新しい労災認定基準(精神障害)
9月12日の朝日新聞Digitalでも取り上げられていましたが,労災保険の精神障害の場合の認定基準(「心理的負荷による精神障害の認定基準」)が今月から改正され,2011年の通達は廃止されました。2020年の改正では,評価対象となる「具体的な出来事」にパワーハラスメントが追加されましたが,今回は,「顧客や取引先,施設利用者等から著しい迷惑行為を受けた」(いわゆるカスタマーハラスメント)と「感染症等の病気や事故の危険性が高い業務に従事した」が追加されました。また,精神障害の悪化の業務起因性が認められる範囲が見直され,改正前は,悪化前おおむね6か月以内に「特別な出来事」(心理的負荷が極度のものと極度の長時間労働[発症前1か月におおむね160時間を超えるような時間外労働をしたことなど])がなければ業務起因性を認めていなかったのですが,悪化前おおむね6か月以内に「特別な出来事」がない場合でも,「業務による強い心理的負荷」により悪化したときには,悪化した部分について業務起因性を認めるというものに変わりました。
認定基準の原文をみると,次のようになっています。
①「精神障害を発病して治療が必要な状態にある者は,一般に,病的状態に起因した思考から自責的・自罰的になり,ささいな心理的負荷に過大に反応するため,悪化の原因は必ずしも大きな心理的負荷によるものとは限らないこと,また,自然経過によって悪化する過程においてたまたま業務による心理的負荷が重なっていたにすぎない場合もあることから,業務起因性が認められない精神障害の悪化の前に強い心理的負荷となる業務による出来事が認められても,直ちにそれが当該悪化の原因であると判断することはできない。」
②「ただし,別表1の特別な出来事があり,その後おおむね6か月以内に対象疾病が自然経過を超えて著しく悪化したと医学的に認められる場合には,当該特別な出来事による心理的負荷が悪化の原因であると推認し,悪化した部分について業務起因性を認める。」
③「また,特別な出来事がなくとも,悪化の前に業務による強い心理的負荷が認められる場合には,当該業務による強い心理的負荷,本人の個体側要因(悪化前の精神障害の状況)と業務以外の心理的負荷,悪化の態様やこれに至る経緯(悪化後の症状やその程度,出来事と悪化との近接性,発病から悪化までの期間など)等を十分に検討し,業務による強い心理的負荷によって精神障害が自然経過を超えて著しく悪化したものと精神医学的に判断されるときには,悪化した部分について業務起因性を認める。」
④「 なお,既存の精神障害が悪化したといえるか否かについては,個別事案ごとに医学専門家による判断が必要である。」
かなりわかりにくい文章で,①から④は私が勝手に番号を振ったのですが,要するに,①は,たとえば,うつ病の悪化前に業務による心理的負荷があったというだけでは,それだけでは悪化した部分について業務起因性は認められませんが,②おおむね6か月以内に「特別な出来事」があり,自然経過を超えて著しく悪化した部分は業務起因性を肯定し,さらに,③そうした「特別な出来事」がなくても,業務による強い心理的負荷が認められる場合には,やはり業務起因性を肯定するというものです。業務起因性があれば,労災保険の対象となります。
しかし上記の認定基準は,よくみると,従来の部分は「おおむね6か月以内に対象疾病が自然経過を超えて著しく悪化したと医学的に認められる場合には,当該特別な出来事による心理的負荷が悪化の原因であると推認し,悪化した部分について業務起因性を認める」として,医学的認定と推認という言葉が使われているのに対し,改正で追加された③の部分は,「当該業務による強い心理的負荷,本人の個体側要因(悪化前の精神障害の状況)と業務以外の心理的負荷,悪化の態様やこれに至る経緯(悪化後の症状やその程度,出来事と悪化との近接性,発病から悪化までの期間など)等を十分に検討し,業務による強い心理的負荷によって精神障害が自然経過を超えて著しく悪化したものと精神医学的に判断されるときには,悪化した部分について業務起因性を認める」としていて,個別事案における判断事項を列挙し,精神医学的な立場からの十分な検討により判断することが前提のように読めて,そう簡単には推認はしないという姿勢がみてとれます。さらに,④で念を押しているようにも思えます(前の基準よりも医学的判断の必要性を強調している内容になっているように思えます)。
裁判官は,この認定基準を参照するでしょうが,認定基準は慎重な留保をつけながら③を追加したとみて,悪化部分についての業務起因性を容易に認めない趣旨と解釈するのではないでしょうか。朝日新聞の記事では,最後に,「精神疾患が悪化したと言えるかどうかの基準が明確に示されておらず,楽観できない」という過労死弁護団全国連絡会議の玉木一成幹事長の言葉を紹介していますが,まさにそのとおりでしょう。
とはいえ,この認定基準の改正は,精神障害の分野での労災認定の範囲を広げる一連の流れのなかにあります。これをどう評価するかは,労災保険という制度の枠内で議論しているだけでは不十分だと考えています。そもそも労災保険制度とは何かというところから考えていかなければなりません。この点は,後日,改めて論じます。
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