新年にあたり
「年賀状じまい」をしてから,もう何年も経ちます。世間でも同じような人が増えているようです。いただいた年賀状に返事を書かないのは,なんとなく不義理をしている感じがして落ち着かないのですが,もう何年も前から公言しているので,それでも送ってくださる方は,別に構わないと考えてくださっているのでしょう。もちろん,いただいた年賀状は,返事をしていないとはいえ,しっかり読ませてもらっています。
「~じまい」というと,「墓じまい」も耳にすることが増えています。父についても,どうしようか思案中です。ただ,自分についてはどうかというと,何らかの形でデジタル供養になるような気がしています。墓はいらないが,デジタルツインとしてデジタルの世界で永遠の命を得るといった方法もあるので,そのための準備をしておくこともあるような気がしています。デジタルツインがいれば,自分の葬儀もデジタルツインが主催することがあるかもしれません。
前に紅白歌合戦でAI美空ひばりが出たことがありました(昨日は,AI荒井由実が現実の松任谷由実と新曲についてデュエットする演出もありました)。こういうことが技術的に可能なのです。死後の世界を信じない者にとっては,むしろ自分の生きた証しを残すとか,あるいは遺族が故人のことをいつまでも思い続けたいという希望に応えることが重要なので,そうするとデジタルの世界でできるだけリアルに生き続けるという方法を選択することもありかなという気がしています。そうなると現実社会での葬儀はしないことになるかもしれません。
そう簡単に現在の慣行は変わらないかもしれませんが,実際にもリアル社会での墓が永代供養に移行しつつあるなか,さまざまなデジタル技術を活用した方法に移行していくかもしれません。もちろんこれにはメリットやデメリットもあり,個人や家族の死生観にかかわるので,賛否両論があるでしょうが。
いずれにせよ,死後の世界というのは,仮想空間と相性がよいように思います。生と死の連続性というのは,リアルと仮想の融合というのと似ている気がするのです。新年早々,墓とか葬儀とか書くのはどうかと言われそうですが,生きていくというのは,どのように死ぬかということと関係しているのだと思います。
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