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2022年12月の記事

2022年12月31日 (土)

1年を振り返る

 今年は忙しい1年でした。基本的には在宅ワークでしたが,節約できた移動時間は,公私の種々のことに振り向けられた感じで,決してゆっくりできたわけではありませんでした。健康面では,運動量の減少はかえって身体に悪かったかもしれませんが,感染症への意識が高まったおかげでしょうか,病気知らずでいることができたので,その点では良かったともいえます。
 執筆活動という面では,最近のなかでは最も出版数が少なかった年かもしれません。『最新重要判例200労働法』(弘文堂)の第7版の刊行だけでしたが,でも十分に満足しています(電子版も出ましたし,これから重版も出ます)。
 それでは,充電の1年だったかというと,そうでもなく,少し長いものから,短いものまで,ちょこちょこ書きました。とくに10月以降は,かなり締め切りが集中していました。ちょうど父が最後の入院となったのが10月上旬だったので,ある意味では病院に任せきりになるので楽になったのですが,同時にいろいろと心配も高まったので,プラス・マイナスは相殺されました。
 数年前から,高齢の親を抱えているため,いつ何があるかわからないということから,そのときに対応できるように,締切のある原稿は早めに仕上げるとか,連載している「キーワードからみた労働法」も,早めに書き上げたり,ストックをつくっておいたりする準備をしていました。ということで,原稿の遅延などはなかったと思います(提出を締切日から少し延ばしてもらったものはありましたが)。
 今年,準備を進めた仕事もあり,来年あたりは,活字になるものが今年よりは少し増えそうです。それと同時に,いろいろ新しいテーマにも取り組んでおり,そのためにも,アウトプットだけでなく,しっかりインプットをしていかなければならないと思っています。
 今年も,多くの人にお世話になりました。一人ひとりの名前は挙げませんが,感謝しかありません。来年が皆さんにとって,良き年になるようお祈りしております。

2022年12月30日 (金)

荒木尚志『労働法(第5版)』

 荒木尚志先生から『労働法(第5版)』(有斐閣)をお送りいただきました。いつもどうもありがとうございます。現在の労働政策の法理論的基礎を知るうえでも,また最近の新たな動きがしっかり説明されている点でも,とても参考になります。第5版の「はしがき」をみているだけで,この2年あまりの間における労働法の動きがとてもよくわかります。また,説明項目もかなり追加されていて,より充実したものとなっています(「退職金の複合的性格」のような従来からある論点もありますが,「労働者協働組合」のような新法の情報もあります)。労働法制の変化がこれほど激しくなってくると,その方向性がみえにくくなっていますが,このあたりは,本書の第27章で「雇用システムの変化と雇用・労働政策の課題」というところで,表題のとおりに,これまでの変化と課題がまとめられていて,とても参考になります。デジタル化の影響という視点はみられませんが,それはおそらく次の版では登場するのではないかと思っています。

2022年12月29日 (木)

専門業務型裁量労働制はどうあるべきか

 前に専門業務型の裁量労働制の本人同意のことを書いたところですが,今度は専門業務型裁量労働制にMA業務も追加するということが報道されていました。厚生労働省のHPをみると,労政審の労働条件分科会は12月には毎週開催されていたようですね。年末までご苦労様です。委員の方も役人も大変ですね。
 裁量労働制は,企画業務型と専門業務型が徐々に内容的に接近してきているようであり,それなら両者を統合することも考えてよいかもしれませんね。専門業務型こそ裁量労働制にふさわしいという見方もできますが,専門業務型の業務に従事しているということと,実際に働いている人が,どこまで裁量労働制にふさわしい働き方をしているかは別の問題であり,だからこそ同意義務といった議論が出てきているのでしょう。ただ,そうなると企画業務型との違いが,だんだんはっきりしなくなり,両制度間の導入手続の違いをどう考えるかという話が出てきます。それとは別に,私のいつもの議論でいうと,そもそもプロ人材には労働時間規制は不要で,健康確保措置を別途に切り出し,それについてはデジタル技術を活用した自己管理をすべきということになります。
 ところで,私自身には専門業務型裁量労働制が適用されていますが,教育の面では裁量労働ではありません。告示により,「学校教育法(昭和22年法律第26号)に規定する大学における教授研究の業務(主として研究に従事するものに限る。)」は専門業務型裁量労働制の対象に含められていますが,そこでいう「主として研究に従事するもの」は,通達により,「業務の中心はあくまで研究の業務であることをいうものであり,具体的には,研究の業務のほかに講義等の授業の業務に従事する場合に,その時間が,多くとも,1週の所定労働時間又は法定労働時間のうち短いものについて,そのおおむね5割に満たない程度であることをいうものであること」とされています(https://www.mhlw.go.jp/general/seido/roudou/senmon/index.html)。この「5割」という基準は何を根拠とするのかよくわかりませんが,いずれにせよ教育業務は裁量労働制に適さないものであることを前提としたものといえるでしょう。しかし研究と教育(授業)とを分けるのは現実的ではありません。大学というのは研究成果を学生たちに伝達する場であるはずなので,授業の準備作業には研究的性格も入っているのです。それで何が言いたいかというと,私の場合でいうと,裁量労働制の適用に不満はなく,裁量労働制を適用してもらってよいと納得しているところがポイントで,それは研究業務が5割以上だからとかということとは関係がないのです。現行法を維持するとしても,裁量労働制の適用は,本人の納得同意こそが中核に据えられるべきで,それ以上の規制はどこまで必要かを精査しながら,制度を見直していくことが必要ではないかと思っています。そして最終的には,上述のように,プロ人材には健康自己管理を,という発想でいくべきなのです。

 

 

 

2022年12月28日 (水)

瀬古の偉大さ

 そろそろ駅伝の季節です。まずは高校駅伝から始まり,箱根へと盛り上がっていきます。
 高校駅伝は,兵庫県からは男女ともに西脇工業が出場しました。女子は,県予選で,須磨学園がほぼ勝ちそうであったのが,アクシデントにより最後に失速してしまいました。西脇は全国レベルからみても,上位進出は難しそうでした。20位という結果は健闘したというところでしょうか。男子は1区で長嶋が昨年と同様,飛び出して独走し,昨年は途中で追いつかれましたが,今年はそのままトップでたすきをつなぎました。2区まではトップでしたが,3区で,留学生選手のいる倉敷などに抜かれてしまい,それでも最終的には6位でした。全員日本人選手だけでこの成績なので胸をはってよいと思います。
 駅伝ではありませんが,少し前にあった福岡国際マラソンは,昨年で終わったと思ったら,新たに復活したそうです。とはいえ,日本人選手は勝負になりませんでした。福岡国際マラソンといえば,私の世代は,前にも熱く書いたことがあると思いますが,瀬古選手なのです。最も記憶に残っているのは1983年の大会です。最近,たまたまYouTubeで観たのですが,すごいレースでした。ライバルの宗兄弟や伊藤国光もいたし,日本がボイコットしたモスクワオリンピックで金メダルをとったチェルピンスキーもいたし,当時世界最高記録をもっていたサラザール(ただし,その記録はその後,抹消)もいたし,そしてイカンガーもいました。当時の瀬古のレースは,最後のトラックに近いところまでは,先頭グループの真ん中あたりにいるというもので,イカンガーがいるときは,もちろん彼が先行します。そして最後に瀬古が抜き去るというパターンなのですが,この勝ち方を観た私たちにとって,瀬古は憧れというか,崇拝の対象でした。オリンピックに勝てなかったことなどどうでもよく(モスクワ五輪を日本がボイコットしていなければ彼が勝っていたでしょう),福岡で勝った4回が印象的で,なかでもこの1983年の大会での勝利を観た人は,瀬古への畏敬の念を,いまでも持ち続けていると思います。このような日本人選手はもう現れないと思います。いま瀬古さんは,日本のマラソン強化の責任者になっているようですが,いくら頑張っても自分のような選手を育て上げるのは無理かもしれませんね。

2022年12月27日 (火)

「21世紀ひょうご」に登場

 「公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構」というところから刊行されている「21世紀ひょうご」という雑誌の33号で,「アフターコロナの労働政策はどうあるべきか」という私の論考が掲載されました。同僚の大西裕先生が巻頭言「コロナ禍雑感」を書かれています。今年は,この雑誌を含め,今まで書いたことがない雑誌にいくつか寄稿することができました。
 この組織の研究戦略センター長は,御厨貴さんです。大物を配置していますね。兵庫県に縁はなさそうですが,兵庫県発信の政策研究をリードしてくださるのなら大歓迎です。
 震災といえば,兵庫県には,「フェニックス共済」(兵庫県住宅再建共済制度)というものがあることを,最近知りました(どこかで聞いたことはあったのですが)。年間5千円の負担で,災害時の住宅再建に600万円が給付されるというものです。地震だけでなく,その他の自然災害を対象としているそうです。阪神大震災を経験した兵庫県民だからこそ,共済の精神で大災害に備えなければならないという意識が高いのでしょう。2005年に全国に先駆けて創設されものだそうです。「共済」は,これからの社会保障を考えるうえで重要な理念であると考えていたので,興味をもちました。
 共済から政策研究まで,私の知らなかったところで兵庫県は頑張っていましたね。このほかにも知らないことが,いっぱいあるかもしれません。また何かわかれば紹介します。

2022年12月26日 (月)

NHKに登場

 今日は,前に予告していたように,NHK「視点・論点」に登場しました。いつも政治家の原稿の棒読みを批判している私が,原稿をそのまま読まなければならないのは皮肉なことでした。910秒から40秒の範囲で話し終えなければならないことになっているので,原稿から離れてアドリブを入れてしまうと,話が尻切れで終わるおそれがあるので,仕方ありませんでした。私はノートパソコン持参で,カメラの位置は調整したものの低い位置にあり,さらに原稿をスクロールしながら読んでいくので,目線がどうしても下向きになってしまいました。さらに下から撮ったような画面なので,ずいぶんと太った感じになっています。東京まで行ってスタジオで撮ったほうがテレビ映りはよかったのでしょうが,まあ仕方ありません。
 問題はメッセージですが,十分に届いているでしょうか。NHKは,全国版では,20182月に「週間ニュース深読み」で副業がテーマのときに出演して以来です。あのときは,渋谷のスタジオまで行きました。でも,今回はリモート出演OKということで助かりました。2020年に関西限定の「ニュースほっと関西」に出てテレワークのコメントをしたときも,自宅で収録しました。「テレビに出た」という感じはあまりせず,自宅で撮ったビデオをテレビ画面に映しているというようなカジュアル感でした。

2022年12月25日 (日)

専門業務型裁量労働制の同意義務

 この1週間ほどは,ゆっくり新聞を読むことができていなかったので,今日は,少しまとめて日本経済新聞の電子版を読みました。Mutiの「私の履歴書」が一番楽しみなのですが,それはさておき,ふと目にとまったのが,12月21日の「『専門型』も本人同意義務」というタイトルの記事です。専門業務型裁量労働制における同意義務について,2023年に政省令を改正し,24年に導入すると書かれていました。政省令の改正となっているので,労働基準法の改正ではないということでしょうね。
 ビジネスガイドで連載している「キーワードからみた労働法」の「第185回 裁量労働制」でも労働者の同意についてはコラムで取り上げていました。これは法的にはかなり難しい問題です。企画業務型裁量労働制でも,その導入のために労働者の同意を得る義務があるとするような規定ぶりではなく,労使委員会が,使用者が労働者の同意を得なければならないことを決議すると書かれているだけなのです。専門業務型裁量労働制では,厚生労働省令(労働基準法施行規則)の改正によるということでしょうかね。
 労政審の労働条件分科会の資料をみると,「本人同意を得る際に,使用者が労働者に対し制度概要等について説明することが適当であること等を示すべきではないか」という意見もあるとされています。労働者に十分に説明して納得同意を得たうえで制度の導入をしたほうがよいのは当然なので,この意見に応える形で法改正がなされることには賛成です。ただ,せっかく法律の専門家でない人も審議会の委員に入っているのですから,非法律家の目から,労働基準法の規定をもっとわかりやすくしてもらえないかという意見を出してもらえたらいいですね。世間では,本人同意義務というのが,どのような法理論構成で認められるかについて,わかっている人はほとんどいないでしょうから。

2022年12月24日 (土)

「鎌倉殿の13人」のラスト

 「鎌倉殿の13人」は,衝撃のラストと予告されていましたが,最後にとどめを刺したのが姉の政子であったというところが,たしかに衝撃的でしたね。その前の回で,後鳥羽上皇から義時追討の院宣を個別に受けた御家人が動揺するなか,義時は自分の首を差し出して戦いを回避しようとするのですが,そのとき政子は有名な演説をして御家人に鎌倉を守るために上皇と戦うよう説得します。こうして承久の乱が起こるのですが,泰時らの活躍で上皇側は敗れ上皇は隠岐に島流しとなります。政子は義時の命を救ったのです。しかし,その後,義時の妻のえが,義時の後を継ぐのが先妻の子である泰時であり,自分の子の政村が執権の座を継げないことに恨みをもって,義時に毒を飲ませます。毒を渡したのは,盟友の三浦義村であり,義時は義村にも裏切られたことを知ります(でも義時が義村に最も怒ったのは,女はキノコが好きだという義村の言葉が嘘だということです。このキノコが伏線となって,最後は毒キノコを食べて義時が死ぬのでは,という予想もあったようですが,三谷さんは,そんな単純なストーリーにはしなかったですね)。
 義時は衰弱しますが,泰時の治政を盤石なものとするために,もう一人,皇族(おそらく4歳の仲恭天皇)を殺そうとしていました。政子は,泰時はもう立派にやっていけるのに,義時は,それを理解できず,息子かわいさに,この世の地獄を全部引き受けるつもりでいました。政子は,もうこれ以上,義時に殺人をさせないようにするためでしょうか,義時が政子に取ってきて欲しいと頼んだ薬をわざとこぼし,義時が飲めないようにします。こうして義時は,政子の手によって,死ぬのです。しかし,これは義時が,頼朝と政子の子である頼家までを殺していたことを知った政子による,息子のための処刑であったようにも思います。
 頼朝がつくった鎌倉を,縁者としての地位を最大限に利用し,またライバルを次々とたおして執権家としての地位を得た北条氏。その刃は源氏の嫡流にも及んでいたのです。政子は自分の手で,北条氏のために義時が犯してきた罪を裁き,過去を清算して,泰時以降の北条家の繁栄を願ったのでしょう。

2022年12月23日 (金)

カフェテリア方式

 葬儀ネタが続いて申し訳ないのですが,お許しください。
 関東では,火葬場において遺骨をすべて拾うそうですが,関西では一部しか拾わず,あとは共同での永代供養に回されることが多く,そのため身体の重要な部分のみを拾うことになります。私は,どの部分が重要なのかはよくわからないので,火葬場の人の指示されたとおり骨を拾いました。
 仏式ではない葬儀にしたのですが,数珠は手にもちながら拝んでいるので,一貫していませんね。坊さんも呼ばず,戒名もなく,焼香もなく,でも湯灌は頼みました。父の生前から,坊さんや戒名などに対するネガティブな話を聞いていましたが,湯灌については何も言っていませんでした。納棺の仕事は,もっくんの映画「おくりびと」で有名ですが,身体をきれいにしてもらい,日頃の服装に替えてもらってから納棺するという流れは,とても良かったです。眠りから覚めて,そのまま普段着でたちあがりそうな感じがするくらいすばらしい仕上がりでした。
 「カフェテリア方式」の葬儀は,好きなことを選択できるので,とても良かったと思います。適度に仏式を採り入れることもできます。正式に仏式にすると,いろいろ決まり事が出てきますが,「カフェテリア方式」なら,そういうことから解放されます。
 読経がないだけ時間的に余裕ができます。30年ぶりに会うような親族も含め,父の棺の横で一緒に父のことをしのびながら,お酒を飲み,食事もしました。
 仏式ではないので「四十九日」は関係ないのですが,父がお世話になった人などに対する感謝のお礼は49日後にしようかなと考えています。

2022年12月22日 (木)

NHK「視点・論点」登場予告

 今日は重要な会議がありましたが,リモート参加できたので欠席せずにすみました。今日までは葬儀の準備関係で昼間はいろいろ制約があるので,リモート会議ができることでたいへん助かりました。
 ところで,前に予告していたNHKの「視点・論点」は,私の登場回は当初の予定どおり26日になりました(HPで確認しました)。テーマは,「デジタル化で働き方はどう変わるか」です。収録は大学の会議室をお借りしました。視線がテレビ目線ではないので,変な感じになっていると思いますが,パソコンの画面を見ながら話すということでしたので,そこはうまくいきませんでした。それでも,父が入院中であれば,コロナ禍で面会が難しいなか,元気づけのために観てもらいたいと思っていたのですが,間に合いませんでした。
 今年は,授業が1回残っているだけで,対外的な仕事はこれで終わりです(収録自体は1カ月前に終わっていますが)。ただし,父を送るという最大の仕事が明日残っています。

2022年12月21日 (水)

スカラ・モビレ

 父は告別式までは,葬儀場の霊暗室にいるので,今日も顔を見に行ってきました。眠っているようでした。告別式の日は,雪の予報が出ていて心配です。
 コロナ感染者がかなり増加しています。父は幸いコロナ感染はしていなかったので,その点で葬儀に不自由なことはありませんが,もしコロナ感染をしていたら,おそらくいろいろ制約があったことでしょう。葬儀場が混雑しているのは,コロナ死が増えているからなのかもしれません。
 ところで話は変わり,インフレ手当を出す企業が増えているという記事を読みました。ヤマハは一律5万円などとなっており,気前がよいなと思いましたが,そういう企業が増えているのでしょう。インフレ手当というと,イタリアの物価調整手当(indennità di contingenza)を思い出します。従業員の臨時の必要に対応した手当というような意味ですが,戦後,インフレ期に定着化し,scala mobile(エスカレータの意味)と呼ばれて,賃金の重要な要素を占めるようになりました(『イタリアの労働と法』(2003年,日本労働研究機構)102頁)。これにより,インフレとなると,賃金も上がりますが,そのことがさらにインフレをもたらすという悪循環が起こりました。そういうこともあり,私がイタリアに留学していたとき,ちょうどこの制度の廃止にぶつかりました(1992年以降の廃止)。インフレにともなう賃金購買力低下は,自動的な上昇制度ではなく,団体交渉により行うべきということです。このころ同時に団体交渉システムも変わっていますが,詳しいことは,30年くらい前に書いた論文を参照してください(「イタリアにおける賃金決定機構の変容-その『弾力化』と『制度化』」日本労働研究雑誌41325-32頁(1994年))。
 日本のインフレ手当は,春闘前に決定されたものです。企業が積極的にこういう手当を出すのは,賃上げに対する政府や社会の圧力があることに加え,それが基本給の引上げにつながるのではなく,臨時の賞与的なものであるからでしょう。もちろん最初は任意恩恵的給付であっても,これが反復して支給されるようになれば,事実たる慣習として契約の内容となり,権利性がでてくる可能性が,理論的にはあります。労働者には有り難いですが,企業としては困るかもしれません。また,こうした手当は,労働組合にも危険な面があります。イタリアの教訓は,交渉を経ないで,インフレ率だけにより自動的に手当額が決まるような制度は,かりに当初は労働組合が求めたものとしても,かえって労働組合の交渉力を弱める可能性があるということです。

2022年12月20日 (火)

家事使用人

 今日は,父に関係するところに,亡くなったことの情報を連絡する作業を中心に行いました。メールでできるところが多いので助かりました。それから遺影のチョイスもしましたが,これにはかなり時間がかかりました。写真などどうでもよいと思ったりするのですが,せっかくなら良いものを思うと決められないところがあります。自分の遺影は,生前に指定しておいたほうが遺族の手間が省けてよいなと思いました。
 ところで,父のおかげで(?),介護については多少,詳しくなりましたが,よくわからないことも多かったです。父のケアー・マネージャーの方に言われるままに,膨大な量の書類に署名をしたことがあったのがとても印象的で,これはほんとうにデジタル化をしてもらえないかと思いましたね。ケアマネの方も,書類の処理が大変で気の毒な気がします。
 介護保険でまかなえない部分については,家政婦の利用が問題となります。先日の神戸労働法研究会で,家事使用人の問題について,同志社大学の坂井岳夫さんが報告してくれましたので,たいへん勉強になりました。詳細は,そのうち活字になるそうなので,そこに任せたいと思いますが,理論的な部分はさておき,感覚的には,家政婦などの行う介護労働については,個人で雇うときに使用者としての責任を負わされては大変ですし,地方では近所の助け合いというような形のものもあるので,法が入り込むことは適切でないように思いますが,その一方で,介護サービスの市場化が進むなか,企業が運営するものは労働法が適用されるべきだといえるでしょう。家事使用人は,労働基準法の適用除外となります(1162項)が,なぜ適用除外となるかを考えていくと,立法当初の規定の趣旨をそのままあてはめることはできなさそうなので,難しい問題がありそうです。

2022年12月19日 (月)

弔電は誰のため?

 今日は,少し遺品整理をし,葬儀の打ち合わせをしただけなのですが,疲れてしまいました。昨日は少し気分が高まって眠れそうになかったので,ワールドカップの決勝戦を途中まで観ました。延長に入ったところで,さすがに睡魔が襲ってきましたが,その時点ではフランスが勝ちそうな勢いでした。朝起きたらアルゼンチン(Argentine)の優勝となっていて驚きました。両チームのエースのMessi もMbappé(エムバペ)も,ボールを持てば何かをしてくれそうな予感をさせる凄い選手でした。最後は,PK力の差とGKの差が出ましたね。
 明日からも,いろいろやることはありますが,告別式まで少し時間があるので(葬儀は混雑しているようです),少しずつこなしていこうと思っています。いずれにせよ,大往生ですので,本来は紅白のまんじゅうを配ってもよいのです。喪に服すつもりもありません。普通に生活を続けろと,天国の父はそう言うはずです。
 弔電については辞退させてもらっているのですが,弔電は誰のためのものかと考えてしまいました。喪主宛にお悔やみの気持ちを伝えますが,故人への言葉は普通は出てきません。そりゃそうで,もう亡くなっていますから,伝えようがありません。それでも故人の関係者からの弔電であればいただければ嬉しいですが,喪主の関係者からの弔電はあまり意味がありません。もちろん気を落としている遺族を励ますことは大切ですが,普通の弔電の文面では,もらっても励まされる気持ちにはならないでしょう。おそらく弔電を送るという習慣はなくなっていくと思います。
 今日,葬儀の打ち合わせが長くなってしまったのは,故人の意向もあり,宗教葬はしないので,式をどのようにしようか自由に考えることができたからです。型にはめない葬儀にしたほうが,家族たちで,故人がどうしたら一番喜んでくれるだろうと真剣に考えることになります。こういうことが故人への一番の供養なのかもしれません。 

2022年12月18日 (日)

 今日,父が90年の人生を終えました。コロナ禍で面会が制限されているなかでしたが,病院のご配慮もあり,昨日も今日も面会することができ,最期を見届けることができました。いつかは来るとは思っていましたが,やはり悲しいです。父には感謝の言葉しかありません。私とは思想的に相容れないところもありましたが,いまはなんとなく父の思想に近づいていっている気がします。母が亡くなったあと,父と二人で向き合うことが多く,そこから得るものは多かったような気がします。自分が弱ってくるなかでも,最後まで息子には迷惑をかけたくないと言って,私に気を遣ってくれていました。迷惑は全然かかっていなかったのですが,気遣いの塊のような人でした。他人に対してとても優しい父でした。周りの人からも,とても愛されていました。
 父はもう一度人生をやりなおせるならば,共産党に入りたいと言っていました。母から懇請されて,3人の子どものためにもと言われて,やむを得ず共産党とは距離を置かざるをえなかったからでしょう。赤旗の読者として共産党を応援することだけは許してくれという姿勢でした。2カ月前の入院後に読まずにたまってしまった赤旗は,父のお棺に入れるつもりです。

2022年12月17日 (土)

ホワイト企業をいやがる若者

 12月15日の日本経済新聞の電子版で,「職場がホワイトすぎて辞めたい 若手,成長できず失望」という記事が出ていました。先日は,Elon Musk 氏の従業員に対するhard workingの要求のことを採り上げたばかりですが,逆にホワイトすぎるのにも不満がある従業員がいるということです。大きく分けると,Work-Life Balance 派とキャリア志向派がいて,後者のタイプはMusk氏のような経営者がいる会社で働いてみたいと思い,前者のタイプは「ホワイト」な会社でよいと思うのでしょう。前者のタイプの若者は,「ゆるい職場」にずっといれば,自分が他で通用しなくなるという危機感から転職しようとするのです。
 私は,かつてブラック企業の撲滅ということが盛んに言われていたときに,『君の働き方に未来はあるかー労働法の限界と,これからの雇用社会』(2014年,光文社)の第3章「ブラック企業への真の対策」で,次のように書いていました(90頁)。
 「ブラックかどうかというのは,個人と企業との相性という面もあるのです。だからこそ,個々の企業がブラックかどうかを判定することよりも,働く側にとって企業を選ぶ際に参考になる情報ができるだけ開示されるようにすることが必要になります。そして,それをブラックと評価するかどうかは,個々人の判断にゆだねるほうがいいのです。」
 今日はSNSによりブラック・ホワイト情報が入りやすいので,あとは個人の価値観による選択の問題となります。もちろん健康を害するほどのブラックな会社は避けるべきですが,適度に鍛えてくれる会社は,給料をくれながら訓練をしてくれるようなものなので,有り難い存在といえるでしょう。私のゼミ生のなかにも,ブラックであることは百も承知のうえであえて入社し,鍛えてもらい,その後で転職することを考えていると言っていた人が何人かいました。
 結局,仕事も相性なのです。Work-Life Balance 派であれ,キャリア志向派であれ,自分の価値観に会う会社にめぐりあえれば幸せです。ブラックとかホワイトとかは,所詮は世間の評価にすぎません。大切なのは,自分にとってのホワイトな会社を見つけることです。自分にとってのホワイト会社にめぐりあうためには,自分のなかに前向きな雰囲気(aura)や姿勢があることが必要です。そうしていれば,良い出会いのチャンスは必ずめぐってくると思います。

2022年12月16日 (金)

モンスターは強かった

 サッカーのW杯は終わったような気分でいますが,決勝と3位決定戦が残っています。フランスが勝てばあまりに普通なので(久保建英選手も同意見のようです),個人的にはMessiのアルゼンチン(Argentine)にチャンピオンになってもらいたいですね。あの年齢で,あの切れ味はすごいです。W杯は日本の活躍が話題になりましたが,実は最大の勝者はAbemaでしょう。朝起きれば,まずAbemaでハイライトを観るというのが定着しましたから。全試合の放映権を得たのはすごいです。もともと将棋の中継でも観ることが多かったのですが,これで多くの人が,Abemaを知ることになったのではないでしょうか。
 ところで,先日の井上尚弥の試合は,Abemaではやっておらず,地上波でもやっていなかったのですが,少し時間差はありましたが,ネットでほぼライブで観ることができました。井上圧勝で,バンタム級の4団体統一を達成しました。相手はWBOチャンピオンのイギリス人のPaul Butlerでした。この試合は,相手がまったく攻めて来ずにひたすら守るだけという異様な戦い方をしていて,途中では井上は,手をだらりと下げて,あしたのジョーのようなノーガードの姿勢をみせたり,顔を突き出したり,両手を後ろに回したりと,相手をさんざん挑発しましたが,攻めてきませんでした。こういう完全防御姿勢の相手に,サッカーで言えば,どうやってゴールにボールをこじいれるのかという感じでしたが,判定になるかが気になりはじめた11ラウンドに,ガードの上からのように見えましたがパンチをたたき込んでKOしました。強さは異次元です。日本ボクシング界の最高傑作と呼ばれ,体重別の競技ではありますが,全階級を通じてもトップクラスの選手であることは,いまや世界でも知れ渡っています。Butlerは情けない試合ではありましたが,チャンピオンになったばかりで,井上との対戦をしばらくは回避することもできたのでしょうから,この時期によく対戦してくれたと言うベきなのかもしれません。
 これで井上はバンタム級を卒業し,スーパーバンタム級に上げて,ライトフライ級,スーパーフライ級も含めた4階級制覇に挑むことになりそうです。井上の場合,すぐに世界戦となると思いますので,また来年も楽しみです。今回も計量でプチ騒動がありましたが,減量に苦しんでいるようなので,スーパーバンタム級が適正階級なのでしょうね。右のパンチの破壊力は桁はずれで,スピードもあり,防御技術も高い井上は上の階級でも活躍できるでしょうが,体重の差というのは,やはり大きい面もあるようなので,そう簡単にはいかない可能性もあります。
  11月にあった寺地拳四朗と京口紘人の日本人チャンピオン同士の対決も面白かったです(寺地のKO勝ち。こちらはAmazon Primeだったと思います)。井上は強すぎるので,ボクシングの面白さという点では,寺地のほうが見せてくれる感じもしますが,このほか井岡や谷口も含め,日本人チャンピオンにはぜひ頑張ってもらいたいです。

2022年12月15日 (木)

季刊労働法に登場

 季刊労働法の最新号(279号)で,論文を二つ執筆しています。一つは,イタリアの解雇の金銭解決についての論文で,前にもこのブログで書いたように,こういう重い作業は,もはや私にはやる力はないのですが,若手が多忙ということで,登場することになりました。2012年の改革についても,それを紹介する論文を同誌に書いていたのですが,そのときはイタリアの解雇法制の改正を時系列で淡々と書いてしまい,イタリア法に関心のない人には,あまり面白くなかったと思うので,今回は,もう少し読者目線に立とうと思いましたが,どうだったでしょうか。イタリア法研究としては,憲法裁判所に対する判例評釈などをもっと分析して書くべきだったのかもしれませんが,それをきちんとするにはかなり時間を要しますし,とくに新しい判決については,十分に論評がそろっていないこともあり,今回は速報的な意味をもつものにとどまっています。より詳細なものは,若手研究者にゆだねたいと思います。
 もう1本は,オンライン団交についての論文です。この問題について考えているうちに,団交法理について大学院生がもつような初歩的な疑問がいろいろ出てきたので,それについてまず基本から考えようと試みました。だから「覚書」という副題をつけています。神戸労働法研究会で一度報告しましたが,その後もいろいろ考えて,かなり修正を加えていますし,さらにブラッシュアップする必要もあると思っています。いずれにせよ,あたかも実務を知らない人が言いそうな書生くさいことを書く一方,労働委員会の実務を意識したことも書いており,自分でも不思議なテイストの論文になってしまいました。肝心の結論については平凡なものになっているかもしれませんが,今後の議論に何か貢献できているでしょうかね。デジタル関係については,いろいろ書いていますが,団体法について論じたものは初めてだと思います。
 論文のなかで,山形大学事件・最高裁判決にも言及していますが,同事件については有斐閣の重要判例解説の執筆があたっているので,字数は限られていますが,きっちり書きたいと思っています。

2022年12月14日 (水)

Musk流

 Elon Musk氏が,買収したTwitterの社員に,“work hard or leave” という趣旨のことを言ったようです。Hard workingがイヤなら会社を去れというのは,いきなりやってきた経営者に言われたら従業員はショックでしょうが,アメリカというのは,そういう社会だと思っていました。
 日本経済新聞の村山恵一さんが書いた「猛烈マスク氏の求心力は Twitterが問う会社の形」という記事(電子版では1212日)で,Musk氏の猛烈な働き方や部下に同様の働き方を求めることについて,「鼓舞された従業員が,EVや宇宙開発のビジネスを成長させる原動力になってきたのは間違いない」と評価する一方で,「社会的な意義があり,人生観と合致する仕事を追い続ける。そういう個人が台頭してきた。この構造変化にどう適応するか。多くの経営者が試行錯誤を求められる」と書いており,Musk流が必ずしもうまくいくわけではないことを示唆しています。
 個人的には,やりがいがあって楽しい仕事に「hard」に取り組めるのは幸せなことだと思っています。もちろん幸せは仕事以外にもありうるのですが,それでも仕事に幸福を感じられるのなら,それで問題はないでしょう。ただし,仕事偏重で,それに周りを巻き込むとなると,問題があります。働き中毒の部下になると,本人も家族も迷惑します。労働時間規制の根拠は,こうした「負の外部性」に求めることもできます。
 ただし現在は,こうした観点からの規制の必要性はなくなりつつあるかもしれません。若い人たちは,会社を選ぶでしょう。Hard work であっても,やりがいのある仕事ならやるという人は多いでしょう。Musk氏も,そういう人が残ってくれたら十分だと考えているのでしょう。結局のところ,働く側に,働き先について,十分な選択肢があれば,労働時間の問題は,経営戦略とそれについての労働者側からの選択の問題にすぎないのです。長時間労働の弊害は,辞めたくても辞められず,拘束的に働いているから出てくるのです。そうだとすると,できるだけ選択肢が広くなるように雇用流動型の政策を進めればよいのではないか,という発想も出てきます。
 企業にロックインされてしまうことは,これまでは安定雇用とセットであったので,必ずしもネガティブにはみられていなかったのですが,ほんとうは安定雇用がなくても,企業にロックインされないようにするためには,どうすればよいかということを,考えたほうがよいのかもしれません。諏訪康雄先生のキャリア権の議論は,そういう面からも注目されるものです。政府による副業の推進も,やはり特定企業にロックインされないために必要なことです。副業は,「それによって労働時間が長くなったらどうしよう」と考えるのが,伝統的な労働法の発想だとすれば,「企業にロックインされにくくから,積極的に推進しよう」というのが,新たな労働法の発想といえるかもしれません。
 さて,Musk氏が経営することになったTwitterは,ロックインの土壌があまりないアメリカでのことなので,あとは経営戦略の問題と言いやすいでしょう。もともと海外ではエグゼクティブは,猛烈に働いて,労働時間規制は,エグゼンプションですが,給料は桁違いです。だから,Twitter社でも,Musk氏についていく人は少なくないかもしれません(Twitter社の従業員の報酬がどれくらいかわかりませんが)。
 一方で気になるのは,Musk氏が,テレワーク反対派であることです。最先端の事業を次々と展開するMusk氏のイメージと,反テレワークという古風なところのギャップが面白いところです。

2022年12月13日 (火)

自由意思とは何か

 先日,ナッジ(Nudge)のことをとりあげたのですが,ナッジの議論の前提にある人間の認知バイアスを知れば知るほど,法学の議論の前提にある「意思」とは,いったい何なのかということを考えさせられます。ナッジは個人の自由な選択を制限していないとはいえ,それは誘導された意思でもあるのです。はたして,それが自由意思なのか,ということです。
 ところで,労働法では,非対等な当事者についても「契約」の土俵に載せてしまうため,弱い立場の労働者の自由意思論は非常に重要なテーマとなっており,判例上も議論されています(例えば,シンガー・ソーイング・メシーン事件・最高裁判所1973119日判決,拙著『最新重要判例200労働法(第7版)』(弘文堂)の92事件)。判例上,労働者に不利益な意思表示については,自由な意思の存否が問題とされてきています(上記の最高裁判決は,労働者の退職金債権の放棄が,賃金全額払いの原則に反しないかという論点に関するもの)。法令について「自由な意思」で検索をかけると,施行規則レベルですが,医療関係のインフォームド・コンセントの文脈で二つほどヒットしました(再生医療等の安全性の確保等に関する法律施行規則8条の25号,臨床研究法施行規則95号)。
 現在,統一教会問題で,消費者救済のための法律の整備が問題となっていますが,新たに制定された「法人等による寄附の不当な勧誘の防止等に関する法律」では,その第3条で,「法人等は,寄附の勧誘を行うに当たっては,次に掲げる事項に配慮しなければならない」とし,その1号で,「寄附の勧誘が個人の自由な意思を抑圧し,その勧誘を受ける個人が寄附をするか否かについて適切な判断をすることが困難な状態に陥ることがないようにすること」となっています。マインドコントロール下での意思表示の有効性については,従来の契約論では対処が困難ですが,今回改正された消費者契約法とは別に,寄付勧誘を規制する立法をすることによって,自由意思の抑圧行為を防止しようとしています(「配慮」義務という形にしたことも議論となっていて,法の実効性確保という,これまた労働法上の重要な論点と関係しています)。
 自由な意思が抑圧されると,適切な判断をすることが困難な状態に陥るおそれがあるということですが,そこで抑圧される自由な意思とは何かは,よくわからないところがあります。私は自由意思という「フィクション」にこだわった議論をすべきではないという立場から,「労働契約における対等性の条件―私的自治と労働者保護」という論文を,西谷敏先生の古稀記念論文集『労働法と現代法の理論(上)』(2013年,日本評論社)415頁以下で執筆しました。労働者ができるだけ自律な意思決定ができるようにするためには,どうすればよいかを考えるべきであるという問題意識をもって,使用者による情報提供や説明を中心に据えた議論をしています(現在では,私は「納得同意」という言葉を使っています)。
 一方,民法の契約論における「意思」をめぐっては,どのような議論状況であるのかも知りたいところです。第18回商事法務研究会賞をとった池田悠太さん(東北大学准教授)の「事実的基礎としての意思とその法的構成:サレイユ民法学における法学的なもの(1)-(10・完)」(法学協会雑誌137巻9~12号,138巻2~7号)は,サレイユの法人論研究をとおして,法人の権利主体性に切り込んでいった大作ですが,そこでも意思とは何かということが問題となっています。法人の意思とは何かは難問です。これはAIの権利主体性の話にもつながります。
 いずれにせよ,意思や自由意思というのは,法学以外の人からすれば,得体の知れない概念かもしれませんが,なぜ法学がその概念を大切にするのかは,これを批判する立場からも,とても重要なことです。これは私には手に余るテーマですが,いつか採り上げてみたいと思っています。

2022年12月12日 (月)

チームラボ

 テレビ東京のカンブリア宮殿で,作家の村上龍氏が,チームラボの猪子寿之代表のことを,アーティストだと呼んでいました。どことなく経済学者のG田さんに似た感じがする猪子氏ですが,前から気になる存在でした。独創オーラが半端ない感じですが,村上龍氏は作家の視点から,彼をアーティストと呼び,森や川などの連続するものをデジタルで表現しようとすると評価していました(2022年12月8日 放送 チームラボ 代表 猪子 寿之 (いのこ としゆき)氏 |カンブリア宮殿: テレビ東京 (tv-tokyo.co.jp))。
 現実にあるものを,そのまま区切らずに,デジタル技術をつかって表現するという彼の芸術の本質を突いたものといえるでしょう。そもそもデジタルというのは,「01」により構成された非連続なものです。アナログの連続感は出せないものでしたが,彼は,それを乗り越えたところに,おそるべき独創性があったのです。アナログの世界の表現は,切り取らなければできません。猪子氏は,幼いときに感じた写真への違和感について語っていました。美しい風景なのに,写真に撮ってしまうとつまらなくなる。そこには,自分も他人もいない静的な世界しかない。デジタル技術を使うことによって,その垣根が取り払われるのです。デジタルが描くのは仮想世界だけれど,だからこそ切り取らずに連続性のある世界を再現でき,それゆえにリアリティを与えるという,この逆転の発想がすごいのです。
 もう一つ彼をすごいと思ったのは,その会社の仕組みです。猪子代表は,アーティストで,アイデアのプロです。しかし,そのアイデアを実現しているのは,彼のともだちであるプロの技術者集団です。高いスキルをもったプロ集団が結集して,猪子代表のアイデアを実現しているのです。おそらく経営のプロもいるだろうし,法律のプロもバックヤードで支えているでしょう。事業がプロジェクトごとに展開され,それに応じたプロ集団が結集して成果を出していくというのは,まさにデジタル変革後に想定されている会社の姿そのものです(拙著『会社員が消える』(文春新書)47頁以下)。チームラボの社員たちは,近未来の働き方を実現しているのです。STEM教育に,Aart)を加えてSTEAM教育などとも言われています。さまざまな分野のプロ人材(professional technician)とそれにアイデアを吹き込むアーティストのコラボこそ,未来の企業の姿です。それはおそらくフラットで緩やかな「チーム」であり,おそらく,この組織からまた多くの「チーム」が生まれてくるのではないかと思います。チームラボとは,そういう会社なのでしょう。
 個人を中心とした近代社会への違和感は至るところで主張されてきました。集団主義的な社会をいったん解体するためには個人主義を強調することは必要なのですが,そのあとに生まれるのは,自律した個人の集団なのです。私は,人類は,そういう集団を血縁関係よりも広い範囲でうまくつくれたから生き延びることができたのではないかと考えています。労働法の文脈でいうと,企業中心主義から個人中心主義に移行したあと,新たな集団が形成されることにより人類の原点に戻れないかと考えています。そんな私にとっては,チームラボは(そのほんとうの価値をわかっているわけではないでしょうが)なんとなく良い感じの会社なのです。

2022年12月11日 (日)

映画「罪の声」

  Amazon Primeで「罪の声」という映画を観ました。小栗旬と星野源が主演で,監督は土井裕泰です。塩田武士の原作は読んでいませんでしたが,原作も面白そうです。あのグリコ・森永事件を基にした作品です。実際の事件でも,子どもの声が犯人からの指示として使われていたのですが,その文章を読まされた子どものその後の運命がどうなったのかが,本作の主題となっています。私は,あまり根拠なく,機械で合成された声が使われていたのかなと思っていたのですが,実際の子どもの声が使われていたとすると,その子たちがその事実を知れば,たいへんなショックを受けるでしょう。
 映画では,父親が開業したオーダーメードの洋服屋を継いでいる曽根俊也(星野源)が,家に残されていたカセットテープの自分の声を聴いたところから話が始まります。彼は自分の幼いときの声が,あの犯罪(映画では,「ギンマン事件」となっています)で使われていたことを知り,ショックを受けます。同じように声を使われた他の2人の子どものことが気になります。一方,新聞記者の阿久津(小栗旬)も,上司の命令で,すでに時効になっているこの未解決事件を追っていて,曽根のところにいきつきます。二人は協力して,残りの2名を探し,さらに曽根家で見つかった,父親の兄の達雄(宇崎竜童)の手帳のことを阿久津に話します。手帳では英語で,事件に関係しそうなことが書かれていました。阿久津は,達雄がイギリスに住んでいたことをつきとめ,事件の真相を聞き出します。実は俊也の母も,事件に関係していました。
 曽根俊也は,妻と娘と幸せな人生を送っていますが,残りの2人(姉弟)は,壮絶な人生を歩んでいたことがわかります。大人たちの身勝手な理由から,巻き込まれてしまった子どもたち。その理不尽さに怒りを覚えますが,日本にはある時期,反権力や反資本主義といった大義のためなら,暴力も家族の犠牲も,そして反社会的集団と手を組むことも許されるという考え方があったのでしょう。一方,達雄が手を組んだ相手はお金が目的でした。企業脅迫をすることによって株が下がることを見込んで空売りで大もうけし,そのお金が政治家に流れたという事件の真相に迫る部分もありますが,映画では深追いをしていません。
 35年前に起きたあの事件は,いったい何だったのか。この映画は,一つの推理を示していますが,現実において確かなことは,グリコ・森永事件は未解決であり,犯人も,犯行動機もわからず,そして,あの声の子どもたちのその後もわかっていないということです。いつか真相が明らかになるときが来るのでしょうか。

2022年12月10日 (土)

ナッジから意思理論へ

 学部の少人数授業で,今回は,大竹文雄さんからお送りいただいた『あなたを変える行動経済学』(東京書籍)の第6章「ナッジとは何か?」をベースに,ナッジについて議論しました。この本は,一連の行動経済学に関する大竹さんの本のなかでも,とくにわかりやすく書かれている入門書です。私は,これからの労働法の政策でも,リバタリアン・パターナリズムに基づく,選択の自由と適度の誘導のコンビネーションによる「ナッジ」は有力な規制手法となるのではないかと考えています。それだけでなく,この議論は,突き詰めれば,人間とは何かということにも行き着くのであり,自分自身を知るためにも,重要なものなのです。
 学生はみな「ナッジ」という言葉を聞いたことがないと言っていました。高校までには習わないのでしょうが,大学2年生の後期でも「ナッジ」という言葉を聞いたこともないというのは,ちょっと問題かなと思ってしまいました。
 学生からは,エスカレーターでは止まるように指示されているのにそれを守る人がいないので,こういう人を止まらせるために,ナッジは使えないかという問題提起がされました(たぶん関西特有の問題と思いますが,ちなみに私は歩きません)。学生のなかには,エスカレーターの段差を大きくすればよいとか,スピードを上げればよいとか,物理的なアーキテクチャ的手法が提案されましたが,これは言っている本人たちもわかっていたように危険な方法であり,「ナッジ」でもありません。エスカレーターを歩くことによって生じた事故の動画を大きなモニターを設置して流すといった方法はどうでしょうか。「わかりやすさ」も,人間の脳に伝わりやすいので「ナッジ」の一種です。
 大竹さんの本では,「ナッジ」と「スラッジ」の違いを指摘されていました。ナッジは,「特定のアウトカムを達成するための選択アーキテクチャの意図的な変化」なのですが,その「アウトカム」は,行動者本人の利益にならないようなもの(これがスラッジ)であってはならないのです。為政者が,自分に都合のよいように国民を誘導するようなことがあれば,これはナッジとはいえないし,あるいは危険なナッジというべきなのです。学生からは,現実には両者の違いは,国民にとってわかりにくいのではないかといった意見もありました。専門家が巧みに制度設計をして,国民をマインドコントロールするようなことがあってはならないでしょう。学生たちは,そうした危険を感じて,政府がナッジを使う場合には,そのアウトカムの妥当性をきちんと吟味しなければならないとか,あるいは,現にいろいろ使われているかもしれないナッジに対して自覚をもって警戒心をもつべきではないかという意見を出してくれました。
 「意思決定決定のボトルネックを見つけることがナッジを選ぶポイントとなる」(169頁)という点も重要です。なかでも「認知的な負荷が過剰」な場合もナッジが効果的とされます。情報があっても,それを分析する知識がなければ適切な行動がとれません。ナッジは,「わかりやすさ」も重要なのです。従業員の過労状態を検知したAIが,「リフレッシュ体操の指示」をパソコン画面上に流すというのは,おそらくナッジに該当するのだと思います。本人はその指示に従わない自由がありますが,リフレッシュ体操をして疲労を軽減させたほうが本人にも,企業にもプラスになります。ただ,たんに過労状態を指示するだけでは,どうしたらよいかわからない労働者もいます。そのようなときに具体的な行動を指示するのは,それを業務命令として出せばナッジではありませんが,あくまでも提案という形であればナッジなのだと思います。私は,こうしたナッジを採り入れた仕組みを導入することを,企業の配慮義務の中心に据えるべきだと主張しています(拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」―真の働き方改革とは何か?』(日本法令)273頁などを参照)。大竹さんの本で紹介されている看護師の残業削減の例もまた,きわめて興味深いです。二交代制の病院で,日勤の看護師は赤のユニフォーム,夜勤の看護師は緑のユニフォームを着ることにしたら,残業が減ったというのです。なぜそうなったかは本を読んでみてください。「社会規範」と「わかりやすさ」というナッジを使った例として紹介されています(177頁)。
 ナッジの文脈で出てくる「社会規範」は,社会一般に通用しているルールというようなもので,広義には法も含むでしょうが,ここで想定されているのは,法のような強制力をもつのではないものであり,道徳規範,あるいは,世間の目というようなものといえばわかりやすいかもしれません(「社会規範」については,飯田高『法と社会科学をつなぐ』(有斐閣)159頁以下を参照)。
 私は,企業の社会的責任も,「社会規範」として議論できると思っており,それを見える化することをとおして,強制力がなくても,ナッジとしての効果をもたせることができると思っています。これは,実は労働法においても,規制手法の一つとして部分的には採り入れられているとみることもできるのですが,これはまた別の機会に論じることにしましょう。
 このほか「デフォルト」の活用も,すでに法学の世界で議論されていることです。強行規定(法規)と任意規定(法規)とは,法律の規定のもつ効力の違い(前者は当事者の契約では逸脱できないが,後者は逸脱できる)という点から説明されますが,機能的には,任意規定は,契約の当事者に,適正な合意についての情報を提供するという機能があり,そしてデフォルトに支配されやすい(固着性)という行動経済学の知見も踏まえると,任意規定は「緩やか」に当事者を誘導する機能をもつのです。任意規定の活用は,労働法においては刺激的な問題提起なのですが,リバタリアン・パターナリズムを受け入れるならば,十分に活用可能であると考えています。そのためには,労働者弱者論からの脱皮が必要です(拙著『人事労働法』(弘文堂)では,任意規定やそれと同様の機能をもつ標準就業規則を活用した規制手法を活用する発想に基づいています)。

2022年12月 9日 (金)

藤井竜王防衛

 藤井聡太竜王(五冠)は,広瀬章人八段をやぶり,42敗で竜王位を防衛しました。広瀬八段も善戦したと思いますが,藤井竜王は強かったです。これでタイトルは通算11期となりました。すごいスピードで獲得タイトル数が増えています。棋戦優勝も6回です。通算勝利数も295勝となり,たとえば9歳年上で,バリバリのA級棋士で,2年連続の名人挑戦をしている斎藤慎太郎八段の291勝を早くも追い抜いています。斎藤八段も通算勝率は65分くらいで高いのですが,藤井五冠は8割をはるかに超える異常な高さです。タイトル保持者は予選などを戦わないので棋戦数は減り,それだけ勝利数は減りますが,この勝率を維持すれば,どんどん勝ち数も増えていくでしょう。
 昨日,藤井竜王は,棋王戦で羽生善治九段と戦いました。王将戦の前哨戦となるものです。藤井竜王は,終盤,勝ちをしっかり読み切って,みごとに攻めきりました。攻めの鋭さと正確さは驚くべきものです。これで棋王戦の挑戦者決定戦に進出することを決め,すでに1回負けている佐藤天彦九段と再戦します(敗者復活戦による)。藤井五冠が,渡辺明棋王に挑戦するためには2連勝しなければなりません。佐藤九段にいったん負けた段階で4連勝しなければ挑戦権を得られない状況だったので,きびしそうでしたが,伊藤匠五段と羽生九段に連勝したので,あと2連勝すればよいところまで,こぎつけました。こうなると実現可能性が高くなってきましたね。銀河戦でも永瀬拓矢王座に勝ってベスト4に進出です。
 羽生九段は,王将戦の挑戦者決定リーグでは全勝で好調でしたが,順位戦では,近藤誠也七段に負けて35敗となり降級もちらつきはじめました。あの羽生九段でもB級1組で戦うことは,かなり厳しくなってきているのでしょうか。昇級レースでは,中村太地七段が7勝1敗でトップを走っています。負けた郷田正隆九段は1勝7敗で残留が苦しくなりました。
 棋士編入試験に挑戦中の小山怜央アマは,初戦で現在絶好調の徳田拳士四段に勝ち,幸先のよいスタートを切りました。小山アナは,今日も,朝日杯の二次予選で,若手強豪で次のA級棋士候補の一人である千田翔太七段に千日手後の指し直し局を制しました。同日にあった2局目の広瀬八段には,熱戦の末敗れましたが,途中で評価値では優勢になっており,その実力を十分にみせてくれたと思います。小山アマは,すでにプロ並みの実力があることは間違いないと思いますが,試験を無事に突破できるか注目です。

2022年12月 8日 (木)

トキソプラズマとリスク選好

 妊婦が感染すると子どもに悪影響を及ぼすかもしれないとして警戒されるトキソプラズマですが,これが妊婦・胎児だけでなく,人間の行動に大きな影響があるかもしれないという記事をみて,ハッとすることがありました。
 124日の日本経済新聞の「サイエンス」欄で,「オオカミを操る寄生体 群れのボス指名,野心あおる」という記事で,この寄生体が「脳を乱して攻撃性を高め,野心をかきたてる。こうした気質がリーダーへと導いていく」とし,「恐れを知らぬリーダーが誕生すると仲間も大胆になる。大きなリスクをとる行動は繁殖や勢力拡大で時に幸運をもたらすが,同時に慎重な気質によって救われてきた命を危険にさらす」とされています。このトキソプラズマは,「既に人類の3分の1以上に寄生しているとの情報もある」とされています。そして,「トキソプラズマの感染率が高い国にサッカーの強豪国が多い」という意味深なコメントが付されていました。
 ところで,本日の日本経済新聞の「Deep Insight」では,あの世間を騒がせているFTXトレーディングを率いたサム・バンクマン・フリード(Sam Bankman-Fried)のことが紹介されていました。経済学者が「51%の確率で地球を2つ手に入れるが,49%の確率で全て失う」という賭けの話を提案したとき,普通の人は怖くて乗れたものではないのに,彼は「すごい価値がありそう(な賭け)だ」と答えたというのです。
 もちろん彼がトキソプラズマの影響を受けているかは,よくわかりません。ただ一般論として,世の中には過度のリスクをとろうとする人がいて,それが大成功をもたらすこともあれば,周りの者におそろしい危険をまきちらすこともあります。ひょっとすると,それが寄生虫の仕業であるかもしれないとすると……。恐ろしい話ですが,人間と寄生虫との共生の奥深さを感じさせる話でもあります。いずれにせよ,リスクをおそれない性格が遺伝的なものではなく,実はその地域の特性(寄生虫がいるかどうか)に左右されていることであるとすれば,移民などで住むところが変われば子孫も性格が変わることになりそうですね。

2022年12月 7日 (水)

労災保険給付の支給処分の取消訴訟の原告適格

 総生会事件で,東京地裁判決を維持した2017921日の東京高裁判決は,労働保険の保険料についてメリット制の適用を受ける特定事業主が,労災保険給付支給決定の違法性を争うことができるかという,行政法上の「違法性の承継」と呼ばれる問題について,これを否定的に判断した際に,その理由の一つに,事業主は,労災保険給付支給決定の取消訴訟を提起する原告適格(行政事件訴訟法9条)があることに言及していました。それなら,実際に取消訴訟を提起すればどうなるかということで,やってみた事業主がいたのですが,原告適格は認められないとした東京地裁の判断が2022415日に登場しました(あんしん財団事件)。ところで,その控訴審が先日(1129日)出されて,地裁判断はひっくり返され,一転して,事業主の原告適格は肯定されました(差戻し)。おそらく上告されると思いますが,実は,この間に,厚生労働省で,「労働保険徴収法第12条第3項の適用事業主の不服の取扱いに関する検討会」も開催されていて,①保険料認定処分の不服申立等において労災支給処分の支給要件非該当性を主張することはできるが,②これが認められても労災支給処分自体は取り消されず,また,③労災支給処分に関する特定事業主の不服申立適格も認めないという線で,取りまとめをしようとしているようです。
 これは,労災保険給付の支給決定により保険料の増額処分を受ける特定事業主の不服に配慮しながら,被災労働者や遺族の法的地位の安定性にも配慮するということなので,その気持ちは理解できます。ただ,先日の大学院の授業で,厚労省の上記検討会で提出されていた論点資料(今回の報告書案のベース)に基づき議論をしたときには,労働保険料の認定決定において,労災保険給付の支給要件非該当性が認められたとすると,たとえ支給決定は取り消されないとしても,不支給という判断がほんとうは正しかったという理解がなされかねず,民事損害賠償請求の判断に影響するかもしれない,という意見が出てきました。労災保険制度のなかでの法的安定性はあっても,もう少し広くみて民訴まで視野にいれれば,現行より労働者に事実上不利になる面があるということです。
 ところで,あんしん財団事件の控訴審が,事業主に取消訴訟の原告適格を認める判断をだしたことから,厚労省の原案は,少なくとも③については裁判例とバッティングすることになりました。もともとは総生会事件の東京高裁の判断とあんしん財団事件の東京地裁の判断が正反対であったので,厚労省はあんしん財団事件(地裁)の線でいこうとしたのでしょうが,東京高裁レベルでは総生会事件とも判断が一致してしまったので,このままでは行政対司法の対立ということになってしまいます。労災保険給付の不支給決定における取消訴訟において,事業主に補助参加を認める最高裁判決(レンゴー事件・2001222日)があるのですが,報告書案は,「補助参加の要件である法律上の利害関係と,不服申立適格等に関する要件である法律上保護された利益は異なるものである」として,同判決の先例性を否定しています。ただ,これはやや苦しい説明であるような気もします。
 労災保険制度において,事業主に支給決定についての取消訴訟の原告適格を認めるのは,(レンゴー事件・最高裁判決からロジカルに考えると予測できないものではなかったものの)労働法実務のこれまでの常識からすると,天地がひっくり返るほどのショッキングな判断です。その点で,厚生労働省の報告案③のスタンスは理解できるところです。ただし,最高裁であんしん財団事件の控訴審判決が支持されてしまう可能性は十分にあり,そうなった場合にそなえてプランBも考えておく必要があるでしょう。事業主の原告適格を認めることの問題点がどこにあるのかを理論的に精査したうえで,その問題点にできるだけ対応でき,被災労働者や遺族の救済という労災保険の機能が損なわれないようにするためには,どうすればよいかについて,知恵を絞ることが必要です。いずれにせよ,報告書案で,何が何でも突っ走るという玉砕戦法は危険でしょうし,立法してしまえばよいという乱暴なことは考えないほうがよいでしょうね(もちろん①についても,ほんとうにこれでよいのか,という点も,議論の余地があるでしょう)。

2022年12月 6日 (火)

PK対策も重要?

 昨日は,試合開始の0時まで起きていることができずに,力尽きて23時半くらいに寝てしまいましたが,2時ぐらいに目が覚めてスマホで確認したら,同点で延長戦に入っていることがわかったので,完全に目が覚めてしまい,そこからテレビで観戦していました。延長の後半ぐらいしかきちんと見ていませんでしたが,良い試合であったように思います。クロアチアもよく攻めていましたが, 日本も隙があれば襲い掛かろうとする姿勢は十分にあって,互角に戦っていたのではないかと思います。勇気づけられた人が多いというのも,よくわかります。日本選手は胸をはって帰ってきてほしいです。
 ただ,PK戦は残念でした。PK戦は運であり,これで負けても仕方がないという言い方がよくされますが,ほんとうにそうなのでしょうか。PKが上手な選手というのもいるわけで,やはりスキルの差がでてくるのではないかと思います(元ガンバの遠藤保仁のコロコロやRomaTottiの”cucchiaio”などは名人芸です)。加えてゴールキーパー(GK)のスキルも重要でしょう。私の誤解かもしれませんが,PK戦が始まるまでの間,GKの権田に,何か策が与えられたという感じはありませんでした。試合前から十分に準備していたのかもしれませんが(誰が蹴ってくるか分からないとはいえ,代表選手の過去のPKを分析することはできたでしょう)。また日本チームのキッカーは立候補制だったそうですが,これも事前に準備しておくべきなのではないでしょうかね。PKに堂安が残っていれば違っていたかもと考えると,交替させずに残しておく手もあったかもしれません。ただこれは結果論でしょうね。
 現在のサッカーは情報戦なので,GKなら,相手選手の得意なコースなどの情報を得ていると,かなり守りやすいはずです。1990年のワールドカップの準決勝で,イタリアとアルゼンチンの試合はPK戦になりましたが,当時NapoliでプレーしていたMaradonaが,イタリア選手の特徴をよく知っていたので,GKに教えていたという話を聞いたことがあります(真偽は不明です)。もしそうなら,これも情報戦の一つですよね。
 同点に終わって満足するのではなく,その先のPK戦まで見越して,作戦を練っておくことも必要でしょう。そういえば,同じイタリアが,アメリカ大会の決勝で,ブラジル相手にやはりPK戦になって,Baresiがいきなり外し,Roberto Baggioまで外して,優勝を逃したことがありました。PKは,あれだけの超一流選手にもプレッシャーがかかるものなのでしょう。だからこそ,そこをうまく克服できれば,日本にもチャンスが出てくるかもしれません。そのイタリアが2006年に優勝したときの決勝戦も,フランスとのPK戦でした。あのZidane Materazziへの頭突きによるレッドカードという後味の悪い試合でも有名ですが,当時すでに世界的なGKであったBuffonがしっかり守っていました。
 森保監督も,今回の敗戦後に,PKの精度の向上を課題にあげたそうですが,チームとして戦略的に,PK技術の向上と相手方選手のPKの分析をすることも,ベスト8以上に進出するうえで必要かもしれません。ここではデジタル技術の出番です。AIに予想をさせて,GKの動きの癖やキッカーの癖を,それぞれキッカーやGKに伝えることは,ルール違反ではないですよね(将来的にはわかりませんが)。
 決勝トーナメントでは実力が拮抗するなか120分で決着が付けられないことも多いので,PKに強くなることは上に行くために必要だなと思いました。PKは運だ,というだけでは進歩しないような気がしますが,これは素人考えでしょうか。

2022年12月 5日 (月)

「人事の地図」に登場

 産労総合研究所から刊行されている雑誌「人事実務」が10月号から「人事の地図」にリニューアルされました。産労総合研究所では,10年以上前に「労務事情」という雑誌に15回連載をしたことがありますし,「労働判例」には,20年以上前に,海外判例研究というコーナーで,イタリアの判例の紹介を2回ほど書いたことがありますが,最近では,ほとんど付き合いがない会社でした。今回は,労働時間の特集をするということで依頼を受けました。担当の方が,私の本を読んでおられたようです。『労働時間制度改革』(中央経済社)でしょうかね。
 タイトルは,「労働時間規制の未来を考える」です。内容は,私が最近よく書いているような内容ですが,字数は短くコンパクトになっています。また各頁に図表が入っています。図表が雑誌の「売り」のようです。確かに,堅いテーマであっても,図表を入れたら読みやすくなるでしょうね。
 労働時間については,ビジネスガイドで連載中の「キーワードからみた労働法」でも,現在出ている号で「裁量労働制」というテーマを採り上げています。厚生労働省で7月に出された「これからの労働時間制度に関する検討会報告書」を読んで,労働時間制の見直し,とくに裁量労働制の見直しの動きがありそうだと思ったからです。ただ,裁量労働制は,これまで採り上げたことがなかったので,今回は,ベーシックなことを中心に書いています。
 報告書は,厚生労働省関係のものについては珍しく,私の考えと合致する未来志向の発想がみられるところがあり,少し驚きました。労働時間制度は,抜本的な改革が必要であり,この点については,昨年の日本労働法学会の報告でも一石を投じたつもりです。もちろん私は数歩先のことを想定した議論をしているので,そこにたどり着くまでの間は,厚生労働省が漸進的に制度の見直しを進めていくということにも意味があると思っています。ただ大切なのは,近未来のデジタル社会において,どのような規制ニーズがあるかをしっかりイメージしておくことです。

2022年12月 4日 (日)

韓国の物流ストに思う

 11月29日の日本経済新聞の電子版で,韓国の物流ストに対して,韓国政府が,運送業者に業務開始命令を出したという記事が出ていました。それによると,貨物事業者の法令をもとにストライキをしている者に現場復帰を求め,もしストを継続すれば免許停止や罰金を科す構えのようです。運送業者は個人事業者のようです。個人事業者のストライキが,韓国の法制上,どのように考えられているのかわかりません。
 日本では,労働者の場合には,争議行為に対して,労働関係調整法上の公益事業(8条)についての一定の制限があることに加え,緊急調整の決定にともなう50日間の争議禁止という(すごい)規定があります(38条)。このほか,電気事業及び石炭鉱業における争議行為の方法の規制に関する法律(スト規制法)というものもあります。「公衆の日常生活に欠くことのできない」エッセンシャル・サービスは,憲法28条で保障されている団体行動権の中核にある争議権ですらも,一定の制限を受けざるを得ないということです。日本の場合,運輸事業は公益事業に含まれているので(労働関係調整法811号),もし同じような物流ストを労働者が行えば,労働委員会が職権で調停をすることができますし,さらに政府が乗り出すとすれば,上記の緊急調整がありえることになります。ただ緊急調整は,「内閣総理大臣は,事件が公益事業に関するものであるため,又はその規模が大きいため若しくは特別の性質の事業に関するものであるために,争議行為により当該業務が停止されるときは国民経済の運行を著しく阻害し,又は国民の日常生活を著しく危くする虞があると認める事件について,その虞が現実に存するときに限り,緊急調整の決定をすることができる。」(35条の21項)と定められていて,かなり要件は厳格です。争議調整は,中央労働委員会で行われます(35条の3)。緊急調整がなされている間は,労務に従事しなければ(争議行為を継続すれば)罰則が適用されます(401項)。つまり,国民経済の運行を著しく阻害したり,国民の日常生活を著しく危くしたりするような場合であれば,この緊急調整・争議行為の50日間の禁止という規定の発動の問題となるのです。
 緊急調整の決定は,195212月に一度,発動されています。当時は,賃上げを求める電産スト,炭労ストが国民生活に脅威を与えていました。その後,1953年に上記のスト規制法が制定され,当初は3年の時限立法でしたが,その後,恒久法になっています。2014年の電力自由化の際に,スト規制法が再び話題となり,厚生労働省の部会で検討されました。労働組合側はスト規制法の廃止を要求しましたが,通りませんでした。たしかに労働関係調整法上も公益事業に関する規制があり,電気事業は公益事業と明記されているので,同法の規制で十分という組合側の考えもわからないではありません。スト規制法は,憲法28条との緊張関係があることも考慮されるべきでしょう。
 ところで,日本ではあまり想像できませんが,たとえばコロナ禍で,エッセンシャル・ワークにおいて,待遇改善を求めてストライキをするような組合が出てくればどうなるでしょうか。エッセンシャルだからこそ待遇を改善してよいということにもなりそうです。ところが,彼ら・彼女らはギグワーカーで労働者ではないから,労働組合が結成できないとなればどうでしょうか。こうなると,この前の都労委のUber Japan1社事件の命令の話にもつながってきます。労働者性を肯定すると,ギグワーカーもストライキができることになります。ところがエッセンシャルな業務ということを重視すると,理論的には,前述のように,内閣総理大臣が,労働関係調整法82項に基づき公益事業としての指定をし,緊急調整を決定して,争議行為を禁止するということもありえないわけではありません。フリーランス新法がどうなるかわかりませんが,新法では扱わないであろう団体法の領域に入ってくると,難しい問題がいっぱい出てきます。
 なお,イタリアでは,エッセンシャルな公共サービス(servizi pubblici essenziali)な部門でのストライキについての規制がなされており(イタリアは憲法により明文でストライキ権が保障されていますが,他の憲法上の権利との調整から一定程度の制限はありうると解されています),そのなかで,憲法上の人格権に対する重大かつ切迫した損害が発生する(根拠ある)危険性があるときには,専門の委員会が,徴用(precettazione)を命じることができるとしています(イタリア法における徴用については,拙著『イタリアの労働と法―伝統と改革のハーモニー』(2003年,日本労働研究機構)220頁以下)で概要を紹介していますので,関心のあるかたは参照してください)。この命令の対象には,独立労働者(自営業者)のストライキも含まれています。独立労働者のストライキが憲法上保障されているかどうかは議論がありますが,少なくともスト規制法での徴用の対象を考えるうえでは,エッセンシャルな公共サービスの提供が従属労働か独立労働(自営)のどちらであるかは関係なく,サービスが停止すること自体が問題だとされているのです。
 ここには労務の集団的放棄をめぐるきわめて難解な理論問題が横たわっており,研究を深めるのに足りる重要テーマ(まさに労働法の香りが強いテーマ)だと思います。若手研究者の取組みに期待したいです。

2022年12月 3日 (土)

最新重要判例200労働法の電子版

 拙著『最新重要判例200労働法(第7版)』(弘文堂)の電子版 が出ることになりました。私も早速,Kindleに取り込みました。刊行から約1年弱のところでの電子書籍版です。もし第8版が出るのなら,最初から紙と電子版の両方を出してみて,どちらの利用者が多いか試してもらいたい気もします。
 電子版があれば,PC,タブレット,スマホで本書を読むことができるようになるので,本を持ち歩く必要はなくなります。もちろん,紙媒体ならではの使い勝手の良さもあると思いますので,著者としては二冊ご購入いただいて,時と場合に応じて使い分けてもらえればと思います。
 ところで,法令については,紙の六法を使って検索することは,ほとんどなくなりました。原稿を書くときも,横にタブレットをおいて法令のサイトを出して参照するということがほとんどです。判例についても,ネット上のデータベースの利用です。その他の資料も,多くはネット上にあるので,それにアクセスすることになります。大学の教育の場面で考えると,紙の書籍はいつまで残るでしょうかね。出版社の次の戦略は,デジタル書籍の付加価値をいかにして高めるかでしょう。たとえば私の本でいえば,『人事労働法』と『最新重要判例』のどちらも購入している人には,相互に行き来できるようにリンクを張ることができればよいですね。本から判例に飛べたり,判例から本の該当箇所に飛べたりするということですが,そうなると,それは両者が合体した一つの本ということになるのかもしれません。 

2022年12月 2日 (金)

2大会連続の16強

 さすがに4時には起きれなかったのですが,5時くらいにトイレで覚めたときにスマホをみて同点となっていたので,思い切って起きようと決意してテレビをつけたら,すでに逆転していました。そこからずっと観ていましたが,感動しましたね。三苫がよく機能していたように思えました。堂安のゴールは,リアルタイムでは観ていませんが,きれいなゴールでした。田中の2点目は,人間の眼だと三苫のキックのときにゴールラインから出ていたようにみえますが,VARのおかげで救われたという感じですね。
 ドイツ・コスタリカ(Costa Rica)戦との同時進行もハラハラでした。日本は勝てばグループステージ突破ですが,1点差での引き分けとなると,ドイツ・コスタリカ戦の結果に左右されてしまいます。途中でコスタリカがリードしたときは驚きました。このままいけば,スペインとドイツが予選敗退ということになりそうでしたが,そこからドイツが猛烈に巻き返して勝ち,しかし結局,日本も勝ってしまったために,ドイツは得失点差や総得点差のリードをいかせないことになりました。ドイツとしては悔しいグループステージ敗退ですが,スペインがコスタリカから大量得点をとらず,たとえば10くらいであれば,結果は変わっていたかもしれません。点は取れるときに取っておかなければならないということですね。
 日本は,前のロシア大会では,コロンビアに勝って,セネガルに引き分けて,最終戦はポーランド戦でした。試合途中で01で負けていましたが,ほぼ同時進行であったセネガルが1点差で負けていることを知って,最後の10分は勝負を逃げて球を回すだけにして,ファールをもらわず,得点も奪われないようにするという超消極戦術をとり,セネガルが点を入れて引き分けたらおしまいだったのですが,そうならないことに賭けました。結果は,セネガルとの警告数(フェアプレイポイント)の差で決勝トーナメントに進出しましたが,点を取りに行かない戦術は批判も受けてしまいました。それでもベスト16でのベルギー戦は,相手をあと一歩のところまで追い詰めましたが,最後は逆転され,世界の壁を感じさせられました。
 今回は,W杯優勝経験国2国をやぶっての堂々のベスト16です。16強は同じでも,明らかに前回よりも内容がよいです。次は,ベスト8を目指して,前回準優勝のクロアチア戦です。クロアチアというと,一度も行ったことがない国で,ドブロヴニクには是非行きたいと思っています。カズもかつてザグレブに所属していました。決して裕福な国ではありませんが,サッカーは強いです。モドリッチのようにバロンドール(Ballon d'Or)をとったことのあるすごい選手もいます。今度は夜中の60時が試合開始なので,なんとか観戦することができそうです。個人的には,久保と鎌田にもっと活躍してほしいと思っています。

 

2022年12月 1日 (木)

寒波と第8波に備える

 寒波がやってくるということで,Uniqloのフリースとヒートテックを初めて購入しました。暖かいですね。夏の冷房回避に続いて,冬もまたできるだけ暖房器具を使わないのは,なかなか厳しいものがありますが,Uniqlo様に頼ることにしました。
 このほかにも,自宅にいることが多いので,できるだけラジオ体操をすることを心がけています。体操をしっかりやると身体は温まるので,暖房がなくても大丈夫[誤植訂正]です。
 今年はこれまで11月といってもかなり暖かく,ジャケットを着て外出することもまれでしたが,寒波が来るということで,身構えています。急激な気温の変化への対応は,加齢にともない難しくなってきているので,気をつけようと思っています。
 このように用心はしているものの,数日前から喉が少しいがらっぽくなってきて,起床時に若干咳き込むことも起きて,いやな予感がしていたのですが,熱はまったくなく,特に日中は大丈夫なので,おそらくコロナではないでしょう。一昨日は,NHKの「視点・論点」の収録がありましたが,とくに咳き込むこともなく,普通に喋ることができて,無事テイク1で終わりました(オンエアは12月の終わりのほうです)。
 インフルエンザの予防注射も終わり,明日はコロナワクチン4回目の(職場)接種です。これに安心せず,食事と休息で免疫力を高め,なるべく人混みのなかにはでないということで(といっても限界はありますが),感染の波を乗り切りたいと思います。

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