内閣改造の「おぞましさ」?
岸田政権の先般の内閣改造で,副大臣と政務官の全員(54人)が男性であったことについて,朝日新聞の高橋純子氏が,テレビ番組で「おぞましい」と述べたことが話題になっています。「おぞましい」という表現の適否はともかく,これを男性差別という(男性)議員がいるのは情けないです。そういうことではないだろうと言いたいですね。問題は,岸田首相が女性閣僚を5人入れたと自慢しているのに,副大臣・政務官クラスはゼロという極端なことをしていることにあります。世間の目を意識するなら,せめて2,3割は女性にしていてもよいように思いますが,それだけ女性の適任者がいなかったのでしょうか。もしそうだとすると,大臣に5人も「適任者」がいることとギャップがありすぎます。結局,目立つ閣僚ポストにだけ女性を入れておけば,それでアピールできるという,形だけの女性登用であり,これこそ女性軽視であると思えます。高橋氏が,そういうなかで,ネクタイ族だけの記念撮影をみて「おぞましい」と言ったのだとすると,理解できないわけではありません。
日本経済新聞の9月20日の社説「女性登用の本気度が問われる」でも指摘されていましたが,「派閥順送りや年功序列型の人事を改め,なにより女性議員の数を着実に増やしていく努力がいる。」というのは,そのとおりです。ただ,最後に指摘されている,「女性登用の低迷打破に向け,候補者などの一定割合を女性に割り当てる『クオータ制』を含め,前向きな議論を始める時期だ」というところは,候補者の「クオータ制」はありえるとしても,やや危険のような気がします。今回の内閣改造も,5~6人は女性大臣がほしいという一種のクオータ制で,そういうことをすると,どうなるのかということは,実際の人事をみてわかったような気がします。もちろん候補者のクオータ制は,それだけで当選というのではないので,穏健なクオータ制ですが,いずれにせよ大事なのは,登用したいと思わせるような人を育てることです。副大臣や政務官という将来の大臣候補に適切な女性人材がいないということは,この点で大きな問題を抱えていることを示しています。日本の政治がジェンダーの観点から遅れていることは明らかですし,それが今後も続くことを予感させます。そういう状況に気づかずに,無邪気に,にこやかに記念写真におさまっている首相をみると,やはり「おぞましい」と感じる人がいても不思議ではないように思います。
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