« 自由意思とは何か | トップページ | 季刊労働法に登場 »

2022年12月14日 (水)

Musk流

 Elon Musk氏が,買収したTwitterの社員に,“work hard or leave” という趣旨のことを言ったようです。Hard workingがイヤなら会社を去れというのは,いきなりやってきた経営者に言われたら従業員はショックでしょうが,アメリカというのは,そういう社会だと思っていました。
 日本経済新聞の村山恵一さんが書いた「猛烈マスク氏の求心力は Twitterが問う会社の形」という記事(電子版では1212日)で,Musk氏の猛烈な働き方や部下に同様の働き方を求めることについて,「鼓舞された従業員が,EVや宇宙開発のビジネスを成長させる原動力になってきたのは間違いない」と評価する一方で,「社会的な意義があり,人生観と合致する仕事を追い続ける。そういう個人が台頭してきた。この構造変化にどう適応するか。多くの経営者が試行錯誤を求められる」と書いており,Musk流が必ずしもうまくいくわけではないことを示唆しています。
 個人的には,やりがいがあって楽しい仕事に「hard」に取り組めるのは幸せなことだと思っています。もちろん幸せは仕事以外にもありうるのですが,それでも仕事に幸福を感じられるのなら,それで問題はないでしょう。ただし,仕事偏重で,それに周りを巻き込むとなると,問題があります。働き中毒の部下になると,本人も家族も迷惑します。労働時間規制の根拠は,こうした「負の外部性」に求めることもできます。
 ただし現在は,こうした観点からの規制の必要性はなくなりつつあるかもしれません。若い人たちは,会社を選ぶでしょう。Hard work であっても,やりがいのある仕事ならやるという人は多いでしょう。Musk氏も,そういう人が残ってくれたら十分だと考えているのでしょう。結局のところ,働く側に,働き先について,十分な選択肢があれば,労働時間の問題は,経営戦略とそれについての労働者側からの選択の問題にすぎないのです。長時間労働の弊害は,辞めたくても辞められず,拘束的に働いているから出てくるのです。そうだとすると,できるだけ選択肢が広くなるように雇用流動型の政策を進めればよいのではないか,という発想も出てきます。
 企業にロックインされてしまうことは,これまでは安定雇用とセットであったので,必ずしもネガティブにはみられていなかったのですが,ほんとうは安定雇用がなくても,企業にロックインされないようにするためには,どうすればよいかということを,考えたほうがよいのかもしれません。諏訪康雄先生のキャリア権の議論は,そういう面からも注目されるものです。政府による副業の推進も,やはり特定企業にロックインされないために必要なことです。副業は,「それによって労働時間が長くなったらどうしよう」と考えるのが,伝統的な労働法の発想だとすれば,「企業にロックインされにくくから,積極的に推進しよう」というのが,新たな労働法の発想といえるかもしれません。
 さて,Musk氏が経営することになったTwitterは,ロックインの土壌があまりないアメリカでのことなので,あとは経営戦略の問題と言いやすいでしょう。もともと海外ではエグゼクティブは,猛烈に働いて,労働時間規制は,エグゼンプションですが,給料は桁違いです。だから,Twitter社でも,Musk氏についていく人は少なくないかもしれません(Twitter社の従業員の報酬がどれくらいかわかりませんが)。
 一方で気になるのは,Musk氏が,テレワーク反対派であることです。最先端の事業を次々と展開するMusk氏のイメージと,反テレワークという古風なところのギャップが面白いところです。

« 自由意思とは何か | トップページ | 季刊労働法に登場 »

つぶやき」カテゴリの記事