解散騒動に思う
国会の会期末になると,野党から内閣不信任案が提出されます。与党から造反がでないかぎり,可決されることはないのですが,今回はこれまでも立憲民主党の提案に賛同していなかった日本維新の会が野党でも議席数を増やしているなかでは,いっそう虚しいパフォーマンスのようにみえました。パフォーマンスにすぎないとしても,政権に抗議する姿勢を示すことが必要だという意見もあるようですが,立憲民主党は不信任案の可決に向けた与党の切り崩しや野党への説得の努力もしていなかったようであり,そうなるとこれを評価するのは難しい気がします。内閣不信任案は,可決されれば,内閣は,10日以内に衆議院を解散するか,さもなければ総辞職しなければならないと憲法69条に明記されているもので,衆議院のもつ強力な権限(倒閣権)です。議院内閣制からは当然のことですが,この権限が,通るはずのない内閣不信任案を出して,もっぱら与党への抗議の姿勢を示す手段としてだけで用いられているのであれば,維新がこれを茶番と呼んで同調しないことは理解できないわけではありません。
一方,内閣不信任案という動きとは関係なく,首相が解散すると思わせぶりの発言をして,国会議員を右往左往させている状況は,あまり良い感じがしません。権力者のおごりのように思えます。そもそも解散というのは,任期4年の途中での「中途解約」の強制という感じで,例外的なものではないのでしょうか。もちろん,選挙時に示された民意とのずれが感じられて,いそいで国民の信を問う必要があるというような状況があれば別ですが,今回はそういうことでもないでしょう。ポピュリスティックな政策を連発して,いまだったら与党の議席を増やせそうだから解散するというのは,解散権の「濫用」とでも言いたくなります。そもそも衆議院の解散については,その根拠を含め,憲法上明確でない部分があり,議論があるところです。解散の「大義」なるものが勝手に語られ,立憲民主党の暴走気味の内閣不信任案提出が,これに藉口した与党から解散の「大義」として使われそうになってくると,解散をめぐる政治の動きそのものが,国民不在の政治遊戯のようにみえてきます。秋に解散をするのであれば,少子化対策にしろ防衛増強にせよ,国民負担の増加を正面から掲げ(負担増がないというような,まやかしはせず),国民の信を問うという形でやってもらいたいです。
機会があれば,憲法学者の方に,解散の時期や理由などについて,どこまで首相に裁量が与えられていると解すべきなのかについて教えてもらえればと思っています。
« 「フリーランス&副業で働く!実践ガイド」 | トップページ | 副業が増加 »
「国内政治」カテゴリの記事
- 党首選(2024.08.23)
- 国防軍(2024.08.16)
- 知性と実行力のある総理の登場を待望する(2024.08.15)
- 「透き通り,曇りのない」県政を(2024.07.11)
- 都知事選終わる(2024.07.08)