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2023年6月の記事

2023年6月30日 (金)

電動キックボードこわい

 電動キックボードの規制緩和で,その扱いは原付と同じではなくなり,免許不要,ヘルメット不要,歩道走行可となります。歩道走行は時速6キロ以下が条件で,歩行者並みということですが,歩行者は4キロくらいであり,6キロはやや速いです。自転車の歩道走行がよいのなら,6キロ以下の電動キックボードはOKだろうということかもしれませんが,そこは根本的に間違っている感じがします。現在の自転車の歩道走行は危険なことが多く,むしろこれを規制することこそ必要だと思っています。あえて数値化すれば,現在の自転車の歩道走行が,危険度10であるのに対し,電動キックボードが危険度5だから認めてよいだろうというのは誤りで,これによって,危険度0の歩行者が電動キックボードに乗り換えると歩道走行の危険度が15となるというイメージです(単純な足し算ではおかしいのですが,あえてわかりやすい例としています)。自転車を歩道から追い出して,それより危険性の低い(安全性の高い)電動キックボードを認めるというのならOKですが。
 そもそも自転車について,この春から導入されたヘルメットの努力義務は,ほとんど守られていないようにみえます。相変わらずママチャリに乗ったママが,ノーヘルメットで猛スピードで歩行者のことなどまったく気にせず歩道を疾走する姿を何度も目にします。自転車は原則車道であり,歩道で行く場合も徐行が原則です。老若男女を問わず自転車を気軽に歩道で使いすぎです。ぶつかると自分も相手も大けがのおそれがあります。そういう意識をもっているので,電動キックボードなど私にとっては論外です(なお,私は自動車免許をもたないだけでなく,原付免許も10代のときにとっただけで1度も更新しませんでしたし,自転車はもう何年も乗っていませんし,電動キックボードも乗ったことがありません)。
 関連する法律を確認してみました。
 自転車は,道路交通法上「軽車両」とされ(211号イ),「車両」の一種であり(28号),車両は原則として車道を通行しなければなりません(171項)。これに違反すれば,3月以下の懲役または5万円以下の罰金です(119条16号)。例外的に歩道を通行できるのは,①道路標識等により普通自転車が当該歩道を通行することができることとされているとき,②当該普通自転車の運転者が,児童,幼児その他の普通自転車により車道を通行することが危険であると認められるものとして政令で定める者であるとき,③前2号に掲げるもののほか,車道または交通の状況に照らして当該普通自転車の通行の安全を確保するため当該普通自転車が歩道を通行することがやむを得ないと認められるとき,です(63条の41項)。②において「政令で定める者」とは,道路交通法施行令26条によると,児童および幼児,70歳以上の者,普通自転車により安全に車道を通行することに支障を生ずる程度の身体の障害として内閣府令で定めるものを有する者とされています。なお,道路交通法では,児童は6歳以上13歳未満,幼児は6歳未満と定義されています(143項)。13歳未満,70歳以上であれば,自転車の歩道走行はOKということです。
 歩道を例外的に通行できる場合でも,その歩道の中央から車道寄りの部分を徐行しなければなりませんし,自転車の進行が歩行者の通行を妨げることとなるときは,一時停止しなければなりません(63条の42項)。これに違反すれば,2万円以下の罰金または科料となります(12118号)。
 一般成人が自転車で歩道を通行することはきわめて例外的しか認められず,ましてや歩行者を危険にさらして通行することなどできないはずなのです。守られない状況がこれ以上続くなら,AIによる監視を活用した摘発もOKにしてもらいたい気分です。
  電動キックボードに関する新しい規定は,また改めて確認します。

2023年6月29日 (木)

変化

  一昨日の日本経済新聞の夕刊の「あすへの話題」で,翻訳家の斎藤真理子さんが,「そうはいっても以前よりは良くなったなあ,と思えることを列挙してみた」として,「保育園に子供を送り迎えするお父さんの姿が当たり前になったこと。立ち小便の激減。車のシートベルトや駅のホームドア。飲酒運転は重犯罪という認識ができたこと。痴漢は犯罪、レイプは魂の殺人という認識もそう。『恋愛』と言ったら男女間のものという固定観念が崩れたこと。LGBTの人々への理解。いかなる場合も体罰はいけないという認識。本名で暮らし、働く在日コリアンの人々が増えたこと」を挙げていました。なるほどと思いましたが,私は労働関係の観点から少し追加したいことがあります。
 ①自宅にいても仕事中ということが増えてきたこと(テレワーク),関連して,出勤とは,外に出ることではなく,部屋にこもることというパターンが増えてきたこと,②日常生活で,「仕事だから」とか「組織のため」というのが,強いexcuse の効果をもたなくなったこと,③副業が当たり前になってきたこと,さらにパラレルワークが広がり,何が本業かわからない人が徐々に増えてきていること,④転職回数を自慢できるようになってきたこと,⑤大企業の管理職であるという肩書が,逆効果になりつつあること(名刺をみせないほうがよい),⑥若い社員に,残業させたり,臨時の業務を追加したりする場合には,きちんと説明しなければ,したがってもらえなくなってきていること,⑦手書きの書類作成などは論外であること,などです。
  これらは私は良い変化だと思っていますが,人によっては,そう認識していない人もいるでしょう。若手官僚の退職が増えているのは,中央官庁が,こういう最近の変化に対応できていないからであり,それは当然の結果です。医療や保育の現場でも,手書きの書類やFAXの利用などがあるかぎり,若者は辞めていくでしょう。DXとかそういうことよりも,そもそも非効率な仕事をさせる職場であることが,タイパ感覚の強い若者には,ライフスタイルや価値観に全く合わない不快なことであり,敬遠されるのは当然なのです。働き方改革は,政府が音頭をとるよりも,人材の獲得のためには企業が自ずから着手しなければならないことでしょう。変化に対応する気がない企業や組織は衰退していくでしょう。

2023年6月28日 (水)

Wagner

 ドイツのあの偉大な作曲家の名前ではなく,ロシアの民間軍事会社の名前(ワグネル)です。プリゴジン(Prigozhin)が率いる会社で,ロシアは,そこの傭兵を使って戦争をしているわけです。これを正規軍に組み入れようとしたところ,プリゴジンが反旗を翻してモスクワに進軍しようとしましたが,制圧されたのか,自主的に撤退したのか,最初から仕組まれていた茶番劇だったのかはよくわかりませんが,ベラルーシへの亡命(?)ということになって,この乱は終息しました。傭兵の反旗というと,世界史を選択した人は,西ローマ帝国を滅亡させたゲルマン人の傭兵隊長であったオドアケル(Odoacer)の名前を思い出す人も多いでしょう。プリゴジンは,外国人傭兵ではない点はオドアケルと違いますし,そこが同じロシア人どうしでの殺し合いを回避した理由なのかもしれません。
 それはさておき,私の感覚では,どう考えても,この民間軍事会社のビジネスはまともなものではなく,NHKが,何のためらいもなく,ニュースで彼の動向を克明に報道していることに違和感をおぼえます。もちろんウクライナ戦争の帰趨に影響するという点で,ワグネルの動きは報道する価値はあるのですが,プリゴジン個人のことをここまで取り上げる必要があるのかは疑問です。日本の若者に,民間軍事会社というビジネスが「表のもの」として完全に認知され,(特段の大義なく)戦争で人を殺すことを仕事とする傭兵に志願する若者が増えても困るでしょう。もちろん,それも自己決定だということかもしれませんが,私の周りにそういう志願をする人がいれば,おせっかいかもしれないけれど,やめるように説得を試みるでしょうね。
 一方で,自衛隊の志願者が減ってきているという話があります。先般の自衛官候補生による乱射事件の背景には,自衛隊側において採用活動でのチェックを入念にする余裕がないという事情があるのかもしれません。今回の事件で,親がこわがって,子が自衛隊に入隊することをいやがり,自衛官希望者が減る可能性もあります。もしそうなると,岸田政権が目指す軍備増強の行き着く先は,徴兵か傭兵ということになりかねません。いまは日本もアメリカ軍に頼っているという点では,傭兵を利用しているようなものかもしれませんが,国防においてアメリカにいつまでも頼れないとなると,(徴兵制の導入は無理でしょうから)ほんとうに民間軍事会社の手を借りなければならなくなるかもしれません。
 プリゴジンのことを興味本位にとりあげるのではなく,こうした金で雇った民間人を使って行われてきたこの戦争をどう評価したらよいのか,これからの国防はどうあるべきか,NHKには,こうしたことを考えるための視点を提供するような報道をしてもらいたいです。

2023年6月27日 (火)

タイパ

 タイパ(time performance)を重視するZ世代ということがよく言われます。今朝のNHKの「おはよう日本」では,社会人野球にMLBと同様のピッチク・ロック(pitch clock)が導入されたことが紹介されていました。以前のブログで,WBCを観戦していて,あまりにも試合時間が長いので,「ショート・ベースボール」の提案をしてみたのですが,ピッチ・クロックも,試合時間の短縮ができるので,望ましいと思います。投手と打者の駆け引きが面白いので,時間制限をすると味気なくなるという意見もあり,それも理解できるのですが,駆け引きをほんとうに楽しめるような対戦はわずかであり,やはり高校野球のようにテンポよくやってくれたほうが,Z世代の人だけでなくても,観戦しやすいと思う人が多いのではないでしょうか。
 Z世代のタイパ志向は,時間は効率的に活用して,限られた時間のなかで,できるだけ多くのことを楽しみたいということなのでしょうが,仕事との関係でも,仕事はできるだけ効率的にやって,浮いた時間で他のことをして楽しむという発想につながるので,こうなるとタイパは私の感覚とよくマッチしています。昭和世代は,タイパ感覚がないのが問題なのです。たとえば,たんに挨拶をするというためだけに,わざわざ職場にやってきて,私の時間を奪っていく時間ドロボーがかつてはたくさんいたのですが,徐々にそういうのを断るようになった私は変人というか,イヤな奴と思われていたことでしょう。それで仕事を失ったこともあるかもしれませんが,やっぱりイヤなものはイヤなのです。ただ,ようやくこうした私の感覚と時代の感覚がマッチしてきたような感じもします。
 ただ,私があらゆることに時間効率を意識しているかというと,そういうことではなく,仕事以外のところでは,ダラダラしていることのほうが多いです。また,広い意味では仕事の一つかもしれませんが,神戸労働法研究会での1回あたりの時間は長いです。出席者が減っているのは,そのためかもしれませんが,これは仕方ないと思っています。研究会では,徹底的に議論したいと思っていて,納得しない限り,なかなか終わらないところがあります(もちろん,ある程度の限度は設けていますが)。研究それ自体は効率的にやったほうがよいのですが,人が集まる研究会では,何かの結果を出すことが目的ではなく,ブレインストーミングが目的なので,時間効率を考えすぎると意味がないのです。でも,これもひょっとすると若者のタイパ志向には合わないかもしれず,それで去っていくのは仕方がないと思っています。ここは若者に迎合するつもりはありません。私のスタイルでよいという人が1人でもいれば十分というように割り切っています。
 とはいえ,私が他の研究会に参加するときは,どうかというと,これは時間制限があるところのほうがよいこともあるし,そうでないこともあります。終わりがはっきりしている研究会のほうが参加しやすいのは確かですが,時間制限が強すぎて,自分の意見が十分に言えないとわかっているような場合には,参加しにくいこともあるのです。
 いずれにせよ,どこに効率性を求めるかというところの判断を的確にやることこそ重要で,Z世代も,そこのところは十分にわかっているのだと思います。

2023年6月26日 (月)

育児のワンオペ

 今朝の日本経済新聞の春秋で「人間の育児はワンオペに向いていない」という高橋祥子氏の言葉が紹介されていました。生物学者の高橋氏が出産したとき,「人間ほど弱い哺乳類はほぼいない。よく人類が増えたなというのが生物学者としての最初の感想」だったそうです。それにもかかわらず人口を増やすことができたのは,集団で育児をしてきたからであるというのが高橋氏の考えです。「人間の育児は集団生活が大前提になっている」のであり,だから育児はワンオペに向かないのです。「生物学的な子育ての仕組みと,育児家庭の大半が核家族という現代の環境とのギャップが少子化の原因ではないか」というように「春秋」は述べています。
 だから「子育ての負担を社会全体で賄うのは必然となる」とまで言うべきかどうかはともかく,0才児のように,まさに最弱の生き物を育てるのは,とてもワンオペでできるようなことではないというところを議論の出発点にすべきでしょう。女性労働者に対する産後の8週間の休業強制(労働基準法65条2項)は,授業では,この規定は本人の自己決定を奪っているので,過剰な規制ではないかということを述べています(デロゲーションを認めるべきであるということ)が,しかし観点を変えれば,産後8週間のうちに子から離れて労働するなど論外という言い方もできそうです。だからこそ社会で育てるのだということかもしれませんが,むしろそこまでして子から引き離して労働させるのではなく,どうやったら子から離れずに働けるかということを考えていくべきなのです。ということで,いつものテレワークの勧めです。
 仕事部屋でリモートカメラをつけて,別の静かな部屋で眠っている赤ちゃんが動けば音が鳴るようにし,カメラをとおして危険な状況にないかをチェックできるようにし(パナソニックの「ベビーモニター」の活用など),何かあればすぐに離席して赤ちゃんのところに駆けつけることができるようにするといった権利こそ,実は大切なものではないでしょうかね。労働基準法661項は,「生後満1年に達しない生児を育てる女性は,第34条の休憩時間のほか,12回各々少なくとも30分,その生児を育てるための時間を請求することができる」とあり,これは女性労働者の授乳を想定した時間とされていますが,むしろこれを男女共通規定にし,リモート会議中でも,「生後満1年に達しない生児を育てる労働者は,第34条の休憩時間のほか,1日に1時間,分割または連続して,育児のための時間を請求することができる」というような規定を導入したらどうでしょうか(ちなみに授乳時間でも,男性でもミルクをあげることはできるので,女性労働者だけの権利にしなくてもよいのですが)。せめて「モデル就業規則」くらいには,こうした育児時間の権利を入れてほしいですね。ほかにも,いろいろアイデアはありうるのですが,いずれにせよ,「異次元」というのなら,労働基準法を改正するくらいの少子化対策を考えてはどうでしょうか(プロ的視点からは,育児介護休業法に規定を追加するより,刑罰法規である労働基準法の改正をして入れたほうが本気度がうかがえます。もっとも,その場合でも,私の立場では,やはりデロゲーションの余地を認めることは必要ですが)。

2023年6月25日 (日)

混合診療について

 昨日に続いて医療のネタですが,医療機関で保険診療と保険外診療を併用する混合診療について,これは医療機関に禁じられている(混合診療禁止の原則)と同時に,そうした混合診療については,保険診療の部分も含めて全体として保険の適用外となる(全額自己負担となる)という混合診療保険給付外の原則があります(少し古いですが,2013年の内閣府の資料が参考になります(https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/meeting/2013/discussion/131128/gidai1/item1-1.pdf)。ただし,これらの原則には例外があり,先進医療のような評価療養は例外ですし,一定の差額ベッドなどの選定療養も例外とされていて(保険外併用療養費の対象として,保険が適用される診療については,保険給付として,保険適用に準じた扱いとなる),混合診療は禁止というよりは,実質的には,条件付き解禁というべき状況です。さらに2016年以降は,患者申出療養制度というのが設けられ,先進医療について評価療養に属するもの以外についても,この制度の適用を受ければ,保険外併用療養費制度の対象に含まれます。
 保険外併用療養費制度の対象となっても,保険外診療の部分は全額自己負担となるので,やはり負担は小さいものではありません。先進医療もできるだけ迅速に安全性や有効性を評価して,本来の保険診療とするかどうかの判断をしてもらいたいです。おそらくこの分野でも,AIは重要な役割を果たすことになるでしょう。
 ただ保険診療に入れるかどうかを迅速に決定するということは,有効でない治療法をすみやかに排除すると同時に,次々と新しい治療法が保険に組み入れられることにもなり,それによる医療費の高騰が心配ではあります。一番おそろしいのは,保険外診療を選択しやすくなることで,それなら財政上の理由で保険診療の範囲を制限しようとする議論が出てくることです。保険治療の原則にこだわる論者は,こういう議論を封じるねらいがあるのかもしれません。
 混合診療の解禁は,一時期,規制改革の波が吹き荒れたときのホットイシューでした。患者の選択を増やし,医師の治療法の選択も増やすので望ましいというものです。富裕層優遇という批判(自ら治療費を払える人しか先端医療を受けることができず,しかも保険給付相当部分は保険の適用があるのは不公平であるなど)については,航空機のファーストクラスが不公平と言わないのと同じように考えるべきではないか,という反批判もありました。
 選択の自由については広いほうがよいと思いますし,患者と医師の情報の非対称性は,今後は対話型AIの発達で急速に縮まっていく可能性があり,混合診療への懸念はそれほど大きいものでないかもしれません。しかし,やはり気になるのは医療財政の問題です。財政の観点から,保険診療にとりこむことが抑制され,国民を保険外診療に誘導する流れが生じるおそれがあるとすれば,それだったら混合診療なんてないほうがよいということになりそうです。
 AIの活用は,治療法や薬の開発費用を抑える面でも期待され,それにより,安全性と有効性が確認されたものがどんどん保険適用されても医療財政をそれほど悪化させなくなるという状況が理想です。国民皆保険の素晴らしさを維持するため,保険診療を原則としながら,同時に治療法の選択肢は広く確保されるようにし(それが先進医療の開発へのインセンティブにもなる),そして財政も悪化させないようにするという医療改革が必要なのでしょう。
 以上は素人談議ですので,きちんとした社会保障法学者の意見を聞いてみなければなりません。

2023年6月24日 (土)

医療のダイナミックプライシング

 病院やクリニックの待ち時間の長さには困ることが多いのですが,みんな諦めているのかもしれません。ただ,これだと忙しい人たちはなかなか病院に行けず,病気の早期発見ができないというようなことになりかねません。すでに多くの人が要請していると思いますが, ダイナミック・プライシング(Dynamic Pricing)で,混雑緩和を図ってほしいですね(現在でも,時間外,休日,深夜の加算はありますが,時間内でも差を設けようということです)。高齢者の多くは,時間的な余裕があるので,そういう人たちが朝一番とか,良い時間帯を独占しているのは困ったものです。年齢層によって時間帯を分けるのが難しいとすると,繁忙タイムには料金を高くし,閑散タイムには料金を下げるという方法をとってもらえないでしょうかね。診療報酬が決まっているのがネックですが,診療報酬(点数)の上下20%くらいは,診療機関の裁量で決められるということにして,ソフトを開発したらどうでしょうか。料金の変動を知るためのスマホをもっていない高齢者には効果がないかもしれませんが,こういうシステムを入れると,高齢者の間にもデジタルが浸透していくかもしれません。
 普通のサービスでは,客を待たせた場合には,お待たせしてすみません,という一言があることが多いですが,医療機関の場合は,私の経験では,そういう声はあまり聞かれません。患者はいくらでも待たせてよいということでしょうが,その意識から変えてもらいたいですね。ついでにいうと,自由診療もダイナミック・プライシングをしてほしいです(感染症が流行となる時期の予防注射において,希望者が多くて,なかなか普通の病気の診療のために来ている人の順番が回ってこないことがあります)。
 診療報酬の点数がもっとわかりやすくなることも必要でしょう。診療報酬というと,医療機関においては,7割が保険機関への請求となるので,それが重要に思えますが,やはり3割は患者が負担しているので,患者にとっては医療行為というサービスの対価という面があります。自分が受けた医療行為がいくらかというコスト計算はしっかりしておきたいので,明確にわかるようにしてもらいたいです(ネットで探せばわかるのですが)。自分が受けている医療行為の点数が高いものであれば,閑散タイムで点数が低い時間帯を選ぼうとして,医師のほうも点数の高い難しい医療行為を,余裕をもってできるというメリットがあるかもしれません。
 厚生労働省というとDXから最も縁遠い官庁というイメージもありますが,国民の利便性を高めるという点でも,ダイナミック・プライシングの導入を検討したらどうでしょうか。

2023年6月23日 (金)

昇給に関する事項

 昨日,ある研究会で,就業規則の絶対的必要記載事項に「昇給に関する事項」が挙げられていること(労働基準法892号)が話題となりました。労働条件明示義務の対象にもなっています(労働基準法施行規則513号)。モデル就業規則にも,解説として,「昇給に関する事項は,就業規則の絶対的必要記載事項に当たりますので,昇給期間等昇給の条件を定める必要があります。」と書かれています(49条)。
 必ず記載しなければならないとなると,必ず昇給をしなければならないのではないかという誤解を招くところです。さらに年功型賃金を前提としているのではないか,それなら職務給を推奨する労働市場改革の流れと合わないのではないか,という疑問もあるところです。職務給であっても,「昇給に関する事項」を定めることはできるでしょうが,「昇給に関する事項」が就業規則の「絶対的」必要記載事項であるのは,賃金が右肩上がりの時代の,定期昇給が当然という年功型運用を想定していたものであり,職務給の考え方には合わないような気がします。
 なお,「昇給に関する事項」は,賃金に関する事項ですが,例外的に書面による明示義務が課されていません(口頭でもよいということです。労働基準法施行規則53項)。でもモデル就業規則に忠実に従うとすると,結局,書面で明示することになります。ただ,短時間・有期雇用労働者については,「昇給の有無」は特定事項として文書交付が義務づけられています(短時間有期雇用法61項,同法施行規則211号)。短時間・有期雇用労働者には「昇給なし」と記載することができるのです。
 「昇給に関する事項」は,同じく絶対的必要記載事項である「賃金に関する決定」に含まれるとして,削除してよいのではないかと思います。記載するとすれば,昇給よりも,むしろ降給のほうかもしれないのですが,これについては,労働契約法理の観点から,根拠が必要と解されていますので,実際上は,就業規則に根拠規定を置かざるを得ないでしょう。また絶対的必要記載事項から外しても,昇給や降給は,一定の基準を設けて運用する場合には,「その定めをする場合」にあたるとして,「当該事業場の労働者のすべてに適用される定め……に関する事項」(労働基準法8910号)に該当し,就業規則の必要記載事項となると解すことができるかもしれません。
 現行法で,「昇給に関する事項」を就業規則に記載せよと言われても,実は昇給させよと言われているわけではなく,就業規則に昇給の要件を定めたり,「昇給しないこともある」旨の規定を置いたりしておけばよいので,いまのところは害がないともいえます。賃金をどう決めようが,それは基本的には労使の合意でやってよいことなのです。
 ところが,そうしたことが,非正社員と正社員との格差問題などについての「働き方改革」の勢いで,少しずつ政府の介入によって自由が狭まり,さらに「三位一体改革の労働市場改革」なるものにより,職務給の推奨のような話になってくると,それだったら,きちんと法制度も,職務給に合わせたものに見直せということになります。でも,そんなことはできないし,やるべきではないのです。
 職務給は放っておいても,外資系やベンチャーが増えてくれば,広がっていきます。また,DXにより職務給化は進みます。だから,あえて推奨する必要はないのです。
 日本の古い大企業は,自発的にやるならともかく,無理をして職務給を導入したってうまくいかないでしょう。政府の単なる思いつきのようなことに付き合う必要はないのです。ましてや「ジョブ型ウオッシュ」のようなことまでする企業まで出てくると,頭を抱えたくなります。やはり日本企業は徹底的に「お上至上主義」なのでしょうかね。

2023年6月22日 (木)

 今日は朝から雨が降っていましたが,今年の梅雨はわりと晴れの日が多く,暑い日が続いているような気がします。空梅雨でしょうかね。
 ところで,最近は夜眠る前に少しYouTubeの動画をみることが習慣になっていて,適当にいろんな動画をみています。昨日紹介した羽生さんと成田さんの対談もそうですし,とくに脈絡なく視聴しているのですが,ただYouTube の方が勝手にレコメンドしてくるので,それにしたがってみることもあります。ということで,先日たまたま見ていたのが,日本に住むアメリカ人同士が,なぜアメリカ人は傘をささないのかを,英語で対談している動画です。いまさら英語の勉強をする必要もないのですが,英語の勉強というよりも話している内容が面白かったのでついついみてしまいました。要するに,彼らは傘をさしたら負けという変なプライドがあるようです。それに傘を持っていてもなくしてしまうことが多いということも言っていました。どうせなくすなら,もったいないから持たないようにしようということでしょうか。
 私がかつてイタリアに留学した30年前,日本から持っていった折り畳み傘をみて,驚かれたことがありました。イタリア語でombrellinoと言われて,いかにも日本人っぽいねというような視線を送られた記憶があります。イタリアでは,こういうものをもつのは女性なのです。そういえば,扇子についても同様です。扇子を使うのは,女性だけなのです。私が扇子で涼んでいるのは,きわめて奇異に思えたようです。ただし向こうの女性の使っている扇子は,大きなもので,色もデザインも派手であり,私が使っていた将棋の棋士が使うような小さな扇子ではありません。どうも傘や扇子のような小物で,雨や暑さの対策をしているのは,神経質すぎて男っぽくないということのようです。いまも同じでしょうか。それじゃ,イタリア人は雨のときにどうしていたかというと,雨宿りをするか,上着を頭に被るとか,そういう対応をするようです。
 私は外出をするときも基本的には手ぶらで,スマホだけ持ち歩きますが,冬はジャケットやコートに入れており,夏にそれができない場合には,セカンドバッグに老眼鏡と一緒に入れています。それでも天気予報で雨の予報があれば,小さく軽い折りたたみ傘(雨が強ければまったく機能しないもの)をセカンドバッグに入れ,セカンドバッグを持たないときも,傘だけは手持ちにしています。雨に濡れるのが嫌だからです。そもそも日本では,傘がなく雨に濡れて歩いていると,通行人からかわいそうな人のような目で見られるので,その視線こそ嫌です。これは要するに,傘をさすことが敗北ではなく,傘が必要なときに持っていないことが敗北ということなのかもしれません。上記の動画では,アメリカ人も日本に住んでいるとやっぱり傘をもつようになったと言っていましたので,結局のところ傘をもつかもたないかは雨が多い国に住んでいるかどうか,それによって人々において傘をもつ習慣が生まれたかどうかという違いに起因しているのかもしれません。
 そもそも傘の歴史は日傘から始まっていて,雨傘は歴史的には古いものではないようです。雨が降ったら外に出なくていいということです。晴耕雨読です。それにテレワークなら,傘は不要です。そういえば,もう何年も傘を買ったことがないですね。

2023年6月21日 (水)

藤井竜王・名人がみせるAIの可能性

 藤井聡太竜王・名人の衝撃の逆転勝利(一撃必殺で相手を倒したという感じです)の余韻から,まだ冷めていない将棋ファンも多いでしょう。
 ところで,先日,羽生善治九段が,いま話題の成田悠輔さんと対談している動画を観ましたが,藤井竜王・名人が,負けた将棋などで,自分の指した手についてAIを使って検討しているということを話していました。いまや人間よりAIは強いので,プロ棋士であっても,AIを使って勉強するのは当然のことであり,藤井竜王・名人も例外ではありません。いまはプロ棋士がAIに勝てないことは,もはや問題ではありません。全員がAIというツールを使って勉強できる状況のなかで,なぜ藤井竜王・名人だけが強いのかが問題なのです。羽生九段は,AIの判断をどう咀嚼して自分の戦術に活かしていけるかで差が出るというようなことを言っていたように思います。
 AIという巨人に乗っかると,どんな新しい景色をみることができるのか。これからは,そういう観点からAIと向き合っていく時代なのでしょう。誰もが乗れそうではありますが,やはり使い方というものがあって,その巧拙により,みることができる景色が違ってくるのでしょう。しかも,それは単にテクニカルなものにとどまらず,自身の思考経路など,人格のより深い領域に関わるものでもあるのです。
 NHKのクルーズアップ現代で,谷川浩司十七世名人が,藤井竜王・名人は終盤でもおそれを知らないようだという趣旨のことを述べていました。将棋界では「震(ふる)える」という言葉がありますが,終盤で優勢な局面でも,思い切った手を指せず,結果として緩手を指してしまうというのが,「震える」の典型です。羽生九段の場合は,勝ちが決まったと確信した場合に,指したときの手がほんとうに「震える」のは有名ですが,これは違う意味の「震える」です(でも神経が非常に高ぶった状態なのでしょうね)。いずれにせよ,藤井竜王・名人は震えないのです。強靭な精神力なのか,神経が図太いのかわかりませんが,終盤において震えないというのは,これまでは人間にないAIの強みでした。その面でもAI並みであるのが藤井竜王・名人です。
 人間の脳の回路がAIと融合したら,どんなことになるか。藤井竜王・名人の活躍は,それを将棋をとおして,人類に示してくれていくのでしょう。

 

2023年6月20日 (火)

藤井竜王・名人八冠への道(王座戦挑決トーナメント)

 羽生善治九段が,日本将棋連盟の会長となりました。彼はこういう仕事をやらないと思っていましたが,あえてこの激務を引き受けたようです。現役ばりばりのときにこの職に就くのはきつく,谷川浩司十七世名人も,会長になってからの成績は急降下してしまいました。年齢だけではないと思います。羽生九段はタイトル挑戦をするなど,かつてほどではありませんが,まだ第一線で活躍していますが,50歳を超えて(52歳),将棋界のためということもあって会長になったのでしょう。
 その羽生九段は,今日の王座戦の挑戦者決定トーナメントで,現在9連勝中で絶好調の若手の齋藤明日斗五段に勝ちました。羽生九段は,先日のNHK杯でも,渡辺和史六段に勝ち,B1組の順位戦では,昇級してきたばかりの勢いのある大橋貴洸七段に勝っています。勢いのある若手を次々と打ち負かしています。ひょっとして藤井竜王・名人(七冠)に勝てるとすれば,この人しかいないのではないか,という気もしてきました。
 その藤井聡太竜王・名人(七冠)は,同じ王座戦の挑戦者決定トーナメントで,村田顕弘六段に勝ちましたが,大苦戦でした。Abemaでの生中継があったので,最後のほうをみていましたが,藤井竜王・名人は絶体絶命のピンチに追い込まれていました(AIの評価値では村田六段が90を超えていて,ほぼ必勝の状況でした)。これで八冠の夢が途絶えたと多くの人が思ったことでしょう。村田六段はかつて関西四天王の一人にあげられていた俊英(残りの3人は,豊島将之九段,糸谷哲郎八段,稲葉陽八段)で,ジャイアントキリングとなったかと思いましたが,たった1手の緩手をとがめられ,最後は龍切りから入って,さらに飛車捨てという派手な23手詰めで藤井竜王・名人が勝ちました。結局,AIの評価値は,人間の場合は時間に追われて十分に考えることができないという状況になると,当てにならないということです。時間攻めも含めて,この最後の詰みを狙っていたのでしょうね。藤井おそるべしです。それほどの鮮やかな逆転勝利でした。これで,いよいよ永瀬拓矢王座への挑戦に向けて,あと2勝となりました。次は羽生九段との勝負です。現在の羽生九段の勢いからすると,勝敗は五分五分ではないかと思っています。

2023年6月19日 (月)

副業が増加

 今朝のNHKの朝のニュースで,「広がる“副業容認”企業のねらいは?注意点は?」という特集がありました。副業容認は,もうずいぶん古いテーマで,私が中小企業庁のこのテーマでの研究会に参加(オンライン出席)したのが2016年なので,もう7年くらい前のことですね。この間に政策的にも,副業促進は優先的な事項に据えられて,私にも講演依頼がかなりありました。そのころ,よく言っていたのは「パラレルキャリア」で,拙著『勤勉は美徳か―幸福に働き,生きるヒント』(20163月,光文社新書)でも,94頁以下で「キャリアの複線化」という小見出しで,今日のNHKのニュースの内容に関係する部分について書いています。ただコロナがあったとはいえ,7年前の話題が,まだNHKのニュースでとりあげられているので,日本の雇用システムの変化は遅いなと思うのと,でも同時に,いよいよ変わりつつあるかも,という気もしています。最近そういう流れを感じていたので,ビジネスガイド(日本法令)に連載中の「キーワードからみた労働法」の先月号(191号)では,副業・兼業をテーマに採り上げました。
 ところで,今朝のニュースのなかで面白かったのが,フクスケという会社が提供している,副業リスクの診断アプリです。リスクの可視化をするものであり,行為規範を重視する私の立場からは,非常に興味深いものです。私は法的紛争の回避のためにはAIを活用し,当事者が望ましい行動をとるよう誘導すべきであると考えており,これがデジタル労働法において重要な意味をもつ規制手法であると考えていますが,このアプリもひょっとするとそういう手法の一つに位置づけることができるのではないかという印象を受けました。労働法の規制手法も,最終的には,適切なアプリの開発というところに収斂していくかもしれないですね。

 

 

2023年6月18日 (日)

解散騒動に思う

 国会の会期末になると,野党から内閣不信任案が提出されます。与党から造反がでないかぎり,可決されることはないのですが,今回はこれまでも立憲民主党の提案に賛同していなかった日本維新の会が野党でも議席数を増やしているなかでは,いっそう虚しいパフォーマンスのようにみえました。パフォーマンスにすぎないとしても,政権に抗議する姿勢を示すことが必要だという意見もあるようですが,立憲民主党は不信任案の可決に向けた与党の切り崩しや野党への説得の努力もしていなかったようであり,そうなるとこれを評価するのは難しい気がします。内閣不信任案は,可決されれば,内閣は,10日以内に衆議院を解散するか,さもなければ総辞職しなければならないと憲法69条に明記されているもので,衆議院のもつ強力な権限(倒閣権)です。議院内閣制からは当然のことですが,この権限が,通るはずのない内閣不信任案を出して,もっぱら与党への抗議の姿勢を示す手段としてだけで用いられているのであれば,維新がこれを茶番と呼んで同調しないことは理解できないわけではありません。
 一方,内閣不信任案という動きとは関係なく,首相が解散すると思わせぶりの発言をして,国会議員を右往左往させている状況は,あまり良い感じがしません。権力者のおごりのように思えます。そもそも解散というのは,任期4年の途中での「中途解約」の強制という感じで,例外的なものではないのでしょうか。もちろん,選挙時に示された民意とのずれが感じられて,いそいで国民の信を問う必要があるというような状況があれば別ですが,今回はそういうことでもないでしょう。ポピュリスティックな政策を連発して,いまだったら与党の議席を増やせそうだから解散するというのは,解散権の「濫用」とでも言いたくなります。そもそも衆議院の解散については,その根拠を含め,憲法上明確でない部分があり,議論があるところです。解散の「大義」なるものが勝手に語られ,立憲民主党の暴走気味の内閣不信任案提出が,これに藉口した与党から解散の「大義」として使われそうになってくると,解散をめぐる政治の動きそのものが,国民不在の政治遊戯のようにみえてきます。秋に解散をするのであれば,少子化対策にしろ防衛増強にせよ,国民負担の増加を正面から掲げ(負担増がないというような,まやかしはせず),国民の信を問うという形でやってもらいたいです。
 機会があれば,憲法学者の方に,解散の時期や理由などについて,どこまで首相に裁量が与えられていると解すべきなのかについて教えてもらえればと思っています。

2023年6月17日 (土)

「フリーランス&副業で働く!実践ガイド」

 ChatGPT関係の原稿を立て続けに書いており,ずっと締め切りに追われていましたが,ようやくすべて脱稿しました。このテーマに対して世間の関心が高まっていることを感じます。ビジネスガイドで連載中の「キーワードからみた労働法」も次号は「生成AI」がテーマです(最新号は,国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口」の令和5年推計版が出たことと関連させて,「高年齢者雇用政策」をテーマにしています)。
 ところで,日経ムックから刊行されるプロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会「フリーランス&副業で働く!実践ガイド」には,私の受けたインタビュー記事が出ています。フリーランス新法が制定されて,フリーランスへの注目がますます高まるなか,フリーランスの人たちの働き方がこれからどうなるのかについて,関心をもっている人も少なくないでしょう。本書には実践的な情報が,いろんな角度から盛り込まれており,目次をみるだけでもわくわくします。フリーランスで働いている人にとっても,またフリーランスに何らかの関心をもっている人にとっても,ぜひ手に取って読んでもらいたいです。
 本書に掲載されている私のコメントは,実務的なものではなく,法律家の立場からのものです。フリーランス政策は今回の新法で終わりではなく,まだ解決されるべき課題があると述べています。新法は関連規則がまだ制定されていないので,それをみなければ評価が難しいのですが,いずれにせよ法律の施行にあたる関係官庁が,きちんとフリーランスの地位向上のために仕事をしてもらえるものと信じています。

 

2023年6月16日 (金)

AIと教育

 今朝のNHKのニュースで,教育現場でのAIの活用というテーマがとりあげられていました。AI時代の教育の話かと思っていたら,そうではなく,教員の仕事ぶりをAIで分析するという話でした。大阪・箕面市の彩都の丘学園を取材し,ベテランの教員の授業風景をカメラで撮影してAIが分析するところが紹介されていました。子どもたちが授業中に下を向く度合い,教員と生徒がどれだけ話をしているか,教員がどれくらい移動していたかなどがデータで示されます。その教員は,導入部で前回の復習についての話が長すぎるという分析結果が出て,そのことを反省していました。こういうのは,授業の改善に使えたり,後輩教員の参考になったりするという点では有用ですが,教師側からは,これが評価に使われると困るという声もあるということでした。そうでしょうね。労働者の監視というのは,もともと微妙な問題です。人間は機械のようには働けないのであり,監視はいきすぎると人格的利益と抵触するところがあります。とりわけ遠隔での監視は不気味であり,ストレスもかかります。AIが活用されるとなおさらでしょう。一方,今回はカメラが教室に設置されているので遠隔監視とはいえないかもしれませんが,分析しているのが人間ではなく機械という点をどう考えてよいかが難しいですね。
 AIによる監視は,職種によっては事故防止につながるし,働きすぎのチェックなど健康確保にもつながります。ただし,後者はプライバシーの問題が出てきます。監視は,昔は労働法の問題でしたが,現在では個人情報保護法とも関係してきます。これもAIのリスクの一つといえますが,総論としては,他のリスクと同様,使い方を誤らないように適切なコントロールが必要というところが出発点となります。
 ところで,教育現場とAIというとき,最初に書いたようなAIと教育も重要です。いまはChatGPTにどう向き合うかということに追われているでしょう(感想文に利用したらダメとかなど)。ただ,もう一歩先をみて,教員も学生もいっしょにChatGPTを使いながら,これだったらどんなことがAIにできて,人間はこのAIとどう分業していけるだろうか,というようなことを語り合う授業が必要だと思います。

2023年6月15日 (木)

島田陽一『雇用システムの変化と労働法政策の展開』

 島田陽一先生から『雇用システムの変化と労働法政策の展開』(旬報社)をかなり前にいただいていましたが,しっかり読んでから紹介しようと思い,時間がかかってしまいました。全部読み切れたわけではありませんが,あまり遅くなってもと思い,ご紹介します。
 唐津博先生のご著書もそうでしたが,古希を迎えた先生方が過去の業績をまとめたものは迫力があります。きちんと一つの本として整理できるというのは,それだけしっかりした研究を系統立ててやってこられたことの証であり,私のように関心がどんどん広がって,常に前に書いたものを壊しながら進みたいという人間には,とても無理なことです。
 島田先生の今回の本は4部構成で,第1部が「日本型雇用慣行の変容と労働法政策の課題」,第2部が「非正規雇用と労働法政策」,第3部が「労働時間法制の立法政策と今後の展望」,第4部が「労働法制の再編と生活保障法の展望」です。島田先生といえば,政府関係の仕事もされていて,労働政策に明るい方です。この本に収録されている諸論文も,そうした先生の研究の方向性が良く表れているように思います。非正規雇用や労働時間法制がまさにそうしたもので,また生活保障法の構想も島田先生が開拓しておられるものです。テーマについては政策面で新しいものを扱うという点で先進性があり,一方でその研究内容は,バランスがとれていて信頼性が高く,後輩の私がいうのも失礼かもしれませんが,非常にセンスの良い研究だと思います。島田先生と同じようなスタイルの先生は,なかなか出てこないでしょう。
 古稀という年齢は,まだこれからです。最近,大学のキャンパスで,傘寿をむかえた名誉教授が,図書館で本を借りている姿をお見かけしました。研究意欲はまったく衰えておらず,目線も鋭いです。自分の20年後を考えるととても自信はありませんが,いまの高齢社会では,古希はたんなる通過点という感じですね。島田先生のような堅実な研究をされている方は,お世辞ではなく,傘寿のときにも,すぐれた業績を収録した今回のような本を出されるのではないかと思います。

 

2023年6月14日 (水)

AI時代の英語

2023年6月13日 (火)

育児とテレワーク

 育児とテレワークの相性の良さは,ずっと指摘してきたことですが,ようやく政府もその方向に動こうとしているのかもしれません。今日の日本経済新聞は,「育児期,働き方柔軟に」というタイトルで,厚生労働省の会議で,育児と仕事の両立が一段とやりやすくなるよう制度を盛り込んだ報告書案が出されたと報じていました。おそらく,この会議とは「今後の仕事と育児・介護の両立支援に関する研究会」であり,報告書案をみると,「子が3歳になるまでの両立支援の拡充」として,「現在,努力義務となっている出社・退社時間の調整などに加えて,テレワークを企業の努力義務として位置付けることが必要である。」とし,また「短時間勤務が困難な場合の代替措置の一つに,テレワークも追加することが必要である。」と書かれています。前者は,育児介護休業法2412号で,子が1歳から3歳に達するまでの子を養育する労働者について,育児休業に関する制度か始業終業時刻変更等の措置に準じるものを講じることなどが努力義務として定められているので,これにテレワークも追加するということだと思われます。後者は,3歳に満たない子を養育する労働者について認められている,所定労働時間の短縮措置について,例外的にその適用対象外となる場合に,フレックスタイム制,始業・終業時刻の繰上げ・繰下げ,事業所内保育施設の設置運営などの便宜供与のいずれかを講じなければならないとされています(育児介護休業法232項,同法施行規則742項)が,その選択肢にテレワークを追加することだと思われます。
 また報告書案では,「子が3歳以降小学校就学前までの両立支援の拡充」として,「業種・職種などにより,職場で導入できる制度も様々であることから」として,短時間勤務制度,テレワーク(所定労働時間を短縮しないもの),始業時刻の変更等の措置(所定労働時間を短縮しないもの。フレックスタイム 制を含む。),新たな休暇の付与(子の看護休暇や年次有給休暇など法定の休暇とは別に一定の期間ごとに付与され,時間単位で取得できるもの) などの柔軟な働き方を措置する制度の中から,事業主が各職場の事情に応じて,2以上の制度を選択して措置を講じる義務を設けることが必要である」とされていて,これは育児介護休業法2413号の強化をめざすものと思われます。
 ということで,テレワークが,育児期の労働者に対するサポートの手段として認められるのは望ましいと思いますが,「異次元の対策」というなら,もっとテレワークの地位を高めてもいいでしょうね。少子化の直接的な対策となるかはさておき,育児期の労働者にとって在宅勤務のテレワークは最も助かるものと思われるので,育児期の労働者にテレワークを認めた事業者への補助金(同僚の負担増に対する手当として使えるようにするなど)を認めたり(もしかしたら,そういうのはすでにあるのかもしれませんが),所定労働時間の短縮かテレワークの請求を選択的に認めたりすることもあってよいように思いますが,どうでしょうね。

2023年6月12日 (月)

AIに流されて

 授業の中で,ChatGPTの話題が出ない日はないような気がします。これからはChatGPTをどう使うかを学ぶことが重要で,そのうち,それについての教習本のようなものがどんどん出てくるでしょう。道具として使いこなすことでよいと思うのですが,同時に,この技術に振り回されないように,自身の「本質的な部分」が浸食されないようにする必要があります。とはいえ,その「本質的な部分」というのは,自分で使っておきながら,よくわからない言葉であり,そもそも「私って何?」ということと関係します。
 過去の私と今日の私は細胞レベルでは違うのであり,これは昨日のテーマでもあった「アイデンティティ」の話でもあります。著名な生物学者の福岡伸一氏は「動的平衡」という言葉を使っておられます。人間は,細胞レベルでは入れ替わりながらも,平衡状態を維持しているのです。
 以前にチームラボの猪子寿之さんが,NHKのテレビで語っていた人間と渦のたとえも面白いです。彼が言うには,人間は環境のなかに生きているもので,それが人間という構造を与えていると言っていました。それは鳴門の渦潮のようなもので,渦潮はそこだけを切り取ってしまうと消えてしまうのです。海の流れのなかにずっと置かれているから渦として存在するのです。人間も,そうした動的なものであるということなのでしょう。このある意味での空白性が人間の本質なのかもしれません。
 私たちは外的環境からたえず刺激を受けながら変化しつつもアイデンティティを保持しているのです。それは肉体レベルでは,食料を得てタンパク質で細胞を作って,死滅した細胞は老廃物として最終的に便として排泄されるという代謝を繰り返しながら自分の身体を維持しているというのと同じことなのかもしれません。
 そう考えると,私たちに構造を与えてくれている外的環境の中に突然現れたChatGPTなどの生成AIに対しても,流されながら,ときには大きくバランスを崩しながら,なんとかバランスを取り戻し,新しい環境に適合して,自身の同一性を維持していくことになるのでしょう。そう考えると,どういう変化が自分のなかに起きて,自分が変わっていくのかが楽しみでもあります。

2023年6月11日 (日)

ジェンダー・アイデンティティ

 LGBT理解増進法と呼ばれている「性的指向及び性同一性の多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」の法案の「性同一性」が「ジェンダー・アイデンティティ」に変わることになりそうです。gender identity をどう訳すかをめぐり,立憲民主党などの野党は「性自認」にこだわり,与党案は「性同一性」でしたが,維新と国民民主党の提案した「ジェンダー・アイデンティティ」を受け入れたということのようです。「ジェンダー・アイデンティティ」なら英語をそのままカタカナにしただけで,芸がない感じもします(しかも,このカタカナのとおりに読んで,外国人に通じるか不安です)が,法案を通すための苦肉の策ということなのでしょうか。
 労働法では,パートタイムとかハラスメントとかはそのまま使わずに,法文では日本語にすることにこだわってきたことからすると,「ジェンダー・アイデンティティ」がそのまま法律の文言になるとすれば,かなり驚きです。
 アイデンティティは,たしかに訳しにくい言葉ですが,ジェンダーが前に付けば「性自認」でよいし,それで定着してきたと思います。これには「トランス」と「シス」があってというような説明がされてきて,それで紛れはありません。自民党(のなかの法案反対派)からは,性自認というと,「心は女とさえ言えば,女性トイレやお風呂に入れるようになってしまい,これを拒むと差別になってしまう」というヘンテコな議論がなされているようです。虚偽の「性自認」を認めないことと,自認された性により差別を許さないということは両立しうるのであり,どうすれば具体的にその両立が可能かを考えるのが立法者の仕事でしょう。政治家も馬鹿ではないでしょうから,自分がヘンテコなことを言っていることはわかっているのでしょうが,それでもそういうことを言わざるを得ない政治家の背後には,何がなんでも法案をつぶせと言っている支援団体がいるのかもしれないと勘ぐりたくもなります。
 ただ,そういう私も正直なところ,10年くらい前なら,自民党のヘンテコ議員と同じようなことを言っていたかもしれません。性自認はシスで,性的指向はヘテロが当然という考え方に染まっていたからです。しかし,それは知識不足だったのであり,そういう自分の無知を自覚して,過去を悔い改め,まさに性自認も性的指向も多様なものがあることを理解し,互いの人格を尊重し合うという当たり前のことにいまは気づいています(それは立派なトランスジェンダーの人との交流があったことも大きいです)。その意味で私は転向者といえるので,それだけにいっそう転向前の自分を想起させるような政治家に嫌悪を感じるのでしょうね(タバコを止めた人が喫煙者に抱く嫌悪感と似たものかもしれません)。
 それでやっぱり「ジェンダー・アイデンティティ」は,「性自認」に戻したほうよくないでしょうか。

2023年6月10日 (土)

泉房穂氏の存在感

 明石市の前市長の泉房穂さんの存在感が高まっていますね。真の改革派として実績を上げ,兵庫県,さらには国へと進出してくるのではないかという声もあります。個人的には,明石市というと子午線と天文台,明石だこと明石焼き,JRの電車からみえる明石城くらいで,これでも大したものですが,やはり神戸や西宮からみると田舎で,積極的に選んで住むところではないというイメージがありました。いまもそのイメージが完全に払拭されたわけではありませんが,それは私の頭がアップデートされていないからで,現在の明石市の全国的なイメージを客観的に示すと,泉さんのおかげで子育てに先進的で住みやすい市の代表のようだと思います。
 泉さんをすごいと思ったのは,職員から「お上意識」「横並び主義」「前例主義」を取り除き,市民目線に立つようにしたということです(と本人がどこかで言われていました)。地方への中央官庁の支配力はすごいものがありそうで,いろいろ私の周りで聞いていると,地方分権なんてどこにあるのか,というようなことを感じることもあります。それに反発してほしい気もするのですが,自治体職員のなかにはどうも「お上意識」があり,そして何をやるにしても前例踏襲で,前例がなければそれだけを理由に提案を退け,そして新しいことは,どこかがやってくれれば安心してやるという横並びで(前に「ゆるキャラ」を嘆いたのもこのことです),そんな仕事の仕方をしていれば,職員の間に知的ファイトがわくわけがありません。泉さんは,この点にメスを入れたということでしょう。
 たしかに「前例主義」は,社会が静的な状況であれば,まずは前がどうだったかを調べてそれに従うのは,混乱が生じないためにも,またいちいちゼロから考えなくてよいという点で時間の節約にもなるので,理由がないことではないと思います。しかし,現在は,そういう状況があてはまる分野は限られているでしょう。あらゆるところにデジタル変革が押し寄せているのです。現在の課題は,前例とは問題状況が異なるという「区別(distinction)」をして,前例があてはまらないから,新たな発想で自ら前例を作り出すという姿勢で臨むべきなのです。これは知的作業であり,また現場では,前例主義に凝り固まる人たちを押しのけていく「力技」となるのかもしれません。泉さんは市長12年という長期政権のなかで,実績を積み,それに基づき自身の発言の説得力を高め,ときにはそのもつ権限を最大限に行使しながら(やりすぎるとパワハラなんて言われるのでしょうが),前例主義を知恵と力で打破してきたのでしょう。
 ChatGPTの時代。人間ならではの考える力がとても大事になってきています。実は前例主義というのは,ChatGPTの得意分野です。ChatGPTは,既存のデータの集積による判断しかしていないからです。前例主義,横並び主義,お上の指示待ちというような人は,これからは不要です。もし他の自治体でも,こういう意識をもっている職員がいるなら,早急に意識改革をしなければ,お荷物になり,AIの導入に反対する抵抗勢力になりかねないことを,首長たちは意識しておいてもらいたいです。これは大学にも同じようにあてはまる話です。 

2023年6月 9日 (金)

キャリア官僚と東大生

 今朝の日本経済新聞で「霞が関『東大卒』10年で半減」という見出しの記事が出ていました。総合職試験(院卒者試験・大卒程度試験)出身大学別合格者数で,合格者2027人中,東大が193人と最も多いものの,過去,最小人数だそうです。調べてみると,2012年度の試験では合格者1326人中410人,2013年度は1753人中454人,2014年度は1918人中438人が東大出身であったことを考えると人数も比率も大幅に低下しています。東大生の霞が関離れは顕著であり,ある面からは良いことといえるかもしれませんが,少し心配になります。
 東大生がどうかということよりも,学力的には十分に試験を突破できるにもかかわらず,あえて忌避している学生が増えているということだとすると,それは記事で書かれていたように,「長時間労働やサービス残業の多さから霞が関には『ブラック職場』との呼び名も定着した」という,働き方改革が十分に浸透していない事情と関係しているのでしょう。
 議員が無意味に威張っていて,それに奴隷のごとくこき使われるような働き方は,プライドの高い東大生には耐えられないことなのかもしれません(対議員に対するこのプライドは,鼻持ちならないようなものではないでしょう)。さらに時間主権が奪われている働き方は,若者には魅力がないのであり,自分の力を発揮する場は,規制改革の動きから民間にもたくさんあるということを考えると,あえてブラックな職場を選ぶ必要はないということでしょう。国家公務員総合職の仕事は,やりがいのある大きな仕事ができるので,本来は志のある若者が憧れてしかるべきものなのですが,どうもメディアなどで報じられているところをみると,残念な働き方が多いので,そこに行く気にならないのもよくわかります。
 もちろん東大生がキャリア官僚にならなくても,他の大学の出身者がなればそれでよいということかもしれません。東大生だから優秀で,東大生が減ると,国家公務員総合職の質が下がるというのは,東大関係者の大きな思い上がりなのかもしれません。むしろ東大生の比率低下は,東大生的な優秀さが,国家公務員の仕事には求められないことの現れにすぎないとみれば,ポジティブに受けとめることもできるでしょう。ただ,私は,東大生の良さは,私大のような強い学閥を作らないところにあると思っていて(実際にはマジョリティなので学閥があるような印象はありますが,結束力はそれほど強くないと思います),省益重視は困ったものですが,省益よりも出身大学の学閥重視になってしまうと,もっと困ったことにならないかという危惧があります。考えすぎでしょうかね。
 いずれにせよ,世はまさにChatGPT時代に突入するわけであり,知識の豊富さ,情報処理の速さなど,東大生的な頭の良さは,あまり社会には役立たなくなる可能性があります。新たな官吏養成の仕組みが必要なのかもしれません。議員の相手は優秀なAIロボットに任すことができれば,議員レクというようなブラックな労働から解放されます。そうなると国家公務員としての本来の大きな仕事に従事できるという魅力がクローズアップされるのではないかと期待しています。

2023年6月 8日 (木)

棋聖戦

 棋聖戦5番勝負の第1局は,Vietnam Da Nang(ダナン)で行われて,藤井聡太棋聖(竜王・名人,七冠)が,挑戦者の佐々木大地七段に勝ちました。棋聖戦は1日制なので,わざわざダナンまで行ってご苦労様という感じです。少しは観光はできたのでしょうかね。有名なリゾート地で,前から私も行ってみたいと思っていたところなので,楽しんでこれたらいいですね。
 対局が過密の藤井棋聖ですが,すでにタイトル戦は,その数だけでもすでにトップクラスであり,慣れたものでしょう。Abemaで対局風景をみていると,どこでやっているのかわからない感じですが,現地では大盤解説などのイベントをやっているでしょうから,こういうのは日本文化の普及に意味があるのでしょうね(むこうの人は日本式の将棋を知っているのか,わかりませんが)。対局会場は,三日月グループのホテルで,私はこのホテルグループのことはよく知りませんが,日本の企業ということで,対局者はやりやすかったかもしれませんね。
 将棋の内容は,現代風で玉を守らない攻め合いでしたが,評価値をみると,藤井棋聖の快勝だったようです。渡辺明九段との名人戦や菅井竜也八段との叡王戦が激戦であったのに比べると,やや物足りないところがありました。ただ,佐々木七段にとっては,初タイトル戦の第1局が海外というのは,ちょっと気の毒な気もしました。日本に帰ってからの巻き返しを期待したいです。
 女流の棋戦は,里見香奈さんが伊藤沙恵女流四段に勝って,女流王位を防衛して五冠を維持し,一方,西山朋佳女流三冠は,甲斐智美女流五段に3連勝で女王を防衛しました。相変わらずこの二人が勝ちまくっています。この間,西山さんは男性棋士にも勝っています。里見さんも含め,二人とも男性棋士に勝っても全然不思議ではなく,相手次第では,男性棋士のほうが勝てないだろうという場合も増えてきています。この二人は,来月,里見さんのもつ清麗のタイトル戦で激突します。女流トップの火花を散らしたライバル物語は,まだ当分は続くでしょう。

2023年6月 7日 (水)

キヤノンショック

 今朝のNHKのニュースで,「キヤノンショック」という言葉が出てきて驚きました。キヤノンの株主総会で,経団連の会長でもあった御手洗氏の取締役再任が過半数ぎりぎりであったというニュースです。あわや否決というところまで行ったということです。その理由は,この会社には女性の取締役がいないということです。会社トップの再任を拒否するという形で,このことに異議を申し立てた株主が多かったということでしょう。アメリカの大手議決権行使助言会社ISSが,取締役会に女性がいない企業には,経営トップの取締役選任に反対を推奨するという助言をしていたことが影響したようです。
 たしかに上場企業の取締役に,ずらっと男性の高年齢者が並ぶというのは,昭和の時代ならともかく,現在は違和感があります。この違和感は,たんに男性・高年齢であるということだけからくるのではなく,素直に考えて,この変化の時代にもっと若い層(といっても40代も含みます。それだけ経営陣は高齢化が進んでいるのです)や女性の力を借りずに経営をやっていけるのかという疑問からくるものです。何も経営陣に女性や若い層がいればよいということではないのですが,同性で年齢が近い同質的な人ばかりで集まっていて,この変化の時代に新しい発想が生まれてくるはずがないでしょう。人材のダイバーシティが乏しい企業に将来性はないでしょう。
 男性社会では,男性に迎合した女性が評価されるということはあるのですが,それではダイバーシティの意味はあまりありません。これは私自身も気をつけるべきことなのですが,自分と同じような考えをもつ人をつい高く評価してしまうものの,それは単に自己満足だけかもしれないのです。といっても良いものは良いのですが,ここは思考実験をしたらよいのです。自分とまったく違った考え方をしてみたらどうなるだろうか,です。私は昔,判例百選において,自分とまったく違う考え方で解説を書いたことがあります。判例百選は教材で学術的な文献ではないので自説を書くところではありませんし,自説を書く場ではないということは執筆要領で釘をさされていたと思います。ということで,ある判例の論点について,自説は少数説だから,通説の立場で書けばよいと思ったのです。これは私には思考実験となったのですが,新鮮な気分ですし,やってはいけないことをしている背徳感もありました(他人が自分に乗り移って書いている感じ)。でも,こういう多重人格的実験を意識的にやってみることは視野を広げるのによいことなのです(あえて判例百選でやる必要もないのですが)。
 男性経営陣も紀貫之の「土佐日記」ではありませんが,「男もすなる経営といふものを女もしてみむとてするなり」と,女の気分になって経営日記でも書いてみればどうでしょうかね。

2023年6月 6日 (火)

 普通の親なら,子は可愛いので,父親の力で何かできることがあれば助けてあげたいと思うのは人情でしょう。しかし,それはまさに「情」によることなので,たとえば「情実人事」というようなことにつながり,それは公正さが求められる公的な場では差し控えなければならないことです。公的な場での活動では人情を優先してはならないのです。その肝心なところを岸田首相は誤っていたのでしょう。もちろん政治の世界は村社会で,人情で動いているというようなことも言われますが,本音ではそうでも,建前はそうであってはなりません。ましてや首相が,特別職の国家公務員のポストに自分の息子をつけるという,わかりやすい情実人事などはやるべきことではないのです。もちろん,情実人事の疑いを払拭できるようなきちんとした説明ができれば問題がありません。自分の息子は,他の人にはない優秀なものを備えていて,周りからも認められており,余人をもって代えがたいというような場合にまで,家族だから対象者から外すということまでは必要ないでしょう。しかし,それはよほどの傑出した人材の場合の例外的なことであり,基本的には家族は対象者から除外するべきなのだろうと思います。
 ましてや,適格者かどうかはっきり分からないような人を,息子だからという理由で公費を使って雇うことはやはり問題でしょう。少なくとも説明責任は求められるわけで,それをやってないということは公私混同があったと疑われても仕方がないと思います。
 世の中には志があって,国のために自分を犠牲にしてよいと思っている人は少なからずいると思います。しかし,それをためらうことになる一つの理由は公的な人間になることによって,プライバシーがなくなることへの抵抗感であり,また家族愛を発揮することが,公的な立場に立つと,制約を受けることを避けたいと考えるからだと思います(自分の息子に実力があるとわかっていても,自分が上にいれば公私混同だと疑われてできないので,あえて自分はそういう地位につかないようにするとか)。逆に言うと,公的な人間になると(とくに強い権力をもつ立場になっていくと),プライバシーを放棄し,そして家族との関係でも,家族よりも国家という優先順位をつけることが必要になってくるわけです。そういうことができるからこそ尊敬され,そしてそういう人には国民もついていこうという気になるわけです。これはおそらく,会社においても同じなのでしょう。創業一族の人が支えている会社はたくさんあります。その場合,実際には創業家の人が社長などの重要ポストを掌握しているのだと思いますが,それはやはり若い時から「帝王学」を学び,そして社員からこの人だったらついていけると言ってもらえて,そういうことが確認できて初めて会社を継がせるということをしている会社なのでしょう。そうでなければ,会社は長続きしません。民間企業にしてそういうことなので,ましてや公的な場や政治の世界においては,家族との関係というのは非常に慎重に考えなければならないのです。菅前首相の時も,その長男について総務省における接待疑惑がありました。息子は別人格といって説明責任を放棄した前首相の姿勢は忘れられません。安倍元首相についても,森友加計問題ではお友達に配慮した公私混同の疑いが濃厚でした。国民が抱いた疑念は間違いであるということを堂々と説明してもらえれば,それでよかったのですけれども,疑惑は晴れないままに終わっています。赤木さんの問題などは,いまなお解決されていません。家族や友人を大切にする人は,情に厚く人間的には魅力なのでしょう。でも,統治とは,自分が何も個人的な感情を抱かないような人に対しても及ぶものであり,権力者に取り入って知己を得ると良いことがあるというようなことでは困るのです。首相になろうとするような人は,家族や友人に対する情を捨て,国民にこそ情をかけるということを望みたいです。
 情とは,人間が生まれながらもつ「心」という意味で,さらにそこから「ほんとうのこと(姿,様子)」というような意味をもつようになっています。「人情」は前者であり,「情報」は後者の意味です。情実人事は人間の生まれながらもつ自然な気持ちかもしれませんが,同時にそれを包み隠さず国民に「情報」として報告し,その判断を仰ぐというのも「情」の意味なのです。

2023年6月 5日 (月)

ゴッホ

 神戸の兵庫県立美術館にゴッホ・アライブ展が来ていたので,みてきました。10代のころ,小林秀雄の『ゴッホの手紙』(新潮文庫)を読んだことがありますが,とりあえず小林秀雄のものは読んでおくべきという程度の気持ちで読んだだけなので,あまり記憶には残っていません。彼を資金的に助けていた弟のテオ(Theo)に送った大量のゴッホ(Vincent van Gogh)の手紙は,絵以外でも有名です。
 小林秀雄が心打たれたとする「烏のいる麦畑」は,私には何とも言えない不気味な絵に思えますが,今回,デジタル画面で映されると,不思議な感覚にとり囲まれました。できれば少人数でゆっくり味わいたい感じでしたが,多くの人がいたので,ちょっと落ち着かなくて,残念ながら早々に退散しました。
 ゴッホは37歳で自殺した狂気の天才と言われています。ゴッホといえば,黄色が印象的な画家です。会場では,ひまわり部屋もありましたが,ちょっと黄色はもうたくさんという気分になってきました。個人的には,「ローヌ川の星月夜」や「夜のカフェテラス」のような絵のほうが好きです。
 これからは,絵画も,五感で楽しむようになるのでしょう。「没入型アート」は面白いですが,他人がいれば没入しにくい気がするので,自宅でVRゴーグルを使って一人で鑑賞できるといいですね。

 

2023年6月 4日 (日)

少子化対策と時間主権

 出生率が1.26という数字は少子化という点では危機的な数字ですが,その原因を十分に分析しないまま,財源の議論もせず,ただなんとなく金をばらまくという政治は許してはなりません(63日の日本経済新聞の社説の「少子化を克服する道筋も財源も見えない」も参照)。現在の子育て世代にお金をばらまくのは,もらうほうとしては嬉しいかもしれませんが,これで少子化の対策になるとは思えません。これから子どもをもつかもしれない世代からすれば,こんな財源無視の政策が長続きするわけがなく,強行すれば,その負担は自分のほうに返ってくるので,結局,子どもを育てる余裕をもてなくなると思うでしょう。しかし,よく財源を後回しにしたような無責任な政策を堂々と公表できるものですね。あきれてしまいます。
 日経の同日の記事「少子化,見えぬ反転 働き方改革は官民進まず 若者の不安払拭急務」も重要で,そのなかで,小峰隆夫氏は,「本当の病気は古い雇用慣行などにあり,少子化は副作用だ」と指摘しています。若者世代における時間と金銭の余裕のなさが少子化に影響していることは否定できないでしょう。ただ,これが非正社員の正社員化や賃上げという対策に安易に結びつきやすい点は要注意です。
 少子化対策のことは,これまでもいろいろ書いてきましたが,結局のところ,いかにして国民が時間主権を回復するかが最も大切ではないかと思っています。私生活にかける時間が増えることは,それだけで少子化対策として十分というわけではありませんが,それなしでは少子化は実現しにくいでしょう。では,人々はどうしたら時間主権を回復できるのでしょうか。すぐに思いつくのは労働時間の短縮ですが,それだけでは,時間主権の回復に直結するわけではありません。自分の時間を労働に多く使いたいという人もいて,これも本人の時間主権として認められるべきだからです。
 ただ,私生活に時間をかけたいと思う人にとって,公的な面からその実現について制約がかけられているとすれば時間主権に関係します。労働時間数で社会保険や雇用保険の加入資格が決まるというのは,時間主権への制約機能があるかもしれませんし,不可欠な行政手続が役所の非効率性のために国民の時間を奪っていたり,公的な医療サービスの非効率性から,病院などでの長時間の待ち時間があったりすることもまた,時間主権を制約しているといえます(霞が関の役人が国会議員へのレクのために時間をとられるというのもまた,役人たちの時間主権の制約といえます)。このように考えると,人々が時間主権を自由に行使することを奪っている可能性がある種々の制度的要因を洗い出すことが必要であり,それが実は一見遠回りであるようですが,少子化対策にもつながりうると思っています。人々が,「この時間は無駄だよね」というのがどんどん減っていくと,もっと余裕のある生活ができるようになり,子どもが増えやすい状況が生まれるような気がします。

2023年6月 3日 (土)

大雨警報下の授業

 今日は台風一過の晴天です。昨日は,台風は直撃しなかったのですが,大雨警報が出ていて大荒れでした。それでも大学は,列車の運休がなく,暴風警報でなければ休講にならないということで,仕方なく授業をすることになってしまいました。今学期の学部の講義はオンデマンドも組み入れているので,オンデマンドでもやれそうなものですが,金曜は対面型授業の日となっていて,勝手にオンデマンドに変えてはいけないと言われているのです。でも,学生にとっても,教師である私にとっても,こんな日に危険を冒して大学に行って授業をしたり,受けたりしなければならないというのは困ったものです。誰のための対面型授業でしょうね。職員については帰宅が難しくなる場合には,帰宅してもよいという通知が出ていましたが,授業を行う教員は,休講措置が命じられないかぎり帰れないですよね。結局,学生はほんのわずかして来ておらず,無理して対面型授業をする意味があったのか甚だ疑問です。
 根本的には,オンデマンドなどの遠隔授業を例外とする姿勢に問題があるのです。現在,遠隔授業は,60単位という上限が設定されていて,そのうえで,当該授業が,面接(対面型)授業に相当する教育効果を有すると認められる遠隔授業の時間数が半数以下であれば,面接(対面型)授業の科目として扱ってよいということになっています。つまり,オンデマンド授業が半数以下であれば,当該科目は遠隔授業にはならず,学生の60単位の上限に算入されないということです。だから私は遠隔授業に該当しない範囲で,教育効果があるとものとしてオンデマンド授業を組み入れているのです。ただ,こういう縛りがあるために,休講が正面から認められているとき以外の気象上の理由でオンデマンドに切り替えることができないのか,ということを確認するために事務に問い合わせたのですが,ルール通りやってください(大雨警報だけなら対面型授業)ということでした。事務の人に聞けば,上記のように答えざるを得ないのでしょう。何か知恵がないかなと期待してしまったのですが,ダメでした。昔は,事務の方は,いろいろ知恵を出してくれていたので,ついつい問い合わせてしまうのですが,いまは事務の方もルールにかなり縛られていて,というか本部の力,それは文科省の力ということですが,それが強くなっていて,柔軟性がなくなってきているような気がします。
 ともかく,職員でも帰ってよいというような気象状況のときに,学生が来るわけがないのであり,そういうときは教員の自主判断でオンデマンドに切り替えるということは認めてほしいです。自主判断に任せるのは危険ということであれば,ルールを変えて,昨日のように大雨警報が出ている場合(洪水警報まで出ていましたし,「高齢者等避難」のアラートもスマホに来ていました)には休講にするか,オンデマンドに切り替えるということを正面から定めてほしいものです。教員は一従業員にすぎないので,たぶんいくら言っても届かない要望なのですが。

2023年6月 2日 (金)

記録は抜かれた人を輝かせる

 昨日,もう投了かなと思ってAbemaTVLiveを観ていたのですが,ちょっと天気予報を観たかったので,パソコンの画面をNHKプラスのLiveのニュースに切り替えたら,速報が入りました。ということで,新名人誕生の瞬間はLiveで観ることができなかったので,残念でした。対局2日目の午後には,挑戦者の藤井聡太竜王(六冠)がすでに優勢でした。この第5局も,前局に続いて藤井竜王(六冠)の快勝で4勝1敗となり,ついに渡辺明名人を無冠に突き落としました。これで,藤井竜王・名人(七冠)の誕生です。将棋界の2大タイトルである竜王・名人を同時に取得したことを示す竜王・名人の称号はまさに最強王者の証しであり,過去に谷川浩司十七世名人,森内俊之九段,羽生善治九段,豊島将之九段しかおらず,藤井七冠で五人目となります。
 ただ何と言っても,将棋界で最も権威のあるタイトルは名人であり,これまでダントツの記録であった谷川十七世名人の名人獲得時の212ヶ月の記録が40年ぶりに破られたことは,まさに歴史的なことでした。同時に,谷川十七世名人の偉大さが改めてよくわかります。藤井新名人の次の目標は,いよいよ八冠で全冠制覇となります。羽生九段の七冠は,叡王というタイトルがなかった時代のもので,全冠制覇という意味もあったので,そういうようにみると,藤井竜王・名人(七冠)は,八冠達成は前人未到のものですが,全冠制覇という点では,まだ羽生九段に追いついていないともいえます。羽生九段の偉大さもまた,改めて感じられます。
 藤井竜王・名人(七冠)にとって,残りのタイトルは王座ですが,こちらは挑戦者決定トーナメントが進行中です。トーナメントは16人が出場していて,藤井竜王・名人(七冠)は,初戦に勝ってベスト8に残っています。羽生九段も,昨日,久保利明九段に勝ってベスト8に残っています。うまくいけば,決勝進出をかけて藤井・羽生戦が実現します。一方,渡辺明九段(昔は,「前名人」という肩書がありましたが,いまは廃止されているようです)も初戦には勝っていて,順調にいけば,決勝進出をかけて,本日,本田奎六段に勝った豊島九段と戦うことになるでしょう。永瀬拓矢王座は4期連続王座をもっていて,次に防衛すると永世王座の称号を手にします。永世称号は,タイトルを失っても残るので,何がなんでも欲しいでしょうね。
 藤井竜王・名人(七冠)は,八冠に向かうためには,まず七冠を維持する必要があります。叡王は防衛しましたが,佐々木大地七段との棋聖戦5番勝負が65日(ベトナムのダナンで開催)から始まり,同じく佐々木七段との王位戦7番勝負が77日から始まります。佐々木七段との12番勝負です。名人戦がやや早めに終わったので,棋聖戦に集中できる状況ができました。勢いに乗っている佐々木七段とは好勝負が期待されます。

2023年6月 1日 (木)

熊本総合運輸事件

 4月の研究会で,割増賃金をめぐる熊本総合運輸事件・最高裁判所第2小法廷2023年310日判決について,専修大学の石田信平さんに報告してもらいました。割増賃金をめぐっては運送会社の事件が多いのですが,この事件もそうです。そこでは,賃金総額を先に決めた会社が,割増賃金の払い方で,いろいろやってくれるので起こってくる問題です。同種事件で最高裁判決が立て続けに出ているので,この種のケースを前提に判例が蓄積されていく感じがあるのですが,事案は特殊であり,その射程をどのようにとらえていくかは難問です。運送業務における歩合給と,割増賃金の支払いというのは,本来相容れないものがあり,このあたりは草野裁判官の補足意見でも言われているように,「労働者が,使用者の個別の了解を得ることなく時間外労働等を行い得る労働環境においては,実際の時間外労働等の時間数にかかわらず一定額の割増賃金を支払う雇用契約上の仕組み……を利用することには経済合理性があり,かかる制度の下にあっては,実際の時間外労働等の総量が合理的な範囲内に抑制されており,かつ,全体として適正な水準の賃金が支払われていると認め得るのであれば,当該固定残業代の支払を労働基準法37条の割増賃金……の支払として認めてもよいのではないか,という疑念」が出てくることになります。そこでいう固定残業代が何かはよくわからないところがあるのですが,賃金総額が決まっているなかで,基本給などを支払った残額が割増賃金として支払われるという点をとらえて,固定残業代と述べているのでしょう。いずれにせよ労働時間が合理的な範囲内におさまっていて,割増賃金なども含めた賃金全体が適正であれば問題はなかろうという一種の常識論が,草野補足意見のベースにあるのでしょう。この事案でいえば,企業が決めている賃金総額があり,その下で実際の労働時間がそれほど過大なものでなければ,通常の賃金や割増賃金の割り振りがどうなっていようが,問題はないのではないか,ということでしょう。ところが,労働基準法の発想は,通常の労働時間に対する賃金というのがまずあって,それに実際の時間外労働時間に応じて割増率を乗じて割増賃金を決定するというものなので,最初から全体の賃金が適正であるからよいだろうという発想は出て来ないことになります。ましてや時間外労働の多少に関係なく,賃金総額を最初に設定するということはおかしいということになるのです。
 草野判事は,固定残業代から逆算される想定残業時間と,労働者の生産性が残業代より低くなる非生産残業時間という概念を用い,非生産残業時間は労働者にとって利益となる時間であり,非生産残業時間の発生は不可避であるので,これと想定残業時間と合致させると,必ず追加的な残業代が発生することから,多少長めの想定残業時間を設定し,そのうえで実際の時間外労働時間が想定残業時間の範囲に収まるようにできれば,固定残業代の残業代抑制機能が働くことになるとします。もちろん,この場合でも,非生産残業時間はあるので,通常の賃金の削減などの方法をとって総額を抑制することには経済的合理性があるともしています。たしかに,通常の賃金の設定方法は,契約で自由に決めることができるので,就業規則の不利益変更となるような場合を除くと,この方法を使用者はとることができるはずです。
 ただ通常の賃金を引き下げると,想定残業時間が極端に長くなってしまうのはどうかという問題があります。この点に着目して,長時間労働を想定した固定残業代は無効とした裁判例もあります。しかし,本件の最高裁は,そこは問題とせず,本件では,この会社での従来の賃金体系との比較という視点を出してきます。補足意見では,この点は,これまでの平均的な時間外労働時間と比べて,使用者は追加の対価を払うことなく長時間の時間外労働をさせることが可能となり,そのような事態の出現は労基法37条の趣旨を効率的に実現することにならないので,固定残業代の支払いにより,割増賃金の支払いがあったとすべきではないとします。具体的には,本件のように,これまで通常の労働時間の賃金として支払われていたものを割増賃金に組み入れて支払う場合がそれにあたるということです。補足意見は,結局,労働者が使用者の個別の了解を得ることなく時間外労働をすることができる場合の賃金の総支払額を抑制するための手段として,固定残業代というものの導入には経済的合理性があり,さらに通常の賃金の抑制にも経済的合理性があるものの,通常の賃金の設定の仕方いかんで極端な長時間労働を出現させる可能性があるという点で,労基法37条の趣旨に反する場合があるというのでしょう(ここまでの草野補足意見の理解はすべて,私が根本的に間違っている可能性もあるので,批判的に読んでください)。
 本件では旧給与体系から新給与体系への移行が一つのポイントで,そこで基本歩合給が減額され,それが割増賃金の一部とされる調整手当に含まれたという点に問題があったのであり,当初から通常の労働時間の賃金を低く設定していれば問題がなかった可能性があります。また調整手当は実質的には,基本歩合給を減額したことにより時間外手当が減額されることになることへの補償という意味があるのですが,これはトータルでみたときの賃金減額の補償の問題であるとして,割増賃金の一部ではなく,特別手当という形で支払っていれば,また違った議論になっていた可能性があるでしょう。その場合は,特別手当は通常の労働時間の賃金に含まれることになり,それは割増賃金の算定基礎となりますが,その増額分は調整手当よりも低くなる可能性が高いので,企業にもメリットのない話ではありませんし,いずれにせよ,調整手当を割増賃金に組み入れるよりも法的リスクの低い扱いとなります。賃金の抑制については,このほか,時間外労働が長くなりすぎないようにするための労務管理の強化(将来的にはデジタル技術を使った管理などもありえます),あるいは賃金制度でいえば賞与面での調整をする(収益に貢献した場合に高い賞与を支払うなど),あるいは査定基準を明確にしながら,正当な理由がなく時間外労働が長かった労働者には低査定として基本給に反映させるといった方法もありえるかもしれません(もっとも,このような方法での調整がどこまで適法かは議論の余地があるでしょうが)。
 ところで多数意見のほうは,日本ケミカル事件・最高裁判決以降の判例を踏襲しながら,本件時間外手当と調整賃金で構成される本件割増賃金について,これが,時間外労働の対価と評価できるかについて,「契約書等の記載内容のほか,具体的事案に応じ,使用者の労働者に対する当該手当等に関する説明の内容,労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの諸般の事情を考慮して判断すべきである」とし,その判断は,労基法37条が「時間外労働等を抑制するとともに労働者への補償を実現しようとする趣旨による規定であることを踏まえた上で,当該手当の名称や算定方法だけでなく,当該雇用契約の定める賃金体系全体における当該手当の位置付け等にも留意して検討しなければならない」としています。この最後の賃金体系上の位置づけという点は,国際自動車事件・最高裁判決のときもそうだったのですが,わかりにくい考慮要素です。それはさておき,説明という要素は,労基則で想定する計算方法とは違った方法で支払っている以上,当該手当が割増賃金になぜ該当するかについての説明は必要だと思いますが,これとは別に,そもそもこれは賃金の払い方の問題であり,割増賃金自体が長時間労働の原因となる可能性があることも考慮すると,賃金制度のあり方として,労使間で交渉して合意をして決めればそれを尊重する解釈こそ重要で,そういう要素を盛り込むための受け皿として説明という判断要素を重視すべきであるということもできそうです。
 いずれにせよ,最高裁は,もっとシンプルに労使自治を尊重した解釈をするという姿勢を示してもらいたいものです。時代遅れになりつつある労働時間規制について,強行法規に縛られたなかで,解釈論を展開しようとすると,迷走が深まるような気がしてなりません。ましてやローエコ(法と経済)による分析は,あまりこの種の事件では,最高裁はやらないほうがよいのではと思うのは私だけでしょうか。

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