仕事と幸福
日本経済新聞の土曜版で連載されている,若松英輔さんの「言葉のちから」は,いつも含蓄があり,楽しみに読んでいます。9月16日はカール・ヒルティ(Carl Hilty)の「幸福論」が取り上げられていました。ヒルティの「まず何よりも肝心なのは,思いきってやり始めることである」「他の人たちは,特別な感興のわくのを待つが,しかし感興は,仕事に伴って,またその最中に,最もわきやすいものなのだ」という言葉を引用し,若松さんは,まずは着手することの重要性をいい,「着手さえすれば,仕事にまとわり付いていた困難という覆いが剥がれ落ちることを知っていたら,仕事に向き合う態度もまったく別なものになるだろう」と述べています。
実は,拙著『勤勉は美徳か?―幸福に働き,生きるヒント』(2016年,光文社新書)でも,冒頭にヒルティの幸福論から,「仕事の“内側”に入れ」「仕事の奴隷になるな,時間の奴隷になるな」という言葉を引用しており,これを実現するには,どうしたらよいかということが,拙著のモチーフになっています。
仕事に着手しなければ,着想も生まれないのであり,着手が大切だというのが,若松さんがヒルティから得た教訓のようです。気が進まなくても,仕事にまず取りかかるというのは,考えようによっては,「仕事の奴隷になる」のと同じのようですが,実はそうではなく,どうせやらなければならない仕事なら,そこから逃げていることこそが,仕事の奴隷となることなのだと思います。まずは着手し,仕事にまとわりつく困難がなくなっていき,仕事に前向きに取り組んでいけるようになることこそ,仕事の奴隷にならず,仕事の「内側」に入ることなのです。
付け加えれば,そうして仕事と格闘していると疲れてよく眠れて,余計なネガティブなことも考えなくなるでしょう。がむしゃらに働くということは,決して「仕事の奴隷になる」のと同義ではないのです。とはいえ,ただ単にがむしゃらに「働かされる」だけで終わると,やはり「仕事の奴隷になる」おそれがあります。着想は,英語(conception)やイタリア語(concezione,concepimento)では妊娠という意味もあります。ほんとうの仕事とは,新しい発想で何かを作り出すことなのであり(作り出されたものが,「概念」と訳されるconcept(英語), concetto(イタリア語)です),そうした仕事をしているかぎり,人は幸福に近づけるのかもしれません。