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2022年11月の記事

2022年11月30日 (水)

黙食について

 小学校の「黙食」(昔からあった言葉でしょうか)の要請がなくなるようです。文部科学省の通知で,「飲食はなるべく少人数で黙食を基本」とされていたのが,削除されて,「座席配置の工夫や適切な換気の確保などの措置を講じた上で,給食の時間において,児童生徒などの間で会話を行うことも可能」ということに変わったそうです。文科省は,もともと黙食を義務づけてはいないという趣旨のことを言っているようですが,なるべく黙食を基本とする,と言われたら,現場は,おしゃべり禁止令と捉えるでしょう。
 ただ,古い世代からすると,食事中はしゃべってよいというように,政府から言われると,ちょっと違和感もあります。もちろん,私もいまは,食事中おしゃべりします(たくさんします)が,子どものときは,食事中はしゃべるなと言われていました。食べるというのは,非常に大切なことであることに加え,口のなかのものが飛ぶかもしれないというマナーや衛生上の観点もあったのかもしれません(それと,寿司屋の大将が,新鮮なネタの寿司を出しても,隣の人とおしゃべりばかりして,食べてもらえずに残っているのは,あまり良い気分がしないと言っていたことを思い出しましたが,作った人の気持ちも考えるべきですね)。いずれにせよ,私の感覚では,食事中のおしゃべりは,基本的には行儀が悪いのであり,もちろん大人になると,その感覚はなくなっていきましたが,今回は小学生相手の通知ということで,ちょっと違和感をおぼえたのです。
 昔の日本では,特別な日を除き,食事は決して楽しい場ではなかったと思います。食事を家族団らんでとるというのは,それほど古いことではないはずです。西洋風の外食が一般的になり,それが家庭内の食事のとり方にも影響したのでしょう。小学校での給食の黙食は可哀想という意見が出てきたのも,こういう食事風景の変化と関係しているのだと思います。それに,しゃべりながらも行儀良く食べることができれば,それそれこそ,(グローバルスタンダードの観点からも)よい躾けになるでしょう。
 ただ,そう思う反面,たしかに黙食はいきすぎでしょうが,小学生は,給食の時間は,あまりおしゃべりはせず,出されたものをしっかり噛んで味わって食べて,昼休み時間を十分にとって食べたものを消化してから,午後の勉強に臨んでもらえればな,と思ったりもしてしまいます。

2022年11月29日 (火)

『鎌倉殿の13人』も,いよいよ大詰め

 日本史では,公暁は「くぎょう」と習いました,大河ドラマでは「こうぎょう」と呼ばれていました。実朝を暗殺した公暁は,三浦義村に殺され,ついに北条義時の天下となりました。最後の難敵は京の朝廷です。後鳥羽上皇との決戦である承久の乱が,今回の大河ドラマのフィナーレとなるのでしょうかね。
 日本史の授業では,なぜ公暁が実朝を暗殺したのか,詳しく習いませんが。そのあと,あっさり公暁も殺されており,印象としては,公暁はたんなる向こう見ずな行動をとった男ということになっています。大河ドラマでは,三浦義村が背中を押したということのようです(最後には裏切ります)。実朝の太刀持ちとして行列に参加していたはずの義時は同行せず,代わりに太刀持ちの地位を義時から奪った源仲章が公暁に殺されてしまったのですが,義時が同行せずに難を免れたことから,公暁の犯行の背後には義時がいたという説もあるようですが,三谷さんはその説はとらなかったようですね。義時が暗殺対象となっていたことを,義村は知っていたものの,それを止めはせず,しかし義時が生きていたことを知って,義時側に寝返ったというシナリオです。義村がすれすれの「ゲーム」をしているというストーリーですね。
 実朝の後継者は,朝廷から受け入れるという話がどうなるかも問題で,歴史の教科書では,朝廷からではなく,摂関家から受け入れることで妥協して藤原将軍が誕生することになったということは知られていますが,なぜそうなったのかということは教わっていません。大河ドラマでは,後鳥羽上皇の親王を鎌倉殿の後継者にするという実朝と後鳥羽上皇との約束を,実朝死去後も,鎌倉側からは断らずに,朝廷から断るように仕向けようという義時の策略が示されたところで,前回の番組は終わりました。上皇も親王を危険な鎌倉に送りたくないと思っているでしょうし,鎌倉側も朝廷の支配を受けたくないわけで,ただ言い出したほうが負けというなかで,義時は朝廷をたたく口実をみつけていこうとする大胆な発想をもっていたのでしょう。武士が朝廷と一戦をかまえるという発想は,田舎サムライだからもてたものかもしれませんが,これが歴史に残る承久の乱につながったのです。私たちは結果を知っています。鎌倉が朝廷を破り,上皇は島流しになり,これにより北条家の支配が確立し,のちに有名な北条時宗などがでてくることになるのですが,日本史のよくわからない部分に光をあてて,ドラマであるとはいえ,楽しませてくれています。残りの回が楽しみです。

2022年11月28日 (月)

日曜スポーツ

 昨日の日曜日は,多くの人が19時からテレビに釘づけになったことでしょう。Costa Rica(コスタリカ)戦の敗戦はショックでしたが,ワールドカップですから,そう簡単に勝てるわけがないということでしょう。相手は戦術が徹底されていました。日本は前半は攻勢でしたが,これは相手に攻めさせられていたという面もあり,徐々に行けそうだが行けないということが焦りになり,攻撃は空回りを続けた感じでした。初戦のメンバーを代えたことは,悪いことではないと思いますし,相馬や山下はそれなりに活躍しましたし,上田が前田よりも出来が悪かったようにも思えません。守田も負傷の影響はあまり感じさせなかったと思います。むしろ相手のほうが,しっかり防御の枚数をそろえて,敵の攻撃をひたすらかわし,無理をせずにじっとチャンスをうかがい,ワンチャンスでしとめたという点で見事だったのでしょう。スペイン戦では最低引き分けが必要ということで,厳しくなりました。スペインは引き分けで決勝トーナメント進出が決まります。どっちにしても,コスタリカがドイツに勝てば日本は敗退ですし,日本がスペインと引き分けて,コスタリカがドイツと引き分けてくれると,日本が勝ち残ります(初戦でコスタリカが大敗してくれていることが効いてきます)。ただ普通に考えると,ドイツが勝つでしょう。そうなると,ドイツが勝った場合は,得点次第ということです。日本は得失点差0となりますので,現在得失点差が-1のドイツが2点差で勝てばドイツが突破,1点差であれば総得点の差となりますので,ここまで日本は2点,ドイツは3点ですので,日本が引き分けてもスペインから何点とったかが大切になります。スコアレスドローねらいでは危ないです。もし総得点も同点となれば,直接対決で勝っている日本が突破となります。同時開始の最終戦は大注目ですが,試合時間が朝4時開始というのは困ったものですね。朝起きたときに朗報が聞けたらいいですが。
 もう一つ,大相撲は今場所も面白かったです。絶対的な横綱が休場で不在のほうが面白いですね。最後は平幕の阿炎が巴戦を制して逆転優勝しました。高安は,豊昇龍が途中で脱落してチャンス到来という感じでしたが,またも土壇場で力を発揮できなかったです。貴景勝は,最後は阿炎に負けましたが,123敗は大関の責任をはたしたといえるでしょう。来場所は,綱取りという声もあるようですが,横綱がいない場所の12勝ではちょっと無理でしょう。ただ最後の3日間で,豊昇龍,王鵬,若隆景に3連勝したところは,見事だったと思います。取組としてもよかったと思います。実は,貴景勝は,同じ大関の正代や関脇の御嶽海との対戦が組まれませんでした。正代はもはや大関の価値はありませんでしたし,御嶽海も10勝で大関復帰ができる場所でしたが,負け越すなど元気がなく,上位陣で孤軍奮闘する貴景勝にあてても,盛り上がらない取組になりそうでした。逆にいうと,それだけ正代も御嶽海もダメだったということです。最終盤で優勝がかかっている下位力士に対して,割を崩して上位陣とあてるというようなことは,これまでもありましたが,先場所優勝だが不調であった玉鷲も含めて,小結以上の3人がいずれも大関貴景勝とあたらなかったというような割の崩し方は尋常ではないような気がします。
 ともあれ阿炎は,実力は折り紙付きであり,これから上位に戻ってくるでしょう。やんちゃ坊主が本気になれば,豊昇龍,若隆景と並ぶ大関候補になる可能性は十分です。この争いに,十両復帰が濃厚な朝乃山が,割り込んでこれるかです。まだ番付上は遠いですが。

2022年11月27日 (日)

羽生・藤井の夢のタイトル戦が実現

 王将戦挑戦者決定リーグは,羽生善治九段が,豊島将之九段に勝ち,なんと全勝で藤井聡太王将(五冠)への挑戦を決めました。これは驚きです。現在の新旧のトップ棋士が勢揃いしたリーグでも,なお羽生九段は負けていないというところを見せてくれました。王将戦のタイトル戦は二日制ですので,羽生九段にとっては,自身の最年少記録を次々と塗り替えていく藤井王将との渾身の戦いが繰り広げられることでしょう。
 竜王戦のほうは,広瀬章人八段がふんばって2勝目をあげて,対藤井戦の連敗を止めました。藤井竜王(五冠)からみて,32敗となりました。次に広瀬八段が勝てば,最終局は面白くなりますが,そこまでもちこめるでしょうか。
 女流棋戦は,里見・西山の戦いが続きますが,倉敷藤花は里見香奈女流五冠が2連勝で防衛(8連覇)となりました。女流名人戦は,直接対決で西山朋佳女流二冠が勝ち,伊藤沙恵女流名人への挑戦をするのは西山女流二冠となりました。
 里見さんに続くプロ棋士編入試験も始まります。小山怜央アマの挑戦です。奨励会経験がない初のプロ棋士が誕生するかが話題になっています。対戦相手は,里見さんのときと同じ若手棋士5人であり,難敵ぞろいです。里見さんの挑戦が話題になりすぎましたが,小山さんの挑戦も注目されます。

2022年11月26日 (土)

リスクコントロール

 学部の少人数授業で,AIとリスクという問題について少し議論をしました。新しい技術のリスクを重視しすぎると,利便性を高めるチャンスを逸することになりますが,それはリスクの内容と程度によるということでしょう。日本人はリスク回避的な傾向があると言われますが,それが悪いことばかりとはいえません。もっとも資産形成において,あまりにリスク回避的であると,老後の生活資金が不安になることはあります。学生たちは金融教育を受けていないようであり,したがって投資についても,やたらとリスク回避的になったり,逆に無謀なことをしたりする可能性があるのです。岸田政権はNISAの恒久化などを言っていますが,金融教育がもっと広がらなければならないでしょうね。
 ところで技術とリスクの話に戻ると,そこで必ず出てくるのが,原発のリスクです。私は原発問題については,定まった意見がないのですが,この夏に岸田政権が原発稼働に積極的な立場を打ち出しこともあり,少し不安になりはじめているところでした。
 ということで,かなり前に入手していた樋口英明『私が原発を止めた理由』(旬報社)を読んでみました。元福井地裁裁判長で,福島の事故後において,大飯原発の運転の差止めを命じた裁判官が書いた本です。裁判官が自分の裁判の内容について解説するのは,非常に珍しいことでしょうが,それだけこの裁判は,樋口氏の魂がこもったものだったのでしょう。樋口氏の考えや裁判官としての姿勢に賛同するかどうかはともかく,この本は読むに値すると思いました。
 樋口氏は,原発稼働の判断は,専門技術者にゆだねてしまうべきものではく,普通の人であっても理性と良心に基づき行うことができるものだと述べ,その理由を丁寧に説明しています。要するに,原発の想定している地震は700ガル以下であり,それ以上の地震が来れば安全ではないが,そうした地震が来る可能性はないので,原発は安心だという電力会社の論理は,おかしいだろうということです。過去に700ガルを超える地震は起きており,原発の耐震性はきわめて脆弱であるから,彼は原発を止める判断をしたのです(しかし,控訴審で覆されました)。
 興味深いのは,裁判官の役割とは何かについての,樋口氏のスタンスです。共感したのは,専門的なことだからといって,専門家の判断に任せてしまってよいのかという疑問をもち,専門外であっても自分なりに納得できる判断をしたいという姿勢を貫いていることです。文系には理系コンプレクッスがあり,専門技術的な話に入り込むと手も足も出なくなりますが,実はほんとうに優秀な専門家は,理系,文系に関係なく,素人にわかりやすく説明できるのであり,それができないということは,実は専門技術的な話に巻き込んで素人を煙に巻いてしまおうという作戦である可能性もあるのです。賢い人は,プライドもあって,自分がわからないことにはノータッチであろうとしますが,それは知的怠慢なのかもしれません。
 樋口氏は,この本の最後のほうで,「この本を読んでしまった皆さんにも責任が生じます。自ら考えて自分ができることを実行していただきたいのです。」と書いています。私も自分でまずはしっかり考えてみたいと思います。
 いずれにせよ,樋口裁判長の判決は,たんなるゼロリスク信奉からくるバランスの欠いた判断であるという批判が的外れであることは,よくわかりました。理系の人からは,そうした批判もあるのですが,樋口氏がゼロリスク論者でないことは,この本を読めば明らかです。むしろ人間の生命や健康に多大な影響をもたらすリスクを,どうコントロールするのかに真摯に向き合っています。それについて国民を安心させる「説得責任」は,やはり原発推進派のほうにあるのでしょう。高校生にもわかるようなロジックで説明してもらいたいですし,もし岸田政権が原発推進論に乗っかるのであれば,首相自らきちんと説明をする責任があると思います。電力供給不足(一時的な問題にすぎない)や脱炭素(原発事故の環境破壊のほうがすさまじい)などをもちだすのは,論理のすり替えであり,ぜひ原発事故のリスクについて,それをきちんとコントロールできるということを正面から私たちに対して説得してもらいたいのです。要するに私たちは安心したいのですが,政府にそれができるでしょうか。

 

2022年11月25日 (金)

Uber Japan ほか事件

 東京都労働委員会が,ウーバーイーツ配達員の労働組合法上の労働者性を肯定する命令を出しました(Uber Japan事件命令書交付|東京都 (tokyo.lg.jp))。ちょうど昨日,あるところの研修会でフリーランス・ギグワーカーのことについて話す機会があり,労働者性の問題についてもふれたところでした。こういう命令が出る可能性があると予測していたので,とくに驚きはありません。
 ウーバーイーツユニオンのことは,自営的な就労の例として,拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」―真の働き方改革とは何か?』(2020年,日本法令)の冒頭にもとりあげていましたが,そこでは労働組合法上の労働者性が肯定される「可能性」に言及していました(4頁,18頁)。また『会社員が消える―働き方の未来図』(文春新書)でも,ライドシェアのケースではありますが,ドライバーが雇用労働者と判断される「可能性」があると書いており(160頁),労働組合法上の労働者概念のほうが,労働基準法や労働契約法上の労働者概念よりも広いと解されている(このことに理論的には疑問の余地はあるのですが)ことからすると,今回のような命令が出ることは予想できないわけではなかったのです。他国でも,不当労働行為救済制度という状況とは異なりますが,労働者性を肯定する判断があります。
 プラットフォームが使用者かということも問題となるのですが,プラットフォームは,法的に使用者かどうかに関係なく,その社会的責任として,業務委託関係にある就業者の利益に配慮した行動をとるべきであるということは,日経新聞の経済教室をはじめ,いくつかの論考で書いています。法的な労働者性や使用者性にこだわらずに,企業として働く人の環境整備をする責任があるということです。今回のUber Japanの業界でも,フードデリバリーサービス業界の配達員の就業環境の整備に関するガイドラインが出されており(私もかかわっています),これはそのような事業者の団体の社会的責任の一つといえるでしょう。
 今回の都労委命令は,今後,理論的な検証が必要となるでしょう。たとえば労働者性については,配達員は事業の遂行に不可欠な労働力として確保されているものの,個々の個人レベルでは複数のプラットフォームに登録することが許されていて,特定のプラットフォームの事業に必ずしも組み込まれているわけではないという状況をどう評価するのかが気になります。今後,研究会で取り上げて分析する必要があると思っています。
 ただ,どのように判例や命令を分析しても,労働者性や使用者性は,その概念の曖昧性や総合判断としての性格から,明確性を期待することは困難で,微妙なケースとなると紛争は不可避です。私の提案は,いつも書いているように,事前認証手続の創設です。たとえば労働組合法上の労働者性であれば,労働委員会で事前認証して労働者性の有無などを確定させるという手続を導入することが必要ではないかと考えています(拙著『人事労働法ーいかにして法の理念を企業に浸透させるか』(2021年,弘文堂)242頁)。紛争が生じる前に一定の法的性質決定をしてしまうことにより,余計な紛争が起きないようにするのです。たとえば,もし配達員が労働者であると性質決定してしまえば,それを前提にプラットフォーム側も対応しなければならないということです。
 ただこれとは別に,そもそもプラットフォーム・エコノミーという新たな経済システムをどう育成するかという視点も必要で,そうした政策論のレベルに立つときには,労働法の労働者性や使用者性という狭い議論を乗り越えていかなければならないでしょう。

 

2022年11月23日 (水)

大会批判は妥当か

 サッカーのワールドカップのQatar大会は,開幕戦でオフサイドのテクノロジー判定があって驚きました。前大会から入ったVAR(Video Assistant Referee)もサッカーを変えたと言われていますが,人間の眼ではチェックできないところをしっかり確認できるということで,以前のサッカーにあった見つからなければよいというような狡猾なプレーが減ることになるのでしょうかね。将来的には,人間の審判なしのゲームも可能かもしれません。ただ,ファールの判定基準をAIに学習させるのは容易ではないかもしれませんが。
 Saudi Arabia Argentina に勝った試合はびっくりしました。後半から観たのですが,いきなり同点,逆転となって,そのあとは試合に釘付けになりました。大番狂わせなのでしょうが,Saudiが堂々と勝ちきった感じです。スタジアムの応援も大きかったかもしれません。中東のチームと戦う相手は大変ですね。
 スタジアム外ですが,FIFAInfantino 会長(イタリア系スイス人)は,Qatar大会への批判が高まることについて,"For what we have been doing for 3,000 years around the world, we should be apologizing for the next 3,000 years before giving moral lessons“,と述べました。Qatarでスタジアム建設に従事した移民労働者が過酷な労働条件で働かされていたこと,Qatarが同性愛を認めていないことなどが批判の対象のようです。人権に敏感であることは当然ですし,その点でQatarに問題なしとはいえないのでしょうが,やや違和感もあります。WBSで滝田洋一さんが言われていたように,新疆ウイグル地区の人権問題を抱えていた中国で開かれた北京の冬季オリンピックでは,そこまでの批判はありませんでした。Qatarは中国と違って弱小国だから,思い切って批判しているのではないか,というのです。
 Infantino会長の発言は,ワールドカップを守る立場にあるからという理由もあるでしょうが,欧州人としては勇気あるものであり,非欧州人が思っていることを口にしてくれた気もします。ほんとうに前向きに物事を考えるのであれば,この大会を潰すことではないのでは,という意見にも耳を傾けるべきでしょう。むしろQatarに押し寄せて,ビールを飲ませろという多くの西洋人たちこそ,異国の宗教や文化への配慮に欠けるとは言えないでしょうかね。西洋人の考える人権も,彼ら,彼女らが長い歴史のなかではごく最近につかんだ一つの文化にすぎないともいえるからです。

2022年11月22日 (火)

カスタマーハラスメントの背景

 大学院の授業で扱ったNHKサービスセンター事件(横浜地裁川崎支部20211130日判決)は,NHKの放送普及などを行う一般社団法人においてコールセンターのコミュニケーターに従事している労働者で,約17年間,有期労働契約を更新したあと,20198月に無期転換した者が,60歳定年を理由に同年末に継続雇用の拒否が通知されたというケースです。判決は,この拒否を適法としました。本来は高年法9条の私法上の効力という論点が関係しており,これについては,たとえ私法上の効力を否定したとしても,就業規則や再雇用規程を根拠とするなど,いろいろな解釈的手法をもちいて,定年後の雇用継続を認めようとする議論が展開されてきました。かりに高年法9条に私法上の効力がないとしても,それは,同条を直接の根拠として継続雇用が認められるわけではないというだけで,別の法的可能性は否定されていないわけです。実は,本判決は,継続雇用拒否が妥当性を欠くわけではないと述べているのですが,その「妥当性」が何についての判断なのかが明確ではありません。もし「妥当性」が欠けていれば,いったいどのような結論になっていたのでしょうか。雇用が継続するという結論になったとしても,それは何が根拠となるのでしょうか。明確なのは,原告労働者が定年に到達していることと,高年法には私法上の効力を認めない立場であること(学説上はもちろん異論はあります)であり,そうするとなぜ雇用継続が認められるかの法的根拠が必要となるわけです。この判決は,そのような法的な判断根拠を示さず,ただ結果だけ述べた不十分なものと思われます。
 それはさておき,私は無期転換組と当初からの無期雇用組では,雇用保障の程度が異なることには合理性があると考えています。その点では,本判決の結論が「実質的にも」妥当といえる余地がありそうです。また,客からすると,客と議論してしまうようなコミュニケーターは困ったものであるという気もします。電話での対応がよければ,企業への好感度が高まることからすると,やはりコミュニケーターの接客力は重要です(個人的には,ソニー銀行のお客様対応がこれまで一番よかったので,いまでも好印象です)。とはいえ,猥褻目的のものも含め,困った問題顧客にまで丁寧に対応すべきとはいえないでしょう。
 これはカスタマーハラスメントへの対応という問題と関係します。本件は,この点も問題となっており,裁判所は,使用者側の対応に問題はなかったとしています。一般論として,困った顧客がいるとき,「お客様は神様」という姿勢での対応を従業員に求めるのは,そのこと自体が従業員にとってのハラスメントになるでしょう。また本件では,判決は委託元のNHKへの配慮という点も考慮していますが,それを言い出すと受託法人の従業員の立場はきわめて弱いものとなるでしょう。委託元もお客様で,それも神様となってしまうでしょうかね。これは業務を外注化するアウトソーシングのもたらす弊害といえそうです。
 かつて私は『雇用はなぜ壊れたのか―会社の論理vs. 労働者の論理』(ちくま新書)という本のなかで,会社の論理と労働者の論理の対立を論じたうえで,最後に労働者の論理と生活者の論理との対立にふれています。日本では両者の論理が絶妙のバランスをとっているというのが,同書を書いた約15年前の私の見解でした。もっとも,その後は,生活者の論理,さらには消費者の論理が徐々に強まってきているような印象ももっています。労働者もまた消費者です。自分が労働者として虐げられているから,消費者になったときには同じことをするというのでは,世の中はよくなりません。そこを逆転させるのは,本来は,労働組合の役割なのかもしれません。労働者の論理を通し,自分が消費者になったときには不便を我慢するということが広がれば,カスタマーハラスメントの状況も,変わっていくかもしれません(以前にも同じようなことを書いた記憶があります)。
 カスタマーハラスメントの法的問題については,ビジネスガイド(日本法令)に連載中の「キーワードからみた労働法」の次々号のテーマで採り上げたいと思っていますので,詳細はそちらに譲ります。

2022年11月21日 (月)

近代法と日本

 前回の学部の少人数授業では,小塚荘一郎さんの『AIの時代と法』(岩波書店)の最終章「法の前提と限界」を読んで議論をしました。私は主たる教材は,拙著『デジタル変革後の「労働」と「法」』(日本法令)をつかっているのですが,これは主として予習・復習用で,授業の中では,関連する文献を指定して議論をするということにしています。今回の小塚さんの本は,2年生相手にデジタル技術と法の問題を考える際の非常に良い教材と思って指定しました。デジタル技術との関係だけでなく,一般的な「法の前提と限界」論の勉強にもなります。
 最終章のはじめに,「科学技術の発展によって新しい状況が出現したとき,専門家の中には,『それに適合した新しい枠組みが必要だ』と言い出す人と,『これまでも似たような状況はあった』と主張する人が,常に現れる」と書かれています(200頁)。デジタル技術と労働という問題においても同様で,私は新しい枠組み派ですが,従来の枠組みを活用しようとする人のほうが多数でしょう。後者は解釈論でなんとか対応しようとする人もいれば,立法をする際も従来の延長線上でという人もいます。従来枠組み派のほうが,法的安定性という点でも,また立法を手早く,比較的容易にできるという点でもメリットがありますが,法の内容が時代後れとなる危険性が高いというデメリットもあります。
 また小塚さんの本は,日本では,欧州から継受した近代法を,「サイズの合わない既製服」であるという意見があることを紹介し,その理由について,近代法の沿革やそれを日本が継受した経緯を簡潔にまとめて説明してくれています。これも学生にとって良い勉強になったと思います。
 また日本の多くの経営者は,「法的な義務がなくとも,ステークホルダーの理解を得て,納得してもらうことが必要である」と考えているとします(218頁)。ここでいうステークホルダーには従業員も含まれます。小塚さんは,日本ではこういう法的な義務ではない規範があるところに,権利・義務の体系で成り立っている近代法と違うものがあると指摘しています(220頁)。私が『人事労働法』(弘文堂)で展開している納得規範は,これを法的な義務論に組み入れていくものであり,その意味で近代法から逸脱していることになるのでしょう。周回遅れのポストモダンということでしょうかね。

 

2022年11月20日 (日)

天彦の気持ちがわかるかも

 法科大学院の入試が終わりました。コロナ以降,いろんな試験の監督をしているとき,ほとんどの学生はきちんとマスクを着用していますが,ときどき,試験時間終了間近になると,マスクをはずしたままにしている学生が出てきます。マスクに対する適応性は人それぞれですが,日本人の多くは他人の目を気にして我慢してつけています。ただ,このマスクのために,集中できない人もいるでしょう。試験の場合には,みな同じ条件でやるべきとはいいながら,黙って試験に取り組んでいて,少なくとも他人への感染リスクはかなり低いのでマスク着用をそれほど厳格に求める必要はないような気もします(咳がでる人はエチケットとしてマスクをする必要はあるでしょう)。
 こういうことを考えると,佐藤天彦九段の反則負けのことが気になります。棋士は,対局中は普通は喋りませんので,感染リスクは比較的低いでしょう。終盤の大詰めで集中して考えている時間帯に,マスク不着用をとがめられて敗戦となるというのは,やはり厳しすぎる感じがしますね。高度な集中力が求められる知的な世界において,マスクごときに影響を受けるのはどうかという気もします。
 もちろん私は,少しでも感染リスクがあるところに出ていかなければならないときはマスクを着用しますし,他人にもマスクをつけておいて欲しいと思います。でも,それもときと場合によるでしょう。受験生や棋士に,どこまでうるさく言うべきかは,よくわかりませんね。私自身は,マスクをつけていると苦しくなるし,口内が乾燥するなど身体によくないし,階段を降りているとき下がよくみえなくて危ないこともあるなどの理由で,できるだけマスクを付けなければならないようなところには行かないようにしています。幸い,私の現在の仕事の多くは,リモートでできるので,マスク着用機会は最小限に抑えられていますが,これからも同じようにいくかは何ともいえません。いまは対面型は少人数のゼミ形式の授業しでかしていませんが,やりにくさはあります。いつも書いているように,学生の言葉がマスク越しでは聞き取りにくかったり,こちらも声を張り上げて話すので喉が痛くなったりします。教師は大学でも自宅でも出張先でも,どこからでも授業をできることとし,学生のほうも,大学でも自宅でも下宿先でも,どこででも授業を聴講できるような状況を,はやく実現してほしいです(規制やローカルルールの改正が必要)が,私の定年までに実現しますかね。

2022年11月19日 (土)

岡田監督登場

 岡田彰布監督の登場により,シーズンが終わったばかりなのに,阪神タイガースの話が毎日報道されています。監督は優勝という言葉は封印して「アレ」と言うことにしているそうなので,私たちもそれに従うことにしましょう。「アレ」にそれほどこだわらなくてもよいですが,今年とほぼ同じような戦力で,監督が変わると野球がどこまで変わるかが楽しみです。同じ素材で料理がどう変わってくるのか,という感じです。
 今年はこれだけハズレ外国人をひいても,ここまで戦えたというのは誉めるべきなのか,スカウトの能力の低さを嘆くべきなのかよくわかりませんが,日本人だけで日本シリーズを制覇したオリックスを見習って,高い年俸の外国人に頼らないチーム作りをしてもよいような気がします。
   センター近本以外は競争で,サトテルが3塁,大山が1塁に固定すると監督は言っていますが,実際にはどうなるかわかりません。中野は2塁にコンバート,小幡をショートでと言っていますが,もちろん糸原,木波あたりも黙ってはいないでしょうし,日本ハムから有力な選手をトレードで得ています。外野は近本以外はぽっかり空いている感じで激戦が繰り広げられるでしょう。高山の復活待望論もありますが,再生するでしょうか。監督が替わった今年が彼にとっての最後のチャンスでしょう。
 投手陣については,岡田監督は,前の監督のときJFKというシステムをつくりだしました。先発が6回まで1点でもリードしていれば,7回から1イニングずつ3人の投手(Jeff Williams,藤川球児,久保田智之)を繰り出し,抑え込むという戦法です。クローザーができるくらいの力をもつ投手を3人そろえなければできないことです。この戦法は革命的であったと言われているのですが,私がもし監督だったら,これを進化させて,3回までに1点でも勝っていれば,6人の投手を投入して抑え込むという戦法を考えてみたいですね。これだと先発には勝ちがつきませんが,年俸で評価するのです。先発完投型の投手は集めず,短いイニングなら抑えられるという投手を中心に集めるのです。先発投手は,かつてのように完投できる投手は少なくなってはいるものの,勝ち投手の権利を得られる5回までは投げるべきとか,6回を自責点3点以内におさえるクオリティ・スタート(Quality Start)は大切だとか言われてきているのですが,発想を切り替えて,JFK戦法の拡大版で戦うことも試してみてもよいと思います。新しいJFKは,岩崎,浜地,湯浅(IHY)にして,青柳,伊藤以外は(西勇には期待していません),高橋遙人,西純,秋山,才気は3イニングだけで,岩貞,桐敷,及川,島本,小川,ケラーあたりでつないで,最後はIHYでしめるというのはどうでしょうかね。

2022年11月18日 (金)

割烹料理からイタリアンに

 伝統的なことは男性が独占し,女性は排除されたので,女性は新しいものに関心を向けざるを得なかったという話を聞いたことがあります。
 割烹店など一流の高級料理店は,男性が料理人で,客をもてなすのは和装の女性というのが定番です。これは現在でも変わりなく,日本文化のようになっていますが,このスタイルは,明らかに客が男性であることを想定して展開してきたものと思われます。伝統的なものは男性好みにできあがっているのです。そこから排除された女性が,イタリアンやフレンチなどの洋食を好み,そして,それが徐々に広がっていったのです。
 もう15年前くらいになりますが,私が当時最年少であった会で、参加者のほぼすべてが男性という宴会で,事務局にイタリアンレストランを提案すると,そんなところは年輩の方は受けいられないという理由でいったん拒否されたことがありました。「イタメシ」という言葉もあり,カジュアルな印象も強かったのでしょう。ちゃんとした宴会は,膳のある和食でなければならないという意識は,いまはどれほど残っているかわかりませんが,少し前までは主流でした。おじさんたちは,伝統的なものしか味わわないなか,その外にある多くの美味しいものを食す機会を逃していたのかしれません。結局,その会ではイタリアンの提案がとおりました。高級イタリアンのすごさを知ってしまってからは,イタリアンの提案を拒む人はいなくなりました。中華,和食,イタリアン,フレンチとバリエーションが広がり,宴会も楽しくなったのです。
 伝統的によいものは,男性と一部の女性が独占してきたという図式で世の中をみると面白いです。雇用の世界もそうでしょう。日本型雇用システムの最大の受益者は,男性正社員でした。均等法後は,そこに一部の女性が加わりました。日本型雇用はいわば「割烹料理」です。一方で,「イタリアン」も「スパニッシュ」もいいよと言って自由な働き方をする女性が,フリーランスには多いのです。伝統にこだわらず,自分で「料理」の味を確認し,それがよいと思えばそれを楽しむというのが,実はフリーランス的な働き方の醍醐味なのかもしれません。男性たちは,フリーランスの人は「割烹料理」を食べたいと言っているのだから,食べさせてあげなければならないというような上から目線の議論をしがちですが,それは誤解なのです。彼女たちが求めているのは,何を食べようが,基本的なルールは同じにしてね,ということです。もちろんフリーランスの中には,女性だけではなく,男性も最近は増えてきています。少し前までは,自分はフリーランスでも,息子はやっぱり会社員でいてほしいという女性もいました。しかし,そういうことにならないようにしなければなりません。
 宴会が「割烹料理」から「イタリアン」を含むものに移行して多様化していったように,実は仕事の世界も,伝統的な日本型から,フリーランスも含めた多様なものへ移行していくことになるでしょう。イタリアンも,サイゼリアから,Sabatiniまでいろいろあるように,フリーランスの世界もいろいろです。そうした多様化の先陣を走っているのが女性たちです。
 「割烹料理」を中心に据える発想から脱却することが,多くの人が自由に働ける社会を実現するための第一歩です。

2022年11月17日 (木)

棋戦情報

 藤井聡太竜王(五冠)は,挑戦者の広瀬章人八段に勝ち,1敗後,3連勝で,防衛まであと1勝となりました。A級順位戦でも,藤井竜王は広瀬八段に勝って,豊島将之九段と並んで4勝1敗でトップを走ります。竜王・名人に向けての期待が高まります。広瀬八段は,藤井竜王相手に完敗続きで、竜王復位も名人戦挑戦も厳しくなりました。
 王将戦は,羽生善治九段が5連勝で,プレーオフ以上の進出を確定させました。豊島九段は4勝1敗で追っており,次の羽生戦に勝てば5勝1敗となり,引き続き羽生九段とプレーオフで戦います。羽生九段が勝てば藤井王将(五冠)への挑戦が決まります。リーグでは,渡辺明名人(二冠)が1勝5敗と不調で,早々にリーグ陥落が決まりました。これは意外な結果です。若手の服部慎一郎五段も陥落が決まっており,あとは2勝3敗で並ぶ糸谷哲郎八段と近藤誠也七段の最終局で負けたほうが陥落となります。永瀬拓矢王座は残留を決めています。
 羽生九段は,棋王戦では決勝まで勝ち上がっていましたが,あのマスク事件の佐藤天彦九段に敗れました。棋王戦はベスト4以上は変わったシステムで,準決勝や決勝で1回負けても敗者復活があります。そこからは2敗したところで敗退というシステムです。佐藤九段は挑戦者決定戦に進出を決め,あと1勝すれば(2連敗しなければ)渡辺棋王(名人)への挑戦が決まります。佐藤九段に準決勝で負けていた藤井竜王(五冠)は,同じく準決勝で羽生九段に敗れていた伊藤匠五段と戦い,その勝者が挑戦者決定戦への進出をかけて羽生九段と戦うことになります。藤井竜王と伊藤五段は挑戦権を得るためには4連勝が,羽生九段は3連勝が求められますが,いったん負けてもまだ可能性が残っているのが,この棋戦の特徴です。準決勝で敗れたあと,4連勝して挑戦権を得た棋士は数名いますが,タイトル奪取までしたのは,2002年の丸山忠久九段だけです。藤井竜王は20年ぶりの準決勝敗退後のタイトル奪取者になるでしょうか。

2022年11月16日 (水)

一宮労基署長(ティーエヌ製作所)事件

 大学院の授業で,一宮労基署長(ティーエヌ製作所)事件の名古屋高等裁判所の判決(2021428日)を扱いました。業務上の負傷から2年経過後に発症した適応障害について業務起因性が認められるかが問題となった事件です。行政のだしている「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(2011年)によると,業務上の疾病と認められるための要件は,①対象疾病を発病していること,②対象疾病の発病前おおむね6か月の間に,業務による強い心理的負荷が認められること,③業務以外の心理的負荷および個体側要因により対象疾病を発病したとは認められないこと,です。本件で問題となっているのは,②の要件であり,それによるかぎり,事故が2年前であったことから,適応障害の発症に業務起因性を認めるのは困難とも思えます。実際,労基署長は,精神障害(労働者はPTSDと主張)について,まず療養補償給付を,ついで休業補償給付を請求しましたが,いずれも不支給決定がされ,第1審もその判断を支持していましたが,控訴審はこれを覆しました。判決は,労働者の精神障害は適応障害であるとしたうえで,事故による心理的負荷と事故による左眼の負傷による心理的負荷は,負傷後の疼痛と視力の低下も含めれば,当該労働者と同程度の年齢,経験を有する平均的労働者にとっても相当強度なものであったというべきであり,「とりわけ視力の低下が本件事故から約2年後の発病当時も継続していた状況にあったことも総合的に評価すれば,……本件事故と適応障害の発病との間の相当因果関係を認めるに足りる程度の強度なものであったと判断される」としました。認定基準との関係では,「業務上の出来事(本件事故)による左眼の当初の傷病の発生自体は精神障害発症の6か月より前であるが,左眼の症状が精神障害発症当時も悪化を続けて苦痛を生じている場合も,除外するのは相当でない」として,6カ月基準はあくまで標準にすぎず,その例外を許容しない趣旨ではないと捉えているようです。おそらく本件のように,2年前の事故による負傷でも,そこから生じた症状がなお悪化を続けて苦痛を生じているという場合には,6カ月よりも前の出来事も評価の対象に入れてよいという判断を示したものといえます。
 本判決も含め,裁判例は,認定基準には合理性があるとしてその内容を参考にするといいますが,なお個別具体的な事情に応じて総合的に考慮した判断をするとも述べています。労災行政の実務では,公平性や判断の迅速性という観点から,その処理が認定基準に基づく画一的なものとなり,それがややもすれば労働者の救済の面で物足りない結論になることもあるのですが,そうした場合に,しばしば裁判所は行政の不支給決定を取り消すことをして救済を図ってきました。まさに個別具体的な事情による総合的な考慮をしてきたのです。また,脳・心臓疾患の事案のように,最高裁の判断が,認定基準の改正をもたらすこともありました。とはいえ,今回の精神障害の認定基準における6カ月基準は,業務起因性においてとても重要なポイントとなるところなので,それに従わなくてよい場合がどこまであるのかが明確にならないと実務は混乱する可能性があります。加えて,本件では,適応障害発症の原因は複合的であり(5つの原因が挙げられ,そのうち2つが本件の事故によるもの),業務以外の原因も関係していると認定されており,第1審は,そのうちの休業補償の打ち切りによる経済生活への不安が発症原因であると特定していました。高裁とは判断が異なるのです。2年も経過してしまうと,発症原因が曖昧になりがちであることも,判断が分かれる原因になった可能性があります。その点で,認定基準が,6カ月と評価期間を区切っているのには理由があるのです。
 いずれにせよ,本件では労働者に有利な結論になったから良しとするのではなく,高裁判決の結論が妥当であるとしても,どうして行政段階で労働者を救えなかったのか,また高裁判決の結論に問題があるとすれば,どうして高裁判決のような判断が出たのかを,じっくり検討することをとおして,精神障害(あるいは脳・心臓疾患)を労災保険制度で扱うことをめぐる問題点について考えを深めていく必要があると思っています。

2022年11月15日 (火)

「ウォーデン 消えた死刑囚」

 昨日に続いて,もう一本,映画を紹介します。今度はイラン映画です。「ウォーデン 消えた死刑囚」という邦語タイトルです(ペルシャ語の原語が読めないのですが,alphabetでは Wardenとなっています。Redskin という意味だそうで,これはタイトルにある消えた死刑囚のあだ名です)。以下,ネタバレあり。

 空港建設のため移設が決まった刑務所。刑務所の所長は,無事,新刑務所への移転ができれば,出世が約束されていました。ところが,囚人を無事移転させたと思ったところ,一人足りないことが発覚しました。死刑囚アフマドです。所長は刑務所内にいることは確実であるとして,必死に探しますが見つかりません。この死刑囚を担当していた社会福祉士の女性カリミ(これが超美人)にも協力を求めて,何とか見つけ出そうとします。所長は,カリミに恋心をもっていましたが,カリミは,実はアフマドをなんとか脱走させたいと思い,所長の周りにいました。カリミがそう思うのは,アフマドが無実である可能性がきわめて高いからです。所長も徐々に無実ではないかと疑い始めます。死刑囚の家族からの嘆願,アフマドの蛙を大事にする心優しさ,死刑囚に不利な証言をした証人が実は偽証していたことの告白などがあったからです。とはいえ,アフマドが見つからなければ,どうしようもありません。建物を閉鎖してガスを充満させますが成功しません。アフマドは靴墨を顔に塗って隠れていたのですが,この映画ではシルエットは一瞬出てきますが,最後まで顔は明らかになりません。
 刑務所の解体が始まったとき,所長は絞首台の設計図をみて気づきました。絞首台のなかに隠れ場所があったのです。ちょうど絞首台は,刑務所からトラックで外に運び出されていました。所長は,新しい刑務所には,新しい絞首台の製作を囚人に依頼していました。古い絞首台は不要となったから廃棄されようとしていたのでしょう。
 所長はアフマドの家族と一緒に,絞首台を乗せたトラックを追いかけます。そして追いついてトラックを止めて,絞首台の基礎部分の扉を開きます。彼は何かを確認したようで(アフマドがいるのに気づいたのでしょう),そのままトラックを行かせます。この最後のシーンで,実はアフマドは登場することになります。なぜかというと,そのシーンは,アフマドの視線でみた情景が描かれているからです。所長の顔を確認し,その後,家族(妻と娘)の顔を確認します。車が立ち去るなか,所長が彼を捕まえなかった安堵感に包まれて映画は終わります。
 所長の任務に忠実であろうとすること,しかも自身の昇進がかかっていることがある一方で,無実の者を絞首刑にすることへのためらい,カリミへの恋心などが交錯する人間ドラマです。とくに劇的な展開があるわけではありませんが,落ち着いた感じの良い映画だと思いました。

2022年11月14日 (月)

Un Homme Idéal

  フランス映画です。邦語タイトルが「パーフェクトマンー完全犯罪―」ですが,ちょっと違うなという訳です(いつも,邦題にケチをつけていますね)。直訳すると「理想の男」ですが,なにが「理想」かは,実は私はよくわりませんでした。
 Alain Delon(アラン・ドロン)の「Plein Soleil(太陽がいっぱい)」をどこか彷彿とさせる映画です。ある美青年の犯罪なのですが,最後は少し悲しいです。フランス映画は,こういうのがうまい印象があります。評価は分かれるでしょうが,私は好きな映画です。以下,ネタばれあり。

 主人公のMathieu(マシュー)は作家志望ですが,出版社に原稿を送るも相手にされず,日頃は運送業の仕事で生計を立てていました。夢追い型のフリーターという感じでしょうか。あるとき仕事で遺品処理の作業をしていると,アルジェリア戦争に参戦したらしい故人の日記が出てきました。その内容が素晴らしかったので,Mathieuはそれを「Sable noir(黒い砂)」というタイトルの自分の作品として出版社に送ったところ,出版が決まり,ベストセラーになりました。彼は受賞パーティで,Aliceという美しい文学研究家と会います。Aliceは,以前に講演しているところを,バイト中に目撃して,その話を聞いたことがありました。文学作品の批評は厳しいAliceですが,Mathieuの作品(にせもの)は彼女のお眼鏡にかないました。二人は恋に落ちます。3年後,Mathieuは,Aliceの両親の過ごす豪華な別荘に滞在しています。ただMathieuは,当然のことながら,次作がなかなか書けません。前借りした原稿料は底を突き,出版社からは矢のような原稿の催促がきます。原稿については,暴漢に襲われたことを偽装して大けがをしたことを理由に,なんとか時間稼ぎをしました。そのようななか,彼の著書のサイン会で,一人の男が現れて,Mathieuを脅迫します。この男は,Mathieuが盗んだ日記の持ち主のことを知っていたのです。お金のない彼は,Aliceの父親が大事にしている銃を,泥棒が入ったような偽装工作をして盗んで脅迫者に渡します。脅迫はエスカレートしますが,あるときMathieuが盗んで部屋に隠していた銃を,Aliceの幼なじみで,別荘に一緒に滞在していたAliceの従兄弟Stanが見つけます。Stanは,Mathieuのことを,その小説家としての能力も含め,不信を抱いていました。もみ合うなか,MathieuStanを殺してしまいます。死体はバスルームに隠し,Stanは失踪したことにします。そして,夜にStanの死体をうまく梱包して,海に沈めます。しかし,その後,Stanの死体が浮かび上がります。ツメに皮膚が残っていたということで,全員にDNA検査が求められることになりました。絶体絶命のMathieuは,脅迫男を連れて事故を起こし,車ごと焼いてしまいます。彼の腕に時計を付けることによって,死体はMathieuであると偽装します。Mathieuは,Alice が先に旅立つ前に,書き上げた作品を渡していました。タイトルは,自分のこれまでの嘘を告白して書いた「Faux-Semblants」(偽物)というタイトルの本でした。自分のことだったので,すらすらと書けたのでしょう。2年後,彼は元の仕事に戻っていました。あるとき,書店で,彼の本が並べられていました。Alice が店内で講読会をしているようでした。その後,Aliceは一緒にいた彼女の母が抱いていた赤ん坊を受け取ります。Aliceは何かの気配を感じたように,窓の外をみますが,Mathieuは立ち去ります。
 Mathieuは再び(今度は自身で)ベストセラーを書いたのですが,もはや彼はこの世にいない存在です。完全犯罪は成功しましたが,最愛の妻も子も失いました。

2022年11月13日 (日)

ジョブ型

 学部の少人数授業で,先日は,濱口桂一郎『ジョブ型雇用社会とは何か』(岩波新書)を採り上げました(いつもご著書を,お送りいただき,ありがとうございます)。ジョブ型の元祖提唱者の議論をしっかり理解してもらおうということです。ちなみに,濱口さんは,つい先日,NHKの視点論点にも登場されてジョブ型のことを語っておられました。私も実は,この番組からのオファーがあり,今月末に収録予定です(自宅からSkypeで)。
 濱口さんのジョブ型の議論は,もともと日本のメンバーシップ型との対比で欧米のジョブ型を念頭においているものですが,それは広義のジョブ型の一つにすぎないものです。日本企業がジョブ型をめざすというときには,いろんなタイプのものがありえるはずです。とはいえ,ジョブ型という以上,最低限,必要なこともあります。それは,職務を明確にして採用され,賃金もその職務を基本とするものであるということです(本書における,ジョブという椅子に賃金という値段が貼り付けてあるというのは,うまい表現です)。そのうえで,雇用保障がどうなるか,賃金について職務以外の要素をどこまで組み込むかをめぐり,バリエーションがありうるのです。ただ,職務が明確になっていれば,その職務について求められている技能がないことを理由とする解雇は有効と認められやすくなるでしょう(企業に求められる解雇回避の範囲が限定される)し,ビジネスモデルが変わって,従来のジョブが不要となれば,解雇は有効となりやすいでしょう。これがジョブ型の世界です。
 また,職務給については,ブルーカラーの職務給はわかりやすいですが,専門性が高くなりその職務が請負的なものとなってくると,成果型報酬とも親和性が出てきます。それゆえ,ジョブ型だからといってつねに成果型とまったく違うとは言い切れないところがあります。要するに,ジョブ型の定義に左右される話なのです。
 学生の間では,メンバーシップ型にシンパシーを感じる意見が多かったように思います。メンバーシップ型の良さもあるとして,ジョブ型とのハイブリッドに人気があった気がしますが,その内容はいろいろで,一つの企業で徐々にジョブ型を導入していくというもの,企業内で非管理職だけジョブ型にするもの,大企業はメンバーシップ型で中小企業はジョブ型にするものといった感じです。
 職が先行し,職に人を割り当てる外国型(純然たるジョブ型)と,まず人が先行し,人に職を割り当てる日本型は,まったく違うスタイルであり,後者の日本型の非効率性が露呈してきているので,移行期はいろいろありますが,最終的には完全なジョブ型になっていかざるをえないでしょう(私はデジタル変革がそれを進めるという見解です)。ただ,そのなかで,どのようなタイプのジョブ型となるかは,いろいろ可能性があるように思います。
 いずれにせよ,政策の場では,どのような意味でジョブ型という言葉を使っているのかを,しっかり定義して議論をしていかなければならないでしょう。どう定義しようが,ジョブをコントラクトで限定し,賃金はそのジョブに対して支払われるというジョブ型の要素は基本となりますが,そのうえで解雇と賃金をどう考えるかというところまで結びつけて政策論議をしなければ,論者のそれぞれのジョブ型のイメージが合致せずに生産的な議論がされない可能性があります。そう考えると,むしろジョブ型という言葉をあえて封印して議論をしたほうがよいのかもしれません。そうしなければ,いつまでも,濱口さんから,誤解に満ちた間違いだらけのジョブ型であると叱られ続けるでしょう。

 

2022年11月12日 (土)

アメリカの中間選挙に思う

 共和党と民主党の二つの政党だけの戦いであれば,どちらが多数かはすぐにわかりそうなものですが,例えばGeorgia州では,第3の党であるリバタリアン党の候補者がたった2%ほどの票を得ただけで,民主・共和のどちらの政党の候補者も50%を超えることができず,約1ヶ月後における両党候補者の決選投票となりました。これが実は上院の多数派(民主党が50をとるかどうか)を決める意味をもっているのです。
 しかし,これだけ民意が分断され,まさに50%すれすれのところで争われ,そこを少しでも超えた政党が勝つというのでは,政治がとても不安定なものとなるでしょう。もちろん欧州のように多数の政党が分立して,どことどこが組むかによって政権が変わるというのも不安定です。どちらがよいのかはよくわかりません。しかし,何と言ってもアメリカは,世界の大国です。この国の政治の混迷は,憂うべきことです。
 他の先進国をみても,イギリスは,初のアジア系で,しかも若く,かつ超エリートの首相が誕生しましたが,保守党自体が次の選挙で労働党に負けそうです。フランスもMacron大統領の支持基盤は脆弱ですし,ドイツのScholz首相は,G7の外相会議を国内で開催している途中に,中国を訪問して経済面で頭を下げに言っている(?)という無節操な行動で,世界中にその弱腰ぶりさらしたように思います。もちろん日本の首相も,国内でのリーダーシップに問題があり,その能力に大きな疑問がでています。そのなかで中国の習近平の安定ぶりが際立ってしまいます。
 ちょうどエジプトでCOP27が開催されていましたが,環境問題は世界中の国が考えて取り組まなければならないことです。とくに環境汚染をしてきた先進国では,エゴを捨てて世界のこと,将来世代のことを考えるリーダーが出てこなければなりません。しかし,どの民主主義国もリーダー選びでは環境問題が主要な争点になっていません。民主主義は,各国の正統なリーダーを選びますが,地球規模でみると望ましいリーダーを選ぶことができないシステムなのかもしれません。だからといって,中国のようになればよいとも言えません。世界を良い方向に導く独裁者がいればよいのですが,そういうものを望むことがとても危険であるというのが歴史の教えなのでしょう。

2022年11月11日 (金)

死刑を軽く語るな

 葉梨康弘法務大臣の「死刑はんこ」発言が問題となっていますね。このブログを書いている途中に更迭というニュースが飛び込んできました。当初,首相は個人の説明責任の問題ということで,いつものように任命責任を放棄していました。国民が選んだ議員ポストの辞職とは違って,大臣は首相自身で選んだのですから,首相自ら責任をとるべきです。最初からスパッと更迭しておけばよかったのですが,いろいろ言われてから更迭ということですと,首相もやはり事の重大性がわかっていなかったと思われても仕方がありません。いずれにせよ,山際氏にしてもそうですが,大臣の質が悪いのであり,自民党の人材不足は深刻に思えますね。
  葉梨氏は,問題が起きた当初は,発言全体を聞いてもらうと,法務行政の重要性を指摘したことがわかってもらえると反論していましたが,問題はそこではなく,死刑をジョークのようにして語る人権意識の希薄さです。そこに,この人の大臣不適格性があるのです。更迭は当然ですが,首相も同じように人権意識が低いと思われても仕方がないでしょう。なお葉梨氏は発言を撤回しているようですが,撤回ということの意味がよくわかりません。
  ところで,刑事訴訟法475条では,第1項で,「死刑の執行は,法務大臣の命令による」,第2項で,「前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であった者に対する判決が確定するまでの期間は,これをその期間に算入しない。」とされています。
 かつて鳩山邦夫が,法務大臣のときに,死刑を自動的に行うべきとした発言に民主党議員がかみついたことがありました。死刑は,法務大臣の責任でやるべきことであるということでしょう。死刑判決が裁判で確定しているのなら,むしろ淡々と行うべきということかもしれません。そうだとすると,淡々とハンコを押しそうな大臣のほうがよいことになるのかもしれません。
 しかし,それはやはりおかしいのです。鳩山邦夫の言葉のほうが,人間としてまともです。死刑という制度には,いろいろな考え方がありますし,イタリアのように死刑がない国もあります。個人の死生観にもかかわるでしょう。そう簡単に死刑の命令を出せるわけがないというのは,人間として当然です。そこを,自分自身で事件を精査し,自身を納得させ,遺族感情もふまえて心を鬼にし,最後には法の執行という自分の責務に忠実であるべきと言い聞かせてハンコを押すのでしょう。国家により禁止している殺人を,刑罰としてであれ命じるということの重みをかみしめない人は,法務大臣としてふさわしくありません。もっと言えば議員としてもどうかな,と思います。選挙民は,よく考えて投票してもらいたいです。

2022年11月10日 (木)

真の権力者

 昨日はElon Muskのことを書きましたが 彼はなんといってもTeslaという 電気自動車の会社の経営者として有名ですが,さらにSpaceXという宇宙ビジネス会社でのStarlinkという衛星通信サービスが注目されます。ウクライナが,対ロシア戦で善戦しているのも,このStarlinkが無償で提供されているからで,国民のインターネットの利用をサポートしたり,さらに軍事的にも活用されたりしているようです。
 衛星通信の場合には,速度やレイテンシが気になりますが,Starlinkは,地球に近いところで衛星が数多く飛んでいるそうなので,問題がかなり解決されているのでしょう。日本ではそれほど問題になっていませんが,海外ではインターネットが使えない地域もまだまだ残っているので,衛星通信の発達はインターネットを文字どおり世界中で使えるようにすることに貢献するでしょう。日本でも,大災害が起こると通信障害などが起きたとき,衛星通信が機能すれば助かることが多いのではないかと思います(なお,私は都市部に住んでいますが,自宅内で4Gがつながりにくいときがあり,またWiFiも部屋によっては届きにくいところがあるので,やや不便です。ウェブ会議では,念のため,有線でつないでいます)。ネットの接続が生活に不可欠なものとなるなか,地上の基地局だけでは限界があり,衛星通信があればかなり安心です。電波の届きにくい離島でのテレワーク(ワーケーション型)においても安心かもしれません。
 だからStarlinkのようなサービスは大切だと書きたいのですが,よく考えると,Elon Musk氏はTwitterも,Tesla も,Starlinkも牛耳るとなると,これって個人にあまりにも巨大な権力が集中することになることですよね。恐ろしいです。権力集中というと,政治権力のことを考えがちですが,このデジタル社会において真の権力者は誰かということをよく考えておかなければなりません。

2022年11月 9日 (水)

Twitterのリストラ

 Elon Muskの買収したTwitterの大量解雇が問題となっています。Twitterなどは,新しい技術を活用したビジネスの最先端を走っていると思っていましたが,Web3.0に移行しつつある今日,すでにオールドテクノロジー企業になってきているということかもしれません。もっとも,いちはやくWeb3.0に対応を始めているMeta(Facebook)は苦戦しているようです。
 経営者が変わると,経営方針ががらりと変わることは,よくあることです。さすがに日本では,いきなり解雇というのは難しいですが,希望退職の募集というところから入っていき,リストラを進めていくことはありえるでしょう。
 企業買収となると,こういうドライなことが起きてしまう可能性が十分にあるのです。外部の目からみて余剰人員があるとき,それを削減したら収益が上がると思うから買収することもあるのです。日本だと,買収しても,そうした人員整理が容易ではないから買収が起こりにくいのです。これは従業員の雇用が守られてよいといえそうですが,経営者の経営規律を緩めてしまい(市場での監視が弱まる),非効率な経営が温存されてしまうおそれがあるので,日本経済にとっては良いこととはいえません。シェアホルダー型のコーポレートガバナンスを支持する論者は,このような立場なのです。
 シェアホルダー型のコーポレートガバナンスが必ずしもよいとは思いませんが,人材の流動化は必要だと思っています。こうしていつもの話になります。経営者は,解雇する場合には労働者の逸失賃金の補償をすることは必要ですが,それさえすれば解雇ができるとすべきなのです。そうなれば,コストの関係から,それほど無茶な解雇はされないでしょうし,どうしても経営上ペイしないと考えられる余剰人員は適切な補償を受けて,別の転職先を探すことになるのです。Twitterだけでなく,Amazon,Meta,Alphabet(Google) のようなIT時代の寵児企業でも,結局,こういうことが起こりえます。これが,いつの時代にもあった技術革新による雇用変動です。ただ,マクロ的にみると,古い技術を使った産業から新しい技術を使った産業へと労働移動していく動きの過程とみることができます。
 ただし,デジタル時代は,全般的に労働需要は縮小化と専門化が進むのであり,必ずしも労働移動がスムーズにいくとは限りません。このあたりのことの基本的な部分は,『AI時代の働き方と法』(2017年,弘文堂)の第5章でも書いています。事業再編とリストラに関する現行法の話と立法論について関心がある方は,ぜひ読んでみてください(そこでの解雇の金銭解決の話は,後に2018年の『解雇規制を問い直す』(2018年,有斐閣)で,上述のような新たな提言に置き換えられています)。

 

 

 

 

2022年11月 8日 (火)

官僚のお仕事

 先週まで日本経済新聞で連載されていた「ニッポンの統治」の最終回(第5回)では,「「官邸1強」の後(5)政策立案で省庁「困惑と空白」 縄張り返上,押しつけ合い」というタイトルの記事が出ていました。役所というと縄張りの奪い合いをするイメージがあるのですが,どうもそうではなくなってきているということです。官邸がちょっとした思いつき程度の政策を出して,それを所管官庁に,なんとか法律にまとめてこいと言うようなことが,どうも増えているのではないか,という懸念があります。実は,フリーランス新法も,その類いではないかと心配しています。
 昨年3月のフリーランスガイドラインも,厚生労働省と公正取引委員会とが,双方の立場を何も調整せずにミックスしただけという,私の目からは,あまりにもわかりやすい「手抜き工事」がなされていました。法の適用範囲を明確にしたという程度のもので,関係者のなかでは,よくできたと思っているのかもしれませんが,私からすると,広報リーフレットに毛の生えた程度のものです。
 厚生労働省は,これまでの検討過程からは,雇用類似のフリーランスにまでしか関心がないように思われますし,公正取引委員会のほうは,下請法では適用範囲が狭いと言われたので,そこを拡張しようということなのでしょう(ただ,すなおに下請法の改正という形をとらなかった理由はよくわかりません)。フリーランス新法は,21世紀型社会の新たな労働法・社会保障法を志向するものでなければならないのです。縄張りの押し付け合いの中で,いいかげんな法律を誕生させるというようなことになれば,とても残念ですし,国民は迷惑です。最低限のやってる感を出すことができれば,官邸周辺は喜ぶのでしょうが,誰の目を意識して法律をつくるのかが大切です。
 冒頭の記事で問題なのは,忙しすぎる官僚が,期限を切られるなか,丁寧な仕事ができなくなっていることにあります。フリーランス新法についても,じっくりと関係官庁間で関心と知見のある官僚をあつめて勉強会をし,比較法もしっかりやり,そのうえで独自の法制度を構築していくということをやってもらわなければなりません。比較法に関しては,最近,石田信平・竹内(奥野)寿・橋本陽子・水町勇一郎『デジタルプラットフォームと労働法―労働者概念の生成と展開』(東京大学出版会)という,労働者概念にフォーカスをあてた研究をまとめています(お送りいただき,ありがとうございました)。若い官僚たちには,こういう文献も参考にしながら,ある程度じっくり時間をかけて,彼ら,彼女らがぜひやりがいの感じられるような仕事をしてくれればと願っています。

 

2022年11月 7日 (月)

セブン­イレブン・ジャパン事件・東京地裁判決

 中労委で棄却命令(2019年3月15日)が出たセブン­イレブン・ジャパン事件の取消訴訟の第1審判決が,さる66日に東京地裁で出されました。加盟店オーナーの労働者性を否定して,請求棄却の結論です。
 長文の判決ですが,基本的には,判例や労使関係法研究会報告書の整理した6つの判断要素に照らして判断しており,この点は初審命令の岡山県労委や中労委とほぼ同じです。
 私は「フランチャイズ経営と労働法ー交渉力格差問題にどう取り組むべきか」という論考(ジュリスト154043-49頁)のなかで,中労委命令を論評しながら,本事件では,救済の必要性が高いものの,現在の法制度上,不当労働行為の救済手続に載せることは難しいという考え方を提示しています。問題の本質は労働者性の有無という入り口にとどまるのではなく,このような事件に対してどのように対処したらよいのかという,ある種の立法論にあります。
 中労委は,「加盟者と会社の関係をみると,加盟者と会社の間には交渉力の格差があることは否定できない」と述べていました。そのうえで顕著な事業者性があることなどから,労組法上の労働者には該当せず,不当労働行為の救済は認められないとしたのです。ところが,東京地裁判決は,当事者間の「交渉力の格差」には視点をあてず,たんに労組法上の労働者性をめぐる6要素に則して労働者性を否定しており,コンビニのビジネスモデルの内容に十分にふみこんだ判断をしているように思えません。そもそも最高裁の示した6要素は,新国立劇場運営財団事件,INAXメンテナンス事件,ビクターサービスエンジニアリング事件のように,特殊技能をもったり,業務委託で仕事を請け負ったりしている個人事業者の事案で定立されたもので,あくまで事例判断にすぎず,本件のように,ある確立したフランチャイズのビジネスモデルに参画した個人事業者の事案に当然に適用すべきものとはいえません。最高裁が事例判断にとどめたものを,労働組合法3条の解釈基準のようにして適用していくのは,解釈手法としてもおかしいでしょう。法律家のなかには,この6つの要素を事案に適合させながらブラッシュアップしていくことこそが大切である,と思い込んで突き進んでいく人もいますが,それでは批判的視点に欠けることになります。なぜ6要素が出てくるかをしっかり理解しておかなければ,今回の東京地裁判決のように,物足りないものが出てきてしまうのです。結論はどうあれ,もう少し説得力のある判決を望みたいところです。東京高裁できちんと判断してもらい,最終的には最高裁で決着をつけてもらったほうがよいと思います。最高裁には事例判断ではなくて,本格的な解釈論を展開してもらいたいですね。そして,その前にも,学説のほうも最高裁に参考となるような理論的検討を進めておく必要があるでしょう。
 もちろん,この問題は,労働組合法や不当労働行為制度だけをみるのではなく,独禁法や中小企業等協同組合法などもふまえたうえで,個人事業者や零細事業者へのサポートのあり方,その団結についてどのような助成措置をとるべきかという大きな視点で議論をしなければならないテーマであることも忘れてはなりません。

2022年11月 6日 (日)

全日本大学駅伝

 全日本大学駅伝は,駒澤大学の3連覇で終わりました。これで今シーズンは出雲駅伝についで2冠です。来年正月の箱根で3冠をめざすことになります。今朝はずっと観ていたわけではありませんが,随時レース展開を確認していました。第1区で青山学院がなぜか大きく飛び出して,留学生には抜かれましたが,そのまま2位でなんとか逃げ切ったのには驚きました。しかし,青山学院の2区が大ブレーキで,そこで脱落しました。最終的には3位まで追い上げましたが,最終区で國學院に抜かれたのは悔しかったでしょう。関西勢は残念ながら,関東の大学に勝てなかったです。大学駅伝の東高西低は,箱根駅伝の人気の高さにより関西の有力選手が関東の大学に行ってしまうことによるのですが,関西でも何か面白い大学駅伝の企画をやれればよいのですけどね。  それはさておき,今日も駒澤は強かったです。田澤廉という大エースがいますが,このエースが期待どおりに走り,しかも驚異的な区間新記録をだしたのは見事でした。出雲のアンカーで好走した鈴木芽吹を温存して大会新記録を大幅に更新する優勝は,駒澤大学が別次元の強さをもっていることを日本中に知らしめることになったでしょう。1年生が2人活躍したのも大きいです。1年生は佐藤圭汰だけではなかったのですね。箱根は10人が走り,山登り・山下りなど特殊なコースがありますし,各区間の距離も伸びるので,出雲や全日本と同じようにはいかないでしょうが,駒澤・國學院のワン・ツーフィニッシュがもう一回観られるか楽しみです。

2022年11月 5日 (土)

石山恒貴『日本企業のタレントマネジメント』

 石山恒貴『日本企業のタレントマネジメントー適者開発日本型人事管理への変革』(中央経済社)を読みました。いつもご著書をいただいているのに,お礼ができておらず申し訳ありません。2年前の本ですが,気になっていたので,あらためて読んでみることにしました。
 タレントマネジメント(TM)とは,著者の定義によると,「個性に応じた天賦の才能を有しながら努力してその開発を継続する個人であり,在籍する組織の環境に適合し貢献する存在」であるタレントについて,「組織が,その競争戦略をタレント戦略に転換したうえで,適者開発を前提として,タレントを引きつけ,開発し,留め続けること」とされています(82頁)。
 そして,このTMと日本型人事管理の今後の方向性については,次の4つのタイプのものがあると整理し,それと異なる第5のタイプを付加するのだと言われています。
 石山さんによると,4つのタイプとは,第1が,STMstrategic talent management)を全面導入して,選別の論理を働かせるというタイプ, 第2が小池和男型の職能ルールに基づく日本型人事管理の維持,第3が,平野光俊の進化J型に代表されるように,マネジメント人材とエキスパート人材を区分するような人材ポートフォリオの考え方の導入,第4の選択肢が,山田久に代表される, 30歳代後半を分岐点として,それ以前には職能ルールを適用し,それ以降には職務ルールを適用するというハイブリッドシステムとされます。第3の選択肢を「人」的観点による変革とし,第4の選択肢を「時間」的観点による変革と評価します。そして,「本書が示した第5の選択肢は,日本型人事管理を適者生存から適者開発に変革していくというものであるが,いわば「学習」的観点による変革である。職務,職能ルールについては職務を柔軟に運用しつつ,事業戦略に基づく人材像を明確化し それに向けた効果的な人材育成,人材開発を重視する。このような「学習」的観点による変革という新たな選択肢を示した」とされます(206207頁)。また,「本書の実践的意義として,日本型人事管理の変革を進めるうえで, 企業は賃金や報酬という側面だけにとらわれず,「学習」 的観点を重視するべきだ, という点を挙げたい」 とされています(209頁)。
 私は不勉強であったのか,日本型雇用システムの最も重要な要素は「学習」や人材育成にあると考えてきました。新卒当初のスキルが十分でない人材は,学習させて育成しなければ活用できないからです。その意味で(TMの定義にもよるのかもしれませんが)少なくとも適者開発という言い方をするのであれば,従来から日本型雇用システムでも行われていたのではないかという素朴な疑問があります。
 本書では,日本型人事管理の特徴を,「おそい選抜」「空白の石板」「キャリア形成としてのインフォーマルなOJT」「集権的な人事部門」にあるとしています(194頁)。これが日本型人事管理というのであれば,今後おそらく崩壊していくであろうと考えています。TMの受容という次元の話ではなくなります。今後のTMは,既存のタレントをどのように活用するかであり,もはや学習の視点は入ってこないのではないでしょうか。そういうこともあり,私は日本型雇用システムは維持できないという見解を唱えています。TMをいうのであれば,むしろ社外のタレント(請負型人材も含む)をどのようにマネジメントして,企業の利益につなげていくかが人事(?)の役割になるのではないかと愚考しております。
 ただこれは門外漢の感想にすぎません。専門書とはいえ,議論はわかりやすく整理されていて(専門用語はときどきググって調べる必要がありますが),非常に読みやすく,門外漢の人間にも問題意識をもたせてくれる本でした。

2022年11月 4日 (金)

フリーランス新法をめぐる気になる動き

 Yahoo ニュースで,「命令違反に罰金50万円以下 フリーランス保護新法で検討 政府」という記事が出ていました。新法に向けた動きがありますが,もし罰金にまで踏み込むとすれば,これはかなり問題があります。これについては,いずれきちんと論じますが,すでに私がこれまで日本経済新聞の経済教室で発表した論考や先般の政府の税制調査会で話したこととの関係で,簡単なコメントをしておきたいと思います。
 フリーランス政策の最も難しい点は,対象となるフリーランスをどうとらえるのかです。拙著『AI時代の働き方と法』(弘文堂)204頁では,自営的就労者を,偽装自営的就労者,準従属労働者,真正自営的就労者の三つを分けて考えるべきとし,そのうち真正自営的就労者には,自営をサポートする法制度が必要と書いていました。また先般の政府の税制調査会のプレゼンでは,特殊スキル型,ハイ・ミドルスキル型,ロースキル型に分けるべきとも述べました。後者は,ギグワーカーを意識して,ロースキル型は区別して考えるべきということを明確にするための分類です。いずれにせよ,異なるタイプのフリーランスや自営的就労者(フリーワーカー)をゴチャゴチャにして論じてもうまくいかないのです。
 今回の新法の構想は,フリーランスのどこに焦点をあてるのかが明確ではありません。このため,法の趣旨も射程も明確ではない状況にあります。偽装自営的就労者の問題は,労働法の問題そのものですので新法は不要です。準従属労働者にターゲットをあてるのなら,新法が必要かもしれませんが,真正自営的就労者と明確に区別をした規制をする必要があります。この点については,弁護士ドットコムでの平田麻莉さんのインタビューが,ポイントをついた素晴らしい内容ですので,ぜひ政府の関係者や国会議員も読むべきです(フリーランスの法的保護「かわいそうな人扱いされると議論が歪む」フリーランス協会・平田代表が語る課題)。
 もしかりに真正自営的就労者を対象とした場合,どのような「規制手法」が望ましいのかも重要です。保護ではなく,サポートという視点が重要です。しかし,この点について,役人に良いアイデアがないので,うまく規制の枠組みが作れないのだと思います。私たち研究者がもっとアイデアを出す必要があります。経済教室でも書いたように,新しい酒には新しい革袋を,です。その革袋は,労働法の単純な延長や,独禁法・下請法の単純な延長上にあるものではないと思います。この点については,現在,共同研究をしているので,そのうちに成果を発表できると思います。

2022年11月 3日 (木)

西川きよし

 今日は日差しがあって穏やかな気候でした。三宮の南の海沿いのフードコートで,Chablis(今年も不作という話を聞いていますが,ほんとうでしょうか)を飲んで,Paellaを食べるという休日を過ごすことができました。どことなくBarcelonaを思い出させてくれるような心地よい風を感じる場所で,とてもよかったです。遠出をしなくても,旅行気分を味わえました。
 話は変わり,日本経済新聞朝刊の文化欄の「私の履歴書」は,経済人の方のものは,脚色された自慢話が多いような気がして,ほとんど読むことはないのですが,スポーツ選手などは,私が知らなかった裏話なども出てきて面白く読めることが多いです。10月に連載された西川きよしさんのものは,当初,あまり期待していなかったのですが,読むうちに興味をもち,そのうち朝一番に読むようになりました。
 漫才師としての彼の経歴よりも,政治家としてすごした18年間に興味がありました。政党に所属せず,ただ一人で立候補して,地元大阪(出身は高知ですが)とはいえ参議院3期連続トップ当選というのは,見事な結果です。政党に所属せずに何ができるのかという気もしますが,それなりにやりきったというのが本人の実感でしょう。本業が政治家でない人が18年も参議院議員をやったということは,すごいことです。大臣になりたいというような「出世欲」があるわけでもなく,官僚に馬鹿にされないように懸命に勉強して,自分の関心のある介護分野で少しでも何か成果を出せないかと思って頑張った姿勢は,大臣なりたい病にとりつかれている自民党の政治家に見慣れている私たちにとって,とても新鮮で清潔な感じがします。もちろん,「私の履歴書」ですから,ある程度,割り引いて読まなければならないのでしょうが。一方,本業のほうは,私は「やすきよ」の漫才は,あまり面白くなかったです。しゃべくり漫才なのですが,どこか無理して笑わせようとしているところがみえて,たとえばサンドウィッチマンのような思わず声をあげて笑わされるようなところがなかったです。西川さん自身が,基本的には面白い人ではなく,とてもまともな人だからだと思います。政治にしろ,漫才にしろ,まじめに取り組んだ方なのでしょうね。

2022年11月 2日 (水)

竜王戦

 例のマスク反則負けをした佐藤天彦九段は,不服申立てをしたようですね。どういう判断を常務会が下すでしょうか。
 その間に竜王戦の第3局が行われました。途中まで挑戦者の広瀬章人八段が好調に攻めていて,飛車銀両取りの角打ちが決まったかと思ったのですが,そこから藤井竜王の飛車切りがあり,あっというまに広瀬玉は寄ってしまいました。すごい切れ味でしたね。これで藤井竜王は21敗となりました。
 王将戦の挑戦者決定リーグでは,なんと羽生善治九段が,渡辺明名人(二冠)や永瀬拓矢王座のタイトルホルダーを破って5連勝で,プレーオフ進出を確定させました。これで藤井王将に羽生九段が挑んで通算100期のタイトルをめざすという夢のカードの実現に近づきました。羽生九段は棋王戦のベスト4にも残っていて,決勝で藤井聡太竜王(五冠)と対戦する可能性があります。B級1組の順位戦は苦戦していますが,他の棋戦では好調です。
 女流棋戦は,里見香奈女流五冠が,西山朋佳女流二冠から白玲のタイトルをとって六冠になったのですが,すぐに女流王将を西山さんが奪取し二冠に戻りました。その二人が今度は倉敷藤花でもタイトル戦を戦っています。里見さんに西山さんが挑戦です。初戦は里見倉敷藤花の勝ちでした。女流はずっとこの二人でタイトル戦をやっている感じです。残りのタイトルは,女流名人を伊藤沙恵がもっていますが,現在,リーグ戦が最終盤に入っており,里見さんと西山さんが61敗でトップを併走しています。次局で二人が対戦するので勝った方が挑戦者になる可能性が高いです。里見・西山のライバル対決はしばらく続くでしょう。

2022年11月 1日 (火)

カミカゼ・ドローン

 少し前に,アメリカの「アジア系米国人ジャーナリスト協会」が,ウクライナ戦争でのロシアによる無人ドローン攻撃について「Kamikaze Drone」という言葉が使われていることについて,アジア系に対する差別を助長するとして抗議を申し込んでいるという記事が出ていました。Tsunami と同様,KamikazeHarakiriなどは,日本語がそのまま使われており,日本人としては複雑な気持ちです。Kamikazeという言葉は,自爆テロのときにも使われます。神風特攻は,外国人には衝撃を与える攻撃であり,日本人としては忘れたくても忘れてはならない黒歴史です。どうしてあんな愚かな作戦で若い人たちを無駄死にさせたのか,怒りを禁じ得ません。
 外国人からすると,日本人の精神性にカミカゼ的なものがあるのではないかと思いたくなるようです。私の知っている外国人は,親しくても,そういうことをあからさまには聞いてきませんが,おそらくは聞いてみたいと思っているでしょう。私としては正面から聞いてほしい気持ちもしますが,それならこちらから話題を切り出せばよいのですが,そこでうまく説明できるかというと,あまり自信はありません。どうして神風特攻隊がうまれたのか。実は,そういうことを,私たちはきちんと総括できておらず,それゆえ,外国人にもうまく説明できないため,彼ら,彼女らの疑問や疑念はいつまでもなくならないのでしょう。
 神風特攻は軍関係が対象で,民間施設や民間人を相手にはしていないので,無差別な自爆テロとは違うし,ましてやウクライナの無人ドローンは「無人」である点でまったく違うものです。しかし,そういうことを言っても,自爆=カミカゼは,外国人には定着してしまっているのです。ただ少なくとも現在の「無人ドローン」と「神風」はまったく無関係であるということは,やはり日本人としては,しっかり政府に海外向けに説明をしておいてもらいたいですね。
 日本人のなかには,神風特攻について,あの死を無駄にしないために,彼らを英雄視しなければいけないとする考え方もあるようですが,それは間違った考え方です。あの死を深く悼みながら,ああいうクレージーな命令を発した上層部への怒りを忘れてはならないのです。いろいろ批判もある百田尚樹ですが,彼の『永遠の0』(講談社新書)は,この問題についての良い教材です(かつて,この本は,このブログの前身でとりあげたことがあります)。理不尽な神風特攻に対して悲しみと怒りをかみしめ,そういうことが二度と起こらないようにするために,どうすればよいかをしっかり考えておく必要があります。そうしなければ,外国人の疑念を払拭できないどころか,私たちやその子孫が同じことを繰り返してしまわないか,心配になります。

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