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2023年10月24日 (火)

的外れのフリースクール発言

 東近江市の市長が,フリースクールへの財政支援に対して批判をしたことがネット上で話題となっています。本人は問題提起のために一石を投じたつもりでしょうが,常識のある普通の国民は無理してでも子供を学校に行かすよう努力しているとの発言は余計です。こういうことを言いたがる爺さんはいるけれど,自分が恥をかくだけです。自分は「常識のある普通の国民」と思っているのでしょうかね。
 あの戦争だって,常識のある普通の国民なら戦争に協力すべきだということから,国民は戦争に巻き込まれていったのです。その場の雰囲気で通用しているかもしれない常識が間違っているかもしれないという批判精神がなければ,社会は間違った方向に進んでいくのです(日本社会を支配してきた「空気」については,山本七平『「空気」の研究』を参照)。
 もちろん,常識のすべてがおかしいわけではありません。でも,常識のなかに,どこかおかしいものがないかを見分けるのが知性であり,そのためには教養が必要です。
 この市長は法学部出身だそうですが,法律は常識を強制するものととらえる人もいますが,ぜんぜん違うのです。私はいまでも忘れられないのは,憲法の樋口陽一先生が,憲法の講義の最後に,一番大切なのは,なぜ基本的人権が大切かを常に考え続けることだという趣旨のことをおっしゃったことです。正確な表現は違っていたかもしれませんが,先生が講義のなかで教えてこられたことについて,最後に,それが正しいかは自分たちで批判的に判断しろとおっしゃったのです。ここに法学的思考のエッセンスが現れていると思います。何が正義かは常に問い続けなければならないのです。基本的人権のような,一見普遍性があるようなことであっても,そうなのです。この市長が考えているような,「子ども学校には通うもの,親は子を学校に通わせるもの」というたぐいの常識となると,もっと根拠があやしいもので,常に問い続けることが必要なのです。
 もちろん,行政の長になれば,現行ルールを前提にしなければ執行ができないので,在任中はそれにしたがうことになるのはやむをえません。それがいやならそういう仕事につかなければいいのです。しかし,今回の市長は,文科省の方針に反対しているので,現行ルールに背を向けて,独自に自分の見解を述べているのです。それだけで市長として失格でしょうし,しかも常識にしたがえという無知性な態度をとっている点で,二重に失格です。
 フリースクールに通う子が出てくるのは親の責任というのは,大きな誤解です。かつてNEETが話題になったときに,本人の問題であるとして,NEETに冷ややかな視線が向けられたことがありましたが,いまではNEET問題は労働市場の構造や不十分な雇用政策など本人以外のところに主たる原因があるというのが共通理解だと思います。国や行政は,すぐに国民の責任にせずに,まずは自分たちに非がないかということを考えるべきでしょう。子どもが普通の学校に行かずに,もっと自由な環境で学べるフリースクールに行きたがるのはなぜか,なぜ親がそれを認めたり,奨めたりするのか。それは学校側,さらには教育側に原因があるのではないかという視点をもって,問題にとりくむのが誠実な態度でしょう。文科省もそのことを意識しているから財政支援をしているのだと思います。
 こういう無知性な市長が出てこないようにするためにも,好きな学校に行って多様な価値観を身につけ,偏狭なものの見方にしばられないようにすることが大切だと思います。保守層は価値の多様化に批判的ですが,彼ら,彼女らが維持しようとしているものの大半は,それほど古い歴史があるものではありません。これからの時代の教育は,むしろ教養ある者による寺子屋的なものであってよいのです。まさにフリースクールです。もし普通の学校に来てほしいのなら,まずは公立学校を魅力的なものにするよう尽力するというのが,市長のやるべきことでしょう。

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