転職力の時代?
9年前に『君の働き方に未来はあるか?―労働法の限界と,これからの雇用社会』(光文社新書)を上梓ししたとき,当時,よく使われていたエンプロイヤビリティ(employability)に「転職力」という日本語をあてました。そして,これについて「他社から引き抜かれる力であり,他社に引き抜かれることを恐れる現在の企業から,より良い労働条件を引き出す力でもあります」と述べていました(166頁)。
これからは,納得できない労働条件であれば他社に転職できるような力を身につけることが必要だということを説きたかったのです。「君は会社に辞めてやると言えるか」ということを問いかけたのです。会社べったりの職業人生は危険であるので,いつでも辞められるような準備をし,かつそういう心構えをする必要があるということが大切なのです。そんな強い労働者なんていないか,いてもごく一握りにすぎないというのが,当時の反応でしたが,そのときはそうかもしれないが,いずれ変わるというのが私の考えでした。そんななか,ある報道番組で,若者の間で自分のキャリアを高めるための転職が徐々に増えてきているという話が紹介されていました。転職への心理的ハードルがどんどん下がってきているようです。それと同時に,企業のほうで優秀な人材のリテンションのための賃上げが起きているという話も紹介されていました。いよいよ「転職力の時代」に突入したのかなという思いです。
ただ,「転職力の時代」となると,勝ち組と負け組がはっきりしていくことにもなります。企業内での正社員の間であれば,差がつくといっても,それほどのものではありません。さらに近年は,正社員と非正社員との間も差がつかないようにしようとされています。しかし,「転職力の時代」は,そういう平等主義的な処遇からは離れることになります。あえて平等という言葉を使うなら,本人の技能の市場価値に対して平等ということでしょう。これは,日本人が過去半世紀以上の間,慣れ親しんできた平等感とまったく違うものです。昭和どっぷり世代の私も,競争社会が良いとは全然思っていません。いまは自分自身は,競争から落伍して,わがペースで走っている感じです。
しかし,私のようなシニア(入口?)の人間はさておき,これからの若者は競争社会に巻き込まれて行かざるを得ないのです。日本だけが特別な存在でいることはできません。転職力を付けろ,プロになれという,拙著のメッセージは,彼女ら・彼らに向けているのです。
拙著に対しては,自分には転職力はないが,子どもには転職力もたせないという反応をくださった読者も少なくありませんでした。最近では,あまり聞かなくなったエンプロイヤビリティですが,政府は,これを転職力と言い換えて,雇用政策のキーコンセプトに据えてみてはいかがでしょうか。
なお,この本もKindle Unlimited に入っています。
« レジオネラ菌問題に思う | トップページ | 仲介業のデジタル化 »
「労働・雇用政策」カテゴリの記事
- 雇用保険の拡大は誰のためのものか(2023.05.27)
- 日本企業は過去を捨てて変われるか(2023.05.26)
- 経済教室に登場(2023.04.13)
- 転職力の時代?(2023.03.07)