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2023年10月の記事

2023年10月31日 (火)

アムール事件

 大学院の授業で,フリーランスに対するハラスメントで安全配慮義務違反を認めたとする裁判例(アムール事件・東京地判2022525日)を採り上げました。安全配慮義務は,もともと「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間」における信義則上の義務として一般的な射程をもつものですので(最3小判1975225日。拙著『最新重要判例200労働法(第7版)』(弘文堂)の第120事件),業務委託契約関係のみがあり,雇用関係がない場合でも適用されてもおかしくありません。労働契約に類似のものについては,労働契約法5条の類推適用という言い方もできると思います。もっとも労働契約に引き付けなくても,安全配慮義務の射程は広いものであり,たとえば運送契約とか,そういう取引関係でもあてはまりうるものだと思います。その意味で,業務委託契約関係において安全配慮義務が認められるためには,アムール事件で言及しているような「実質的な指揮監督」という要素は必ずしも必要ではないと思います(実質的な指揮監督があったら,安全配慮義務違反が認められやすくなるという事情はあると思いますが)。判例には,重層的下請関係があるような場合の元受企業が下請企業に対して負う安全配慮義務については,実質的な指揮監督関係に言及するものはあります(最1小判19801218日,最1小判1991411日。後者は,前掲・拙著の125事件)が,11の業務委託契約の場合において,安全配慮義務を認めるうえでは,この判例の射程は及ばず,実質的な指揮監督とは異なる判断基準が適用できないかが検討されるべきでしょう。
 安全配慮義務が雇用契約・労働契約の「専売特許」でないとすると,そうした指揮監督や指揮命令の呪縛から解かれてもよい気がしますが,ただどこまで義務の射程が広がるかは気になるところで,今後の理論的課題でしょう。
 ところでアムール事件をみていると,フリーランス新法がなぜ制定されたかということがよくわかる気がします。契約書をきちんとかわしてくれない,報酬をきちんと支払ってくれない,納入した物(このケースでは,文章)に文句をつけて受領しないというような,下請法がもともと問題としていて,でも下請法の適用範囲にならないから保護されないという典型ケースであるように思います。それに加えて,ひどすぎるセクシュアル・ハラスメントが付着している事件です。
 安全配慮義務違反というかはともかく,本件において,会社も,その代表取締役(加害者本人)も損害賠償責任を負うのは当然ですが,今後のフリーランスのハラスメントからの私法上の保護という問題を考えるうえでは,ハラスメント以外の要素である,いわば取引上の優越的地位からくる問題を,どのように考えるかが重要でしょう。フリーランス新法14条1項3号は,「取引上の優越的な関係を背景とした言動であって業務委託に係る業務を遂行する上で必要かつ相当な範囲を超えたものにより特定受託業務従事者の就業環境を害すること」に対する必要な措置を講じる義務を,特定業務委託事業者に課しています。ここではいわば「取引上のパワハラ」というようなものが考慮されていますが,こうしたものがどこまで損害賠償責任の対象となるのか,その前提となる義務違反というものをどのようなものと考えるべきなのかが気になるところです。広義の安全配慮義務に押し込むのか,裁判例において発達してきた職場環境配慮義務に組み入れるのか,それともより広義の就業環境配慮義務のようなものを措定して,雇用関係の有無に関係なく広く就業者に対して,契約の相手方は就業環境に配慮する義務があり,フリーランス新法14条1項各号に挙げられているハラスメントの場合には,この義務に違反したかどうかをみることにするか,というようなことが考えられます。もっとも,この最後のアプローチでも,就業環境配慮義務違反があったとされるためには,さらに具体的な要件がそろう必要となると思われるので,どのような場合に義務違反が成立するかを検討することが今後の課題となりそうです。

 

2023年10月30日 (月)

無人タクシーに思う

  少し前のことになりますが,1020日の日本経済新聞で,「無人タクシーホンダ先陣 GMと,26年に都内で開始 人手不足解消に期待」というタイトルで,「ホンダが日本の無人タクシーの実用化で先陣を切る。19日,米ゼネラル・モーターズ(GM)と2024年前半に共同出資会社を立ち上げ,26年から東京都内中心に運行すると発表した。無人タクシーは人手不足解消の切り札として期待される。」という記事がでていました。ライドシェアへの期待をたびたび書いてきましたが,もちろんAI時代のモビリティは無人タクシーということになります。
 そうなるとタクシー運転手の仕事はなくなるはずです。ただ,それがいつ到来するかは未知数でした。私はもっと早く到来するかと思っていましたが,そう簡単ではないようです。技術的な理由よりも,規制面のハードルが高いのかもしれません。安全性に関する懸念はいつものことですが,すでに人間の運転よりもはるかに安全なレベルには到達しているようです。最近,California州の当局は,GM傘下のクルーズ社のタクシーの無人走行を停止する措置を出したようです。他の車にはねられて道路に放りだされた人を轢いてしまったり,緊急走行の消防車と衝突したりする事故があったことが理由ですが,人間であったら避けられた事故かどうか,こうした事故がAI運転に内在する危険の顕在化とみることができるのかなど慎重な検討が必要と思われます。
 ホンダにはぜひ頑張ってほしいですが,気になるのは雇用への影響です。生成AIで再び関心が高まったかと思われたAIによる雇用代替の可能性について,いま政策面でどれくらい真剣に議論されているかよくわかりません。タクシードライバーの仕事がなくなるという事例を皮切りに,いったいどのようにして雇用危機が起こらないようにするかについて検討してもらいたいです。生成AIに対する政策課題は,産業への活用や倫理面からのルール作りなどに目が向きがちですが,そこから先のこともまた想像しなければなりません。これは私が『AI時代の働き方と法』(2017年,弘文堂)や『会社員が消える』(2019年,文春新書)で力説してきたことです。はやく対応を始めなければ,手遅れになります。
 日本企業のデジタル技術開発には期待していますが,これをサポートする雇用政策が脆弱であれば大変なことになるでしょう。

2023年10月29日 (日)

桃色争議の結末

 NHKの朝ドラ「ブギウギ」の桃色争議は,結局,会社が折れて終結しましたが,争議の主導者(礼子)とその盟友(橘)がともに退職するという形で決着しました。橘は辞職という感じでしたが,礼子のほうは微妙です。いちおう潔く身を引いたという感じですが,会社が解雇した可能性もにおわせていました。時代としては1930年代前半で,当時の日本における労働組合の弾圧状況は必ずしもよくわかりませんが,教科書的な説明でいえば,正面から労働組合を制限する法律があったわけではないものの,刑法(旧法),治安警察法,行政執行法,警察犯処罰令など,労働組合活動家らを処罰できる規定はあり,実際上,発動されていました。礼子らの桃色争議は,一企業内の争議にとどまったことで,警察沙汰にまではしないという脚本にしたのかもしれません。現行法でいえば,正当な争議行為について,首謀者を解雇するというのは,典型的な不当労働行為となりますね。
 ところでストライキといえば,アメリカの自動車産業のUAWのストライキです。企業が次々と労働組合の要求に応じて,こちらからするとびっくりするくらいの待遇を保障する合意をしています。たとえばフォード(Ford)での25%賃上げというのは,すさまじいです。会社の経営が心配となりますが,そんなことは気にしない産業別組合の交渉力のすごさというところでしょうか。もうすぐEVの時代が来るのであり,すでにTeslaやBYDなどが躍進するなか,将来の見通しが暗い産業で,こういうことをしていて大丈夫でしょうかね。
 DXが進むと,これまでの主要産業が斜陽化しますが,労働者は従来の恵まれた状況が忘れられず,争議行為という最強の武器をつかって自身の処遇を守ろうとします。争議行為は経営が安定しているところであれば,建設的な意味もありますが,衰退産業で徹底的にやってしまうと崩壊を早めてしまいます。争議行為で大幅な譲歩をすれば,株主の目も厳しくなります。賢明なプロ経営者は,とっととその産業を見捨てて転職してしまうでしょう。アメリカの自動車産業の争議から学ぶことは,日本の労使にも少なくないと思います。

2023年10月28日 (土)

コース別雇用

 先週のLSの講義では,『ケースブック労働法(第8版)』(弘文堂)の第17講「雇用差別」を扱いました。そのなかで収録されている判例の一つに兼松事件・東京高裁2008131日判決があります。均等法制定前に採用された女性労働者が,均等法制定後も賃金差別などが残っていたということで,その賠償を求めた事件でした。裁判所は,労基法4条違反を認め,不法行為の成立を認めましたが,損害額の算定は困難ということで,民事訴訟法248条に基づき,1カ月10万円という損害額を認めました。それなりにアクチュアル(actual)な意義をもつ判決であろうということでケースブックに選択されています(私の『最新重要判例200労働法』(弘文堂)でも掲載しています)。ただ当初の男女別コース制は,いまの時代からは考えられないような男女の異別取扱いであり,しかも均等法制定まではそれが公序良俗に反しないと判断されていることもあり,とても古い時代の事件だなという印象もあります。判決が出たのは,それほど古い話ではないのですが,内容が古いのです。現代の雇用差別の事件となると,ハラスメント関連の判例に重点をおいて授業をしたほうがよいかもしれませんね(もちろん,ハラスメント関連の判例も扱いましたが)。
  とはいえ,男女のコース別は歴史的な話であり,現実にまったくないかというと,実質レベルでみると,そうは言い切れません。むしろ男女別の雇用管理というものを完全になくすことは,とても難しいようにも思えます。最近でも,巴機械サービス事件(このBlogでも,以前に地裁判決のほうをとりあげた記憶があります)に出てくるような,実際上は,総合職は男性で,一般職は女性というような取扱いがなされている場合は少なくないような気がします。この事件では,女性は説明を受けてわかったうえで一般職に就いているとされ,コース別雇用が均等法5条違反とはされませんでしたが,その後のコース転換の運用が不十分であるとして,均等法63号違反とされました(東京高判202239日。1審と同じ)。兼松事件でも,コース転換の運用に問題があるとされました。
  兼松事件の場合は,入り口の男女別については,均等法前という時代背景もあって適法とされ,巴機械サービスのような平成に入って以降のものについては説明がきちんとされているから適法とされていますが,どちらも女性への総合職への転換のチャンスの与え方に問題があり,そうなると男女差別となるということです。制度の運用がきちんとされているかが,裁判所にチェックされるということです。
  もっとも,競争にさらされている民間企業では女性差別などをしていると,評判が下がりますし,それだけでなく,企業の業績を真剣に向上させたければ女性労働力を粗末に扱うなどできるわけがありません。いつも言うように,DX時代は女性のほうが相対的に力を発揮しやすい可能性があります。そうなると男女差別が残るのは,昭和の時代から活躍している企業で, ESG投資などを気にしなくても(当面は)やっていけるような企業でしょう(大企業とはかぎりません)。しかし,そういう新しい時代に適応しきれていない企業が,いつまでも日本の中心に居続けられていては,日本の未来は暗いでしょう。

2023年10月27日 (金)

竜王戦第3局

 竜王戦第3局は,藤井聡太竜王(八冠)が挑戦者の伊藤匠七段に勝ち3連勝となり,防衛に王手となりました。伊藤七段は4連敗だけは避けたいところでしょうが,藤井竜王は八冠に到達したからといって,まったく緩むことはなく,ますます強くなりそうな感があります。
 この対局について,私たちはAIの評価値があるので形勢判断ができますが,もしそれがなければ,伊藤七段の飛車が成りこんで,藤井玉に詰めろをかけているところなどをみると,勝敗は紙一重のところにあり,藤井竜王も危なかったのではないかという気もするのですが,藤井竜王からすれば自玉は詰まず,相手玉を先に詰ますことができることをしっかり読み切っているのでしょう。
 ところでネット情報で,先日の王座戦第4局の藤井竜王・名人の大逆転(八冠を達成した対局)がなぜ起きたのかというのを解説しているものにふれました(FNNプライムオンライン「『6億手読む棋士』藤井八冠誕生の裏に将棋AI凌駕する“魔の一手”AI開発者杉村氏が驚嘆する勝率1%からの逆転劇」)。永瀬拓矢王座(当時)が絶対優勢のなか,なぜ大悪手を指したのかです。私もその対局場面をLiveで観ていましたが,AIの候補手になく,解説者もふれていなかった,5五銀を藤井竜王・名人が指したとき,私は形づくりで,もう負けました宣言をしたと受けとっていました。AI的には最善手ではなく,それどころか,逆転の可能性がそれほど高い手でもなかったのです。しかし,相手は人間です。AIの判断は,相手も最善手を指すことが前提なのであり,したがって,AIからすると4番目や5番目に善い手であっても,相手がそれに対する最善の応手をみつけることが難しいような手であれば,相手が間違える可能性があるので,決して評価値ほどの差はないということです。ここが人間の対局にAIの評価値をあてはめることの難しさであり,逆に藤井竜王・名人のすごいところなのです。相手は人間であるの,人間にとって間違えやすい手(AIからすると勝ちやすいかもしれない手)を指せばよいのです。藤井竜王・名人は,そういう手を指して相手にいわば宿題を投げ続けるのであり,そうすると,いくら強い人間であっても,そのうち一回くらいは間違えるので,そのときにその隙をついて逆転してしまうというところが藤井将棋にはあるのです。
 これが人間どうしの戦いの面白いところなのでしょう。そして,実に高度だけれど,(AIとは違う)人間くさい勝負手を指せるというところが藤井竜王・名人の強さだとわかりました。AIと人間の共生という私自身にとっても重要な課題について,将棋から学ぶことはいろいろあるように思えます。

2023年10月26日 (木)

パワハラ加害者への懲戒処分

 今日の大学院の授業で扱った判例は,東京三協信用金庫事件・東京地判2022428日でした。パワハラ発言を理由に,本部事務部長の地位から考査役職へと降職され,さらに職能資格も降格された懲戒処分の有効性が争われた事件です。パワハラ発言とされる言動をしたとされる労働者は,昭和40年生まれの男性で,発言を受けたのは,昭和50年生まれの総務部人事研修担当の係長の女性でした。結論は,懲戒処分有効というものでしたが,いろいろ考えさせられるところがありました。
 懲戒処分は,懲戒解雇のような雇用終了型懲戒処分だけではなく,より軽い雇用維持型懲戒処分でも,労働者の利益を保護する必要があり,懲戒事由の該当性や懲戒処分の権利濫用性などについて厳格に判断する必要があります。もっとも,ハラスメント系の事件では,第一次的な被害者は別の労働者であり,その利益をまず保護する必要があり,パワハラについても,事業主には労働施策総合推進法30条の2において,雇用管理上必要な措置を講じる義務があると定められていて,さらにパワハラ指針によると「就業規則その他の職場における服務規律等を定めた文書における職場におけるパワーハラスメントに関する規定等に基づき,行為者に対して必要な懲戒その他の措置を講ずること」もこうした措置に含まれています。つまり,パワハラという非違行為に対しては,懲戒処分という労働者にとって不利益性が大きい処分をあえて行うことが事業主に求められているのです。ただ,懲戒処分は,企業秩序の侵害に対する制裁であり,直接的にはパワハラの被害者の利益を守るためのものではありません。実際には,被害者は,パワハラの加害者に対して厳正な処分をするように企業に求めてくることはありますが,だからといって企業がその要請を受け入れなければならないわけではなく,企業のほうは,懲戒法理に基づき,加害者とされる労働者の利益にも配慮しながら,適正に処分をする必要があります。
 もっとも,今日は,パワハラの被害者のためにも,加害者に懲戒処分をせよ,という声が強くなる傾向があるような気がします(実際にそうした処分に値するような非違行為をしていた場合もあるでしょう)。ただ,労働法的には,被害者である労働者の利益も重要ですが,加害者である労働者の利益も重要です。ここのバランスが適正にとられなければ,よい法的解決にはつながらないように思えます。とくにパワハラの場合には,何が違法なパワハラかの基準が不明確であり,さらに事実認定に争いが生じることが多いことも念頭に置く必要があります。
  今回の事件で一つ気になったのは,パワハラ的言動について被害者は30分と言っているけれど,実際には5分であったと認定されているところです。この点について,裁判所は,「経験則上,パワーハラスメントに当たる発言を受けた被害者が,加害者から加害行為を受けた時間を主観的感覚に基づいて実際よりも過剰に申告するということはあり得る」とし,過剰申告があったからといって,供述部分の信用性が左右されるものではないとしています。ここだけとれば,そのとおりという気もしますが,判決全体をみると,加害者側の労働者に厳しい判断がされているという印象を受けないわけではありません。
 パワハラは,加害者個人の行き過ぎた行為による場合もあるでしょうが,基本的にはそうした個人を管理職などに配置していた組織の問題といえます。懲戒処分は,上記のような法律に求められている企業の義務をはたすという意味があるとはいえ,本来的には企業がパワハラが起きないような組織管理をする責任があるのであり,加害従業員に懲戒処分を課すことが,企業の本来的な責任をあいまいにしてしまうことがないようにしなければなりません。企業の職場環境配慮義務には,従業員にパワハラをさせないような(また,それによりパワハラの被害者がうまれないような)人事管理をすることも含まれているのであり,懲戒処分を課さなければならないような事態が生じるのは,企業の人事管理の失敗だといえるのです。そうはいってもパワハラが起きてしまったらどうするかという問題は残ります。上記の事件では,加害者側は管理職として不適格であるという面がありそうなので,人事上の処分としての降格をするということでもよかったかもしれません。

2023年10月25日 (水)

岸田減税に思う

 岸田首相が,昨日,WBSに登場して,経済の成長を阻害しないようにすることが重要だと強調していて,減税はそのための手段ということでした。減税は税収が予想を上回ったため,物価高に苦しむ国民に還元するということのようです。実は所得税を最もきちんと納めているのは源泉徴収のある会社員です。とくに重い税負担を感じているのは,ある程度の収入があり,所得水準が税率20%に上がっていくくらいの層ではないでしょうか。この層の人たちは,富裕層とまでは言えなくても,かなりの税金を支払っており,還元政策には歓迎の声が上がるかもしれません。ただ,低所得者向けの給付金も同時に提供される予定です。ここが問題です。税金を支払っていないか,わずかしか支払っていない層にまで,金をばらまくのとセットの政策では,釈然としないものが残るでしょう。
 もちろん,税制のあり方として,課税所得未満の人々に給付金(一種の負の所得税)を支給する「給付付き税額控除」というものはあります。そのような制度を設計しようというのなら,検討の余地がありますが,今回は選挙目当てに場当たり的にやっている感じです。国民は金をばらまけば喜ぶだろうというようにみえる政策は,おとなしく税金を払ってきた会社員からは反発を生むことになるでしょう。会社員は納税により国のために貢献していると考えて,税負担にも納得しているのです。しかし,ときの政権の選挙対策として税金が使われるとなると話は違います。
 減税は,これまで(いわば受け身で)源泉徴収されてきた会社員の税意識を目覚めさせるかもしれません。まじめに働いて,ある程度稼げるようになって,でも所得税や住民税でかなり持っていかれるけれど,それも国民の義務だと自分に言い聞かせてきたサイレント・マジョリティの多くは,決して自民党の支持層ではありません。その層が本気で動くと,自民党政権はたちまち崩壊することになるでしょう。減税は経済政策として問題があるだけでなく,多くの会社員の感情としても逆効果であり,しかもそれが低所得者の給付とセットとなっていて,その財源も自分たちの支払った税金であるとなると,次の選挙では反与党に結集するかもしれません。この前の日曜の選挙結果には,その兆候が現れています。首相は,簡単には衆議院を解散できないでしょうね。

2023年10月24日 (火)

的外れのフリースクール発言

 東近江市の市長が,フリースクールへの財政支援に対して批判をしたことがネット上で話題となっています。本人は問題提起のために一石を投じたつもりでしょうが,常識のある普通の国民は無理してでも子供を学校に行かすよう努力しているとの発言は余計です。こういうことを言いたがる爺さんはいるけれど,自分が恥をかくだけです。自分は「常識のある普通の国民」と思っているのでしょうかね。
 あの戦争だって,常識のある普通の国民なら戦争に協力すべきだということから,国民は戦争に巻き込まれていったのです。その場の雰囲気で通用しているかもしれない常識が間違っているかもしれないという批判精神がなければ,社会は間違った方向に進んでいくのです(日本社会を支配してきた「空気」については,山本七平『「空気」の研究』を参照)。
 もちろん,常識のすべてがおかしいわけではありません。でも,常識のなかに,どこかおかしいものがないかを見分けるのが知性であり,そのためには教養が必要です。
 この市長は法学部出身だそうですが,法律は常識を強制するものととらえる人もいますが,ぜんぜん違うのです。私はいまでも忘れられないのは,憲法の樋口陽一先生が,憲法の講義の最後に,一番大切なのは,なぜ基本的人権が大切かを常に考え続けることだという趣旨のことをおっしゃったことです。正確な表現は違っていたかもしれませんが,先生が講義のなかで教えてこられたことについて,最後に,それが正しいかは自分たちで批判的に判断しろとおっしゃったのです。ここに法学的思考のエッセンスが現れていると思います。何が正義かは常に問い続けなければならないのです。基本的人権のような,一見普遍性があるようなことであっても,そうなのです。この市長が考えているような,「子ども学校には通うもの,親は子を学校に通わせるもの」というたぐいの常識となると,もっと根拠があやしいもので,常に問い続けることが必要なのです。
 もちろん,行政の長になれば,現行ルールを前提にしなければ執行ができないので,在任中はそれにしたがうことになるのはやむをえません。それがいやならそういう仕事につかなければいいのです。しかし,今回の市長は,文科省の方針に反対しているので,現行ルールに背を向けて,独自に自分の見解を述べているのです。それだけで市長として失格でしょうし,しかも常識にしたがえという無知性な態度をとっている点で,二重に失格です。
 フリースクールに通う子が出てくるのは親の責任というのは,大きな誤解です。かつてNEETが話題になったときに,本人の問題であるとして,NEETに冷ややかな視線が向けられたことがありましたが,いまではNEET問題は労働市場の構造や不十分な雇用政策など本人以外のところに主たる原因があるというのが共通理解だと思います。国や行政は,すぐに国民の責任にせずに,まずは自分たちに非がないかということを考えるべきでしょう。子どもが普通の学校に行かずに,もっと自由な環境で学べるフリースクールに行きたがるのはなぜか,なぜ親がそれを認めたり,奨めたりするのか。それは学校側,さらには教育側に原因があるのではないかという視点をもって,問題にとりくむのが誠実な態度でしょう。文科省もそのことを意識しているから財政支援をしているのだと思います。
 こういう無知性な市長が出てこないようにするためにも,好きな学校に行って多様な価値観を身につけ,偏狭なものの見方にしばられないようにすることが大切だと思います。保守層は価値の多様化に批判的ですが,彼ら,彼女らが維持しようとしているものの大半は,それほど古い歴史があるものではありません。これからの時代の教育は,むしろ教養ある者による寺子屋的なものであってよいのです。まさにフリースクールです。もし普通の学校に来てほしいのなら,まずは公立学校を魅力的なものにするよう尽力するというのが,市長のやるべきことでしょう。

2023年10月23日 (月)

秋北バス事件

 本日の学部2年生相手の少人数講義は,秋北バス事件を取扱いました。いまさら秋北バス事件かという感じですが,秋田のバス会社で管理職に導入された55歳定年制をめぐる紛争が,日本の労働法において最も重要な判例と言われる秋北バス事件・最高裁大法廷判決を生み出したのです。これは,ちょっとしたドラマでしょう。まだ法律の勉強をほとんどしていないはずの2年生相手ですので,法学ってこんな議論をするんだということを味わってもらえればと思っていたのですが,結構面白い意見を述べてくれました。多くの学生が反応したのは「合理性」という概念です。「合理性」って曖昧だよねという意見(色川幸太郎反対意見もそのことは強く述べています)と,社会が変化するのだから,こういう弾力的な概念のほうがよいという意見がありました。企業に対して,合理性というような形で制限をかけるのはいかがなものかという,労働法の洗礼を受けていない段階での学生ならではの率直な意見があったり,他方で,この程度のことで合理性があると言って,労働者が退職させられてしまうのはおそろしいといった感想を述べる学生もいました。法廷(多数)意見は,就業規則では一方的な変更を認めるけれど,あとは労働組合をつくって頑張ってねというメッセージを発しているので,それを受けて,やはり労働組合は大切だという組合関係者が泣いて喜びそうな意見を言ってくれた学生もいれば,労働組合ってそこまで頼りになるのかという疑問を提起する学生もいました。定年制についても,いろいろ議論が出てきましたが,定年と雇用保障との関連性からすると,今日のように転職志向が強くなって雇用保障の意味合いが変わってきているなかでは,定年の存在意義もなくなるのではないかという意見もありました。秋北バス事件・最高裁判決は,当時の55歳定年制が合理的な制度であると述べたという意味もあるのですが,その定年制自体が徐々にその役割を終えようとしているのかもしれません。ということで,実質的に初回となる授業から,秋北バス事件を素材に,実にディープな議論ができました。
 改めてこの判決を読み返すと,3人の反対意見(意見としては横田正俊裁判長と大隅健一郎裁判官の連名の意見と色川意見の2つ)の理論的な筋の強さには,改めて感銘を受けました。私の博士論文の原型も,この反対意見にあるのであり,懐かしい気分になりました。重要判例を読み返すと,やはり得るものが大きいですね。 

2023年10月22日 (日)

KLM事件

 大学院の授業(LSではなく,研究者向け)では,学生が関心ある判例をチョイスして候補をだしてもらい,それを適切と判断すれば,授業で採り上げるということにしています。今回は,KLM Royal Dutch Airlines事件(東京地判2023327日)を扱いました。いろいろ興味深い論点があり,結論の妥当性についても議論の余地がありそうです。
 まず事案として興味深いのが,日本人差別が問題となっている点です。KLMの客室乗務員のうち日本人だけが有期雇用であるのは,憲法14条,労基法3条,OECD多国籍企業行動指針に反するという労働側の主張は,裁判所には認められませんでした。労基法3条についていえば,そこで禁止される国籍差別として主として想定されてきたのは,日本企業が,アジア系の外国人を差別するようなケースだと思いますので,外国企業による日本人差別の場合に同条の適用が問題となるケースというのは珍しいのではないかと思います。
 ただ本件では,労基法3条の適用余地はあったのでしょうか。裁判所は,準拠法のところの判断で,KLMの日本支店は,ほとんど機能しておらず,オランダ本社の中央集権的な支配に服しているという趣旨の判断をしています。その結果,法律の適用に関する通則法(通則法と略)121項による強行規定の適用の判断基準となる最密接関係地法は,オランダ法であるとしているのです。通則法122項によると,最密接関係地法は,労務提供地法と推定され,それが特定できない場合には,雇入れ事業所所在地法と推定されることになります。KLMの日本人客室乗務員の場合,オランダと日本を往復して仕事をし,労務提供地は特定できないことになりそうなので,雇入れ事業所所在地法が最密接関係地法となりますが,本判決は,上記のような日本支店の位置づけを考慮して,オランダ法が雇入れ事業所所在地法であると判断したのです。こういう判断になってくると,労基法の適用を根拠づける「事業」についても,日本支店は,オランダにある本社の事業の一部となり,労基法が適用されないという解釈もありうるような気がします。また労基法の公法的側面と私法的側面を分け,後者は通則法によるとしても,そうすると本判決の立場からは,やはりオランダ法が適用されることになるので,日本法(労基法)は適用されないことになりそうです。授業中は気づかなかった論点ですし,私は何か誤解しているかもしれませんが,あとから気になってきました。
 授業では,KLMが主張し,裁判所も認めた日本人にだけ有期雇用にしている理由(要するに,日本人が乗務する日本線は採算が悪くなればリストラされる路線であること)は,ほんとうに合理的なものとなるのかということに疑問が出されました。とはいえ,そもそもKLMは,準拠法は契約書に明示されているように日本法であると考えていたのであり,オランダ人はオランダ法で,日本人は日本法で処遇しようとしていたのです。これは基本的には望ましいことのようにも思えます。そこで生じた処遇の違いを,差別禁止規制で扱うことについては違和感があるという問題提起もされました。
 問題は,通則法121項に関する結論です。こちらは国際私法の問題なので本来は専門外ですが,労働契約の特例規定(12条)があるので,労働法の立場からも軽視はできません。雇入れ事業所所在地法がオランダ法になるという結論は,通則法では想定されていなかったことではないでしょうか。通則法121項で,主として想定されているのは,外国企業に雇用されて,日本で就労している日本人が,当該企業の所在地の知らない法律を準拠法として選択されてしまうというようなケースであり,そうした準拠法選択は,労働契約に内在する非対等性から,労働者の意に反して事実上強制的になされるおそれがあるので,そんなときでも日本法の強行規定の適用の意思を表示すれば,日本法の保護は受けられるのです。日本人の最密接関係地法が日本法であるということも前提となっています。ところが,本件は日本人から,オランダ法の強行規定の適用を求めたのです。こうした意外なことが起こったのは,オランダ法の有期雇用の無期転換ルールが,日本よりも労働者に有利なものだったからです。
 オランダ民法典668a条では,無期転換の要件がトータル3年か更新3回というものでしたので(同条については,大内伸哉編『有期労働契約の法理と政策―法と経済・比較法の知見をいかして』(弘文堂)の173頁(本庄淳志執筆)も参照。同条はその後の改正があるようです),KLMは日本の無期転換を避けるために5年で打ち切ろうとしたのですが,オランダ法が適用されると,3年を超えているので無期転換が認められ,実際,そうした結論となったのです。
 オランダ民法典668a条が強行規定かというところは,少しツッコミどころがあります。同条については協約によるデロゲーションが認められているので,その点をどう考慮するかです(「集団的デロゲーション」)。個別的デロゲーションが認められているとなると(個別労働契約によるオプトアウトなど),強行規定性は希薄となります(任意規定に近くなる)が,集団的デロゲーションであれば,なお強行規定性は維持されていると解すべきなのでしょうかね。ただ,もし本判決のように,オランダ民法典668a条が日本人客室乗務員にも適用されるとわかっていれば,KLMはオランダの労働組合とデロゲーションの協約を締結していたかもしれないので,その点では,KLMにはやや気の毒な気もします。この点も授業では議論されました。
 もう一つ気になるのが,本件では,客室乗務員が加入する労働組合が,労働委員会のあっせんの場で,契約の更新期間の上限を,日本の無期転換ルールをふまえて,トータル5年とすることについて,KLMと合意していることです。こうした合意をした背景には,KLMが,オランダ側の労働許可の関係で,無期雇用とすることは不可能であるという誤った説明をしていたことなども関係しているのですが,本判決は,労働組合の同意は,動機の錯誤による無効とはならないとしています(錯誤がなくても,労働組合は同意をしていたとして因果関係を否定)。また,この同意は,労契法18条の趣旨を没却するようなものでも,同法19条の潜脱を図ったものでもないと判断されています(そもそも,この事件では,契約のトータルの期間が5年を超えるような期待には合理性がないと判断されています)。
 ただ,本判決は否定していますが,本件を無期転換権の事前放棄の問題とみることもできます。こうした放棄は行政解釈によると無効とされていますが,私が気になるのは,これが労働委員会の場でのあっせんでなされたということです。労働委員会が,合意書の内容形成にどの程度関与したかわかりませんが,私は昔書いた論文で,デロゲーションが認められる要件として,労働者が任意に加入した労働組合,または,労働行政機関において,企業からの情報提供と説明がなされて,当該個人が書面により同意を行うという手続がふまれた場合というのを挙げたことがあります(「従属労働者と自営業者の均衡を求めて-労働保護法の再構成のための一つの試み」『中嶋士元也先生還暦記念論集 労働関係法の現代的展開』47頁以下(2004年))。実務上も,労働委員会の和解やあっせんでは,強行規定に関係するような労働者の権利も譲歩の対象に含む内容の合意がされていることがあると思います。厳密にいうと,こうした合意の有効性には疑義が有りうるのですが,実務的にこれで紛争の解決がなされているのです。それに理論的な根拠を与えるとすれば,労働者の強行規定由来の権利であっても,一定の要件を充足すれば,放棄できるということであり,その一定の要件に,労働組合や労働行政機関の関与が入るのだと思います。本件では,個人ではなく,労働組合が主体となって,かつ労働委員会の関与のあるなかでの合意なので,上記の観点からは,いっそうのこと,無期転換権の放棄だって認められてよいといえそうです。ただし,企業からの情報提供と説明が具体的にどこまで不十分であったかということは気になるので,結論としては,やはり無期転換権の放棄は難しいということになるかもしれません。

 

2023年10月21日 (土)

桃色争議

 NHKの朝ドラの「ブギウギ」を観ています。笠置シヅ子の自伝的な内容のドラマです。朝ドラは,「ちむちむどんどん」以来ですね。主人公の福来スズ子は,小学校を出て自分の将来の道を探すときに,自分は歌と踊りが好きということで,花咲少女歌劇団(モデルは宝塚少女歌劇団)の試験を受け,それに落ちたのですが,梅丸歌劇団の試験を受け(試験日を間違えて,その翌日の受験となりましたが),みごとに特別に合格をもらって,修行を始めました。そして,なんとかプロになれたというのが先週までの話(スズ子は子役が演じています)で,今週からは,そこから6年が過ぎた時代に飛び,スズ子役として,主役の趣里(水谷豊と伊藤蘭の娘)が登場しました。
 ドラマでは,会社は大恐慌の影響で経営が苦しくなり,人員カットと賃金カットを進めてきました。そのようななか,劇団を引っ張ってきた梅丸トップで演出にも取り組んでいた大和礼子(蒼井優)が,ストライキをすることに決め,スズ子たちも加わります。新聞では「桃色争議」として採り上げられ,世間の注目を集めたというところまで話が進みました。
 ストライキに至るまでのシーンが面白かったです。礼子たちは労働組合を結成したというわけではなさそうで,外部からのオルグがあったわけでもありませんが,労働者のごく当然の行動のように,嘆願書を会社に出し,要求が受け入れられなければストライキをすると通告し,会社からのゼロ回答を受けてストライキに突入しました。礼子は,団員たちには,ストライキに参加するかどうかは自由であると告げますが,大半は彼女に従ってストに参加しているようです(いずれにせよ礼子らがいない以上,公演は中止です)。さらに,会社の関係者が,スズ子らの家にやってきて,争議を中止すれば一時金を払うという,わかりやすい争議つぶしのシーンも出てきます。お金をもらってしまって,会社側についた者もいました。この争議がどう決着するのかわかりませんが,今後の展開が楽しみです。
 ストライキをすると観客に迷惑をかけるから止めるべきという盟友の橘アオイ(翼和希)の反対もあるなかで,礼子は自分を大切にするためにもストライキをするのだと言います。なんとなくストライキを人格権とみるイタリア労働法を想起させるようなセリフで,これもよかったです。
 今年は西武・そごうの労働組合のストライキもありました。ストライキに,近年ないくらい関心が高まっているような気がします。ストライキについて,根本的に考えてみたい方は,拙著『雇用社会の25の疑問(第3版)』(2017年,弘文堂)の第5話「労働者には,どうしてストライキ権があるのか」も読んでみてください。

2023年10月20日 (金)

CSファイナル突破

 阪神タイガースが,セ・リーグのCSファイナルを,広島相手に3連勝で,日本シリーズ進出を決めました。シーズン中と同じような感じの接戦を最後はなんとか勝ち切るという戦い方でした。岡田監督がいつも言うように,普通にやって勝ったということかもしれません。先発も,村上,伊藤,大竹という10勝以上トリオでいき,点数差はそれほどついていませんが,広島に負ける感じがありませんでした。おそらく,これが強いチームということなのでしょうね。相手も阪神の威圧感で,自ら転んでしまうという面があったような気がします。阪神ファンにとっては夢のようなときが続いていますが,このまま38年ぶりの日本シリーズ優勝という夢までみさせてもらえればと思います。
 38年前の日本シリーズをWikipediaで確認すれば,西武相手の初戦は池田が完封勝利しています。この試合はよく覚えていて,この年の池田はエース扱いでしたが,頼りないところもあり,あまり信頼していなかったのですが,この日本シリーズの初戦は見違えるような投球でした。3冠王バースが工藤から打った3ランも効果的でした。
 第2戦は外国人で安定的な投球をしてきたゲールが日本シリーズでも好投し,バースの2試合連続のホームランもあり勝ちました。21という僅差でしたが,福間が抑え,中西がしめるというシーズンどおりの試合でした。ちなみに,いまの阪神の抑えは,この福間の役割を,多くの人で分業している感じです。
 第3戦と第4戦は,それぞれ中田と伊藤という,自信をもって送り出せない先発投手で敗れました。中田は,ルーキーのときにそこそこ活躍して,この年は久しぶりに連勝して勢いにのったのですが,安定感は少し不安と思ってみていました。いまは解説者として活躍しています。なお,バースは3戦連発のホームランを打つなど3戦まで活躍していましたが,やはり阪神が勝つためには,掛布,岡田が打たなければなりませんでした。
 第5戦は池田先発で,4回で降板しましたが,掛布の3ランで先制し,福間,中西のリレーで勝って,王手をかけました。
 第6戦はゲール先発で,初回に,その年に大洋から移籍したばかりの長崎が満塁ホームランを打ち,勝負が決まりました。このホームランも記憶に残っています。その後,真弓も掛布もホームランを打って,ゲールが完投して優勝です。
 こうみると後半の長崎の活躍は大きかった気がします。どうしても,バース,掛布,岡田のクリーンアップは警戒されます。しかも1番の真弓もホームランが打てる強打者です。そういうなかで,6番の長崎も打てたことが大きかったでしょう。もっとも,阪神ファンにはあまりなじみのない長崎がヒーローになるというのはちょっと複雑な気分でした。投手は,ゲール以外は安定感がなかったのですが,池田が初戦に好投したり,弱い投手陣を打線が補うという戦い方ができたりしたのがよかったのでしょう。とくに開幕からのバースのホームランは,西武投手陣に大きなダメージを与えたことでしょう。
 今年の阪神は1985年のチームとはまったく違います。打線で勝つという感じはありません。オリックス相手かロッテ相手かわかりませんが,守って勝ち抜く試合をしてくれるでしょう。でもサトテルが,バース並みのホームランを打って勢いづけてくれることも,ひそかに期待してはいます。

2023年10月19日 (木)

竜王戦第2局

  藤井聡太竜王・名人の八冠になったあとの最初の対局は,竜王戦の第2局です。彼は,これからほとんどの対局がタイトル戦になります。タイトル戦以外の対局は,朝日杯将棋オープン戦,銀河戦,NHK杯,将棋日本シリーズになるでしょう。これらの棋戦でも勝ち進んでいて,ひょっとすると八冠+全棋戦優勝という前人未到・空前絶後の大記録も達成しそうな勢いです。とくに進行が早い将棋日本シリーズは,ベスト4まで行っていて,次に永瀬拓矢九段戦が待っています。永瀬九段は,王座戦のリベンジがかかっています。さすがに,全棋戦制覇までされてしまうと,他の棋士は何をしているのかということになりそうです。
 というなかでの,竜王戦第2局ですが,やはり藤井竜王は強かったです。伊藤匠七段は,歯が立たなかった気がします。これで2連勝です。4戦で終わってしまう雰囲気が出てきました。
 順位戦は,藤井名人への挑戦を決めるA級では,豊島将之九段が,難敵の永瀬九段に勝って4連勝です。忘れてもらっては困るというところでしょう。かつては藤井竜王・名人に壁となって立ちはだかった豊島九段です。永瀬九段や渡辺明九段では,タイトルを奪取するのは難しそうになってきている現在,安定して勝ち続けている豊島九段が,打倒藤井に向けて再浮上する可能性もあります。現在,王将戦の挑戦者決定リーグは1勝1敗,棋王戦の決勝トーナメントもベスト8に勝ち残っています。

2023年10月18日 (水)

新作「企業における高年齢者雇用の論点整理」

 今年は本の刊行がない年になりそうですが,DVDは日本法令から出すことになりました(私自身は,研究室でも自宅でもDVDをみることができない環境なのですが。事前の内容のチェックは動画でしました。今回も動画配信をしてくれたらよいのですが)。
 タイトルは,「企業における高年齢者雇用の論点整理」というもので,2時間くらいの内容です。収録時は,私は途中に休憩を入れずに話しましたが,講演とはちがい,聴衆の方(視聴者)は,適宜休みをいれたり,倍速などで時間を短縮したり,自由に視聴方法を選択できるところがいいと思います。
 タイトルには,「高年齢者雇用」という言葉が入っていますが,高年法や年金制度の話だけをしているわけではありません。実は高年齢者雇用に関する問題には,これからの日本型雇用システムがかかえるいろんな論点が凝縮されています。このDVDでは,前半は高年齢者雇用に固有の問題を扱っていますが,後半はこれからの働き方はどうなるかという問題に広がっています。ジョブ型の働き方,デジタル技術を活用した働き方,あるいは,ゆとりのある働き方,フリーランスのような働き方など,近時の「働き方改革2.0」とでも呼べるような動きは,すべて高年齢者雇用において,まず試験的に始めることができることなのです。これまでの経験があり,体力的にまだ余力のある高年齢者が,新たな働き方にチャレンジするなかで,それが一つのモデルとなって働き方改革が進んでいくのかもしれません。実際,法制度上も,高年齢者を特区的に利用して規制緩和をしたり,新しい規制を試したりすることは,高齢者の就業機会の拡大という大義名分もあり,積極的に行われてきました(労働契約の期間の特例,シルバー人材センター,高年齢者就業確保措置,無期転換の特例,雇用保険マルチジョブホルダー制度など)。その意味でも高年齢者の働き方は,これからますます注目されることになるでしょう。
 とくに,高齢化や労働力人口の減少は不可避的に進行します。少子化対策がかりに成功しても,それが実際に成果を出すには時間がずいぶんとかかります。デジタル技術の活用やAIとの協働という雇用政策全般の課題は,高齢者雇用の課題と照らし合わせて取り組んでいく必要があります。
 本DVDは,このような高年齢者雇用をめぐる論点を,広く多角的に扱ったものです。2時間は長いようで短いです。ぎゅっと圧縮した話になっていますが,できるだけ丁寧に説明することも心がけていますので,ぜひ手にとってみてください。
 本DVDを観終わった方は,誰かにこれからの雇用社会のことについて語りたくなると思いますよ。

2023年10月17日 (火)

ライドシェアの解禁論義を邪魔するな

 時事通信社の記事で,自民党のタクシー・ハイヤー議員連盟が総会を開き,「ライドシェア」解禁の是非を議論したが,このなかで,盛山正仁文部科学相が「安易なライドシェアを認めるわけにはいかない」と語ったと報道されていました。こんな議連に出席する余裕があれば,文科大臣としての仕事をしてもらいたいと思いますが,盛山氏には期待していただけに,失望感が強いです。
 ライドシェアについては,もちろん安全面への懸念がまったくないわけではありません。「安易に認めるわけにはいかない」というだけなら,そのとおりかもしれません。ただ,タクシーだから安心ということなどまったくありません。私は運転免許がないので,それだけタクシーを使うことは多いです。だから,タクシーについて多少は語る資格があると思っています。これまでの経験でも,道を知らないと思われると,平気で遠回りするような運転手に,被害を受けたことが何度もあります。そこまで行かなくても運転手がほんとうに道をよく知らないために,結果として遠回りされたことなど数え切れません(Londonのプロのタクシーにはありえないことです)。ライドシェアだから,女性の一人乗りに不安があるという意見もありますが,ほんとうにそうでしょうか。私たちは,そこまでタクシー運転手を信頼しているでしょうか。海外のライドシェアでは,運転手の評価が事前にわかるので,むしろ安心度が高いのです。料金も事前に決まっていて,遠回りされる心配もありません。チップ制があるので,運転手には,サービスをよくするインセンティブがあります。これはどれも日本のタクシー会社にはないものです。日本でも,もちろん,信頼できるタクシー会社はありますし,素晴らしい運転手に遭遇したことも何度もありますが,そうでないこともあり,あたりはずれが大きいのです。そもそも,国会議員は,どれだけ自分のお金でタクシーに乗っているのでしょうか。タクシーを全面的に信頼できるという国民がどれだけいるか,一度よく確認したほうがよいでしょう。
 これはライドシェアに安心・安全面で不安があるということへの反論ですが,それよりも,根本的にはタクシー運転手が不足しているという問題をどう考えるかのほうが重要です。海外に実績のあるライドシェアサービスに頼らざるを得ないというのが,現状ではないでしょうか。ここでも,国会議員となると,タクシーを長時間待つという経験をしていないでしょうから,庶民の実感がわからないのではないかという疑念があります。
 国民の日常の移動に大きな困難が生じかけている現状を考えた場合,ライドシェアを,いかに安心できるサービスとして解禁するかという方向の議論こそ進めていくべきです。この面だけは首相に期待しています。

2023年10月16日 (月)

日本版(型)◯◯

 1012日の日本経済新聞のDeep Insightで,中村直文編集委員が,「日本版VSガラパゴスの行方」というタイトルの記事を書いていました。最近,日本版という言葉を聞く頻度が増えており,それは日本が,海外モデルにならおうとする姿を示しているものではあるが,「自立性が低下している日本の現実を象徴しているようだ」と述べています。実は日本には,独自の発想の良い文化がありながら,それが「国際競争の場で生かせていない」という問題も指摘されています。そして「日本版で満足せず,日本発のプレミアム・ガラパゴスを伸ばしていく時期だ」と提言しています。
 私が日本版ないし日本型という言葉を耳にしたときに,気にいらないのは,それが本質を隠蔽するごまかしの言葉になっていることがあるからです。代表例は,日本型同一労働同一賃金です。外国では同一労働同一賃金があり,日本も同様にすべきだということを言ってきた人は,でも日本ではそのままは導入できないので,日本型とつけてごまかしているのです。職務給ベースの海外での同一労働同一賃金を,そのまま職能給ベースの日本に導入できるわけがありません。結果,「日本型」同一労働同一賃金は,本家の同一労働同一賃金とはまったく異なるものとなっています。海外の先例を学ぶということでもありません。おそろしいことに,働き方改革で,日本も「同一労働同一賃金」を導入したと思っている人がいることです。いったいどこをとらえて「同一労働同一賃金」なのか。日本型とつけているので,本家の「同一労働同一賃金」と違うという説明はつくのでしょうが,説明がつくかどうかは官僚だけに関係する話で,説明がつこうがつくまいが,実態は異質のものです。日本型ジョブ型という言葉にも同様の問題があります。
 労働の分野では,海外でやっていることを取り入れるので新しい改革だというニュアンスを出しながら,同じことはできないから日本型とつけてごまかしているような気がします。ほんとうに改革をするなら,「日本型」という言葉を除かなければならないのです。「日本型」とつけているかぎり,改革は進まず,新しいことをやっている「雰囲気」だけでごまかされてしまいます。
 日本型雇用システム(この「日本型」は,ほんとうの意味の「日本型」です)は,独自の進化を遂げた「ガラパゴス(Galapagos)」です。かつては海外でも参考にされましたが,いまでは見向きもされません。それでも日本型で行くというなら,それはそれで一つの選択です。しかし,改革でもなんでもないものを,ただ海外にあるから日本向けに適当にアレンジして導入し,それを「日本型」と呼ぶのは,混乱をもたらすだけなので,やめてもらいたいですね。

2023年10月15日 (日)

MGC

  高校時代に陸上部にいた私としては,陸上競技への関心は普通の人より高いと思います。今日も朝からLiveでマラソンのMGCを観ました。女子はNHKで,男子は民放でした。やっぱりコマーシャルがないほうがみやすいですね。悪天候のなかでの試合だったので,実力というよりも,強い人が勝つのかなと思ってみていました。最初は女子のほうが面白いかなと思ってNHK派だったのですが,男子のほうが川内優輝選手が独走となったので,断然男子のほうが面白くなり,男子のほうを中心にみていました。川内選手の飛び出しは予想外でした。事前には,まったく彼の名前は出ていなくて,ただ走るだけくらいに思われていたと思います。ところが,ひょっとして優勝してしまうのではという勢いで,最後も結局4位と粘り切っての見事な走りでした。オリンピックをねらうマラソン選手としては,超高齢者であり,ここまでやるとは誰も思っていなかったでしょう。しかし経験があり,しかも天候が悪いということも彼を利したことでしょう(悪天候のなかで,ボストンマラソンで優勝した実績があります)。ニュースでは奇襲などと書かれていますが,ペースメーカーがいないなか,自分でしっかりレースをつくり,トップとそれほど差がない4位でゴールというのは,事前の綿密な準備と戦略があったからできたことでしょう。尊敬に値するランナーです。
 大迫選手も,安定した走りぶりでした。最後は追い込めずに3位に終わりましたが,彼にはもう一回オリンピックに行ってもらいたいですね。マラソンは記録も大切ですが,それは条件に左右されるものであり,むしろどういう状況でも安定して走れる実力がある選手のほうが頼もしいです。大迫選手は,他の選手が,MGCファイナルチャレンジ(福岡国際,大阪,東京マラソン)で,2時間550秒を切らないかぎり,オリンピック代表に選ばれます。しかし,大迫選手は,代表を確定させるために,また川内選手は一発逆転を狙って,ファイナルチャレンジに走りそうな予感もしますね。
 女子は一山麻緒選手が途中で独走していましたが,鈴木優花選手が逆転して優勝しました。一山選手も粘って2位となり,二人がパリへの切符を手にしました。一山選手の夫の鈴木健吾選手(日本記録保持者)は,序盤から遅れてしまい,10キロすぎくらいのところで,途中棄権となりました。彼は無理をせずに,ファイナルを狙うという作戦にしたのでしょうが,川内選手の強さをみると,少し残念な感じです。
 とにかく,MGCは,とてもみごたえがある戦いであったと思います。でも外国人選手が走らない試合ですから,やや物足りない感じもしました。福岡国際以降のMGCファイナルチャレンジで,世界に通用するような選手が彗星のように現れるのを期待したいと思います。

2023年10月14日 (土)

飲み会

 宴会の開催は,私のまわりでも少しずつ復活しており,先日も,労働委員会で委員の交代があったことから,歓送迎会があり,参加してきました。大学でも,来週,久しぶりにそういう会があります。存在を忘れられないようにするために,たまには参加しようと思っていますが,コロナ以降,外では親族以外と飲食をすることがなくなっていて,初めての人と飲食の席をともにするのは,どうも落ち着きません。そもそも外では酒を飲むペースがわからなくなり,ついつい飲み過ぎてしまいがちです。ワインは自分のペースで自分の好きなものを,自分のお金で飲むほうがいいです。食事も同様で,食べたいものを,自分で注文して食べるほうがいいです。それに,飲んでいると,他人に気をつかいながら飲食することを途中で忘れてしまい,迷惑をかけてしまいそうで心配です。
 学生との飲み会となると,もっとためらってしまいます。ついつい昭和世代の悪い癖で説教めいたことを言ってしまうおそれは十分にありますし,酒の席だからここまではよいというような基準は,まったく共有されていないでしょうから,学生からやりすぎと言われるおそれがあり,そういうことなら,最初からやらないほうがよいと思います。パワハラやアカハラと言われると大変ですからね。そもそも交流を深めるというのは,酒を飲まなくてもできるのであり,必要不可欠なものではありません。気心が知れている人たちとの間でならばともかく,そうでなければ,あえて飲み会をしなくてよいように思えてきました。
 そういう私も,昔は飲み会が大好きでしたが,だんだん面倒になってきました。そういうことを言う人が同世代のなかで増えている感じがします。みんな年をとってしまったのかもしれません。ただ,ゼミのOB会は,もう長い間やっていないので,いつかはやりたいですね。神戸労働法研究会もかつては研究会後に毎回飲みに行っていましたが,オンライン開催にともない,それもなくなりました。数年前に一度,オンライン飲み会をしましたが,それでもよいかなと思っています。でも私から声をかけることはないでしょう。
 飲食店の人に聞くと,やはり飲み会は減っているようです。ほんとうに親しい人だけで飲みに来て,時間もそんなに遅くまでいないということが多いようです(でもそんなに売上が減っているわけではないようです。3時間いても,2時間いても,つかうお金はそれほど違わないのかもしれません)。コロナで日本の飲み文化も大きく変わったのかもしれませんね。

2023年10月13日 (金)

藤井八冠の衝撃

 藤井聡太八冠に,内閣総理大臣顕彰を授与することが決定されたそうです。藤井八冠の成し遂げたことが偉大であることは言うまでもありません。将棋ファンからすると,神の領域に到達したと言っても言い過ぎではありません。ただこの授与は,不人気の岸田政権の人気取りに利用されているみたいで,良い感じはしません。まだ21歳の若者で,今後ますます精進すると言っているのであり,ここはそっとしておいてあげたい気もします。もっとも,このようなことで,舞い上がったりするような人ではないでしょうが。
 対局の静けさとは対極的に,八冠達成に対する周りの喧騒は凄まじいものです。経済効果も大きいし,子をもつ親たちへの影響も甚大でしょう。たとえば,藤井八冠が受けていたというモンテッソーリ(Montessori)教育法にも関心を向ける親は増えていくことでしょう。このほか,藤井八冠が,AIを活用して将棋の勉強をしていると聞くと,やはり教育や学習にAIを活用すべきであるという議論がいっそう高まるでしょう。その礼儀正しさをみると,やはり若くてもきちんとした躾を受けている人は違うと思うでしょう。勝っても奢らず,発言は一つひとつよく考えて慎重にされており,しかも自分の言葉でしっかり話しています。大逆転での勝利ということを聞くと,諦めずに粘り強く取り組むことの重要性を再認識することにもなるでしょう。将棋の棋士をみると,とくに社交性やコミュニケーションというようなものがなくても,あるいは対人関係が苦手であっても,やっていける仕事なのであり,藤井八冠の活躍は,そうした能力に自信がない人にも希望を与えるものといえるでしょう。
 彼は,いまや誰と対局するときも上座であり,もはや将棋界では自分よりも格上の棋士はいません(11日までは王座戦だけは,永瀬拓矢前王座が上座でした)が,それでも対局となると,相手の地位などは関係なく,ひたすら自分の指す将棋をよいものとすることに専心するというところも立派です。すぐに相手との上下関係を確かめて行動したがるおじさんたちには,真似ができないことでしょう。
 藤井八冠の生き方そのものが,多くの人に良き影響を及ぼすのです。内閣総理大臣顕彰のようなもので評価されたくない気もします。というか,内閣総理大臣をはじめとした政治家がまずやることは,藤井八冠からいろんなことを謙虚に学ぶことでしょうね。

2023年10月12日 (木)

インターナショナルスクールに流れる親たち

 NHKの「かんさい熱視線」で,106日に,「開校ラッシュ!インターナショナルスクール 日本の教育になにが」という番組をやっていました。大阪でインターナショナルスクールに通う子どもが増えていることが紹介されていました。インターナショナルスクールというと富裕層の子どもたちが行くというイメージですが,いまは参入事業者が増えて,庶民でもなんとか通えるくらいに学費を引き下げているところもあるようです。一方,親の意識としても,英語を勉強させたいとか,子どもに国際的に活躍してもらいたいといった目的だけでなく,とくに若い親たちの間で,子どもに日本の教育を受けさせたくないと考える人が増えているようなのです。こうした親の需要に敏感に反応して,ビジネスチャンスと感じている海外の事業者が増えているのでしょう。とくに大阪は巨大な潜在顧客がいると見込まれているようです。
 いつも言っているように,DX時代・AI時代は教育政策の根本的な見直しが必要です。文科省も手をこまねいているわけではなく,探求型学習を,わずかではありますが,すでに取り入れています(とくに重要視しているようにはみえませんが)。しかし問題は,誰がそれを教えるのかです。現在の教師は,自分自身は,探究型学習の経験がないはずですし,先輩教師たちから教わることもできません。日常の仕事も,どんどん忙しくなっています。これで探求型学習に対応する授業に取り組めといっても無理があります(106日の日本経済新聞の「大機小機」の「教員負担の軽減で必要なこと」では,国会の要請で文科省が実施する実態調査への対応が,教師の仕事を増やしているということが書かれていました)。
 これからは,日本の小学校でやっている授業のうち,基礎的なものはAIに担当させ,人間の教師は探求型授業と呼ばれるものに集中するという役割分担が必要となるでしょう。もちろんDXにより,教師を雑務から開放することも不可欠です。
 ところで,日本人は,人前で自分の意見を言うことを推奨されていません(大学のゼミ型の授業では,このあたりから学生の意識を変えていかなければならないので,たいへんです)。探究型学習というのは,自分のなかに知的好奇心がめらめらと燃え上がり,自分で情報を追い求め,そこから,いろいろな仮説を立て,検証をし,失敗をし,仮説をつくり直すということを繰り返し,その過程において人前でプレゼンをして,さまざまな意見をもらい,それを受けてさらに考え直し,仮説をブラッシュアップしていくというようなことを,ひたすら繰り返す学習なのだと思います。昭和の時代は,そういう作業は,知的遊戯であり,実務に役立たないとして軽視されがちでしたが,現在では,そういうことを言う人はさすがに減ってきていると思います。こうした時代の変化を受けて,教師は,学生の知的活動のよき伴走者になることが求められているのです。人間には,結論を教える(知識を単に伝える)よりも,むしろテクニカルなこと(情報収集の仕方,プレゼンに関する種々のテクニックなど)を教えることが期待されるのかもしれません。あとは個人がAIを活用しながら自力で考えを磨いていくのです。
 冒頭のNHKの番組に話を戻すと,そこに出ていた評論家は,日本の公立学校にも希望があると言っていました。自宅の近くにあって,子どもたちに情熱をもって接してくれる先生がいる学校に無償で通えるということは,世界では決して当たり前のことではなく,その価値は高いというのです。たしかに,そのとおりです。あとは,政府が,インターナショナルスクールに流れる親たちの気持ちを理解し,どうしたらこのような人たち(決して特別な人たちではない)に公立学校に子どもを行かせたいと思ってもらえるかを考える必要があります。もし子どもの近い未来に直結するような教育体制を,カリキュラムと教師という面で,きちんと用意できなければ,インターナショナルスクールに流れる動きはますます拡大することになるでしょう。

2023年10月11日 (水)

藤井聡太八冠達成

 Abemaで歴史的偉業の瞬間を観ていました。藤井聡太竜王・名人(七冠)が王座戦で,永瀬拓矢王座に勝って,31敗でタイトルを獲りました。これで八冠の達成となります。今回の王座戦は激戦だったと思います。今日の勝負も,122手目に,藤井竜王・名人が5五銀と指したときは,ほぼ形作りで,永瀬王座が勝ちになっていたようです。アプリのほうの評価値は永瀬100でした(詰みがあるか,自陣に詰みがない状況で必至をかけれる)。次に永瀬王座が指すべき手は,4二玉でした。ところが,5三馬と王手をかけた瞬間,評価値は3になりました。藤井玉に2二に逃げられてしまい,容易にはつかまらなくなりました。そこで5六歩と指されて,逆に永瀬玉が必至となりました。大逆転です。中継を観ていると,永瀬王座は5三馬を指したあと,すぐに失着とわかったようで,髪をかきむしっていました。永瀬王座には悪いですが,とても人間くさい仕草で,悔しさがにじみでていました。たった一手で天国から地獄でした。そういうミスがないような棋士だったのですが,藤井竜王・名人相手に二局続けて大逆転負けです。しかも,本局のほうが衝撃は大きいでしょう。藤井竜王・名人は,相手の悔しさを肌で感じながらも,淡々と勝利に向けた手を,間違わずに指し続けます。最後は,相手の歩の上に桂を打つ美しい手で仕上げました。永瀬王座は投げるに投げきれない感じでしたが,ついに再度の5六歩で投了となりました。ちょうど21時直前で,NHK21時のニュースに切り替えたら,トップニュースがこの対局で,直後に速報のテロップが流れました。
 永瀬王座の名誉王座の夢はついえ(まだ将来のチャンスはありますが),タイトルはすべての藤井竜王・名人の手にあるという,藤井1強時代の到来となりました。羽生善治九段も全冠制覇しましたが,あのころよりタイトルが一つ増えているので(叡王戦),八冠は前人未踏です。歴史的な瞬間を目撃できてよかったです。
 八冠となると,年から年中,タイトル戦をしていることになります。いつかはタイトルを奪われるときもくるでしょうが,それが一体いつになるのか,いまはまったく予想すらできません。現在,竜王戦を伊藤匠七段と戦っていますが,現在の勢いからすると,最も打倒藤井に近いのはこの伊藤七段だと思いますので,まずは竜王戦の今後に注目したいと思います。
 羽生九段の七冠制覇は,1996214日(王将戦で谷川浩司17世名人(現在)に勝利)。それが崩れたのが,同年730日に棋聖戦で三浦弘行九段(現在)に敗れたときです。期間は167日です。これが全冠制覇期間の記録です。次は,藤井八冠が,この記録を破るかが注目されます。なお,藤井竜王・名人が名人位を奪取して七冠をとったのは202361日です。今日(1011日)で,七冠の日数が132日となっています。167日を七冠の記録とみた場合,これを超えることは確実となっています(六冠になるのは,竜王戦に敗れ,かつ,王将戦か棋王戦に敗れなければならず,それは早くても来年2月以降で,167日を大きく超えているからです)。

2023年10月10日 (火)

埼玉県の児童虐待条例問題

 埼玉県の児童虐待条例の改正が問題となっていました。私も親戚で,この条例の影響を直接受ける者がいるので,他人事ではありません。今日,取り下げたそうですが,採決の可能性が高いと言われていたので,心配していました。とくに昨日,朝日新聞Digitalで,自民党埼玉県議団の田村琢実団長に,西村有里記者がインタビューした記事の内容を見て心配になっていたのです(10910時アップ「『留守番も虐待』条例改正案,提出は自民埼玉県議団 団長の発言詳報」)。「虐待」という言い方はともかく,子どもの安全を重視するという意図は理解できるものの,執行部分について,行政に投げてしまったり,あるいは場合によっては親の判断や通報を受けた人の判断に任せたりしていて,不十分であることは否めないと思いました。国の法律の場合は,政府が主導しているので,法律で抽象的な規定を設けても,それをどう具体化するかについては,ある程度の青写真があるのですが,今回はどうもそういうのがなさそうなので,混乱を招くことが予想できました。罰則がないから理念規定のように思いますが,やはり政策の順番が違っています。子どもが放置されるケースのなかには,どうしようもない親による場合もあって,それに対する教育は必要であるし,ときには罰則をつかった強力な規制は必要であるものの,大多数の親はそうではないのであって,子どもを放置する状況があるとすれば,そうしなければならない原因があるのです。このタイプの親に対しては,放置の原因を取り除くような政策をきちんととることこそが重要であり,それをしていないなかで,県の無策の責任を親に押し付けていることになるのです。議員たちは,問題提起をしたつもりだったのかもしれませんが,やり方が稚拙でした。
 ただ,たとえば小学生の登校を,子どもたちだけでやらせてよいのかということについては,私も問題意識はもっています。昔イタリアに住んでいたときには,小学生の子ども(低学年に限定されていたかどうかは忘れました)の送り迎えは親の責任であり,子どもだけで登下校することは禁じられていました(どのレベルの強い禁止規制であったかわかりませんが,少なくともMilano日本人学校は禁止していました)。日本はいくら治安がよいとはいえ,危険であるように思います。地域のボランティアなどで見守るという方法もあり,実際やっているところもあるので,私も時間に余裕ができれば,そういうことをしたいと思っています。
 問題は,仕事のためということであれば,子どもを放置してもやむを得ないという価値観が,日本社会にあることであり,そこを根本的に変えなければならないのです。子どもファーストとは,仕事よりも優先という意味です。それは綺麗事と言われるかもしれませんが,それができるように行政がサポートすることこそ大切です。たとえば,小学生の子どもの送り迎えをするための休暇を認めている企業への補助金を支給するというのはどうでしょうか。そういう補助金こそ,「こどもまんなか社会」にふさわしいです。子どもの数を増やすことばかりではなく,子どもが安心して暮らせる社会をつくることも,重要な政策でしょう。公園で小学校の低学年の子たちで遊んでいることも,たしかに気になります。子どもの遊具のある公園は,まさに「公」の場所であるので,監視カメラを設置するなどの安全対策をとったほうがよいと思います(親に責任を課すのではなく,子どもが安全に遊べるような状況をつくることが大切で,日本版DBSもそのための手段の一つとなるでしょう)。自宅内での子どもの放置は微妙な問題ですが,現在の仕組みをもっと活用できると思っています。私は,子どもは社会の「共有財産」という面もあると思っており,だから自分の子だけでなく,他人の子にも,もっと社会が関心を向けるべきだと思っています。そのかぎりでは,家庭のプライバシーがある程度犠牲になることは仕方がないと思っています。虐待についての合理的な疑いがある場合(健康診断で外傷がみつかったとか),近所の通報などもあることが多いので,その場合は児童相談所が本来もっている権限をもっと積極的に活用して踏み込んで調査をしてもよいと思っています。また,ここでもDXをつかい,虐待の可能性を,外部から収集可能なデータにより推知するようなこともやってよいと思います。プライバシーの侵害はできるだけ避けるべきですが,最終的には子どもの生命や安全を優先することは仕方がないと思います。
 ところで,田村氏の発言のなかで一番問題と思われるのは,実は,「今後議論の余地はない? 今後,議論する予定はもうない?」という質問に対して,「もうですから,議論は,条例案は今,いま委員会で通ったところで,本会議で通るまでは猶予があると思いますけれども,議会制民主主義のこの埼玉県議会のルールにのっとって言えば,もう今議論するところはないですよね。」というところです。これは多数派の横暴であり,非常に危険な発想です。とくにこうした意見が二分するような論点については,いったんは多数決で進めるが,議論は常にオープンであるということにしておかなければ民主主義は成り立たないのです。埼玉県の自民党だけは,違った民主主義をやるのでしょうかね。こういう方たちが議員をやっていてよいのか,おせっかいかもしれませんが,他県に波及するおそれもあるので,きちんと埼玉県民には判断していただきたいです。今回,おそらく自民党の国会議員からもクレームがあって,取り下げに応じたのでしょうが,この県会議員たちの本質は露呈してしまったと思えます。

2023年10月 9日 (月)

大学駅伝シーズン始まる

 今日はスポーツの日ということで,月曜ですが休日でした。いきなり月曜の授業が休みになるのは,授業進行上よくないのですが,仕方がありません(やっぱり体育の日は1010日でなきゃと思いますが)。私立大学などでは,カレンダーを無視して授業をしているところもあるようですね。
 駅伝ファンの私としては,大学駅伝の初戦の出雲駅伝を注目してみていました。昨年の駅伝3冠の駒澤大学は,監督が大八木弘明さんから,かつてのマラソン日本記録保持者の藤田敦史さんに代わり,どうなるか注目でしたが,見事な優勝でした。第1区で篠原選手がIVYリーグ選抜の選手との競り合いに勝っていきなりトップで,その後は,佐藤選手がトップを守り(二人とも区間賞),その後も着実にトップを維持し,少しずつ詰められたものの,最終6区は昨年と同じ鈴木芽吹選手で,今年はエースで主将という立場で,区間賞の貫禄の走りで締めくくりました。2区以降,2位ははるか後方で,駒澤大学の完勝と言わざるを得ません。終わってみれば,昨年の記録を超えており,田澤廉選手らがいて最強と言われた昨年の駒澤大学よりよいタイムをたたきだしました。
 2位の創価大学と3位の城西大学は,外国人の活躍もあり,好成績をあげました。圧倒的に強い外国人にプラスして,日本人でよい走りをする選手が2名ほどいれば,出雲駅伝ではかなり勝負できるという感じですね。駒澤大学と並んで優勝候補と言われた中央大学は,1区で出遅れてしまい,勝負になりませんでした。青山学院も,昨年からよくみるような光景で,すばらしい走りをする選手はいるものの,ブレーキとなる選手も出てきて,これがブレーキとなる選手がない3冠駒澤大学との差になっているように思えました。
 まず1冠となった駒澤大学は,2年連続3冠という偉業に向けて一歩前進しました。他大学をみると,中央大学以外にも,国学院大学は力があるし,早稲田大学も復活しそうな感じがあります。次の全日本大学駅伝(115日)は,8区間で,コースも長くなります。関西勢は今日もダメでしたが,全日本ではなんとか頑張ってほしいです。

2023年10月 8日 (日)

労災保険制度の理論的研究を深めよ

 労災保険の特別加入については,フリーランス政策で厚生労働省が最も貢献できるところ(?)と考えたのか,その対象拡大に積極的でしたが,ついにフリーランス新法の附帯決議に,希望者全員というような注文がついてしまい,大変なことになってきました。従来の政策との整合性を重視することから,すでに労政審建議で出された「社会経済情勢の変化も踏まえ,特別加入の対象範囲や運用方法等について,適切かつ現代に合った制度運用となるよう見直しを行う必要」があるという部分を根拠にして検討を始めているようです。ひょっとすると特別加入の制度趣旨を根本的に変えてしまおうとしているのかもしれませんが,これはそう簡単にやってはならないと思われますので,今後の労働条件分科会(労災保険部会)での議論の動きをしっかりチェックする必要がありそうです。
 特別加入制度については,私は「キーワードからみた労働法」(日本法令「ビジネスガイド」)の202111月号でも採り上げており,その特例的な位置づけから逸脱する動きに疑問を投げかけています。その執筆時には,ここまで拡大論が広がるとは思っていなかったので,フリーランスに対するセーフティネットという観点から,特別加入制度の拡大という手法は不十分ではないかということを書くにとどめていたのですが,いまのように特別加入の無制限の拡大のような話になってくると,労災保険とは,そもそも何なのかということを議論することが必要となります。フリーランスのケガや病気は,これまでは基本的には国民健康保険で扱っていたものを,ごっそり労災保険で受け入れるとすると,大きな理論的影響があることは必至です(実務的にも,たとえば通達で処理してきた個々の類型ごとの認定基準の策定というやりかたで,今後どこまで対応しきれるのかというような問題があるでしょう)。もっと言うと,労災保険の存在理由はどこにあるのか,ということから考えていかなければならないのです。労災保険については,メリット制の問題などもあり(季刊労働法の最新号の北岡大介氏の論文なども参照),労災保険支給決定の取消訴訟の事業主側の原告適格というような興味深い論点もあるのですが,そういう細かい技術的な論点以外に,そもそも論として,労災保険制度を根本から再考していく必要があるのです。労働者性や業務起因性(とくに脳心臓疾患や精神障害)などは,はなはだしく基準が不明確であり,なんとなくみんなそういうものだと思って慣れてしまっていますが,冷静に考えれば,労働者かどうかに関係なく,業務起因性があるかどうかに関係なく,働く人みんなに公平な補償ができないかという問題意識がでてくるはずです。もちろん労災保険の固有のメリットもありますが,それらも考慮に入れながらも,ゼロベースで考えていくべきなのです。
 いまはネット上に痕跡すらありませんが,かつて労働省で(研究会か,有識者会議か忘れました),労災補償のあり方について根本的に考えるというテーマの会議がありました(名称は忘れました)。岩村正彦先生が座長で,声をかけていただき,当時の神戸大学の同僚であった山田誠一先生もメンバーに入っていました(他に誰がおられたかは,忘れました)。いまから25年くらい前であったと思います。自由に議論をしてほしいということであったので,ほんとうに自由に議論しました。労災保険制度の民営化というのもありうるのではないかという方向で議論が進んでいったと記憶しています(労働省側は,特定の結論をもっているということはなく,委員を誘導することもなく,ほんとうにフリーなディスカッションでした)。しかし途中で担当課長が変わって,なぜか突然終了してしまいました。会議の途中で,議論状況を聴いていた労災関係の担当課長の渋面が印象に残っています。私は労災保険制度を専門には研究していませんが,それ以来,問題意識はずっと持ち続けていました。
 いまは労災保険制度をきちんと研究する人はほとんどいないように思います。JILPTの労働関係図書優秀賞の第8回(1985年)は,岩村先生の『労災補償と損害賠償―イギリス法・フランス法との比較法的考察』(東京大学出版会,1984年)でした。西村健一郎先生の名著『労災補償と損害賠償』(一粒社)が出たのは,1988年でした。それ以降,本格的な理論研究はストップしていないでしょうか(もちろん,山口浩一郎先生の『労災補償の諸問題』(信山社)のような優れた業績はあります)。幸い,2020年にJILPTから,山本陽大さんたちが書かれた「労災補償保険制度の比較法的研究 -ドイツ・フランス・アメリカ・イギリス法の現状からみた日本法の位置と課題」というすぐれた報告書が出ています。こうした業績をベースに,自由で大きな構想をもって,労災保険問題に取り組む研究者が出てきたらいいなと思います。

2023年10月 7日 (土)

竜王戦が始まる

 竜王戦の第1局が106日から始まりました。伊藤匠七段は初タイトル戦が,いきなり竜王戦の舞台です。相手は,もちろん藤井聡太竜王(七冠)です。1日目で伊藤七段は封じ手をしました。封じ手は,1日目と2日目の途中で,ずっと次の手を考えることができるとすると,持ち時間の制限の意味がないので,一定の時間を超えると,その時の手番の棋士は,次の手を封じなければならず,その手を指すまでは持ち時間は減少していくことになります。封じ手には,いろいろ作法があるので,伊藤七段は初めてのタイトル戦で,少し緊張したかもしれませんね。
 2日目は,封じ手を開けてから始まりますが,少し伊藤七段の突っ張った手となっていて,徐々に藤井竜王の優勢が拡大した感じです。互いが一歩も引かない殴り合いのような攻めが展開されましたが,最後は藤井竜王が勝ちました。ただ,伊藤七段の強気の姿勢が印象的でした。7番勝負は始まったばかりで,熱戦が続くことでしょう。
 順位戦は,A級は3局目が終わって,名人への復位をめざす豊島将之九段が3連勝でトップです。永瀬拓矢王座,菅井竜也八段,佐々木勇気八段が21敗で追っています。伊藤七段が所属しているC1組は,伊藤七段が32敗と苦しい星勘定で,今期の昇級はかなり厳しくなっています。竜王をとって,順位戦のクラスはC1組となると,これはおそらく前代未聞ではないかと思います。順位戦と竜王戦の性格の違いが出ていて面白いです(名人を選ぶ順位戦は蓄積型で王者を選ぶ棋戦,竜王戦はその時の最強者を選ぶ棋戦という感じです)。

2023年10月 6日 (金)

フリーランス新法の立法趣旨

 ジュリストの最新号(1589号)の特集で「フリーランス法の検討」があり,その最初に4人連名での法律の概要に関する解説文が掲載されていました(「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律の概要」)。執筆分担ははっきりしていないのですが,内容は内閣官房,公正取引委員会,中小企業庁,厚生労働省ですりあわせた公式発表のようなものなのでしょう。
 そのなかの冒頭で,本法は,「フリーランスが個人で事業を行うという性質上,『組織』として事業を行う発注事業者との間の業務委託においては交渉力などに格差が生じやすいことに鑑み,フリーランスに業務委託を行う事業者に対して,最低限の規律を設けることにより,フリーランスに係る取引の適正化等を図ることを目的に制定された法律である」と書かれています(46頁)。ここでいう「個人」と「組織」の対置は,大臣答弁でもあらわれており,これがいわば契約の自由を修正して,フリーランスの取引に介入する根拠となっているようです。しかし,これは同法の目的規定にはなく,どうもあとから作った説明ではないかという疑問があります。1条の目的規定からは,「個人」の保護という要請はうかがえても,委託者側は「組織」だから義務を課してよいという説明が出てくる根拠は見いだせません。新法の制定で,最も要望が大きかった取引条件などの明示義務を定める3条は,「個人」対「個人」の取引を含むものであり,いきなり「個人」対「組織」の構図から外れてしまっています。この法律は「個人」対「組織」との間の交渉力格差に着目して制定されたものと考えるのは困難です。
 また特定受託事業者(フリーランス)として認められるためには,「従業員を使用しないもの」であることが必須の要件となっています(2条1項)。ところが,「本法における『従業員を使用』とは,『組織』としての実態があるかどうかを判断する基準となるものであるところ,組織としての実態があるものと認められるためには,ある程度継続的な雇用関係が前提となると考えられる。このため,労働者を雇用した場合であっても,短時間・短期間のような一時的な雇用であるなど,『組織』としての実態があると言えない場合には,そのような労働者は『従業員』に含まれず,本法の『従業員を使用』したものとは認められない」と解説されています。政府の説明では,どうも「従業員」として想定されているのは,雇用保険の加入資格がある人のようなのですが,人を継続的に使用していれば「組織」としての実態をもつことになり,そして個人のフリーランスとの関係で支配的な地位に立つということだとすると,相当無理な論理です。従業員という一般用語に近い概念を持ち出して,十分な根拠なく限定解釈することは,恣意的な感じもします。
 ビジネスガイドの次号の「キーワードからみた労働法」では,「フリーランス新法」というテーマをとりあげて,同法の内容を紹介しています。上記の「個人」と「組織」という構図に対する疑問は,そこでも書いていますので,参考にしてください。
 このほかにも,紙数の関係で「キーワードからみた労働法」では書けていませんが,フリーランス新法には,理論的にも,実務的にも,大きな問題点があります。そういう問題点を,すっ飛ばしたからこそ,制定にこぎつけることができともいえるのですが,研究者としては看過することができないものがあります。このことは,別の機会にしっかりと書きたいと思っています。

2023年10月 5日 (木)

後期授業開始

 今学期は学部の授業は2年生相手のゼミ形式のものだけです。前年度の授業担当数が相対的に少ない教員に,少人数授業科目は割り当てられます。私は,今年度は,授業数は少なくないのですが,前年度実績でみられるので,今年の負担余力はあまりないものの,担当しなければならないのです(なんだか収入が大きく減ったときにも前年度の所得ベースで支払う住民税みたいですね)。
 授業内容は教員が決めてよいと言われたのですが,何ヶ月も前にシラバスを書くように言われるので,この科目の前年度の担当者と同じように,重要最高裁判決をしっかり読むというテーマにしました。私は学部生相手には,判例を読み込むというようなゼミは昔からしたことはなく,どちらかというと政策的なことをやってきたので,新たなチャレンジではあります。教員生活の残りも徐々に少なくなってきているので,いろんなことをやって,思い出をつくっておきたいという気持ちもあります。
 学生は10数名で,最高裁判決を厳選してやってもらいます。初回は,秋北バス事件から入り,徐々に現代に戻っていきたいと思っています。どういう授業になるか楽しみです。

2023年10月 4日 (水)

セリーグのペナントレース終了

 最終試合は,個人記録がかかった試合でした。優勝したチームの余裕でしょうか,優勝後は,岡田監督が,個人タイトルの獲得チャンスがある選手を全面的にバックアップするということでした(自身が1985年のシーズンに首位打者のタイトルを逃した経験も関係しています)。村上の最優秀防御率,近本の盗塁王,岩崎のセーブ王は確定ですが,中野の最多安打(DeNAの牧とタイ)と大竹の最高勝率が最終戦にかかっていました。DeNAと巨人の最終戦は,年間の勝ち越しがかかっていた巨人が執念をみせ,2位となってCSシリーズを地元でやりたかったDeNAをやぶりました。阪神戦でも好投していた山崎が2安打完封で,相手の最多勝投手の東に投げ勝ちました。この試合,牧はノーヒットで,中野の最多安打のタイトルが確定し,結局,中野もノーヒットで二人並んでのタイトルとなりました。大竹は,最終戦に東が出てきたことで,東が負けて,大竹が勝てば最高勝率の可能性が出てきました。もしDeNA2位を確定していれば,東は投げなかったでしょうから,その点ではラッキーでした。大竹は勝って13勝すれば最高勝率のタイトルの要件をクリアし,そして自身が132敗となって,東が負ければ勝率を逆転します。阪神の最終戦はヤクルトで,雨でたびたび中断しながらの遅い試合進行でした。大山とサトテルのホームランで3点リードしたものの,ヤクルトにも粘られて,大竹は5回終了時点で,33の同点で降板。しかし,6回にサトテルの犠牲フライで1点が入って,勝ち投手の権利が復活しました。そのあと,才木が力投し,あと一歩というところであったのですが,9回裏,岩崎が抑えきれず(サトテルのエラーもあり),サヨナラ負けとなりました。大竹は幸運の女神がついていたと思いましたが,最後の最後に女神に逃げられましたね。むしろ幸運であったのは東だったのかもしれません。東は最多勝と最高勝率の二冠となりました。勝率では大竹が上まわっていますが,13勝目がとれなかったので,東がタイトルをとりました。大竹は現役ドラフトで阪神に入団し,優勝に大きく貢献してくれました。最後はタイトルをとらせてあげたかったですが,自身も3点とられてしまったこともあるので,仕方ないでしょう。
 気になるのは,最後にいやな負け方をしてしまったことです。チームのためというより,個人記録優先という試合をし,結果,負けてしまったことで,いやな感触を残しながら,CSに臨むことになりますね。もっとも,調整試合ということで割り切れるかもしれませんが。

2023年10月 3日 (火)

ライドシェア解禁の議論の加速化を

 八代尚宏先生から,プレジデントに投稿したという情報をいただいたので,拝読しました(「80代運転手をコキ使ってまでタクシー業界を死守…世界で普及の「ライドシェア」断固阻止する抵抗勢力の言い分」)。私も会員になっている制度・規制改革学会の提言です。
 過激なタイトルですが,書かれている内容は,私がこのブログでも訴えてきたことと方向性は同じです。タクシー業界の人手不足対応で,国土交通省は個人タクシーのドライバーの更新の上限年齢を80歳にまで引き上げました(法人のドライバーは,これまでも年齢制限はなかったそうです)が,高年齢者の免許返納が推奨されているなかで,それと逆行する動きのような気がします。これで国民の安全が守られるのでしょうか。タクシードライバーはプロだから大丈夫ということかもしれませんが,運転技術において,平均的にみて,プロと素人との間に,どれほど大きな差があるかは疑問です。私は免許をもっていないので,乗せてもらう立場からの意見ですが,プロのドライバーでも下手な人はいるし,素人でも上手な人はいます。
 そうなると,そこまでして「プロ」の世界を守って,ライドシェアという形で「素人」が参入することを阻止するのかが妥当なのかという話になります。「プロ」に80歳まで認めるならば,「プロ」も「素人」も70歳以下に限定するという規制のほうが,国民にとっては望ましいのではないでしょうか。そのほうが,安全に運転できるドライバーの裾野が広がり,モビリティの人手不足の解決に貢献するでしょう。
 運転技術には個人差があるのであり,プロであれ,素人であれ,下手なドライバーから被害を受けないようにするためには,いつものように,テクノロジーに期待するところは大きいです。シェアリング・エコノミーの時代において,どのようにライドシェアサービスを育成していくかという視点が大切です。問題もありますが,それは解決可能であることは,八代先生の原稿でも詳しく論じられています。私のような安全重視派からしても,車はどっちにしても危険なものであり,ことさらライドシェアのほうが危険とは思えません(高齢のタクシードライバーのほうが怖いです)。素人ドライバーのかかえる危険性も,それはタクシードライバーとどこまで違うのか疑問でありますし,それについては対策もあるのです。
 「神奈川版ライドシェア」案というのは,タクシー業界にだけライドシェアを認めるというものであり,現実的な選択肢のような気もしますが,そもそもタクシー業界にそこまで忖度する必要があるのかという八代先生の意見にも耳を傾けてもらいたいです。
 ゆくゆくは自動運転にしてもらえれば,人手不足の問題は解消します。でも,あまりゆっくりしていられないと思います。気づけば,タクシーは数時間待ち,バスは計画運休で,私たちの日常生活はストップということが起こりかねません。想像力をもって,早めに対応することが必要です。走りながら,(でも質の高い)議論をするというスピード感覚が必要です。

2023年10月 2日 (月)

興津征雄『行政法Ⅰ 行政法総論』

 本日,大学に行くと,同僚の興津征雄さんからいただいた『行政法Ⅰ 行政法総論』(新世社)がメールボックスに入っていました。どうもありがとうございました。先日紹介した経済産業省(トランスジェンダー)事件の最高裁判決についての行政法上の問題を確認しようと思い,さっそく本書を参照することにしました。
 実は研究会では,あの最高裁判決は判断過程審査論をとっているが,考慮すべき事実の重み付けが明確ではないという意見がありました。この判決のような実体審査をしている場合には,判断過程審査というのはおかしいような気もしたのですが,それは私の勉強不足でした。ただ,興津さんの本で,「『過程』という言葉が手続を連想させることからこれを避けて『判断要素』の審査と呼ぶ者もいる」(433頁)と書かれているのをみて,少し安心しました。
 ところで,この判決は,最初に,「国家公務員法86条の規定による行政措置の要求に対する人事院の判定においては,広範にわたる職員の勤務条件について,一般国民及び関係者の公平並びに職員の能率の発揮及び増進という見地から,人事行政や職員の勤務等の実情に即した専門的な判断が求められるのであり(同法71条,87条),その判断は人事院の裁量に委ねられているものと解される。したがって,上記判定は,裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したと認められる場合に違法となると解するのが相当である」と述べています。人事院の裁量が認められる根拠に「専門的な判断が求められる」という点があるということでしょうが,これは興津さんが紹介している「専門技術的」な裁量と「非専門技術的」な裁量という区分でいえば,事案としては後者にあてはまるべきもののように思えますが,なぜ最高裁が「専門的」という言葉にあえて言及したのかは,わかりにくいところがありました。いずれにせよ,最高裁は,裁量があると述べてはいるものの,87条の条文が示す基準があるなかでは,その「専門的な」裁量にはおのずから限界があるのかもしれません。
 本件で,裁量権の逸脱ないし濫用があったとされたのは,興津さんの本における,「裁量審査の観点」というところで書かれている内容が,ぴったりしていると思いました。
 「ごく一般的にいえば,裁量判断において処分の相当性を根拠づける事情として考慮された要素のうち,その根幹にあたる中心的な要素に他事考慮や過大評価があれば,その判断に基づいて行われた処分は違法となりやすいだろう.また,処分の相当性を阻害する事情(処分によって失われる利益など)の中に重要な要素があるにもかかわらず,それについて考慮遺脱や過小評価がある場合も同様である」(440頁)。
 つまり,考慮要素の重み付けがポイントとなるのです。本判決は,トランスジェンダーの職員のもつ不利益をきわめて大きく考慮しています。それは,憲法的価値とまでは言わないまでも,それに近いものが制限を受けた事案であるとする理解が根底にあったと思われます。一方で,本判決は行政裁量に関する判決によく出てくる「社会通念」という言葉が出てきませんが,これはトランスジェンダーをめぐる社会通念が確立していないことも関係しているのでしょうね。
 最近,公務員の懲戒処分に関する判例が注目を集めているように思います。もともと懲戒事件については数多くの行政判例があるものの,労働法との接点は明確ではありませんでした。ただ裁量をめぐる議論が,私が昔教わった行政法とはちがって,かなり精密化していることがわかったので,もう少し興津さんに教わって,勉強したい気持ちになりました。労働法の議論にも参考にできるところがあるかもしれません。

 

2023年10月 1日 (日)

献本御礼

 10月に入り,ようやく冷房をつけなくても過ごせるようになってきました。明日からLS以外の授業も始まるので,体調に気をつけて頑張っていきたいと思います。
 ちょうど学期が始まるタイミングということでしょうか,水町勇一郎さんから『詳解労働法(第3版)』(東大出版会)をいただきました。いつも,どうもありがとうございます。授業に備えて,最近の動向も勉強をしておかなければならないので,この本を参考にさせてもらいます。早くも3版ですね。ひょっとしたら,菅野労働法にとってかわるかもしれないというくらいの勢いを感じます。水町労働法がこれから権威を得ていくのでしょうね。これが時代の流れというものでしょう。驚いたのは,ビジネスガイドの最新号の表紙をめくると,いきなり水町さんの写真が出てきて,この本を教材にして,日本法令で実施される水町ゼミの宣伝が出ていました。応募者が殺到することでしょう。LSの学生のほうは,水町さんの有斐閣のほうの労働法を読んでいる人が多いようであり,どちらにしても労働法の世界をがっちりつかんでいますね。知らぬ間に,実務も教育も水町一色になっていたというのでは,学界の発展のためには,ちょっとまずいのですが,対抗勢力のパワー不足という日本の労働法学の現状が,こういう状況を生み出しているのかもしれませんね。
 もう1冊,水町勇一郎・緒方桂子編の『事例演習労働法(第4版)』(有斐閣)もいただきました。こちらも,どうもありがとうございました。私が編者をした,弘文堂の『労働法演習ノート』は,事例をたっぷり読ませるというスタイルのものですが,本書はそれとは違い,事例がコンパクトになっています。昔はこういうスタイルの演習本がたくさんあったような気がしますが,いまはあまり見かけないですね(私が知らないだけかもしれませんが)。4版が出るということは,読者のニーズも高いのでしょう。たしかに設問のケースをざっとながめているだけで,現在の労働法の主要な問題が把握できるような気がします。期末試験の問題を考えるときに,参考にさせてもらえればと思います。

 

 

 

 

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