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2023年8月 9日 (水)

これからの大学

 期末試験も終わり,これからは入試の仕事が少しずつ入ってくる時期になります。入試というと,なんとなく年中行事で,割り当てられた仕事を言われたとおりにこなしている感じですが,ほんとうは大学が何のためのものなのかを,もっと真剣に考えて発信していく必要があるという気もしています。入試というのは,毎年やるべきものなのでしょうか。大学がほんとうに集めたい学生を集め,第一線の研究者によって徹底的に教育をし,年限を設けずに一定のレベルに到達した人に学位を与え,そうして卒業をして欠員が出た時に入試を実施するということにしてはどうでしょうか。ただ,そういうのは,大学ではなく,寺子屋的な私塾でやるべきなのでしょうね。
 一方で,若者のほうも,キャリア意識が変わりつつあり,18歳のときに勝負をかけて大学に入ることに大きな価値を見出すことができなくなりつつあるように思います。現在の大卒資格は,そう遠からず,大きな意味がなくなるでしょう。それでも多くの子どもたちは,大学に入るために塾に行ったり,親も良い大学にいくことを期待したりしています。なんだかんだ言って,大学くらいは出ておかなければねという惰性が蔓延しています。
 実際には,いわゆるFランクと呼ばれる大学だけでなく,多くの大学が,大卒資格を得るためだけの存在であり,それは受験産業に乗せられた親や子どもたちの願いを実現する場にはなりますが,そうした大学で何かを身につけて将来のキャリアに備えることなどできるわけがないのです。そうなると,そうでなくても少子化にともない減ってくる入学者が,いっそう減ってくることになるし,無理に入学者をかき集めても,その後の就職の実績などで良くない評価はすぐに広がります。私立大学の経営は,今後は厳しさがいっそう増し,私学助成金やOBOGたちの愛校心からくる寄付がなければ,続かなくなるでしょう。教員の雇用にも影響が及ぶのは確実です。
 国公立大学も統廃合が進むことになるでしょう。おそらく教育機関としての国公立大学の使命は著しく減少し,研究機関としての生き残りこそ重要となります。最先端の研究ができる環境が用意できているかが生き残りの鍵です。
 法学研究科では,研究の要素がない法科大学院は職業専門学校として大学から完全に切り離すべきでしょう。とくに法科大学院が問題なのは,最高裁判決が絶対という権力秩序のなかに取り込まれ,従来の科目の分類にしばられた試験のための教育が重視されていることです。法科大学院で教育されてしまうと,そのあと知的格闘こそが命である研究者の世界に転身することは容易ではありません(もちろん見事に転身して活躍している人もいるのですが)。いまいちど法学研究者のエネルギーを,法科大学院ではなく,本来の理論教育に振り向け,真の意味での研究者の養成に力を入れなければ,法学の未来は暗いでしょう。法科大学院は実務家教員(あるいは法科大学院修了の研究者教員)に委ねればよいのです(そのほうが教育の効果も高まります)。法科大学院を出ていない人のなかにこそ,法学の未来を切り開く逸材が眠っているような気もします。ずっと前から法学教育の危機は言われているのですが,そろそろ危険水域に来ている気がしています。いま若手研究者のうち,どれだけの人が,しっかりした論文を書いているでしょうか。

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