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2023年6月 6日 (火)

 普通の親なら,子は可愛いので,父親の力で何かできることがあれば助けてあげたいと思うのは人情でしょう。しかし,それはまさに「情」によることなので,たとえば「情実人事」というようなことにつながり,それは公正さが求められる公的な場では差し控えなければならないことです。公的な場での活動では人情を優先してはならないのです。その肝心なところを岸田首相は誤っていたのでしょう。もちろん政治の世界は村社会で,人情で動いているというようなことも言われますが,本音ではそうでも,建前はそうであってはなりません。ましてや首相が,特別職の国家公務員のポストに自分の息子をつけるという,わかりやすい情実人事などはやるべきことではないのです。もちろん,情実人事の疑いを払拭できるようなきちんとした説明ができれば問題がありません。自分の息子は,他の人にはない優秀なものを備えていて,周りからも認められており,余人をもって代えがたいというような場合にまで,家族だから対象者から外すということまでは必要ないでしょう。しかし,それはよほどの傑出した人材の場合の例外的なことであり,基本的には家族は対象者から除外するべきなのだろうと思います。
 ましてや,適格者かどうかはっきり分からないような人を,息子だからという理由で公費を使って雇うことはやはり問題でしょう。少なくとも説明責任は求められるわけで,それをやってないということは公私混同があったと疑われても仕方がないと思います。
 世の中には志があって,国のために自分を犠牲にしてよいと思っている人は少なからずいると思います。しかし,それをためらうことになる一つの理由は公的な人間になることによって,プライバシーがなくなることへの抵抗感であり,また家族愛を発揮することが,公的な立場に立つと,制約を受けることを避けたいと考えるからだと思います(自分の息子に実力があるとわかっていても,自分が上にいれば公私混同だと疑われてできないので,あえて自分はそういう地位につかないようにするとか)。逆に言うと,公的な人間になると(とくに強い権力をもつ立場になっていくと),プライバシーを放棄し,そして家族との関係でも,家族よりも国家という優先順位をつけることが必要になってくるわけです。そういうことができるからこそ尊敬され,そしてそういう人には国民もついていこうという気になるわけです。これはおそらく,会社においても同じなのでしょう。創業一族の人が支えている会社はたくさんあります。その場合,実際には創業家の人が社長などの重要ポストを掌握しているのだと思いますが,それはやはり若い時から「帝王学」を学び,そして社員からこの人だったらついていけると言ってもらえて,そういうことが確認できて初めて会社を継がせるということをしている会社なのでしょう。そうでなければ,会社は長続きしません。民間企業にしてそういうことなので,ましてや公的な場や政治の世界においては,家族との関係というのは非常に慎重に考えなければならないのです。菅前首相の時も,その長男について総務省における接待疑惑がありました。息子は別人格といって説明責任を放棄した前首相の姿勢は忘れられません。安倍元首相についても,森友加計問題ではお友達に配慮した公私混同の疑いが濃厚でした。国民が抱いた疑念は間違いであるということを堂々と説明してもらえれば,それでよかったのですけれども,疑惑は晴れないままに終わっています。赤木さんの問題などは,いまなお解決されていません。家族や友人を大切にする人は,情に厚く人間的には魅力なのでしょう。でも,統治とは,自分が何も個人的な感情を抱かないような人に対しても及ぶものであり,権力者に取り入って知己を得ると良いことがあるというようなことでは困るのです。首相になろうとするような人は,家族や友人に対する情を捨て,国民にこそ情をかけるということを望みたいです。
 情とは,人間が生まれながらもつ「心」という意味で,さらにそこから「ほんとうのこと(姿,様子)」というような意味をもつようになっています。「人情」は前者であり,「情報」は後者の意味です。情実人事は人間の生まれながらもつ自然な気持ちかもしれませんが,同時にそれを包み隠さず国民に「情報」として報告し,その判断を仰ぐというのも「情」の意味なのです。

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