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2023年1月の記事

2023年1月31日 (火)

季刊ひょうご経済に寄稿

 一般財団法人ひょうご経済研究所から刊行されている季刊雑誌の「ひょうご経済」(157号)に寄稿しました。タイトルは,「デジタル変革後の働き方の変化」です。
 読者が中小企業の経営者向けということでしたので,それを意識して書きました。この研究所は,みなと銀行グループのシンクタンクだそうで,このような地元の研究所の雑誌に執筆させてもらえるのは光栄なことです。みなと銀行は,神戸に住んでいると,みずほ銀行よりも店舗やATMの数では存在感があります。
 ところで,昨年はずいぶんと一般向けの論考を書きました。コロナ禍やDXなどで,これからの働き方への不安が高まっているなかで,私への依頼があったのでしょう。今回の論考でも扱いましたが,テレワークがどうなるのかも経営者の関心事のようです。
 今朝のニュースで,東京が2022年は転出超過から転入超過に変わったと報道されていました。テレワークができるようになったことによる郊外移転が一段落し,やむを得ずテレワークをしていたり,させていたりした従業員や企業の東京回帰が強まっているとの見方もできそうです。しかし,トレンドとしては,こうした東京回帰は一時的なものではないかと思っています。急激に転出が起きたので,揺り戻しがあるのは当然でしょう。
 これからの若者は,なぜ対面型なのかを問うようになるでしょう。対面型のメリットがあると考えている経営者が,そのことを若者にしっかり説得できるところでは,対面型でも若者は集まるでしょう。しかし,そうした説得ができる企業がどれほどあるでしょうか。日常生活のアナログ要素は残してよいのは当然ですが,仕事の分野でのアナログ要素は,かなりの部分が無駄だと考えている人が増えているように思えます。対面での人間関係の良さは,仕事以外のところでこそ発揮されるのです。そうだとすると,長い目でみれば,テレワークは減ることはなく,東京の転入超過もいつかは転出超過に戻ることになるでしょう。

2023年1月30日 (月)

王将戦第3局

 今日は季刊労働法の原稿を書き上げました。前号でも2本書いて,今回も1本で,何だかずっと原稿に追われている感じですが,研究者は論文を書くのが仕事なので,書かせてもらう機会があることは有り難いことです。もっとも,テーマは全部違うので,頭のなかがグチャグチャになりそうです。複数同時並行は昔は平気でやっていましたが,徐々にしんどくなってきました。そういえば,この間に重要判例解説の山形大学事件の評釈も書きました。それにいくつかの講演もあり,そのスライド作りにも,結構,時間がとられています。基本的にテレワークで,時間を効率的に使えるので,まだなんとかなっている感じです。そうそう相続関係の手続も,おそろしく面倒です。これについての愚痴はまたそのうち書きます。とにかく,今日の大学院の授業で今学期の授業はすべて終わったので,これからは少しインプットの時間をつくれると思います。
 話は変わり,王将戦第3局は,藤井聡太王将の勝ちでした。この若き王者は,連敗しないことで知られています。羽生善治九段は前局で勝ったのですが,死力を尽くしたという感じであり,一方,藤井王将は良い勉強をしたくらいの感覚だったのではないでしょうか。若さは羨ましいです。第3局は,藤井王将の先手番で,快勝でした。羽生九段の封じ手が若干疑問であったようで,その後は藤井王将が羽生玉を的確に追い詰めて,最後はきれいに1手違いで,詰ませてしまいました。藤井王将に勝つには,1手のミスも許されないということで,相手は消耗するでしょうね。
 藤井王将は,王将戦の第4局までの間に,六冠を目指して棋王戦を渡辺明名人・棋王と戦います(25日の1日制)。A級順位戦も,21日にあり,永瀬拓矢王座と対局です。藤井竜王(五冠)は,永瀬王座に勝つとプレーオフ進出は確定します(名人戦挑戦は,順位上位者の頭ハネはありません)。重要な棋戦が次々とあるなか,調子を維持するのは大変でしょうが,これも若さで乗り切れるのかもしれません。
 名人戦は春,竜王戦は秋,王将戦は冬というように重要な棋戦は季節ごとにありますが,多くのタイトルを保持するためには,苦手な季節があってはいけないわけで,健康維持がとても大切です。その点でも,長年にわたって多くのタイトルを保持してきた羽生九段は偉大です。一方,渡辺名人は冬将軍と言われて,秋以降になされる竜王戦と冬に行われる棋王戦に滅法強く,過去の獲得タイトルの大半を占めています(歴代4位の30タイトルのうちの7割を占めています)。得意の冬の棋戦で藤井竜王(五冠)の挑戦を撃退できるでしょうか。

2023年1月29日 (日)

島田先生古稀記念論集

 島田陽一先生の古稀記念論集『働く社会の変容と生活保障の法』(旬報社)に拙稿を寄稿しました。普通の古稀記念論集とは違い,執筆テーマが与えられていました。私の場合は,「雇用社会の新たな展望と労働法」というテーマでしたが,「変化する労働と法の役割ーデジタル技術の影響と社会課題の解決という視座」というタイトルにしました。内容は,労働とは,共同体において生じる社会課題の解決のための営みであるという認識を基礎に,その内容が時代とともに変遷し,とくに19世紀以降の産業資本主義社会の時代には,企業が社会課題の解決をにない,労働者はそのために単に労働力を提供するだけの存在になってしまい,しかも企業のほうは社会課題の解決というミッションを忘れがちで,逆に社会課題をつくりだすほうに回ってしまった感があったなか,デジタル技術の発展のなかで,個人が企業を介さずに直接,社会課題の解決に貢献できるようになってきたというのが基本的なストーリーです。もともとは,拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」』(2020年,日本法令)のなかでも,同じようなことを書いていますが,とくに労働の意義ということにフォーカスをあてて,そのエッセンスをまとめたのが今回の論文です。この原稿を提出したのは昨年の4月初旬(ほぼ締切期日どおり)で,その後,同様のことを書いたり,言ったりしているので,新鮮味はないかもしれませんが,論文としては最初に書いていたものでした(もう少し早く刊行されると思っていました)。
 拙稿についてはともかく,この本の執筆にこれだけ多くの人が参加していることからも,島田先生の偉大さや人望の大きさがよくわかります。早稲田大学という名門を率いて,労働法学会でも重鎮であるにもかかわらず,フランクなお人柄で,一昨年も先生が司会をされる学会のワークショップに声をかけてくださるなどのお付き合いがありました。今回の記念論集では,こうした企画には珍しく,ご自身も「生活保障法の理論課題」という先生の年来の主張を総括した論文を掲載されており,それだけでも,この本が単なる古稀記念論集とは違うことがわかります。
 昨年はお弟子さんの林健太郎さんの『所得保障法制成立史論―イギリスにおける「生活保障システム」の形成と法の役割』(信山社)をじっくり読む機会がありました。荒削りなところもありますが,大きな可能性を感じる大作であり,立派な後進の育成をされておられるなと思っていました。私自身,労働法と社会保障法の専門分化が進むなか,実はこれを統合する議論をすべきであり,とくにそれはフリーランス問題が出てくるなかで痛感しているところです。被用者保険が中心にある社会保険を見直さないかぎり,社会保障の未来は厳しいと考えているのですが,これも先生の生活保障という大きな枠でみれば,新たな発想が生まれてきそうです。
 島田先生はこの3月で定年を迎えられるそうですが,研究者としてはまだまだ現役で活躍されるでしょう。引き続き,ご指導をたまわればと願っています。

 

2023年1月28日 (土)

神戸労働法研究会

 今日の神戸労働法研究会では,オランゲレルさんが,ジェンダーの観点から東亜ペイント事件と明治図書出版事件を検討する報告をしてくれました。いまさら東亜ペイント事件か,という気もしますが,転勤問題を考えるうえでの基本となる判例で,いつもながらこの問題については,いろんな角度から議論がでてきて盛り上がります。みんな転勤については一家言あるような気がします。
 共働きが当たり前の時代に,配偶者の仕事の継続に影響があるような転勤なんて論外じゃないか,いや家庭負担がある従業員だけ転勤について配慮してもらえるのは不公平ではないか,というような議論もありうるところですが,そもそもテレワーク時代に転勤なんてどうなのという気もします。私は,『人事労働法』(弘文堂)では,転勤は人事異動と切り離して,ワーク・ライフ・バランスを扱った第7章に入れていますが,そこでは住居の移転をともなう転勤については命令できないことをデフォルトとし,こうした命令をする条項を就業規則に採り入れるためには,私のいう「標準就業規則の不利益変更」の手続をふむ必要があり(37頁),そのうえで実際に転勤を命じるときには「誠実説明」(その内容は18頁)が必要という見解をとっています。これは個別的同意説ではありませんが,それに近いようなかなりハードルの高い要件を設定しています。
 もう一人は経営学研究科の社会人院生の方に,神社本庁事件・東京高判2021916日について報告してもらいました。公益通報者保護法関係の事件ですが,懲戒事由該当性の判断に,公益通報者保護法の趣旨を組み入れた判断枠組みを示したもので,結論として労働者が勝訴しています。この事件は,『最新重要判例200労働法』の次の改訂があれば,大阪いずみ市民生活協同組合事件(31事件)と置き換えたいなと思っています。ところで,公益通報者保護法は,本来,労働者の公益通報の背中を押し,公益通報の可能性が高まることにより,企業に内部通報の態勢を整備するインセンティブを与え,結果として,企業の不祥事などについて自浄作用が働くようにするというシナリオが想定されていたと思います。公益通報者が不利益な取扱を受けたあとでは,裁判において,「公益通報をしたことを理由として」という要件の立証は難しいので,保護のハードルが高くなります。立法論としては,男女雇用機会均等法94項のような規定を置くことはありえますし,実際に,そのような議論もあったようですが,企業側からすると,それはやり過ぎと言いたくなるでしょうね。
 神社本庁事件では,おそらく労働者側は,法律を意識せずに内部告発をし,使用者側も公益通報したかどうかを意識せず,たんに就業規則に該当するので処分したと思われ,そうだとすると,この事件の当事者には,公益通報者保護法が行為規範として機能していなかったことになります。もちろん,そのような場合でも,公益通報者保護法の趣旨に照らして,懲戒事由の該当性阻却事由ないし権利濫用性(違法性阻却事由のようなもの)の判断をするということは,解釈論としてはありえるところです。ただ本来は,公益通報者保護法の仕組みを理解して,労働者が安心して公益通報することが想定されているのです。そのためには,公益通報について通報者側にどのような方法で通報するかということを,ガイドラインなどできちんと示すことも必要でしょう。労働者が所定のフォーマットに乗って通報すれば確実に保護され,企業は,そうした内部通報に備えてきちんと対応する制度を整備し(11条も参照),企業もそうした整備をして,それに則して対応すれば基本的には免責されるという形でインセンティブを付与し,結果として,自浄作用が機能するようにするというのが,この制度を活かすために必要な仕組みであるように思います。

2023年1月27日 (金)

学部授業終了

 悪天候の危険があるなか,リモート授業に切り替えようかどうか悩んでいました。勝手にリモートにすると事務に叱られるかもしれないと思う反面(ルールがよく変わり,以前の感覚でやっているとルール違反となってしまうことがあるので,臆病になっているのです),学生みんながリモート希望なら問題ないだろうという気持ちも半分ありながら,結局,完全リモートに切り替えることができず,私と一部の学生は教室にいて,一部の学生がリモート参加のハイブリッドになりました。天気は悪かったですが,それほどひどいことにならなかったので,よかったです。
 今日が最終回でした。報告担当の学生は,AIやロボットでほんとうに人間の雇用がなくなるのか,ということについて,そうではなかろうという具体的な仮説を立て,実例を調べて検証し,結論を出すということをしてくれました。議論のなかでは,AI時代において,人間はどう生きていくのか,というところにまで議論が進み,最終回にふさわしい深い議論ができたと思います。
 また先週は,報告担当の学生が,医師の過重労働が進むなかで,デジタルツインで代替できれば,その解決ができるのではないかという斬新な問題意識の下に,その可能性を探る報告をしてくれました。技術的可能性と倫理的可能性を検討し,結論は否定的なものでした。
 学生たちが,私の『デジタル変革後の「労働」と「法」』(日本法令)を教材として,自由に問題意識をふくらませ,独創的な問題提起をして,今日の報告のように私の見解に批判的な立場からプレゼンを組み立てたりするなどしてくれて,とても楽しく,私にも勉強になる授業であったと思います。
 学生たちには,法学部に入ったことが不利とならないように,法学の知識+広い視野で論理的に議論できる能力を武器に,デジタル時代を生き延びていってもらえればと願っています。

2023年1月26日 (木)

外の力を借りる

 小学校のPTAのアウトソーシング事業に,近畿日本ツーリストが乗り出しているようです。子どものために親(多くは母親)が,PTAの仕事をするのは当然とされてきたのですが,共働きが一般化するなか,徐々にPAT業務が負担となり,引き受け手がなくなりつつあるということが背景にあるようです。どうしても必要な業務であれば,外注することもありだと思います。無理をしないことが,業務の質を上げ,かつ持続可能となります。
 社会保障の4経費と呼ばれる「医療,年金,介護,子育て」は,家庭からアウトソーシングすることが認められた分野といえます。病気になった人,高齢者,子どもの世話はプロに任せるということです(年金も,貯金を国の専門家に委ねて運用してもらうということです)。国の補助があるのは有り難いのですが,その費用はずしりと国民にのしかかっています。でも,やはりこれはアウトソーシングしてよかったと考えるべき分野なのでしょうね。
 大学の入試の試験監督も外注すべきことです。私はあと6年で定年になりますし,シルバー世代が試験監督を引き受けるのは構わないですが,若い人がこういう業務にエネルギーと時間をとられるのは可哀想です。外注しても問題はありません。大学入学共通テストも同じです。研究者である大学教員に,しっかりした試験監督をするよう求めるのは,無理なことです。時間があれば,頭のなかで論文の構想を練るのが研究者の性なので,それをおさえて監督に集中せよというのは,無茶な要求なのです(だから車の運転もしないほうがよいのです)。
 企業の外注は,労働法的には,いろいろ問題となりますが,経営戦略としては,なんでもかんでも社内に抱え込まずに,うまくアウトソーシングすることが大切です。もちろん,システム関係のように,今日の企業の戦略のコアとなる部分は,むしろこれまで外注しすぎていたので,内製化することも必要かもしれません。この点は,企業だけでなく,自治体もよく考えるべきです。しかし,企業内にはアウトソーシングしたほうが,より本業に集中できるものもあるのであり,そういうものはむしろ積極的に進めるべきなのです。もちろん,外部に業務を出すだけでは成功しません。外部にだしながらも,うまく内部の本業につなげるという視点が大切です。
 さて,大学の話に戻ると,清掃や守衛はすでにアウトシーングしているようですが,より企業戦略に近い部分についてのアウトソーシングを考えていくことが必要です。実際,実務家教員の活用は,それに近いところがあります。入試業務なども含め,「外の力を借りる」ことに,もっと取り組んでもらいたいものです。

2023年1月25日 (水)

野田進『フランス労働法概説』

 野田進先生から,『フランス労働法概説』(信山社)をいただきました。いつも,どうもありがとうございます。前に『規範の逆転―フランス労働法改革と日本』(日本評論社)もいただいておきながら,しっかり読んだうえで紹介しなければと思いつつ,果たせないままになっていました。申し訳ありませんでした。本書においても「規範の逆転」のことが書かれています(労働法規の中心的地位が後退して,労働協約規制がない場合の補充規範になっているということを,規範の逆転と呼んでいます)。規範の逆転は,私の考える労働法体系とフィットするものなので,いずれしっかり野田先生の本でフランス法の勉強をしたうえで,きちんと咀嚼して分析しなければならないと思っています。
 ところで,今回の『フランス労働法概説』は,文字どおり,待望の1冊です。誰がフランス労働法の本格的な概説書を書くのかということは気になっていました。何人か候補はいたのですが,やはり野田先生でしたね。フランス労働法は,比較法の対象国として重視される割には,その情報にアクセスするのが大変でした。フランス労働法を調べるためには,どうしても自分で原文にあたって勉強せざるを得ず,ドイツ労働法と違って情報を得るのが著しく大変です。そして,自分で調べると言っても,語学的にはわかったとしても,体系的に捉えていなければ,誤った理解をしてしまうことにもなるので,困っていました。どうしようもないのかなと半ば諦めていたのですが,フランス労働法の重要性に鑑みると,これは大きな問題でした。それがようやく解決されました。
 今回の野田先生の本は,フランス労働法の全体像がわかるだけでなく,日本人が日本人のために書いたというところに大きな意味があります。外国法の概説書は,翻訳ではダメなのです。私自身,レベルは違いますが,イタリア労働法の概説書を書いたことがありますが,まずイタリア労働法を正確に理解することは当然として,それをそのまま日本語にしても,日本人にうまく伝わりません。そこをどう日本人向けに説明し直すか。ここが一番の難しいところです。
 しかし本書は,さらにその上を行っています。なんといっても文章としても読みやすいし,味わいがあります。一例を挙げると,「労働争議のフランス的特性」というところがあります(433頁)。フランスに行くと,ストライキは社会で重要な意味をもっていることがわかります。イタリアも同じですが,フランスのストライキは,かつての日本のストライキとは違い,個人的な性格が強いものです。そういうことを,わかりやすく説明してくれたあとに,法的な説明に入っているので,あまり団体法に関心のない人でもとっつきやすいでしょう。
 本書により,フランス労働法がぐっと身近になりました。日本の労働法学への貢献度は計り知れないものがあります。ただ,どうしても外国法は,時間が経つと古くなります。フランス労働法も,「規範の逆転」のように,近年に大きな変化があったようです。今後,デジタル化のいっそう大きな影響がフランスにも及び,労働法も大きく変わっていくでしょう。野田先生の偉大な業績が,次の世代にも継承され,アクチュアルなフランス労働法の情報に接し続けることができることを楽しみにしています。もちろん,当分の間は,野田先生ご自身がアップデートされていくでしょうが。

2023年1月24日 (火)

賃金格差の懸念と教育の重要性

 今日は神戸の平野部でも雪が積もりました。寒い日となりましたが,テレビでは東電の電気代値上げのニュースが出ていました。関西電力も時間の問題でしょう。すでに電気代はびっくりするくらい上がっていて,雪が降って寒くても,できるだけ暖房は抑え気味にしたいと思っています。
 春闘が始まり,政府も賃上げの要請をするポーズはとっていますが,中小企業などでは無理なところもあるでしょう。賃上げは,本来,労働市場の需給関係で決まるので,需要が多いデジタル人材は市場メカニズムにより賃金が上がります。スキルが劣り,単純業務しかできない人は供給過剰となりがちなので,賃金は上がらないでしょう。この構造を変えることは,政府が介入しても限界があるでしょう。
 一方で,若者が大企業に入社しても,つまらない仕事ばかりさせられると言って辞めていく例が増えていると,今朝のNHKのニュースが伝えていました。ブルシット・ジョブ(bullshit job)は,大きな問題です。スキルが上がらなければ将来のキャリア展望が開けてこないことがわかっている若者は,大企業に入社して期待しているのは,自分のスキルアップなのです。終身雇用を期待しても,スキルが上がらないまま組織の一員としてやっていくことには不安を感じているのでしょう。だから,できれば汎用性のあるスキルを習得したいと思っています。もっとも企業は,汎用性のあるスキルを習得させると,辞められる可能性があるので,長期雇用を期待する幹部候補の従業員には,下働きから始めさせ,その企業組織の一員としてのしきたりなどを教え込んでいこうとします。ここに企業と若手従業員の期待のミスマッチがあり,結局,若者は辞めていくのでしょう。とはいえ,スキルのない若者は,いったい,どこでスキルの習得をすればよいのかが問題です。賃上げの恩恵に浴するのは,現時点では,大学や高専でスキルを習得できる理系人材か,すでにデジタル関係の仕事をしてきた中堅以上の労働者くらいでしょう。多くの労働者にとっては,自力でスキルを習得していくことが必要となります。しかも政府が目指す流動化政策が進むと,いっそう企業内の技能習得は機能しなくなります。教育投資をしても,回収できる可能性が低いからです。一方,教育しなくても高いスキルをもっている即戦力には,教育費用は不要なので,企業は高い賃金を提示できます。それに他企業との競争という要因から賃金がつり上がる可能性があります。
 教育によるスキルの底上げがうまくいかなければ,すでにスキルをもっている人とそうでない人の格差が大きくなっていくことが予想されます。社会の分断を生みだしかねない危険性があります。正社員と非正社員の格差という図式で物事をみている人も多いのですが,デジタル格差のほうが,はるかに深刻な問題なのです。教育(職業教育)について,政府がとりくむことの重要性はしつこく言い続けていますが,なかなか変わっていません。親は,自分の子どもの数十年後の社会は,いまと全く異なっていることを想定して,政府に頼らずに,子どもの教育に取り組む必要があります。今後は,民間の有志による「寺子屋」的な教育の場が,デジタル時代にふさわしい形で展開していくのではないかと予想し,また期待をしています。

 

 

 

2023年1月23日 (月)

貴景勝優勝

 大相撲初場所は,芦屋出身の貴景勝が123敗で優勝しました。千秋楽は,割を崩して,若隆景との対戦ではなく,同星で優勝がかかる琴勝峰との対戦となりました(この対戦が組まれた結果,4敗力士の優勝可能性もなくなりました)。これは,貴景勝にとっては,平幕優勝を阻止しろという指令を受けたような取組であり,大変なプレッシャーとなったと思われますが,見事に勝ちました。重圧に強い力士だと思います。ただでさえ,今場所は,一人横綱の照ノ富士が休場し,かつては3人いた大関も,御嶽海と正代が相次いで陥落して,今場所の大関以上の出場は貴景勝だけとなりました。毎日,結びの一番でとる相撲であり,実際上は横綱の代役を果たしました。そのなかで,途中で連敗したものの,みごとに立ち直り,12勝というのは少し物足りませんが,よく頑張ったのではないでしょうか。先場所も12勝で,最後は阿炎に敗れたものの優勝決定戦に出ていますし,次場所こそ綱取りの場所となるでしょう(今場所も途中で連敗しなければ昇進の可能性があったかもしれませんが)。今場所は立ち会いからの圧力が十分で,動きもよく,安定した土俵でした。これまで苦手にしていた御嶽海や高安は力が落ちており(高安は今場所は休場),阿炎にも今場所勝ったことで,苦手意識が克服できるかもしれません。逸ノ城は暴行問題で力士生命の危機に直面しています。むしろ十両で14勝して優勝し,幕内復帰が決定的になった朝乃山とはほぼ互角であり,彼が復活し,来場所,大勝ちすると,貴景勝の前に立ちはだかるかもしれません。
 貴景勝は優勝して,奥さんとお子さんと一緒の写真が出ていましたね。あの北天佑の次女である奥さんはモデル出身の大変な美女であることが話題になっています。貴景勝はお母さんが美人ということでも話題になったことがありますね。北天佑は横綱間違いなしと言われながら,千代の富士時代において,ダラダラと大関を続けていたという印象があります。怪力ぶりは印象的でしたが,クンロク大関にとどまりました。相撲のタイプはまったく異なる貴景勝は,ここは一気に横綱ゲットといきたいところでしょう。押し相撲の横綱となると北勝海以来でしょうか(日馬富士も押し相撲に入りますかね)。その前は,琴櫻まで遡ることになるでしょう(その孫が,いまの小結,琴ノ若です。お父さんの初代の琴ノ若は,琴櫻の娘と結婚して,佐渡ヶ嶽部屋を継ぎ,現在は審判部の部長ですが,彼こそが貴景勝の横綱昇進にとっての最大の難関だという人もいますが,どうなるでしょうか)。

2023年1月22日 (日)

王将戦第2局

 藤井聡太王将(五冠)に羽生善治九段が挑戦している王将戦は,藤井王将先勝を受けて,第2局が大阪高槻で行われました。摂津峡花の里温泉山水館が対局場です。この温泉には行ったことがありませんが,将棋のタイトル戦で使われるようなところには,ぜひ行ってみたいと思っています。
 この対局は,羽生九段が勝ちました。何と言うか,執念が感じられましたね。先手番なので,入念に作戦を練り上げて試したという感じでしょうか。藤井王将を,強引な攻撃へと引き込んで,最後のほうは,いろいろ藤井王将のきわどい罠が仕掛けられていたのでしょうが,しっかり読んでそれを回避して勝ちきりました。私は,レジェンドの大棋士が,20歳の新たな天才棋士に全力で立ち向かい,勝利をおさめたことに感動をおぼえました。7番勝負ですので,まだ先は長く,このあと羽生九段がどれだけ勝てるかはわかりませんが,この1勝は印象に残るものとなるでしょう。
 A級順位戦は,藤井竜王(五冠)が豊島将之九段に勝ち,61敗で単独トップになりました。52敗で追いかけるのが,斎藤慎太郎八段,広瀬章人八段,菅井竜也八段の3人です。渡辺明名人への挑戦者は,この3人以外に,現在43敗の豊島九段と永瀬拓矢王座にもチャンスは残っています。しかし藤井竜王がこのまま逃げ切る可能性が高いでしょうね。降級は残り一人で,3勝の稲葉陽八段,2勝の佐藤天彦九段,1勝の糸谷哲郎八段の誰かとなります。稲葉八段は1勝すれば残留確定ですが,最終局が藤井竜王で,順位が悪いので,次の糸谷八段との対局で勝たなければ危なくなります。糸谷八段は順位が2位といいので,稲葉八段に負けても,天彦九段が菅井八段に負ければ残留の可能性はあります。名人挑戦争いも降級争いも,今年のA級は熾烈です。B1組は,快調にトップを走っていた中村太地七段が,澤田真吾七段に敗れて82敗となり,順位がよくないので2連勝しなければ昇級は難しい状況になってきました。澤田七段は73敗で昇級のチャンスが残っています。また順位がよい山崎隆之八段も64敗ですが昇級のチャンスがあります。佐々木勇気七段も73敗で昇級可能性が高いですし,4連敗後に7連勝している近藤誠也七段は最終局が空け番なので,次局に勝って8勝すればライバルたちにプレッシャーとなるでしょう。B1組の昇級争いも,最後まで目が離せません。私は,最後は,残りの2局を連勝した中村七段と佐々木七段の昇級とみていますが,どうなるでしょうかね。

2023年1月21日 (土)

よくわかる!労働判例ポイント解説集(第2版)

 山田省三・春田吉備彦・河合塁編『よくわかる!労働判例ポイント解説集(第2版)』(労働開発研究会)を,出版部の末永さんからお送りいただきました。どうもありがとうございました。収録されているのが,近年の裁判例ばかりで,最近の動向を知ることができます(拙著『最新重要判例200労働法』の改訂の際にも参考にさせてもらいたいと思います)。過去の重要判例は解説のなかに組み入れるというスタイルになっています。このほうが本書のターゲットとされている実務家は読みやすいでしょうね。
 判例はコンパクトにまとめられています。フォントも読みやすく,「ですます調」なので親しみやすいでしょう。さらにテーマごとに「解題」がついていますし,判決ごとに「実務へのポイント」が末尾に付けられているなどの配慮もされています。読者フレンドリーにしようという姿勢が,よく伝わってくる本だと思いました。

 

2023年1月20日 (金)

プレップ労働法

 森戸英幸さんから『プレップ労働法(第7版)』(弘文堂)をいただきました。いつも,どうもありがとうございます。第6版とどこが変わったか,「はじめに」で確認しようしましたが,関係ないことが書かれていたので,それじゃ仕方ないと思って,前の方からパラパラめくっていくと,プッと吹き出すところだらけで,これじゃ勉強にならないかもと思いながら,最後の頁までたどりつきました。実は勉強できているのかもしれません。やっぱり最初はこのような本から入ったほうがよいのでしょうかね。キレのある笑いのセンスはさすがです。もちろん,この本は,偉い先生方からすると,好みが分かれるでしょう。労働者派遣法40条の6の「労働契約申込みなし制度」を「ややこしいこと」で片付けているのは驚きですが,でも読者にどうややこしいんだろうと思わせて,その意味を勉強するようにいざなう高等戦術なのでしょうかね。なんでもしっかり書いている水町さんの本と合わせて学ぶと効果満点でしょう。「最初の1冊」というのは,2冊目以降は水町本のような本に行ってくれ,という意味もあるのかもしれませんね。タイパ時代ですから,300頁ほどをどんどん読み進めていくことができるのは,今の若者のニーズに合うように思います(しかも2000円という良心的な価格です)。もちろん,山形大学事件・最高裁判決のような最新の判例もきちんとおさえられています。難しいことが全然書かれていない平板な教科書とは違い,クオリティもばっちりなのです。

 

2023年1月19日 (木)

女性優位の時代か

 まだまだ日本社会は,男性優位なのでしょう。しかし,着実に女性の時代は近づいていると思います。男性中心の組織には,女性がまだあまり進出していないので,なんとなく女性の社会進出は遅れているとみられがちですが,実は,男性中心の組織などには魅力がないので,優秀な女性はそこには集まらず,別のところで活躍している可能性が高いのです。フリーランスで活躍しているのは,女性のほうが多いでしょう。かりに男性に評価されて登用されている女性が増えても,真の女性の進出にならないと思います。デジタル時代に広がる新たな領域に,優秀な女性がなだれ込んで,社会を変えていく,そんな予感がしています。
 ところで,二人の男子学生とコミュニケーション能力について,雑談めいた話をしていたとき,二人とも塾アルバイトで小学生に教えているそうなのですが,コミュニケーション能力は圧倒的に女子が高いと言っていました。でも,コミュニケーション能力って,何をコミュニケーションするかが大切だよねと言うと,話している内容のほうも女子のほうがよいというのです。内容がよくて,伝える力もあれば鬼に金棒です。どうしてそうなるのかは,よくわかりません。塾に来るような小学生なので,サンプルが偏っているかもしれません。しかし,なんとなく一般的な傾向を示しているのではないかという気もします。ロボットが広がることにより,男性が体格や体力などの面での有利さを発揮しづらい時代が来るのであり,将来的には男性を差別するなという運動が起こる可能性も十分にあります(私がよく書いていることです)。
 父のいろいろな整理の手続で,多くのところ(役所やそれに近いところが多いのですが)に電話をする機会があるのですが,そういうときでも女性のほうが,ちょとした配慮をしてくれるケースが多いように思います。「気が利く」ということです。こういうのもコミュニケーション能力なのだろうと思います。私は,「気が利く」というところから最も遠いところに存在していると思うので,「気が利く」サービスができる人は尊敬してしまいます。男性でも「気が利く」人はいくらでもいるのでしょうが,女性は,小さいときから,男性よりも,周りの友だちとうまくいくことに神経を使い,そのためにコミュニケーション能力を磨いてきているかもしれず,そうだとすれば,これは訓練の蓄積が違うので,男性は簡単には追いつけないことになりそうです。
 コミュニケーション能力を活用した仕事は,AI時代においても残る可能性が大きいです。チャットボットではできない「気が利く」対応も,人間だからこそできることです。この仕事の領域を,女性に制覇されてしまうと,男性には厳しいことになるでしょうね。

2023年1月18日 (水)

忌中の私?

 リモート教授会が割とはやく終わったので,そのあと,近所の八幡神社に行ってきました。今日から厄除大祭なのです。夕方前だったので,それほどまだ人は出ていませんでした。忌中に神社へ参拝することはタブーだそうですが,忌中とはいったい何日間を指すのかよくわかりません。四十九日と書いているものが多いですが,仏教徒ではないので,これにこだわる必要はないと思っています。そもそも忌中やら喪中やらも気にしていないのですが,いちおう30日が経過したので,OKと解釈しました。
 神社には厄年を書いた看板がありました。昭和38年生まれの人は厄年でした。そして,これで厄年は終わりということです。昔は,これくらいの年齢になると,もう老い先が短く,何かあればそれは寿命ということで,厄払いの必要もなかったということなのでしょうかね。私は厄払いのようなことはしませんが,厄年は体調に変化が出やすい年なのだろうと解釈し,用心しようと思っています。
 神社では,コロナ後は出ていなかった屋台が出ていました。お参りというよりも,むしろ屋台という季節の風物詩を見物するような気分で出かけました。ベビーカステラを買いましたが,結構な値段ですね。昔はお面とかも売っていましたが,今日は売っていませんでした。
 八幡神社は,落ち着いた雰囲気で,個人的には好きな場所で,よく行きます。だからもし忌中で「穢れた」私が参拝して,神さまにご迷惑をかけていたとすれば,とても申し訳ないです。今度行ったときに,念のために,お詫びをしておこうと思います(そのときも,まだ「穢れて」いたら,どうしようと不安ですが)。

2023年1月17日 (火)

震災と谷川王将の防衛

 あの震災から28年経ちました。先日,谷川浩司17世名人の話が,NHKのニュースで紹介されていました。谷川さんも震災にあい,自宅が被害を受けて,被災者として避難して人々に助けられたそうです。そういうなかでも,将棋ができる喜びを感じ,神戸の人のために戦ったと言っておられました。あのとき谷川さんは王将のタイトルホルダーでした。ちょうど1月のこの時期は王将戦です。いまも藤井聡太王将(五冠)と羽生善治九段がタイトル戦を戦っています。28年前も羽生九段(当時は六冠)が挑戦者でした(羽生さんはすごい)。羽生六冠は,当時,空前の記録である七冠目前で,その勢いからして七冠実現の可能性は濃厚でした。この年度,羽生さんは,名人と竜王を奪取しすでに六冠となっており,その間に棋聖と王座で,谷川王将の挑戦を退けていました。谷川ももちろんトップ棋士でしたが,羽生さんがその前に立ちはだかっていたのです。この流れからすると,王将戦の挑戦者となった羽生六冠が,残された最後のタイトルである王将を奪取する可能性が濃厚でした。しかし,フルセットの末,谷川王将がタイトルを防衛しました。震災をはさみながらのタイトル防衛に,多くの人は感動しました。
 次の1995年度(1995年4月からの1年間),羽生六冠はすべてのタイトルを防衛し,再び王将戦の挑戦者になりました。他の棋士は何をしていたのかと言いたいところですが,羽生六冠は現在の藤井竜王(五冠)以上の勢いがありました。震災から1年後の1996年,再び両者が相まみえることになった王将戦は,結局,羽生六冠のストレート勝ちで,同年2月14日に史上初の七冠達成となりました。
 それでも,その前年,当時の羽生のすさまじい勢いを,震災下の谷川さんはかろうじて食い止めて,1995324日に大激戦の末に防衛をはたした谷川さんの勝利は,多くの人の記憶に深く刻まれていることでしょう。

2023年1月16日 (月)

世界共通の賃金制度

 グローバルに展開している企業において,国内外関係なく社員の賃金制度を共通にするということが,113日の日本経済新聞で紹介されていました(記事自体は,焦点のはっきりしないものでしたが)。ユニクロがその代表例で,その結果として,国内の社員の賃金が大きくアップすることになるようです。一般に,賃金のアップは,本人のモチベーションを高め,有能な人材のリテンションに役立つでしょうが,それと同時に,将来的には賃金相当の働きになっていなければ解雇や降格なども行われることになるでしょう。これは,最近流行のジョブ型に整合的な働き方といえます。賃金をジョブに連動させると,どの国で働いていようが,同じジョブなら同じ賃金となります。これに地域に応じた手当なども付加しないとなると,これこそ同一労働同一賃金の世界になるでしょう。同一労働同一賃金は,法律により実現するのではなく,こういう賃金制度のグローバル化に応じて実現していくものだというのが私の主張です。法が人為的に介入すると,副作用が起きてしまうのです(拙著『非正社員改革ー同一労働同一賃金によって格差はなくならない』(2019年,中央経済社)も参照)。
 ところで,いまやジョブ型とはいえば日立というくらい日立製作所は,ジョブ型の代表的企業という位置づけになっているようです。経団連の前会長で日立出身の中西宏明氏の言葉を,私は『デジタル変革後の「労働」と「法」』(2020年,日本法令)の冒頭に日本型雇用システムの変革を象徴するものとしてとりあげていました。この企業は,そういう改革マインドが強い企業なのでしょう。ただ,これはまだ国内では例外的であり,もう少し保守的な企業にまでこの波が及んできて,はじめてほんとうに日本企業も変わったということができるのでしょうね。
 

 

2023年1月15日 (日)

成人式について

 昔は,小正月と成人の日は重なっていました。個人的には,小正月といってとくに何かした記憶はなく,また成人式にも参加しませんでした。いまはハッピーマンデーのため,成人の日は1月の第2月曜となったので,両者は一致しなくなりました(今年は1月9日)。しかも成人の日やその前後に行われることが多い成人式は,成年年齢が18歳に引き下げられたので(民法4条),「20歳を祝う会」などに名称変更されているようです。つまり18歳の成年になったことのお祝いではなく,20歳のお祝いを維持するということです。ちなみに,神戸に住む私たちにとって,このあたりの時期で最も重要なのは,17日の震災の日のほうです。
 ところで,裁判員には18歳になると選ばれるなど,選挙権付与も含め,やはり18歳こそが,大きな境目となる年齢といえそうです。自治体が成人式のようなことを主催するのなら18歳でやったほうがよいでしょう。18歳になるにともない,公的な活動に参画し,またそれにともなう責任も発生することになるので,新たに私たちの社会を支える一員が増えたことをお祝いし,同時にその自覚をもってもらうけじめの場として成人式を実施するのなら,公費を使って挙行するのに意味があると思います。単なる同窓会的な成人式も多いですが,そういうものなら公費を使うべきではないでしょう。成人式は,やるのなら18歳でやるべきでしょうね。もっとも成年を引き下げたことが適切であったかは,また別の問題です。この点については,私はかつては批判的で,むしろ引き上げたほうがよいのではと思っていたくらいですが,最近の若者はしっかりしている人が多いような印象があるので,18歳でもよいかなと考えを改めつつあります。

2023年1月14日 (土)

円滑化協定

 岸田首相は,今回の外遊中,イギリスとの間で,「円滑化協定」を締結しました。「円滑化」とはなんぞやと思い,調べてみると,これは「facilitation」の訳でした。何を「facilitation」するのかというと,この協定の略称は,「日英部隊間協力円滑化協定」であることからわかるように,「部隊間の協力」の円滑化です。「部隊」とは何かというと,これはこの協定の正式名称をみればわかります。正式名称は,「日本国の自衛隊とグレートブリテン及び北アイルランド連合王国の軍隊との間における相互のアクセス及び協力の円滑化に関する日本国とグレートブリテン及び北アイルランド連合王国との間の協定」です。実質的には,軍事協定ということです(自衛隊を軍隊と呼ぶかは議論がありますが,他国からは軍隊とみられているでしょう)。同様の協定は,すでにオーストラリアとの間でも結ばれています。この協定はRAAと略称されることもありますが,それは「Reciprocal Access Agreement」の略称であり,「相互アクセス協定」という訳になるでしょう。「日英軍事相互アクセス協定」くらいの呼び方をすべきで,「円滑化協定」という「無色」な略称を使うのは,何らかの政治的意図を感じてしまいます。
 ウクライナ戦争や中国・台湾問題などから,日本の安全保障をめぐる状況は大きく変わりつつあるということですが,岸田政権の軍備増強への前のめりの姿勢には不安がないわけではありません。平和ボケと言われるかもしれませんが,日本がG7の一員でいることの意義は,アジアの国であることにあるのであり,西洋的な価値観にすり寄り,それに迎合するだけでは日本の存在意義はありません。たんにアメリカの対中国戦略の駒になりさがるだけです。日本の置かれている地政学上の位置を十分に踏まえ,日本ならではの戦略を提示していくべきだと思います。それは直ちに中国融和策や親中政策をとるべきということではないのですが,軍拡競争に乗ってしまうのには,どうしても抵抗があるのです。タモリの「新しい戦前」発言が話題になっています。彼の真意はよくわかりませんが,感覚的にはよくわかります。だから具体的にどうすべきかは,私もよくわからないのですが,ただ岸田政権が,どこまで深く考えて軍拡路線に走っているのかが,これまで他の分野で地に足のついた政策を展開してこなかっただけに気がかりなのです。安全保障問題を正面にかかげて総選挙をしたほうがよいかもしれませんね。

2023年1月13日 (金)

少子化対策

 岸田首相は,その言葉は撤回したのかもしれませんが,多くの人が違和感を覚えたであろう「異次元の」少子化対策。岸田さんは,大言壮語が多いようです。「新しい資本主義」もそうです。とりあえず何かやっている感を出して,詳細は後付けで考えるという杜撰な政策が多いのではないでしょうか。
 それにしても,「異次元」というのは,日銀の黒田総裁の金融政策の「異次元緩和」が失敗に終わったとみられているなかで,また同じ「異次元」という言葉を使うセンスの悪さには,あきれてしまいます。
 ところで,日本経済新聞の15日の「エコノミスト360°視点」で,中空麻奈氏が,少子化対策として,①経済支援の見直し,②育児休業の柔軟性の向上,③教育の改革,④現物給付の一環としての住居費の負担(住宅の提供)を挙げていました。
 ②については,「真に必要な育休は夫婦の一方がピンチの時に,機動的に取れるものではないか。男性育休の取得率という数値だけを競うような風潮には違和感を覚えてしまう」と書かれています。通常の勤務態勢において育休を機動的にとれるようにすることは,かなり難しいような気もします。テレワークの推進が,この問題の解決にも有効でしょう。男性の育休取得率の数値争いの不毛さについては同感です。
 ③は教育費の負担のことのようです。主張内容には,よくわからないところもあったのですが,教育費を引き下げることは,この国の教育の重要性という観点から必要な政策であり,少子化とは無関係に進めるべきでしょう。
 ④の住宅提供は重要です。今後,空き家が増えていくことも予想され,住宅状況は改善する可能性もあります。「空き家をリノベーションし,子育て世帯に格安で貸し出すのはどうか」というのは面白い提案です。
 エコノミストの方の話なので,全般的にお金の話が多くなっているのですが,それに乗って言うと,不妊治療への助成が重要でしょう。不妊の人が増えていると言われていますが,不妊治療の費用はものすごく高いようです。助成金は,最近導入されていますが,それをより拡充して,子どもを欲している人が,もっと子どもを持ちやすくする施策は,少子化対策に効果的だと思います。子どもを欲しようとする方向へのインセンティブよりも,子どもをすでに欲しようとしている人が,お金の問題で不妊治療の開始や継続を断念したりしないですむようにすることのほうが,施策に無駄はなく,効率的な気がします。不妊治療は現実にはお金持ちしかできないところもあり,贅沢なことというイメージもありますが,それが誰にでもできるようにすることが大切なのです。

2023年1月12日 (木)

棋士のマスク問題

 かつての羽生(ハブ)キラーで「マングース」と呼ばれた日浦市郎八段が「鼻だしマスク」で反則負けとなりました。順位戦(C1組)なので,大きな棋戦でしたが,本人は確信犯だったようです。ただルール違反として警告を受けていたにもかかわらず,従わなかったということで,ルールの執行上はとくに問題はないとみられるものでした。この点で,佐藤天彦九段がA級順位戦で,永瀬拓矢王座との対局で,警告なしの一発レッドカードを受けたのとは違うところです。日浦八段は裁判をすると言っているという報道もありましたが,もしそうなると裁判所はどう扱うのでしょうか。
 裁判所法31項は,「裁判所は、日本国憲法に特別の定のある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判し,その他法律において特に定める権限を有する。」と定めていますが,判例上,「部分社会の法理」というものがあり,たとえば政党の党員の除名処分の有効性について,最高裁は,「政党の結社としての自主性にかんがみると,政党の内部的自律権に属する行為は,法律に特別の定めのない限り尊重すべきであるから,政党が組織内の自律的運営として党員に対してした除名その他の処分の当否については,原則として自律的な解決に委ねるのを相当とし,したがって,政党が党員に対してした処分が一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り,裁判所の審判権は及ばないというべきであり,他方,右処分が一般市民としての権利利益を侵害する場合であっても,右処分の当否は,当該政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限り右規範に照らし,右規範を有しないときは条理に基づき,適正な手続に則ってされたか否かによって決すべきであり,その審理も右の点に限られる」と述べています(最高裁判所第3小法廷判決19881220日)。最近では,地方議会議員の出席停止処分について,部分社会の法理を適用して司法審査を否定していた従来の判例を変更して,司法審査の対象とするとした判決も出ています(最高裁判所大法廷20201125日判決)。除名処分のような場合はさておき,対局のルール違反についてのペナルティについては,「法律上の争訟」と認められない可能性もありますね。
 さて,佐藤天彦九段のほうは連盟に対して不服申立てをしているようですが,その結果がどうなったかはよくわかりません。昨日は,A級順位戦で佐藤康光九段との激戦を制し,2勝5敗となりA級残留に可能性を残しました(昨日,敗れて1勝6敗となった糸谷哲郎八段との間の残留争いになりそうです)。一方,敗れた康光九段のほうは,0勝7敗でB級1組に降格が決まりました。おじさん世代の最後の砦でしたが,A級に残留することは,やはり難しかったですね。

2023年1月11日 (水)

移住者を集めるよりも……

 昨日の過疎の話の続きですが,ICTを活用すると,仕事の問題だけでなく,そこで住んでいくうえで重要な医療や教育の問題も解決できます。オンデマンドバスなどにより,公共交通機関の問題も解決できるでしょう。そうなると良好な自然環境などに囲まれるというメリットが大きくみえそうです。ただ,これは都会人の幻想であり,実際には,地方には様々な習慣(因習)があり,プライバシーはなく,生活しづらいことも多いようです。地方というのは静かな場所というイメージもありますが,鳥の声,その他の動物の声,海の波,風,川の流れの音などは意外にうるさく,慣れていなければ睡眠を妨げられてしまうこともあるようです。現実は甘くないのであり,誰もがそう簡単に地方の生活にフィットできるわけではないのでしょう。村おこしは,ICTなどの技術的な面だけでなく,地方の人と移住を考える都会の人の双方の意識のすりあわせがうまくいかなければ成功しないものかもしれません。
 こう考えると,過疎地では,住む人を集めるのではなく,むしろ旅行者を集めることで村おこしをするほうがよいのかもしれません。外国人は,日本にしかないみられない物を観に来ているのであり,最初の訪問地は京都や奈良かもしれませんが,リピーターとなると,日本の鄙びた村を訪問する人も多いでしょう。私がイタリアの田舎の町に行きたがるのと同じです(Milanoの友人に,SiciliaCastelmolaに旅行したと言ったとき,「なんでそんなところに行ったんだ」と怪訝な表情をされました)。一時滞在者に来てもらってお金を落としてもらい,それでインフラを整備して,その地方に住んでいる人も持続的に生活できるようになるというのが,理想的なのかもしれませんね。

2023年1月10日 (火)

学校の重要性

 今日の学部の授業で,過疎地出身の学生が,過疎問題の解決にテレワークはどこまで有効かというテーマで報告をしてくれました。テレワークによって,勤務場所が多様化することは間違いないのですが,それによって地方の過疎問題の解決ができるわけではなく,報告者の主張は,むしろ小学校をきちんと整備することが地方に移住者を呼び込むために必要というものでした。これについては,他の学生から,過疎問題の解決において,学校の充実は優先度が高いものではなく,もっとやるべき政策が他にあるのではないかという(当然の)批判もありました。それに対しては,学校はいったん廃校にされたらもう復活できないので,なんとか廃校されないようにすることが優先度の高い課題であるという反論がなされました。
 私が驚いたのは,学生が出してくれた文科省の「公立学校の年度別廃校発生数」のデータです。これほど廃校があるとは知りませんでした。背景には,少子化や市町村合併があるようですが,公立学校がこれだけ減少しているのは,ちょっとショックです。
 17日の日経新聞の夕刊の「廃校が変身,集客の一翼」という記事では,「廃校が集客施設や工場に生まれ変わっている」ということが紹介されていました。廃校はやむなしだが,それをうまく利用して地域活性化をすればよいということなのでしょうが,それよりも学校が減ること自体のデメリットをもっと真剣に考えるべきだというのが,報告した学生の問題意識だと思います。集客施設や工場ができると,人は集まるので,そうなると生徒も増え,学校も減らなくなるのではないか,とも言えそうですが,そのシナリオがどこまで当てにできるかは不明ですし,それによって元の町や村が,変貌してしまう可能性があることをどう考えるべきかという問題もあるようです。
 他方で,日本経済新聞の15日の朝刊の「大機小機」では,吉田茂の「日本を決定した百年」という論考をとりあげて,「『現在でも田舎を旅行すると,小学校の校舎が村で一番よい建物であることが多い』『政府に参加しなかった知識人の多くは私立学校をつくって教育にあたった』とある。教育を重んじたことが日本の近代化の大きな特徴であったことを指摘している」と書かれています。
 こうみると,国力を支えるのは教育であり,学校の存在はまさに教育の重要性を象徴するものなのです。それが次々と廃止されていくことに危機感をおぼえた学生の主張は,傾聴に値するものといえるでしょう。

2023年1月 9日 (月)

王将戦始まる

 藤井聡太王将(五冠)に,タイトル通算100期がかかる羽生善治九段が挑戦する王将戦が始まりました。後手の羽生九段が一手損角換わり戦法を採用しました。羽生九段は将棋は先に攻めたほうが損をすることが多いと,どこかで書いていました。後手の一手損角換わり戦法は手損となりますが,羽生九段はそれをあまり気にしていないのかもしれません。いずれにせよ,最近あまり指していなかった戦法だそうで,藤井五冠は驚いたことでしょう。1日目は互角でしたが,封じ手のときには,やや羽生九段が指し手に困る状況であったようです。封じ手は3七に歩を垂らすもので,と金をつかった着実な攻めを狙ったのでしょうが,藤井王将はこれを相手にせずに先手陣に駒を打ち込んで攻めていきました(3七歩は投了図 でもそのまま残っていて,結局,藤井王将はこの手を緩手にしたということです)。ただ,藤井王将が飛車を見捨てて,金と桂を得るという二枚替えをしたあたりは,AIの評価値では羽生九段がわずかに有利でしたが,その後は徐々に藤井王将が優勢を築きました。羽生九段は角を桂を交換する駒損をしながらも,必死に藤井王将の玉に迫りましたが,AIの評価値では形勢はかなり開いていました。最後は,藤井王将は,最速の攻めで羽生玉を寄せてしまいました。藤井王将の快勝といってよいでしょう。始まったばかりですが,羽生九段にとっては,厳しい戦いとなりそうです。
 藤井五冠は,2月には10期連続で棋王のタイトルを守っている渡辺明名人に挑戦するタイトル戦も始まります。忙しいですが,若いので対局が多い方が調子を維持しやすいかもしれません。渡辺棋王とは対戦成績もよく,6冠のチャンスは十分にあります。A級順位戦も残り3局を残すところで,ついに単独トップに立ちました。こちらでも渡辺名人への挑戦が近づいており,7冠も視野に入ってきたといえます。

2023年1月 8日 (日)

春節がこわい

 今日は,この時期にしてはかなり暖かい一日でした。三連休ですので人出もあったことでしょう。しかし,やはり気になるのはコロナです。
 感染症のことをしつこく書きますが,昨日は,中国に対する西欧人の批判を批判したのですが,だからといって中国政府のやっていることに賛同しているわけではありません。ゼロコロナ政策をやめて移動を自由化するのは結構ですが,春節の時期というタイミングでこうした政策転換をし,結果として,中国から日本に旅行者が大挙してやってくるのは,困りますね。報道では21億人の移動があり,海外旅行希望の人も多いようです。日本はオーストラリア,タイに次いで人気があるそうです。インバウンドに期待している観光業関連の人にとっては朗報でしょうが,多くの人は心配しているのではないでしょうか。中国人も症状があればさすがに海外旅行はしないでしょうが,感染していても無症状であることはよくあるので,そうなると自覚しないまま,ウイルスをまき散らすことになるのです。私たちは,3年前の教訓を忘れてはなりません。
 政府は水際対策を強化するようです。新たな変異株の話もあるので,迅速にかつ効果的な対応を期待します。

2023年1月 7日 (土)

感染症と向き合う

 コロナウイルスについては,中国の武漢が起源であるということで,西欧人は中国に対して批判的な目を向けてきたように思いますが,たとえばインカ帝国が滅亡した原因をみると,それは西欧人が持ち込んだ天然痘などの感染症だと言われているのです。決して西欧文明が当時の中南米に栄えていた文明(マヤ,アステカなど)より高度であったから征服できたわけでありません。先に感染症にかかっていて免疫をもっていただけの違いなのです。もちろん,だからといって原住民が自滅したというべきではなく,やはり西欧人が,それが自覚的であったかどうかはともかく,感染症をもちこみ,それを利用して,他地域を征服したことは間違いありません。
 西欧人の蛮行はさておき,ここで言いたいのは,感染症は,文明や社会に壊滅的な影響をもたらしうるということです。現在のコロナウイルスとは,なんとか共存していけそうではありますが,また新種の強力なウイルスが出てくるおそれはあります。
 感染症のもたらす破滅的な状況は,14世紀のペストを経験している西欧人にとっては,まさに地獄をイメージさせるものであったようです。少し前の映画「Inferno」は,Danteの神曲の地獄編(Inferno)と,感染症による死者増大という地獄絵図を重ね合わせたような内容になっています(それとは別に,Firenzeの景色がいっぱいでてきて懐かしいです)。映画のなかでは,ある富裕な遺伝学者が,このままでは人口増加で多くの人が貧困になるとして(あのマルサス[Malthus]の人口論を想起させます),子孫のために,現在の犠牲はやむを得ないという考え方に基づき,感染症による人口減少をもくろみ,そのためのウイルスも完成させていました。WHO(世界保健機構)との戦いとなります(この映画はミステリー仕立てなので,ネタばれになるので,これ以上は書きません)。
 富裕層が自分たちの食料を確保する目的で,人口を減少させるためのウイルスを開発し,先に自分たちだけのためにワクチンや治療薬を開発したうえで,いっせいに世界にばらまくというような恐ろしい計画が実行されたら,どうしましょう。免疫がない状況でウイルスをばらまかれたら,かつてのペストのように,人々はバタバタと死んでいくでしょう(ちなみに,厚生労働省のHPで,「生物兵器テロの可能性が高い感染症について」というサイトを見つけました)。 
 ペストで多くの人口を失った西欧は,旧来の社会秩序が崩壊し,農奴制が崩壊し,宗教ではプロテスタントが生まれ,文化ではルネサンスが誕生するきっかけとなりました。戦争や革命では実現できないような大きな変革が起こったのです。だからといって,感染症が望ましいわけではないのは,言うまでもありません。
 いずれにせよ,感染症から逃れることはできないのであり,これとどう向き合うかを考えるためにも,人類の歴史を振り返り,人類がどのように戦ってきたかを知る必要はあるでしょうね。

 

2023年1月 6日 (金)

授業開始

 本日から授業が始まりました。大学に行くのも,新年はじめてであり(前日の会議はオンライン参加でした),そこにも年賀状が届いていました。個別にお返事はしておりませんが,どうもありがとうございました。最近は大学に届く年賀状もかなり減ってきており,それは私の人脈が縮小しているからかもしれませんが,年賀状じまいをしている人が,私の周りでも増えているからかもしれませんね。
 私の場合は,著書を送ったり,送られたりする関係が,年賀状に代わる近況報告のようなものです。人それぞれのやり方があってよいのだと思います。ただ,これだと毎年ということにはならない可能性が高いです。そこで,年賀状を,WEBにアップして,親しい人にURLを送って近況を報告するというようなことをやっている人もいるので,私も導入しようかなと考えています。
 そういえば,今年は初めて甥と姪にPayPayでお年玉を送りました。まだ未成年なので親(私の妹)のアカウントに送りました。彼ら・彼女らが成人するまでは,この方式にしようかなと思っています。電子マネーの活用は,初詣のお賽銭においても,今後は広がっていくのではないかと思います。そもそも財布を持ち歩かない人が増えているので,お賽銭のためだけに財布をもっていくことはしないのではないでしょうか。スリにあう危険もありますし。
 私の場合,近所で現金が必要となるのは,パン屋さんだけです。いつもレジで時間がかかるので(パンを扱っている人が,いちいち手袋をはめてお金を扱うというようなことをしているので,時間がかかるのです),電子決済を導入したほうがよいのではと余計なことを言ったのですが,「そういうことは考えていません」とにべもない返事でした。良い店なのですが,将来性は厳しいかもしれません。
 ところで,今日は,学生が自動運転者の事故があった場合の法的責任はどうあるべきかというテーマで報告してくれました。現時点では実用化はレベル3までですが,レベル4となると状況はがらりと変わり無人運転の世界に入っていきます。レベル4やレベル5となると,運転の主体はAIとなるため,事故の際に誰が責任を負うのかが大きな問題となります。学生は,現行法の状況を確認したうえで,製造者と利用者が責任をシェアできるような保険システムを構築すればどうかという提案していました。自動運転はそれに固有の問題もありますが,それにとどまらず,AIと共生する社会をどうデザインするかということを考えるうえでの格好の素材でもあります。授業は,報告の内容よりも,仮説と検証と結論という報告の形式を練習することを目的とするものなのですが,今回のテーマは,形式の練習をするだけではもったいない深い内容をもつものでした。

2023年1月 5日 (木)

小塩さんの論考に学ぼう

 昨年1221日の経済教室に,小塩隆士さんの「あるべき社会保障改革(上) 支え手増加の勢い 後押しを」が掲載されていました。社会保障財政の支え手として高齢層が貢献しているというデータを示し,少子化対策のような,時間もかかり効果も不明な政策に頼るよりも,「人々が支え手として無理なく社会に貢献できる仕組みを構築することだ」という提言は,きわめて重要だと思います。「年齢とは関係なく,負担能力に応じて負担を求め,給付も発生したリスクへの必要性に応じたものとするという方針が基本となる」のであり,「将来世代に不要な負担をかけないためには,世の中の支え手を増やし限られた財源を大事に活用するという,よく考えれば当たり前のことを意識的に進めるしかない」というのは,よくかみしめておくべきことだと思います。フリーランス政策も,支え手を増やす政策の一環として位置づけるべきであり,またフリーランスへの社会保障も,雇用や自営に関係なく,応能負担と必要性に応じた給付をするという制度設計を構築する方向のなかで,検討が進められるべきだと考えています。
 政府は,経済学者の意見をよく聞きながら政策立案をしてもらいたいものです。

2023年1月 4日 (水)

Withコロナ

  今年はコロナとどう向き合うことになるのでしょうかね。マスクは着用するけれど,それほど恐れないで生活することになるのでしょうか。周りをみれば,「密集」は事実上解禁されていて,あとは個人の自覚ということになっているようです。
 振り返れば,当初は,「集団免疫」戦略を唱える人もいて,社会のなかで免疫をもつ人が多数になれば感染は収まるという意見もありました。イギリスも最初はその戦略でいきましたが,結局,集団免疫を獲得するまでに多くの犠牲者が出るので,社会的に受け入れられずに,行動制限という戦略に転換せざるを得ませんでした。ただ行動制限は,これを徹底すると中国のように国民から反発が出るし,半端にやると効果がそれほどでないままダラダラと続いてしまい,それはそれで国民から反発が出るので,政府は難しい判断が求められます。
 一方,医学的な対策は,ワクチンによる予防と薬による治療です。後者は現状において,どうなっているかよくわかりませんが,ワクチンはそれなりに効果はありそうです。
 またリスクのある行動をする際には検査を受けて、その結果をみてからというのが定着していると思いますが,そこで気になるのは検査結果の信憑性です。医学には感度と特異度という難しい言葉がありますが,感度は,感染者のうち,実際に陽性反応が出る人の割合で,特異度は逆に感染していない人のうち,実際に陰性反応が出る人の割合です。どちらも偽陽性,偽陰性がいるので,100%にはなりません。感度や特異度はPCR検査のほうが,抗原検査よりも高いとされているようです。
 感度の高い検査であれば,陽性の人を(余分に)識別できてしまう検査といえるので,それでも陰性反応が出れば感染していないと考えてよいのでしょう。また特異度が高い検査であれば,逆に陰性の人を(余分に)識別できてしまう検査といえるので,それでも陽性反応が出れば感染していると考えてよいのでしょう。PCR検査の感度は7割ほどで,特異度は99パーセントくらいであるという情報をみたことがありますが,ほんとうのところはよくわかりません(みなさんも各人で確認してください)。

2023年1月 3日 (火)

箱根駅伝

 今年も箱根駅伝を楽しみました。駒澤大学,優勝おめでとうございます。
 往路の1区は,学生連合の育英大学の新田が飛び出しましたが,それにはあまりかき乱されず,駒澤は2位,青学も,それほど遅れませんでした。2区は,駒澤の絶対エースの田澤廉でしたが,体調不良もあったようで,本来の走りではありませんでした。それでも区間3位の好タイムで,2位でつなぎました。中央大学は,吉居大和の区間賞の好走で,一気によい流れとなりました。3区も中央大学の選手が区間賞の好走ですが,駒澤も青学もついていきます。4区は,駒澤は準エースの鈴木芽吹ですが,青学の猛追をかろうじて振り切ってほぼ同着の1位でつなぎました。5区は,駒澤は1年生の山川で,中央の阿部が少しずつタイムをつめていきます。一方で,青学の脇田は当日エントリー変更ということで準備不足があったのでしょうか,大きく離されてしまいます。最終的には,山川が逃げ切って,駒澤の往路優勝となりました。中央も30秒差で十分に優勝を狙える位置ですし,青学は2分差ですが,復路に強力メンバーが残っているので,逆転の可能性は十分にありました。駒澤は区間賞をとった者は往路では誰もいなかったのですが,全員が区間4位までにまとめて,安定した走りをみせ,常に先頭争いをしており,チームとしての強さが感じられました。田澤のプチ不調も関係なかったということです。青学は山登りが誤算で,やはり箱根往路は山登りが重要ということですね。駒澤はここに1年生を配置して,その1年生が結果を出すのは見事です。
 復路は,山下りの6区は,青学が区間最下位の大不調で,一方の駒澤がここでも1年の伊藤が区間賞の大活躍で,ここで青学との差が7分に開き,青学は脱落しました。中央大学も区間2位ということで,大きく開いたわけではなく,ここからマッチレースとなりました。しかし,その後も駒澤大学は各区で区間5位以内の安定した走りぶりで,中央大学を寄せ付けず,逃げ切りました。これで,出雲,全日本に続き箱根でも勝ち,大学駅伝3冠を達成しました。出雲と全日本で活躍した1年生の佐藤圭太を使わないでの勝ちであり,層の厚さを見せつけました。箱根に勝つには15人くらい同じレベルの選手をそろえなければ難しいと言われますが,これは多くの大学では難しいことです。國學院もエースの1人が欠けたために4位とはいえ,結局,優勝争いには絡めませんでした。駒澤は,1年生というと佐藤が話題になってきましたが,今回の要所の山登りと下りで他の1年生が活躍したことなども考えると,来年の100回記念大会でも優勝の最有力候補となるでしょう。ただ,中央も復活した印象ですし,実力のある青学や國學院ももちろんチャンスはあると思います。
 天候に恵まれた今年の箱根駅伝は,とくに往路は見所が多く,楽しませてもらいました。来年は全国の大学が予選会に参加できるそうなので,関西勢の大学が箱根を走ることもあるかもしれません。

2023年1月 2日 (月)

紅白歌合戦

 年末は,紅白歌合戦を,ダラダラと全部観てしまいました。それにしても,司会の一人の橋本環奈の圧倒的な存在感に驚きました。本人は歌も踊りもみせてくれて,歌手たちから完全に主役の地位を奪っていました。最初から最後まで彼女から目が離せなかったですね。すごいタレントがいたものです。一方,歌手のほうはどうかというと,演歌歌手がきちんと歌わせてもらっていないな,という印象をもちました。もっとも,さすがに石川さゆりは例外です。彼女の「天城越え」を聴かなければ年を越せないというくらいの国民的名曲ですからね(歌詞は,かなり強烈な内容なのですが)。一方で,女性陣は国籍不明で同じような歌を同じような踊りをしているグループが何組も出てきたのでびっくりしました。○○坂46は,これに比べると,少しおぼこい感じがしました。もちろん,おじさんが喜ぶような歌手も登場していて,鈴木雅之,安全地帯などはよかったし,ちむどんどんの主題歌の三浦大知の燦燦もよかったです。サプライズは,篠原涼子の曲のときに,ピアノ演奏をしながら控えめにハモっていた小室哲哉でしたね。小室メロディが久しぶりに紅白で聴けてよかったです。加山雄三もあの年齢であそこまで声がでるのはさすがでした。昨日も書いたユーミンが,若かりし頃の荒井由実とデュエットするのは,AI時代の紅白を先取りするもので,これも企画が素晴らしかったです。
 ただ,個人的に一番よかったのは,桑田佳祐らの「時代遅れのrock'n'roll band」でした。曲を初めて聴きましたが,歌詞がとても深い内容で共感できました。ほんとうは全然「時代遅れ」ではないし,本人たちも本音ではそう思っていないと思います。でも若い人たちをリスペクトして,ちょっと引いた感じで「時代遅れ」と言っておこうということなのでしょう。
 大切なのは,自分たちのことより,次の世代を担う,自分たちの子や孫のことです。戦争は,ほんとうに愚かなことです。戦争のために,私たちが次の世代に何も残せないのではないかという不安が広がっています。桑田さんらの世代は,戦争は知らないけれど,戦争の悲惨さは知っている世代でしょう。私も少し下の世代ですが,ほぼ同じです。彼らは,軍靴の音が聞こえ始めている現代に,自分たちは小さくても(彼らはほんとうは小さくないのですが),何かできる方法で平和と希望を訴えたいし,みんなも何か行動を起こすことが大切なのだ,ということを言いたかったのではないかと思っています。

2023年1月 1日 (日)

新年にあたり

 「年賀状じまい」をしてから,もう何年も経ちます。世間でも同じような人が増えているようです。いただいた年賀状に返事を書かないのは,なんとなく不義理をしている感じがして落ち着かないのですが,もう何年も前から公言しているので,それでも送ってくださる方は,別に構わないと考えてくださっているのでしょう。もちろん,いただいた年賀状は,返事をしていないとはいえ,しっかり読ませてもらっています。
 「~じまい」というと,「墓じまい」も耳にすることが増えています。父についても,どうしようか思案中です。ただ,自分についてはどうかというと,何らかの形でデジタル供養になるような気がしています。墓はいらないが,デジタルツインとしてデジタルの世界で永遠の命を得るといった方法もあるので,そのための準備をしておくこともあるような気がしています。デジタルツインがいれば,自分の葬儀もデジタルツインが主催することがあるかもしれません。
 前に紅白歌合戦でAI美空ひばりが出たことがありました(昨日は,AI荒井由実が現実の松任谷由実と新曲についてデュエットする演出もありました)。こういうことが技術的に可能なのです。死後の世界を信じない者にとっては,むしろ自分の生きた証しを残すとか,あるいは遺族が故人のことをいつまでも思い続けたいという希望に応えることが重要なので,そうするとデジタルの世界でできるだけリアルに生き続けるという方法を選択することもありかなという気がしています。そうなると現実社会での葬儀はしないことになるかもしれません。
 そう簡単に現在の慣行は変わらないかもしれませんが,実際にもリアル社会での墓が永代供養に移行しつつあるなか,さまざまなデジタル技術を活用した方法に移行していくかもしれません。もちろんこれにはメリットやデメリットもあり,個人や家族の死生観にかかわるので,賛否両論があるでしょうが。
 いずれにせよ,死後の世界というのは,仮想空間と相性がよいように思います。生と死の連続性というのは,リアルと仮想の融合というのと似ている気がするのです。新年早々,墓とか葬儀とか書くのはどうかと言われそうですが,生きていくというのは,どのように死ぬかということと関係しているのだと思います。

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