企業の社会的責任
学部の授業は,2年生相手に少人数で法学一般的なことをやっています。私の担当なので,デジタルと労働がメインテーマですが,広くいろんなことを論じるものにできればと思っています。最終的にはプレゼンをしてもらうのですが,それまではいろんな議論をして関心を広げてもらおうと思っています。
先日の第3回目の授業では,落語ではありませんが,枕の話として,デジタルツインのことを採り上げました。デジタルツインの利用は徐々に広がってきていますが,今後は,人間の労働に使われるようになるだろうという話です。前にこのブログでも書いたAI美空も例に出しながら,私のデジタルツインが,オンラインで講義をしてくれると助かるなんてことを冗談のように言いながら,でも技術的にはそれほど実現が遠い話ではなく,そうなるとどんな法的な問題が生じるだろうか,というようなことを話しました。
前回の授業では,企業の社会的責任について少し話したので,今回は資料として社会的責任否定論の代表であるMilton Friedmanの文献『資本主義と自由』(日経BP)の第8章「独占と社会的責任」を読んでもらって議論しました。授業の半分だけでやろうと思ったのですが,結局,授業時間をいっぱい使いきりました。独占とはどのような状態で,それがどういう原因で起こり,政府はどのように対応すべきかというようなことが書かれているのですが,そこでは労働組合による独占も挙げられていて,厳しく批判されています。歴史的には,Friedmanは,イギリスのThatcherやアメリカのReaganの新自由主義的な政策に大きな影響を与えており,実際,イギリスでは労働組合運動が大きな打撃を受けています。
ということも解説したのですが,どうも労働組合に関する議論がかみ合わない感じがしたのは,学生には労働組合に対してほとんど具体的なイメージがないのがその原因です。これはずっと前からゼミなどでも経験していたことでした。労働組合はもっと存在感を発揮してもらわなきゃ困りますね。日本の労働組合のことをよく知らないので,日本の労働組合の企業別組合という形態が,欧米の産業別組合や職種別組合とは違っているというような話もピンとこないわけで,労働組合のカルテル機能の説明も大変になります。
文献では,独占禁止法の話や法人税の減税や累進課税批判なども出てきて,非常に面白いのですけれども,肝心の企業の社会的責任の部分に関しては,Friedmanは慈善事業などは企業がやるべきではなくて,企業は利益を上げて株主に還元することに注力すべきで,慈善事業に使うかどうかは配当を受けた個人の判断に任せろといいます。つまり企業の社会的責任論は,個人の自由を制限するというのです。ただ前回,ESGの話をしたこともあり,学生は社会的責任というと環境問題をイメージしたようであり,そのため,それは企業が責任をもつ必要がある,という意見になりました。
それはそうなのですが,この章にかぎらず,Friedmanのもつ,政府の失敗への厳しい視点は,それを批判するにせよ,個人の自由とはどういうものかを考えるためには一回は検討しておくべきものでしょう。
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