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2023年5月 8日 (月)

サンクコスト

 前に大竹文雄さんからいただいた『あなたを変える行動経済学』(東京書籍)を紹介したことがありました。学部の授業で「ナッジ」に関する説明のときに使わせてもらったときのことを書きました。この本は,岩波書店からの『行動経済学の使い方』を高校生向けにわかりやすく書いたもので,実際,たいへんわかりやすく,これを読むことによって人生が変わる人もいるかもしれません。タイトルに偽りはありません。
 各章のタイトルをみると,「直感が邪魔をする」,「『もったいない』を考える(サンクコスト),「損失は避けたい」(プロスペクト理論),「先延ばしの心理」(現在バイアス),「暗黙の選択の利用」,「みんながしています」が挙げられています。直感は人の合理的な判断を誤らせ,過去の出費のこだわりが未来への合理的選択を妨げるとされています。
 しかし人は直感なしには生きていけず,合理的な判断などはできないのであり,行動経済学は,合理的なホモ・エコノミクスを想定した議論をしていてはならないということを教え,むしろ人間の非合理性は,それをうまく活用すると,もっと幸福になれるかもしれないという話につながっていくのでしょう。ナッジの議論が,その代表例です。政策レベルでは,人々の非合理的な判断が集積して,とてつもない害悪をもたらす(例えば稀少な資源を無意味に費消してしまう)ということがあってはならないので,人間の非合理性を説いて,合理的な判断の重要性を教えることは大きな意味があると思います。また過労に陥りがちな人間をナッジにより,健康となるように誘導することもまた望ましいことだと思います。
 ただ,ここでどうしても気になるのがサンクコストのことです。人間はなぜサンクコストにこだわるのでしょうか。これは非合理的なことなのでしょうか。大竹さんは,このことについて,次のように語っています(46頁)。
 「たぶん,長い歴史のなかで考えると,現在では適切でないと思える意思決定のほうが得だったことがあったのかもしれません。サンクコストを取り返そうと,頑張り続けることのほうが良かったこともあるでしょう。今までやってきたことを続け,簡単にあきらめないほうが良いということですね。人間にはそのような多様な特性が引き継がれているのです。それが良い面もあれば,どう考えても良くない面もあります。」
 ということで,良くない面もあるので,冷静に考えようということでしょう。映画館のチケットの例はよく出てきます。途中でつまらない映画なら,とっとと映画館を出て,残りの時間を有益なことにつかったほうがよいのです。映画のチケット代はどうせもどってこないからです。そのとおりなのですが,このストーリーに「ちょっと待った」という人もいるでしょう。この映画チケットは,お母さんが必死にパートで稼いでくれたお小遣いで買ったものであるので,やっぱり最後まで観て映画の内容についてお母さんに語ったうえで,ありがとうと言いたいという人もいるでしょう。こういうケースは,サンクコストのマイナスの効果ではなく,映画の途中で,冷静に考えて,映画鑑賞を続けるほうがよいと判断したということなのでしょう。ただ現実には,多くの人間が,そういう冷静な判断をしないまま,それほどのメリットがないにもかかわらず,ずるずるとサンクコストに引きずられて観てしまうのです。ところが,結果として,そのほうが良かったというようなことが,実は人間の歴史にあったのではないでしょうか。合理的な判断が苦手な人間は,サンクコストを無視する行動も合理的にすることができず,結果としてサンクコストにしばられる人間のほうが生き延びることに成功してきたなんてことはないでしょうかね。
 サンクコストの「良くない面」は,どちらかというと,ここでも政策レベルにおいてあてはまるでしょう。行政の無謬性にこだわって,いったん着手したものは,何が何でも継続するとして,無駄なコストを拡大してしまうことは,いまなお起き続けています。こういうことは避けなければなりませんし,より重要なのは,埋没しそうなことにコストをかけるのを未然防止することです。
 一方,一個人のレベルでは,なかなかサンクコストの呪縛からは逃れられません。馬鹿な男につかまってしまった娘を説得する親の立場からすると,過去の思い出を捨てて将来のことを冷静に考えろと言いたくなるところでしょうが,でもそれが簡単にできないから,多くの文学作品のモチーフになってきたのです。サンクコストにこだわるのは人間の性であり,冷静に考えろという他人からの説得を受け入れられないのも人間の性なのでしょうね。とはいえ,この人間心理を悪用する詐欺師には引っかからないように気をつけなければならないのですが(娘をつかまえた男も,親からすれば詐欺師のようなものかもしれませんが)。

 

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