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2023年6月 1日 (木)

熊本総合運輸事件

 4月の研究会で,割増賃金をめぐる熊本総合運輸事件・最高裁判所第2小法廷2023年310日判決について,専修大学の石田信平さんに報告してもらいました。割増賃金をめぐっては運送会社の事件が多いのですが,この事件もそうです。そこでは,賃金総額を先に決めた会社が,割増賃金の払い方で,いろいろやってくれるので起こってくる問題です。同種事件で最高裁判決が立て続けに出ているので,この種のケースを前提に判例が蓄積されていく感じがあるのですが,事案は特殊であり,その射程をどのようにとらえていくかは難問です。運送業務における歩合給と,割増賃金の支払いというのは,本来相容れないものがあり,このあたりは草野裁判官の補足意見でも言われているように,「労働者が,使用者の個別の了解を得ることなく時間外労働等を行い得る労働環境においては,実際の時間外労働等の時間数にかかわらず一定額の割増賃金を支払う雇用契約上の仕組み……を利用することには経済合理性があり,かかる制度の下にあっては,実際の時間外労働等の総量が合理的な範囲内に抑制されており,かつ,全体として適正な水準の賃金が支払われていると認め得るのであれば,当該固定残業代の支払を労働基準法37条の割増賃金……の支払として認めてもよいのではないか,という疑念」が出てくることになります。そこでいう固定残業代が何かはよくわからないところがあるのですが,賃金総額が決まっているなかで,基本給などを支払った残額が割増賃金として支払われるという点をとらえて,固定残業代と述べているのでしょう。いずれにせよ労働時間が合理的な範囲内におさまっていて,割増賃金なども含めた賃金全体が適正であれば問題はなかろうという一種の常識論が,草野補足意見のベースにあるのでしょう。この事案でいえば,企業が決めている賃金総額があり,その下で実際の労働時間がそれほど過大なものでなければ,通常の賃金や割増賃金の割り振りがどうなっていようが,問題はないのではないか,ということでしょう。ところが,労働基準法の発想は,通常の労働時間に対する賃金というのがまずあって,それに実際の時間外労働時間に応じて割増率を乗じて割増賃金を決定するというものなので,最初から全体の賃金が適正であるからよいだろうという発想は出て来ないことになります。ましてや時間外労働の多少に関係なく,賃金総額を最初に設定するということはおかしいということになるのです。
 草野判事は,固定残業代から逆算される想定残業時間と,労働者の生産性が残業代より低くなる非生産残業時間という概念を用い,非生産残業時間は労働者にとって利益となる時間であり,非生産残業時間の発生は不可避であるので,これと想定残業時間と合致させると,必ず追加的な残業代が発生することから,多少長めの想定残業時間を設定し,そのうえで実際の時間外労働時間が想定残業時間の範囲に収まるようにできれば,固定残業代の残業代抑制機能が働くことになるとします。もちろん,この場合でも,非生産残業時間はあるので,通常の賃金の削減などの方法をとって総額を抑制することには経済的合理性があるともしています。たしかに,通常の賃金の設定方法は,契約で自由に決めることができるので,就業規則の不利益変更となるような場合を除くと,この方法を使用者はとることができるはずです。
 ただ通常の賃金を引き下げると,想定残業時間が極端に長くなってしまうのはどうかという問題があります。この点に着目して,長時間労働を想定した固定残業代は無効とした裁判例もあります。しかし,本件の最高裁は,そこは問題とせず,本件では,この会社での従来の賃金体系との比較という視点を出してきます。補足意見では,この点は,これまでの平均的な時間外労働時間と比べて,使用者は追加の対価を払うことなく長時間の時間外労働をさせることが可能となり,そのような事態の出現は労基法37条の趣旨を効率的に実現することにならないので,固定残業代の支払いにより,割増賃金の支払いがあったとすべきではないとします。具体的には,本件のように,これまで通常の労働時間の賃金として支払われていたものを割増賃金に組み入れて支払う場合がそれにあたるということです。補足意見は,結局,労働者が使用者の個別の了解を得ることなく時間外労働をすることができる場合の賃金の総支払額を抑制するための手段として,固定残業代というものの導入には経済的合理性があり,さらに通常の賃金の抑制にも経済的合理性があるものの,通常の賃金の設定の仕方いかんで極端な長時間労働を出現させる可能性があるという点で,労基法37条の趣旨に反する場合があるというのでしょう(ここまでの草野補足意見の理解はすべて,私が根本的に間違っている可能性もあるので,批判的に読んでください)。
 本件では旧給与体系から新給与体系への移行が一つのポイントで,そこで基本歩合給が減額され,それが割増賃金の一部とされる調整手当に含まれたという点に問題があったのであり,当初から通常の労働時間の賃金を低く設定していれば問題がなかった可能性があります。また調整手当は実質的には,基本歩合給を減額したことにより時間外手当が減額されることになることへの補償という意味があるのですが,これはトータルでみたときの賃金減額の補償の問題であるとして,割増賃金の一部ではなく,特別手当という形で支払っていれば,また違った議論になっていた可能性があるでしょう。その場合は,特別手当は通常の労働時間の賃金に含まれることになり,それは割増賃金の算定基礎となりますが,その増額分は調整手当よりも低くなる可能性が高いので,企業にもメリットのない話ではありませんし,いずれにせよ,調整手当を割増賃金に組み入れるよりも法的リスクの低い扱いとなります。賃金の抑制については,このほか,時間外労働が長くなりすぎないようにするための労務管理の強化(将来的にはデジタル技術を使った管理などもありえます),あるいは賃金制度でいえば賞与面での調整をする(収益に貢献した場合に高い賞与を支払うなど),あるいは査定基準を明確にしながら,正当な理由がなく時間外労働が長かった労働者には低査定として基本給に反映させるといった方法もありえるかもしれません(もっとも,このような方法での調整がどこまで適法かは議論の余地があるでしょうが)。
 ところで多数意見のほうは,日本ケミカル事件・最高裁判決以降の判例を踏襲しながら,本件時間外手当と調整賃金で構成される本件割増賃金について,これが,時間外労働の対価と評価できるかについて,「契約書等の記載内容のほか,具体的事案に応じ,使用者の労働者に対する当該手当等に関する説明の内容,労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの諸般の事情を考慮して判断すべきである」とし,その判断は,労基法37条が「時間外労働等を抑制するとともに労働者への補償を実現しようとする趣旨による規定であることを踏まえた上で,当該手当の名称や算定方法だけでなく,当該雇用契約の定める賃金体系全体における当該手当の位置付け等にも留意して検討しなければならない」としています。この最後の賃金体系上の位置づけという点は,国際自動車事件・最高裁判決のときもそうだったのですが,わかりにくい考慮要素です。それはさておき,説明という要素は,労基則で想定する計算方法とは違った方法で支払っている以上,当該手当が割増賃金になぜ該当するかについての説明は必要だと思いますが,これとは別に,そもそもこれは賃金の払い方の問題であり,割増賃金自体が長時間労働の原因となる可能性があることも考慮すると,賃金制度のあり方として,労使間で交渉して合意をして決めればそれを尊重する解釈こそ重要で,そういう要素を盛り込むための受け皿として説明という判断要素を重視すべきであるということもできそうです。
 いずれにせよ,最高裁は,もっとシンプルに労使自治を尊重した解釈をするという姿勢を示してもらいたいものです。時代遅れになりつつある労働時間規制について,強行法規に縛られたなかで,解釈論を展開しようとすると,迷走が深まるような気がしてなりません。ましてやローエコ(法と経済)による分析は,あまりこの種の事件では,最高裁はやらないほうがよいのではと思うのは私だけでしょうか。

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