同一労働同一賃金では格差はなくならなかった?
2月4日の日本経済新聞の朝刊で,「非正規の待遇改善を今こそ」というタイトルの社説が出ていました。春季労使交渉が始まるなか,非正社員の処遇の改善は,政府にとっても重要なテーマとなっています。賃上げによる物価高の補填,景気の浮揚などを目指して,賃上げは政府の政策の重要な柱となっています。エコノミストも賃上げに向けた大合唱です。たしかに,この時期に労働組合が賃上げを実現しなくては,どうしようもありません。いまは経団連も賃上げに理解を示す状況なので,絶好のチャンスでもあります。ただ経団連は中小企業の事情をどこまで考えているのかは,やや心配です。また賃上げは物価高をもたらすので,経営者は,継続的な賃上げへの覚悟が必要となります。
ところで,ここで振り返っておきたいのは,あの働き方改革でやろうとした日本版の「同一労働同一賃金」は何だったのかということです。2012年の労働契約法の改正の際に導入された旧20条が出発点で,短時間労働者法を改正して2018年に制定された短時間有期雇用法8条に引き継がれています。「同一労働同一賃金」は,改正労働契約法が施行された2013年4月から,10年が経過しようとしています(改正短時間有期雇用法8条の施行が大企業は2020年4月,中小企業は2021年4月であったので,そこから起算している人もいるかもしれませんが,それは間違いです)が,不合理な格差を禁止して格差是正を目指すという課題は,解決できなかったということではないでしょうか。私は,中央経済社から『非正社員改革』(2019年)を上梓しましたが,そのときのサブタイトルは「同一労働同一賃金では格差はなくならない」というものでした。非正社員の労働条件の状況を放置してはならないのは当然ですが,それは,同一労働なのに賃金に格差があるといった「正義」の観点から切り込むのではなく,貧困の問題として,社会保障政策で対処すべき問題であるというのが私の年来の主張です。そして貧困の原因となる技能不足の問題の対処こそが本丸の政策であるということもまた私の主張でした(同一労働一賃金への疑問は,拙著の『雇用社会の25の疑問』(弘文堂。初版は2007年)や『雇用改革の真実』(2014年,日本経済出版社)でも書いていました)。
現在の岸田政権が,リスキリングに着目し,また130万円の壁の撤廃に取り組もうとするのは,その点では正しいことなのです。リスキリングは,広い意味では非正社員の職業訓練も含むことであるし,また130万円の壁は,賃金を上げても就労調整するので所得は増えないということで,これは広い意味で貧困の問題なのです。貧困の問題は,賃金ではなく,所得補填の施策で対応しなければならないのです。また,正社員との格差是正という間違ったスローガンは,賃金などの労働条件の水準だけを問題とするものですが,なぜ賃金が上がらないか,労働条件が改善しないかという根本の問題に手をつけなければ,非正社員の処遇は改善しません。さらにデジタル時代ですので,それを組み入れた政策でなければなりません。デジタル技術を活用した省力化・省人化の影響を真っ先に受けるのは非正社員です。これからは,デジタル化により,単純労働は減り,高付加価値の人間の仕事が相対的に増えるので,賃金は上がるでしょう。しかし,その賃上げの恩恵に浴することができるのは,高いスキルの労働者だけです。非正規「雇用」に着目するのは間違いで,大切なのは,「労働者」個人なのです。非正社員であろうと正社員であろうと,デジタル時代に対応したスキルを習得しなければ,高い賃金は期待できません(というか非正社員や正社員という区別自体がなくなっていくのです)。130万円の壁が問題であるのは,こうしたスキルの習得へのインセンティブをそぐ面があることです。民間企業の扶養手当も,連動していることがあるので,そうなるとこの壁の影響は大きいものです。
賃金という目先のことにこだわってきた政策では何も実現できません。個人のスキルアップをどうすればよいかを考える政策こそ求められているのです。こうした問題を考えていくうえで,いまこそ拙著を多くの人に読んでもらって問題意識を共有してもらえればと思っています。
« 『解説 改正公益通報者保護法(第2版)』 | トップページ | 労使関係セミナーで講演 »
「政策」カテゴリの記事
- 少子化対策と時間主権(2023.06.04)
- 人口推計への疑問(2023.05.18)
- 東京新聞登場(2023.05.17)
- こどもまんなか社会(2023.04.04)
- マイホームの夢?(2023.03.31)
「労働法」カテゴリの記事
- 再びエアースタジオ事件(2023.04.27)
- 道幸哲也『岐路に立つ労使関係』(2023.04.14)
- 労働法の規制手法の再検討 (2023.04.09)
- 学説批判の難しさ(2023.04.01)
- 献本御礼(2023.03.28)