労災保険給付の支給処分の取消訴訟の原告適格
総生会事件で,東京地裁判決を維持した2017年9月21日の東京高裁判決は,労働保険の保険料についてメリット制の適用を受ける特定事業主が,労災保険給付支給決定の違法性を争うことができるかという,行政法上の「違法性の承継」と呼ばれる問題について,これを否定的に判断した際に,その理由の一つに,事業主は,労災保険給付支給決定の取消訴訟を提起する原告適格(行政事件訴訟法9条)があることに言及していました。それなら,実際に取消訴訟を提起すればどうなるかということで,やってみた事業主がいたのですが,原告適格は認められないとした東京地裁の判断が2022年4月15日に登場しました(あんしん財団事件)。ところで,その控訴審が先日(11月29日)出されて,地裁判断はひっくり返され,一転して,事業主の原告適格は肯定されました(差戻し)。おそらく上告されると思いますが,実は,この間に,厚生労働省で,「労働保険徴収法第12条第3項の適用事業主の不服の取扱いに関する検討会」も開催されていて,①保険料認定処分の不服申立等において労災支給処分の支給要件非該当性を主張することはできるが,②これが認められても労災支給処分自体は取り消されず,また,③労災支給処分に関する特定事業主の不服申立適格も認めないという線で,取りまとめをしようとしているようです。
これは,労災保険給付の支給決定により保険料の増額処分を受ける特定事業主の不服に配慮しながら,被災労働者や遺族の法的地位の安定性にも配慮するということなので,その気持ちは理解できます。ただ,先日の大学院の授業で,厚労省の上記検討会で提出されていた論点資料(今回の報告書案のベース)に基づき議論をしたときには,労働保険料の認定決定において,労災保険給付の支給要件非該当性が認められたとすると,たとえ支給決定は取り消されないとしても,不支給という判断がほんとうは正しかったという理解がなされかねず,民事損害賠償請求の判断に影響するかもしれない,という意見が出てきました。労災保険制度のなかでの法的安定性はあっても,もう少し広くみて民訴まで視野にいれれば,現行より労働者に事実上不利になる面があるということです。
ところで,あんしん財団事件の控訴審が,事業主に取消訴訟の原告適格を認める判断をだしたことから,厚労省の原案は,少なくとも③については裁判例とバッティングすることになりました。もともとは総生会事件の東京高裁の判断とあんしん財団事件の東京地裁の判断が正反対であったので,厚労省はあんしん財団事件(地裁)の線でいこうとしたのでしょうが,東京高裁レベルでは総生会事件とも判断が一致してしまったので,このままでは行政対司法の対立ということになってしまいます。労災保険給付の不支給決定における取消訴訟において,事業主に補助参加を認める最高裁判決(レンゴー事件・2001年2月22日)があるのですが,報告書案は,「補助参加の要件である法律上の利害関係と,不服申立適格等に関する要件である法律上保護された利益は異なるものである」として,同判決の先例性を否定しています。ただ,これはやや苦しい説明であるような気もします。
労災保険制度において,事業主に支給決定についての取消訴訟の原告適格を認めるのは,(レンゴー事件・最高裁判決からロジカルに考えると予測できないものではなかったものの)労働法実務のこれまでの常識からすると,天地がひっくり返るほどのショッキングな判断です。その点で,厚生労働省の報告案③のスタンスは理解できるところです。ただし,最高裁であんしん財団事件の控訴審判決が支持されてしまう可能性は十分にあり,そうなった場合にそなえてプランBも考えておく必要があるでしょう。事業主の原告適格を認めることの問題点がどこにあるのかを理論的に精査したうえで,その問題点にできるだけ対応でき,被災労働者や遺族の救済という労災保険の機能が損なわれないようにするためには,どうすればよいかについて,知恵を絞ることが必要です。いずれにせよ,報告書案で,何が何でも突っ走るという玉砕戦法は危険でしょうし,立法してしまえばよいという乱暴なことは考えないほうがよいでしょうね(もちろん①についても,ほんとうにこれでよいのか,という点も,議論の余地があるでしょう)。
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