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2023年7月 4日 (火)

那須雪崩事故事件に思う

 少し前にも取り上げた公務員の個人責任についての論点ですが,628日に,那須雪崩事故について,栃木県に国家賠償法による賠償を命じる判決が出ましたが,引率した教諭ら個人には,賠償責任は認められませんでした(判決文はみていませんので,各種新聞の報道の情報をみているだけです)。同法11項の「公権力の行使」という要件が充足されると,この結論に至ることは予想されたところです。
 条文上は,公務員個人の免責は明文の規定があるわけではなく,国家賠償法上は,故意または重過失がある場合の求償が定められているだけです(12項)。しかし,最高裁は,1955419日の判決で,国家賠償が認められる場合に,公務員個人は責任を負わないとする立場を示し,それが確立した判例となっています。この判例が変わることが難しそうなのは,被害者側は,国などから賠償を得られるのでそれで十分であり,公務員個人に請求するのは,被害者の復讐心を満足させる以外の意味はないと考えられているからでしょう。
 ただ,不法行為については,被害者側にできるのは損害賠償請求だけであるので,金銭の支払いを求めるという形をとりますが,本当は謝罪を求めたいという気持ちがメインで,金銭は二の次であることが多いとも言われています。国家賠償法の場合には,それが満たされないことになります。
 しかも故意・重過失の場合の求償についても,実際にはそれが行われないことが多いようです。そのため,地方公共団体では,公務員個人に求償をするよう求める住民訴訟も提起されていて,それに関する判例もあります(最3小判2020714日など)。故意・重過失があるような公務員は,懲戒免職などの処分を受けていることがあり,本人にはそれで十分に制裁がなされているので,国や地方公共団体側は,さらに求償までするのはどうかという配慮があるかもしれませんが。
 ところで個人責任否定論というと,労働法学では,違法争議行為の場合の議論が有名です。かつてはプロレイバーの立場から,ドイツの議論を参考にして,組合員の個人責任否定論(労働組合のみが責任を負う)が有力に唱えられていました。裁判例上は,個人責任否定論は支持されていませんが,それは組合員個人の不法行為や債務不履行が免責されることの説明がつかないからでしょう(労働組合法8条からも正当性のない損害賠償の免責は解釈上困難です)。組合員の責任を認めたうえで,どの程度の賠償を認めるか,あるいは労働組合の責任との関係を整理するかなどの解釈論も可能であり,実際に個人責任肯定説の学説もその点で多様な見解を展開してきました。個人責任を端から認めないというのは解釈論としては難しく,現在ではほとんど支持する学説はないのではないでしょうか。
 これとは問題の前提は異なるものの,国家賠償法において,明文の規定がないにもかかわらず,公務員の個人責任を否定する解釈が定着し,民法から離れた独特の法理が展開している点は注目されます。労働組合における組合員の責任も否定されていないなか,違法行為の抑止という機能がより強く求められる公務員において,(実際にはあまり活用されていない)故意・重過失の場合の求償規定や懲戒処分があるからということが,個人責任を否定する説得的な論拠にどこまでなるか,個人責任を肯定したうえで,その責任を制限するような解釈論を展開するという労働法的なアプローチの余地はないかなど,いろいろ理論的な興味があるところです(最近の法学セミナー822号で,この問題を扱っている,津田智成「国家賠償法11項に基づく責任の根拠と公務員の個人責任の位置づけ」という論文が掲載されていますが,対外的な個人責任の否定を前提として論じられています)。

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