少子化対策と時間主権
出生率が1.26という数字は少子化という点では危機的な数字ですが,その原因を十分に分析しないまま,財源の議論もせず,ただなんとなく金をばらまくという政治は許してはなりません(6月3日の日本経済新聞の社説の「少子化を克服する道筋も財源も見えない」も参照)。現在の子育て世代にお金をばらまくのは,もらうほうとしては嬉しいかもしれませんが,これで少子化の対策になるとは思えません。これから子どもをもつかもしれない世代からすれば,こんな財源無視の政策が長続きするわけがなく,強行すれば,その負担は自分のほうに返ってくるので,結局,子どもを育てる余裕をもてなくなると思うでしょう。しかし,よく財源を後回しにしたような無責任な政策を堂々と公表できるものですね。あきれてしまいます。
日経の同日の記事「少子化,見えぬ反転 働き方改革は官民進まず 若者の不安払拭急務」も重要で,そのなかで,小峰隆夫氏は,「本当の病気は古い雇用慣行などにあり,少子化は副作用だ」と指摘しています。若者世代における時間と金銭の余裕のなさが少子化に影響していることは否定できないでしょう。ただ,これが非正社員の正社員化や賃上げという対策に安易に結びつきやすい点は要注意です。
少子化対策のことは,これまでもいろいろ書いてきましたが,結局のところ,いかにして国民が時間主権を回復するかが最も大切ではないかと思っています。私生活にかける時間が増えることは,それだけで少子化対策として十分というわけではありませんが,それなしでは少子化は実現しにくいでしょう。では,人々はどうしたら時間主権を回復できるのでしょうか。すぐに思いつくのは労働時間の短縮ですが,それだけでは,時間主権の回復に直結するわけではありません。自分の時間を労働に多く使いたいという人もいて,これも本人の時間主権として認められるべきだからです。
ただ,私生活に時間をかけたいと思う人にとって,公的な面からその実現について制約がかけられているとすれば時間主権に関係します。労働時間数で社会保険や雇用保険の加入資格が決まるというのは,時間主権への制約機能があるかもしれませんし,不可欠な行政手続が役所の非効率性のために国民の時間を奪っていたり,公的な医療サービスの非効率性から,病院などでの長時間の待ち時間があったりすることもまた,時間主権を制約しているといえます(霞が関の役人が国会議員へのレクのために時間をとられるというのもまた,役人たちの時間主権の制約といえます)。このように考えると,人々が時間主権を自由に行使することを奪っている可能性がある種々の制度的要因を洗い出すことが必要であり,それが実は一見遠回りであるようですが,少子化対策にもつながりうると思っています。人々が,「この時間は無駄だよね」というのがどんどん減っていくと,もっと余裕のある生活ができるようになり,子どもが増えやすい状況が生まれるような気がします。
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