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2023年2月の記事

2023年2月28日 (火)

映画「スーツケース・マーダー」

 原題は「Suitcase Killer」という映画です。2022年のアメリカ映画で,実話に基づくものです。スーツケースに詰められた夫のバラバラ死体が発見され,その犯人として逮捕された妻が,陪審で有罪判決を受けて服役中であるという実話に基づく映画です。しかし,有罪判決後も,妻のMelanie(Candice Accolaが演じる)は,一貫して無罪を主張しています。
 夫のBillはギャンブル中毒で,女遊びも派手です。夫婦は新居を入手し,住宅ローンの審査も通りました。Melanieはローンの返済があるので,Billは浪費しなくなるであろうと期待していました。しかし彼の浮気に我慢できなくなるなか,看護師として勤務する病院の医師Millerとダブル不倫関係に陥ります。そういうなかでの夫の死体発見でした。Billが最後に自宅で目撃された日は確定しています。検察は,Melanieが数日前に拳銃を購入していること,病院からMillerのサインを偽造して睡眠薬を入手していることなどから,彼女が自宅で夫に睡眠薬を飲ませて銃殺し,風呂場で死体を解体して,スーツケースに詰めて,車で運んで,川に投げ捨てたとしています。一方,Melanie は,その晩,Billに暴力をふるわれたため,バスルームに逃げ込み,その間に夫が荷物をスーツケースに詰め込んで家を出ていったのが,Billをみた最後であると証言しています。そして,Billは,ギャンブルのためにヤミ金融から多額の借金をしていたので,その関係で殺されたのであろうと述べます。検察の主張のうち,自宅で殺人や死体の解体があったとすればあるはずのluminol(ルミノール)反応がないことは弱点となりそうですが,これは清掃をきちんとしたら消せるともいえます。むしろMelanieが運転した車にBillの皮膚の切片がみつかっており,これが検察の強力な証拠となりました。一方,警察は,Millerに捜査協力を依頼し,Melanieからの電話の内容を録音します。Melanieは信頼するMillerとの会話のなかで,(盗聴されているとは知らないのですが)Millerに自分は無実であると言います。Melanieは裏切られたのですが,弁護側は,この会話を逆に証拠として,彼女が最も信頼しているMillerとの会話においても,犯罪をうかがわせることは何もなかったとするのですが,検察側はMillerが共犯ではなかったことが明らかになっただけであると判断します(当初は,MelanieMillerが結婚するために,邪魔となるBillを殺したという動機の線もありました)。Melanieは,拳銃の購入については,Billに前科があり,彼が拳銃を購入できなかったから,自分が代わりに購入して彼に渡したと主張しています。一方,二人の子を大事に育てている母親であるMelanieがこんな短絡的な殺人をするであろうかという点については,映画の前半のほうで,昔のボーイフレンドと喧嘩をしたとき,外は極寒であるのに家から追い出したという話が出てきて,そういう向こう見ずな行動をする女性であるということを暗に述べています。また彼女は殺人犯には似つかわしくない美し笑顔で話をしており,嘘をついているとは思えないという点についても,彼女はBillの浮気場所をつきとめて,彼の浮気中に,外にとめていた車を勝手に遠くに持ち去るという行動をとったことがあり,帰宅して激怒したBillが彼女に「お前がやったのだろう」と詰め寄りましたが,彼女は平然とやっていないとシラを切り通しました。このときの表情から,彼女は嘘をついても表情からは読み取れないような人である(Billは彼女が嘘をつくときの表情を知っていましたが)ということがわかります。
 ということで,彼女が犯人ではないかという疑惑はぷんぷんとしているのですが,映画では検察の強引な論証も紹介しており,結果として,彼女が犯人であることについては合理的な疑いが残るのではないか,という印象を残して映画が終わっています。アメリカの犯罪映画にはよくわることですが,陪審制の怖さを感じさせられる映画です。

2023年2月27日 (月)

フリーランス新法案

 先週,フリーランス新法が閣議決定されたという記事が出ていました。昨年11月くらいに新法成立かと思われていたのですが,11月は閣僚の辞職が相次ぐなど,それどころではなかったようですね。ようやく閣議決定がなされましたが,これから国会での審議がスムーズにいくか予断を許しません。
 ところで法案では,フリーランスという概念は使われず,「特定受託事業者」となっています。労働者性はなく,事業者のなかの一類型ということでしょう。
 新法の概要をみると,その趣旨について,次のように書かれています。
 「我が国における働き方の多様化の進展に鑑み,個人が事業者として受託した業務に安定的に従事することができる環境を整備するため,特定受託事業者に係る取引の適正化及び特定受託業務従事者の就業環境の整備を図り,もって国民経済の健全な発展に寄与することを目的として,特定受託事業者に業務委託をする事業者について,特定受託事業者の給付の内容その他の事項の明示を義務付ける等の措置を講ずる。」  
 法案は,取引の適正化は公正取引委員会・中小企業庁,就業環境の整備は厚生労働省ということで,役割分担をしています。これは行政サービスのワンストップ化とは逆行するもので,フリーランス側のことを考えていないようにみえますね。フリーランスが,労働者と事業者の両方の性質をもつことから,それぞれに関係する役所が「出張」してきて,分け合って担当しましょうという感じです。もう少し「野心的な」(?)法律が必要なのですが,これは研究者のほうでもまだ十分な検討ができていないので,役人に期待するのは難しいのかもしれません。
 もちろん,この新法は,昨今話題となっている,デジタルプラットフォーム就労者の労働者性などには関係ありません。フリーランスが事業者であることを前提に,これまで下請法の適用範囲が限定的であったことから,それを実質的には拡張しようとしたものであり,同時に,労働者に適用されているもののうち,募集情報の表示の適正化とハラスメント対応措置,そして継続的な業務委託関係にある場合における育児介護との両立への配慮と中途解除の場合の予告期間などを特定委託事業者にも及ぼそうとした法律です。後者の面では労働法の適用の拡大という意味があり,前者の面では,潜在的には独禁法の適用対象であったが,下請法ではカバーできていなかった取引関係も対象とするという意味で,実質的には適用(実務)の拡大という意味があります。もっとも就業環境の整備の部分は,雇用類似の労働者というカテゴリーの人たちにとっては,物足りないと思うでしょうから,彼ら・彼女らは,自分たちがフルスペックの労働法が適用される労働者であるとして訴訟を起こしたり,団交拒否問題を労働委員会に持ち込んだりすることは,新法制定後もなくなりはしないでしょう(それが激増するとは思えませんが)。
 いずれにせよ,新法は,フリーランスについて関心をもって研究をしてきた私のような立場からは,世間にフリーランスという働き方が認知されるきっかけとなるという点では前向きにとらえられます。新法が薄味の内容であったことは,私たちの法制度構築に向けた研究を邪魔するものではなさそうなので,むしろ幸いなことだと言うべきなのでしょうね。

2023年2月26日 (日)

王将戦第5局

 王将戦第5局は,藤井聡太王将(五冠)が挑戦者の羽生善治九段に勝ちました。終盤の評価値では羽生九段が一時逆転してリードしていたのですが,最後は再び藤井王将がリードして,最後は羽生玉を即詰みにしました。初日から飛車交換があるなど派手な応酬で,後手番の羽生九段が攻勢かなと感じましたが,羽生九段の攻撃を相手にせずに,4五桂と飛んで羽生玉を狙っていく攻撃が鋭く,2日目に入っても藤井王将が攻勢でした,しかし途中で受けに回ったところで,羽生九段が逆転した感じでしたが,最後は飛車2枚と角をつかって豪快に攻めきりました。難解な攻防で激戦だったと思います。これで藤井王将(五冠)は32敗で初防衛に王手となりました。とはいえ,次局に羽生九段が勝ってタイとなると最後はどうなるかわかりません。第6局の場所は佐賀県上峰町の大幸園です。不勉強で,上峰町という場所は聞いたことがなく,どんなところか想像がつかないのですが,将棋のタイトル戦をするくらいなので,きっと素晴らしいところでしょう。ぜひいつか行ってみたいです。
 23日には,朝日杯将棋オープン戦の準決勝と決勝があり,藤井聡太竜王(五冠)が優勝しました。準決勝の豊島将之九段戦は,最後,藤井玉に詰みがあり,評価値的には0%で豊島必勝だったのですが,その詰み筋をなんと豊島九段が見落として大逆転となりました。AbemaTVで解説していた高見泰地七段が絶句していましたが,プロでも珍しい大ポカだったようです。将棋は最後にミスをしたほうが負けるものですが,豊島九段ほどのトッププロでもこういうことがあるのです。逆にいうと,藤井竜王は,悪いなりに,最も相手が間違えそうな手を指していたのであり,このあたりの勝負術もすごいのです。普通に指しても強いし,負けそうになったときの勝負術もあるということですから,無敵ですね。藤井竜王は,前期の銀河戦の準決勝でも豊島九段相手に大逆転勝ちをおさめています(決勝で高見七段に勝って優勝)。こうなると,かつては藤井竜王のほうがカモにされていた豊島九段ですが,豊島九段のほうに苦手意識が出てくるかもしれませんね。朝日杯の決勝は,これも逆転で糸谷哲郎八段に勝った渡辺明名人(二冠)と藤井竜王の対決となりましたが,こちらは藤井竜王の完勝でした。ちょうど数日前にも棋王戦の第2局で,やはり藤井竜王が快勝していて,渡辺名人ははっきりと藤井竜王に苦手意識をもっているような気がします。
 女流では,西山朋佳女流二冠が,伊藤沙恵名人に挑戦した名人戦で,31敗で名人奪取となりました。これで西山さんは女流王将,女王と女流名人のタイトルをとり,女流三冠となりました。女流は八冠を,里見香奈さんが5つ,西山さんが3つとって分け合うという二強時代に戻った感じです。伊藤さんは実力者ですが,里見さんと西山さんとの対戦成績が悪すぎるので,二強に食い込むことは難しいですね。

2023年2月25日 (土)

健康グッズ

 60歳を前にして五十(?)肩かという感じで,左肩が上がりにくくなったので,しばらく湿布で様子をみていましたが,よくならなかったので,久しぶりに鍼に行きました。昔は身体に無理をすることが多く不調となることもよくあったので,鍼にはよく通っていましたが,最近はほとんどありませんでした。しかし,こういうときこそ鍼だということで,もちろんすぐに治るわけではないのですが,信頼できる鍼灸師がいるので,そこを頼ることにしました。今回は,姿勢が悪いことなどを指摘してもらってよかったです。勧められたのがバランスボールでした。ちょうど,Yahooニュースで,どこかの自治体でバランスボールが導入されて,職員に好評であったという記事をみたばかりでした。とはいえ,新しいモノはできるだけ買わないようにするという生活をしているので,バランスボールはどうしても必要というものでもないし,どうしようかとかなり悩みましたが,思い切って購入してみました。腰や肩を伸ばすのに良さそうで,テレワーク中心の生活の中でちょっとした運動やストレッチに取り入れることができて,無駄な買い物にならなかったといえそうなので,ほっとしています。
 長年の悩みであった腰痛をなくすことができたtempurのクッションとともに,私にとっては大切な健康グッズとなりそうです。一方,かなり前に買ってしまっていたSixpadは不要物化していますが,もったいないので,なんとか活用しようと思っています。

2023年2月24日 (金)

ロシア人になったフランス人俳優

 フランスの俳優Gérard Depardieu(ジェラールドパルデュー)は,フランスが富裕層に高額の納税を課していることに反発してロシア国籍をとったと言われている人です。たまたま,この人が主演している映画を,AmazonPrime Videoで観ました。IMFの専務理事であるフランス人のDominique Strauss-Kahn(ドミニク・ストロスカーン)のセクハラ疑惑を素材とした「ハニートラップ 大統領になり損ねた男」(原題は,Welcome to New York)です(監督はAbel Ferrara)。主人公のDevereauxは,セックス依存症で,乱交パーティを繰り返す生活をしていましたが,世界経済を動かしうる人物で,次のフランス大統領選での有力候補でした。彼の妻もDevereauxを大統領にしようとして尽力していました。そんなとき,彼がホテルの清掃係の黒人女性に対してセクシュアルな行為を働いたとして逮捕されます。最終的には,無罪となりますが,彼の乱れた生活などが明らかになり,大統領になる可能性もなくなり,妻も大いに失望して去って行きます。映画の詳細はさておき,実在の著名な大物を素材にしてここまで赤裸々な内容で映画にしたことやDepardieuの身体をはった演技に驚きました。2011年のStrauss-Kahnの逮捕は,日本でも報道されて,私もよく覚えています。汚職などではなく,婦女暴行事件ということなので,非常に不可解に思った記憶があります。この映画の邦題は,この事件がハニートラップであったという理解から付けられたのでしょうか。しかし映画を観た限りでは,ハニートラップかどうかははっきりしていないように思えるので,邦語タイトルは踏み込んだものといえそうです。原題は,DevereauxがNew Yorkから帰国しようとして飛行機に搭乗したところ,警察に連れ戻されて再び入国したときにみえた看板であり,もちろん皮肉がこめられているのでしょう。
 ちなみに,このときのフランス大統領はUMP(国民運動連合[Union pour un Mouvement Populaire]。現在の共和党[Les Républicains])のNicolas Sarközy(ニコラ・サルコジ)でしたが,社会党のStrauss-Kahn は,映画と同様,国民の人気が高く次期大統領の有力候補でした。しかし,Strauss-Kahnが失脚したため,それほど人気があったわけではないFrançois Hollande(フランソワ・オランド)が社会党の候補となり,Sarközyを破って大統領となりました。ハニートラップをしかけたとすれば,Sarközyだったのでしょうかね。彼は,現在も,刑事事件を抱えていますが,安倍元首相の国葬で来日したのは記憶に新しいですね(普通の感覚では,刑事裁判で係争中の人を,いくら元大統領といっても,日本に送らないと思いますが,日本側も,それなりの人なら誰でもいいから来て欲しいと思っていたから,文句は言えなかったのでしょうかね)。
 ところで,Depardieuは,ロシアのウクライナ侵攻問題をみて,どう思っているのでしょうか。Putinを批判したという話がメディアに出ていましたが……。西欧からロシアに逃避することは,欧州では日本ほどはハードルが高くないのかもしれません。Putinと仲の良い欧州人は多いようなので,Depardieu以外にも,いま後悔している人は少なくないかもしれませんね。

2023年2月23日 (木)

ガーシー問題 

 ガーシーとかいう国会議員が海外にいて,登院しないのでどうしようということが問題となっていましたが,ついに懲罰ということになったようです。憲法582項は,「両議院は,各々その会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定め,又,院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し,議員を除名するには,出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする」と定めています。国会法122条には,懲罰には,①公開議場における戒告,②公開議場における陳謝,③一定期間の登院停止,④除名が挙げられています。除名は議員資格の喪失です。今回は②の処分ですが,これに従わなければ,除名となる可能性が高いでしょう。仕事をせずに,歳費をもらっている以上,懲罰の対象になるのは仕方がありません。
 マスコミが,②の処分を,上から3番目に重い処分と言っていますが,これは伝え方がおかしいです。4つの処分のうちの3番目ですから,むしろ下から2番目に軽い処分というべきでしょう。せいぜい「4つの処分のうちの3番目に重い処分」というべきでしょうね。
 ガーシーが海外にいることについては,実は国会がリモート化していないから仕事ができないのではないかという気もしないわけではありません。ガーシーもそのような主張をしているようです。ここは気になるところです。リモート出席を認めないのが国会のルールであるかぎり,欠席を続ける場合に懲罰となるのは,仕方がないのかもしれませんが,リモート参加を認めないルール自体がおかしい気もします。これは憲法論として,国会議員は議場にいなければ採決に参加できないのかとか,そういうところから議論がされるべきでしょう。ガーシーは国会議員なので,そういう議論を国会に提案できる立場にあるのですが,その努力はしていないような気がします。帰国したら逮捕されるから帰らないというようなことを聞くと,これはまともな理由ではないので,当然受け入れられません。もし個人の居住や移転の自由(憲法221項)を主張し,どうしても必要な場合には帰国して活動するというようなことを言っていれば,ムーブレスワークを提唱している私としては支持しうる面が少しはあったかもしれませんが……。私も,ひょっとしたら,「兵庫県労働委員会のガーシー」と言われているかもしれませんが,労働委員会は国会と違ってWEB参加と合わせたハイブリッド型でやっているので,議論にも採決にも参加しています(-_-;)。
 それにしても,彼に投票した人は,いったい彼に何を期待していたのでしょうね。私たちの将来が危険にさらされている今日,国会議員の一人たりとも安易に選ぶことはできません。ガーシーは最終的には除名されることになるでしょうが,国民がもっと真剣に選挙に臨まなければなりません。ただ,そもそも選挙に期待すること自体が現実的ではないのかもしれません。これは成田悠輔氏の『22世紀の民主主義』につながっていきます。

2023年2月21日 (火)

政治的決定はどうあるべきか

 実は日本にも気球が飛んできていたという話が,最近,次々と明らかにされています。アメリカが中国の気球を撃墜したことをきっかけに,私たちも気球のことが気になり始めました。外国の正体不明の気球が次々と日本の領空にやってくるのは気持ち悪いです。だからといって,過剰反応をするのはやめたほうがよいでしょう。
 法律時報の最新号(952号)が「岐路に立つ日本型雇用システム――人生保障から権利保障への転換の流れを考える」という刺激的なタイトルであったので,パラパラめくっていたのですが,そこで気になる名前とタイトルが目に飛び込んできました。木庭顕先生の「日本の安全保障に関する初歩的な確認事項」です。「初歩的な」という言葉に,木庭先生一流のニュアンスが込められている気がしました。
 さて,ローマ法学者の木庭先生が安全保障について何を書かれたのであろうと思いながら読んでみると,昨年12月に政治決定された「安保3文書」に対する批判から始まります。結局,この論考をとおして私が感じたのは,先生の「日本社会は完全なオートファジーの段階に入った可能性がある」という絶望的な認識と,しかし真のリアリズムに徹することにより,そこから脱却できる可能性があるという若干の希望でした。
 木庭先生は,「安保3文書」では,政治的な決定に至るうえで必要となる前提的審査(決定をするうえで必要となる論拠の精密な検証)がなされておらず,またその審査において参照されるべき専門家の意見も機能していないと言います。ただ,木庭先生がここでしようとしたのは,前提的審査のための前提的認識について先生の知見を提供するということではなく,「安保3文書」の政治的決定が,前提的認識が欠如しているだけでなく,およそ論証なるものをしていないために,そもそも成り立っていないことを示すということでした。ロシアのウクライナ侵攻の本質をとらえないまま,中国の台湾侵攻を想像し,そしてそれに日本も巻き込まれるであろうと妄想して,日本も反撃能力をもつようにしようというのは,まったく論証がなされていない馬鹿げたことだというのが木庭先生の主張です。
 木庭先生の分析によると,今回のロシアのウクライナ侵攻は,抑止力理論もブロック対抗のロジックも破綻していたことを意味し,西側諸国は,新たに徹底した防御的姿勢をとって対抗するという戦略をとっていること(西側はウクライナの祖国防衛を援助しているだけで参戦はしていない),そして,今回の侵攻はウクライナやベラルーシにまで及んでいる西洋の「新しい市民社会」(高等教育普及を意味する)への攻撃であり,だから市民的な「徹頭徹尾防御的」であること,ロシアの暴発は,「資源産業に特有の暴力組織化を異常肥大させた危険な集団」によるもので,こうしたものを生み出したのは実は西側の経済構造にあったこと,そして,新しい市民社会の弱点は,「新しい市民社会に達しえずに,怨嗟を抱え込む分子」を生み出すことにあり,そうした分子がロシアや反西欧プロパガンダに賛同するのですが,今回のウクライナ侵攻をきっかけに,西欧社会は,この分子に対処する方法を得る可能性があるかもしれないこと,です。
 また,木庭先生は,中国の台湾侵攻は,ロシアのウクライナ侵攻とは異なるものであるため,アナロジーが成り立たないのであり,だから日本を巻き込むこともないとします。そして,反撃は復仇を意味し,結果として全面戦争をもたらすことになり,中国を仮想敵国として反撃能力を高めるとすれば,それは中国との全面戦争を覚悟しなければならないはずですが,そのことをきちんと検討しないまま,反撃能力を高める政治決定をすることは,論理的な前提を欠いていると批判します。
 さらに,そもそも中国への反撃は可能かということも問いかけています。おそらく反撃をして本格的な全面戦争になれば,日本の国力では中国とまったく勝負になりません。だからこそ,反撃が全面戦争にならないという説明が必要となるのでり,それが,反撃は防御の範囲内で行う(必要最小限の防御としての敵基地攻撃にとどめる)という説明と,反撃能力は抑止力としてのみ使うという説明なのですが,木庭先生は,前者については,何が必要最小限の自衛かが明確ではなく,その不明確性こそが過大な反撃をくらうという大誤算(国家壊滅)を引き起こすという批判,後者については「おもちゃのピストルで脅すこと」の類いでありギャグにすぎないという批判をしています。
 一方,アメリカはブロック間抑止力という,すでにウクライナ侵攻で破綻をみせている体制を依然として採用しており,日本はそれに組み込まれているところが問題なのですが,木庭先生は,日本にできることは,「アメリカの軍事プレゼンスを完全に防御的なものに限定するように方向付けるということ」だけしかないとし,そしてそこに希望を見いだしているようです。いまこそ憲法92項の理念を発揮させるべきということです。
 現実を冷静にみれば,日本が反撃能力の増強を言い出すことなどありえないのですが,木庭先生に言わせれば,「やられたらやり返すのがどうしていけないのか,我慢しろというのか」という声が溢れるのは,人々を一か八かの博打に追い込もうとする工作が成功したことを意味し,そうした暴走・自爆のメンタリティは,ほんとうに虐げられた人々のメンタリティではなく,相対的に恵まれチャレンジして挫折した層のメンタリティであるとします。これは,「アジア諸国を含め世界に拡がる新しい高等教育受容層に日本の相対的に若い世代がまるごと乗り遅れたということが大きく作用している」と分析し,「このメンタリティがヘゲモニーを握ったような社会は,外からの軍事力によってではなく,内側から破滅するであろう」とします。これが「日本社会は完全なオートファジーの段階に入った可能性がある」ということの意味でしょう。
 反撃能力の向上という誤った政治的決定にはお金(予算)がつくのであり,そこに,その決定が正しかろうがなかろうがどうでもいいと思っている金の亡者たちが群がり,私たちが子孫に残すべき資産を食い潰していっているのが,いまの日本の現状でしょう。こうした政治決定を回避するのに必要な論理的な議論のために,正しい前提的認識を提供するのが知的エリート層の役割のはずですが,そのエリート層が現実をみないで観念的な議論に終始するといった衰退をみせ,一方で,これから社会を担うべき若者は,情緒的で表層的な議論に簡単に流されてしまう知的脆弱性を抱えているのが,いまの日本のもう一つの現状なのです。
 安全保障にかぎらず,最近の日本政府の政治的決定は,不透明で非論理的なまま次々と進められています。内容空虚なスローガン政治や,異次元といっても予算のことしか出てこない無策さなども,こうした不透明さや非論理性から出てきているように思います。透明性と論理性をとりもどすということであれば,法律家ができることは,まだいろいろあるはずであるという気がします。

 

2023年2月20日 (月)

デジタルユニバーシティ

 今日は,神戸大学の数理・データサイエンスセンターと日本総合研究所が提携(?)して行っている,SMBCグループの職員に向けた「デジタルユニバーシティ」という企画で講義をしました。社員へのリスキリングの一環ということで,産学連携で行っている企画のようです。テーマは,「デジタル時代の働き方はどうなるのか~ジョブ型雇用がもたらす新たな動き~」というもので,よくありそうなものですが,これまで安定雇用で来た人たちには気になるテーマかもしれません。神戸大学の,日頃行ったこともない工学部の研究棟のある会議室に行ってパソコンに向かって話すというリモート講義でした。勤務時間中でも聴講できるということで,かなり聴講者はいたようです。このテーマに関心のある人が多いということでしょう。
 私のメッセージはいつものように,DXにより人間に求められる仕事が変わるので,雇用という奴隷的だけれど(こういう表現は使いませんでしたが),安定的な働き方というのは,企業は求めなくなるし,個人としても企業に頼れなくなる可能性がある以上,自分でキャリアを展開していくしかないというものです。ジョブ型というのは,こういう話をするときに,聴衆の関心をつかみやすい言葉ですが,とにかく日本の正社員に重要なのは,会社に正社員として入社すれば安心という意識を捨てることです。若い人には,言うまでもないことでしょうが,正社員経験が長くなった中堅以上の社員にこそ聞いてもらう必要があるのでしょう。
 キャリアは,いまでは,職業キャリアだけでなく,人生設計と言い換えるべきです。仕事,家庭,地域生活など,自身の人生にかかわることをバランスよく,自らの選択で組み立てていくことが必要なのです。日本社会は,これまで仕事が,有無を言わさず最優先であったのですが,それを変えていかなければならないのです。これが人生100年時代の生き方です。というようなことを,自分の所属する大学で,産学連携の企画のなかで講義をしたのですが,日頃,法学研究科や法科大学院で学生向けに行っている講義では,まったく違う法解釈論の話をしているのです。私が神戸大学で教えるべきなのは,いったいどちらなのでしょうか。

2023年2月19日 (日)

山川隆一『労働紛争処理法(第2版)』

 山川隆一先生から『労働紛争処理法(第2版)』(弘文堂)をお送りいただきました。いつも,どうもありがとうございます。この分野で研究者が書いた体系的な本としては,本書が唯一のものであり,実務家にとっても,研究者にとっても,このテーマにおける必携書となっています。
 私は,労働紛争は顕在化させないためには,どうすればよいかということに関心をもっていますが,もちろん「雨降って地固まる」ということもあります。労働紛争には,労使のそれぞれの本音を明らかにしあう機能もあるので,うまく紛争処理ができれば,その後の労使関係の円滑化に大きく貢献することになります。そのためには,労働紛争処理について,どのような手続があるかを知り,その手続に関与する当事者や実務家が,それをよく理解したうえで,適切な処理をする必要があるでしょう。本書は,そのためにも役立ちます。
 また本書の第3部の「労働法における要件事実」は,タイトルをひっくり返して,「要件事実からみた労働法」といえる内容になっています。ところで,短時間有期雇用法8条における格差の「不合理性」というような曖昧な規範は,私なら訓示規定であると解釈してしまうのですが,効力規定(判例・通説)であっても,山川先生のされているように,要件事実をとおして再構成すると,practicable な規定に思えてきます。というか,要件事実論は,法規範を,それが解釈の余地が大きい規範的な概念が使われていても,裁判において当事者が何を主張・立証すべきかを明確にする機能をもっているものですから,当然のことなのでしょう。
 ところで,上記の規定については,効力規定であっても,最終的には不法行為による損害賠償請求の話になるので,そうなると,故意・過失があることが要件事実となりますが,実際の裁判では,この要件事実について十分に判断されていないケースもあるように思います。とくに法改正が施行されてから,それほど時間が経過していない時期には,使用者に違法性の認識可能性があるのか,という疑問は以前からもっていました。裁判例が蓄積されるなかでも,判断が分かれることが多いという事情も気になります。この点について,山川先生の本では,「特に微妙な事案では,違法性の意識を欠いたこともやむをえなかったとされる事案も生じえないとはいえないと考えらえれる(この点は,故意・過失に関する使用者側の評価障害事実となろう)」と書かれています(332頁。季刊労働法278号のご論考も拝見していました)。不法行為一般における判例の傾向はよくわかりませんが,これまで合法とされていた行為が,非常に曖昧な規範で違法とされたような状況において,どこまで使用者に帰責性があるのかはよくわからないところがあります。
 もちろん,ここで故意・過失がないとなれば,労働契約法旧20条や短時間有期雇用法8条の意味はないことになるのですが,直律的効力を否定して,最後は不法行為で処理することにすればよいという通説的な解釈でよいのかという根本的な疑問があります。その意味でも,山川先生の言われる「違法性の意識を欠いたこともやむをえなかったとされる事案」が,具体的にどういう場合を指すのかが気になるところです。
 本書の本質と関係ないところで,つまらないことを書いてしまいましたが,とにかく本書は,山川先生の数多い業績なかでも,最も先生らしいものといえるでしょう。多様な労働紛争処理手続が併存する状況のなかで,労働紛争処理法というタイトルの一冊の体系書ができるなど,誰も本書の初版が出るまでは想像だにしていなかったでしょう。独自の領域を開拓して,すぐれた研究業績をあげられている先生には,憧憬の念を抱かざるをえません。

2023年2月18日 (土)

棋王戦第2局

 渡辺明棋王(名人)に藤井聡太竜王(五冠)が挑戦している棋王戦第2局は,藤井竜王(五冠)の勝利で2連勝となりました。渡辺棋王は攻めているようではありましたが,藤井竜王(五冠)の角2枚の攻撃が炸裂して,最後は見事に渡辺玉を詰ませました。素人目には,かなり藤井玉も危ない気がしましたし,一方,渡辺玉は金銀でしっかり守っていたようで,AIも途中まではほぼ互角だったようですが,終盤の藤井竜王(五冠)の攻めの切れはさすがでした。藤井竜王(五冠)は渡辺棋王とは相性がよいようで,力強い将棋をみせてくれます。どちらも攻めの強い将棋で,力勝負ができるからでしょうかね。これで,あと1勝で六冠というところまで来ました。六冠を達成すればNHKの速報で流れるかもしれませんね。
 順位戦は,B1組で,羽生善治九段が,横山泰明七段に勝って,降級危機を脱しました。羽生九段は復活していますね。王将戦をみても,いまは渡辺棋王(名人)よりも羽生九段のほうが,藤井竜王(五冠)に勝てそうな気がします。
 NHK杯は,藤井竜王(五冠)がベスト4進出を決め,菅井竜也八段と最近結婚を発表したばかりの八代弥七段の勝者と,また佐々木勇気七段が難敵の永瀬拓矢王座を下してベスト4進出を決め,糸谷哲郎八段と広瀬章人八段の勝者と,決勝進出をかけて戦います。誰が優勝しても初優勝というフレッシュな顔ぶれです。
 将棋界のビッグニュースとして,小山怜央さんが,棋士編入試験に合格(31敗)して,4月から四段になることになりました。昨日の日本経済新聞の夕刊で森下卓九段が,小山さんはA級に昇級できる逸材と書いていました。過去の編入組は,A級どころか昇級にも苦労し,タイトルをとるようなレベルにはなかなか到達できません。プロ棋士にも調子の波がありますが,ある一時期だけ輝いて勝ちを集めることができると,プロ棋士になることができるという言い方もできます。そこからさらにトッププロになるためには,この波のなかで,下降の期間を減らし,上昇波の頻度を上げることが必要なのでしょう。とくに順位戦などの重要棋戦で,しっかり勝ちを集めることが大切です。
 女流の里見香奈さんは,残念ながら,昨夏の編入試験のときに不調の波に当たったような気がします。里見さんには,もしまた受験要件(いいとこ取りで10勝以上,かつ65分以上)を満たすことがあれば,再度,挑戦してもらいたいですね(再受験ができるルールなのかは,よく知らないのですが)。

2023年2月17日 (金)

安全と安心―原発問題―

 安全と安心というのは,東京で築地市場の豊洲移転のときにも,結構問題となった記憶がありますが,先般の原子力規制委員会をめぐる話も,安心と安全がかかわるような気がしました。
 BSフジのプライムニュースで,少し前に,いまは自民党にいる細野豪志氏,立憲民主党の小川淳也氏,研究者の橘川武郎氏が原発問題について討論する番組をやっていました。すごく面白かったのですが,とくに橘川氏の発言に興味をもちました。記憶が正しいか自信がないのですが,橘川氏は,電力需給の問題を考えると,最終的には原発は減らすべきであるが,そうはいっても,当面は原発は必要となるのであり,その際には,安全性の面から古い原発は危険なので,新しい技術を活用して安全性が高い新規の原発にリプレイスしていくべきだというような主張をされていたと思います。そこでなんとか時間稼ぎをして,原発の「ゴミ」の処理方法も考えていくべきだということです。たいへん説得的な意見だと思って聞いていたのですが,どうも政府のほうは,原発の運転期間の延長を画策していたようです。そうした事情が背景にあり,原子力規制委員会における会合で石渡委員の反対という事態が生じたのではないかと想像しています。
 今回の法改正は,日本経済新聞の213日の電子版の記事によると,次のようなものです。原子炉等規制法は,原発の運転期間を原則40年,安全性が確認できれば1回にかぎり延長が可能(上限は60年)と定めているのですが,その規定を削除したうえで,電気事業法に,原則40年,例外60年という規定を移したうえで,審査のために停止した期間については,運転期間の延長を認めるという内容を追加する改正(安全性は30年経過時点で10年ごとに委員会が審査する)が提案されたようです。なお,原子炉等規制法は条文をみてみましたが,とても原発の素人に読みこなせるものではなく,上記のことについて,条文で確認するのは断念しました。
 原子力規制委員会は,HPをみると,その組織理念について,次のように書かれています。
「原子力規制委員会は,2011311日に発生した東京電力福島原子力発電所事故の教訓に学び,二度とこのような事故を起こさないために,そして,我が国の原子力規制組織に対する国内外の信頼回復を図り,国民の安全を最優先に,原子力の安全管理を立て直し,真の安全文化を確立すべく,設置された。
 原子力にかかわる者はすべからく高い倫理観を持ち,常に世界最高水準の安全を目指さなければならない。
 我々は,これを自覚し,たゆまず努力することを誓う。」
 この委員会は,日本の安全の砦となるべく組織された専門家集団だということです。ところで,今回の改正について,多数派は,運転期間の問題は,規制委員会が意見を述べるような立場にはないということのようです。しかし,反対した石渡委員は,厳密な審査をして期間が延長するほど,運転期間が長くなるのはおかしいというのです。この主張が当を得ているかを判断するうえでは,老朽化した原発は危険という先の話を議論の出発点としなければならないように思えます。福島でも40年経っていた老朽原発が事故を起こしたようであり,40年はすでにかなり危険ということです。もともと原則40年を撤廃しようとすること自体が問題とされるべきであるなかで(海外では40年を超える運転を認める傾向にあるということのようですが),いろいろな妥協を経て,今回の改正案が出てきたのでしょう。とはいえ,そもそも運転期間の規制を緩和すること自体おかしいのではないかというのが,石渡氏の考えなのかもしれません。
 さらに今回の議決については,賛成をした委員からも,急かされた感があるという声がでています。実際に比較的短い期間に多くの会合が開かれたようであり,事務局側が急いでいたことが推察されます。石渡氏は28日に反対意見を出しているのに13日に議決をするというのも,急ぎすぎの感じがします。
 もう一つ出てきているのが,原子力規制庁と経済産業省資源エネルギー庁(エネ庁)の事前面談問題です。結局のところ,原子力規制委員会は,政府(経産省)に言いくるめられて,独立して安全を守るという役割をはたしていないのではないかという印象を与えることになってしまいました。実際には,そんなことはないのでしょうが,事務方の動きがあらぬ疑念をうむことになったような気がします。 
 先のテレビ番組で,細野氏は,原発の再稼働を進めることの重要性を力説したうえで,安全性は規制委員会がしっかりチェックし,政治は関与しないので安心してもらいたいという趣旨のことを言っていたように思います。かなり説得力があると思って聞いていましたが,今回のことで委員会はほんとうに大丈夫かという不安が出てきました。石渡氏の信念と勇気が,一石を投じたということでしょう。
 岸田首相は,原発利用について,国民の不安払拭のため説明できる準備をするようにと環境大臣に指示をしたということですが,この大臣に原発の問題についてしっかり仕事をしてもらうことは期待できますでしょうか。いずれにせよ,今回の問題は,細野氏の説明の根幹をゆるがしかねないものであり,首相は事態を深刻に受け止め,自らがしっかり国民に向かって自分の言葉で説明してもらいたいです。
 細野氏も小川氏も,エネルギー政策の重要性については意見が一致していました。エネルギー政策がしっかりしていなければ,デジタル社会も崩壊します。政府が原発の重要性を考えるのもよく理解できます。だからこそ,丁寧に丁寧に説明をする必要があるのです。経産省が暴走しているのなら,それをしっかり抑える政治的リーダーシップを発揮してもらう必要があります。何のために総理大臣をやっているのかをよく自覚して,この問題に取り組んでもらえればと心から願っています。

2023年2月16日 (木)

リスキリング政策

 内閣官房の新しい資本主義実現本部が出している基礎資料をみましたが,まだ「非正規労働者の賃金を上げていくためには,同一労働・同一賃金制の徹底した施行が不可欠」という間違った政府方針を掲げていますね。非正社員の賃金は外部労働市場で決まるので,政府は産業政策で対応すべきであり,同一労働同一賃金では改善しません。いつも書いていることです。
 資料で興味深いのは,雇用保険の失業給付について自己都合離職の場合にも早期に受給できるようにする議論がでてきていることです。失業給付では,モラルハザードを避けるために,自己都合離職の場合に一定の不支給期間を置いているわけですが,それを短縮ないし撤廃しようとする動きがあるようです。収入面の不安なしに,積極的な転職ができるように後押しをしようということでしょうが,雇用保険制度の枠内で自己都合離職の場合の給付の受給要件を緩和することには問題がありそうです。転職支援は,雇用保険とは別の制度で財源も別にして行うべきではないでしょうか。
 一方,労働移動の促進自体は望ましい政策ですが,解雇規制の見直しとセットにしてやるべきであり,そこにふれないのは非常に問題があります。一方でリスキリング(資料では「リ・スキリング」と書かれています)については,どういうわけかデンマークのことが採り上げられていて,それを参考にしようとしているようです(かつてのflexicurityの議論を想起させます)が,人口も経済規模も国民性も違う国の制度を参考にする際には,慎重であることが必要でしょうし,いずれにせよ,きちんとした法学者を入れておかなければ変な制度ができてしまうおそれがあります。もし学生がデンマークを比較法の対象国とする論文を書いたとすれば,なぜデンマークかについて,かなりしっかりした説明がされていなければ,まともな論文としては取り扱われないでしょう。
 在職の学び直しの支援については,企業を通じたルートと個人に直接行うルートがあり,岸田首相は後者を重視する方向を示したと報道されています。私はリスキリングは,そもそも企業にやらせることに限界があるとする立場です。東京大学の川口大司さんは,昨年63日の経済教室で,次のように書かれていました。
「企業が訓練機会を提供しようとしても,人工知能(AI)スキルのような汎用性のあるスキルについては,社員が他の企業に引き抜かれてしまうため,投資費用を回収できないと考える向きもあろう。実際に伝統的な労働経済学はそう考えてきた。だが近年の研究では,労働市場は非流動的で,そこまで激しい人材の引き抜きは行われていないとの議論がエビデンス(証拠)ととともに展開されている。」
 これは重要な指摘です。私は伝統的な労働経済学に依拠して議論してきたわけですが,ほんとうは労働市場が流動的かどうかで結論は変わるということです。実際,流動性の低い大企業でのリスキリングはかなり効果があるようです。終身雇用を期待して入社して,潜在的能力も高い人材に対して,企業が本腰を入れてリスキリングをすれば,有為な人材に生まれ変わり,さらに賃金制度の見直しもなされていけば,こうした人材の賃金上昇につながります。このシナリオは,少なくとも大企業にはあてはまりそうです。問題は,中小企業です。そこでは企業内でのリスキリングに期待することはかなり難しいでしょう。
 そういうなかでの,今回の岸田首相の流動化促進政策です。もし大企業でも流動化を進めようということになると,やはり企業内でのリスキリングは進まなくなる可能性があります。そうなると,リスキリングの支援も,企業を通じたものよりも,個人にダイレクトにするもののほうがよさそうです。
 昨年の政府税調でプレゼンをした際に感じたのは,政府は,企業にもっとリスキリングに取り組んでもらわなければ困るというスタンスで,私にもそういう趣旨の発言を期待していたようですが,私は企業のリスキリングに期待できないという逆の立場でした。しかし現在,ひょっとしたら,政府は,労働市場の流動性と企業内リスキリングの潜在的な対立に気づき,リスキリングについて政策転換をしようとしているのかもしれません。

2023年2月15日 (水)

映画「天使のくれた時間」

 「天使がくれた時間」は,2000年の有名な映画ですが,これまで観たことがありませんでした。Nicolas Cage (ニコラス・ケージ)Téa Leoni(ティア・レオーニ)が主演で,監督はBrett Ratnerです。
 13年前に,空港で,ロンドンに旅立そうとするJack に行かないでと懇願する恋人でlaw school生のKateJack はロンドンでインターンシップに行くのですが,Kateはこれが別れになるような予感がしていました。それから13年後,Jackは,ウォール街で大成功し,金融会社の社長となり,裕福な生活をしています。クリスマス・イブでも,大きな商談があるため,翌日の会合を部下に指示します。部下は心の中では反発していましたが,大きな商談であれば仕方がないという感じです。金になることには逆らえないという価値観の人が集まっていたのでしょう。その晩,コンビニで,ある黒人の若者が,店員に当たりくじを引き換えるように要求していたものの,店員がそれは偽物であると言って断っていたので,若者が拳銃を出して脅そうとしました。驚いたJackは,その若者に,自分がくじを買うと言って,その場を収めました。二人は外にでていっしょに帰る途中,若者に何か助けが必要ないかと声をかけましたが,それに対して,若者は,人生に何か足りないものはないかと逆に問いかけてきたので,Jackは必要なものはすべて手にしていると答えました。彼は,これから起こることは自分が招いたことだ,という謎めいた言葉を残して,立ち去りました。
 翌朝,目覚めたとき,彼はベッドでKateと一緒にいました。結婚して13年が経過していた状況に置かれていました。彼は二人の子どもがいて,タイヤの修理工をしていました。最初は新しい環境に合わないのですが,徐々には自分を発見していきます(息子は最初は父が,ほんとうの父ではないとわかるのですが,父が変わっていくにつれて,ほんとうの父であると思うようになります)。しかし,夢(幻想)は覚めて,彼はクリスマスの日に元の高級マンションの一室にいます。前日に,Kateから連絡があったことを思い出しました。Jackは,Kateの高級住宅に行ったところ,彼女は成功した弁護士になっていて,ちょうどパリに移住しようとしているところでした。彼女が電話をしたのは,引越にあたってJackの物を引き取ってほしいと思ったからです。Jackは家に帰りKateと撮った写真を見て過去を思い出し,今度は彼が空港まで追いかけて,コーヒーを飲むだけでいいから,いまは行かないでくれと懇請します。彼がみた幻想を彼女と語りたかったのでしょう。コーヒーを飲みながら,二人が語り合っているシーンで映画は終わります。
 原題は「The Family Man」ですが,これは邦題のほうが洒落ていますね。明らかに「Christmas Carol」(クリスマス・キャロル)を意識した映画ですが,こういう話は外国人が好きそうですね。
 人生には岐路があり,そのどちらに進むかによって全く違った人生が待っています。そのどれが,ほんとうに幸せなのかは,よくわかりません。欲しいものは何でも買えるラグジュラリーな生活を謳歌する人生もあれば,郊外の住宅で,ローンに追われながらも,自分のことを愛してくれる妻と可愛い子供,そして近所の親切な友人たちに囲まれた人生もあるということです。この幻想は,天使からのプレゼントだったのでしょうか。それとも,現実の自分に深い後悔を与えるような残酷な仕打ちだったのでしょうか。Nicolas Cageはあまり好きな俳優ではありません(最近では,「Dark Side」という映画も観ましたが,論評に値しないC級映画でした)が,この映画では何と言ってもTéa Leoniがいいです。Jackの幻想のなかでのKateは,多くの男性にとっての理想的な女性を体現しているように思えます。

2023年2月14日 (火)

朴孝淑『賃金の不利益変更』

 神奈川大学の朴孝淑さんから『賃金の不利益変更―日韓の比較法的研究』(信山社)をお送りいただきました。私もかつて労働条件の不利益変更について研究していたことがあり,本書でも,私の論考が参照されている部分があり,自分が過去に書いたものを振り返りながら懐かしい気分になりました。
 本書は,賃金についての労働協約,就業規則による不利益変更,個別的不利益変更について日韓を比較したものです。賃金にしぼったのは,労働条件のなかでも,とくに重要なものであることや,欧米では賃金については労働者の同意がなければ変更できないとしている国が多いなか,日韓は合意原則に反する取扱いがなされているという違いがある点で,比較法的に興味深いところがあるからでしょう。
 日本では,就業規則による不利益変更の場合,労働者の同意がなくても,周知と合理性を要件に一方的変更が可能です(労働契約法10条)が,判例上,賃金などの重要な労働条件の実質的な不利益変更については,「高度の必要性」が求められて要件が加重されています。日本法は,雇用の維持を優先して,合意原則はこれに劣後させているものの,一方的変更の要件を加重することでバランスをとっており,これは合意原則を貫徹することを,雇用の維持の要請より重視する欧米の法理との違いを示しているといえます。
 すでにこうした研究は,彼女の先生の荒木尚志先生の比較法分析の大作があります(『雇用システムと労働条件変更法理』(2001年,有斐閣)が,彼女の研究はこの業績に韓国法を追加し,さらに最近の議論も採り入れて進化させた点に意義があるといえるでしょう。
 なお私は,合意原則を貫徹する立場から合理的変更法理に反対する立場であり(朴さんの本では155頁以下),自説としては集団的変更解約告知説を提示し(拙著は『労働条件変更法理の再構成』(1999年,有斐閣)),また合理的変更法理が成文化された現在でも,合意原則との整合性をできるだけ意識した解釈をとるべきであるとしています。韓国法の集団的同意説は,私の段階的正当性の議論では民主的正当性に関する議論に相当し,私はそれに加えて私的自治的正当性を必要とする立場から,現在では納得規範による労働契約への編入を必要としています(拙著『人事労働法』(2021年,弘文堂)41頁以下)。

 本書は,多くの研究者が議論しているわりには,理論的にも解明すべき点が多く残され,かつ実務上も難問である賃金の不利益変更について,日本における錯綜する議論を丁寧に整理し,韓国との比較から興味深い示唆を与えてくれている点で,重要な業績といえるでしょう。

 

 

2023年2月13日 (月)

幸福論

 少し前の日本経済新聞の春秋(130日朝刊)が,ちまたにあふれる「幸せ」のことをとりあげていて,「もっと幸せを,と追い立てられる様子は、あまり幸福とはいえない」と結んでいました。同感です。
 同紙では,年初から,「やさしい経済学」で,京都大学の柴田悠准教授が,「幸せに生きるために」という連載をしていて(1月4日から16日まで,土日を除く9回連載),楽しみにして読んでいました。幸福は,それ自体価値があるが,それだけでなく,収入が高くなり,人間関係も豊かとなり,長生きもするというメリットがあるとしていました。そして,簡単に幸福になる手法として,「味わって食べる」「経験を味わう」「自然と触れ合う」が推奨されていました。その一方で,幸せを求めるとかえって不幸になるという落とし穴もあるとされていました。その理由は,「幸福感を得たい意識が高まると,孤独感がより大きくなりやすいこと」です。幸福は自分のことにとどまっていると,他人とのつながりを感じにくくなり、孤独感が高まるようなのです。その解決方法は,他人の幸福も考えることです。「社会的な広がり」が大切ということです。さらに短期的な幸福の追求は,抑うつやネガティブな感情を生みやすく,他方,長期的な視点で幸福を求めると,こういう問題は起きにくいとされます。つまり「時間的な広がり」が大切ということです。柴田さんは,この二つの広がりを兼ね備えたものが「生きがい」であるとします。ここから他国との比較分析に入りますが,北欧の人々は日本人より幸せを感じていて,その理由は、私生活を守る両立支援が充実しているからであるとします。さらに,02歳児保育は,子どもの将来の幸福やウェルビーイングにも貢献する可能性を指摘しています。これは,「不利家庭」の場合において,2歳児半の子どもが保育に通っていれば,子の言語発達遅延が防止されたり,親の育児の幸福感が高まったりするということでした。社会学者の分析なので,以上のことが客観的なデータに基づいて述べられています。
 私は,この論考のなかの「生きがい」というところに着目したいです。私も,かつて光文社新書で『勤勉は美徳か?―幸福に働き,生きるヒント』(2016年)という本を書いています。いまとなれば,私が問いかけたような仕事と幸福の両立方法が,徐々に広がりつつあるのではないかと思っています。幸福について迷っている労働者の人たちは,ぜひ拙著を手に取ってみてください(Kindleでは,Unlimited のなかに入っていますので,契約している人は無料で読めます)。同書の最後で,私は,幸福は創造のなかにあると書いています。創造は,柴田さんの書かれている「生きがい」にもつながると思います。そして,創造こそ,AI時代において人間らしさを発揮するためのキーワードでもあります。
 こうみると,幸福は,他人が推奨するようなものでは得られないことがわかります。そしてそれは,春秋が書いているように,追い立てられるものではないですし,柴田さんが書いているように,求めすぎてもだめなのです。じっくりと自分なりの幸福を,自分のペースで追求すればよいのです。0~2歳の乳幼児時代も含めた子ども時代は,一人ひとりが幸福を追求するための基盤を形成するうえできわめて重要な意味をもっているのでしょう。

2023年2月12日 (日)

「ルフィ」事件に思う

 無慈悲な連続強盗が,世間を震撼させています。この犯罪は,ちょっと金持ちそうな家だから入ってみたというようなものではなく,確実にそこに金品があるという情報をつかんでやっていたようです。問題は,その情報がどこから流れてきたかということです。
 犯罪者は,あの手この手で資産情報をつかもうとするのでしょう。そう思うと,日頃でも,いろいろな理由で他人が自宅に入り込んでくることが怖くなってきます(購入した大型家電の搬入,エアコンの清掃,水道の修理など)。私も含めて多くの人は,この家はお金がないということがわかるでしょうから,かえって安心かもしれませんが,資産家となると危険でしょう。とくに高齢者,一人住まい,資産がある(たとえば,家に大きな金庫がある)という情報があれば,狙われてしまいます。狙われてしまうと,むこうは暴力を使っても,さらに殺してさえもよいと思っているのですから,どんなに対策をとっても限界があります。
 名簿などから情報がもれることもあります。大学の研究室にマンション投資の営業電話がかかってくることが,かつてはよくありましたが,誰かが名簿を横流ししているのです。住所や電話が書かれている名簿はつくるべきではないでしょうね。名前とメールアドレスで十分だと思います。
 クレジットカードの作成やマンションの部屋を借りるときなどに,資産情報の提示を求められることがありますが,これも気持ち悪いです。情報銀行に個人情報を預けて,必要な情報はそこに問い合わせてくださいとすることができればよいと思っています。もちろん情報銀行のセキュリティは万全である必要があり,また情報銀行には顧客の個人情報を提供した先の企業が不正な取扱いをしないかをしっかり監督してもらう必要がありますが,そうした仕組みが完備されているならば,個人は日常生活では,自分で個人情報の開示をする必要性から解放され,さらに自分の個人情報がどこからどう伝わったか追跡できるようになるでしょう。個人情報を完全に隠して生活することができない以上,個人情報の管理を安心できるプロに託すことができるシステムの必要性は,今回の事件で改めて確認されたのではないかと思います。最近,情報銀行の話をあまり聞かないような気がしますが,どこまで進んでいるのでしょうか。
 いずれにせよ,今回の「ルフィ」事件は,その黒幕が誰かも含めて全容を解明してもらわなければ困ります。日本に住むことの最大のメリットは,安全性にありました。それが昼間,「闇バイト」のサイトで高額の報酬に群がって集まってきた互いに見ず知らずの男たちに,白昼に自宅にいた90歳の老女が撲殺されるなどという野蛮なことが起こることを許してはなりません。しかも,それは計画的にされていて,実行者は半ばゲーム感覚でやっているようなのです。Philippineから好き勝手にされていたことも含めて,日本の警察の威信が問われています。岸田首相は,Philippine政府に,インフラ整備として6000億円の支援をするそうですが,その前に,公務員が買収されて,日本の重大犯罪に関わっていることについて,きちんと言うべきことを言っていたかが心配です。朝日新聞デジタルでは,「日本政府関係者によると,首相はフィリピンを拠点とした特殊詐欺グループの幹部が日本に移送・逮捕された事件への協力に謝意を示した」と書かれていました(https://www.asahi.com/articles/ASR295GNFR29UTFK00Q.html)が,これだけをみると,政府の対応はちょっと甘すぎるのではないかと思います。

2023年2月11日 (土)

藤井五冠に試練?

 昨日の王将戦第4局は,2勝1敗とリードしていた藤井聡太王将(竜王・五冠)が,挑戦者の羽生善治九段に敗れました。藤井王将が羽生九段の攻めを呼び込むような将棋でしたが,結局,藤井王将の必死の受けも功を奏さず,羽生九段が攻めきりました。これで勝敗はタイとなり,羽生九段の前人未踏の100冠も可能性が出てきましたね。棋界のレジェンドが,藤井の前に立ちはだかるか注目です。
 藤井竜王(五冠)は,棋王戦5番勝負のタイトル戦も同時並行で戦っています。六冠に向けての戦いです。渡辺明棋王(名人)との第1局は,藤井竜王(五冠)の快勝でした。渡辺棋王(名人)は目立った悪手がないまま敗れた感じでした。
 問題は順位戦です。渡辺名人への挑戦者を決めるA級順位戦では,トップを走っていた藤井竜王(五冠)が,永瀬拓矢王座に敗れて62敗となりました。これで,3年連続名人挑戦を狙う齋藤慎太郎八段に勝った広瀬章人八段が62敗と並び,順位が上の広瀬八段がトップに立ちました(同成績の場合はプレーオフとなりますが,3人以上が並んだ場合は,順位が下のほうからの勝ち抜き戦となるパラマス方式なので,藤井竜王(五冠)には不利となります)。最終局で藤井竜王(五冠)は稲葉陽八段,広瀬八段は菅井竜也八段と対局です。どちらも敗れると,63敗に藤井,広瀬,菅井が並び,さらに現在53敗どうしの齋藤八段と永瀬王座の勝者も6勝となり,さらに豊島将之九段が佐藤天彦八段に勝てば6勝となります。つまり最大5人のプレーオフの可能性があるということになります。藤井竜王と広瀬八段とのプレーオフになる可能性が濃厚ですが,どうなるでしょうか。降級は,すでに決まっていた佐藤康光九段に加え,糸谷哲郎八段が稲葉八段に敗れて無念の降級となりました。今期は成績もよくないので仕方ないでしょう。まだ衰える年ではないので,稲葉八段のように1期で戻ってきてほしいですね。
 B1組は,トップを走る中村太地七段(92敗)が星を伸ばして,あと1勝で夢のA級への自力昇級です。ただし最終局の相手は羽生九段なので大変な戦いとなるでしょう。敗れても,83敗の佐々木勇気七段と澤田真吾七段のどちらかが敗れれば昇級です。昇級は2名で,順位が微妙に関係します。順位5位の佐々木七段は勝てば昇級です。敗れても,順位11位の澤田七段が敗れれば昇級です。澤田七段は自身が勝ち,かつ中村七段と澤田七段が敗れれば昇級です。降級は丸山忠久九段が,すでに1期での陥落が決まっていて,さらに郷田真隆九段も降級が決まりました。どちらもタイトル経験のある元A級の大物九段ですが,年齢には勝てないところでしょうか。3人目の降級者はまだ決まっていません。現在4勝の棋士に降級の可能性があり,順位1位の羽生九段もそのなかに含まれています。
 B2組は,最終局を待たずに,昇級者が決まりました。木村一基九段は1期でB1組への復帰です。最終局の相手が,先日亡くなった中田宏樹八段で,不戦勝となるので,昇級が決まりました。前期の降級はショックだったでしょうが,今年50歳になる木村九段が,それを跳ね返しての昇級は中年世代に希望を与えることでしょう。他の昇級者は,藤井キラーの大橋貴洸七段(30歳)と増田康宏七段(25歳)というフレッシュな初昇級組です。

2023年2月10日 (金)

子どもたちは,ほんとうにマスクなしを望んでいるのか

 新型コロナウイルス感染症が,2類相当から,季節性インフルエンザ並みの5類に変更されるそうです。インフルエンザ流行期でも,咳エチケットはあるとしても,マスク着用の(事実上の)強要まではなかったわけで,コロナもそれと同様の扱いになるのでしょう。ただ不安もあります。私の身近でも,コロナに家族6人全員かかったという例もあり,その感染力はおそるべきですし,彼らは重症化はしなかったものの,やはり症状が出ている間は咳や高熱に苦しんだようです。これが,よく効く薬のあるインフルエンザとの違いです。
  私は,父への感染の不安をずっと気にしていたのですが,父が亡くなったことにより,それは取り除かれました。だからといって,コロナ前のように戻るというわけにはいきません。これまでオンラインでやってこれたのに,いまさら対面型に戻す必要があるのかという気持ちです。ましてや対面型にするけれど,引き続きマスク着用はお願いしますというのは,困ったものです(マスクは,できるだけしたくないです)。そこまでして対面型でする必要があるのか,ということです。どうしても対面でしなければならないものが,どれくらいあるかを精査すべきでしょう(いつも言っていることです)。地方議会のオンライン化も徐々に進んでいるようで,これは良い傾向です(ただし,採決などは対面型のようですが,これも早晩オンライン化すべきでしょう)。季刊労働法179号に執筆した論文で,団体交渉は,まだ対面型が原則であるだろうから,使用者がオンラインにこだわるのならば,それなりの説明をしっかりしなければ誠実交渉義務違反となるという考え方を示しました。ただし,社会通念が変われば話は変わるということも書いており,個人的には,株主総会,国や地方自治体の議会,様々な政府系の会議,裁判手続などでオンラインが一般的になり,2025年くらいには,オンラインが社会全般に広がって社会通念は変わり,団体交渉の交渉方式も,少なくとも対面型が原則(デフォルト)という状況は解消しているのではないかと予想しています。そして2030年くらいまでに,原則は逆転して,オンラインが原則になっているかもしれません。
 ところで,岸田首相は,今年の学校の卒業式に出る子どもと教職員は原則マスクの着用を不要にすると表明したそうです。着用したい人には不着用を強制したりはしないということのようなので,これはマスク着用を推奨することを止めるということなのでしょう。ただ,感染リスクなどと関係なく,いまさら友だちの前でマスクをつけない顔をさらしたくないという人も少なくないようです。子どもだけでなく,大人もそうです。マスク前の顔を知っている人ならともかく,コロナ生活が3年も続くと,その間に新たに人間関係に入った人もいて,そういう人にはずっとマスク顔のままで通したいという気持ちもわからないではありません。マスクを外せないのは,さぞ不自由だろうというのは,勝手な推測をしているだけともいえます。「君たち,マスクをとって笑顔を見せ合いたいですよね。私が総理として,そういうことを実現してあげます」とアピールしたいのかもしれませんが,いつものように,ポイントがずれているかもしれません。

2023年2月 9日 (木)

「反省すべきは反省する」?

 国会での児童手当の支給における所得制限撤廃をめぐる議論のなかで,かつて自民党のある議員が,同様の提案をしていた民主党の議員に対して,「恥を知れ」などの侮蔑発言をしたことがあったことが追及されて,「反省すべきは反省する」という返事をして,それで一件落着(?)したようです。しかし,政治家がよくやるこの種の発言には腹立たしさを感じます。何を反省すべきかについて示さない限り,答えにならないのですが,政治家の世界ではこれでよいのでしょうか。これでは世間には通用しないでしょう。
 とはいえ,もう少し突っ込んで,「反省すべきとは,どういうことか」と質問すると,「それは適切に判断していく」というような答えが返ってきそうです。もちろんこれも,適切性の判断基準が何かが示されなければ,答えになっていないのです。
 言葉のなかに「反省」とか「適切に」とかそういうものが入っていれば,何となく前向きな感じがするのですが,その場だけの印象で,実は何も答えていないということがあるのです。
 私たちの業界では,研究会や講演で,何か質問をしてもらえるのは大変ありがたいことで,これに真摯に答えるのは当然のことです。とはいえ,質問の意味がよくわからないときもあります。そのようなときは,質問の趣旨を自分なりに解釈して,質問はこういう趣旨であると考えますという前置きをしたうえで,答えるようにします。また、その場で答えるのが難しいようなときは,自分の答えることができる質問内容に置き換えて,答えるようにしています。そして,そのときは「もし,ご質問の趣旨にあった答えができていなければ申し訳ありません」という趣旨のことを言うようにしています。
 政治家の世界は,研究者の世界とは違うので,質問にはきちんと答えなくてもよいのかもしれませんが,でもこれは記者の質問力とも関係しているような気がします。ネットでみることができる内閣官房長官記者会見は,すべてみているわけではありませんが,緊張感がなく,つまらないものです。これは官房長官もダメですが,記者もダメですね。なんとなく政治家の言うことだから,意味不明でもよしとしようという私たちの甘い態度が,政治家がまじめに答えない(官僚に適当な文章をつくらせて読むだけでよい)という情けない政治文化を作ってように思えます。しつこく政治家の曖昧な発言を追及していくジャーナリストがでてきてほしいですね(もちろん,私の知らないところで,たくさんいるのでしょうが)。

2023年2月 8日 (水)

ChatGPTに思う

  再び(?)AIが注目されています。私も話題のChatGPTを,早速使ってみましたが,感想はまずまずというところでしょうか。専門的な仕事には使えませんが,ちょっとした文章を考える際には役立ちそうです。こうした「生成(generativeAI」の登場は,すでに想定されていたことではあります。ただ,AIが生成した文章,音楽,画像などが,私たちの日常に入り込む世界が,今後どうなっていくのかは,まだ想像しづらいところもあります。いずれにせよ,「AIが作ったからfakeだ」という発想から改めていかなければならないのかもしれません。
 AIが仕事を奪うというのは,当初の警句を発するという段階をすでに終えています。AIが着実に社会に浸透していくなかで,どういう社会課題が生まれ,それを人間はどのように(AIも活用しながら)解決していくのか,という各論の段階に入っています。AIが仕事を奪うというのは,現在の仕事(ジョブ)を基本としている発想ですが,むしろ,どういう仕事が必要となり,それをどう人間が担うのかという発想が大切なのです。仕事・労働は,社会課題の解決への貢献活動であるという私の定義からは,必然的にこういう結論となります。
 AI時代において残るのは,創造的な仕事であるということは,私もずっと言い続けてきたことですが,これももちろん括弧付きです。将来的には,創造的な仕事もAIがやれるようになるということです。創造的とは何かということが具体的に定義できれば,AIはそういう仕事ができるようになるでしょう。生成AIは,そうした可能性を,すでにみせてくれています。
 AIとあたりまえに共生する社会のなかで,人間に求められるのは,いかにして生きるのか,何のために生きるのか,ということを考えていくことです。そして,それこそが人間らしい営みなのです。哲学の時代が来るということです。

2023年2月 7日 (火)

労使関係セミナーで講演

 滋賀県労働委員会と中央労働委員会の共催の「労使関係セミナーin滋賀」で講演しました。小嶌典明先生と私が講師です。小嶌先生は現地で講演し,私はリモートでやりました。事務方には伝えていませんでしたが,講演前に実はちょっとしたハプニングがありました。私の住んでいるところが,昨日から工事があり,ときどき大きな音が鳴ることがあったので,これは自宅では講演は難しいと思い,急遽,大学の研究室でやることにしました。研究室のパソコンは古くて最近はほとんど使っていないので,使い慣れているノートPCを持ち込みました。しかし,研究室はWI-FI環境が貧弱で(どうにかしてほしい!),なんとかつながることはつながるのですが,心配でしたので,有線LANにしました。ところが,持ち込んだのがMACノートであったのがまずかったのか,「自己割り当てIPアドレスが設定されているためインターネットに接続されません」というエラーメッセージがでてしまい,短時間で解決する自信がなかったので,最終的には,大学の事務の方にお願いして,Wi-Fi環境のよい会議室を借りて事なきを得ました。昨年のNHKの収録に続いて,事務の方にお世話になりました。日頃,使っていない環境で接続するのは危険です。
 ところで今日のテーマは,労働力人口減少時代が統一テーマで,小嶌先生は統計的な分析をされて話され,私はいつものようにデジタルの話に結びつけて(労働力人口減少は,デジタル技術で乗り切れということです),社会の変化やこれからの課題について話しました。これまでよく使っていたスライドを混ぜて活用したので,長大な資料になってしまい,最後は時間がなく駆け足になりました。
 ところで今日は実は,八田達夫先生らが立ち上げた制度・規制改革学会の設立総会に重なっていました。私も発起人の一人になっていたのですが,欠席せざるを得ませんでした。今日の講演は,1年ほど前から予定が抑えられていたのです。実は小嶌先生も発起人に名を連ねておられたので,欠席だったと思います。小嶌先生と私がいっしょに報告するようなことは,おそらく初めてのことですし,また学会のほうは,小嶌先生は八代先生つながりで,私は八田先生つながりで声がかかったのでしょうが,これも偶然です。しかも労働委員会関連のセミナーと制度・規制改革学会の設立総会という,まったく毛色の違うものに二人とも重なっていたとは! 学会のほうは,今後,どのような活動をしていくのか,まだよくわかりませんが,実行力という点では並外れたパワーのある八田先生がいるので注目です。

2023年2月 6日 (月)

同一労働同一賃金では格差はなくならなかった?

 24日の日本経済新聞の朝刊で,「非正規の待遇改善を今こそ」というタイトルの社説が出ていました。春季労使交渉が始まるなか,非正社員の処遇の改善は,政府にとっても重要なテーマとなっています。賃上げによる物価高の補填,景気の浮揚などを目指して,賃上げは政府の政策の重要な柱となっています。エコノミストも賃上げに向けた大合唱です。たしかに,この時期に労働組合が賃上げを実現しなくては,どうしようもありません。いまは経団連も賃上げに理解を示す状況なので,絶好のチャンスでもあります。ただ経団連は中小企業の事情をどこまで考えているのかは,やや心配です。また賃上げは物価高をもたらすので,経営者は,継続的な賃上げへの覚悟が必要となります。
 ところで,ここで振り返っておきたいのは,あの働き方改革でやろうとした日本版の「同一労働同一賃金」は何だったのかということです。2012年の労働契約法の改正の際に導入された旧20条が出発点で,短時間労働者法を改正して2018年に制定された短時間有期雇用法8条に引き継がれています。「同一労働同一賃金」は,改正労働契約法が施行された20134月から,10年が経過しようとしています(改正短時間有期雇用法8条の施行が大企業は2020年4月,中小企業は2021年4月であったので,そこから起算している人もいるかもしれませんが,それは間違いです)が,不合理な格差を禁止して格差是正を目指すという課題は,解決できなかったということではないでしょうか。私は,中央経済社から『非正社員改革』(2019年)を上梓しましたが,そのときのサブタイトルは「同一労働同一賃金では格差はなくならない」というものでした。非正社員の労働条件の状況を放置してはならないのは当然ですが,それは,同一労働なのに賃金に格差があるといった「正義」の観点から切り込むのではなく,貧困の問題として,社会保障政策で対処すべき問題であるというのが私の年来の主張です。そして貧困の原因となる技能不足の問題の対処こそが本丸の政策であるということもまた私の主張でした(同一労働一賃金への疑問は,拙著の『雇用社会の25の疑問』(弘文堂。初版は2007年)や『雇用改革の真実』(2014年,日本経済出版社)でも書いていました)。
 現在の岸田政権が,リスキリングに着目し,また130万円の壁の撤廃に取り組もうとするのは,その点では正しいことなのです。リスキリングは,広い意味では非正社員の職業訓練も含むことであるし,また130万円の壁は,賃金を上げても就労調整するので所得は増えないということで,これは広い意味で貧困の問題なのです。貧困の問題は,賃金ではなく,所得補填の施策で対応しなければならないのです。また,正社員との格差是正という間違ったスローガンは,賃金などの労働条件の水準だけを問題とするものですが,なぜ賃金が上がらないか,労働条件が改善しないかという根本の問題に手をつけなければ,非正社員の処遇は改善しません。さらにデジタル時代ですので,それを組み入れた政策でなければなりません。デジタル技術を活用した省力化・省人化の影響を真っ先に受けるのは非正社員です。これからは,デジタル化により,単純労働は減り,高付加価値の人間の仕事が相対的に増えるので,賃金は上がるでしょう。しかし,その賃上げの恩恵に浴することができるのは,高いスキルの労働者だけです。非正規「雇用」に着目するのは間違いで,大切なのは,「労働者」個人なのです。非正社員であろうと正社員であろうと,デジタル時代に対応したスキルを習得しなければ,高い賃金は期待できません(というか非正社員や正社員という区別自体がなくなっていくのです)。130万円の壁が問題であるのは,こうしたスキルの習得へのインセンティブをそぐ面があることです。民間企業の扶養手当も,連動していることがあるので,そうなるとこの壁の影響は大きいものです。
 賃金という目先のことにこだわってきた政策では何も実現できません。個人のスキルアップをどうすればよいかを考える政策こそ求められているのです。こうした問題を考えていくうえで,いまこそ拙著を多くの人に読んでもらって問題意識を共有してもらえればと思っています。

 

2023年2月 5日 (日)

『解説 改正公益通報者保護法(第2版)』

 山本隆司・水町勇一郎・中野真・竹村知己著『解説 改正公益通報者保護法(第2版)』(弘文堂)を,著者の1人である水町さんからお送りいただきました。いつも,どうもありがとうございます。
 初版は2020年改正後すぐに刊行されましたが,その後の指針やガイドラインの改正を取り込み,早くも第2版が刊行されました。同法の重要性はますます高まっているので,タイムリーな改訂は実務上もたいへん役立つと思います。
 ところで,公益通報者保護法をめぐっては,先日も書いたように,神戸労働法研究会で神社本庁事件・東京高裁判決について議論をしました。そのときに出てきた論点の一つとして,あの事件は背任罪であったのですが,一般に,労働者が通報しようとする事実が通報対象事実に該当するかどうかをどのように判断するのか,ということです。背任罪は,「他人のためにその事務を処理する者が,自己若しくは第三者の利益を図り又は本人に損害を加える目的で,その任務に背く行為をし,本人に財産上の損害を加えたとき」に成立するものです(刑法247条)が,任務違背行為,図利加害目的のような解釈が難しい構成要件があるので,通報者にとっては,通報対象事実該当性の判断に迷うこともあるのではないかと思います(ただし,上記の事件では,通報者は公益通報者保護法を意識して通報したわけではなかったので,背任罪に該当するかどうかは,通報の段階では関係なかったのですが)。
 もちろん通報対象事実に該当しなくても,公益通報者保護法とは別に,一般の労働法の規定や法理が適用可能なのですが,公益通報者保護法には,労働者に対して保護を与えることにより,安心して公益通報できるようにするという目的がある以上,同法の保護要件はできるかぎり明確である必要があると思います。
 この点について,本書は,通報にかかる不正行為が通報対象事実に該当するか否かを判断することが難しい場合には,消費者庁のウェブサイトに検索ワードを入れると関連する法律が出てくる場合があるとか,消費者庁や弁護士の相談窓口を利用することが「考えられる」とか,ちょっと突き放した感じの説明をしたうえで,「もっとも,現実には,通報をしようとする者にとって,弁護士等に相談して調べることはハードルが高い」と歩み寄ってきて,でも最後は,消費者(労働者?)も事業者も,「通報の対象となる不正行為を社会通念に照らして判断した際に,違和感を覚えるか」という観点から対応を検討するというアプローチも「考えられる」という,再びやや突き放したような結論になっています(135136頁)。社会通念というのは,いかにも庶民も使える概念のようですが,実は法律用語でもあり,その判断自体,実は法律のプロがやるようなことです。ということで,これでは通報者にとって救いとならないのですが,現行法を前提とすると,これ以上の説明はできないのでしょう。
 とはいえ,通報対象事実該当性は,保護要件に関することなので,もし自分が通報をしようと考えているならば,どうすればよいかを具体的に明示してほしいと思うでしょう。「こういう方法も考えられる」というような曖昧なことを知りたいのではないのです。この点が明確でなければ,通報者も,事業者も,この法律に基づいた対応はできないでしょう。この法律が機能するためには,政府は早急にアプリを開発し,通報しようとする事実を具体的に入力すれば,AIが通報対象事実に該当するかをチャットボットで回答してくれるくらいのことができなければならないでしょう。その他の保護要件もできるだけ事前に回答してくれるアプリを開発すべきです。こうしたツールがなければ,通報者にとっては,危なくてなかなか通報できません。もちろん,この法律がきっかけで,事業者が自発的にコンプライアンス体制を幅広に整備していくという効果は期待できるのですが,それだけなら,わざわざ法律を作らなくても,政府が広報活動をしっかりやることで十分です。
 公益通報者保護法違反の裁判が増えるというのは,本来は同法の失敗なのであり,いかにして裁判に至らずに企業の不正行為をなくしていくかを法の目標としなければなりません。保護要件が明確ではなく,裁判をしてみなければわからないということになると,この法律は失敗なのです。かつて公益通報(内部告発)においては,内部通報前置主義を重視する考え方を,公益通報者保護法が制定される「前夜」に編著者として関わった『コンプライアンスと内部告発』(2004年,日本労務研究会)の第6章で書いていますが,その趣旨は,裁判による解決ではなく,法が企業の行動を変容させるインセンティブを付与するように制度設計すること(企業が,内部通報体制を整備すれば免責されやすくするようにすることなど)が必要であり,そのためにも保護要件の明確は必須の前提といえるでしょう。
 いずれにせよ,現在の公益通報者保護法を批判するうえでも,まずは同法の内容をしっかり理解する必要があり,その点で本書は貴重な情報を提供しているもので必読文献といえるでしょう。

2023年2月 4日 (土)

首相秘書官問題発言

 首相秘書官が,更迭されたということですが,その理由が,LGBTQについて「隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」などと発言したことです。オフレコの場の発言だったそうですが,これが漏れてしまった以上,レッドカードでしょうね。個人が内心で何を考えていようと自由ですが,首相秘書官というのは首相の側近で,事実上,権力をもつ存在なのであり,その人がオフレコの場であっても,記者相手に性的マイノリティ差別を発言すること自体,一発退場でしょう。
 LGBTQの人にどういう態度を取るべきかは,昭和世代の人には難しい問題なのかもしれません。というのは,これが単なる性的な嗜好にすぎないと思われていた時代を経験しているからです。しかし,今日では,認識は変わっており,一人ひとりの個性と考えられています。人間も動物である以上,性的な存在であるのは当然ですが,その性的な面について,個人にいろいろな指向があるのは当然のことです。男性が女性を好きというのは,実は一つの指向にすぎないということです。男性の多数が女性好きであるからといって,男性好きである少数派を差別してはいけないのは当然のことでしょう(女性を男性と入れ替えても同じことです)。
 権力に近づくほど,こういうことに敏感にならなければいけないのです。この秘書官が,自分の身内だけの場で何を発言しようが自由だと思いますが,記者相手では,もう少し注意すべきであったのでしょうね。
 私もかつて冷やっとすることがありました(前にも書いたことがあるかもしれません)。もう10年以上前でしょうか。日本労働法学会のあとの二次会か三次会くらいで,私と一緒のテーブルで飲んでいるのは,大半はいつもよく話している人ばかりの「身内」でした。そこで,調子に乗って,他大学の偉い先生の酷評などをしていたのです(研究者の世界で上の世代の研究者を論評して悪口を言ったりするのは,どこでもあることですし,ある意味では必要なことです)。でも後で考えたとき,そのテーブルに一人だけ,私が知らない人がいて,あまり場の雰囲気に染まっていない人がいました。周りに聞いても,その方が誰かわからないということでした(今でもわかりません)。学会のときというのは,日本からいろんな人が集まってきて,知らない人とも居酒屋などで合流したりすることがあるのです。
 もちろん,これは今回の首相秘書官の件とは,まったく違う話ですが,同じ場にいる人は,ついつい自分の味方であるという誤解をしがちであるということが言いたかったのです。でも,これは思い上がった態度なのでしょうね(私も反省しています)。とはいえ,もとはといえば,岸田首相が,同性婚を認めると社会が変わってしまうという発言をしたことに関係しているのではないでしょうか。秘書官の発言は,この首相発言をサポートするつもりであったのではないかと思われます。そう考えると,岸田発言こそが,問題の根源でしょう。同性婚で社会が変わるのは当然ですが,それのなにが悪いのでしょうか。変えなければならないと思っている人が増えているのです。令和の時代において,昭和以前の考え方で日本国民を率いようとすること自体,もはや限界があるのです。秘書官が更迭されるのは当然として,加えて首相の責任は重く問われるべきでしょう。というか,この人の周りで,何人が政府の重要なポストを辞めているのでしょうか。その責任の重さを感じているとは思えません。こんな人がいつまでもトップにいる国は異常だと思います。官僚や秘書官の辞任があたり前となりつつある国。首相が長男を秘書官につける公私混同も容認している国。まともな感覚が破壊されてしまいそうです。

2023年2月 3日 (金)

ミヒャエル・キットナー(橋本陽子訳)『ドイツ労働法判例50選』

 橋本陽子(学習院大学)さんから,彼女が翻訳した,ミヒャエル・キットナー『ドイツ労働法判例50選―裁判官が描く労働法の歴史』(信山社)をいただきました。いつも,どうもありがとうございます。橋本さんは,近年,ドイツ法研究を中心に最も精力的に活動している労働法研究者の一人です。じっくり蓄えてきたものを成果としてどんどん発表している感じです。先の労働者概念に関する大作『労働者の基本概念』(弘文堂)も重厚で労働法学に貢献しています。水町さんの次の世代の橋本さんが,小西康之さん(明治大学)や川田琢之さん(筑波大学)らと並び,活躍されていて頼もしいです。
 今回の本は,Michael Kittner教授の本の翻訳です。判例を中心としてドイツ労働法の歴史をみるというものです。サブタイトルにあるように,「裁判官が描く労働法の歴史」ですが,もう少し言うと,それを「Kittner教授が描いた」ということでしょう。有斐閣の労働判例百選や拙著『最新重要判例200労働法』(弘文堂)とは異なり,法解釈に関することよりも,50の判例をそれぞれ,それが出された当時の時代背景のなかに位置づけ,そこから何が問題となって,裁判官がどのような解決をして,それが社会や法理論にどのようなインパクトを与えたかをみていくというもので,読み物としてもたいへん面白いものとなっています。
 全部を詳細に読んだわけではありませんが,興味深いと思ったのは,3番目の「労働協約」についてのライヒ裁判所の判決です。事件は,労働協約違反の争議行為をした組合委員長の損害賠償責任が問題となったものです。1910年当時,まだ労働協約が「契約」としての拘束力をもつかどうかがはっきりしておらず,それゆえ平和義務が法的な義務かどうかも確定していなかった時代に,労働協約にはじめて「契約」としての拘束力を認めた判決でした。おそらく,これがアングロサクソン(angloーsaxon)系の紳士協定としての労働協約と,法的な拘束力のある大陸法的な労働協約との分岐点となったのでしょう。面白いのは,組合の委員長は,自身の損害賠償責任を免れるために,労働協約の締結要求を処罰可能である(刑事上の違法性がある)と弁護士に主張させていたこと(これでは団結権の法的保障を自ら否定することになります)や,これを著者が「馬鹿げたこと」と評しているところです。こういう思わずニヤッとしてしまう箇所のある本が,ドイツで版を重ねている(第3版)のは,ドイツ国民の労働法水準が高いということを意味しているのかもしれませんね。
 この裁判は,債務的効力に関する部分が問題となったのですが,本書では,そこから規範的効力についての話に移り,ロットマー(Lotmar)とジンツハイマー(Sinzheimer)との論争も紹介されています。市民法的アプローチで委任代理説をとるLotmar,それでは不十分として規範的効力(不可変的効力[Unabdingbarkeit]と呼んだほうがよいでしょう)を主張するSinzheimer との対立です。講義で労働協約を扱うときに,最初にふれる話です。本書では,規範的効力を,Sinzheimerの「発明」とし,これが労働協約論に「コペルニクス的転換」をもたらしたと書かれています。
 今日,日本において,労働協約に規範的効力が付与されて,労働法上の独自の契約として規律されているのは,Sinzheimerが,労働協約を,民法の議論から切り離し,新たに法律と同様の効力を認めるアイデアを提示したおかげで,これにより労働法は,民法からの独立を果たすことができたから……。こんなことを考えながら本書を味わうこともできるのであり,一般にイメージする判例の本とはひと味もふた味も違います。本書を繙く日本人が増えて,国民の労働法水準が上がればと思います。

2023年2月 2日 (木)

ベルコ事件(労働者派遣編)

 ベルコ事件は,北海道労働委員会の命令について評釈を書いたこともあり関心をもっています。ベルコとの雇用関係の存否を争った民事訴訟もいくつか提起されていますが,本件の特徴は,ベルコの代理店が雇用するFA(営業職員)と,ベルコとの間に,労働者派遣法40条の6に基づき,直接雇用関係が成立するかという論点が加わった点です(札幌地判2022225日)。裁判所は,結論としては直接雇用の成立は否定しましたが,違法派遣に該当するとして,労働契約の申込みのみなしまでは認めました。
 労働者派遣法40条の6関係では,ここ最近,裁判例が次々と出てきていますが,その多くは偽装請負関係の事件(5号事件)です。本件は,無許可派遣の事件(2号事件)である点で珍しいです。5号事件では法の免脱目的という要件がありますが,2号にはそれはありません。全体にかかる,善意無過失による免責はありますが,潜脱目的なしで直接雇用が認められるとすると,この規定が違法派遣へのペナルティの趣旨をもつことを考慮すると,派遣先に酷に失することにならないか,という疑問もあります(なお,本判決では,善意無過失の有無は争点となっていないようです)。
 5号事件が偽装請負かどうかの判断が難しいのと同様,2号事件でも,事業許可が必要な労働者派遣事業がなされているかの判断は難しいでしょう。本判決は,代理店が労働者派遣事業の事業主に該当するかどうかについて,次のように述べています。
 「労働者派遣事業に該当するか否かを判断するに当たっては,請負等の形式による契約により行う業務に自己の雇用する労働者を従事させることを業として行う事業者であっても,当該事業主が当該業務の処理に関し,①自己の雇用する労働者の労働力を自ら直接利用するものであること,及び,②請負等の契約により請け負うなどした業務を自己の業務として当該契約の相手方から独立して処理するものであることのいずれにも該当する場合を除き,労働者派遣事業を行う事業主とするのが相当である」。
 ここでも「直接利用」とか,「独立して処理」といった,判断が難しい概念が用いられています。
 昨年末,大学院の授業でこの事件を扱ったとき,報告してくれた学生は,立法論としては,40条の6の労働契約申込みみなし制という実務上も理論上も問題がある方法ではなく,派遣先・派遣元に対して,一定の猶予期間を与えて,契約内容を是正する義務を課し(適切な契約形式への変更,労働者への金銭解決の選択権の付与など),その義務を履行しない場合にはじめて強制的な方法(派遣先との契約の擬制など)をとるようにしたらどうかという興味深いアイデアを提示してくれました。私は,行政による事前認証を提案したりもしていますが,いずれにせよ,労働者派遣法の規制下に入るかどうかが,裁判をしなくてはわからないという不安定な状況をどう回避するかが重要だと思います。
 ところで,本判決の最終的な結論は,直接雇用のみなし申込みはあるものの,労働者からの「承諾」がなかったとして直接雇用は認めず,承諾を妨害したことについての不法行為の成立しか認めませんでした。そもそも申込みも「みなし」にすぎないのであり,それについての承諾も,かなり”フィクション”の要素を採り入れなければ,なかなか,直接雇用の成立は認められないでしょう。40条の6について立法論的に批判する私のような立場からは,結論はそれでよいということになりますが,この制度を内在的に検討するかぎり,承諾を厳格に解することには疑問がありえます。もちろん,もし明示的に申込みをされていれば,承諾していたであろうというような場合にまで,広く承諾を認めてしまうと,この規定の適用範囲は拡大しすぎてしまうおそれがありますが,だからといって,承諾の存否を厳格に判断するのは,労働契約申込みみなし制度を前提とする以上,一貫しないようにも思えます。むしろ派遣先がペナルティを課すにふさわしいかどうかの判断要素となり得る悪意・有過失についてこそ厳格にみていくべきではないでしょうかね。このほかにも,この判決には,ベルコが労働者に雇用関係にないことの確認書を出させていたことなどを,労働者がみなし申込みに対して承諾をする選択権を奪ったとして慰謝料を認めたことについても,やや強引な感じで,疑問があります。

2023年2月 1日 (水)

戸籍のデジタル化

 21日になって,朝のテレビ体操の内容が少し変わりました。
 今日は比較的暖かくなると予報が出ていましたので,午後のリモート会議の前の時間帯に,いそいでJR芦屋駅近くにある芦屋市役所の出張所に行ってきました。
 父の戸籍集めの作業は,遠方は郵送で,近場は直接役所に赴いてということにしています。郵送でやると定額小為替が必要で,いちいち郵便局に行かなければならず,200円の手数料が取られます(前は100円でした)。また戸籍は一つとって,初めてその前の戸籍がわかるので,一度に作業が進まないのが困りものです。しかも普通郵便は,前より時間がかかるようになっていて,なかなか作業が進みません。速達もつかいますが,郵便代は馬鹿になりません。政府は,2024年から相続登記を義務づけるそうですが,岸田首相は自分で手続を試してみてください。どれだけ面倒かよくわかると思います。少なくとも,戸籍は,市町村をまたがっても,オンライン取得できるようにしてもらいたいです。この部分のデジタル化が進むだけで,ずいぶんと作業が楽になります。今回は返信用切手をつかうことで,家に残っていた切手を多く消化できたことだけは,よかったです。
 私が知らなかっただけですが,登記情報がオンラインでみることができたのは,意外でした。法定相続情報一覧図の交付は,オンライン申請できませんが,相続登記の申請だけならオンラインでできます。住民票や印鑑登録証明書は,近所のコンビニで取得できるので助かります。まだやっていませんが,準確定申告(被相続人の確定申告を,相続人が行うもの)も,オンライン申請(e-Tax)ができるようです。このようにオンライン化が進んでいることをみると,やっぱり戸籍の対応の遅れが気になります。自治体内でしかオンライン対応ができていません。マイナンバーを利用した戸籍事務の処理を,国主導で進めてもらいたいです。戸籍は,本来,国の事務ですよね。
 戸籍がどうかというと,とたんに保守的な議論が出てくるのですが,戸籍だけ特別なものというように考えないでほしいです。戸籍が変わると,日本社会も変わるかもしれません。保守派はそれがいやなのでしょう。私は保守的な価値観にも一定の理解は示す気持ちはありますが,戸籍については,技術的にデジタル化が可能であるかぎり,それを進めていくべきだという立場です。

 

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