共産党の除名騒動に思う
共産党が,書籍のなかで党首公選制を提案した党員(ジャーナリスト)を除名したことが話題になっています。志位和夫委員長の「長期政権」の是非に問題提起をしたものといえそうですが,執行部は厳しい対応をしたようです。共産党の対応を批判した朝日新聞の社説に猛反発した志位委員長の会見をテレビで観ましたが,産経新聞と朝日新聞と言い間違えたことなども含め,感情的な反発をしている印象を与え,なんとなく余裕のないように感じたのは私だけではないでしょう。志井体制が盤石であれば,今回の一党員の意見など聞き流すことができたのでしょうが,除名という厳しい対応をしたところに,共産党の弱体化が現れているのかもしれません。連合の会長から露骨に嫌われたり,幹部のパワハラが問題となったりと,共産党にとって面白くない話題が多かったなかでの,今回の騒動です。
党首公選制は民主的な党首の選出方法といえるでしょうが,それがベストだとは限りません。志位委員長は,直接選挙は,党首に権限が集中するので民主的ではないとする趣旨の発言をしたようです。民主的であることは必要ですが,直接選挙はそれとは違うということのようです。
共産党は,「党内に派閥・分派はつくらない」ことを綱領に定めています。直接選挙にすると,多数派をめざした競い合いがあり,派閥や分派ができてしまい,党の統一と団結が損なわれてしまうことをおそれているのです。共産党のような主義主張が明確な党は,一枚岩であることが大切であり,直接民主制的な党首選挙は合わないような気もします。そもそも,党の方針として,こういうことを定めるのは自由だと思います。党首の選び方も,各党が自由に決められることです。さらに,どのような人を除名するかのルールも,党が自由に決められるものです。
一方で,共産党も政党として議席をもつ公けの存在である以上,メディアが批判的な意見を書くこともまた自由です(国家権力が政党を弾圧するのとは違います)。朝日新聞の批判を,結社の自由への加入という趣旨のことも志井委員長は言っていましたが,これは筋違いでしょう。共産党は不快であっても,朝日の批判は受け流すべきだったのだと思います。
ところで,団結を重視して,自由を制限するのは,労働組合において,ユニオン・ショップを適法とする議論とどことなく似たものを感じます。団結それ自体に優先的な価値を認めると,個人の団結の自由は制限されても仕方がないということになります。私は,この考えに反対で,オープンショップにして労働者・組合員の自由を尊重してこそ,団結は強化されるのであり,逆に組合員の自由を制限した団結は衰退していくであろうと考えてきました。そのアナロジーでいくと,政党も,意見の自由を尊重してこそ,団結は強化されるのではないかと思います。今回のことは,共産党を弱体化させることにつながらないでしょうか。お節介なことかもしれませんが,共産党が一定の存在感をもつことが,日本の政治において必要と考える立場からは,心配となるのです。
いずれにせよ,今回の騒動は,団体と個人の関係を考えるうえでの一つの材料を提供するものであり,大学のゼミで論じるのに適切なテーマだと思います。
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