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2023年9月30日 (土)

経済産業省(トランスジェンダー)事件

 本日の神戸労働法研究会では,例の経済産業省事件の最高裁判決(最3小判2023711日(令和3年(行匕)285号)について,大学院生が報告してくれました。この事件は,行政法(国家公務員法)の事件ではありますが,広い意味では労働法の事件ということで,1審も控訴審も,労働法の研究者が評釈を書いていますね。
 MtF(男性to女性)型のトランスジェンダーの職員Xは,性別適合手術は受けず,戸籍上も男性のままであるなか,20097月にカミングアウトして,同年10月に女性トイレの使用などの要望を出しました。その後,20107月に職場で説明会が開かれ,Xはその後は女性として勤務していたのですが,トイレについては,他の同僚女性職員の羞恥心や嫌悪感などに配慮して,女性トイレの使用制限がされていました(本件処遇)。これについて,Xは201312月に国家公務員法上の措置請求をしたところ,人事院は20155月に措置をしないという処分をしたため,その取り消しを求めて訴えが提起されました(そのほかにも,国賠法による請求などがありましたが,最高裁がとりあげたのは,この争点だけでした)。1審はX勝訴,2審は国勝訴と結論が分かれましたが,最高裁は全員一致で2審判決を破棄し,1審判決を支持しました。補足意見も4つあり(同調意見も含めると5つ。つまり全員),個人の意見を書かずにはいられないような事件だったのでしょう。補足意見からは,最高裁が,きわめてX救済のために前向きな姿勢で議論していたことがうかがえます。法廷意見は,次のようなものでした。 
 「本件処遇は,経済産業省において,本件庁舎内のトイレの使用に関し,Xを含む職員の服務環境の適正を確保する見地からの調整を図ろうとしたものであるということができる。そして,Xは,性同一性障害である旨の医師の診断を受けているところ,本件処遇の下において,自認する性別と異なる男性用のトイレを使用するか,本件執務階から離れた階の女性トイレ等を使用せざるを得ないのであり,日常的に相応の不利益を受けているということができる。一方,Xは,健康上の理由から性別適合手術を受けていないものの,女性ホルモンの投与や≪略≫を受けるなどしているほか,性衝動に基づく性暴力の可能性は低い旨の医師の診断も受けている。現に,Xが本件説明会の後,女性の服装等で勤務し,本件執務階から2階以上離れた階の女性トイレを使用するようになったことでトラブルが生じたことはない。また,本件説明会においては,Xが本件執務階の女性トイレを使用することについて,担当職員から数名の女性職員が違和感を抱いているように見えたにとどまり,明確に異を唱える職員がいたことはうかがわれない。さらに,本件説明会から本件判定に至るまでの約410か月の間に,Xによる本件庁舎内の女性トイレの使用につき,特段の配慮をすべき他の職員が存在するか否かについての調査が改めて行われ,本件処遇の見直しが検討されたこともうかがわれない。
 以上によれば,遅くとも本件判定時においては,Xが本件庁舎内の女性トイレを自由に使用することについて,トラブルが生ずることは想定し難く,特段の配慮をすべき他の職員の存在が確認されてもいなかったのであり,Xに対し,本件処遇による上記のような不利益を甘受させるだけの具体的な事情は見当たらなかったというべきである。そうすると,本件判定部分に係る人事院の判断は,本件における具体的な事情を踏まえることなく他の職員に対する配慮を過度に重視し,Xの不利益を不当に軽視するものであって,関係者の公平並びにXを含む職員の能率の発揮及び増進の見地から判断しなかったものとして,著しく妥当性を欠いたものといわざるを得ない。」
 国家公務員法87条は,「一般国民及び関係者に公平なように,且つ,職員の能率を発揮し,及び増進する見地において,事案を判定しなければならない」と定めており,本件は,この点について著しく妥当性を欠くものとされました。
 最高裁は,Xの不利益と比べ,他の職員への配慮の過度の重視というバランスの悪さを問題としています。もっとも,2審までで言及されていた「性自認に基づいた性別で社会生活を送ることは,法律上保護された利益である」という部分は採用しませんでした(宇賀克也裁判官の補足意見では言及されている)。Xの不利益が,たとえば憲法上保障されている権利を侵害しているとなると,他の利益との衡量をかなり難しくするのですが,この点には法廷意見は言及しませんでした(人権論でぐいぐい押すということはしなかったということです)。しかし,Xの日常の不利益をきわめて重くとらえる判断をしていることは,明らかと思われます。一方で,他の女性職員の違和感などは抽象的なものにとどまり,Xの不利益を甘受させるだけの具体的な事情がなかったのであり,それゆえ最高裁は,これを重視しませんでした。とくに,他の女性職員の違和感に関して,事実として認定されているのは,職場の説明会で,Xのトイレ使用について,数名の女性職員がその態度から違和感を抱いているように見えたという点だけでした。研究会では,(官僚の世界の風通しの悪さから)女性職員が明確に異を唱えることは難しかったのではないかという指摘もありました。たしかに,もし明確に多数の女性職員が異を唱えていたらどうなっていたかということは気になるところでした。ただ,この点についても,宇賀裁判官は,「Xが戸籍上は男性であることを認識している同僚の女性職員がXと同じ女性トイレを使用することに対して抱く可能性があり得る違和感・羞恥心等は,トランスジェンダーに対する理解が必ずしも十分でないことによるところが少なくないと思われるので,研修により,相当程度払拭できると考えられる。Xからカミングアウトがあり,平成2110月に女性トイレの使用を認める要望があった以上,本件説明会の後,当面の措置としてXの女性トイレの使用に一定の制限を設けたことはやむを得なかったとしても,経済産業省は,早期に研修を実施し,トランスジェンダーに対する理解の増進を図りつつ,かかる制限を見直すことも可能であったと思われるにもかかわらず,かかる取組をしないまま,Xに性別適合手術を受けるよう督促することを反復するのみで,約5年が経過している。この点については,多様性を尊重する共生社会の実現に向けて職場環境を改善する取組が十分になされてきたとはいえないように思われる」と述べておられます。2審までで問題とされていた上司のハラスメント発言も含め,経済産業省側の対応が断罪されているように思えます。
 これをトランスジェンダーの肩をもちすぎであると批判すべきでしょうか。私は,個人がいかにして納得して働けるようにするかは,企業経営にとって最も重要な経営理念であると考えています。拙著『人事労働法』は,そういう観点からの労働法体系の構築をめざしたものであり,本件のような公務員においても,その精神はあてはまると思います。 また,これは障害者雇用促進法の合理的配慮にも通じるものであり,個人の有する能力の有効な発揮について,個人の特性に応じた配慮をすることは,障害者だけでなく,労働者全般に対して企業に求められる義務だと思っています(ただし,それが過重な負担となるときはこの限りではありません)。
 なお,トイレ問題にかぎっていえば,理想は,性別トイレをなくし,誰でも使えるジェンダーフリートイレをメインで設置することだと思っています。もちろんプライバシーが守られ,安全性も万全となっていることが大前提です。男性の使用後のトイレに入りたくないというような女性の意見もあるようですが,それはどこまで重視すべきでしょうか。ジェンダーフリートイレにより,トランスジェンダーのトイレ問題はかなり解決するのではないかと思っています。ただし,職場ではありませんが,新宿ではこうしたトイレの設置の試みが失敗に終わったようであり,この点では国民の意識改革が必要かもしれません(「ジェンダーレストイレ」わずか4カ月で廃止 新宿・歌舞伎町タワー 「安心して使えない」抗議殺到の末に)。もちろん,すべての企業がジェンダーフリートイレを設置できるわけではありません。費用などの過度の負担となる場合は,そこまでやらなくてもよいのですが,そういう場合には,女性職員の理解を得るように,しっかり情報提供や研修をしていくことが求められるでしょう。不便や違和感は,基本的には,生来のものではないので,教育の力で解消することは可能なのです。
 本件は,MtFのトランスジェンダーであれば,当然に,女性トイレを使用できるということを言った判決ではありません。事実関係として,Xがカミングアウトし,職場での説明会の後は女性として勤務し続け,何もトラブルがなかったということ,5年もの間,この女性は,トイレのためには2階上か下のところに行かなければならなかったこと,それにもかかわらず,国側は,そういう状況をつくったことについての,具体的な正当化理由を示していなかったこと,そういう事情があることが考慮されたからこそ,国は敗訴したのです。
 実は,国と霞が関の職員の関係で,個人の要求にそった措置がなされなかったからといって,最高裁で国が負けることはないだろうと思っていたのですが,おどろくなかれ,最高裁は,トランスジェンダーの不利益を十分すぎるくらいに考慮しました。補足意見で次々と繰り出されたメッセージも印象的で,最高裁は変わったという印象を強く与えています。
 性的な多様性も含め,多様性一般の議論は,賛否が対立します。こうした問題にどう立ち向かうべきかという大きな議論も必要ですが,個別の訴訟事件では,最高裁の法廷意見がいたずらに大きな議論をせずに,当該事案に即した判断をして,適切な解決を導くという抑制的な態度をとったことは評価できるのではないかと思います。本件はあくまで事例判決であるということを忘れてはなりません。しかし補足意見にこめられたメッセージもくみとらなければなりません。これらをふまえて,今後は,民主的フォーラムで,みんなで熟議することが必要なのです。
 いずれにせよ,賛否はともかく,読み応えのある判決といえるでしょう。

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