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2023年2月16日 (木)

リスキリング政策

 内閣官房の新しい資本主義実現本部が出している基礎資料をみましたが,まだ「非正規労働者の賃金を上げていくためには,同一労働・同一賃金制の徹底した施行が不可欠」という間違った政府方針を掲げていますね。非正社員の賃金は外部労働市場で決まるので,政府は産業政策で対応すべきであり,同一労働同一賃金では改善しません。いつも書いていることです。
 資料で興味深いのは,雇用保険の失業給付について自己都合離職の場合にも早期に受給できるようにする議論がでてきていることです。失業給付では,モラルハザードを避けるために,自己都合離職の場合に一定の不支給期間を置いているわけですが,それを短縮ないし撤廃しようとする動きがあるようです。収入面の不安なしに,積極的な転職ができるように後押しをしようということでしょうが,雇用保険制度の枠内で自己都合離職の場合の給付の受給要件を緩和することには問題がありそうです。転職支援は,雇用保険とは別の制度で財源も別にして行うべきではないでしょうか。
 一方,労働移動の促進自体は望ましい政策ですが,解雇規制の見直しとセットにしてやるべきであり,そこにふれないのは非常に問題があります。一方でリスキリング(資料では「リ・スキリング」と書かれています)については,どういうわけかデンマークのことが採り上げられていて,それを参考にしようとしているようです(かつてのflexicurityの議論を想起させます)が,人口も経済規模も国民性も違う国の制度を参考にする際には,慎重であることが必要でしょうし,いずれにせよ,きちんとした法学者を入れておかなければ変な制度ができてしまうおそれがあります。もし学生がデンマークを比較法の対象国とする論文を書いたとすれば,なぜデンマークかについて,かなりしっかりした説明がされていなければ,まともな論文としては取り扱われないでしょう。
 在職の学び直しの支援については,企業を通じたルートと個人に直接行うルートがあり,岸田首相は後者を重視する方向を示したと報道されています。私はリスキリングは,そもそも企業にやらせることに限界があるとする立場です。東京大学の川口大司さんは,昨年63日の経済教室で,次のように書かれていました。
「企業が訓練機会を提供しようとしても,人工知能(AI)スキルのような汎用性のあるスキルについては,社員が他の企業に引き抜かれてしまうため,投資費用を回収できないと考える向きもあろう。実際に伝統的な労働経済学はそう考えてきた。だが近年の研究では,労働市場は非流動的で,そこまで激しい人材の引き抜きは行われていないとの議論がエビデンス(証拠)ととともに展開されている。」
 これは重要な指摘です。私は伝統的な労働経済学に依拠して議論してきたわけですが,ほんとうは労働市場が流動的かどうかで結論は変わるということです。実際,流動性の低い大企業でのリスキリングはかなり効果があるようです。終身雇用を期待して入社して,潜在的能力も高い人材に対して,企業が本腰を入れてリスキリングをすれば,有為な人材に生まれ変わり,さらに賃金制度の見直しもなされていけば,こうした人材の賃金上昇につながります。このシナリオは,少なくとも大企業にはあてはまりそうです。問題は,中小企業です。そこでは企業内でのリスキリングに期待することはかなり難しいでしょう。
 そういうなかでの,今回の岸田首相の流動化促進政策です。もし大企業でも流動化を進めようということになると,やはり企業内でのリスキリングは進まなくなる可能性があります。そうなると,リスキリングの支援も,企業を通じたものよりも,個人にダイレクトにするもののほうがよさそうです。
 昨年の政府税調でプレゼンをした際に感じたのは,政府は,企業にもっとリスキリングに取り組んでもらわなければ困るというスタンスで,私にもそういう趣旨の発言を期待していたようですが,私は企業のリスキリングに期待できないという逆の立場でした。しかし現在,ひょっとしたら,政府は,労働市場の流動性と企業内リスキリングの潜在的な対立に気づき,リスキリングについて政策転換をしようとしているのかもしれません。

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