アムール事件
大学院の授業で,フリーランスに対するハラスメントで安全配慮義務違反を認めたとする裁判例(アムール事件・東京地判2022年5月25日)を採り上げました。安全配慮義務は,もともと「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間」における信義則上の義務として一般的な射程をもつものですので(最3小判1975年2月25日。拙著『最新重要判例200労働法(第7版)』(弘文堂)の第120事件),業務委託契約関係のみがあり,雇用関係がない場合でも適用されてもおかしくありません。労働契約に類似のものについては,労働契約法5条の類推適用という言い方もできると思います。もっとも労働契約に引き付けなくても,安全配慮義務の射程は広いものであり,たとえば運送契約とか,そういう取引関係でもあてはまりうるものだと思います。その意味で,業務委託契約関係において安全配慮義務が認められるためには,アムール事件で言及しているような「実質的な指揮監督」という要素は必ずしも必要ではないと思います(実質的な指揮監督があったら,安全配慮義務違反が認められやすくなるという事情はあると思いますが)。判例には,重層的下請関係があるような場合の元受企業が下請企業に対して負う安全配慮義務については,実質的な指揮監督関係に言及するものはあります(最1小判1980年12月18日,最1小判1991年4月11日。後者は,前掲・拙著の125事件)が,1対1の業務委託契約の場合において,安全配慮義務を認めるうえでは,この判例の射程は及ばず,実質的な指揮監督とは異なる判断基準が適用できないかが検討されるべきでしょう。
安全配慮義務が雇用契約・労働契約の「専売特許」でないとすると,そうした指揮監督や指揮命令の呪縛から解かれてもよい気がしますが,ただどこまで義務の射程が広がるかは気になるところで,今後の理論的課題でしょう。
ところでアムール事件をみていると,フリーランス新法がなぜ制定されたかということがよくわかる気がします。契約書をきちんとかわしてくれない,報酬をきちんと支払ってくれない,納入した物(このケースでは,文章)に文句をつけて受領しないというような,下請法がもともと問題としていて,でも下請法の適用範囲にならないから保護されないという典型ケースであるように思います。それに加えて,ひどすぎるセクシュアル・ハラスメントが付着している事件です。
安全配慮義務違反というかはともかく,本件において,会社も,その代表取締役(加害者本人)も損害賠償責任を負うのは当然ですが,今後のフリーランスのハラスメントからの私法上の保護という問題を考えるうえでは,ハラスメント以外の要素である,いわば取引上の優越的地位からくる問題を,どのように考えるかが重要でしょう。フリーランス新法14条1項3号は,「取引上の優越的な関係を背景とした言動であって業務委託に係る業務を遂行する上で必要かつ相当な範囲を超えたものにより特定受託業務従事者の就業環境を害すること」に対する必要な措置を講じる義務を,特定業務委託事業者に課しています。ここではいわば「取引上のパワハラ」というようなものが考慮されていますが,こうしたものがどこまで損害賠償責任の対象となるのか,その前提となる義務違反というものをどのようなものと考えるべきなのかが気になるところです。広義の安全配慮義務に押し込むのか,裁判例において発達してきた職場環境配慮義務に組み入れるのか,それともより広義の就業環境配慮義務のようなものを措定して,雇用関係の有無に関係なく広く就業者に対して,契約の相手方は就業環境に配慮する義務があり,フリーランス新法14条1項各号に挙げられているハラスメントの場合には,この義務に違反したかどうかをみることにするか,というようなことが考えられます。もっとも,この最後のアプローチでも,就業環境配慮義務違反があったとされるためには,さらに具体的な要件がそろう必要となると思われるので,どのような場合に義務違反が成立するかを検討することが今後の課題となりそうです。