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2023年10月 8日 (日)

労災保険制度の理論的研究を深めよ

 労災保険の特別加入については,フリーランス政策で厚生労働省が最も貢献できるところ(?)と考えたのか,その対象拡大に積極的でしたが,ついにフリーランス新法の附帯決議に,希望者全員というような注文がついてしまい,大変なことになってきました。従来の政策との整合性を重視することから,すでに労政審建議で出された「社会経済情勢の変化も踏まえ,特別加入の対象範囲や運用方法等について,適切かつ現代に合った制度運用となるよう見直しを行う必要」があるという部分を根拠にして検討を始めているようです。ひょっとすると特別加入の制度趣旨を根本的に変えてしまおうとしているのかもしれませんが,これはそう簡単にやってはならないと思われますので,今後の労働条件分科会(労災保険部会)での議論の動きをしっかりチェックする必要がありそうです。
 特別加入制度については,私は「キーワードからみた労働法」(日本法令「ビジネスガイド」)の202111月号でも採り上げており,その特例的な位置づけから逸脱する動きに疑問を投げかけています。その執筆時には,ここまで拡大論が広がるとは思っていなかったので,フリーランスに対するセーフティネットという観点から,特別加入制度の拡大という手法は不十分ではないかということを書くにとどめていたのですが,いまのように特別加入の無制限の拡大のような話になってくると,労災保険とは,そもそも何なのかということを議論することが必要となります。フリーランスのケガや病気は,これまでは基本的には国民健康保険で扱っていたものを,ごっそり労災保険で受け入れるとすると,大きな理論的影響があることは必至です(実務的にも,たとえば通達で処理してきた個々の類型ごとの認定基準の策定というやりかたで,今後どこまで対応しきれるのかというような問題があるでしょう)。もっと言うと,労災保険の存在理由はどこにあるのか,ということから考えていかなければならないのです。労災保険については,メリット制の問題などもあり(季刊労働法の最新号の北岡大介氏の論文なども参照),労災保険支給決定の取消訴訟の事業主側の原告適格というような興味深い論点もあるのですが,そういう細かい技術的な論点以外に,そもそも論として,労災保険制度を根本から再考していく必要があるのです。労働者性や業務起因性(とくに脳心臓疾患や精神障害)などは,はなはだしく基準が不明確であり,なんとなくみんなそういうものだと思って慣れてしまっていますが,冷静に考えれば,労働者かどうかに関係なく,業務起因性があるかどうかに関係なく,働く人みんなに公平な補償ができないかという問題意識がでてくるはずです。もちろん労災保険の固有のメリットもありますが,それらも考慮に入れながらも,ゼロベースで考えていくべきなのです。
 いまはネット上に痕跡すらありませんが,かつて労働省で(研究会か,有識者会議か忘れました),労災補償のあり方について根本的に考えるというテーマの会議がありました(名称は忘れました)。岩村正彦先生が座長で,声をかけていただき,当時の神戸大学の同僚であった山田誠一先生もメンバーに入っていました(他に誰がおられたかは,忘れました)。いまから25年くらい前であったと思います。自由に議論をしてほしいということであったので,ほんとうに自由に議論しました。労災保険制度の民営化というのもありうるのではないかという方向で議論が進んでいったと記憶しています(労働省側は,特定の結論をもっているということはなく,委員を誘導することもなく,ほんとうにフリーなディスカッションでした)。しかし途中で担当課長が変わって,なぜか突然終了してしまいました。会議の途中で,議論状況を聴いていた労災関係の担当課長の渋面が印象に残っています。私は労災保険制度を専門には研究していませんが,それ以来,問題意識はずっと持ち続けていました。
 いまは労災保険制度をきちんと研究する人はほとんどいないように思います。JILPTの労働関係図書優秀賞の第8回(1985年)は,岩村先生の『労災補償と損害賠償―イギリス法・フランス法との比較法的考察』(東京大学出版会,1984年)でした。西村健一郎先生の名著『労災補償と損害賠償』(一粒社)が出たのは,1988年でした。それ以降,本格的な理論研究はストップしていないでしょうか(もちろん,山口浩一郎先生の『労災補償の諸問題』(信山社)のような優れた業績はあります)。幸い,2020年にJILPTから,山本陽大さんたちが書かれた「労災補償保険制度の比較法的研究 -ドイツ・フランス・アメリカ・イギリス法の現状からみた日本法の位置と課題」というすぐれた報告書が出ています。こうした業績をベースに,自由で大きな構想をもって,労災保険問題に取り組む研究者が出てきたらいいなと思います。

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