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2023年9月26日 (火)

大阪万博

 昨日の日本経済新聞の「迫真」で,「綱渡りの大阪万博1 誰の手柄か責任か」という記事が出ていました。私の周りでは万博はまったく盛り上がっていませんが,どうなるのでしょうね。
 政治家というのは,いかにして打ち出された政策を「手柄」とし,失敗を他人に押し付けるかということを考えているように思えます。政治家に頑張ってもらおうと思っても,「手柄」となりそうでなければ,なかなか動いてもらえません。政治家が,弱者に優しいようにみえるのは,弱者に対する政策というのが,わかりやすい「手柄」となるからでしょう。それでも,良いことをやってくれたら問題はないといえそうですが,特定の人たちのための立法を,通常のルートを通らずに,あるいは政治的な圧力でそのルートを歪めて実現するということもあり,それはやってはならないことです。不正の温床にもなります。
 先の記事では,大阪が地盤の自民元衆院議員の言葉として,「国民の印象は『万博=維新』だ。成功は維新を利するだけで党勢にはマイナスになるのではないか」というものを紹介しています。万博の成功は,維新の手柄となるので,自民は乗り気ではないということでしょう。「『誰の手柄、責任という話をしている場合ではない』との声が府庁や経済産業省などからも上がるほど事態は切迫している」のですが,政治家は大局的な視点では,なかなか動いてくれないのでしょう(選挙に通るためにはやむを得ないのかもしれませんが)。万博を成功させるためには,維新色を弱め,いかにして自民にも花をもたせてやるかということが重要となるのでしょうが,こういう小さなことにこだわらなければならないのは,情けないことです。
 大阪万博は,これからのDX社会の姿を示す場として格好のものであり,実現したら面白いなと思っていましたが,費用の問題などが出てくるなかでは,いまは無理にやらなくてもよいのではないかという気がしています。もっと「スマート」な万博というものもあってよいし,そのほうがDXにふさわしい気がしています。オリンピックのときもそうですが,なにがなんでもやるということで突進すると,あとからぞろぞろと問題が出てきます。東京五輪は,後世からは失敗という烙印を押されると思いますが,大阪万博がそうならないことを祈っています。

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