学説批判の難しさ
日本労働研究雑誌2・3月号の学会展望「労働法理論の現在―2020年から22年の業績を通じて」で,三井正信さんの論文「ユニオン・ショップ再考」広島法学43巻3号・4号が取り上げられていました。この論文の存在は知らなかったので,助かりました。サイト上に掲載されていたので,すぐに読みました。三井さんは,この論文で,従来のユニオン・ショップ無効説を改め,有効説を唱えておられます(ご本人は「新生有効説」と命名されています)。従来の有効説は論拠が弱いが,無効説も理念が先走りで現実的ではないということで,労働者の代表としての労働組合の存在意義を活かすためには,どのような解釈をとるべきかについて検討し,新たに理論的根拠を強化したうえで有効説に転向したということです。
労働者個人の自己決定を活かしながら,ユニオン・ショップの有効性を根拠づけるというのがポイントです。これは労働協約の根拠を労働者の組合加入時の意思に求める私の見解と実は親和性があります。私見では,任意加入であることが,労働協約中の組合員に不利益となる条項や労働条件の不利益変更の拘束力を根拠づけるのですが,ユニオン・ショップが有効である現行法の下では任意加入が担保されていないので,こうした拘束力の正当性根拠が不十分となり,それゆえ組合員に対する不利益制限法理が(やむをえず)必要となると分析し,そのうえで解釈論としては,ユニオン・ショップ無効説をとったうえで,任意加入を担保し,労働協約の拘束力を貫徹すべきであるという議論をしています(23年前の2000年に発表した「ユニオン・ショップ協定が労働団体法理論に及ぼした影響」神戸法学雑誌49巻3号。その後,加筆修正したものが,『労働者代表法制に関する研究』(2007年,有斐閣)の第4章)。三井さんは,ユニオン・ショップ締結企業において,組合加入を雇用条件とする同意は,労働組合という強固な利益擁護団体の保護に包摂されることへの同意であり,それについて労働者の自由意思(合理的な理由を客観的に求める判例の理論を前提)があれば認められるとします。私の立場からは,三井さんはユニオン・ショップがあるからといって私のように正当化を諦めることをせず,ユニオン・ショップ自体を私的自治から正当化する可能性を模索したものと位置づけることができ,言われてみるとその手があったかという気がしました。もっとも,そこでいう労働者の自己決定論は,私に言わせれば真の自己決定論ではなく,山形県民信用組合事件・最高裁判決の悪しき拡張例ではあり賛同はできませんが,それは単なる学説の相違にすぎず,この論文自体は,明確な主張のある優れたものであり,今回の学会展望でセレクトされて当然であると思いました。
ユニオン・ショップをめぐっては,有効説の側には,労働者は団結しなければ価値がないという素朴な議論から,労働組合は公的団体性を帯びており公正代表義務が(実質的に)課されるのであるから,ユニオン・ショップによる組織強制には問題がないとするタイプの議論まであり,無効説には,憲法論(13条の自己決定論や28条の消極的団結権の承認)からする議論もあるし,ユニオン・ショップ協定が過半数組合により締結される多数派の横暴であるという視点からの議論まで多様です。結論は,(過半数の)労働組合による労働者の代表という仕組みを,規範的にどう評価するかという部分に左右されるところが大きく,三井さんは衰退する労働組合運動のなかで,なお労働組合の重要性を説いたものですが,これには,強いシンパシーを感じますが,同時に,もう無理な議論かなという感想です。
学会展望のなかでは,解雇のことや,労働協約の規範的効力のことなど,三井さんの論文中の法律構成に関する法技術的なところに議論が集中してしまった感がありますが,私の理解では,それらはあまり論文の本質的なところと関係しないのではないかと思います(もちろん解釈論の論文である以上,論評の対象にはなるのですが)。著者が最もこだわったところが,「すごく縁遠い神々の争い」(池田悠発言)として切り捨てられたように思えるのはやや残念であり,私達がこだわってやってきた団体法の研究は,おそらく次世代には継承されないのだろうなと,寂しい気持ちになりました。でも,これでよいのでしょうかね。
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