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2023年5月の記事

2023年5月31日 (水)

Man to Man Animo 事件

 先月の神戸労働法研究会で扱ったMan to Man Animo 事件(岐阜地判2022年8月30日)は,特例子会社Yに採用された障害者Xが,退職後,Y社が障害の特性に配慮した措置を講じる義務を怠り,結果として,退職を余儀なくされたとして債務不履行に基づく損害賠償請求(慰謝料請求)をし,請求が棄却された事件です。Xは,交通事故による高次脳機能障害があり,採用のときに配慮してほしい事項を提示し,企業側もそれを了承していました。Y社の合理的配慮義務は,この採用時の合意内容により特定されているという見方もできたのでしょうが,裁判所は,そもそも障害者雇用促進法における合理的配慮義務とは何かという観点から検討をしています。
 とくにXは,「服装の⾃由を認めてほしいこと (運動靴しか履けない,スーツやブラウスが着られない。)」ということを申し入れていたのですが,会社から革靴を履くことを強要されたと主張し,これが合理的配慮義務違反となるかが問題となりました。
 裁判所は,障害者雇⽤促進法2条の障害者の定義(⾝体障害,知的障害,精神障害,その他の⼼⾝の機能の障害があるため, ⻑期にわたり,職業⽣活に相当の制約を受け,⼜は職業⽣活を営むことが著しく困難な者)に照らし,Xが履物の配慮を求める理由である「腰を痛めている」ことについては,Xの障害である「⾼次脳機能障害及び強迫性障害」によりもたらされたものとは直ちに認められないから,「腰を痛めていることにより履物に関して配慮を求めることが,障害者雇⽤促進法の求める合理的配慮の対象になるとは直ちに解されない」としたうえで,「Xは,⼊社当初から,履歴書にも履物に関する配慮を求める旨を記載し,運動靴しか履けない旨を申し出ており,Y社も,これを認識してXを雇⽤したと認められるから,本件においては,履物に対する配慮は,障害者雇⽤促進法の求める合理的配慮に準じるものとして扱うのが相当である。」と判断しました(ただし,結論としては,革靴の着用の強制はなかったと判断されています)。
 ここで問題となるのは,障害者雇用促進法で義務付けられる合理的配慮は,原則として,障害の原因と関係するものしか認められないのか,です。本件では,採用時に申し出ていたから,合理的配慮に「準じる」扱いがされましたが,もしそういう申し出をしていなかったら,企業に合理的配慮義務はないのかが気になります。
 同法2条の障害者概念に該当する者は,本件でいえば高次脳機能障害や強迫性障害に関係しないにしても,就労に支障が出てくることがありうるので,そういうことについても配慮すべき場合があるように思えます。アメリカ法のように,合理的配慮(reasonable accommodation)を差別概念と結びつけるところ(合理的配慮の拒否が同法の禁止する差別に該当するなど)では,合理的配慮には特別な法的意味がありますが,日本法の合理的配慮義務(障害の特性に配慮した必要な措置を講じる義務)は,本来は,一般的な使用者の配慮義務に根拠があると整理されるべきであり,したがって,障害者手帳をもっていない者だけでなく,障害者に該当しない者であっても,程度の差はあるにせよ,配慮義務が課されるべきであるし,ましてや障害者に対して,障害に起因するものに配慮を限定するのは適切でないように思えます。
 このほかにも合理的配慮義務は,私法上の義務ではないという見解が有力ですが,これについても若干疑問があります。それは労働者に請求権がないという意味のことかもしれませんが,だからといって単なる公法上の義務でもないと考えています(私見については,拙著『人事労働法』(弘文堂)65頁以下を参照)。公法上の義務や私法上の義務という義務の法的性質論はさておき,企業に対して,どのように義務を履行させるのがよいのかを考えるべきであり,労働者に請求権を与えなくても,なお契約上の義務として履行を促すにはどうすればよいかという視点をもつべきであるというのが人事労働法の発想です(なお,必ずしもその主張の規範的内容は明確ではないが,請求権としての合理的配慮というものを提唱しようとしている文献として,櫻井洋介「障害者雇用における合理的配慮概念の再検討―『障害の社会モデル』から見る労働者像―」季刊労働法277号(2022年)125頁以下があります)。

2023年5月30日 (火)

強いタイガース

 交流戦前に貯金172位とのゲーム差が6というのは,驚く成績です。昨年とメンバーはあまり変わっていないにもかかわらずです。岡田監督の評価は高くなっていますが,たしかに試合後のインタビューを聞いていると,選手起用などについてすべて理由が説明されており,理詰めで野球をしていることがよくわかります。また選手を動かすということなので,まさに「人事管理」の手法と重なるのですが「アメとムチ」をうまく使っているように思います。
 岡田野球は守備重視です。かつてスラッガー(slugger)だった岡田監督ですが,野球で重要なのは守備であり,4打席か3打席に1回しかヒットを打てない打者に多くを期待できないことを前提に戦術を立てています。ホームランというような派手なものを求めておらず,打点と四球を重視しているのは当然といえ,納得です。強引な打撃をいやがり,アウトになってもフォームが崩れるようなものでなければ評価するというのも岡田監督の視点です。かつての監督時代には投手を酷使するという批判もあったのですが,それが頭にあるのでしょうか,投手には無理をさせない起用法をとっています。
 監督は貯金23で優勝できなかった2008年のことを気にしています。この年は8月に北京五輪があって,主力選手が離脱したことが大きかったのです。大逆転した巨人も五輪には選手を出していましたが,阪神は新井(現広島監督),矢野(前阪神監督),藤川という主力が招集され,調子が狂ってしまいました。7月にはマジックが点灯していたのに,まさかの失速で,その責任をとって岡田監督は辞めたのですが,それでも2位ですし,辞める必要はなかったものでした。2005年に優勝しており,監督としての実績も十分でした。今回の快進撃は実力どおりというところでしょう。それでも2008年の悪夢があるので,岡田監督はまったく油断していないと思います。優勝とは言わず「アレ」としか言わないのも2008年のことがあるからでしょう。簡単に優勝という言葉は口にしないのです。勝負は9月です。そのときの敵がどこになるかはわかりません(中日はないでしょう)が,いまから抜かりなく準備をしていることでしょう。
 今日の交流戦の初戦の西武戦も勝ち,9連勝で貯金は18に膨れ上がりました。今日は先発メンバーに交代はなく,投手も村上が8回まで投げ,9回に湯浅が抑えるというだけで,ほぼ最小メンバーでの勝利です。代打も代走もなく,監督は試合が始まる前に先発メンバーを決めただけで,あとは何もしないで勝ってしまったようなものです。事前に入念に戦略を練り上げていて,ゲームのなかではバタバタしないのです。監督が変わると,ここまで野球が変わるのかと感じさせられてしまいますね。

2023年5月29日 (月)

いよいよXデー

 昨日の叡王戦は,藤井聡太叡王(竜王・六冠)が,挑戦者の菅井竜也八段との間で,二度の千日手という激戦の末,勝利をおさめて,防衛となりました。これで六冠を維持したことになります。一方,その少し前に行なわれた将棋名人戦の第4局は,挑戦者の藤井聡太竜王(六冠)が,69手という短手数で渡辺明名人を破り31敗となり,いよいよ史上最年少名人に王手となりました。これから渡辺名人が3連勝で逆転防衛することはきわめて困難でしょう。谷川浩司十七世名人の名人最年少記録は風前の灯火になりました。さらに叡王の防衛により,史上最年少の七冠の同時達成も王手となりました。
 名人戦は,渡辺名人が第3局での手堅い勝利から挽回していくのかなと思っていましたが,まったくそうはなりませんでした。藤井竜王は敗戦をずるずるひきずることがない強靭な精神力をもっていて,前の敗戦はなかったかのように,充実した指しぶりでした。投了にはちょっと早すぎるような局面でしたが,名人は戦意を喪失していたのでしょう。名人を踏み潰すような勝利でした。
 叡王戦のほうは,相穴熊の戦いでしたが,あっというまに後手の堅陣が崩され即詰みに討ち取られたという衝撃的な結末でした。振り飛車の未来を打ち砕くような勝ち方でした。でも,この日の二度目の千日手となった対局は,菅井八段も十分に指せる状況だったので,千日手を打開して攻めることができなかったかなという気がします。
 いよいよ531日が名人戦第5局で,結果が出るのは61日でしょう。将棋界にとって歴史的な日が徐々に近づいています。

2023年5月28日 (日)

筑波大学ほか事件

 

 茨城県知事が,「今後の医学教育の在り方に関する検討会」で,医師の偏在を指摘し,茨城県の医師不足の窮状を訴えたという記事をインターネットでみました。「茨城新聞クロスアイ」によると,茨城県は,人口10万人当たりの医師数が全国46位(2020年時点)ということで,筑波大学の医学部はあるけれど,卒業生の半分以上が東京方面に行ってしまい,知事自らが,医者の確保に歩いていると書かれていました。なぜ茨城県が医師不足となっているかというと,これは前に紹介した上昌広さんの『医療詐欺』で書かれていたことなのですが,明治政府に逆らった反逆者を出したことを理由として水戸が干されたというのが理由のようです。その結果,国立大学の茨城大学には,医学部がないのです。実は兵庫県の姫路市も同じ問題を抱えていたと書かれており,たしかに播州出身の人に聞くと,お医者さんが少ないと感じていたようです。官軍に反抗した藩であった地域に,明治政府はなかなか医学部をつくろうとせず,それがいまにいたるまで医師不足をもたらしているということのようであり,この話は驚きです。同書が書かれてから10年近く経っているので状況は少しは改善しているのかもしれませんが,全国の医師数のランキングをみると,興味深いことがわかるかもしれません。
 まったくの偶然なのですが,昨日,神戸労働法研究会で扱ったのは,筑波大学の病院で起きたパワハラ事件でした(宇都宮地栃木支判2019328日)。メインの論点は,パワハラをしたとされる公務員個人の不法行為責任が認められるのかというものでした(国家賠償法が適用されて個人責任が否定されるのか,民法715条・709条の適用で個人責任が肯定されるのか)。もちろん医師不足の県だから病院が忙しくなってパワハラが起こりやすくなるというような安直な推論を述べたいわけではないのですが,あまり縁のない茨城県のことなので,頭のなかで結びついてしまいました(裁判所は栃木市ですが,これは不法行為地ではなく,原告の住所地(裁判管轄が発生する義務履行地)なのでしょうね)。
 それはさておき,この事件での加害者の発言がパワハラと言えるのかは微妙な感じもしましたが,被害者である原告にとって,あまり良くない職場環境であったことは,まちがいないといえそうです(なお,原告は医師ではなく,診療情報管理士という仕事でしたし,賠償を命じられた被告のほうも,医療情報部副部長・病院講師ということで,どうも医師ではなさそうです)。
 この判決は結論として,従来の裁判例の傾向とは異なり,個人責任を認めたのですが,国立大学は「公共団体」か,パワハラがなされたときの業務遂行時の叱責などは「公権力の行使」かなど,気になる論点があるものでした。国立大学で勤務する者としては,職員の不法行為について,故意・重過失がないかぎり国家賠償法に基づき免責となる(求償もされない)というのは安心できそうなことですが,少なくともパワハラ事案は,公権力の行使に関係するものではなく,民間企業でも起こりうるような職場内の問題なので,民法を適用したほうがよいようにも思えます。この判決も,パワハラ行為については,「純然たる私経済作用」であるとしました。「純然たる私経済作用」が何を意味するのかは明確ではないのですが,国家賠償法の適用をはずそうと考えると,こういう解釈をとる必要があったということでしょう。いずれにせよ,この論点は従来は行政法と民法の問題ということでしたが,国立大学が独立行政法人化したあとは労働法の適用領域なので,労働法の観点からも一応議論をしておくべき論点のような気がします。

2023年5月27日 (土)

雇用保険の拡大は誰のためのものか

 岸田首相が長男を首相秘書官につけるという公私混同をしているなか,その長男の行動が問題となっています。526日の日本経済新聞によると,首相は「国民の皆さんの不信を買うようなことなら誠に遺憾だ」と発言したそうです。見出しでは,「公邸私的利用で首相が長男注意,報道『誠に遺憾』」となっていましたが,首相は「国民の皆さんの不信を買うようなことなら」という条件付きの遺憾表明なので,まだ正式には表明していないことになります。したがって,「国民の皆さんの不信を買うようなこと」が確認されれば,新ためて遺憾表明すべきものでしょう。でも「国民の皆さんの不信を買う」かどうかの判断は難しいでしょうから,結局は遺憾表明はしないでしょう。とはいえ,そもそも判断が難しいような「国民の皆さんの不信を買うようなこと」を条件とするのがズルいのです。結局,首相は,この問題に真摯に向き合っていないことになります。そもそも「遺憾」というのは謝ったことにならないというのは,前に谷沢永一氏の本を紹介したときにも書いたことです。
 ところで,今日の本題はここではありません。同日の記事で,パート・アルバイトにも雇用保険の拡大という記事が出ていました。「政府は2028年度までにパートやアルバイトの人らへ雇用保険を拡大する。非正規の立場で働く人にも失業給付や育児休業給付を受け取れるようにし,安心して出産や子育てができる環境を整える。企業側は人件費が増え,人員配置の見直しなども迫られる。」というものです。
 雇用保険は労働者も保険料を拠出するので,同じ時給であれば手取りが減ることになります。非正社員のなかには,家計を支えているわけではないので,雇用保険の受給ができることよりも,保険料の負担のほうが困るという人もいるでしょう。この改正は,非正社員のためではなく,雇用保険の財源を広げるためとみるべきかもしれません。正社員にとっては雇用保険の財源が安定するのはよいことなので,有り難い話かもしれません。つまり,非正社員への雇用保険の拡大は,給付をもらえる人が増えるというより,保険料を払う人が増えるということがポイントなのかもしれないのです。また,企業にとっては,事業主負担が増えるので,時給に転嫁できないとなると,非正社員の雇用を減らす方向に進むかもしれません。これは社会保険料の対象の拡大と同じ話です。ということで,非正社員への雇用保険の拡大というのは,いったい誰のためのものかを明確にした議論をしなければ,世論を誤誘導することになるのではないかと思います。そのあたりは労政審できちんと議論されると思いますので,そう簡単には話が進まないと予想しています。

2023年5月26日 (金)

日本企業は過去を捨てて変われるか

 日本経済新聞で,「ジョブ型雇用,御社は?」という特集で,日本企業のジョブ型への取り組みが紹介されています。おそらく,大企業がジョブ型なるものを導入しようとしても,相当難しいと思います。ジョブ型の定義にもよるのでしょうが,安定雇用を前提としながらジョブ型を実現するというのは不完全なものとならざるをえません。もちろん日本型ジョブ型なるものを目指すことはできるでしょうし,それがある程度うまくいくこともあるかもしれません。ただ,前の経済教室にも書いたように,これからのジョブ型の本筋は,個人のキャリアをベースに考えたものであり,特定企業での雇用を前提としたものではありません。ジョブ型というのは,それ自身が何か具体的な人事管理の方向性を示すものではなく,採用の際にどのようなジョブを遂行するのが労働契約上の義務であるのかを明確にするということがポイントであり,そこから職務給的な賃金の話や解雇の話などが演繹的に導きだされてくるのです。そういう前提のうえで,具体的にどう人材を活用するかということが問われるので,ジョブ型はパソコンでいえばOSのようなものです。そこにどのようなアプリを乗せるかが各企業の腕の見せどころとなるわけです。
 おそらくジョブ型への移行は,日本型雇用システムというOSをもっている既存企業では,簡単にはいかないでしょうし,失敗するでしょう。日本におけるジョブ型への移行は,スタートアップ企業や外資系の企業など,日本型雇用システムとは縁がなく,すでにジョブ型のOSを導入している企業が増えて,そこに人材が吸収されていくという形で起こるのだと思います。では既存の日本企業に未来はないのでしょうか。
 セブン&アイ・ホールディングスの井阪社長は,株主総会で,前回より賛成投票率が減ったものの再任されました。もの言う株主からの反対提案をはねつけることに,とりあえずは成功しました。しかし,同時に,長年グループの収益の足をひっぱってきたイトーヨーカ堂を切れない現経営陣への株主側からの不満もはっきりみえました。イトーヨーカ堂はグループの祖業であり,これなしではグループのアイデンティが失われることになるのかもしれません。経営的にも,セブンーイレブンの食品部門を支えるのはイトーヨーカ堂であり,コンビニとスーパーとのシナジー効果が出ているというのが現経営陣の言い分であり,それが一応株主には支持されたということでしょう。しかし,それはイトーヨーカ堂という会社をいまのままでグループ内に取り込んでおく説明としては弱いように思います。おそらくより大きなのは雇用問題なのでしょう。イトーヨーカ堂を切ると,大規模なリストラ問題が出てきて,そこには日本の経営者はなかなか踏み切れないのです。
 これはジョブ型の話とは関係がないようですが,セブン&アイ・ホールディングスの話は日本の会社の良さと悪さが出ていて,これがジョブ型移行の難しさにも通じるところがあるように思えます。祖業へのノスタルジー,雇用確保の優先度の高さ,再生に向けた根拠の弱い願望的展望などは,数字重視のアメリカ流の投資家には理解できないものでしょう。そこを押し切ることができて,日本流の良さを維持できるか。ジョブ型というときに出てくる反対論も,やはり過去の日本型雇用の人材育成や集団的主義的な仕事の仕方などと相容れないという過去へのこだわり,雇用の安定性への悪影響,日本型でも引き続き生産性を維持できるという根拠の弱い願望的展望なのです。
 このような観点から,セブン&アイ・ホールディングスが,どのように変わっていくかは,ジョブ型の行方との関係でも参考になるものとして注目したいと思います。

 

2023年5月25日 (木)

AI信仰は悪か?

 前にも書いたように,鉄腕アトムやドラえもんを生んだ国である日本では,欧米に比べて,AIやロボットへの抵抗は弱いと言われています。そもそも自然に対しても,それを克服の対象としてきた欧米と違い,日本人は共存することを重視するメンタリティをもってきたわけです。災害の多い国土において自然に対して畏敬の念をいだき,神まで宿らせ,いわば受け身の姿勢で臨んできたのが,私たち日本人なのです。AIやロボットについても,もしかしたらこうした自然に対するのと同様の姿勢で接しているのかもしれません。
 ところで朝日新聞デジタルに今日アップされていた戸川洋志氏の「日本のAI信仰に哲学者が思うこと ChatGPT熱が高まる国で」というインタビュー記事は,こういう日本人のAI信仰について警鐘を鳴らす内容で,興味深く読みました。そこでは, ChatGPTに対して注意が呼びかけられていて,とくに「考える」ことへの悪影響を心配されています。割とよくある批判であり,かつてのテレビをみると白痴になるという議論などと共通するもので,新しい知的技術が出て大きな影響力を及ぼすようになると,従来の知的行動のパターンが変わってしまい,それを警戒する声が出てくるのは当然のことです。実際,テレビは悪影響があったでしょうし,私も子どもたちにテレビを無制限にみせるべきではないという意味で,危険なものだと思っています。ただ,ネットが普及するまでは情報収集手段としてきわめてすぐれていたことも否定できないでしょう。 
 ChatGPTについても,当然悪影響はあるでしょう。しかし,テレビと同じなのです。結局は,使い方であり,それを教える教育が大切ということです。ChatGPTのデメリットは,誰もがわかっていることです。面白がって使っていると知らぬ間に思考力が低下してしまう危険性があることは容易に予想できます。ただ,そういう危険性を十分に認識したうえで,それをどううまく使いこなすかを考えるということこそ,私たちがやらなければならないのです。欧米はAIを規制する方向に向かっているのに日本人は能天気だという意見もありますが,それは日本人の西洋コンプレックスの一つのように思えます。戸川氏がそうだというわけではありませんが,欧米がどうかというよりも,AIへの拒否反応が弱い日本人の特性を活かして,いかにしてリスクをうまくコントロールしながら,この魅力ある技術をうまく利活用して,社会課題の解決に活かし,その面で世界をリードする国になるかを考えることが大切ではないかと思っています。

2023年5月24日 (水)

育児支援の財源

 今朝の日本経済新聞の社説の「育児支援の財源は消費税を封印するな」は,なんとなくもやもやしていたことを,しっかり書いてくれていると思いました。私は,自民党が次の衆議院選挙に勝つために,現役世代からは,源泉徴収でとりやすく,企業負担もある社会保険料を財源にするのがよく,消費税は日常生活に増税感があるので避けたいという政府の意図がミエミエだと思っていました。しかし,社説でも書かれていたように全世代で負担するためには消費税が一番よく,これだとリッチで消費も多い高齢者世帯からの負担が増加するので公平でもあるといえそうです。そもそも税金も社会保険料も国民の負担としては同じであり,かりに所得税を上げなくても,社会保険料が上がれば,同じように手取り賃金が減るのです。どちらも源泉徴収できるので,政府としては取りやすいものです。ただ,さすがに防衛費の増額でも所得税の引上げ(復興特別所得税を減税して,その分を新たな付加税とする)をしようとしているなかでは難しいということで,社会保険料一でいこうということなのかもしれません。少子化対策にうまく利用できれば,将来における社会保険料の拠出を増やすことができるという「説明」がつく点も,社会保険料の引上げが候補に挙がる理由なのでしょう。
 しかし,社説でも書かれているように,社会保険料の引上げは現役世代だけが負担となりますし,経済界が主張しているように賃上げの努力に水を差すということにもなります。財源を後回しにして「異次元の少子化対策」を打ち出し,財源はあとから考えるという杜撰なことをやっているので,いろいろ問題が出てきます。衆議院を解散するのなら,少子化対策の必要性を首相が自分の言葉でしっかり語り,そのために財源確保の必要があることをきちんと説明して,消費税の引上げを国民に正面から問うという形にしてもらいたいです。私は無責任な減税はすべきではなく,むしろ歳出削減の徹底を図りながら,それでも必要な増税はきちんと政府が説明をしてくれて納得のいくものならやむなしという立場なので,一国民としては,重税感を緩和する源泉徴収で取るということを安易に考えずに,正攻法でやってほしいなと思っています。

2023年5月23日 (火)

広島サミットは成果あり?

 広島のG7サミットは,G7の結束を再確認し,グローバルサウス(Global south)の国々も招いて世界各国間の協調を示したという点では成果があったという評価もできそうです。ロシアと中国を仲間はずれにした(分断した)という点では,協調という点を強調するのはどうかという気もしますが,G7側の論理は,ロシアはウクライナ侵攻を引き起こした極悪国なので協調の対象に入れることはできないのは当然であり,中国もその味方だから同様ということなのでしょう。もっとも中国については,アメリカの覇権争いに気を遣っただけで,実際には,フランスなど欧州とアメリカとは対中政策に温度差があり,また地政学的な状況がかなり異なる日本もアメリカとまったく同一歩調をとることができるわけではありません。
 いずれにせよG7の主役はゼレンスキ(Zelensky)でした。後からやってきて主役の地位をかっさらっていきました。彼は,メディア戦略が上手であり,行動力もあり,また元俳優だけあって話術も巧みです。世界中を飛び回り,支持をとりつけて,あの大国ロシアと互角に戦っているのは見事としか言えません。世界にはウクライナ以外にも戦争で苦しんでいる国や人々もいるのですが,ウクライナだけに目を向けさせる腕はすごいです。そして,G7からの具体的な協力を引き出し,またインドやインドネシアなどのアジアの大国ともコネクションをつけるなど,その行動力と決定力もまたすごいです。ゼレンスキの来日は,警備問題などを考えれば,普通ならとても受け入れられないようなものです(日本国民を危機にさらすおそれもありました)が,もはや日本政府に拒否する手はなかったのでしょうね。ただ日本人としてはちょっと複雑な気持ちではあります。広島とハブムトと似ていると述べるなど,彼はそう思ったのかもしれませんが,広島をうまく利用されてしまったような気がしないわけではありません。サミットでは日本の外交力を示したと言われていますが,最も外交力を発揮したのはゼレンスキであったことは間違いないですね。
 ただ戦争中の国の大統領が必死になって,利用できるものは何でも利用するという行動に出るのは理解できないわけではありません。実は,日本の首相もまた,広島をうまく利用しただけではないかと思えるところがあります。G7首脳による平和記念資料館に訪問した際の記帳の文面が公開されています(https://www.mofa.go.jp/mofaj/ms/g7hs_s/page1_001692.html)。岸田首相の記帳文は,「歴史に残るG7サミットの機会に議長として各国首脳と共に『核兵器のない世界』をめざすためにここに集う」です。ここには世界の首脳を側において議長として仕切っている高揚感だけが表れているようです(意地悪な見方でしょうか?)。原爆で亡くなった人に対する思いは込められていないように思えます。他国の首脳は,言葉だけかもしれないものの,きちんとそうした思いを伝えてくれています。とくにカナダ,フランス,イギリスの首相は犠牲者にも明確に言及しています。なぜ日本の首相は,上記のようなことしか書けなかったのでしょうか。このサミットで,核兵器なき世界に向けた力強い一歩を踏み出せたといえるのでしょうか。ロシアを牽制しただけで十分というのであれば,広島の人の気持ちをふみにじることになるでしょう。
 首相の個人的な政治的野心に利用された広島サミット,ということにならないようにするためには,これから彼が核廃絶に向けてどのように具体的に行動していくかが問われることになります。

2023年5月22日 (月)

Midlife crisis

 改めて平均寿命の変遷をみると,私が生まれたころの男の平均寿命(0歳時点での平均余命)は67年くらいだったので,両親もそれくらいのつもりで私を育てていたのでしょう。いま現在,私の年齢での平均余命はおおよそ24年であり,想定よりもおおよそ17年も伸びてしまいました。有り難いことかもしれませんが,平均余命はさらに伸びる可能性があります。遺伝子レベルでは,テロメアの長さなどである程度は決まっているのでしょうが,その短縮速度を抑えることができるようになっているということでしょうかね。
 よく生まれたときは余命3万日と言っていましたが,いまはもっと長くなっています。余命宣告は,いつかは死ぬ運命にある人間にとって,ガンなどにかからなくても,生まれたときにすでにされているのであり,あとは病気などによって,それが短くなるかどうかの違いがあるだけです。その違いは大きいのですが,余命というものがあるからこそ,毎日が輝くのであり,自分でその余命を短縮するのはもったいないことです。
 著名な芸能人の一家心中(?)が話題になっていますが,どういう理由があるにせよ,40代半ばの人が両親とともに自死を図ったとするならば,それは残念なことです。でも,その気持がまったくわからないわけでもありません。余命は減っていくほど,その価値がわかってきます。40代というとまだ人生半ばであり,余命の価値をまだそれほど大きくみていない時期です。価値が大きくないから,捨てやすくなるのかもしれません。また,40代は,ミッド・ライフ・クライシス(midlife crisis)が起こる危険な年頃です。自分のこれまでの人生を問い直し,葛藤や不安を感じる年代なのです。そして,人生のやり直しがまだきくので,思い切ったことをしたくなる年代でもあります。リセット願望です。安定した仕事からの転職,家族を捨てる失踪などは十分に起こり得ることです。しかし,来生で再起をとなると,これは困ったことになります。
 仕事が順調というのは,外部からの評価であり,本人にとってそれがどれだけのプラスであるかは周りからはわかりません。どこかの首相のように,苦節何年で権力にたどりつき,得意の絶頂にいるような人はよいのです。むしろ若くしてある程度の社会的地位につき,順風満帆に来ているようにみえる人こそ問題なのです。定年などの出口があれば,まだいいのですが,芸能人のように,もう辞めたという出口がない場合には,つらい状況になりえます。すさまじいストレスに苛まれていても不思議ではありません。スキャンダルなどの不本意なショックがあれば,それが引き金となって行動を起こしてしまうこともあるでしょう。現在問題となっている方が,こういう心理であったかどうかはわかりません。ただ社会において強者とみえる人にも,実は深い悩みがあるのではないか,という視点でみてみる必要があるのかな,という気がしています。

2023年5月21日 (日)

ペーパーレス

 週末は天気がよかったですが,体調があまりすぐれず,ゆっくりしていました。今日は,当初は私が変人扱いされていたことが,徐々にノーマル化しているのではないか,ということについて書いてみます。
 コロナ前の段階では,日程調整のときにスマホを取り出す人は,少なくとも私の周囲にはほとんどいませんでした。みんな手帳を取り出して日程を確認していました。いまは手帳を使う人は激減しているのではないでしょうか。私は数年前から年賀状や名刺も廃止しましたが,さすがにこれはまだ少数派のようです。でも,そう遠からず多数派になるでしょう。なお,近距離通信規格のNFCを搭載しているスマホをおもちの方は,私のデジタル名刺であるUnited Cardで名刺交換(というか個人情報交換)をすることができますが,いままでNFCのないスマホの人としか会ったことがなく,このタイプの名刺交換に成功したことはありません。
 出張についても,コロナ前から出張数を減らしていましたが,いまはまったくしていません。個人旅行は徐々に増やそうと思っていますが,出張はそもそも必要がありませんよね。海外出張も同様です。このことは研究費の取得の必要性を著しく下げることになりました。これまでは資料収集などのための出張がよくあったからです。
 いつも書いていることですが,プリンターも廃棄しました。どうしても必要な場合には近所のコンビニでプリントアウトします。先日の相続がらみのときはよく利用しましたが,日頃は基本的にはプリンターを使うことはありません。セブンイレブンのネットプリントは便利で,QRコードをかざし,支払いはNanacoでやれば,スマホだけもっていけばプリントアウトできます。問題は,店舗に機械が1台しかないことです。マルチコピー機なので,いろんな用途で使う人がいるから混んでいることがあります。でも今後はプリントアウトをする必要性はなくなっていき,プリントアウトのためにコンビニに行く必要性も激減するでしょう。リコーと東芝が事務機の生産部門を統合するという記事が出ていましたが,これは時代の流れです。
 在宅勤務が普通になるので,ペーパーレスに対応できない企業は生き残れないでしょう。昨日も書いたように医療のペーパーレスは喫緊の課題ですし,これは介護などでも同じです。医療も介護もこれからの社会においてとても大切な分野なのに,最もデジタル化が遅れている感じなのは大きな問題です。医療や介護のサービスそれ自体はアナログ的なものが中心であるとしても,デジタルで業務全体を効率化することにより,アナログ的なサービスの質の向上をする余力がでてくるのです。そのことに経営者が(もちろん政府も)早く気づかなければ,利用者のニーズに応えられないだけでなく,若い人が働き手として集まってこなくなります。一番困るのは,これにより医療や介護の事業者がいなくなっていくことです。

2023年5月20日 (土)

クリニックに行くと……

 先日,数日前に打撲した左の肋骨あたりの痛みがひどくなったので,近所の整形外科に行ってきました。一番近所にあるところは休診日であったので,初めてのクリニック(これも歩いて3分かからないところ)に行くことにしました。ネットで事前受付ができて,そこで問診表に書き込んで送ることができるということで,素晴らしいと思って利用しました。いちおう電話をして,ネットで送付したことを告げ,混み具合を聞いて,すいているということだったので,すぐに出かけました。大学のリモート会議の開始時間まで1時間くらいあったので,さくっと診てもらおうと思ったのですが……。
 待ち時間はほとんどなく,診察もレントゲンをとったわりには,それほど長くなかったのはよかったのですが,なんと受付にいったときに,紙で問診表を記入してほしいと言われて,それじゃネット受付の意味がないと言ったのですが,申し訳ないけれど書いてくれということなので,釈然としないまま,渡された鉛筆で記入しました。痛みとかの細かいことはすでにネット問診表で書いているので省略しました。それで診察に呼ばれたのですが,医師は先程書いた紙の問診表しかもっておらず,紙をみながら症状を聞いてきたので,事前に詳しくネット問診表で書いたのですが,届いていませんかと聞くと,医師が怪訝そうな顔になったので,看護師があわてて探しにいって,プリントアウトしたものを持ってきました。その間に口頭で説明していたので,私のネット問診表は意味がありませんでした。家で書き込んだネット問診表はなんだったんだろうか,という疑問。結局のところ,私がクリニックで書いた紙の問診表とネットからプリントアウトした問診表という紙のものが2つ残り,私はてっきり問診表がデータのまま,医師のパソコンに行くものだと思っていたので,がっかりしました。私はあまり医師にかかることがないので,気づいていないだけで,こういうのは当たり前なのでしょうか。また初診のときは,マイナンバーカードだけではだめで,健康保険証を持参しろと言われて,これだと意味がないなと思い,やっぱり医療の現場はこんなレベルかと思って,あきれてしまいました。もちろんクレジットカードも使えません。会議の時間が迫っていたので,薬は後回しにして,いったん帰宅し,会議に参加したあと,薬はEPARKのアプリを使って近所の薬局を予約して,予約時間に行くと,待たずにスムーズに薬を受け取れました。こちらはクレジットカード(ID)での支払いもOKで,スマホだけで用が済みました。これが普通になってほしいですね。
 それで診察の結果はというと,骨には異常はなく,痛みの原因はよくわからないという結論でした。とりあえず湿布でごまかしています。

2023年5月19日 (金)

名人戦第3局

 先般,名人戦第3局がありました。渡辺明名人に藤井聡太竜王(六冠)が挑戦していますが,3局目は名人が意地をみせ,これで名人からみて12敗となりました。後手の藤井竜王(六冠)は,角切りの攻めが少し無理気味であったようで,優勢に立った名人が手堅く寄せきりました。このレベルになると,少しの悪手も許してもらえない感じですね。名人は少し調子が上がってきているでしょうか。
 王位戦の挑戦者は,挑戦者決定戦において,佐々木大地七段が,羽生善治九段を破り,棋聖戦に続いて,藤井六冠へのダブル挑戦を決めました。佐々木七段にとって人生の大勝負でしょう。なかなかタイトル挑戦という機会はめぐってきません。何度もタイトル挑戦ができる棋士というのは本当に一握りです。
 棋士のピークはどこかという議論はありますが,たとえば2月に早逝した中田宏樹九段(九段は追贈)は,26歳のときに生涯唯一のタイトル挑戦をしています(王位戦で当時の谷川浩司王位に挑戦し24敗で敗れています)。佐々木七段は27歳で,タイトル挑戦時には28歳になっているでしょう。一番油が乗り切っている時期で,もしタイトルを取ることができれば藤井六冠の八冠を阻んだ男として,名を残すことになるでしょう。2つ取れば,歴史的偉業となるでしょうが,さてどうなるか。
 ちなみに,三浦弘行九段は,いろいろ話題のある棋士ですが,あの羽生九段の七冠を最初に終了させた男として歴史に名を残しています(棋聖を奪取し,それは彼の現時点での生涯唯一のタイトルです)。
 羽生九段は,佐々木七段に敗れたとはいえ,あと一歩で挑戦というところまで迫り,レジェンドとしての存在価値を十分に見せました。王位リーグにも残り,さらに王将戦でもリーグに残っており,なお第一人者の地位にいることは驚きですね。

2023年5月18日 (木)

人口推計への疑問

 国立社会保障・人口問題研究所が発表した「日本の将来推計人口(令和5年推計)」に対する疑問を取り上げた,制度・規制改革学会の「年金分科会」の動画(2023年 人口推計の問題点)を視聴しました。426日に公表されたこの人口推計について,まずこの時期が統一地方選挙後であり,政府が公表時期を操作したのではないかということが複数の参加者から指摘されました。本来1月に公表すべきものを,4月に遅らせる理由はとくになかったわけで,ここに政府の意図が感じられるというのです。たしかに統計の信用性という点でも,できるだけ公表時期は決まった時期にしておくべきであり,それが政府の都合で左右されるということがあれば,そのこと自体,統計の信用性を揺るがすことになります。
 統計の内容については,外国人が増えることを想定した人口推計をしていることについて疑問が出されました。外国人が増えるというのは,外国人労働政策と密接に関係しますが,その分野の専門家がいないまま,適当な希望的観測が入ってしまっているのではないか,ということです。一時的に外国人が増えるとかそういうことではなく,政策として外国人労働者や移民問題についての対応を明確に決めなければ,将来の人口推計に外国人のことを取り入れることなどできっこないということでしょう。
 また,出生率の改善の見込みについても疑問が提起されていました。2070年に1.36とされていますが,2021年の1.30より増えるという見込みです。しかし,未婚化がどんどん進むと予想されることをどう考えるのか(これは日本では少子化に直接影響します),また外国人がかりに増えるとしても,ほんとうに少子化の改善となるほど定着してくれるのか,ということも問題となるでしょう。
 人口がどうなるかという単なる予測だけであれば話のネタ程度でいいのですが,重要なのは,これが年金制度における政策決定の資料に利用されるということです。人口減少を甘くみると,つけを払うのは,将来世代です。これまでもほとんど出生率の予想ははずれていたのであり(高すぎる予想であった),その反省もないままやっていることを八代尚宏先生は強烈に批判されています。この動画は,ぜひ多くの人に視聴してもらいたいです。
 今後,未婚世代は増え,少子化は著しく進行し,外国人も日本の少子化を改善するほどは定着せず,ましてや年金保険料を支払ってくれるほどの定着は期待できないと考えておくのが,現実的なシナリオであり,それをベースにすれば,どのような年金制度にする必要があるのかということこそ,国民がほんとうに知りたいことでしょう。この動画をみて,政府サイドも反論があれば,ぜひやってもらって,私たちの子や孫の社会保障制度に対して責任をもった議論をできるようにしてもらいたいです。
 なお,未婚化については,荒川和久・中野信子『「一人で生きる」が当たり前になる』(2020年,ディスカヴァー・トゥエンティワン)が,おそろしい内容ですが,勉強になります。

2023年5月17日 (水)

東京新聞登場

 5月13日の東京新聞にAI関係の記事(「AIに仕事が奪われる? 働く者たちの未来はどこへ 創作活動もデータ合成で…その対価は」)のなかで,私のコメントも出ています。前日に電話取材を受け,すぐに記事になりました。AIと雇用のことですから,私としてもいろいろ考えることはあり,授業の合間の30分間でしたが,質問にお答えしました(そのうちのごく一部分が記事になりました)。
 ChatGPTやBardの登場によりAIと雇用という問題は,新たな段階に入ったかもしれません。当分は,このテーマについて,エッセイ的なものの執筆が続くでしょうが,そのうち『AI時代の働き方と法』(2017年,弘文堂)のその後,というようなものを書く必要が出てくるかもしれませんね。基本的には,当時から予想されていたことが起こっているのですが,自然言語処理の社会実装は,少し予想より早かったです。これまでは,AIの雇用への影響については,少し悲観的な予測をもって臨むべきだと述べていましたが,悲観の程度を少し高めなければいけないでしょう。
 教育も雇用も,もはや生成AIを無視して議論をしていくことはできません。いろんな人がリスクを指摘していますし,もちろんリスクは大きいのですが,それに対応することはできるはずです。ビジネス界からの声は,競争に出遅れた人が追いつくために,先頭集団のスピードを弱めようとする狙いもあるので,ここはできるだけビジネスとの利害関係がない人(研究者など)に客観的な議論をしてもらえればと思います。また研究者であってもビジネス親和的な人とそうでない人もいるので,できればそうでない人も入って公平な議論をしてもらいたいです。規制される側のOpenAIのCEOであるAltman氏からはライセンス制の導入提案がされていますし,AIにより生成されたものである場合は一種の「原産地証明」を義務づけるなどのアイデアもありますが,そういうものを含めて建設的な議論を期待したいですね。
 雇用政策に関心をもっている私たちは,AIの開発が止まらず,社会実装もどんどん進むという前提で議論をする必要があります。記事では,雇用面への考慮が,AIの議論において少ないのではないかという私のコメントが使われていました。実際,少し前まではSFの話であったことが現実化していく社会の到来が間近に迫っているなか,人はどのように生き,働くのか,ということを真剣に考えなければなりません。教育の現場でも,やることを根本から変えなければなりません。政府も,危機意識をもって動いてもらいたいところです。これは何度も繰り返して訴え続けたいと思っています。

2023年5月16日 (火)

テレワーク実施努力義務

 今朝の日本経済新聞で,厚生労働省が,3歳までの子どもがいる社員がオンラインで在宅勤務できる仕組みの導入を,省令で企業の努力義務とする,という記事が出ていました。テレワークを申請すればそれを認める努力義務を導入するということでしょう。ワーク・ライフ・バランスの実現のためにテレワークが最も良いということは繰り返し述べてきましたし,少子化対策にも効果的だと言ってきたので,政府のこの方針には賛成です。テレワークをできない理由をいろいろ挙げる企業はありますが,DXにさえ取り組めばテレワークが導入できるところはたくさんあると思います。中小企業がコスト面でためらっているとすれば,助成金は,そういうときにこそ使うべきです。記事の最後に,「在宅勤務や育児休業の取得は個人の判断だが,制度の導入が遅れる企業は柔軟な働き方を希望する人から選ばれなくなるおそれがある」とありますが,そのとおりであり,企業は助成金があろうがなかろうが,経営上の最優先課題として取り組むべきものです(DXによる企業の革新については,拙著『労働法で企業に革新を』(商事法務)も参照)。
 今後,人手不足倒産がどんどん起こるのではないかと心配しています。いくら良いアイデアのビジネスを考えても,働いてくれる人がいなければ,事業展開は難しいでしょう。賃金をどんなに上げても人が集まらない時代です。こうしたことからも,企業は,DXによりロボットの導入による省力化やテレワークによる人材確保に取り組まざるをえないのです。
 業種によってはテレワークは無理という声もあります。ただ接客業はテレワークは無理と考えられていましたが,いまではリモート接客サービスもあります。どんな業種でもDXやテレワークの可能性を徹底的に追求することこそ,企業の生き残りの重要な戦略となるでしょう。今回の厚生労働省の取り組みは,こうした動きを努力義務という形で誘導していくものであり,非常に良い政策的介入だと思います。

2023年5月15日 (月)

何を報道するか

  数日前まで,学校の教諭の事後強盗殺人事件について,NHKのニュース番組は,連日,かなり詳しく報道をしていました。本人は黙秘しているそうなので,警察の見立てについてリークを受けて流しているということでしょう。事件の凶悪性や衝撃の大きさから世間の関心は高いものの,まだ犯人と決まったわけではない段階(推定無罪)で,少し過剰に一方的な報道をしているような気がします。この容疑者が犯人である可能性は高いのかもしれませんが,ワイドショーではなく,NHKのニュースなので,もう少し冷静中立的な報道姿勢をとったほうがよいと思います。そう思う理由は,Yahooニュースでみた日刊GENDAIデジタルの記事が,東京オリンピックの汚職事件の公判で,検察が事件の背後に森元首相がいることを示す供述調書を読み上げたことなどから,森元首相を不問に付してよいのか,という問題提起をしていたからです(「森喜朗元首相の「接待漬け」が五輪汚職公判で明るみに検察の不問は許されるのか」)。私が見落としていただけかもしれませんが,NHKのニュースでは,この汚職事件について,青木会長らの裁判の結果は簡単に報道されていましたが,公判で出てきた供述などをきちんと追った報道はされていなかったように思います。公判前の容疑者に関する警察側の一方的な情報がどんどん報道されているのに対して,国民にとってより重要な公共性が高い元首相の汚職への関与という問題についての扱いの小ささはバランスを欠いていると思います。
 真実はよくわからないのですが,少なくとも報道の姿勢としては,ワイドショー的な関心で番組を選ぶのではなく,公共性の高い政治家の問題には,積極的に多くの情報を提供するということであるべきでしょう。権力に弱いということでは困ります。国民の間には,NHKの報道するニュースが公正かつ適切に選択されていないのではないかという疑問が渦巻いていることでしょう。
 このほか,ウクライナの戦局についても,重要なことではありますが,軍事的なことについて必要以上に細かい情報を出したり,また爆撃シーンの映像を次々と出したりするなど,子どもが観ている時間帯であることに配慮がないことが気になります(ケガをしている映像などがなければよいということではありません)。
 報道するニュースの取捨選択などについて,根本的な検討が必要だと思います。ニュース以外は良い番組が多いのに,どうもニュースの質が気になるのです。NHKの番組審議会は,こういうところにも,しっかり目配りしてもらいたいです。

2023年5月14日 (日)

大学教員任期法4条1項1号該当性

 大学において介護福祉士養成課程の担当をしていた講師が,任期法71項に基づく無期転換ルールの10年特例の対象者(同法411号該当性)かが争われた羽衣学園事件で, 2023118日の大阪高裁の判決は,地裁判決を覆して,特例対象となることを否定し,5年での無期転換を認める判決を下しました。科学技術・イノベーション創出の活性化に関する法律における同様の10年特例の対象者となる研究者について,研究業績を考慮して採用したとしても,実際に従事している業務が教育だけである非常勤講師(ドイツ語の授業担当の講師)は研究者に該当しない(10年特例の対象ではない)とした裁判例があり,これについては,前に紹介したことがあります(専修大学事件・東京地判20211216日。その後,20227月6日の東京高裁判決も地裁判決を支持しています)が,任期法については要件が異なっていて,とくに41項の3つのカテゴリーのなかの一つ「多様な人材の確保が特に求められている教育研究の職」(1号)は広い解釈もありえることから,10年特例の対象となる余地もあり,実際に1審はこれを肯定していました。今後,混乱が生じないようにするためには,1号該当性をどう解釈して運用していくべきかについて,政府は早急に指針を示すべきではないでしょうかね。
 「人事労働法」的には,これは,次のように考えていくことになります。大学は任期について規則を制定することが義務付けられているので(任期法52項),あとは,その規則の適用においては,納得規範(拙著『人事労働法』(弘文堂)18頁)の適用で処理することになります(なお任期法上は,任期を付けて任用することについて労働者の同意が明文で要件とされています[4条2項])。もちろん規則制定について,どこまで大学側に裁量を認めるのかという問題はありますが,私の「標準就業規則」と同様の発想で,政府が標準的な規則について定めて,1号に該当する職をデフォルトとして示し,各大学でその範囲を追加するのであれば「標準就業規則の不利益変更」と同じ手続をふむことになります(「標準就業規則」などの概念については,拙著37頁)。簡単にいうと,政府が規則内容についてのデフォルトを設定し,何もしなければそれが規則内容となるものとし,その範囲を増やすのであれば,過半数の支持を得て,少数者には誠実説明(無期転換ルールの特例となることについて)をして,規則内容を変更すること(拙著301頁も参照),そして,具体的にこの規則を個々の教員に適用する場合には納得同意を得ること,という流れになります。

 



2023年5月13日 (土)

国会改革

 5月12日の日本経済新聞の「大機小機」の「国会改革,機会費用で考える」では,3つの無駄な時間があるとされています。
 1つが,「
官僚が国会対応のために費やしている時間」です。「例えば,技術的・専門的な内容については,局長クラスが答弁できるようにすればよい。さらに言えば,そもそも官僚が細かい答弁を準備しないでも議論ができるような大臣を最初から任命してほしい。」は,完全に同感です。無能な大臣が上にいたほうがよいという官僚もいるかもしれませんが,公務員のほんとうの「働き方改革」をするためには,原稿をすべて書いてあげなければ答えられないような大臣を任命してはならず,そのうえで,技術的・専門的な内容はもちろん大臣がすべて把握する必要はないので,そこだけは役人が答えるということにすればよいのです。次の内閣改造には,ぜひしっかりした大臣人事を期待したいです。無能な大臣に時間を奪われるという無駄をなくしていかなければ,優秀な人はバカバカしくなって国家公務員になろうとは思わなくなるでしょう。
 第2の無駄は「大臣の拘束時間が長いこと」です。これもそのとおりで,上記の有能な大臣を任命することに加え,大臣を無意味に国会に拘束せず,本来やるべき仕事に集中してもらえるようにすることが大切です。なお大臣になった以上,選挙対策などのために地元に頻繁に帰るということもやめてもらいたいですね。大臣在任中は国の仕事に集中すべきです。
 第3の「国会審議優先のため,外交的な成果が得られにくい場合がある」というのも,先般の林外務大臣のケースをみれば深刻な問題です。このケースでは,たいした案件もないのに国会に拘束され,インドでの重要な国際会議に出られないという事態が起きてしまいました。優先順位をきちんと付けられない国会”村”の住民の発想にはあきれかえります。Bidenがアメリカの国内事情でG7に来れないかもしれないということを聞いて,ようやく日本政府は自分たちがインド政府にやったことの意味に気づいたことでしょう。

2023年5月12日 (金)

第四銀行事件

 今日はLSの授業で,就業規則の不利益変更を扱いました。あらためて第四銀行事件を読みながら,自分も知らぬ間に,原告の年齢をとっくに超えていて,賃金の不利益変更についての重さを,わが事として受け止めることができるようになっていることに気づきました。河合裁判官の反対意見が,血の通ったものだなという気がしましたね。就業規則の不利益変更については,私的自治の観点,合意原則などから批判の対象としてきました。いまは,企業に対して,きちんと納得同意を得るように努めてほしいという見解を述べています。それはともかく,老後の生活設計というものの切実さを感じる私にとっては,原告にとって,この不利益変更はきつかっただろうなという気持ちはよくわかります。
 もちろん,個人にとっての経済的打撃は,共働きであるかとか,預金がどれくらいあるかというようなことによって変わってくるのでしょうが,予定が立たないということは困るのですよね。老後のことを考えると,年金しか収入がないという状況のなかで,税金,医療の自己負担,社会保険料負担,日用品のインフレなどは,ほんとうに厳しいものとなるでしょう。そういうなかで,定年直前の現役末期の段階で,賃金が引下げられるというのはきついと思います(第四銀行事件の場合は,55歳定年,58歳までの定年在職制度というものが,60歳定年になるものの,55歳以降の賃金が引下げられた事案)。
 第四銀行事件の多数意見は,経過措置を設けたほうが望ましかったとは言っています。しかし,労働条件の集合的処理を建前とする就業規則の性質で,最後は押し切ります。どうして集合的処理という建前で,労働者が同意しない労働条件に拘束されるのか,納得いかないというのが,私の博士論文のテーマでしたが,その疑問はいまも持ち続けています。
 今後70歳までの定年延長という形も出てくるのではないかと思います(ただし,さらなる先は,定年という考え方自体がなくなっていく可能性もあります)。現状では,再雇用が優勢ですが,再雇用という形での継続雇用があるというだけでは,良い人材が流出したり,集まらなかったりする可能性があるからです。ただ,定年延長となると,やはり賃金の不利益変更の問題は出てくるでしょう。その意味でも,第四銀行事件・最高裁判決は(その後の,みちのく銀行事件・最高裁判決もあわせて),なお重要な判決であると思います。

2023年5月11日 (木)

鉄腕アトムの国

 政府がAI戦略会議を,東大の松尾豊さんを座長にして立ち上げるということで,とてもよいことだと思います。AIの可能性とリスクをにらみながら,よいルール作りをしてもらえればと思います。労働法の分野でも,ChatGPTなどの生成AIの登場は,新たな議論状況をもたらすと思います。松尾さんとは,56年前に,霞が関のAI関係の複数の会で一緒になったことがあります(むこうは私のことを覚えていないでしょうが)。当時からこの分野の第一人者ですが,いよいよ政府の司令塔になるということで期待大です。私が『AI時代の働き方と法』(弘文堂)を執筆したときには,松尾さんの『人工知能は人間を超えるか―ディープラーニングの先にあるもの』(2015年,角川選書)を大いに参照しました。
 昨日は,首相が,AIの専門家を集めて車座会議を開いたようですが,そこに出席していた安野貴博さんが,ターミネータのイメージでAIやロボットを語る海外とドラエもんのイメージをもつ日本との違いに言及していて面白かったです。ドラエもんというところに年齢が出ていて,私たちの世代はまずは鉄腕アトムとなるでしょう。どっちにしても,ロボットやAIに対して肯定的なイメージをもつ者が多い日本人は,世界でも珍しいのかもしれません。もちろん,AIやロボットにはメリットもデメリットもあるのですが,人型ロボットに親近感をもち,心理的なバリアが低いところが日本人の特徴です。ただそれは,日本人がそもそもそうだということではなく,手塚治虫という偉大なアニメ作家のおかげなのだと思います。

 

2023年5月10日 (水)

出社圧力は一時的か

 本日の日本経済新聞の朝刊において,「〈ポストコロナの働き方〉原則出社 圧力にため息 会社選び,『在宅可』が左右」というタイトルの記事が出ていました。「スキルを磨くには対面で仕事をする方が合理的」という,ある会社の20代社長のコメントが出ていた一方で,「ネット環境さえあれば仕事しやすい技術職はコロナ禍で在宅勤務が一般化した。在宅を好む傾向にあり『テレワーク可』で人材を募る企業は多い。対面主義では人材を獲得できない現実がある」と書かれていました。
 テレワークは,技術職に向いていることは当然でしょうが,その他の職種においては,対面型に戻ろうとする動きもあるようです。ただ,そういうことをしていると,若い人材を集めにくくなるでしょう。
 教育の現場でみても,コロナ前からいた学生は,コロナによりリモート講義の導入であったり,対面でもマスク着用を義務付けられたりすることに,当初はかなり抵抗があったようですが,コロナ後に入学してきた学生は,最初からリモートは想定していますし,対面になってもマスクを着用するのに慣れているので,あまり抵抗がないようです(むしろマスクを外すのをいやがる)。対面やマスクなしでやってきた期間が長い人ほど抵抗があるのは当然であり,逆に,短い人ほどリモートやマスクにそれほど抵抗はなくなるでしょう。最初からリモートとなっていれば,覚悟ができているので,むしろ通学や通勤で時間がとられることがないメリットを大きく感じるのは当然と思われます。問題は,こうした労働者側のとらえ方とは別に,(技術職を除き)ほんとうに対面型のほうが,生産性が上がるのかです。これは結局,経営判断にゆだねられるべきことであり,もちろん法律でどちらかに誘導するようなものではありません。ただ傾向としては,今後はテレワークが増えると予想でき,しかもDX時代を支える人材の間に思った以上にテレワークへの支持があるとすると,法制度においても,できるだけ早く対応をしていかなければならないでしょう。テレワークは別に法律で規制されているわけではないので,対応は不要という意見もありえますが,労働法は物理的な「場」で働くことを想定しているので,オンライン中心で働くデジタル時代になると,対応すべき問題や対応方法も変わり,労働法の根本的な構造を変える必要が出てくるのです。私がいう「デジタル労働法」はそういうものです。関心のある人は,拙著『人事労働法』(弘文堂)の第10章をご覧ください。

2023年5月 9日 (火)

叡王戦第3局

 藤井聡太叡王(六冠)に菅井竜也八段が挑戦する叡王戦の第3局は,相穴熊の難解な将棋でしたが,藤井叡王(六冠)が勝って21敗となり,防衛に王手をかけました。素人にはどこが決め手かよくわからなかったですが,評価値は,途中まで,菅井八段がかなりリードしていたので,藤井叡王(六冠)の逆転勝利ということのようです。とはいえ,藤井叡王(六冠)はAIレベルを超えていますので,そもそも評価値はあまりあてになりませんが。
 王位戦の挑戦者決定リーグは,最終戦が一斉対局となり,紅組は,羽生善治九段が,豊島将之九段に勝ち,白組は,佐々木大地七段が5戦全勝で,挑戦者決定戦に駒を進めました。羽生九段と佐々木大地七段が,藤井王位(六冠)への挑戦をめざして戦います。残留争いは,紅組は永瀬拓矢王座が負けたので,豊島九段の残留となり,白組は渡辺明名人の残留となりました。渡辺名人は佐々木七段に敗れただけの好成績でしたが,惜しくも挑戦には届きませんでした。佐々木大地七段は,棋聖戦でも藤井六冠への挑戦を決めており,羽生九段に勝ってダブル挑戦となるか注目です。一方,羽生九段のほうは,前人未到の通算100冠をかけて,王将戦に続いて再度の挑戦のチャンスがめぐってきました。もう無理かと思われていた100冠の可能性が再び出てきました。最近の羽生九段の充実ぶりはみごとですね。

2023年5月 8日 (月)

サンクコスト

 前に大竹文雄さんからいただいた『あなたを変える行動経済学』(東京書籍)を紹介したことがありました。学部の授業で「ナッジ」に関する説明のときに使わせてもらったときのことを書きました。この本は,岩波書店からの『行動経済学の使い方』を高校生向けにわかりやすく書いたもので,実際,たいへんわかりやすく,これを読むことによって人生が変わる人もいるかもしれません。タイトルに偽りはありません。
 各章のタイトルをみると,「直感が邪魔をする」,「『もったいない』を考える(サンクコスト),「損失は避けたい」(プロスペクト理論),「先延ばしの心理」(現在バイアス),「暗黙の選択の利用」,「みんながしています」が挙げられています。直感は人の合理的な判断を誤らせ,過去の出費のこだわりが未来への合理的選択を妨げるとされています。
 しかし人は直感なしには生きていけず,合理的な判断などはできないのであり,行動経済学は,合理的なホモ・エコノミクスを想定した議論をしていてはならないということを教え,むしろ人間の非合理性は,それをうまく活用すると,もっと幸福になれるかもしれないという話につながっていくのでしょう。ナッジの議論が,その代表例です。政策レベルでは,人々の非合理的な判断が集積して,とてつもない害悪をもたらす(例えば稀少な資源を無意味に費消してしまう)ということがあってはならないので,人間の非合理性を説いて,合理的な判断の重要性を教えることは大きな意味があると思います。また過労に陥りがちな人間をナッジにより,健康となるように誘導することもまた望ましいことだと思います。
 ただ,ここでどうしても気になるのがサンクコストのことです。人間はなぜサンクコストにこだわるのでしょうか。これは非合理的なことなのでしょうか。大竹さんは,このことについて,次のように語っています(46頁)。
 「たぶん,長い歴史のなかで考えると,現在では適切でないと思える意思決定のほうが得だったことがあったのかもしれません。サンクコストを取り返そうと,頑張り続けることのほうが良かったこともあるでしょう。今までやってきたことを続け,簡単にあきらめないほうが良いということですね。人間にはそのような多様な特性が引き継がれているのです。それが良い面もあれば,どう考えても良くない面もあります。」
 ということで,良くない面もあるので,冷静に考えようということでしょう。映画館のチケットの例はよく出てきます。途中でつまらない映画なら,とっとと映画館を出て,残りの時間を有益なことにつかったほうがよいのです。映画のチケット代はどうせもどってこないからです。そのとおりなのですが,このストーリーに「ちょっと待った」という人もいるでしょう。この映画チケットは,お母さんが必死にパートで稼いでくれたお小遣いで買ったものであるので,やっぱり最後まで観て映画の内容についてお母さんに語ったうえで,ありがとうと言いたいという人もいるでしょう。こういうケースは,サンクコストのマイナスの効果ではなく,映画の途中で,冷静に考えて,映画鑑賞を続けるほうがよいと判断したということなのでしょう。ただ現実には,多くの人間が,そういう冷静な判断をしないまま,それほどのメリットがないにもかかわらず,ずるずるとサンクコストに引きずられて観てしまうのです。ところが,結果として,そのほうが良かったというようなことが,実は人間の歴史にあったのではないでしょうか。合理的な判断が苦手な人間は,サンクコストを無視する行動も合理的にすることができず,結果としてサンクコストにしばられる人間のほうが生き延びることに成功してきたなんてことはないでしょうかね。
 サンクコストの「良くない面」は,どちらかというと,ここでも政策レベルにおいてあてはまるでしょう。行政の無謬性にこだわって,いったん着手したものは,何が何でも継続するとして,無駄なコストを拡大してしまうことは,いまなお起き続けています。こういうことは避けなければなりませんし,より重要なのは,埋没しそうなことにコストをかけるのを未然防止することです。
 一方,一個人のレベルでは,なかなかサンクコストの呪縛からは逃れられません。馬鹿な男につかまってしまった娘を説得する親の立場からすると,過去の思い出を捨てて将来のことを冷静に考えろと言いたくなるところでしょうが,でもそれが簡単にできないから,多くの文学作品のモチーフになってきたのです。サンクコストにこだわるのは人間の性であり,冷静に考えろという他人からの説得を受け入れられないのも人間の性なのでしょうね。とはいえ,この人間心理を悪用する詐欺師には引っかからないように気をつけなければならないのですが(娘をつかまえた男も,親からすれば詐欺師のようなものかもしれませんが)。

 

2023年5月 7日 (日)

ゴールデン・ウイークの終わり

  ゴールデン・ウイークの最後は大雨でしたね(能登地方は大丈夫でしょうか)。私は,もともと遠出をする予定はなかったので影響は受けませんでしたが,この間に,多くの人が外出したのではないでしょうか。マスクをする人も徐々に減っているように思います。
 私もときどき外にでることはありますが,いまはマスクをしないことがほとんどです。ときどき周りがみんなマスクをしている状況を知って,あわててマスクをつけるということもありますが。
 大学では,今学期は,学部の授業の一部だけ対面型が復活しています。当初は履修者が多く感染がこわいと思っていましたが,いまは履修者が減り,心配はすっかりなくなりました。ただキャンパスではマスクをしている学生が多いですね。とくに女子学生のほとんどはマスクを着用しているのではないでしょうか。教員も多くはマスクをしていますね。マスク着用をしていると顔がよくわからないので,挨拶をされても困ってしまうことがあります。5月8日以降, 2類から5類に変わるという専門家しかわからないような言い方で緩和が始まるようですが,あまり人々の行動には変化が生じない感じもします。感染の危険性は大きく下がったわけではなく,治療薬も基本的にはない状況であり,それとは別にマスク生活に慣れてしまって,いまさらマスクを外すのも恥ずかしいというような様々な要素が重なっているみたいです。私は基本的には在宅生活をしてきてノーマスクで過ごしてきたので,マスクをつけることに慣れていません。むしろマスクをつけて階段をおりると踏み外しそうになるので怖いのです。
 ところで,ゴールデン・ウイーク中の唯一の外出として,神戸の北野坂でやっている花のイベント「Infiorata」に行ってきました。イタリア語でfiore は花の意味で,それに接頭語のinをつけて動詞化したものの過去分詞です。要するに「花に飾られた」という意味で,それを名詞にしているのでしょう(前にも書いたかもしれません)。お花で人や物を描くものですが,上からみなければ全体像がみえないので,普通にみていると,ただ花が並んでいるだけです。それでもきれいです。MLBのダルビッシュ投手の花絵もありました。彼のお父さんの会社が北野坂にあるので,出品しているのでしょうかね。3日に行ったときは,何年前に行った時ほどは人は集まっていませんでしたが,それでもかなりの数の人がいました。欧米人っぽい人は,ほぼマスクをしていませんでしたね。

2023年5月 6日 (土)

阪神タイガース

 4月はまずますの成績で終えました。印象的なのは,岡田監督の選手起用方法です。打順はほぼ固定されており,これと信用して決めた選手を徹底的に使うという傾向が顕著です。1番近本,2番中野,3番ノイジー,4番大山,5番サトテルは,ほぼ変わりません。サトテルがあれだけブレーキになっていたときも,1試合6番に打順を落としたり,スタメンを外したりする程度で,すぐに元に戻しています。梅野も同じで,全く打てないし,もう一人の捕手の坂本はよく打っていて,投手リードもよいという状況なのに,梅野にこだわっています。周囲からはなぜ坂本を使わないのかという批判が高まっていますが,岡田監督は,捕手はできるだけ一人に固定するということに決めているのでしょう。だから投手との相性も考えて,ときどき坂本を使うものの,第1捕手は梅野ということを,かたくなに変えないのだと思います。例外は8番の遊撃手です。元々小幡か木浪かというところで,開幕先発は小幡でしたが,少し調子を落としたところで木浪に替えると大活躍でレギュラーを奪いました。8番ショートは,いまは木浪で固定です。ここは初めから第1遊撃手は小幡と木浪を競争させるつもりであったので,当初の方針とあまり変わっていません。木浪が奮起して大活躍しているので,競争させたことが見事に功を奏したといえます。6番ライトが競争枠であるという点も特徴的です。普通は6番は調子の良い人が打てばよいように思えるので,たとえば木浪を6番で打たせることを考えそうなものです。しかし木浪は8番で,6番(ライト)はあくまで自由競争枠なのです。森下,井上,小野寺あたりが競争していますが,外国人のミエセス(Mieses)が参入することにより,日本人ははじかれてしまいそうですね。島田も板山もよく使ってもらいましたが,結果が出ていません。岡田監督は,ペナントレース全体をみていて,一番重要な夏以降の時期を乗り切るためには,自分が信用する選手が支えてくれると考えて核に据えているのでしょう。梅野やサトテルはそういう選手なのでしょう。
 投手もワンポイントを使わないなど特徴ある起用法がされています。1イニング以上をしっかり任せられる投手をリリーフに使います。石井は期待に応えていますし,加治屋や及川もいいです。岩貞,岩崎も,まずまず信頼できます。湯浅がいなくても,かなり抑えは信頼できる状況です。先発では,村上という超新星が現れました。移籍の大竹も安定しています。伊藤将も復帰しました。青柳もそのうち調子をあげてくるでしょう。西勇輝はもともとオリックス時代から岡田監督があまり信用していない投手であり,好投する試合もありますが,試合をぶち壊すような投球をすることも多い投手なので,彼をどこで見限るかが注目です。ただ才木や西純也が二軍に落ちたので,西勇輝まで二軍には落とせないことから,今後,どう投手陣をやりくりするのか注目です。JFK時代とは違いますが,6回まで先発がもってくれれば何とかなるという感じにはなってきています。高橋遥人の復帰が待ち遠しいですが,シーズン終盤になりそうですね。

2023年5月 5日 (金)

こどもの日に思う

 子どもの日ですが,あまり鯉のぼりはみなくなったような気がしますね。童謡の「こいのぼり」には,大きい真鯉のお父さんと小さい緋鯉の子どもたちしか出てこず,お母さん鯉は登場しません。お母さん(女性)が露骨に疎外されている感じがします。鯉のぼりという風習自体,男の子の成長だけを祝うという点で,いまの時代には合わなくなっているのでしょうか(でも,ひな祭りのほうは,まだ衰えていないような気がしますが)。
 ところで,今朝の日本経済新聞の社説「子どもの声を聞ける社会に」では,「少子化対策はもちろん大切だが、子どもがすくすくと育っていける環境づくりも車の両輪として急がなければならない」と書かれていました。政府の司令塔となる,こども家庭庁は,まず子どもの性被害対策に取り組むそうです。子どもの性被害は最も卑劣なことの一つですが,後を絶ちません。異常者が一定数いるのは確かなのでしょう。日本で最も有名な芸能事務所における少年タレントの性被害はずっと昔から言われていることですが,多くのメディアはあえて報道しなかったという点で共犯だという意見もあります。メディアは,この件については,しっかり事実を明らかにしてほしいですし,親たちは男同士だから安心なんてことはないということを知っておかなければなりません。
 この他,子どもの公園での事故も後を絶ちません。大人の私生活の監視は問題がありますが,子どもについては,徹底した監視をデジタル技術を使ってやってもよいでしょう。公園だけでなく,保育施設,幼稚園,小学校なども,監視カメラで「ガラス張り」にしてよいのではないかと思っています(ただし,労働法的には,労働者の監視ということにもなるので,その点の問題は解決しなければなりません)。こども家庭庁とデジタル庁とが協力して何ができるかを考えてもらいたいです。
 第4次産業革命は,既存の産業とデジタル技術が融合して○○テックという領域を次々と生み出してきました。子どもに関する政策は多岐にわたりますが,そのどれにおいても従来の施策とデジタル技術との融合をめざすことを,まず第一に考えてもらいたいです。

2023年5月 4日 (木)

漢字の読み方

 ウクライナから日本に避難してきた人は,大人であれば会話がなんとかできれば,もしかしたら仕事がみつかるかもしれませんし,職場によっては英語ができれば十分ということがあるでしょう。しかし子どもが学校を通うとなると,やはり日本語の読み書きができなければならないでしょう。そのハードルは高いと思います。日本人だって十分に日本語の読み書きができないことがあるからです。そもそも大学入試に漢字の読み方がでるというのは,それだけ難しいということでもあります。
 漢字の音読みは,中国から伝来したときの読み方に従っているので,それにより呉音,漢音,唐音に分けられます。「明」などは,「めい」,「みょう」,「みん」などと発音されますが,「みん」は唐音で中国の王朝名でしか聞いたことがありません。「めい」(漢音)と「みょう」(呉音)の区別は難しいです。こういうのをきちんと区別できなければ試験で点をとれません。ただ,日常の話し言葉では,間違っていても,結構伝わるかもしれません。「光明」は「こうみょう」「こうめい」どちらも大丈夫でしょう。一方,「行灯」のような言葉は「あんどん」以外の読み方では伝わらないでしょうね。これは唐音ですが,唐音には難読漢字が多いようです。
 ちなみに先日紹介した拙著を使った大学入試の問題では,「破綻」「享受」「勃興」の読み方が試験に出ていました。「享受」はともかく,「破綻」の「綻」と「勃興」の「興」はやや難しいです。試験対策をしていれば問題ないものですが,「綻」は「定」にひきずられて「じょう」と読みがちですし,「興」は「きょう」か「こう」の区別が難しいでしょう。できれば学校では,なぜ「行灯」が「あんどん」かはともかく,「綻」がなぜ「たん」かは教えてもらいたいですね。「興」は「きょう」が漢音,「こう」が呉音です。この使い分けは,たしかに日頃「勃興」などの言葉を使っている大人はできるでしょうが,学生に試験で問うほどのことかは少し疑問です。ましてや外国人に覚えろというのは酷でしょう。
 音読みか訓読みかも難しいです。試験には出ませんが,市場を「しじょう」と「いちば」の使い分けがきちんとできなければ,聞いていて違和感が残るでしょう。コロナのときによく耳にした疫病は「えきびょう」と読むのに,どうして疫病神は「やくびょうがみ」かというのも不思議です。実は疫病は「やくびょう」とも読んでよいようですが,疫病神は「えきびょうがみ」と読むことを私は聞いたことがありません。なお疫病神は,厄病神とも言い換えることができ,やはり「やくびょうがみ」です。
 日本に住む以上,外国人には日本語をしっかり学んでほしいと思うものの,中国から来た漢字の読み方には,日本語としてそんなにこだわる必要はないかなと思ってしまいます。でもやはり読み方を間違えると教養が疑われるので,日本人としてはしっかり勉強しておきましょうかね。
 

2023年5月 3日 (水)

マイホーム(続編)

 少し前にも書いたマイホームの話題です。
 日銀総裁が替わり,ゼロ金利政策が変更されるかを,多くの人が心配しているでしょうが,当分は継続されそうな感じですね。ゼロ金利政策が終わると,住宅ローンにはねかえるでしょう。低金利のなか変動金利で借りている人がほとんどなので,突然金利が上がると影響は大きいでしょう。住宅ローンは,きわめて大きな借金ですが,税金の優遇もあるし,担保がしっかりしているので銀行も比較的簡単に貸してくれます。そこにマイホームの取得は夢というのがあって,住宅ローンで家を買う人は多かったと思います。いまから50年前にヒットした小坂明子の「あなた」(1973年12月)は,「もしも私が家を建てたなら~」という歌詞で始まり,当時はほぼ毎日のようにテレビで流れていましたし,加藤和彦の「家をつくるなら」(1973年3月)は,このタイトルどおりの「家をつくるなら~」という歌詞で始まり, 住宅メーカーのCMでもよく流れていたので,いまでも耳に残っています。
 それから23年後の1996年。宮部みゆきの代表作『理由』は,東京荒川の豪華な高層マンションの一室で起きた一家殺人事件を扱ったものです。バブル崩壊後,住宅ローンが返せないファミリーが手放した競売物件を,ある実直な苦労人の会社員が,マイフォームの夢を実現するために購入したのですが,そこにいたのは占有屋だったということから起きたものでした。マイホームへのこだわりの悲劇を描いたこの作品は,家族にとってほんとうに大切なものは何かを問いかけるものであったと思います。
 住宅の取得は,老後の安定した住宅の確保という意味があったのですが,多くの人が老人施設で晩年を過ごすようになりつつあるなか,高額の借金をして家をもつことのリスクはいっそう高まりつつあるように思います。
 神戸大学の最寄りの阪急六甲駅の北に,いま巨大な高層マンションが2つ建設中ですが,聞くところによると上層階は億ションだそうです。誰が住むのでしょうかね。広大な屋敷がおそらく相続で手放され,そこにマンションが建てられているのでしょう。そういえば,5月1日の日本経済新聞の朝刊の1面は,「マンションの修繕決議,出席者過半数で可能に」というものでした。老朽マンションの改修を容易にするもので,なかなか出席者が集まらないことへの対策のようです。現在でもそうですが,これから数十年後の豪華マンションは,どんな人が住み,そこで幸福な生活を営んでいるでしょうか。余計なことですね。ただ,建てるべきものは,もう少し違うものであるような気がしてなりません。

 

2023年5月 2日 (火)

デジタル・デバイド解消と銀行への期待

 4月28日の日本経済新聞で,三菱UFJ銀行が,10月2日から店舗の窓口やATMの振込手数料を引き上げると発表したことが報じられていました。窓口などでの現金の取扱いに関する経費の上昇が収益を圧迫しているからのようです。「経済産業省の推計によると現金関連業務の窓口人件費にかかる経費は業界全体で4100億円にのぼる」とされる一方,「日本でも送金はネット移行が進むが,なお高齢者らへの対応で店頭手続きが一定の割合を占めてきた」のです。そして,日本の銀行は,「デジタルトランスフォーメーション(DX)に向けた投資にまわす余力に乏しい課題」があり,「収益性を改善して成長に向けた原資を確保できるかが重要になる」という結びになっています。
 ここには,DXをめぐる現在の問題がわかりやすく現れているように思えます。
 行政手続なども含め,いろいろな分野で人を介さないオンライン化が進み,それは経費節減をもたらします。省力化・省人化により人手を不要とし,潜在的には失業を増やすおそれがありますが,より高度なサービスに人材を配置することができ,金融業界だけでなく,多くの産業で同様の現象が進みつつあるのではないかと思います。その一方で,サービス業などでは,高齢者らにおけるデジタル・デバイド(digital divide)があるために,ある程度はアナログ的なサービスを残すことが必要となっており,これは企業にとっては非効率な部分となるので,その費用は消費者に負担をしてもらうことになるというのが,今回の手数料引上げなのかもしれません。デジタル化を遅らせることのつけは,結局,国民が払わざるを得なくなるのです。
 ただ,そういうことであれば,むしろ高齢者らのデジタル対応を促進して,こうした層にもデジタルの恩恵が及ぶようにし,企業もそれにより事業の効率化を進めて収益を向上させ,よりよいサービスができるようにするという循環を起こすほうがよいと思われます。いまのままでは,デジタル対応できない高齢者らは金のかかるどうしようもない消費者というレッテルが貼られることになりかねません。
 金融機関にとって,国民にお金を融通するのが最も重要なパーパス(purpose)であるということからすると,たとえもうからない高齢者であっても,できれば10月に手数料を引き上げる前に,オンライン口座の設置やパソコンやアプリでの操作などについて丁寧に教えてデジタル対応できるようにしてほしいですね。手数料を引き上げてオンラインでやらなければペナルティを課すぞという脅しではなく,オンラインにスムーズに移行できるように寄り添うことこそ,銀行に取り組んでもらいたいのです。銀行業務はほとんどの国民が利用する重要なサービスであるので,銀行にはそうした業務を担っているという自覚と矜持をもってもらい,率先して国民のデジタル・デバイドの解消に貢献してくれることを期待したいと思います。

2023年5月 1日 (月)

武石恵美子『キャリア開発論(第2版)』

 武石恵美子さんから,『キャリア開発論(第2版)』(中央経済社)をお送りいただきました。いつも,どうもありがとうございます。武石さんには,以前に,広島中央保健生活協同組合事件・最高裁判決が出たときに,神戸大学で開催したシンポジウムでご参加くださり,たいへん有益なコメントをいただいたことがあります。その後も,佐藤博樹さんとの共著などを始め,多くの本をいただいており,いつも勉強させてもらっています。先日の経済教室(日本経済新聞)でも書いたように,キャリア権の重要性がますます高まるなか,本書のキャリア開発論こそ最も重要な領域といえます。帯に書かれている「DXや働き方改革など変革期におけるキャリアについて,個人,企業,社会の役割を考える!」ことこそ,いま求められているのです。
 労働法の領域でも,従来の日本型雇用システムが変容し,既存の法理が徐々に時代遅れになりつつるあるなか,漫然と従来型の授業を続けるのではなく,たとえば武石さんの本を教材として,それをベースに法律や判例の話をしていくほうがよいのではないかというような気もしています。社会人を相手にした大学院レベルでは,こうした授業のほうが効果的であると思いますし,いまや学部でもそうした授業が学生に求められているのかもしれません。私は,労働法と人事管理論とを融合した『人事労働法』(弘文堂から刊行した拙著のタイトル)を提唱しているのですが,拙著自身は法解釈の本であり,誰も近寄れないような体系になってしまっています。もう少し経営学や人事管理論のウエートを強めて人事労働法を勉強してもらおうとするならば,法学の授業であっても,武石さんの本書を副教材として使うことは検討していければと思っています。

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