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2022年10月17日 (月)

研究費のつけ方

 今年は日本人からノーベル賞が出なかったですね。たった1年であれこれ言えるわけではありませんが,日本の基礎研究の低下は,つとに指摘されていますので,気がかりです。
 少し前のNHKの朝のニュースで,2019年にノーベル化学賞を受賞した吉野彰さんが,基礎研究と徹底して役に立つ研究を分けろ,と言われていました。成果がいつでるかわからないが重要性のある基礎研究と,実用性の高い研究はかなり性格が違うので,両者を混在すると大変な弊害が出てしまいます。吉野さんは主として自然科学のことを念頭においていたのかもしれませんが,法学でも同じことです。よく出す例ですが,ローマ法の業績が頻繁に発表されるわけがないのであり,これと知的財産法などの最先端の企業関係法とは同じには扱えません。成果がすぐに出ないからといって予算を配分しなくてよいということではないのです。もっとも,分野によっては,一人で「両利き」の研究をすることも可能でしょう。「両利き」は,英語では,ambidexterity という難しい言葉なのですが,経営学ではよく使われているようで,右手で深化(exploitation)を,左手で探索(exploration)をめざすということのようです。イノベーションをうむのは探索であり,深化だけではいけないということでもあります。
 研究も同じで,深化は専門性を習得するには不可欠ですが,どうしても専門領域に狭く閉じこもりがちです。そこでそこそこの評価もえられて居心地がよいし,自分の蓄積したものを活用できるので楽でもあります。しかし,独創的な研究をするには,そこから抜け出して探索をする必要があるのです。もちろん,そうなると当然,新領域では専門性がないわけですから評価はえられませんが,その探索からみつけだしたものと,これまで深化させたものとが融合すると新たな画期的なものが生み出されます。ただ,これは従来の専門分野の枠組みをこえるものなので,適切に評価されず,そうなると研究の予算もつきにくいということになります。だから目利きが必要です。
 ただ,評価の対象を研究にするのではなく,人にすることもできます。同じNHKの番組をみていて,実はノーベル賞が日本からも出ていたことがわかりました。沖縄科学技術大学院大学(OIST)のSvante Pääbo教授(Wikipediaによると,スウェーデン国籍)が,ノーベル医学・生理学賞を受賞していました。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとの交配を明らかにした画期的な研究成果を発表されています。OISTは,まさに研究者に予算をつけて,5年ごとの成果で評価するという方式を導入していると紹介されていました。外部資金は科研費も含め,作文力の勝負というようなところもありますが,これではいけないと思っています。研究者を信用して研究費をつける,というようなスタイルがもっと他の研究機関にも広がってほしいですね。そのほうが,既存の学問の枠組みや垣根を越えた独創的な研究がうまれてくると思います。

 

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