督しだいで,ここまで勝てるチームになれるということがわかったゲームでもありました。

2023年11月 5日 (日)

阪神日本一

 阪神タイガースが日本一となりました。昨日は,山本由伸にやられてしまいました(大リーグでぜひ頑張ってください。岩隈投手のような感じでしょうかね)が,阪神は投手を温存し,最終戦にそなえました。宮城はやはり打てそうになかったのですが,まさかのノイジーの3ランが出たことで,優位に試合を進めることができました。昨日の西(勇)に続き,伊藤(将)を中継ぎに使い,最終回には桐敷も投げさせるなど,シリーズでうまくいかなかった投手にリベンジの機会を与える岡田監督の気遣いはすごいなと思いました。終わってみれば,最終戦は快勝。サトテル以外の選手は躍動しました。オリックスはとても強かったですが,なんとか勝ちきることができました。MVPは近本で納得です。木浪もよかったですが,やはり近本の安定感が際立っていました。近本にまわせばなんとかなるし,近本からチャンスもうまれます。大砲ではないですが,大黒柱です。それ以外にも,森下はとても魅力的な選手ですし,中野も大山も坂本も欠かせない戦力でした。ノイジーは最後の最後で良い仕事をしてくれました。すべては岡田監督の緻密な野球の成果です。MVPは岡田監督でしょう。
 シーズン前は,WBCのだらだらした試合に不満を述べていたのですが,勝手なもので,阪神が勝つ試合をみていると,やっぱりプロ野球(NPB)は面白いと思いました。ということで,幸せなシーズンでした。来年もと期待したくなりますが,贅沢は言いません。いまのところは,今年の日本一で十分という気持ちです。期待して裏切られるのが怖いのです。

2023年11月 4日 (土)

年休取得6割

 11月3日の日本経済新聞で,「有休取得,初の6割超  昨年,義務化が追い風」という記事が出ていました。見出しがわかりにくいですが,令和5年就労条件総合調査(令和4年の調査)で初めて6割を超えて62.1%となり,その原因は2018年の法改正(2019年施行)で5日までの年休の義務化が影響したということです。
 年休の義務化とは,本人が年休の時季指定したり,労使協定による計画年休で定められた日数が,5日に満たない場合には,5日までは使用者が時季指定して付与しなければならないというものです(労働基準法397項および8項)。つまり企業は,労働者が年休取得を希望しなくても,5日は必ず付与しなければならないのです。これにより,時季指定は基本的には労働者が行うものであるという原則は大きく修正されました(計画年休制度でも,労働者の時季指定権は奪われますが,労働者の過半数代表が同意をして年休日を特定するので,実質はともかく労働者側の関与が残っていました)。
 ただ,これは,日本の年休法制がそもそもおかしかったのです。年休の取得率が低いのは,労働者に一方的に時季指定をして取得しろとする仕組みにあるのであり(もちろん根本の原因は時季指定をしにくい状況があることともいえるのですが),年休というのは,本来,労使が話し合って時季・時期を特定するか,使用者が労働者の意向をふまえたうえで指定するというのでよいのです。時事通信社事件・最高裁判決でも認めているように,労働者がまともに長期継続型の「正しい」方法で年休を取得しようとすると,企業は困ってしまうということです(同判決については,拙著『最新重要判例200労働法(第7版)』(弘文堂)の第112事件を参照)。
 こういうことを言うと,折角の労働者の権利を放棄するのかという反論もありそうですが,現実には年休はようやく6割程度であることをふまえると,使用者の義務として100%を目指したほうがよいのです。現行法の5日までというのは中途半端であり,だから取得率も6割までしか向上しないように思います。私は年休を完全取得させるのは使用者の義務であることをベースに制度を構築すべきであるという立場です。詳細は,拙著『労働時間制度改革』(2015年,中央経済社)200頁以下をみてもらいたいですが,そこで書いたポイントは,労働者の年休は,計画年休でも労働者の時季指定でも完全消化されない場合には,使用者(雇用主)がすべて指定できるとすること,年休の翌年度への繰越は認めないこと,10日間は継続取得とすること,全労働日の8割以上の出勤という要件は削除することです。なお,ホワイトカラー・エグゼンプションが適用されるべきような自立型の労働者については,計画年休導入前(労働基準法の1987年改正前)のように,すべての日数を労働者の時季指定により特定するという方法でよいと考えています(同書207頁)。こういう人は取得したければ取得するということでよく,また時季も労働者が選べるようにしたほうがよいのです。逆にいうと,現行法の当初の規定は,ホワイトカラー・エグゼンプションの対象となるべきような人に適したものであったのです。
 もし労働時間制度について本気で改革したいと考えている政策担当者がいれば,ぜひ拙著を読んでもらえればと思います。8年前の本ですが,まだ新たな視点は得られるのではないかと思います。

2023年11月 3日 (金)

日本シリーズ

 11月までプロ野球を楽しめるのはありがたいことです。結果はどうなるかわかりませんが,日本シリーズの第4戦と第5戦の甲子園での連勝で,阪神ファンとしてはとても満足したような気がします。もちろんあと1勝して日本一になってほしいですが,そうでなくても今季の甲子園の最後の2試合で十分に満足することができました。
 今回の日本シリーズはエラーが多いのですが,それでも凡戦になりません。エラーというのは,未熟な選手がやらかすものもあれば(サトテルのサードのエラーはそのタイプです),どんなに名手であってもしてしまうミスというというものもあり,今回の試合はさすがにペナントレースを勝ち抜いてきた強者なので,多くは後者のミスなのでしょう。だから試合がくずれません。
 それでも第4戦は,サトテルのエラーをきっかけに,それまで絶大な信頼が置かれていた桐敷が乱れてしまい,2点差を同点に追いつかれました。それを挽回したのが湯浅で,彼の登場で甲子園が大盛りあがりで,ムードが変わりました。最後はオリックスの外国人投手が落ち着かない投球で,オリックスとしては珍しく脆さをみせた感じです。不調の大山もサヨナラヒットを打って盛り上がりました。サトテルも桐敷も救われたことでしょう。
 第5戦では,7回表に中野と森下のダブルエラーで2点差になったときには,かなり厳しいと思いました。相手の先発投手に手も足も出ない感じだったからです。しかし,ここでも湯浅が8回に登場して3人で抑えてムードが変わりました。しかも8回裏に相手投手が交代して,タイガースのビッグイニングとなりました。大逆転という報道もありますが,2点差であったので,もしかしたらなんとかなるかもという気もしていました。しかし,それにはきっかけが必要です。それが湯浅の登場,そして相手投手の交代,さらに糸原のしぶといヒットで,上位に回ったところで逆転のお膳立てはそろいました。近本は貫禄のタイムリー,そして森下はエラーを挽回するためという意気込みをもって,みごとな逆転2点3塁打でした。新人とは思えません。
 昔の阪神にはなかったような粘りです。阪神生え抜き選手を金本監督時代からきちんと育ててきた成果が出ているのではないかと思います。安易に他球団から選手を補強せず,自前で育て,そして最も阪神に愛をもっている岡田監督の再登板で,とても雰囲気のよいチームが出来上がりました。阪神というとドラフトで失敗してきたというイメージをもっていたのですが,昨日の打順をみると,近本(2018年ドラフト1位),中野(2020年ドラフト6位),森下(2022年ドラフト1位),大山(2016年ドラフト1位),佐藤(2020年ドラフト1位),坂本(2015年ドラフト2位),木浪(2018年ドラフト3位)となっていて,とくにドラフト1位が活躍できているのは他球団と比べても珍しいと思います。代打・代走では糸原(2016年ドラフト5位),島田(2018年ドラフト4位),小幡(2018年ドラフト2位)などで,やはりよい選手をとってきたことがわかります。投手も,現役ドラフトで加入した大竹,オリックスから移籍してきた西勇輝を除くと,村上(2020年ドラフト5位),伊藤(2020年ドラフト2位),才木(2016年ドラフト3位),石井(2020年ドラフト8位),桐敷(2021年ドラフト3位),湯浅(2018年ドラフト6位),岩貞(2013年ドラフト位),西純矢(2019年ドラフト1位),岩崎(2013年ドラフト6位),島本(2010年育成ドラフト2位),そしてまだ登板していない青柳(2015年ドラフト5位)など,やはり生え抜き中心です。京セラドームでは,タイガース愛をもった監督と選手たちで,悔いのない戦いをしてほしいです。相手は日本を代表する大エースの山本がリベンジを果たすために立ちはだかるでしょう。もしそこで負けると,最後は第2戦でやられた宮城が出てきます。いまのタイガース打線では,左腕の宮城のほうが大変かもしれないので,第6戦で決めたいところです。なんとかロースコアの接戦に持ち込んで,ワンチャンスで勝つしか可能性がないように思いますが,どうなるでしょうか。ビジターといっても京セラドームはホームゲームとしてもやっています。先攻になるのは少し不安ですが,ファンの後押しは十分期待できるでしょう。

2023年11月 2日 (木)

労災保険の特別加入の拡大

 今朝の日本経済新聞のトップニュースは,労災保険の特別加入を,原則として,フリーランスの全業種に拡大するという内容の記事でした。フリーランス新法の附帯決議を受けたものですが,これは労災保険制度の根幹に影響を及ぼす大きな政策変更といえます。今後,労働政策審議会の労働条件分科会(労災保険部会)で検討されるのでしょうが,そこですでに出されている資料では,論点を「1 加入対象業務と保険料率の設定」,「2 特別加入団体の在り方」,「3 災害防止措置の内容」としています。しかし,論点1のなかの「加入対象業務」と「保険料率の設定」という技術的な問題とは分けて議論してもらいたいです。
 厚生労働省の資料のなかにもありましたが,創設時の特別加入制度の趣旨は,次のように説明されています(労働者災害補償保険審議会 昭和401020日)。
 「特別加入については,業務の実態,災害の発生状況等から,労働基準法の適用労働者に準じて保護すべき者に対し,特例として労災保険の適用を及ぼすのが制度の趣旨であるので,その実施に当っては,いやしくも労災保険本来の建前を逸脱し,あるいは制度全体の運営に支障を生ずることのないよう,あくまで慎重を期する必要がある。 かかる見地から,特別加入者の範囲については,業務の危険度ないしその事業の災害率に照らし,特に保護の必要性の高いものについて考慮するとともに,特別加入者の従事する業務の範囲が明確性ないし特定性をもち保険業務の技術的な処理の適確を期しうるかどうかを十分に検討すべきであり,また将来全面適用となるべき労働者についての保険加入の促進にも資するよう配慮する必要がある。」
 ここには特別加入制度は,その対象をきわめて限定的なものとする趣旨が明瞭にあらわれています。社会保険(健康保険や国民健康保険)と違う労災保険制度の存在意義を明確にするという意味もあったと思われます。しかし,今回の改正が,希望するすべての特定受託事業者を特別加入制度の対象とするとなると,それはたんに,これまでやってきたような少しずつ特別加入の対象カテゴリーを広げていくということ(これは対象範囲の量的な問題です)とは違い,この制度の性質,ひいては労災保険制度それ自体も質的に変えてしまうおそれがあります。
  労災保険制度は,原理的には,職業上の危険というものがベースにあり,雇用労働者はその危険にさらされるから,危険が顕在化したときには使用者の無過失責任で補償されるというものです(労働基準法上の災害補償責任の責任保険)。特別加入制度は,使用者の責任というものは関係ありませんが,雇用労働者と同様の職業上の危険があるということで,任意で自分で保険料を負担するのであれば,例外的に労働者とみなして補償対象としていたのです。しかしフリーランスをみんな特別加入させるのであれば,職業上の危険は度外視されることになり,もはや労災保険制度の依って立つ原理は失われることになるでしょう。
 また,これは労働者性の問題とも密接に関係しています。特別加入の対象者は労働者でないことが前提ですが,労働者か労働者でないかをめぐる紛争は後を絶たないのであり,その点にメスをいれないまま,労働者でない人を前提とした制度を拡充していくことでよいのかも気になります。
 全フリーランスを特別加入せよという結論だけを与えられて,その解答をどううまく書くかを考えるだけの審議会では困ります。この問題については,ぜひ理論的体系性も軽視しないでもらえればと思います。もちろん,特別加入制度を設けても,自分で保険料を払ってまでして労災保険に加入したい人はそれほどいないだろうから,別にたいした影響はないというようなことで制度改正を安易に進められても困ります(そんなことはないと信じていますが)。問題はそういう実際上の話ではなく,理論的なところにあるからです。

2023年11月 1日 (水)

塾講師の性犯罪

 娘をもつ親としては,いろんな「先生」による性犯罪からいかにして娘を守るかはとても重要な問題です。先生は,先生というだけで優越的地位にあるので,そこから子どもを守るのは簡単なことではありません。しかし保護者としては,先生と呼ばれる人のなかには,子どもを性的な対象とみている人が少なからずいることを知っておかなければならないでしょう。四谷大塚で起きた性犯罪は,決して特異な事件ではなく,どんな子どもにも降りかかるかもしれない事件だと考えておく必要があります。社会経験が未熟な若い男性と女児との接触は,とても危険なことといえます。
 東洋経済オンラインで,中野円佳さんが「四谷大塚『女児盗撮事件』で見えた性犯罪抑止の穴―『大人2人共謀という事態にどう立ち向かうか」で書いているのは,子どもに知識をつけることの重要性です。犯罪に遭いそうになったときの対策も含む「包括的性教育」が大切だということです。性教育を「寝た子を起こす」として忌避するのではなく,むしろ子どもの学ぶ権利の保障という観点でみるべきなのでしょう。
 塾の講師というのは,とくに公的な資格があるわけではないので,親もよく考えなければなりません。英会話学校でしたら,外国人講師について,そのバックグラウンドがよくわからないことが多いので,それなりの警戒心をもっていますが,塾講師については,なんとなく頭のいい人たちというイメージで簡単に信頼してしまうところがあるのではないかと思います。
 この事件をきっかけに日本版DBSの議論を本格的に進める必要があるでしょう。 

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