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2023年8月の記事

2023年8月31日 (木)

王座戦始まる

 夏休みの最終日です。といっても,実際には,新学期はすでに今週から始まっている人も少なくないでしょう。大学は,授業がないという意味の夏休みはまだ続きますが,その間にも,期末試験の説明会があったりで,完全に夏休みというわけではありません。教員はさらにオープンキャンパスがあったり,入試があったりで,いまは完全なオフという意味での夏休みというのは,ほとんどなくなっています。
 話はかわり,将棋は王座戦が始まりました。メディアでもたいへん注目されています。なんといっても藤井聡太竜王・名人(七冠)が八冠を目指す戦いです。初戦は,タイトル保持者の永瀬拓矢王座が,勝ちました。先手は藤井竜王・名人で,終盤まで戦況はよくわかりませんでしたが,最後は1分将棋が長く続く熱戦となりました。評価値的には永瀬王座優位で進んでいましたが,素人目には大接戦でハラハラして目が離せない展開でした。永瀬王座は最善手を指し続けた感じで,強かったです。5番勝負ですので,勢いになったほうが有利ですし,永瀬王座は後手番で勝ったことも大きいですね。多くの人は藤井乗りでしょうが,軍曹の異名をもつ永瀬が意地をみせるかもしれません。
 永瀬王座は,かつてまだ人間とAIが本気で戦っていたころ,プロ棋士代表と将棋ソフトとの団体戦に出場したことがありました。そのとき永瀬六段(当時)は,角が敵陣に入ったが「成らない」という,通常はありえない手を指し,ソフトの意表をついて勝利を得たことで有名です。事前にソフトを研究して弱点を把握し,そこを実戦で突いたということで,勝負に徹する永瀬王座らしいエピソードです。負けにくい将棋を指ことで知られている永瀬王座ですが,その強さには磨きがかかっています。藤井竜王・名人とはよく練習将棋を指してきたということで,誰よりも藤井竜王・名人の弱点を知っているかもしれません。第2局以降が楽しみです。

2023年8月30日 (水)

フリーランス新法の付帯決議

  フリーランス新法(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律)が可決されたときの衆議院の付帯決議において,「偽装フリーランスや準従属労働者の保護については,労働基準監督署等が積極的に聴取し確認すること」というのがあるのですが,「準従属労働者」という言葉が入っていて驚きました(参議院でも類似の付帯決議あり)。この言葉は,おそらく研究者のなかでは,私くらいしか使っていないもので,イタリアにある「lavoratore parasubordinato」の訳です。労働者(lavoratore)のなかには,「autonomo」な者と「subordinato」な者がいて,前者が独立労働者,すなわち自営業者,後者が従属労働者,すなわち労働者であり,その中間にあるのが準従属労働者です。これは二分法のカテゴリーとしては自営業者ではあるのですが,経済的な観点からの一定の従属性がある者をどう扱うかという問題関心から生まれてきた用語だと思います(この言葉については,拙著『イタリアの労働と法』(2003年,日本労働研究機構)20頁以下を参照)。イタリアでは,準従属労働者の扱いについて,いろいろ議論がありましたが,いずれにせよ,この中間的な就労者(lavoratore)を措定して政策を考えていけば,見通しがよくなります。私は,書籍では『AI時代の働き方と法』(2017年,弘文堂)の204頁の表で,この言葉を使っており,また,フリーランス協会でプレゼンしたときにも,この概念をもちいて説明したことがありました。その後は,同協会の代表理事である平田麻莉さんも,この概念をもちいて資料を作成されていて,おそらくそういうこともあって,付帯決議のなかに入ったのかなと推察しています。もしかしたら,私が知らないだけで,これまでも,いろんな方がいろんな箇所でこの言葉を使われていたのかもしれませんが。
 それにしても,この付帯決議(参議院)のなかには,「労災保険の特別加入制度について,希望する全ての特定受託事業者が加入できるよう対象範囲を拡大する」というのがあって驚きました。特別加入は,労働者以外の者のうち,業務の実態や災害の発生状況などから,労災保険法によって保護するのにふさわしいかどうかという視点で対象者を絞っていくとされてきたのですが,特定受託事業者は,その概念上,従属性にかかわる要素は含まれておらず,業務委託の相手方である個人事業主か一人社長であれば,これに該当する広い概念なので,そういう事業者にまで希望者全員に特別加入を拡大するというのは,やりすぎでしょう(なお,特定受託事業者は,法人も入るので(212号),ここは「特定受託業務従事者」(22項)とすべきであったかもしれません)。そんなことをすると,労災保険は,原理的に崩壊の道を進むようになるだろうという点(国民健康保険などとの違いはどうなるか),実務的には,特別加入は業種によってはあまり機能していないので,拡大しても意味がないままに終わるかもしれないだろうという点など,気になるところがたくさんあります。
 いずれにせよ,議論の本丸は,労働者の境界線が不明確になってきているなかで,「労働者のための制度」というものの存在理由が,急速に揺らいできていることにどう対処すべきかという点にあるのであり,そこで必要なのは,就労者全体をみたセーフティネットのあり方という大きな視点です。特別加入制度の際限ない拡大というのは,誤った政策であると言わざるを得ないと思います(特別加入制度については,ビジネスガイドに連載中の「キーワードからみた労働法」の第172回(2021年11月)でもとりあげています)。

2023年8月29日 (火)

世界陸上終わる

 世界陸上は,ずっと観ていたわけではありませんが,YouTubeでところどころフォローしていました。日本人選手では,なんといっても,北口榛花選手のやり投げの金メダルに感動しました。最終6投目のスローで逆転金メダルはびっくりです。フィールド競技で女子で勝てるというのは,昔は想像すらできないことでした。東欧の選手の競技というイメージと言えば,言いすぎでしょうか。北口選手は,チェコのコーチに教えを請うて,いまやチェコ語も堪能で,そして見事に世界一になりました。日本の陸上の歴史のなかでも特筆すべき快挙でしょう。
 トラック競技でも,見事な成果が出ていました。どうしてもメダルということが注目されますが,3位と4位の差はそれほど大きいものでしょうか。入賞でも十分です。110メートル障害の泉谷駿佑選手の5位,3000メートル障害の三浦龍司選手の6位,5000メートルの田中希実選手の8位は見事です。もちろんサニブラウン選手の100メートルの6位は,貫禄です。そのほかにも日本人選手の活躍はありますが,実は陸上で一番おもしろいのは,中距離かもしれません。時間的にもそれほど長くなく,800メートルになると,ちょっと格闘技的な要素もあり,黒人が絶対的に強いわけでもない種目なのがいいです。現在,1500メートル男子は,Norway Ingebrigtsenが王者ですが,今回は1500メートルでは銀メダルで,イギリスのKerr選手に破れました。日本の男子選手は,これらの種目では勝負できないですが,その点,女子の田中選手の頑張りは目を見張ります。兵庫県小野市出身の田中選手は,5000メートルの予選では,従来の日本記録を14秒も更新する新記録を出しており,世界の大舞台で力を発揮しています。これからの活躍を期待したいです。男子も3000メートル障害以外の中距離も,ぜひ頑張ってほしいですね。

2023年8月28日 (月)

相次ぐ水難事故に思う

 水の事故が増えているのもまた,暑さのせいでしょうかね。ふと思うのは,河童の話は,いまの若者のどこまでに伝わっているのでしょうか。昔は,川や池には河童という妖怪が住んでいて,人間を水中に引き込んでしまうから気をつけろということが言われていました。あまり川の近くに住んだことがなかったので,私が育ってきた環境では,河童伝説を直接聞いたことはありませんでしたが,知識として,河童のことは知っていました。おそらく日本中に河童伝説はあることでしょう。子どもはどうしても,川や池に入ろうとしがちです。暑くなるとなおさらです。しかし,川や池で泳ぐというのは,とてつもなく危険なことです。昔の人は,多くの人が川や池で命を落としたことを伝え聞いていたので,河童伝説を創造して,子どもたちを怖がらせ,その命を守ろうとしたのでしょう。
 令和の時代,川に河童が住んでいるなんていっても,すぐに子どもたちはネット検索をして,嘘だとわかってしまうかもしれません。いまの時代には,妖怪くらいでは,なかなか子どもは驚いてくれないですね。別の方法で,子どもの事故を防ぐしかありません。ちなみにNHKのEテレの番組「あおきいろ」では,「カッパは知っている」という歌で,子どもたちに水辺の危険性を教えてくれています。
 「お盆には海には入ってはいけない」という言葉もあります。霊が生きている人の足を引っ張るから,ということですが,ほんとうは土用波が来て危ないからですね。こういう言葉をしっかり伝えていく必要があります。

2023年8月27日 (日)

スコール

 昨日は,電車で20分くらいで行ける神社の夏祭りに出かけてきました。久しぶりにビアガーデンに行けて,よかったです(食事は,冷凍食品っぽいものも多かったですが,値段を考えると仕方ないです)。ただ,ちょっと不安があったのは天気です。現時点では好天であっても,たちまち荒天に変わります。スマホのWeatherアプリでチェックしていましたが,だんだん東からすごい雨雲が近づいてきていることがわかったので早々に帰ることにしました。帰る方向が東向きだったので,雨雲にぶちあたらないうちに帰れるかが勝負だったのですが,間に合いませんでした。おそらく5分くらいの差だったと思いますが,雨雲の到来のほうが早かったようです。自宅近くの駅は,豪雨と雷でした。電車からプラットフォームに降りる僅かな隙でも,びしょぬれになってしまうような雨です。駅から家まで歩いて10分もしないくらいの距離でも,タクシーに乗ろうと決めたのですが,タクシー乗り場は長蛇の列でした。結局,1時間後くらいに雨がおさまり,無事に帰ることができました。
 かつてタイやマレーシアに行った時,季節が悪かったのかもしれませんが,夕方には決まってスコールに遭遇したことがあり,こんなところに住むのは大変だと言っていたことがあったのですが,いまや日本もそういう国になりつつあります。まともにスコールにあうと,小さい子どもなどは危険なので,気をつけなければなりません。スコールの到来予測はだいたい分単位でできるので,それにあわせて機敏に行動する必要があります(数時間先の予測は,最近はあてにならなくなっています)。近ごろは男性も日傘(晴雨兼用)をもっているので,雨のときでも対応できるでしょうが,スコールがくると,傘だけではずぶぬれになるでしょう。革靴も傷んでしまいます。
 それにしても,日本は,コロナ禍以降,豪雨,熱中症など,stay homeが求められることが増えています。前にも書いたことがありますが,日本が温帯の国であることを前提にした生活習慣やそれと関連した社会システムは変える必要があります。仕事にしろ,学校にしろ,夏の活動のあり方を見直さなければならないように思います。夏の暑さは,秋以降にダメージを残し,仕事や勉強の効率に影響してしまいます。夏はしっかり休むということが,社会に定着すればよいのですが。

2023年8月26日 (土)

懲戒免職と退職手当の不支給

 飲酒運転で物損事故をおこした勤続30年の公立高校の教諭が,懲戒免職となり,退職金も不支給となったため,退職金不支給処分の取消しを求めた事件で,最高裁判所は,原審の3割の支給は認めるべきとしていた判断を覆し,取消請求を棄却する判断を下しました(宮城県教育委員会事件・最高裁判所第3小法廷2023627日判決)。
 地方公務員の事案ですが,民間企業でいえば,懲戒解雇となった場合あるいは懲戒解雇相当事由があった場合には,退職金は不支給ないし減額となるというのと似ています。民間企業のケースについては,従来から,懲戒解雇と退職金不支給を連携させることについては,退職金の法的性質論ともからめて,労働法学では議論があります。退職金については,通常,功労報償,賃金の後払い,生活保障の趣旨や機能があると言われていますが,懲戒解雇の場合には,功労報償の観点からは退職金不支給の方向に働きますが,賃金の後払い,生活保障という点がこれに抑制的に働き,これらの「せめぎあい」となるわけです。今回の事例でも,最高裁判決は,「本件条例の規定により支給される一般の退職手当等は,勤続報償的な性格を中心としつつ,給与の後払的な性格や生活保障的な性格も有するものと解される」と認定していて,民間と同じようではありますが,法廷意見では,この性格論はあまり結論に影響してきません。
 本件では,条例において,どのような場合に退職手当が不支給・減額となるかについて,明文の規定がありました。それによると,「当該退職者が占めていた職の職務及び責任,当該退職者の勤務の状況,当該退職者が行った非違の内容及び程度,当該非違に至った経緯,当該非違後における当該退職者の言動,当該非違が公務の遂行に及ぼす支障の程度並びに当該非違が公務に対する信頼に及ぼす影響」を勘案するとされています。ただし,最高裁は,「裁判所が退職手当支給制限処分の適否を審査するに当たっては,退職手当管理機関と同一の立場に立って,処分をすべきであったかどうか又はどの程度支給しないこととすべきであったかについて判断し,その結果と実際にされた処分とを比較してその軽重を論ずべきではなく,退職手当支給制限処分が退職手当管理機関の裁量権の行使としてされたことを前提とした上で,当該処分に係る判断が社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権の範囲を逸脱し,又はこれを濫用したと認められる場合に違法であると判断すべきである」と述べています。条例の規定と処分との適合性について,民間の退職金不支給処分の場合とは違い,裁判所は判断を控えるということです。
 ところで,定年直前であっても,懲戒解雇となるような非違行為をしてしまえば,計算上,積み上がってきた退職金がゼロになってしまうというのは妥当か,というのはゼミでもよく議論してきた論点でした。実は,『雇用社会の25の疑問―労働法再入門―』(弘文堂)は,第2版までは,「第2話 退職金は,退職後の生活保障としてあてにできるものか。」というテーマをとりあげていました(第3版では,テーマを28から,本のタイトルどおりに25に刈り込み,このテーマを落としていました)。第2版の23頁(当時の第2話のまとめの部分)では,次のように書いていました。
 「感情論としては,特に懲戒解雇処分を受けた社員を考えてみると,多額の退職金が支払われるのは適当でないという気もする。しかし,それだけでは,やはり社員の既往の労働の評価をゼロにするための根拠としては不十分であろう。懲戒解雇処分が課されるような場合には,会社に多大な損害を与えているのであるから,退職金で清算すべきだという考え方もありうるが,前述のように,既発生の退職金について会社が社員に対して損害賠償債権をもっていても一方的な相殺をすることができないとされていることとの整合性も考慮に入れておく必要がある。一番筋の通ったやり方は,懲戒解雇と退職金とを切り離して,懲戒解雇を受けた者にも,退職金は所定の算定式に基づき全額支払ったうえで,会社は受けた損害について,別途に請求して回収するというものであろう。ただ,こんなやり方を会社に強制すると,会社は,退職金制度をやめてしまうかもしれない。退職金の労務管理的な機能が大幅に弱まるからである。退職金制度がなくなると,懲戒解雇とは無縁の大多数の社員に迷惑が及ぶことになる。そこまで考えると,懲戒解雇と退職金とを切り離せと頑強に主張することにはためらいをおぼえる。
 退職金は,会社が任意に設ける制度である。社員からみて,ある程度の不安定性があるくらいのほうが,会社にとってのメリットが残り,制度の存続のためには良いのかもしれない。」
 この締め方は,ビジネスガイド(日本法令)の「キーワードからみた労働法」の最新号で「退職金」をとりあげたときに書いたものと,あまり変わらないのですが,これはどちらかというと人事管理的な点を重視したもので,法的な議論としては,退職金は全額払うべきとすることにも十分な理由があると思っています。企業に与えた損害ということを考えても,上記の一方的相殺の制限の話だけでなく,労働基準法16条では損害賠償額の予定が禁止されていることや,判例上,労働者の損害賠償責任を限定する法理が認められていることも考慮されるべきでしょう(16条との関係では,判例は,競業避止義務違反の場合に退職金を半分とする条項は,この条文に抵触しないとしています[退職金を減額するのではなく,そもそも半分の退職金しか発生していなかったとみるのです])。
 最高裁判決に戻ると,この判決には宇賀裁判官の反対意見がついています。宇賀反対意見は,多数意見の裁量論と違い,労働判例と同様に,条例の退職手当の支給制限の勘案事項に照らして,かなりふみこんだ判断をしています。とくに酒気帯び運転をした警察官が3ヶ月の停職処分しか受けていないことが重視されています。「当該非違が公務に対する信頼に及ぼす影響」という勘案事項との関係では,「飲酒運転による公務に対する信頼の失墜という点では、飲酒運転を取り締まる立場にある警察官による酒気帯び運転の方が影響が大きい」とし,「当該退職者が占めていた職の職務及び責任」については,被上告人(当該教諭)が管理職でなかったことを指摘し,「当該退職者の勤務の状況」としては,「過去に懲戒処分を受けたことがなく,30年余り勤続してきたこと」,「当該退職者が行った非違の内容及び程度」との関係では,「本件事故による被害は物損にとどまり既に回復されていること」,「当該非違後における当該退職者の言動」との関係では,被上告人が反省の情を示していることに言及しています。そして,こうした事情を考慮すると,「一般の退職手当等の有する給与の後払いや退職後の生活保障の機能を完全に否定するのは酷に過ぎる」と述べて,退職手当の法的性格論の議論をきちんと回収して結論に結びつけています。
 退職金を支給されないことを前提にすると懲戒解雇(懲戒免職)は,懲戒処分としてはきわめて厳しい処分となります。そうなると,そう簡単には懲戒解雇を認めてはならないという話に傾きやすいです(非違行為と処分内容の均衡の要請)。しかし,そうなると懲戒解雇をすべきような人を懲戒解雇できなくならないかという懸念が出てきます。その意味でも,懲戒解雇は認めるが,退職金は一部支給を認めるという落とし所は,実質的な妥当性という点で望ましいことが多いのです(本件は条例上も一部だけ不支給をする根拠があります)。
 とはいえ,退職金の一部支給というのは,裁判官がそれを命じることができるのか,というところはやはり気になるところで,そこは民間なら裁判官は踏み込むけれど,公務員の場合はどうかという話になるのです。民間でも,公務員でも,支給要件を充足しているかどうかの判断はできるでしょう(したがってゼロか100かの判断はできる)が,どの程度の減額ができるかというのは,はっきりいって決め手がないものなので,裁判官がふみこみにくいのも理解できないわけではありません。本判決の多数意見は県教委の裁量を重視したわけですが,行政法研究者の宇賀裁判官は,条例の規定に則して,丁寧に事件を処理しており,どちらかというと,民間の事件と同じような姿勢がうかがえます。多数意見が県教委の判断にほぼ丸投げした点は,退職手当が労働者の生活保障に直結するものであるだけに,法理論的な点はさておき,説得力がないように思えるのは私だけでしょうか。もちろん,個人的には,飲酒運転など論外なので,物損事故でもそういうことをやらかした人には,しっかりお灸を据えるべきだと思いますが,懲戒免職を受け,罰金刑も受け,おそらく社会的信用も失っているなかで,多額の退職金まで奪って,本人や家族のこれからの生活を危険にさらすことになりかねないと考えると,それはちょっと厳しいのでは,と思いますね。

2023年8月25日 (金)

王位戦終わる

 王位戦は,藤井聡太王位(竜王・名人,七冠)が勝ち,41敗で防衛となりました。佐々木大地七段との12番勝負は,結局,藤井竜王・名人(七冠)の72敗で終わりました。数字だけみれば圧勝ですが,佐々木七段も頑張ったという評価のようです。これで藤井竜王・名人(七冠)の
タイトル獲得数は17で,現在歴代7位です。これだけでもすごいです。またタイトルを失ったことがないというのも驚きです。タイトル戦は,奪取か防衛しかないということです。いつかはタイトルを失うときが来るのでしょうが,現時点では想像ができませんね。
 これから王座戦,竜王戦があり,冬になると棋王戦,王将戦があります。棋王戦は挑戦者決定トーナメントでベスト8がぼちぼち決まってきていて,ここでも竜王戦挑戦を決めている伊藤匠七段が勝ち上がっています(昨年も,この棋戦では活躍しました)。王将戦は,毎年,最強リーグといわれますが,今期のメンバーは,残留組の羽生善治九段,豊島将之九段,永瀬拓矢王座,近藤誠也七段プラス二次予選を勝ち抜いた3名となりますが,すでに菅井竜也八段がリーグ入りを決めています。

2023年8月24日 (木)

道幸哲也先生

 北海道大学名誉教授の道幸哲也先生が亡くなられました。学者には長命の方が多く,道幸先生は1947年生まれということですと,まだ若すぎます。道幸先生のことは,改めて書くまでもないことですが,北海道労働委員会の会長を長年努められたこともあり,とくに労働組合法関係の業績が多数あります。最近でも,季刊労働法で論文を拝見することがあり,さらに少し前にご著書のお礼を書いたばかりだったので,突然の訃報に接しておどろくばかりです。
 道幸先生の業績は組合法関係以外にも,『職場における自立とプライヴァシー』(日本評論社)は,このテーマにおける先駆的な業績として,よく参照されるものでした。そのほかにも,ワークルール教育の分野でも意欲的な活動をしておられました。お弟子さんもたくさん育てられました。私は道幸先生とは直接的な師弟関係はありませんが,世代的には師の世代なのに,まるで同輩のように親しく話しかけられたことをよく覚えています。また北大の研究会に行かせてもらったときにも,暖かく迎えていただき,感激しました。
 労働法学への貢献というのは,どなたかふさわしい方が書かれるでしょうから,私が出しゃばるつもりはありませんが,研究者としても,実務面でも,超一流の存在感をみせた個性豊かな先生でいらっしゃいました。喪失感は大きいです。安らかにお眠りください。

2023年8月23日 (水)

慶應優勝の意味

 夏の甲子園は,陸の王者慶應が優勝しました。おめでとうございます。選手が坊主頭でないところがいいですね。やっぱり髪があったほうが格好いいです。清原の息子も代打で出てきて盛り上がりました。連覇をめざす仙台育英は強いチームでした(春は,準優勝した報徳学園に負けています)が,春の選抜で対戦して負けた雪辱に燃える慶應の勢いのほうが上回ったのでしょう。慶應の途中から出てきた背番号1の小宅投手は,きゃしゃな感じがしましたが,実に見事に内角攻めをしていて,強力打線を抑え込みました。技術が力に勝ったという感じでしょうか。
  ところでアメリカでは,野球(baseball)は,日本ほどは人気がなく,アメフト(American football)やバスケット(basket ball)のほうが人気があるそうです。NBA playerの八村塁や渡邊雄太は,アメリカの基準からすれば,もっと日本で人気があってもよいはずなのでしょうが,日本では,大谷翔平のほうが圧倒的な人気なのは面白いですね。
 日本では,スポーツがよくできる若者が高校野球をして,プロ野球選手になるのですが,野球がこれだけ人気がある国は珍しいでしょう。イタリアでもプロリーグがありますが,サッカーとは比べものになりません。欧州では,どこも同じようなものではないでしょうか。
 それだけでなく,日本の高校野球は,たんなるスポーツの力を発揮する場にとどまらない独特なものがあります。丸刈り,礼儀正しさ,リハーサルまでして実施する開会式(プラドカードガールは,市立西宮高校の女子だけ),選手宣誓,ボランティアの審判の絶対的な権威,負けたときに土を持って帰る習慣,校歌斉唱(校歌は曲調が似ているものが多いですね。ラップのような校歌があれば面白いですが)のような,見方によっては異様な決まり事が多く,そのワンパターンさが妙な安心感を与え(コロナ禍で中止されると不満をもつ人が多かったようです),郷土愛もあいまって,夏の風物詩になっているのでしょう。
 礼儀正しいのはいいのですが,やはり丸刈りはやめたほうがいいですし,開会式のリハーサルもやめ(疲労軽減のため),選手宣誓もやめて,プラカードガールも廃止はどうですかね(今年から男子も応募可能となったようですが)。どうしても開会式をやりたければ,オリンピックのように選手がプラカードをもって入場行進すればいいのです。一方で新たにやったほうがよいのは,VARの導入です。
 なぜ改革が必要と思うかというと,高校野球は,日本人のメンタリティに多くの,どちらかというと負の影響を与えている可能性があると思うからです。高校野球的なノリが,職場などに持ち込まれて,体育会系のブラック企業が出てきたりもするわけです。監督や先輩は絶対,審判には文句を言わない,服装は言われたとおりにする(丸刈りの強制あるいは事実上の強制と同じ感じ),精神論が幅を利かす,男尊女卑といった特徴が濃厚な高校野球が変わっていけば,日本社会も変わるのではないかと思っています。そういう意味でも,丸刈りではない慶應が優勝したことはよかったです。

 

2023年8月22日 (火)

会計年度任用職員

 前期の学部の労働法の授業で,公務員について1回分をあてました。これまでは特別職の非常勤職員のことが問題となっていたのですが,2017年の地方公務員法(地公法)の改正で,2020年度以降,会計年度任用職員という制度が設けられて,地方公務員法333号での任用要件が厳格化され,これまで広く同号で採用されていた人のうち,「専門的な知識経験等に基づき助言,調査及び診断等の事務を行う者」以外は,会計年度任用職員として任用されることになったことから,少し問題状況が変わりました。非常勤職員の勤務関係は不明確なものとされており,一般職の非常勤職員が,地公法17条に基づき行われてきた以外に,特別職の非常勤公務員としても任用されるなど,整理が必要となっていました。2017年改正は,そうした問題に終止符を打つためのものと考えられますが,労働法の観点からは,これまで再任用拒否などをめぐり紛争となることが多かった特別職の非常勤職員が,一般職の会計年度任用職員に移行したことにより,問題状況がどうなるのかが気になるところではあります。もっとも,労働契約法は,もともと公務員には適用されない(211項)ので,その点だけみれば,改正前後において変わりはありません。
 会計年度任用職員は,任期は最長1年ですが,その更新はありえます。法文上は,まず「会計年度任用職員の任期は,その採用の日から同日の属する会計年度の末日までの期間の範囲内で任命権者が定める」(地公法22条の22項。最長は1年ということ)とされ,「任命権者は,会計年度任用職員の任期が第2項に規定する期間に満たない場合には,当該会計年度任用職員の勤務実績を考慮した上で,当該期間の範囲内において,その任期を更新することができる」(同条4項)とされており,ここでは更新とは,当該会計年度内のものに限るようです。しかし,会計年度をまたがることが認められていないわけではなく,それについては,新たな「採用」と位置づけるようです。ということで,地公法上は,「採用」と「任期の更新」があるのですが,私の理解が間違っていなければ,通常の意味での更新はすべて(新規の)「採用」となるということです。
 いずれにせよ,同一の職員が,同一の職で会計年度任用職員として継続して就労することはありえそうなので,再任用拒否(雇止め)となったときには,やはり問題が出てきます。これについては,特別職非常勤公務員に対するのと同じような処理になる可能性があるのですが,一般職と特別職で何か違いがあるのか,一般職となると,労働法から余計に遠くなりそうでもありますが,このあたりのことはよくわからないところがあります。公務員労働法研究者のホープといえる早津裕貴さんの『公務員の法的地位に関する日独比較法研究』(日本評論社)は,労契法211項による全面適用除外は,違憲無効とする余地も生じるとしています(255頁)。そこまで言うかはともかく,少なくとも会計年度任用職員は,一般職としての採用ということにして,地位が明確になったとか,期末手当が支給されるようになったとか,そういうことで満足せずに,より根本的な整理が必要でしょう。公務員の勤務関係のprivatizationを進め,どこまで労働法の領域に取り込めるかは,理論的にも興味深いテーマといえるでしょう。そうみると,違憲無効かはさておき,労契法211項は,ちょっと嫌な規定で,いろんな議論の芽を摘むような気がしますね。

2023年8月21日 (月)

有期雇用労働者と就業規則の不利益変更

 有期雇用労働者の期間途中で就業規則の不利益変更があった場合には,労働契約法9条・10条の問題となるのはわかるのですが,その契約が更新された場合,更新といっても新規の契約であるとみると,あらためて就業規則の適用については,今度は7条の問題となるということになりそうです。たとえば,○○手当を支給しないとする不利益変更が,いったん10条の合理性がない(あるいは同条但書により,期間内は変更しない旨の特約がある)として認められなかったとしても,次の更新のときには,○○手当の支給が定められていない就業規則が前提で労働契約が締結されたとして7条の問題となり,緩やかな合理性審査により合理性が肯定されるということもありえるでしょう。ただ,先般紹介した宮崎学園事件の福岡高裁宮崎支部判決では,更新途中で60歳以降の年俸の引下げという就業規則の不利益変更があったケースで,60歳になった有期雇用労働者に改正後の就業規則が適用された事案では,雇用がずっと継続されていて実質的に無期雇用のような状況にあったとして,10条の問題として処理されています。
 しかし,荒木尚志『労働法(第5版)』(2022年,有斐閣)420頁では,「有期契約更新は新契約の締結であるので,基本的には7条の問題となる」としたうえで,「ただ,7条の合理性判断において,反復更新されて継続してきた従前の労働条件との比較が考慮されることは十分あり得る」と書かれています。私は,この見解でよいと思っています。これを10条の類推適用と呼んでもよいと思います。10条の合理性審査は,従前の労働条件との比較という視点から導き出されたものとみることができるので,形式的には有期雇用の更新は,その都度の新規契約の締結なので7条の問題とせざるをえないものの,これまでの更新実績を考慮して,実質的には10条の問題とみるということでよいのだと思います。7条の合理性については,とくに法文上の制限はないので,柔軟な解釈を許容するものであると思います。
 以上とは別に,就業規則というものを,当該事業場の制度とみて,それに沿った内容の労働契約を締結するかは,個々の労働者がどのようにそれを労働契約の内容に組み入れたかによって決まるという立場によると(私のいう段階的構造論は,こうした立場です),(実質的に)10条の問題とみるかどうかでは話は終わらず,制度としての合理性だけでなく,労働契約の組入段階での合理性(正当性)が問題となり,そこでは現在の私見によると,納得規範が重要となります。
 この問題と似ているようで違うのが,就業規則の合理性と有効性との区別です(荒木・前掲書446頁を参照)。就業規則の不利益変更の合理性が否定されれば,当該労働者との関係では就業規則は適用されませんが,だからといって当該就業規則が無効となるわけではなく,他の労働者との関係では,7条の効力や12条の効力は発生するというのが荒木説です。私は,これは合理性が12条の効力発生の要件となるのか,という問題として考えています。契約説の立場からは,就業規則それ自体は何も効力がない契約のひな形であり,それについて法律が,7条,10条,12条のような効力を付与しており,あとは,それぞれの効力について要件を考えればよいのであり,合理性は12条の効力発生の要件にはならないということです(荒木説と結論は同じです)。
 ただ,合理性概念自体において,集団的な合理性と個別的な合理性というものを区別して考えられないかというように問題を設定すると,さらに話は少し変わってきます。第四銀行事件の河合裁判官の反対意見(「本件の就業規則変更は,企業ないし労働者全体の立場から巨視的に見るときは,その合理性を是認し得るものである反面,これをそのまま画一的に実施するときは,一部に耐え難い不利益を生じるという性質のものであった」とし,「経過措置を設けることが著しく困難又は不相当であったなど特別の事情が認められない限り,本件就業規則の変更は,少なくとも上告人[大内注:原告労働者]に対する関係では合理性を失い,これを上告人に受忍させることを許容することはできないと判断すべきであった」)には,こうした発想がうかがわれますし,相対的無効論もこの延長で出てきます(もともとは,菅野和夫先生と諏訪康雄先生のディアローグで論じられていたはずですが,かつてはBibleのように読んでいたあの本が,いまは研究室のどこかに埋もれてしまっていて確認できません)。10条は合理性の判断要素だけをみると,集団的な合理性とか個別的な合理性とか,そういう区別の視点はでてきませんが,就業規則の集団的規範が個別労働契約の内容となるという以上,二つの合理性を区別して考えることは,理論的にも必然となるのです。もちろん,あえて個別的な合理性という言葉を使わなくてもよく,10条の文言に則していうと,個別的な合理性は,「その他の就業規則の変更に係る事情」のなかで考慮すればよいのだと思います。第四銀行事件の最高裁の法廷意見によるかぎり,個別的な合理性を考慮するアプローチには否定的にならざるをえないので,司法試験の答案では書きにくいのでしょうが,でも,みちのく銀行事件の最高裁では,個別的な合理性を考えているようでもあります。
 有期雇用労働者の就業規則は,無期雇用労働者の就業規則とはかなり異なる性格をもつと思われます。無期雇用労働者のように,企業共同体の一員である場合は就業規則という制度は自身の身分的な立場と一体化しており,そこに改めて自身の契約への編入という段階を観念しにくいのに対し,有期雇用労働者のように,共同体の一員ではないので,なぜ就業規則という制度が自身の契約に編入されるのかという問題を論じやすいと思われます。そして,企業共同体的な労働法が徐々に崩壊しつつある今日,就業規則がなぜ個人に適用されるのかということを,もっと根本的に考える必要があります。解雇権濫用法理による雇用保障の交換条件としての就業規則の一方的不利益変更という説明は,おそらく普遍的な意味をもっていないと思われます(私が博士論文を書いたときから,こだわっていた論点です)。
 以上の点は,先日の研究会では,あまり深めることができなかったので,また機会があればしっかり議論して勉強していきたいと思います。

 

2023年8月20日 (日)

「普通」の大切さ

 また阪神タイガースの話です。岡田監督の言葉に印象的なものがあります。「普通にやらないから負けた」「普通にやるだけ」といった「普通」という言葉がよく出てきます。とくに最近では,サードのサトテルが,3塁線の打球に対して,正面でとろうとせずに,逆シングルでとろうとしてエラーにして,併殺できるところが,オールセーフになってしまったこと(これによって投手に余計に球を投げさせることになり,しかもむこうの打線の流れがよくなったこと)と,同じ試合でもう一つ,ノーアウト23塁の局面で,内野守備陣が後ろに守って1点はOKという布陣でのぞんでいるので,球をバットにあてて転がせば点が入るところを,フルスイングして3球三振したことを批判し,次の2試合は先発から外しました。素人でもわかるような基本的なことができていないのですが,こういう「普通」なことができていないようではダメということです。
 思うに,岡田監督にとっては,これまで十分に準備をしてきたので,それをそのまま発揮するというのが「普通」であり,なにも特別なことはしなくてよいと考えているのでしょう。これはたとえば入学試験前に十分に準備をしていれば,本番ではそれをそのまま発揮すればよく,自然体で臨めばよいというのと同じでしょう。だから岡田監督は,試合でとくに具体的な指示はしないのであり,ただ「普通」にやってくれという包括的な指示をしているだけなのだと思います。サトテルについては,ここはこういうようにやれよと指示を出したほうがよいような気がしますが,監督はそういうことはしないのでしょう。それくらい自分で考えられないようではダメであり,監督は,本番において細かいことを指示しなければわからないような選手ではいけないと考えているのだと思います。これは割り切りすぎのような気がしますが,マスメディアをとおしてやんわり指示をしている面もあります(岡田監督の試合後のインタビューは,内容豊富です)。
 監督が直接いろいろ言わない育成方法のほうが,選手は成長するのでしょうが,目先の試合に負けることもあります。だから,長期的な視点でとらえる我慢が必要で,岡田監督は10月にアレを実現して,勝利の美酒に酔うというところが目標なので,そういう我慢ができるのでしょう。サトテルは,2試合外されただけで,スタメンに復帰していますが,いまいちです。素人目にも打てそうな感じがしません。サトテルは,いわば外国人選手のようで,ほんとうに気ままに野球をやっていて,それでいてホームランも打点もチームで2位ということで,その打撃は魅力なのですが,なにせ確実性が低いのです。でも考えると,一発屋の外国人選手というのは,こういうタイプだったのであり,サトテルもそういう外国人と同じと思えばよいのかもしれません。
 岡田監督の割り切りは,いくら十分に準備しても,良い投手が打てないのは「普通」のことで,でもどんなに良い投手でも球数が増えれば打てる可能性が出てくるので,たくさんの球を投げさせるようにするというのも「普通」のことで,それでも差がついていたら追い上げられないから,投手はできるだけ点数に抑えることも「普通」であり,相手に打たすとヒットの可能性もあるが,78割はアウトになるので,自らランナーを出す四球は自滅以外のなにものでもないというのも「普通」の発想なのです。そして,こうした「普通」のことを積み重ねれば優勝できると考えているのでしょう。当たり前のことのようですが,それを着実に実行するのは難しいのでしょう。岡田監督は,名将と言われると,「いや普通のことをやっているだけや」と言うかも知れませんね。

2023年8月19日 (土)

観光産業の未来と最低賃金

 観光産業の人手不足というのは,旅行客にとってみれば困ったことですが,マクロ的な視点でみると,この業界が将来の発展に向けて生産性を高めるための絶好の機会だともいえます。観光産業の生産性の低さが,賃金を押し下げ,人材が集まらない原因の一つになっています。客商売ですし,小規模なところが多いので,繁閑の差の影響を受けやすいのが泣き所です(中国からの旅行客期待でよいのでしょうか)。生産性を高めるうえではDXが決め手となるわけで,政府はそのための投資を後押しすることが必要です。現在の最低賃金の引上げ(+中小企業への助成金)というのは,経済の今後のビジョンという点からみると,どうかと思います。最低賃金の影響を受けるのは,もともと低スキルのために賃金が低い人材であることが多く,そうした人材の賃金を強制的に引き上げれば,雇用機会の減少という影響が出るのは確実でしょう。政府がめざす労働市場改革でいうジョブ型とか職務給とかリスキリングとか,そういうものは実際にはミドル・ハイスキルの人材を対象としたもので,こうした人たちに対する雇用政策も必要ですが(ただし,それをどのような手法でやるかについては,政府の方針が必ずしも適切とは思わないことは,すでに何度も書いていることです),ロースキルの人たちへの最低賃金政策は,これとはまったく異なる政策です。政府が考えたほうがよいのは,最低賃金やその水準に影響を受けるロースキルの人たちのスキルをいかにして向上させるかです。
 これまで最低賃金で給与をもらっていたパート労働者は,たとえば兵庫県であれば,時給960円から1001円に上がります。社会保険の106万円の壁を意識して,だいたい週20時間働いていた人からすると,週に(41円×20=)820円くらいの増加です。 これは106万円の壁がなくなることが前提ですが,106万円の壁があれば,それを意識する人は,どんなに最低賃金が上がっても,それに合わせて就労調整するので年収は変わらないことになります(そして人手不足が悪化します)。106万円の壁が何らかの形で取り除かれると,労働時間をもっと増やそうとする人は出てくるでしょうが,ロースキルの人ができる仕事は,やはり最低賃金近辺の仕事となるでしょう。たとえば週40時間(法定労働時間)まで働くことにすると,週に2084円の増加となり,それなりに大きいともいえますが,びっくりするような額ではありません。これくらいの上昇だと,中小企業のほうには痛いが,個人にはあまり響かないということになるかもしれません。
 観光産業は,DXで人手不足に対応すること,一方,働く側は,観光産業でのロースキルでもこなせる仕事にいつまでもこだわらず,より高いスキルを習得して,それをとおして賃金アップを目指すことが大切です。そう考えると,政府は,最低賃金引上げのためにエネルギーをあまり使うのではなく(あるいは最低賃金が上がったから満足するのではなく),職業訓練政策の充実化(DX時代に対応できる将来性のあるスキルを習得できる訓練機会を提供し,その間の生活保障を十分に行うこと)にこそ知恵と時間と費用を傾注してもらいたいものです。

2023年8月18日 (金)

若い医師の自殺に思う

 地元の甲南医療センターの専攻医の自殺が,労災と認められたという報道がありました。1カ月の時間外労働時間は207時間に及んでおり,過労死ラインを超えていました。精神障害発症の場合は,発病直前の1か月におおむね160時間以上の時間外労働を行った場合には,業務による心理的負荷が「強」となる基準となります。労働基準監督署は,この長時間労働が原因でうつ病を発症したと認定したのでしょう。遺族の無念を思うと,心が痛みます。
 医師に対しては,時間外労働規制は適用猶予されるという対応がされていました(労働基準法141条)が,これが20244月以降なくなります(ただし,年間規制は720時間ではなく,原則として960時間)。
 医師の労働時間をめぐっては,前にも書いたことがありますが,時間外労働についての強い制限があれば,医療提供サービスに支障が生じるという病院側の意見がある一方,医師も雇用されている労働者であるかぎり,一般の労働者と同じように過労による健康障害の危険があるので規制は必要という意見もあります。
 今回の事件で,病院側は,医師には自己研鑽の時間も含まれているので,タイムカードの打刻の時間のすべてが労働時間ではないと反論しているようです。これは,時間外労働の規制の是非という政策的な問題ではなく,労働時間の概念にかかわるものであり,また労働時間の管理の問題といえるのですが,病院側の主張にまったく理がないとはいえないまでも,やはり疑問が残ります。というのは,自己研鑽という名前がミスリーディングである可能性があり,どこまで自己のための自発的なものであったかは検討の余地があるからです。業務との関連性いかんでは,黙示の指示があったともいえるのです(たとえば病院内の直属の上司による,自己研鑽という名の指揮命令があったと認定できる場合もありうるのです)。あるいは,病院側が,医師個人が自分のために自己研鑽をしている時間を黙認していたといえることもあるでしょう。私は,所定労働時間外の労働は,本来は,使用者がきちんと誠実説明をして本人の同意を得たうえでされるべきものであり,そうしてなされた労働以外は指揮命令外とみたほうがよいという立場です(拙著『人事労働法』(2021年,弘文堂)179頁,181頁)が,これは労働時間規制との関係の話であり,労災補償においては,労働者に対する業務上の負荷という事実上のものが問題となるので,黙示の指揮命令による時間もカウントすべきであると考えています。
 医療の現場を知らないので何ともいえませんが,まだ医師になったばかりの若者が,そう自分が好きなように時間を使うことができたのかには疑問があります。医師の働き方の特殊性というようなことで,この問題を本人の責任にしてしまうと,こんな病院で働きたくないと思う医師の卵が増えてしまわないか心配です。
 病院が医療サービスの提供に真剣に取り組んでくれることは有り難く思っていますが,労働法の理念がきちんと浸透していないで人を働かせているという面がもしあるのなら,現代社会では病院として存在することは許されないので,是正してもらう必要があります。時間外労働の規制への不満は,労働法の理念をきちんと尊重する姿勢でやっていてこそ,はじめて説得力をもつのです。
 患者一人ひとりの命を大切にしてくれる病院なら,働く医師の命も大切にしてくれるはずです。医師の命を大切にしない病院なら,患者の命も大切にしてくれないのでは,という不安が生じます。病院は,今回の事件を,個人の問題としてしまわずに,ぜひ組織の問題としてとらえ再点検をしてもらいたいです。それと同時に,人手不足であるのなら,どうしたら省力化ができるかということ,そして,医師が増えるようにするにはどうすればよいかということを考えてほしいです(政府の仕事でもあります)。今回の事件は,後者の面では逆効果となりかねません。
 私たちがこの問題に強い関心をもつのは,これは結局は,私たちの命や健康に関係してくるからです。この若い医師の死を無駄にしないためにも,医療サービスの維持と医師の働き方改革をどのように両立して進めるかについて,真剣に取り組む必要があります。

2023年8月17日 (木)

検察のシステムエラー発言に思う

 検察に誤認逮捕された人への謝罪の場で,刑事部副部長という肩書きの人から,「当時の証拠に照らせば,やむを得ないシステムエラーだった」という発言があったという担当弁護士の言葉が報道されていました(朝日新聞デジタル2023816日)。「システムエラー」の意味はよくわかりませんが,検察というシステムのエラーという意味ではなく,事件の内容(インスタグラムでのリベンジポルノ投稿など)からすると,コンピュータシステムに関するエラーという意味だと思われます。もしコンピュータエラーについて自分で責任を負えないのなら,検察官はアナログ的な手法で捜査をやってもらうしかありません(さもなければ誤認逮捕が続出となってしまいます)が,そうすると犯人を取り逃すでしょう。ということは,アナログ的な手法でしか捜査できないような組織では困るということです。
 システムエラーであったとしても,システムを活用したのは人間なので,活用した人間が責任を負うと述べるべきでしょう。そう言えないのならば,検察というのは,システムに頼り,あとは手足のように仕事をしているだけなのか,と言いたくなります。そもそも謝罪はしているとしても,その内容が不十分で,誤認逮捕された人が納得していないということであれば,謝罪にはなっていないことになります(謝罪をすることが必要かはいろんな意見があると思いますし,謝罪をすればよいということでもないと思っていますが,謝罪をするならきちんとやらなければ意味がないということを言いたいのです)。42日も勾留しているわけですから,これは大変なことです。日本の刑事司法には国際的にも厳しい視線が向けられており,外国からは犯人の引渡もしてもらえなくなってきているという報道もありました。まさに後進国扱いです。冤罪の危険が高いと考えられているのでしょう。
  多くの検察官はきちんとやっているのでしょうが,組織で偉くなっていくと,勘違いする人も出てくるのかもしれません。いずれにせよ,実態がどうかはさておき,そういう印象を与えていること自体,検察官の威信に傷がつくことになります。
  人間のやることですからエラーはあります。エラーがあったときに,誠心誠意,相手に納得してもらうように対応することが必要です。ほんとうにプロであったら,間違ったことについて,変な言い訳はしないですよね。検察は,誰に対応させるかについても,しっかり考えなければ,評判を落とすことになるでしょう(国民は,自分も軽率に誤認逮捕されないかと不安に思っています)。また謝罪の場は,メディアに立ち会わせ,本人の名誉回復に手を貸すということもすべきでしょう。企業も同じですが,ミスをしたときの対応で評価が変わってくるのです。このことは,検察でも変わりはないのです。
 エラーをしてもしっかり上層部がリカバーして国民の信用を維持できるようにすることこそ,現場の検察官に思う存分,悪の摘発のために力を発揮してもらうために必要なことだと思います。

2023年8月16日 (水)

竜王戦の挑戦者決まる

 王位戦の第4局は,佐々木大地七段が一矢を報いました。佐賀の嬉野温泉の和多屋別荘での王位戦第4局は,藤井聡太王位(竜王・名人・七冠)が敗れ31敗となりました。後手番の藤井王位は,中段に浮いていた飛車が狙われ,うまくさばけなかったようで,最後は佐々木七段が13手詰めを逃さず仕留めました。藤井王位としては1週間後の第5局には勝って,すっきりと八冠に向けて永瀬拓矢王座へのタイトル挑戦に臨みたいところでしょう。
 竜王戦の挑戦者決定戦三番勝負は,伊藤匠六段が,永瀬王座に連勝して,藤井竜王への挑戦となりました。20歳の同級生対決です。昨年のNHK杯では藤井竜王が勝っていますが,同年齢だけにライバル心は強いでしょう。相手はいまや七冠としてそびえ立つ存在(竜王戦が始まるときは八冠になっているかもしれません)ですが,伊藤七段(竜王戦挑戦で七段に昇段しました)にとっては,一気に近づけるチャンスです。竜王戦のすごいところは,クラスが下でも竜王を取ることができるシステムであることです。伊藤七段は,今期は竜王戦は下から2つめの5組(スタート時は段位も五段でした)で,所属する組を決めるランキング戦で瀬川晶司六段,石田直裕五段,井上慶太九段,藤森哲也五段,服部慎一郎五段に勝って優勝し,準決勝で勝った時点で4組昇級を決めて(前年度も6組で優勝している),竜王戦での2期連続の昇級という昇段要件を満たして六段に昇段し,ついで挑戦者を決める決勝トーナメントでは,6組優勝の出口若武六段,4組優勝の大石直嗣七段,15位の広瀬章人八段,14位の丸山忠久九段,1組優勝の稲葉陽八段に勝ち(前年度の決勝トーナメントでは稲葉八段に敗れていたのでリベンジを果たしました),そして13位で勝ち上がってきた永瀬王座に2連勝し,合計12連勝で挑戦権をつかみました。5組の棋士が挑戦するのは初めてのようです。藤井竜王も5組のときに優勝していますが,挑戦にまでは至りませんでした。前述のように,制度上は,下から勝ち続ければ挑戦権を得て,さらに竜王位をとることもできるのですが,実際には不可能に近い難しさです。しかし伊藤七段はあと一歩のところまで来ました。
 順位戦は1年に一つしか昇級できないので,蓄積が重要なのですが,竜王戦は勢いで行けるところがあります。なお伊藤七段は,順位戦は3期目ですが,最初のC2組は1期で抜けたものの,次のC1組は91敗の好成績ながら,順位が下だったので昇級をのがしています(9連勝で迎えた最終局に,阪口悟六段相手にまさかの敗北を喫して頭ハネされました)。今期も初戦を負けてしまい,21敗と苦しいスタートです。今期は順位が1位といえ,2敗してしまうとかなり苦しくなるでしょう。
 ということで順位戦はやや苦しんでいますが,ここまでの勝ちっぷりはすごいものがあります。第1局のときには伊藤七段は21歳になっていますが,それでも藤井竜王と二人あわせて41歳という驚くべき竜王戦になりました。2020年デビューの伊藤七段は,2016年デビューで史上5人目の中学生プロになった藤井竜王より4年遅れのプロ入りですが,それでもこの若さで竜王戦挑戦は見事です。次代の将棋界を担う二人の対決が,いまから楽しみです。かつては竜王戦といえば,渡辺明九段でしたが,すっかり景色が変わりましたね。

2023年8月15日 (火)

栗山メモ

 台風が来ましたね。大型の台風です。昼間は,カーテンを開けて,木や電線が揺れるのをみていました。自然の威力はすごいです。自然に敬意を払い,おとなしくしていなければなりません。こんな日でも外で仕事をしなければならない人は,自ら進んでやっているのなら仕方がないですが,会社の命令でやらされているとすれば気の毒です。いやなら辞めたらいいというのではなく,本人に抽象的な同意があったとしても,具体的に命令でやらせてよいことの限界があるのではないかという視点が必要です。具体的なケースで,ぎりぎりいっぱいのときに抵抗できる権利を労働者に与えるということが,労働法では重要となります。
 話は変わり,昨日,NHKプラスでWBCJapan監督の栗山英樹氏の監督時代のメモをたどりながら,優勝に至るまでの軌跡をたどった番組を観ました。逆算することや非情な采配が重要であることが強調されていたのですが,実は構成に無理があるという感じがしました。栗山氏は,トーナメントの戦い方にはプロ野球選手は慣れていないので,社会人野球の監督らに話を聞いたとして,そこで逆算や非情の重要性を教わったと述べていました。またプロ野球の名将,三原監督の「一つの場面で勝とうとするなら,監督非情さと冷厳さが要求される」という言葉も座右の銘にしたようであり,このフレーズが何度も番組のなかで登場します。ただ,逆算の重要性というと,WBCに入ったところで,予選からどのように逆算して選手起用したかということが重要となりそうなのですが,そこはあまり出てこず,最後に大谷かダルビッシュが三振をとって優勝するというイメージがあったというようなぼんやりした話になっています。栗山氏が,WBCにそなえて,いろいろスケジュールを立てて準備したことはわかりましたが,それはここで言われている逆算とは違う気がします。また非情な采配というのも,あまりよくわかりませんでした。結局,ダルビッシュと事前に,調子が悪ければ使わないよという会話をしたところだけで,これは勝負ではあたりまえのことなので,これが非情な采配とはいえないでしょう。むしろ,決勝で8回にダルビッシュを投げさせたりしているのは温情采配のように思えますし,準決勝のメキシコ戦で,それまで大不調であった村上にそのまま打たせたところも,結果として決勝打になりましたが,温情采配のようにみえます。村上のところについては,栗山氏は,彼を打たせるしかなかった理由をきちんと説明していましたが,それはそのとおりかもしれませんが,非情な采配という話ではありませんでした。結局,大谷を呼ぶことができて,大谷が十分に活躍してくれたから優勝できたのであり,監督が非情であったわけでも,逆算が優れていたわけでもなく,大谷を呼ぶことができたことこそ彼の貢献ではなかったかというようにも思えました。もちろん,ほんとうはそうではないのでしょうが,番組が,強引な構成をしてしまったために,かえって栗山氏に迷惑なものになったのではないかという印象を受けました。
 非情な采配というのは,人情派の監督が自分をいさめるときに使う言葉かもしれません。勝負である以上,本来,冷静に選手の力を見極めて使うのは当然のことでしょう。阪神の岡田監督は,選手のことをいろいろ考えているようではありますが,勝負になったら,選手を冷静に「将棋の駒」のように使っています。前に島田選手のエラーに対して温情的と書きましたが,これは実は表面的なコメントで,彼を選手として活躍してもらうためには,ここで本人のやる気に影響してしまいそうなコメントはしないほうがよいという冷静な計算によるものでしょう(メディアをつかって,うまく監督のコメントが伝わるようにしています)。重要なのは,非情さではなく,冷静さであり,勝負に徹するこだわりなのでしょう。逆算についても,岡田監督はこれまで見事にやっています。トーナメントだけでなく,ペナントレースでも必要なことなのです。シーズン前半はあまり勝ち負けにこだわらず,選手の消耗を防ぎながら,どの選手が終盤の苦しいときに戦力になるかを冷静に見極めて起用をしてきました。ケガによるアクシデントも織り込み済みであり,気づけば先発投手陣は余ってしまうほどですし,リリーフ陣はしっかり休ませながら,疲労がたまらないようにしています。監督にとって,連勝することはほんとうは嫌なようです。勝ちゲームだと良い投手を連投させるので,疲労がたまってしまい,その後に戦力ダウンにつながることをおそれているのです。10連勝しても,8連敗したら,貯金は2です。21敗を6回やれば,貯金6です。こちらのほうが,ときどきある負け試合に,勝ちゲームに使う選手を休ませることができ,長い目でみれば,このほうがたくさん勝てるということを考えています。これが逆算の発想です。
 捕手も梅野の死球離脱は痛いですが,今年の阪神は捕手2人制でした。まさか梅野のケガまで予想していたわけではないでしょうが,危機管理ができていたといえるでしょう。外野についても,森下を開幕から使って,プロの厳しさを教え,不調になってからは二軍に落としたあと,再度の昇格後は,3番にどっしり座らせ,いまや最も頼りになるバッターになっています。前川もいまは2軍ですが,最後には戦力になるとみているでしょう。内野は大山を1塁に固定することで,守備の技術が高まり,とくに佐藤からの不安定な送球も大丈夫という安心感を与えています。ショートについては,木浪の力を過小評価していたようですが,恐怖の8番として,彼の力を十分に発揮させています。中野と木浪の二遊間がここまでピタリとはまるとは予想していなかったかもしれませんが,これも矢野監督時代にはなかったポジション固定の効果であり,その効果は終盤にいくほど強く表れてくると思います。この岡田監督の戦術こそ,逆算の発想によるものなのでしょう。
 栗山氏も名監督だと思いますが,番組ではその良さがあまり伝わらなかったのは残念です。それとノートが手書きなのが気になりました。それをなんとNHK側が,手書きの大きな付箋紙のようなもので整理して,部屋全体に貼っているという,あまりにも昭和的なものを見せられて,驚いてしまいました。膨大な手書きの文章を,アナログ的な手法で整理するのが2023年の話だと考えた場合,複雑な気持ちになりました。かえって野球の未来が心配になりましたね。

2023年8月14日 (月)

タクシーの人手不足

 バブルのころのタクシー不足を経験している私たちやその上の世代にとっては,あの悪夢の再来かと思うようなことが起きています。ホテルの前のタクシーがなかったり,都市部にいても,タクシーがなかなかつかまらなかったりするという話を耳にすることが増えています。配車アプリが普及して,リクエストはしやすくなっていますが,肝心のタクシーが近くにいないので,宝の持ち腐れになりそうです。
 どうしてタクシー業界に人が集まらないのでしょうか。タクシー業界は,自動運転が普及すると,大幅に人員削減されることが予測されるので,それを見越してさっさと転職する人が増えているのでしょうか。ただ自動運転車が雇用に影響するのは,今日明日のことではないでしょう。それよりもコロナ禍で,客が減ったことから転職してしまったのかもしれません。また,感染リスクの高い仕事なので,辞めた人も少なくないでしょう。ただ,そういう人ならいつかは戻ってきそうではありますが,その間によい仕事がみつかれば,将来性があるとはいえないタクシー業界には戻ってこないということかもしれません。自動運転車に随行して,コンシェルジュ的なことをする人材の需要は期待できますが,それもPepperなどのAIロボットがたちまち対応するようになるでしょう。
 こう考えると,タクシー料金をどんなに上げても,そして,それでも払うという利用客がいても,タクシー乗務員は増えないかもしれません。
 そうなると,ライドシェアの導入を本格的に考えていくことが必要です。タクシー業界のエゴで,ライドシェアの導入が遅れているのであれば,改めてもらいたいです。タクシー業界は,国民のモビリティの手段を提供するという社会課題の解決をする業界だと思っています。そのために必要な値上げは,してもらって結構です(国土交通省も認可するでしょう)が,それでも人材を集められないのなら,ライドシェアの普及に協力をしてもらいたいです。ここは政治家のリーダーシップも必要です。
 海外でUberGrabを利用した経験のある人は,その便利さを知っているはずです。自民党議員も海外視察するならば,現地ではぜひ自分もスマホをつかってライドシェアで移動してみてください。そういう視察だったら,税金をつかってやってもらっても結構です(なお例のフランス視察の費用は,党費と自己負担だったそうですが)。
 

2023年8月13日 (日)

法学の課題

 前に書いた大学改革の話の続きですが,文理融合などを考えていくだけでなく,法学のなかにおいても,いろいろ検討すべきことがありそうです。
 AIの進化により,たんなる法律に関する情報の提供はもちろん,法解釈などの技術的な側面もAIを活用することになるでしょう。法律を一定の政策目的のためにどう使うかという法道具主義的なアプローチにおいても,AIが大いに活用されることになるでしょう。そうなると,法学研究は,より原理的な問題に傾斜し,実用性からやや遠くなっていくかもしれません。現時点ではまだAI社会に対応した新たなルールというような観点から,実用面に傾斜した研究が多いように思います(社会からのニーズも,こういうものが強い)が,徐々に基礎法的な議論が中心になっていくでしょう。
 一方,DX時代の一つの特徴は,学問の境界線をまたがるような論点が次々と出てくることです。法学内部でも同じであり,研究機関としての大学の法学部は,もはや民法,刑法などの○○法の専門というような分け方をすることは適さず,分野横断的に総合的な関心をもっている研究者が必要となると思います。民法はわかるが,労働法はよくわからないというようなことでは,おそらくこれからはダメなのでしょうね(Vice versa)。
 現在では,基本科目とされている民法,行政法などにおける一般性のありそうな議論も,実は現場に近い応用系の科目では,すでに独自の発展を遂げていることがあります。例えばデュアル・エンフォースメントやトリプル・エンフォースメントという議論(刑事的手法,行政的手法,民事的手法の二つまたは三つの活用)については,実は労働基準法はトリプル・エンフォースメントの代表例です。ダブルトラック(行政手続と民事手続)をめぐる議論についても,不当労働行為救済制度では,ずっと議論されてきているものです。もちろん労働法の議論が,具体的にどのように貢献できるかはわかりませんが,すでに多年にわたる実務経験の蓄積があり,そこでいろんな問題もかなり論じられているので,それをみないで議論をするのは非効率でしょう。
 労働法は特殊な分野であるので,あまり参考にならないという思い込みと,よくわからない分野なので首を突っ込むことができないという消極姿勢があり,他方で,労働法側にも遠慮があったり,どうせ周辺科目であるという屈折した感情もあったりして,分野をまたがった交流があまりなされてきませんでした。しかし,労働法は特殊とはいえ,世の中の多数の人がその適用を受けているのであり,この分野の理論を摂取していかなければ,適切な法理論の構築は難しいでしょう。
 いまフリーランス政策が話題になっていますが,これが,労働法と経済法のどちらの土俵でやるのかが議論の対象となっています。学問的に整理されていないため,フリーランス新法は両者をそのままくっつけてしまったもの(理論的には未熟なもの)になっています。既存の分野をまたがる知見を結集し,それを統合して,新たな理論を構築する必要が出てきていると思います。

2023年8月12日 (土)

女子サッカー惜敗

 女子サッカーは惜しくもベスト8で敗退しましたが,十分に楽しませてもらいました。このワールドカップの前は,女子選手としては,今回は出ていない岩渕以外は,清水と長谷川くらいしか知らず,どれくらい強いのかも知りませんでした。おそらく国民の期待もあまり高くなく,それほど盛り上がっていなかったと思います。しかしSpain に勝って注目がぐんと高まりました。Norway はあんまり強くなかったですが,Swedenは強かったですね。東京オリンピックの雪辱とはいきませんでした。あの2011年のドイツ大会をもう一度という盛り上がりになりましたが,そう簡単ではありませんでした。ただ男子と違って,女子はなんといっても優勝経験がありますから,勝てるかもしれないと期待しても,おかしくはありませんでした。
 長谷川の芸術的なパス,清水の隙あらば前に切り込んでいこうとする豊富な動き,切れ味の鋭い宮澤の動きなど,素晴らしかったです。日本男子のサッカーよりも,ワクワクするようなサッカーでした。
 それにしても,この試合中継が,放映権の高騰で,日本ではなかったかもしれないという危機があったことは考えさせられます。最終的にはNHKが放映権をとりましたが,民放は,ここまで盛り上がるとは予想できていなかったこともあるでしょうが,高すぎて手が出なかったこともあるのでしょう。放映権については,FIFAへの批判もあるようです。NHKはどれくらい払ったのでしょうかね。受信料に影響しないか心配です。
 ただ,いまは良いスポーツの試合をテレビやネットで観るためには,お金を払わなければならないという時代です。先日の井上尚弥の試合も,Liveでは観ることができませんでした。Amazon Primeも値上げですね。エンタメにどこまでお金をかけるか。家計のやりくりをするうえで,重要なポイントとなりそうです。

2023年8月11日 (金)

お墓参り

 私の両親は,三男と三女が結婚したこともあり,家に仏壇はなく,お墓参りも,父がそういうことをする人ではなく,母も何となくその影響を受けてしまったのか,小学生のときに母の実家の墓参りに数回行ったことがあるくらいです。私の祖母からも,私がお墓で蚊に刺されて(関西弁では,蚊にかまれて)大変だったので,もう来なくてよいと母に言ったようです。母が亡くなったあとも,父はとくに何も仏事関係のことはしておらず,妹たちとは,まったく無宗教な家だよねと言っています。
 ということで,初盆ということもまったく意識していなかったのですが,亡父に対する香典やお供えをいただいて驚いています。それでやっぱりお墓参りをしたほうがよいと思い,この酷暑のなか行ってきました。暑くて大変でした。お墓参りに行って熱中症でたおれるなんてことになると,しゃれにならないので,お盆のお墓参りはやっぱりしないことにしようと思っています。父母もきっと,もっと季節のよいときに来てくれたらいいと言ってくれるでしょう。
 墓参りといっても,永代供養のガーデン葬です。墓石ではなく,蓋石を利用し,その下に骨が埋まっています。最近,このタイプのものが急速に増えているようで,石材業者に聞いたら,墓石を買う人は減っていて,新たに墓をつくろうという人は,私たちと同じようなガーデン葬などの永代供養型を選択している人がほとんどになってきているようです。私が契約した霊園では,通常のお墓もあるのですが,荒れているところも少なからずありました。誰もケアをしなければ,立派な墓石があるのに,哀れなものになってしまいます。私も,死んだら,父母と同じところに入れてもらおうと思っています。子孫に迷惑がかけるようなことはしたくありません。これからは,デジタルの世界では,ずっと生き長らえるのであり,現実世界のお墓などは重要でないと考える人も増えてくるのではないでしょうか。

2023年8月10日 (木)

岡田采配

 夏の高校野球は,兵庫県代表の社高校は初戦敗退でした。相手の日大三高の投手がすごかったです。もう少しなんとかなるかと思いましたが,完敗でした。兵庫県予選の突破は大変なのですが,全国のレベルは高いですね。
 プロ野球は阪神は快調です。巨人をスイープして,7連勝です。アレに向かってまっしぐらです。甲子園から離れるので,死のロードと言われてきましたが,暑い甲子園よりも,東京ドームやナゴヤドーム(バンテリンドーム)で試合をするほうがよいようです。ところで,昨日の巨人戦は,少し感動しました。延長11回までやって,5対2で勝ったのですが,7回に1点リードしたところで,ノイジーの代走で入り,そのままレフトの守備についていた島田海吏が,平凡なレフトフライを追いかけすぎて,近本と交錯して落球してしまい,そのあとに中田翔に逆転のツーランを打たれてしまいました。完全に負けゲームの雰囲気でしたが,小兵の中野がまさかのホームランで同点としました。その後も,島田はチャンスに2回打席が回ってきますが三振とショートゴロで汚名挽回できず,さらに梅野のセンター前ヒットのとき,やむを得なかったかもしれませんが,2塁にいた島田が3塁でアウトになってしまい,梅野は,打点はついたのですが,ヒットを1本を損してしまうなど,島田にとってはほんとうに悪い日でした。あとで号泣したそうです。負けていれば,どれだけたたかれていたかと思うと,ほんとうによかったです(新婚の奥さんも安心したでしょう)。それでも,試合は勝ち,岡田監督からはお咎めなしということでした。岡田監督の温情でしょう。打率が2割に達しない野手で,守備・代走要員で1軍に置いているのに,肝心のところでエラーをしたら,即刻,交替になっても仕方がないし,その後もチャンスに打てないとなると,2軍直行を命じられてもおかしくありませんでした。しかし,岡田監督は,信じて使った選手は,徹底的に信じるということなのでしょう。ミスは誰にでもあるものだし,試合に勝ったからよし,というような,ある意味で甘すぎる対応ですが,島田を今後も必要な選手だと考えるから,ここで交替させたり,2軍に行かせたりすると,もう戦力として使えなくなるという不安をもったのでしょう。阪神の代走陣は,島田,熊谷,植田というすぐれた選手がいます。なかでも島田は打席に立たせてもらうことが多く,監督の期待が感じられます。
 他の選手も,岡田監督の島田への扱いをみているでしょう。思い切ったプレーで失敗しても許してくれる監督だとわかると,力を発揮しやすくなるでしょう。監督がいやがるのは怠慢プレイであり,投手であれば四球です。逆に,打てなくても四球を選んでいれば評価されます。バント失敗やエラーにも比較的寛大です。誰でもエラーはするということであり,その他のところで貢献してくれたらよいのです。しかも,それは一試合だけの話ではなく,いつかまた別の試合で貢献してくれればよいとみているのでしょう。目標はアレであり,目先の1勝にはこだわっていません。
 限られた人材を,いかにしてモチベーションを損なわないようにして,フルに能力を発揮してもらうか。甘やかすことは危険ですが,アレという明確な目的があるなかでは,選手の意識が良い方向に一致しているので,あまり余計なことをしなくてよいのでしょう。企業の人事戦略にも参考になることかもしれません。

2023年8月 9日 (水)

これからの大学

 期末試験も終わり,これからは入試の仕事が少しずつ入ってくる時期になります。入試というと,なんとなく年中行事で,割り当てられた仕事を言われたとおりにこなしている感じですが,ほんとうは大学が何のためのものなのかを,もっと真剣に考えて発信していく必要があるという気もしています。入試というのは,毎年やるべきものなのでしょうか。大学がほんとうに集めたい学生を集め,第一線の研究者によって徹底的に教育をし,年限を設けずに一定のレベルに到達した人に学位を与え,そうして卒業をして欠員が出た時に入試を実施するということにしてはどうでしょうか。ただ,そういうのは,大学ではなく,寺子屋的な私塾でやるべきなのでしょうね。
 一方で,若者のほうも,キャリア意識が変わりつつあり,18歳のときに勝負をかけて大学に入ることに大きな価値を見出すことができなくなりつつあるように思います。現在の大卒資格は,そう遠からず,大きな意味がなくなるでしょう。それでも多くの子どもたちは,大学に入るために塾に行ったり,親も良い大学にいくことを期待したりしています。なんだかんだ言って,大学くらいは出ておかなければねという惰性が蔓延しています。
 実際には,いわゆるFランクと呼ばれる大学だけでなく,多くの大学が,大卒資格を得るためだけの存在であり,それは受験産業に乗せられた親や子どもたちの願いを実現する場にはなりますが,そうした大学で何かを身につけて将来のキャリアに備えることなどできるわけがないのです。そうなると,そうでなくても少子化にともない減ってくる入学者が,いっそう減ってくることになるし,無理に入学者をかき集めても,その後の就職の実績などで良くない評価はすぐに広がります。私立大学の経営は,今後は厳しさがいっそう増し,私学助成金やOBOGたちの愛校心からくる寄付がなければ,続かなくなるでしょう。教員の雇用にも影響が及ぶのは確実です。
 国公立大学も統廃合が進むことになるでしょう。おそらく教育機関としての国公立大学の使命は著しく減少し,研究機関としての生き残りこそ重要となります。最先端の研究ができる環境が用意できているかが生き残りの鍵です。
 法学研究科では,研究の要素がない法科大学院は職業専門学校として大学から完全に切り離すべきでしょう。とくに法科大学院が問題なのは,最高裁判決が絶対という権力秩序のなかに取り込まれ,従来の科目の分類にしばられた試験のための教育が重視されていることです。法科大学院で教育されてしまうと,そのあと知的格闘こそが命である研究者の世界に転身することは容易ではありません(もちろん見事に転身して活躍している人もいるのですが)。いまいちど法学研究者のエネルギーを,法科大学院ではなく,本来の理論教育に振り向け,真の意味での研究者の養成に力を入れなければ,法学の未来は暗いでしょう。法科大学院は実務家教員(あるいは法科大学院修了の研究者教員)に委ねればよいのです(そのほうが教育の効果も高まります)。法科大学院を出ていない人のなかにこそ,法学の未来を切り開く逸材が眠っているような気もします。ずっと前から法学教育の危機は言われているのですが,そろそろ危険水域に来ている気がしています。いま若手研究者のうち,どれだけの人が,しっかりした論文を書いているでしょうか。

2023年8月 8日 (火)

藤井聡太八冠への道

 藤井聡太竜王・名人(七冠)は,王座戦の挑戦者決定トーナメントの決勝で,豊島将之九段に勝ち,王座戦の挑戦を決めました。ついにここまで来ましたね。残された最後のタイトルへの挑戦が決まりました。王座戦はこれまで何度も途中で意外な相手に敗れることがあったのですが,今期はもはやどんな敵が来ても確実に勝てる力がついています。たしかにこの決勝戦は,途中で評価値は豊島九段に振れた場面もあったのですが,1分将棋であり,AIであれば勝てたかもしれませんが,人間では無理でした。豊島九段は悔しい敗戦でしょう。若手であれば,決勝まで行ったことで負けても勉強できることがあるという気持ちにもなるでしょうが,豊島九段クラスになると,勝敗こそ重要で,ショックが大きいのではないかと心配になります。
 待ち受ける永瀬拓矢王座は,もちろん藤井八冠誕生への引き立て役になるつもりはないと思っているでしょう。勝負に徹する永瀬将棋こそ,藤井八冠の王道将棋に立ちはだかる可能性はあります。これまでの対戦をみると,藤井八冠の可能性は9割くらいという気もしますが,どうでしょうか。
 もちろん,七冠のなかの王位戦はまだ終わっていません。なんとなく世間は王位戦防衛は確実という雰囲気ですが,すでに3連敗している佐々木大地七段が,ここから4連勝して王位を奪取する可能性はほぼないといえますが,それでも何があるかわかりません。
 王位戦の第4局は815日からです(2日制)。王座戦の第1局は,831日です。なお永瀬王座は,竜王戦での挑戦者になる可能性があります。いま伊藤匠七段との挑戦者決定3番勝負を戦っていて,初戦は負けましたが,挑戦の可能性は残っています。もし永瀬王座が竜王戦の挑戦権をつかむと,王座戦とあわせて,12番勝負となる可能性はあります(現在,藤井竜王・名人は,佐々木七段との12番勝負の途中です)。

2023年8月 7日 (月)

サラリーマン増税?

 増税は困りますが,通勤手当への課税や退職所得の税額控除の見直しについて「サラリーマン増税」だと言って批判するのは,どうかと思います。もちろん,個人的には,こういう改悪は困ります。しかし,もし歳出改革をしっかりして,それでもなお増税しなければならないとすれば,通勤手当は賃金の一種なので,それへの課税は筋が通るものと思っていますし,退職所得控除についても,これが伝統的な日本型雇用システムと整合性のあるものなので,日本型雇用システムの変容にともない見直すのは,理解できるところです。
 通勤手当について言うと,これは,そもそも,企業が支払う義務があるものではありません。民法485条は,「弁済の費用について別段の意思表示がないときは,その費用は,債務者の負担とする」と定めているので,労働契約でいえば,労働義務の履行のための費用は労働者が負担すべきものなのです。もちろん,これを企業が負担するという合意はできるのですが,それは業務費用ではなく,労働の対償として,賃金に該当すると解されています(労働基準法11条の賃金に該当し,24条の定める賃金支払に関する諸原則が適用されます)。社会保険における報酬月額にも含まれます。もっとも,税法上は,通勤手当は,実費補填的なものであるので,所得税法上は,1ヶ月15万円までは非課税とされてきました。ところで,今回,問題となっている政府税制調査会の答申「わが国税制の現状と課題令和時代の構造変化と税制のあり方」(20236月)では,「非課税所得等については,それぞれ制度の設けられた趣旨がありますが,本来,所得は漏れなく、包括的に捉えられるべきであることを踏まえ,経済社会の構造変化の中で非課税等とされる意義が薄れてきていると見られるものがある場合には,そのあり方について検討を加えることが必要です」と書かれているだけであり,私が見落としていなければ,積極的に通勤手当の非課税限度額を引き下げたり非課税所得扱いを撤廃したりするようなことは書かれていません。これは「火のないところの煙」であったようです。通勤手当の税法上の取扱いに変更が加えられることは,いまのところまったく改革の俎上に載せられていないと言ってよいでしょう。
 誤解が発生したのは,退職所得控除についての議論も併行してなされていたからです。現行の退職所得控除については,上記の政府税調の文書では,「退職金は,一般に,長期間にわたる勤務の対価の後払いとしての性格とともに,退職後の生活の原資に充てられる性格を有しています。このような退職金の性格から,一時に相当額を受給するため,他の所得に比べて累進緩和の配慮が必要と考えられることを踏まえ,退職所得については,他の所得と分離して,退職金の収入金額から退職所得控除額を控除した残額の2分の1を所得金額として,累進税率により課税されます(2分の1総合課税)(個人住民税は比例税率)。退職所得控除は,勤続年数 20 年までは1年につき40万円,勤続年数20年超の部分については1年につき70万円となっています」が,「現行の課税の仕組みは,勤続年数が長いほど厚く支給される退職金の支給形態を反映したものとなっていますが,近年は,支給形態や労働市場における様々な動向に応じて,税制上も対応を検討する必要が生じてきています」と書かれています。これについては,「三位一体の労働市場改革」では,「退職所得課税については,勤続 20年を境に,勤続1年あたりの控除額が40万円から70万円に増額されるところ,これが自らの選択による労働移動の円滑化を阻害しているとの指摘がある。制度変更に伴う影響に留意しつつ,本税制の見直しを行う」と明確に改革の姿勢を示し,また骨太の方針でも,「自己都合退職の場合の退職金の減額といった労働慣行の見直しに向けた『モデル就業規則』の改正や退職所得課税制度の見直しを行う」としており,実際「モデル就業規則」の改正はすでに前月実施されているので,退職所得控除についても,勤続20年超の部分の控除額の引上げをなくすことが,近いうちに実行されるのではないかという不安が出てきているのでしょう。こちらは「火のない所の煙」ではありません。
 野党は,退職金税制の話に,通勤手当の話を無理矢理くっつけて,「サラリーマン増税」といったネーミングをつけて,政府批判をしようとしている印象があり,かつてホワイトカラー・エグゼンプションを「残業代ゼロ法案」というネーミングで攻撃したことを想起させます。
 個人的には退職所得税制の改正(改悪)はとても困るし,大衆迎合の岸田政権によって実施されたら嫌だなと思うところもありますが,政策としては,いつかは退職所得について,現在の分離課税であることも含め,徹底的に見直すことが必要であると思っています。退職金のあり方が今後激変することが予想されるなか,それをふまえた政策論議をしなければなりません。退職金のことについては,ビジネスガイド(日本法令)で連載している「キーワードからみた労働法」の最新号でも論じているので,関心のある人は読んでみてください。

2023年8月 6日 (日)

抑制された不寛容の重要性

 Karl Popperの言葉に,寛容のパラドックス(paradox of tolerance)というものがあります。
  「社会が寛容であるためには,不寛容な者に不寛容である必要がある」
 この矛盾は今日大きな問題といえます。自身が自由でいるためには,他者が寛容でいてくれる必要があります。私などは,私の周りの人が寛容でいてくれたから,これまで自由に行動することができたのであり,だから,私も他者に対して寛容である必要があると思っています。
 一方,寛容な社会を守るためには,不寛容であることも必要という「寛容のパラドックス」は,これを実践するのは容易ではありません。抑制された自由が必要であるし,また逸脱した者への抑制された不寛容さも大切なのでしょう。アメリカのTrump前大統領の人種差別発言などには,とても寛容であることはできないのですが,このとき彼の主たる発信手段であるツイッター(X)のアカウントを停止することが正しかったのかは難しい問題です。これは憲法論としては,ツイッター(X)はいまや社会的権力であるので,言論の自由を制限することは憲法問題となるというような議論の立て方(State Actionの議論など)も出てきますし,そうではなく私人による有害発言の自主規制の一つという見方もできます。それに加えて,ここでの私の関心は,こういう他人に不寛容な言論に不寛容であるのは自己矛盾であるのか,ということです(古くからある有名な議論ですが)。
 特定のカテゴリーの人たちを排斥するという不寛容な人たちは,社会を分断する危険分子です。かつてカトリックと非カトリックという,私たちからみれば同じキリスト教だろうと思われる人のなかで分断と不寛容が生じて30年戦争が起こり,世界史で最も重要な条約の一つといえるウエストファリア(ドイツ語ではWestfalen[ヴェストファーレン])条約が1648年に締結されて,現在の国際法秩序が生まれたと言われています。寛容の哲学は,そこから生まれてきたものです。
 日本の政治をみても,安倍政権時代,第1次政権の失敗後,多くの仲間が離れていったことをみて,安倍元首相は,信頼できる仲間を核として捲土重来を期し,それを果たしたあとも,仲間を重用したと言われています。しかし,それは石破氏の冷遇など,やはり党内に分断をもたらしました。分断は,自身のグループが圧倒的に多数派となり,吸収してしまえば解消されるのでしょうが,これは不寛容のおそろしい帰結です。自身と考え方が違う人にも寛容な姿勢をもって尊重し,その結果,数的な均衡をもって,いろんな立場の人が併存する自民党こそが,「自由民主」党という党名にふさわしいものであったのです。安倍派は最大多数政党となりましたが,数こそすべてという考え方が,旧統一教会問題を引き起こしたのでしょう(そしていま,分裂の危機を迎えています)。
 一方の野党は,排斥の論理で生まれた希望の党,そして,それを実質的に引き継いでいる現在の国民民主党は,その意味で不寛容な政党といえるでしょう。徹底した共産党の排斥は,共産党自体が不寛容な党ともいえるので,やむを得ないところもあります。もちろん,主義主張で妥協する必要はなく,これは寛容・不寛容とは別次元の話なのかもしれませんが,いずれにせよ,論戦が,互いの憎悪の感情に基づくものに感じられると(最近では,維新と立憲民主党・共産党との間でも,そういう感じがあります),国民は政治劇をみているようではありますが,それを面白がってはいられません。結局,まともな政策論議がなされずに損をするのは国民です。
 日本には縁がなさそうにも思える分断や不寛容ですが,政治の世界でみられる不寛容な態度が気になるところでもあります。抑制された寛容,抑制された自由を,個人が意識的に心がけることが大切なのでしょう。アメリカのような国になってはいけないと思います。

 

 

 

2023年8月 5日 (土)

環境政策について思う

 今日は用事があって外に出なければならなかったのですが,あまりの暑さに,このままだと倒れるのではないかと感じるほどでした。これまでの人生で感じたことがないような暑さによるダメージを受けた気がします。
 これが地球温暖化の影響なのかは,よくわかりません。地球温暖化はフェイクだという議論もあるようで,私はそうした議論には反対ですが,肝心の科学者の意見も分かれているようです。そうなると,政府がGXの実現ということで,特定の対策に予算をどんどん使うことは危険です。ほんとうに環境問題の解決につながるかよくわからないものもあるからです。再生エネルギーも,そうです。
 少し前のことになりますが,テレ東のWBSで,ある不動産会社が,建造物の屋上に太陽光パネルを設置することに力を入れていることが紹介されていました。再生エネルギーの推進に協力し,CO2削減に貢献する取組をしている企業として,十分にアピールできると考えているようですが,個人的には,太陽光パネルについては,その廃棄方法が十分に確立していないのではないかという疑念があり,その点が説明されていなかったので,簡単には評価できないところがあります。
 また,洋上風力発電については,国会議員の贈収賄問題も起きてしまいました。検察が捜査中ということなので,まだ真相はわかりませんが,報道によると,国会議員が,企業から金をもらい,国会で,その企業に有利になるような質問をしていたそうです。こういう場合,所属する自民党は,国会議員の出処進退は個人で決めるものと言って,党の責任を曖昧にしがちですが,自民党の議員として国会で業者に有利になるような質問をしていて,その行為が贈収賄に関わっているとすると,自民党の党としての責任を免れることはできないでしょう。収賄を本気で重い事柄と考えるならば,党幹部の誰かが責任をとらなければ,おさまらないはずです。
 さらにこの議員は,自民党の再生可能エネルギー普及拡大議員連盟の事務局長もしていました。議連にはいろんなタイプのものがあり,Wikipediaの「議員連盟の一覧」をみると,その多さに驚きます。そこにはたんなる同好会的なものから,政策立案に関するなど政治的な色彩が強いものもあり,後者については,やや要注意かもしれません。こういう議連は,政治家が,業界団体などを呼びつけてヒアリングをし,業界団体に対して政治家の影響力を示す絶好の機会となっているようにもみえます。業界団体も,その業界に関連する議連ができることを歓迎することがあるでしょう(どの政党に属する議員かにもよるでしょうか)。そのようななかから,政治家と業界団体との癒着が生まれ,立法過程を金で歪めることも起こりえて,今回の事件は,そういうものである可能性もあります。政策形成にかかわる議連には,その分野を主管する関連省庁もくっついていることが多いでしょう。役所が背後できちんとコントロールして対応している場合もあるでしょうが,役人は議員には頭が上がらないので,議員が暴走すれば止められないですよね。
 いずれにせよ,環境政策が,ビジネスや利権といった思惑から,金で歪められるのは不幸なことです。地球温暖化フェイク論にも勢いを与えてしまいそうです。政府はGXに取り組むのは結構ですが,いたずらに予算をつけるのではなく,(見解が分かれているとしても,できるだけ)科学的な根拠に基づいて,環境問題対策に必要なことは何か,そのために具体的にどのように税金を使うのかということを,ごまかしなしに,わかりやすく説明して,私たち国民を納得させてもらいたいです。

2023年8月 4日 (金)

ビッグモーターと雇用問題

 ビッグモーター問題は,えげつなさ(方言か?)のレベルがひどすぎて,報道によるかぎりでは,もはやまともな会社の体をなしていないような感じがします。前に今回の内部通報は,公益通報者保護法の効果ではないよね,ということを書きましたが,むしろ公益通報者保護法違反があったようです。2020年の法改正(20226月施行)で,「事業者は,……公益通報者の保護を図るとともに,公益通報の内容の活用により国民の生命,身体,財産その他の利益の保護に関わる法令の規定の遵守を図るため,……公益通報に応じ,適切に対応するために必要な体制の整備その他の必要な措置をとらなければならない」(112項)など,公益通報体制整備義務が定められており,それに違反した場合には,内閣総理大臣(消費者庁長官が受任)は事業者に対して,報告を求め,または助言,指導もしくは勧告をすることができ,勧告に従わなかった場合には,企業名公表の制裁が定められています(15条,16条)。ビッグモーターは,ここまで大きく報道されているので,企業名公表の制裁などは,いまさら意味がないように思えますが,それはともかく,早速,公益通報体制整備義務が注目されることになった点は,消費者庁は良かったと思っているかもしれませんね(もちろん被害を受けている「消費者」は気の毒なので,その点では良かったは言ってられないでしょうが)。上記の規定は,内部告発(公益通報)への対応を誤ると,たいへんなことになるぞという企業への威嚇効果としては,少し弱いところがあると思いますが,公益通報者保護法自体は,刑法や業法などによる制裁のきっかけとなる事実の通報を促進することに主眼があるので,公益通報者保護法違反に対する制裁はこの程度でよいのかもしれません。
 ところで,一般に,非上場会社で,一族だけで株式を保有していて,経営も一族でやっている場合,所有と経営が一致し,外部の株主の声を気にせず思う存分経営ができるという点ではメリットがあります。他方で,よく言われるように,外部からのガバナンスが効かずに,コンプライアンスの軽視など,会社のもつ「負」の部分が露呈してしまうおそれもあります。会社は,営利社団法人で,その営利とは,株主利益を最大化することを意味するのですが,その前提にあるのは,会社は社会の一員としてルールを守り,責任をはたすということがあるのです。もちろん,こうした前提をいちいち持ち出さなくても,社会の一員としてルールや責任の遵守をしていない会社は持続可能な成長は見込めず,(中長期的には)株主の利益を損なうことになるので,そうならないようにするという自浄作用が働くことが期待されるのですが,所有と経営とが一致していると,それがうまく機能せず,とくにオーナー一族の倫理観の欠如というようなことがあれば,何が何でも目先の営利(一族の利益)の追求をということになり,結局,破綻に向かってまっしぐらとなるのです。
 ビッグモーター社が直ちに消滅することはないでしょうが,ビッグモーターの看板のままでは事業はたちいかなくなるでしょう。もちろん,中古車の販売や修理への社会的ニーズは大きいでしょうから,この事業がなくなることはありません。オーナー一族は,いまのうちに,株式を売って経営権を譲渡して資産を確保するかもしれません(今後の損害賠償請求で,最終的にはもっていかれるかもしれませんが)。
 その一方で,従業員はたいへんでしょう。経営権の譲渡により,うまく雇用が継続すればよいですが,ここに外国の投資ファンドなどがからんでくると,雲行きが怪しくなるかもしれません。このようなことを考えると,この会社は規模も大きく,経営破綻があれば社会的影響が大きくなりそうなので,厚生労働省は早めに対策を考えておいたほうがよいでしょう(もちろん同社のパワハラ問題など,雇用関係を前提とした労働問題についても,違法なものについては,きちんと対処していく必要はあります)。

2023年8月 3日 (木)

国家公務員の働き方改革

 若手官僚が国会業務の効率化を求めて提言書を出したということが報道されていました。河野大臣宛ということですが,この人は,どれだけの任務を兼務しているのでしょうか。HPをみると,デジタル大臣,内閣府特命担当大臣(デジタル改革 消費者及び食品安全),国家公務員制度担当となっていました。デジタル技術をつかって,国家公務員の働き方改革を進めるということになってほしいですね。
 提言の内容は,国会日程の早期決定や国会議員が各省庁に質問通告する際のFAXの利用撤廃などとなっていて,これくらいだったらささやかなものです。FAXなんてないものにしてほしいですよね。
 紙の利用というのは,いまでもなくなっていません。私自身,昨日も,今日も,紙をつかって押印(シャチハタ)して,郵送するものがありました。この酷暑のなか,ポストに投函するためだけに,外出したり,寄り道をしたりしなければなりません。日本社会から無駄な紙やハンコがなくなり,封書を郵送するというのがなくなるのは,いつのことでしょうか。
 ところで,国家公務員の働き方改革は,本気になってやらなければ,前にも書いたように,他に選択肢が多い優秀な人は,なりたがらなくなるでしょう。国家のために貢献したいと考えるならば,省益重視のどっぷり組織人というような者にならなくても,もっと民間企業や個人の力できることがあるのではないか,と考えてしまうでしょう。そもそも働き方改革というのは,究極的には,個人が自分のキャリア設計やライフスタイルを取り戻すための時間やエネルギーを生み出すことを目的とするものと思っています。アナログ時代の非効率な仕事の進め方が残存している職場には,できるだけ近づかないように,子どもたちには忠告したいです。
 自衛隊も,ハラスメントの問題に本気に取り組まなければ大変なことになるでしょう。自衛隊におけるパワハラ事件は,労働裁判でもよく目にします。現在,セクハラについて勇気ある女性が声をあげて戦っています。どこの世界に,自分の可愛い息子や娘に,ハラスメントだらけの職場に行かせることを望む親がいるでしょうか。ただでさえ危険がある仕事なのに,職場内で身内からの危険もあるようなところは論外なのです。ハラスメントなんて本人の受け止め方の問題であるとか,多少は我慢すべきという感覚の上司のいる職場は,お先真っ暗でしょう(もちろん,強い叱責とハラスメントは区別が難しいので,「ハラスメント冤罪」には注意しなければならないのですが)。ハラスメントのある職場は,危険有害業務とイコールであるという意識をもって本気で改革をしなければ,いくら国の防衛を語っても,戦士は外国人傭兵ばかりということになりかねません。

2023年8月 2日 (水)

最低賃金

 中央最低賃金審議会で,地域別最低賃金改定の目安が決まりました。全国平均でみると1002円で,これは過去最大の41円の引上げだそうです。JILPTの理事長となられた藤村博之さんが会長で,明治大学の小西康之さんが横に座っていて,二人はテレビで何度も映っていました。この審議会は大詰めのときは,とくにたいへんです。全国の経営者や労働者の注目の視線を浴びながらのもので,ほんとうにご苦労様でした。
 最低賃金で重要なのは,「目安に関する小委員会」の報告書です。小委員会は,本委員会も含め公労使三者構成ですが,今回の目安についても,例年どおり,労働者委員,使用者委員のどちらも公益委員見解に反対をしました。
 報告書には,「公益委員としては,今年度の目安審議については令和5年全員協議会報告の1⑵で『最低賃金法第9条第2項の3要素のデータに基づき労使で丁寧に議論を積み重ねて目安を導くことが非常に重要であり,今後の目安審議においても徹底すべきである』と合意されたことを踏まえ,加えて,『新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画2023 改訂版』及び『経済財政運営と改革の基本方針2023』に配意しつつ,各種指標を総合的に勘案し,下記1のとおり公益委員の見解を取りまとめた」とされ,それが今回の報道されている最低賃金の目安であり,「目安小委員会としては、地方最低賃金審議会における円滑な審議に資するため、これを公益委員見解として地方最低賃金審議会に示すよう総会に報告することとした」と記載されていました。
 例の「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画2023 改訂版」と「経済財政運営と改革の基本方針2023」に「配意」したということで,政治の圧力が相当強いなかで,研究者の公益委員はかなりつらいこともあったのではないかと思われますが,よく委員を引き受けて頑張っておられると思います。
 労使の合意が得られなくても議論をすることに意味があるということかもしれませんが,それは昭和時代のノリかもしれません。労使のトップが徹夜も辞さずに徹底的に団体交渉をし,決裂したのち,公益委員が仲裁裁定するというようなイメージを想起させる最低賃金の決定方法を変えていくべきなのかもしれません。この分野もAIを活用して効率的に決めていくことも考えてよいのではないでしょうか(毎年,同じようなコメントをしているかもしれません)。働き方改革は,ここにも適用してよいでしょう。さもなくば,そのうち公益委員のなり手がいなくならないか心配です(余計なお世話かもしれませんが)。

2023年8月 1日 (火)

最適温度と微分音

 冷房をつけて眠ると体調を崩しやすいのですが,最近の「超」熱帯夜では冷房なしでは眠れません。ただ最適温度の設定が難しいです。27度だと暑いのですが,26度だと寒いので,寝ている途中に,暑くなると26度にし,寒いと27度に戻すというリモコン操作しているので,よく眠れません。26.3度のような,2627の間に最適温度がありそうなのですが,そういう温度は設定できません。つまみで調整するようなアナログ的な温度設定はできないでしょうかね。
 話は変わりますが,ピアノの鍵盤でたたける音は連続的ではありません。Cの次はC#で,その次はDですが,ほんとうはCC#の間にも音(微分音)があるはずで,その音は特別に調律をしないかぎり,ピアノには出せないものです。私のように専門的に音楽を学ばず,たんにピアノを勉強しただけだと,暗黙のうちに,1オクターブの間を12に分ける「十二平均律」が正しいと思いがちですが,実際の音階はこれだけではありません。たとえば琉球音階のようにレとラがない音階もあれば,日本古来のファとシがない五音音階などもあります。もっとも,これらは特別な調律をしなくても,普通のピアノで弾けます。しかし,これが微分音を使うアラビア音階となると,そうはいきません。微分音は,西洋音楽に慣れてしまっている人には,強い違和感をおぼえることがあるようです。尺八なども微分音を出せますが,たしかに音がずれているように聞こえます。普通のピアノで音を再現できないことに,いらだちを感じる人もいるでしょう。でも,YouTubeで微分音を出しているエキゾチックな楽器の演奏を聞いてみると,どこか懐かしいものが感じられます。微分音があるのは,音が連続的なものであるからであり,それはまさにアナログの世界の話ですよね(もちろん音は周波数として数値化できるので,デジタル化しやすいものです)。
 西洋音階の十二平均律では,微分音は存在していないかのようであるのと同様,人為的に温度が区切られている我が家のエアコンでは,私にとっての最適温度は存在していないのと同じなのでしょう。でも,これは区切り方の問題であり,連続的なものをどう区切るのがよいのか(音律を細かく設定する,温度設定を0.1度単位とするなど),あるいは,そもそも区切らないほうがよいのか(演奏は尺八などを用いる,アナログ的な「つまみ」による温度調整をするなど),という話だと考えると,いろんなところで応用できる問題のようにも思えてきました。

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