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2022年10月の記事

2022年10月31日 (月)

イタリア憲法の革新性

 イタリアで,正式にGiorgia Meloni政権が誕生しました。労働・社会政策大臣は誰かとみてみると,あまり知らないMarina Calderoneという女性でした。政治家ではなく,政党に所属しないindipendente(独立系・実務家)です。 インターネット情報では,Consulente del lavoroとなっていました。仕事の内容としては,日本の社会保険労務士に近い感じでしょうか。学位は,economia aziendale となっていますので,経営学ですね。賃金政策などへの取り組みが期待されているのでしょう。いずれにせよ,民間からの抜擢という感じでしょうから,どのように手腕を発揮するか注目です。なお,イタリアでは保健省(Ministero della Salute)は,労働・社会政策省とは別にあります。憲法上も健康保護は独立して規定されています(32条)。
 ところで,季刊労働法の次号に掲載されるイタリアの解雇法制の論文を書いているなかで,イタリア憲法が今年注目すべき改正をしていることに気づきました。まず憲法9条です。日本の9条とはまったく異なり,1項で「共和国は,文化の発展及び科学技術研究を促進する」,2項で「景観並びに国の歴史的及び芸術的財産を保護する」となっていたのですが,これに3項が追加されました。
 「環境,生物多様性及び生態系を,将来の世代の利益のためにも保護する。国家の法律は,動物の保護の方法及び形態を規律する。」
 環境,生物多様性,生態系,動物の保護が,憲法のなかに書き込まれました。すごいことですね。
 次いで憲法412項です。憲法411項は「私的な経済活動(iniziativa economica)は自由である」という規定で,経済活動の自由を保障したものです。その2項で,従来は,「社会的雇用に反して,又は,安全,自由,人間の尊厳に損害をもたらすような方法で展開してはならない」と定められていたのですが,「社会的効用に反して,又は,健康,環境,安全,自由,人間の尊厳に損害をもたらすような方法で展開してはならない」と改正されました。経済活動に対する制約原理として,社会的効用(utilità sociale),安全,自由,人間の尊厳に加え,健康と環境が挙げられたのです。なんと21世紀型の内容でしょうか。日本では,憲法改正は大問題ですが,こういう内容の改正なら,誰も文句は言わないでしょうね。
 憲法412項は,労働法においても,企業経営の自由との関係でよく出てくる規定なのですが,企業経営の公共性(社会的効用による制約)を正面から採り入れ,そこに環境や健康も組みんだことは,今後の労働法の議論にも何らかの影響をもたらすかもしれません。私の現在の問題関心とも合致するところがあり,まさかこういう形で,再びイタリア法と邂逅できたとは,という気分です。

2022年10月30日 (日)

「法の支配」207号に登場

 「法の支配」207号に拙稿が掲載されました。「環境変化の中での労働法の課題」というのが特集テーマで,そこで私はDX関係のテーマを割り当てられました。すでに数多く書いているテーマなのですが,今まで寄稿したことがない雑誌であり,また執筆陣が豪華であったので,そこに加われるのは光栄なことだと思い,お引き受けしました。
 何が環境変化を引き起こしているのかというと,それはコロナではなく,デジタル技術であるというのが私の持論ですが,でもコロナはいろんな問題をあぶり出す機能もあります。その点で,この雑誌のなかで濱口桂一郎さんが執筆されていた「新型コロナウイルスと労働政策の課題」は,問題が紹介されていて参考になります。
 私が寄稿した論考のタイトルは「DXのもたら影響と労働政策の課題」というものですが,実は当面の労働政策の最も深刻な課題は,コロナ禍での雇用調整助成金などの種々の助成金の大盤振る舞いで,自立性がゆるんでしまった経営マインドをどう立て直すかです。国の助成で雇用を維持して経営するという時代ではないのです。私は雇用維持型の政策からの転換の必要性をずっと訴えていますが,濱口さんの『日本の労働法政策』(JILPT236頁以下でも詳しく説明されているように,国の政策レベルでは,実際には,労働移動促進政策への移行はされてきたようです。そういうなか,コロナ禍で緊急避難的な雇用維持型の政策が復活してしまいました。上記の経営マインドの弛緩だけでなく,雇用保険の財政面や国庫負担の増大という問題も起きています(今日も雇用調整助成金の巨額の不正受給のことが報道されていましたね)。一方で,岸田政権は,労働移動政策に力をいれるような態度だけは示していて,ジョブ型やリスキリングにも言及するのですが(そのことは評価できるとしても),いまなお残っている雇用維持型政策との折り合いというか,その出口をどうみつけるかということについては,どうするのかよく見えてきません。そこをきちんとやってもらわなければ,DXに向けた政策課題を論じるまえに,日本は沈没してしまいかねません。流動化政策(労働移動促進政策)をきちんと立て直し,一貫した体系的な政策をたて,何が本筋で,何を緊急対応でやるのか(その出口も明確にしなければなりません),ということを示してもらいたいです。そこがしっかりしてはじめて,本格的なDX時代の労働政策を論じることができるのです。岸田政権の支持率が下がっているのは,労働政策・雇用政策に明確なビジョンがないことも大きいと思います。
 ところで,「法の支配」という雑誌名ですが,個人的には,「法の支配」は,「人の支配」のアンチテーゼにすぎず,それはよいとしても,法が出しゃばって社会を「支配」することはよくないと考えています。いかにして法がそれほど前面に出ずに(国民と寄り添いながら)社会を治めていくかを考えるのが大切なのです。今回の論考では論じていませんが,デジタル時代に合った法の役割というものが重要だと考えています。私の行為規範を重視する議論も,それと関係しています。 

2022年10月29日 (土)

佐藤天彦九段の反則負けについて

 昨日のA級順位戦の佐藤天彦九段と永瀬拓矢王座の対局は,途中までスマホでときどきフォローしていたのですが,結果を知る前に寝てしまいました。朝起きたとき,思わぬ結果になっていました。永瀬王座の勝ち。私が寝るまでは佐藤九段が優勢だったので,その後,逆転があったのかと思ったのですが,よく確認すると佐藤九段の反則負けとなっています。二歩か,二度指しかと思ったら,なんとマスク不着用。そんな反則負けがあるのかと思って調べていたら,今年1月にできた新ルールでした。対局中は,健康上やむを得ない理由があり,事前に届出をして承認を得ている場合以外は,お茶を飲むなどのために一時的にはずす場合を除き,着用義務があり,それに反したときは反則負けになると明記されていました。ここまで明確なルールだと,佐藤九段の負けは仕方がないなという気もします。永瀬王座は,佐藤九段がマスクを外していることを気にしていたようです。あれだけ近い距離でいるので,言葉を発するわけではありませんが,気になる人は気になるでしょうし,もし私が同じ立場なら気にするでしょう。感染すれば,その後の対局に影響します。人一倍健康に気を付けている人であれば,いっそう相手の無神経さが気になるでしょう。
 昔は対局中にタバコを吸う人もいて,嫌煙家でも我慢せざるを得ないことがあったと思いますが,いまはそういう時代ではありませんし,何と言ってもマスク着用については明文のルールがあります。
 もっとも,ファウル一発レッドカードというのは,やや厳しすぎる気もします。佐藤九段のマスク外しは結局1時間くらいに及んでいたようです(未確認)が,早い段階でイエローカードを出して置くべきであったという気もします。これまでの同様のケースでほんとうに「一発退場」のような扱いになっていたのかも気になります。
 A級順位戦の対局は,名人挑戦者を決めるもので,将棋界ではタイトル戦に次ぐ重要な意味をもつものです。佐藤九段は名人3期の実力者です。あと2期名人位をとると,永世名人資格もとれる立場の人です。藤井聡太時代が来る前に名人復位をかなえておきたいと思うならば,いまがラストチャンスともいえます。一方で,永瀬王座もA2期目で,当然,名人挑戦はねらっていることでしょう。今期は二人ともここまで12敗とやや苦しいスタートでした。
 この対局では,反則かどうかの判定をする役割をはたす立会人がおらず,判定が遅れてしまったようです。将棋の本質と異なる要請からくる反則行為でA級順位戦の対局が負けとなるのは,将棋ファンとしてはがっかりです。どうも永瀬王座は早い段階からクレームをしていたようで,そのときに迅速に対応して,佐藤九段にマスク着用を要請する手続を一本踏んでおけば問題はなかったのです。佐藤九段が不服申立てをすれば,日本将棋連盟の常務会で判断することになるようです。ルール上は,「一発退場」も可というものですが,こういう重大な結果が生じる場合には,事後判断としては,このルールによって守ろうとしている利益,また今回の永瀬王座が受けた不利益(目の前の相手がマスク不着用であることが気になることからくる集中力の低下などのダメージ),そして佐藤九段のマスク不着用の理由や反則負けとなることにともなう不利益を総合的に考えて判定の妥当性を評価するというのが,労働法的な発想といえるかもしれません。かりに佐藤九段を救済するとなると,たとえば佐藤九段がマスクを外した時点に戻して,対局を再開する(その代わり,残り時間を永瀬王座に1時間程度追加する)ということもありえますが,すでにAIなどで棋譜の分析はされてしまっているでしょうから,この方法はとりにくいかもしれませんね。
 いずれにせよ,マスク着用は,制裁の威嚇により遵守させるのではなく,こうした反則が起きないような態勢をきちんとつくって遵守させることこそ必要なのです。つまり,新しいルールについては,棋士の規範意識に十分に浸透するまでは,違反に対する制裁よりも,遵守の促進に力をいれるべきでしょう。そういう観点からは,対局には立会人あるいは代行者が常駐して,マスク着用違反があったら警告するという形にし(それが難しければ,対局会場にカメラを設置して,連盟の責任者がリモートでチェックし,何かあればすぐにビデオを再生して対応できるようにするなども考えるべきでしょう),それでも違反した場合には反則負けという運用をすることが望ましいと思います。佐藤九段は問題提起のためにも,不服申立てをしたほうがよいです。

2022年10月28日 (金)

Integrity

 政権の悪口ばかり言っていますが,今日の経済対策の発表は,自民党が対策規模を25兆円から29兆円にして自画自賛しているようですが,いったい誰のお金だと思っているのでしょうね。金額は巨大ですが,国民はピンとこないでしょう。具体的なものがみえてこないのが,この政権の問題です。なんとNHK19時のニュースのトップは,王将社長の殺害事件の犯人逮捕の話に取られてしまっていました。
 国民の多くは,将来に向けた投資に充てるお金を少しはもっていますが,無駄遣いする余裕はありません。借金はできるだけしたくないと考えています。そういうなかで,政府の大盤振る舞いをみると,とても違和感があります。
 結局,日本がこれからどういう国になっていくのかというビジョンがないのです。ビジョンがあって,それにお金を使うからわかってほしいという説明がなければならないのですが,まず額ありきで,それが大きければ国民が喜ぶと思うのは大きな間違いです。将来世代が払わされる借金で,現在の国民の生活防衛をしてほしいと思っている人は少ないのです。こういうことは,しつこく言い続けたいと思います。
 ところで話は変わって,本日の学部の授業では,「良い仕事」について議論しました。杉村芳美『「良い仕事」の思想―新しい仕事倫理のために』(中公新書)を採り上げ,学生に「労働」というものは,これまでどのように考えられてきたのかを知ったうえで,どう考えるかという意見を求めました。そこでの議論はさておき,この本では,第8章(最終章)のタイトルが,「仕事におけるインテグリティ」となっています。インテグリティ(integrity)は,とても難しい言葉で,おそらく受験英語には出てこないでしょう。全体性とか完全性といった意味ですが,誠実性と訳されることもあります。近年では,経営学でも好んで使われる言葉になっているようです。仕事におけるintegrity とは,私たちが仕事に臨むときの心構えのようなもので,それは自分の価値観に誠実に働くというような意味であると思います。自分の価値観とは,自分のアイデンティティの基礎であり,人格の総体なのです。アイデンティティは,いろいろな経験を積みながら確立していくのですが,その時々の自分のアイデンティティを体現する価値観に誠実であることが大切なのだと思います。私は,労働を,自身の帰属する共同体への貢献であると定義していますが,その貢献の仕方は自分のもつ適性や能力を活用することでよいのであり,そうした活用の仕方に,インテグリティという要素がかかわってくるのではないかと思っています。自身の価値観は,共同体への貢献という社会的価値の重要性を学びながら洗練されていくのであり,そういう二つの価値の交錯するなかに仕事の倫理性の本質があるのではないかと思っています。学生のなかには,仕事の倫理性にこだわっても,十分な報酬がなければ困るという意見もありました。それは,そのとおりだと思うのですが,なぜ報酬を得なければならないのか,そしてその報酬とは通貨なわけですが,なぜ通貨のようなそれ自体何も価値のないものに,私たちはこだわることになったのか,そういうことも同時に考えていかなければならないと思っています。無償の労働,物々交換,そういうものをキーワードにして労働をみていくのも,とても重要な研究テーマだと思っています。
 さて,日本の政治家のintegrity はどうなのでしょうかね。

 

2022年10月27日 (木)

法的センスのない権力者

 宗教法人法811項は,「裁判所は,宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは,所轄庁,利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で,その解散を命ずることができる」という宗教法人の解散命令に関する規定です。そこで,解散命令の根拠となる事由の一つとして挙げられている「法令に違反して,著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと」(1号)の文中の「法令に違反して」に,民法の不法行為が含まれるかどうかについて,岸田首相の答弁が1日で変わったことが問題となっています。
 旧統一教会の抱える数々の問題はひとまずおき,法人の解散というのは,法人にとっての一種の極刑であり(解散命令は刑罰として課されるのではありませんが),どのような場合にそれが許されるのかは大きな問題です(解散したあとも,構成員の宗教活動自体は,もちろん継続できます)。解散請求は,利害関係人もできますが,やはり所轄庁の求める解散請求は,公権力の介入となるので,慎重な対応が求められます。そうした介入の根拠となる規定の解釈がコロコロ変わるのは,大変な問題です。
 オーム真理教の解散命令に関する裁判で,東京高裁(抗告審決定)は,次のように述べています(19951219日)。
 「宗教団体が,国家又は他の宗教団体等と対立して武力抗争に及び,あるいは宗教の教義もしくは儀式行事の名の下に詐欺,一夫多妻,麻薬使用等の犯罪や反道徳的・反社会的行動を犯したことがあるという内外の数多くの歴史上明らかな事実に鑑み,同法が宗教団体に法人格を取得する道を開くときは,これにより法人格を取得した宗教団体が,法人格を利用して取得・集積した財産及びこれを基礎に築いた人的・物的組織等を濫用して,法の定める禁止規範もしくは命令規範に違反し,公共の福祉を害する行為に出る等の犯罪的,反道徳的・反社会的存在に化することがありうるところから,これを防止するための措置及び宗教法人がかかる存在となったときにこれに対処するための措置を設ける必要があるとされ,かかる措置の一つとして,右のような存在となった宗教法人の法人格を剥奪し,その世俗的な財産関係を清算するための制度を設けることが必要不可欠であるとされたからにほかならない。右のような同法8111号及び2号前段所定の宗教法人に対する解散命令制度が設けられた理由及びその目的に照らすと,右規定にいう「宗教法人について」の「法令に違反して,著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」(1号),「2条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為」(2号前段)とは,宗教法人の代表役員等が法人の名の下において取得・集積した財産及びこれを基礎に築いた人的・物的組織等を利用してした行為であって,社会通念に照らして,当該宗教法人の行為であるといえるうえ,刑法等の実定法規の定める禁止規範又は命令規範に違反するものであって,しかもそれが著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為,又は宗教法人法2条に規定する宗教団体の目的[筆者注:2条は,宗教団体の主たる目的を,「宗教の教義をひろめ,儀式行事を行い,及び信者を教化育成すること」とする]を著しく逸脱したと認められる行為をいうものと解するのが相当である」。
 これによると,解散請求のためには,「刑法等の実定法規の定める禁止規範又は命令規範に違反するものであって,しかもそれが著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」という事由が必要と考えられます。岸田首相の答弁は,これをふまえたものかもしれませんし,そうした限定的な解釈も理解できないわけではありません。国会で批判されたからといって,すぐに解釈を変えるというのは困ったものです。被害者救済という点で,機敏に反応したということかもしれませんが,そういうのが悪いポピュリズムなのです。
 実は,東京高裁の判決の理由付けには,「反道徳的・反社会的存在に化することがありうるところから,これを防止するための措置」が必要だとする部分があります。民法の不法行為や公序良俗違反の行為のなかには,こういうものも含まれるでしょう。明文の禁止規範に反しなくても,違法性が高いものがあるのです。この点では,首相が,翌日に「行為の組織性や悪質性,継続性などが明らかになり宗教法人法の要件に該当すると認められる場合」も含むと答弁変更をしたことは,その内容自体は理解できるのです。つまり政府解釈は,当初のものも,変更後のものも,どちらもありうるものです。問題は,そういう解釈の是非について,よく吟味しないまま国会で話してしまったことです。事柄の重要性がわかっていなかったのだと思います。これだけで十分に政権がつぶれてもおかしくないほどの大失態といえるでしょう。
 こうした不安定な政府解釈が,かえって政権の解散請求についての警戒感を高め(政府による法人への恣意的な介入への危惧),ひいては旧統一教会の延命につながることにもなりかねないのです。彼らにも,絶好の反論の根拠を与えてしまったように思います。
 経済政策のスローガンくらいなら,適当な思いつきで話されても,罪はないかもしれませんが,宗教法人の解散請求というのは次元が異なるものです。そういうところの感覚が鈍いのは,まさに法的センスのなさであり,そういう人は権力をもってはならないと思います。

2022年10月26日 (水)

マイナカードのセキュリティを議論せよ

 昨日はインフルエンザの予防接種をしました。副反応もなくよかったのですが,問診票と接種費用の賃金からの控除についての同意書が紙なので,それを持っていかなければいけないのがちょっと残念でした。 事前にオンラインで手続できるようにしておいてもらえれば,会場まで手ぶらで行けるのですが。
 大した手間ではないので誰も文句は言わないでしょうが,紙が必要だということになると, 紙を受け取る職員を配置しなければならず,紙を忘れてくる接種者のために,紙とペンを用意しなければならず,受け取った紙を後で整理しなければならないというように,事務職員の方には結構な負担となるでしょう。
 ところで,マイナンバーカードと保険証の一体化について批判があるようです。私は議論をすべてフォローしているわけではありませんが,良い議論があまりされていないような印象を受けています。マイナンバーカードそれ自体への批判なら,わからないではありません。政府に個人情報が握られることへの不安もあるでしょうし,漏洩のおそれもあります。それらについては政府が丁寧に説明するしかないでしょうし,もっと国民に信頼してもらえるような政府になれと言うことになります。
 ただ,健康保険証をなくすなという主張だけだと,どうも首をかしげたくなります。保険証が残れば,医療機関は,保険証での対応とマイナンバーカードでの対応で業務が過重になります。マイナンバーカードをもつメリットがわからないという主張も多くあったわけで,政府は保険証をなくすことができるとか,運転免許証をなくすことができるとか,そういうメリットで対応しているのであり,そこは評価すべきでしょう。上述のように,個人の多くのデータが紐付くことへの不気味さはわかりますし,そこはセキュリティについてどうなのかということを政府に質していくことは必要です。しかし,マイナンバーカードを忘れたり,なくしたりしたら医療サービスは受けられないのか(そんなことはありえない)とか,医療機関が停電になったらどうなるのかという頓珍漢なことをいう政治家もいたりして,こうした意見は困ったものです。保険証がなくても医療を受けられる(将来的には,スマホのなかにカードが組み込まれるでしょう),いろんな医療機関にある個人の医療データを統合できて,よい医療サービスを受けられる,薬の過剰投与を避けられる,などのメリットは大きいものだと思っています。野党は筋の悪い質問をして,この議論を変な方向にもっていかないようにしてもらいたいです。
 マイナンバーカードについて,いかにしたら安全性が担保されて,私たちが安心に使えるようになるかという建設的な議論をしてもらいたいのです。そのうえで,移行期間は必要ですが,最終的にはマイナカードをもたない人が何らかの不利益を受けることがあっても仕方がないのではないかと思っています。政府も国民もデジタル社会に移行することへの覚悟を決めるべきです。お年寄りには抵抗がある人も少なくないでしょうが,デジタル・デバイドが生じないように,苦手な人や敬遠している人にうまく寄り添ってデジタル化のサポートをし(そこにはマンパワーを投入すべきです),デジタル化のメリットが最も大きいであろう高齢者に,デジタル化の利便性やメリットがきちんと及ぶようにしてもらいたいです。

2022年10月25日 (火)

政治家の言葉

 首相をはじめ,政治家の言葉に力がないことへの不満は,このブログでもよく言っていることですが,そういうなかで,今日の野田元首相による安倍元首相の追悼演説は新鮮でした。言葉に力がありました。原稿を読むのはもちろんよいのです。自分で考え抜き,言葉を厳選し,感情を込めて語った内容だから,人々に伝わるのです。政治家というのは,本来そういうことができる人であるはずです。
  国を思う気持ちでは安倍さんと同じであったと野田さんは語りました。実際には,そういう高いレベルのことを,二人が腹を割って語り合う機会は,ほとんどなかったようです(その例外が,上皇が天皇であったときの生前退位をめぐるものであったようです)が,そのことは与野党の関係がどうあるべきかということを考えさせられます。国会で些末な議論に時間の多くを費やし,感情的な対立だけを残し,それが政治的な立場を超えて議論していかなければならない重要なテーマの議論に障害となっているというのが現在の政治状況のようにも思えます。国葬問題が象徴するように,国会(とくに野党)で議論をまとめられないまま,閣議決定だけで物事を進めてしまう現在の政権の姿勢は危険です。野田さんは,国会軽視に警鐘をならし,最後に民主主義を守ろう,言論を守ろうと呼びかけました。国会の場にふさわしい格調の高いものであったと思います。
  安倍さんから,彼や民主党などに向けられたであろう誹謗中傷には口をつぐみ,自身が安倍さんの病を揶揄するような失言をしたことを率直に詫びて頭を下げた姿勢も潔く,徳の高さをうかがわせるものでした。この追悼演説は後世に残るものとなるでしょう。
 政治家が,役人から何かキャッチフレーズとなる言葉をもらい,その中身を精査せずに,ただ役人に言われるまま連呼し,そのことが断固たる政治信念であるかのように見せるというようなことが多すぎます。それは実は安倍政権の時代からあったことでした。論理的ではあるが,無味乾燥な言葉の羅列のスピーチは,法律家にとっては慣れたものですが,法律家の間だけでしか通用しないでしょう。
  もちろん,たんに扇情的なだけのスピーチは危険です。理想は,政策はしっかり練り上げたものを立てたうえで,それを国民に語りかける言葉をもつ政治家なのです。

2022年10月24日 (月)

大器キャリアキャスティングほか1社事件

 今日は大学院の授業で,大器キャリアキャスティングほか1社事件(大阪地判20211028日)を扱いました。給油所施設のセルフサービスステーションの複数店舗で勤務していた労働者が,当該業務の発注企業A社(東洋石油販売)からの委託を受けたB社(大器)から再委託を受けたC社との労働契約だけでなく,空いているシフトにおいてA社との間でも直接労働契約を結ぶ二重契約を締結していた事案で,パワハラと過重労働による適応障害の発症についてC社とD社(A社を吸収合併したENEOS)の共同不法行為(予備的にそれぞれ安全配慮義務違反)による損害賠償を請求しました(その他にC社からの雇止めの有効性も争っています)。A社の業務とC社の業務の密接な関連性があるなど事案の特殊性もあります(A社もC社も,労働者の二重契約を知っていた)が,いずれにせよ,裁判所の認定によると,パワハラと主張される事実は認められず,また長時間労働は,労働者の積極的な選択の結果生じたものであり,C社としても,労働者に対してA社での副業を辞めるよう約束させたりするなどしていて,注意義務ないし安全配慮義務の違反はないと判断されました。
 授業では,この事件を素材に,副業における安全配慮義務はどのように考えるべきか,ということも議論しました。厚生労働省の副業・兼業ガイドラインでは,「副業・兼業の場合には,副業・ 兼業を行う労働者を使用する全ての使用者が安全配慮義務を負っている」とし,「副業・兼業に関して問題となり得る場合としては,使用者が,労働者の全体としての業務量・時間が過重であることを把握しながら,何らの配慮をしないまま,労働者の健康に支障が生ずるに至った場合等が考えられる」ことから,①「就業規則、労働契約等において,長時間労働等によって労務提供上の支障がある場合には,副業・ 兼業を禁止又は制限することができることとしておくこと」,②「副業・兼業の届出等の際に,副業・兼業の内容について労働者の安全や健康に支障をもたらさないか確認するとともに,副業・兼業の状況の報告等について労働者と話し合っておくこと」,③「副業・兼業の開始後に,副業・兼業の状況について労働者からの報告等により把握し,労働者の健康状態に問題が認められた場合には適切な措置を講ずること」等が考えられるとされています。ただ,この①から③のようなことをしなければ,労働者に健康障害が発生したときに,安全配慮義務違反が生じるのかは明確ではありません。一方で,労働時間の通算規定(労働基準法381項)との関係では,副業先での労働時間の把握は望ましいものとされています。結局,企業は,従業員に副業を認めるときに,どのような態度をとるべきなのでしょうか。副業促進という政策に沿って,副業を広く認めたほうがよいのか,副業をすると一定の過労は不可避なので,副業に抑制的であるべきなのか,です。こうした企業の悩みは,さらに安全配慮義務違反の責任がどのような場合にかかってくるのかが不分明なことから,いっそう深まることでしょう。
 マルチプル・ワークは,基本的には労働者の私的自由の保障の問題と考えるべきです。しかし企業が,副業の内容(労働時間や業務内容から,どれだけ過重な負担となる副業なのかなど)を把握したうえで,自企業でのパフォーマンスに支障が生じると判断する場合に,副業を制限をすることは認められるべきでしょう(拙著『人事労働法』(弘文堂)73頁も参照)。これは労働者の私的自由の保障(人格的利益に関わるもの)と企業利益との調整の観点からくるものです。一方,健康配慮というもう一つの人格的利益との関係では,むしろ労働者の私的自由の保障を優先させ,企業があまり介入すべきではないし,それゆえ安全配慮義務をあまり強く及ぼすべきでもないと考えています(労働基準法381項についても,労働時間の通算は,同一企業での範囲にとどまるという解釈をとるべきです。前掲『人事労働法』184頁)。政府は副業の促進政策を進めるうえでは,本来,労働時間の企業間通算規定の撤廃や健康配慮の問題の整理をしておくべきであったと思います(補償面で労災において複数業務要因災害が認められたことをどう考えるかという問題もあります)。過労の問題については,いつも私が述べている労働時間規制から自己健康管理へというのが解決策となります。マルチプル・ワーカーこそ,労働時間規制ではなく,自己健康管理がぴったりきます(どういう労働者が副業に向いているかについては,拙著『雇用社会の25の疑問(第3版)』(弘文堂)36頁も参照)。企業との雇用関係がないフリーランスについては自己健康管理をせざるを得ないのですが,マルチプル・ワーカーのように複数企業にまたがって働く場合にも,同じようになるのです。

 

2022年10月23日 (日)

シフト制

 昨日の神戸労働法研究会では,駒澤大学の篠原信貴さんがシフト制について裁判例などを素材に分析してくれました。たいへん勉強になりましたし,知的刺激を受けました。
 今年1月にシフト制についての留意事項なるものが厚生労働省から出されていますが,シフト制というのは,いろいろなタイプがあるようで,よくわからないところがあります。いわゆる交代制とは違い,この留意事項では,「一定期間ごとに作成される勤務割や勤務シフトなどにおいて初めて具体的な労働日や労働時間が確定するような形態」が対象とされています。とくに気になるのは,募集時には,たとえば「週4日勤務希望」と書かれていますが,実際には毎週,どのシフトに入るかについて労働者が希望を出し,それを調整して企業側が確定するというようなパターンについてです。この場合,週4日というのは,いわば目安のようなもので,労働者がシフト希望を出さなければ週0ということもあります。そういうような契約であった場合,企業がたとえばコロナ禍で休業したような場合に,どうなるのかが問題となります。ここでは,具体的な労働日(労働義務の履行日)が特定していない労働契約とは何なのか,また労働日の特定が使用者の指揮命令によるのではなく,労働者との合意(シフトの確定には労働者の希望が不可欠の前提)が必要という場合の法律関係はどうなるのか,という難問が横たわっています。労働契約を締結しているだけでは,具体的な労働義務が発生していないような場合には,企業が操業停止したとしても,それは労働義務の履行不能をもたらすものではないので,労働基準法26条の休業には該当せず,たとえそれが使用者に帰責事由があっても,休業手当の請求はできないと解すことになりそうです(実際には雇用調整助成金との関係では,こういう場合も休業手当の対象としている可能性がありますが,理論的には疑問の余地があります)。しかし,さらにいうと,労働契約の締結をしていても,具体的な労働義務はなく,その義務は労働者の希望がなければ確定しないようなものであれば,そこには労働契約はなく,具体的なシフトの希望とその確定があったところで,その都度の労働契約が成立するという解釈もありうるような気がします。あたかも,登録型派遣のような感じで,それが派遣元と派遣先が一体化しているだけのようなものとみることもできるのです。もっとも,企業のほうが,一定のシフトを入れるというようなことを約束している状況があれば,労働者に一定の就労により収入を得ることについての期待を生じさせるとして,その期待的利益の侵害の不法行為が成立することはありえるかもしれません。その場合でも,損害は逸失賃金ではないでしょう。あるいは週4日の勤務を前提に,収入を期待して労働契約を締結している以上,それだけの労働を請求する権利があるというような議論ができる状況になると,場面はかなり違うものの,就労請求権と少し似たような問題になってくるのかもしれません。また労務の履行の提供はしているけれど,企業が受領していないとみることができるような場合を考えると,受領遅滞の場合と似た議論にもなるでしょう。ただ,それらはやはり使用者に一定の範囲の労働を与える(指揮命令する)義務があることが前提とならなければならず,そういう契約だと認定できるかが問題です。シフト制を導入している場合には,たとえ週4日と書いていても,何日働く義務があるとか,何日分の仕事を与えるとか,そのようなことについて契約上の拘束性を与える意思がない場合が少なくないでしょう。そういう場合には,使用者に労働付与義務や指揮命令をする義務などを認めるのは困難でしょう(もちろん契約の運用上,固定的に週4日の勤務になっていた場合,いわば労使慣行として契約上,週4日という内容に拘束性が生じ,企業が4日の労働を付与しないことは合理的な理由がなければ,その日数分は休業手当の対象となったり,民法5362項の帰責事由として認められたりすることはあるかもしれません)。
 いずれにせよ,シフト制が,労働量の変動があることが織り込み済みで,労働者も使用者もそれを前提に働いている場合には,実際に働いた分だけ約束の時給が支払われる契約とみてよく,その意味で,登録型派遣の直用版のようにみてよいのではないかと思います。そして,その内容が委託であれば,これはギグワーカーの働き方と類似となります(アカウント登録関係+個々の業務委託契約関係と類似の構造)。企業側からすると,非正社員よりも柔軟な雇用調整手段となりますが,働く側も雇用労働者のような拘束性がない働き方(諾否の自由がある)なので,労働者性や労働契約性が希薄といえるでしょう。ただ,ほんとうに,こういう純粋なシフト制なのか,それとも企業側が雇用量を確保するために,単なるインセンティブではなく,制約的な方法をとっている場合(他の企業での勤務の制限など)かでは,やはり違いがあります。後者の場合には,最初から労働契約が成立しているということになるでしょう。事案に左右されるところが多いですが,労働法の境界線を考えるうえでも理論的に興味深い素材です。以上は,まだ現時点でのプリミティブな考察にすぎず,もう少し考えを深めていかなければならないと思っています。いずれ私なりの考えをしっかりまとめたいと思います。

2022年10月22日 (土)

企業の社会的責任

 学部の授業は,2年生相手に少人数で法学一般的なことをやっています。私の担当なので,デジタルと労働がメインテーマですが,広くいろんなことを論じるものにできればと思っています。最終的にはプレゼンをしてもらうのですが,それまではいろんな議論をして関心を広げてもらおうと思っています。
 先日の第3回目の授業では,落語ではありませんが,枕の話として,デジタルツインのことを採り上げました。デジタルツインの利用は徐々に広がってきていますが,今後は,人間の労働に使われるようになるだろうという話です。前にこのブログでも書いたAI美空も例に出しながら,私のデジタルツインが,オンラインで講義をしてくれると助かるなんてことを冗談のように言いながら,でも技術的にはそれほど実現が遠い話ではなく,そうなるとどんな法的な問題が生じるだろうか,というようなことを話しました。
 前回の授業では,企業の社会的責任について少し話したので,今回は資料として社会的責任否定論の代表であるMilton Friedmanの文献『資本主義と自由』(日経BP)の第8章「独占と社会的責任」を読んでもらって議論しました。授業の半分だけでやろうと思ったのですが,結局,授業時間をいっぱい使いきりました。独占とはどのような状態で,それがどういう原因で起こり,政府はどのように対応すべきかというようなことが書かれているのですが,そこでは労働組合による独占も挙げられていて,厳しく批判されています。歴史的には,Friedmanは,イギリスのThatcherやアメリカのReaganの新自由主義的な政策に大きな影響を与えており,実際,イギリスでは労働組合運動が大きな打撃を受けています。
 ということも解説したのですが,どうも労働組合に関する議論がかみ合わない感じがしたのは,学生には労働組合に対してほとんど具体的なイメージがないのがその原因です。これはずっと前からゼミなどでも経験していたことでした。労働組合はもっと存在感を発揮してもらわなきゃ困りますね。日本の労働組合のことをよく知らないので,日本の労働組合の企業別組合という形態が,欧米の産業別組合や職種別組合とは違っているというような話もピンとこないわけで,労働組合のカルテル機能の説明も大変になります。
 文献では,独占禁止法の話や法人税の減税や累進課税批判なども出てきて,非常に面白いのですけれども,肝心の企業の社会的責任の部分に関しては,Friedmanは慈善事業などは企業がやるべきではなくて,企業は利益を上げて株主に還元することに注力すべきで,慈善事業に使うかどうかは配当を受けた個人の判断に任せろといいます。つまり企業の社会的責任論は,個人の自由を制限するというのです。ただ前回,ESGの話をしたこともあり,学生は社会的責任というと環境問題をイメージしたようであり,そのため,それは企業が責任をもつ必要がある,という意見になりました。
 それはそうなのですが,この章にかぎらず,Friedmanのもつ,政府の失敗への厳しい視点は,それを批判するにせよ,個人の自由とはどういうものかを考えるためには一回は検討しておくべきものでしょう。 

2022年10月21日 (金)

オンラインと孤独と孤立

 テレワークと孤独という問題に言及するものが目につくようになってきました。実態はよくわからないところがあるのですが,孤独問題が,長時間労働のためプライベートでも他人と会う時間をとれず,そして,一番長い時間付き合う職場の人とも直接話ができない状態であることから孤独を感じているというのであれば,やや深刻な問題です。1日中,誰とも直接に話すことがない生活が続くと,かなりストレスがたまるでしょう。おじさんなら,それでもスナックでママに話を聞いてもらったり,バーでマスターと話をしたり,すし屋のカウンターに座って大将と話をしたりするなどして機会をつくれるのですが,若者では少し難しいかもしれません。
 テレワークはそれだけをとれば通勤しない働き方ということなのですが,そのうえで,どのような働き方が上乗せされるかによって,ずいぶんと評価が変わりえます。これはテレワークそのものの問題というよりも,テレワークの活用の仕方の問題といえます。テレワークに向く仕事とそうでない仕事があるでしょうし,テレワークに適した人とそうでない人もいるでしょう。働き方に大きな変化が起きること自体にストレスを感じる人もいるでしょう。
 ただ最初からテレワークをするつもりで入社する人もこれからは増えるでしょう。そういう人からすると,テレワークができなければストレスになるでしょう。そして,そういう人は,テレワークで場所的に孤立して働くことは覚悟のうえであり,私生活が忙しいので,できるだけ効率的に仕事をこなせるテレワークがよいと考えたりするのです。私生活で人に囲まれている状態ですので,孤独問題とは無縁でしょう。
 ところで,よく孤独と孤立は区別せよと言われます。孤独はひとりぼっちであるという心理的な状態を示すのに対して,孤立は他人とのつながりから切り離されていることを示すと言われます。孤独は,独身の人が増えつつあるので,今後いっそう大きな社会問題となっていくことが考えられます。政府は,自殺予防などの観点からも,この問題に力を入れて取り組んでいるようです。一方,ICTは,つながりの可能性を広げるので,孤立問題の解決には役立ちうるものです(もっともSNSの世界での孤立というものもあるので,簡単なことではありません)。いずれにせよ,テレワークと対面とのハイブリッド型でやっている企業で,テレワークの人が孤立し,孤独感をおぼえるようになるのは,テレワークの失敗例となりえます。孤独感については個人差があるでしょう。わりとワイワイ仕事をするのが好きな人はテレワークになると孤独感を感じやすいかもしれません(もともと群れたがらない人は逆でしょう)。ただ,企業は,孤独感を個人の問題とせずに,少なくとも孤立が生じないような業務体制にしたほうがよいでしょう。
 最近,私一人だけリモート参加で,あとの参加者は現場にいるということが増えてきている感じがします。先日の政府関係の仕事でもそうでした。カメラの位置が下のほうにあるせいか,全体がよくみえないし,人がひっきりなしに私の前を歩いて行くなど,やりにくかったです(カメラの存在に気づいてなかったのでしょう)。カメラの設置場所を少しでも考えてほしかったです。こういう状況は,私には孤独感はありませんが,孤立していた気がします。リモート会議をするのなら,孤立が生じないように,しっかり現場とリモートで「つながる」ようにしてもらいたいです。音声がつながれば十分と考えるのなら,電話参加で音声をスピーカーで聴いてもらえれば十分です。その会議ではデジタル担当大臣もいたのですが,少し残念でした。

 

2022年10月20日 (木)

現世代バイアス

  10月18日の日本経済新聞の「大機小機」で,「現世代バイアス」ということが書かれていました。現在の政策の影響は,将来世代にも及ぶにもかかわらず,その意思決定は現世代だけで行われるから,どうしても現世代に有利で将来世代につけを残すような政策が採用されがちになるということを,このように呼んでいます。
  その対策としては,赤ちゃんにも投票権を与えて,親が代理人として投票するという方法が提案されています。もう一つは,政治家が現世代の要求に安易に応じてしまうことを防ぐために,専門家からなる独立機関を作って意思決定をさせるという方法も提案されています。もう一つ紹介されているのが,「フューチャー・デザイン」という手法です。これは,意思決定の際に仮想将来人をグループに入れて,例えば20年後の人になったつもりでプロジェクトを考え,意見を出してもらう,ということです。 日本でも実践例があるようです。
  こうした将来構想をとりいれる自治体が増えていくのは望ましいことです。人口減少が進む地方ほど,本気でこういうことを考えていく必要を自覚しているのでしょうが,ほんとうは都市部も同じことのはずです。
  環境問題は,まさに「現世代バイアス」に関わります。原発問題もそうでしょう。将来世代にツケを残さず,現世代の利益もある程度守られるような社会設計は容易ではないでしょうが,テクノロジーもうまく活用して実現していかなければなりません。
  国民みんなが次世代のことを少しでも考えるだけで,ずいぶんと社会が変わるような気がします。何が何でも選挙に通りたいと考える政治家こそが,「現世代バイアス」を増幅させる元凶となっています。政治から距離を置いた独立した意思決定機関に委ねるのは,民主主義の否定をみるべきではなく,民主主義の補完形態としてうまく活用すべきものでしょう。本来は,参議院にこそ,そういう機能をはたしてもらいたいのですが……。

2022年10月19日 (水)

AI審査

 信用調査などでAIはかなり前から活用されています。昨日の日本経済新聞で,ギグワーカーに対して,三井住友海上が車両ローンを始めるという記事が出ていました。「人工知能(AI)によるローン審査モデルを使い,勤務先などの属性ではなく,個人に将来見込まれる所得向上や車両の使用目的などのデータをもとに返済可能性を判断する。」ということのようです。こうしたAIの使い方は,今後いろいろなところに広がっていくでしょう。 データが蓄積されていけば, いっそう精度の高い予測判断ができることになります。
 ところで先日,このブログで研究費のつけ方のことを書きましたが,研究成果の発表可能性というものをAIに審査してもらって,研究費を決めるということもできそうな気がします。研究の場合には,ローンなどとは違って,アウトプットをどう評価するかなど,AIの学習データの作成に苦労する可能性はありますけれども,この分野でもAIの活用ができないわけがないでしょう。
  研究費とは違いますが,研究業績に対する審査をして賞が与えられることもあります。この場合,実際に世の中に出ている研究成果のすべてが対象になっているわけではなく,推薦などによってすでに制限されています。これはやむを得ないのですが,見落としているものがある可能性は避けられません。少なくともネットで公開されている研究成果はすべて網羅的に審査対象にして,AIに1次審査してもらうという方法はあるでしょう(就活のESのふるい分けのような感じです)。人間の推薦とAIの推薦で業績を絞って,最後は人間が判断するというようなスタイルが,今後は普通になっていくでしょう。ノーベル賞も,芥川賞や直木賞も,労働関係図書優秀賞も,商事法務研究会賞もそうなるかもしれません(受賞対象の要件の変更が必要でしょうが)。そのうち,人間がタッチしない完全AI審査も出てくるかもしれません。もちろん審査基準は人間が決めるのですが,もし審査基準もAIで決めるということになると,人間が機械に評価されてしまうということなので,不気味な感じがしますね。

2022年10月18日 (火)

リスキリング

 リスキリングがバズっていますね。岸田首相が「人への投資」を打ち出して多額の予算がつきそうなので,そこにビジネスチャンスをみた企業が色めき立っていることでしょう。
 リスキリングは,すでに仕事に就いていて,これまでのアナログ時代に蓄積したスキルが今後使えなくなるかもしれない人たちにとっての雇用維持策という面があります。その重要性は否定しません。デジタル時代における雇用政策は,二つの異なることをしなければならないのです。一つは,今後本格的に始まるDX時代に備えて,より創造性のある仕事に従事できるような人材の育成ということです。これが私がいつも主張する教育政策であり,職業教育の重要性というのもこの話です。もう一つは,現在の40歳代から上の,今後の急激な変化に対して雇用を失う危険性がある人たちをどうするかです。年齢が上にいけばいくほど,政府が生活の面倒をみなければならない可能性が高まりますが,それでは困るので,なんとか自立できるようにするために「人への投資」をする必要があるのでしょう。具体的には,新しい技術環境に適用できるようなスキルを身につけてもらう必要があります。政府もその重要性を感じてリスキリングに力を入れるようになったということですが,政府みずから実施するのではなく,企業に対して,現在の従業員に行って失業者が出ないようにしてもらうということが中心となるのでしょう。幸い,オンライン教育などの自学用のプログラムもあります。これは,現在のリスキリングだけでなく,個人が今後常にスキルのブラッシュアップをしていかなければならない時代がくるなかでは中核的な学習方法となるものです。
 現実にはリスキリングといっても,まずは,かつて30年前にデスクの上に置かれるようになったパソコンを使えるようになり,ワードやエクセルを活用できるようになったというのと同じようなレベルのところから始まるのかもしれません。仕事の効率化のためのデジタル活用です。現在,日本ではデジタル化は遅れているので,これでも生産性はかなりアップするでしょう。しかし問題はそこから先です。この技術を使って,いかにして新しい価値を生み出すかが勝負です。その点については,リスキリングには多くの期待ができず,次のDigital Nativeの世代に任さざるを得ないのかもしれません。小学校でも,徐々にデジタル教育が進んできているようですが,文科大臣には最重要政策課題としていっそう積極的に取り組んでもらいたいものです。

2022年10月17日 (月)

研究費のつけ方

 今年は日本人からノーベル賞が出なかったですね。たった1年であれこれ言えるわけではありませんが,日本の基礎研究の低下は,つとに指摘されていますので,気がかりです。
 少し前のNHKの朝のニュースで,2019年にノーベル化学賞を受賞した吉野彰さんが,基礎研究と徹底して役に立つ研究を分けろ,と言われていました。成果がいつでるかわからないが重要性のある基礎研究と,実用性の高い研究はかなり性格が違うので,両者を混在すると大変な弊害が出てしまいます。吉野さんは主として自然科学のことを念頭においていたのかもしれませんが,法学でも同じことです。よく出す例ですが,ローマ法の業績が頻繁に発表されるわけがないのであり,これと知的財産法などの最先端の企業関係法とは同じには扱えません。成果がすぐに出ないからといって予算を配分しなくてよいということではないのです。もっとも,分野によっては,一人で「両利き」の研究をすることも可能でしょう。「両利き」は,英語では,ambidexterity という難しい言葉なのですが,経営学ではよく使われているようで,右手で深化(exploitation)を,左手で探索(exploration)をめざすということのようです。イノベーションをうむのは探索であり,深化だけではいけないということでもあります。
 研究も同じで,深化は専門性を習得するには不可欠ですが,どうしても専門領域に狭く閉じこもりがちです。そこでそこそこの評価もえられて居心地がよいし,自分の蓄積したものを活用できるので楽でもあります。しかし,独創的な研究をするには,そこから抜け出して探索をする必要があるのです。もちろん,そうなると当然,新領域では専門性がないわけですから評価はえられませんが,その探索からみつけだしたものと,これまで深化させたものとが融合すると新たな画期的なものが生み出されます。ただ,これは従来の専門分野の枠組みをこえるものなので,適切に評価されず,そうなると研究の予算もつきにくいということになります。だから目利きが必要です。
 ただ,評価の対象を研究にするのではなく,人にすることもできます。同じNHKの番組をみていて,実はノーベル賞が日本からも出ていたことがわかりました。沖縄科学技術大学院大学(OIST)のSvante Pääbo教授(Wikipediaによると,スウェーデン国籍)が,ノーベル医学・生理学賞を受賞していました。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとの交配を明らかにした画期的な研究成果を発表されています。OISTは,まさに研究者に予算をつけて,5年ごとの成果で評価するという方式を導入していると紹介されていました。外部資金は科研費も含め,作文力の勝負というようなところもありますが,これではいけないと思っています。研究者を信用して研究費をつける,というようなスタイルがもっと他の研究機関にも広がってほしいですね。そのほうが,既存の学問の枠組みや垣根を越えた独創的な研究がうまれてくると思います。

 

2022年10月16日 (日)

イタリア政治は実験場

 1014日の日本経済新聞の経済教室において,Giuliano da Empoli氏の「イタリアにみる欧州政治の変遷」というタイトルの論考が掲載されていました。先般の国政選挙のFdI(イタリアの同胞)Meloniの勝利をどうとらえるかは,単にイタリアウォッチャーだけでなく,世界の政治の動きに関心のある人たちにとっても注目でしょう。この論考で書かれていたように,イタリアの政治というのは,欧州の政治思想の実験場のようなところがあるのです。
 そこで紹介されていた「テクノ型国家主権主義者」というのも興味深いです。このような勢力が誕生してきて,記事では,「FDIを率いるメローニ氏の総選挙での勝利は,その最初の表れだ。これは,EUのテクノクラート的な論理と北大西洋条約機構(NATO)の地政学的な枠組みを容認する一方で,ナショナリズム型ポピュリストである指導者たちが旗印とする極めて保守的な価値観や「伝統的かつキリスト教徒的な欧州」の保護を訴えるという新たな政治形態だ」と説明されています。国家主義者イコール反EUではないのは新しい現象なのでしょうね。
 イタリアにとってEUはこれまで少し鬱陶しい存在ではありましたが,EUの存在の恩恵も大きいのであり,純粋に国益を考えると,EUシンパでなくてはおかしいはずです。実際には多くのイタリア人は,EUあってのイタリアとわかっていると思います。私ぐらいの世代から上のイタリア人は, EUによる統合に複雑な思いをしている人も少なくないと思いますが,徐々にそういう人の割合は減少してきているでしょう。それに30年くらい前のイタリアでは,国家主義的な動きは,ファシズムを想起させ,インテリを中心に嫌悪の対象そのものでしたが,戦後80年近く経って,そのような感覚をもたない人が増えてきているはずです。
 そのようななかで,既存の政治に対する不満の受け皿として,MeloniFdIのような極右政党が支持を増やすことになるのは理解できないではありません。しかし前に(919日),同じ経済教室で網谷龍介さんが書いていたように,伝統的な政党の存在意義を軽視してはならないでしょう。網谷さんは「異論の出ない腐敗根絶などの争点や指導者の魅力のみを訴えるようになれば,自分の選好に近い政党の選択も難しくなる」と書いており,ポピュリズム政党の登場は,民主主義にとって有害であることを示唆しています。身近なテーマは,誰でも提示することができ, 弁舌さえ巧みにできればある程度の支持を得ることができます。しかしこうした新党が本格的な国の政策を体系的に展開できるかというと,それは期待薄です。やはり経験のある人材の豊富な旧来型の政党でなければ信用できないという面もあります。FdIがこれからどのようになっていくのか。イタリアはEUの主要国であるだけでなく,G7の一員でもあります。国際的な舞台に,イタリアの首相は出ていかなければなりません。狭量な国家主義ではなく,国際舞台にも通用する普遍的な政治信念や価値観をもつ必要があります(岸田首相にこれがあるかわかりませんが)。ただ,現在は新たな「テクノ型国家主権主義者」的な価値観が普遍性をもとうとしている可能性もあります。FdIの今後はイタリアや欧州の政治にとどまらず,日本の政治の今後を占ううえでも参考になることがあるでしょう。

2022年10月15日 (土)

日東電工事件

 日本法令で連載している「キーワードからみた労働法」の第184回は,「合理的配慮義務と自動退職」というテーマです。自動退職(自然退職)は,以前に扱ったことがあるテーマですが,神戸労働法研究会で,弁護士の千野博之さんに担当いただいた日東電工事件・大阪高裁判決(2021730日)の報告に触発され,いろいろ考えるところがあったので,今回取り上げてみました。千野さんの評釈は,季刊労働法の最新号の278号で掲載されています。また,ジュリストの最新号の1576号では,上智大学の富永晃一さんの評釈も掲載されています。
 事案は,プライベートな事故で大けがを負い休職していた労働者が,本人が希望していた元の職場には戻れないと判断され,休職期間満了にともない退職扱いとなったというもので,その措置の有効性が争われました(結論は有効で,会社勝訴)。
 休職期間の満了時の退職扱いの有効性については,休職制度自体が就業規則上のものなので,就業規則の規定の解釈が重要となりますが,それだけでなく裁判例上,いろいろな規範が適用されてきており,難解な論点となっています。今回の私の原稿では,「片山組事件法理」と名付けた休職中(あるいは自宅治療命令期間中)の賃金請求権に関するこの法理が,雇用終了の局面でどのように機能するかの検討をし,また障害者雇用促進法上の合理的配慮義務がこれにどう関係するかも検討しました。
 私は合理的配慮義務が公法上の義務であるという議論には疑問をもっており,私の提唱する人事労働法の観点からは,義務の根拠が公法的なものかどうかに関係なく,それにしたがった行動をとるのが良き経営のためには必要と考えます(公法上の義務といっても,結局は私法上の効力に影響する解釈になってくることが多いのです。公法上の義務論も,そのうち批判的な観点から採り上げようと思っています)。ただ,その合理的配慮義務の内容が,どういうものであるのかは問題です。合理的配慮の内容はできるだけ労使で話し合って決めるべきで,「納得規範」に照らすと,企業は,労働者の納得同意を得るよう誠実な説明をすべき義務を負うと解すことになりますが,それ以上の義務を負うものではありません。研究会では,本件で労働者は復職先を限定して希望していたとはいえ,それによって雇用の終了になるとまでは思わず,たんに第一希望を主張していただけかもしれないのではないかという議論もしました。そういうことも含めて,企業側に誠実説明が足りないところがあった可能性があるので,判決の結論の妥当性は微妙なところです。富永さんも,「本件では,過重でない配慮措置の限りでは現実的に配置可能な業務が存在しなかったものと推測されるが,その点はX[労働者]に事前に伝えることが望ましかったように思われる」と述べておられます(153頁)。このような望ましいとされる行動をとることが,人事において最も重要なところではないかと思います。

 

2022年10月14日 (金)

3連敗

 矢野監督のラストゲームは,ちょっと残念な試合になりました。ヤクルトは3連勝(阪神は3連敗)して,王者にふさわしい勝ち方をしてくれました。ひょっとしたらという希望もありましたし,今回の試合をみても勝てない相手ではなかったのですが,最後はヤクルトの執念が上回った感じです。今日のヤクルトの逆転は,村上がボテボテのピッチャーゴロでも必死に走って生み出しました。三冠王のこの姿勢に,脱帽です。ヤクルトこそ日本シリーズに出場するにふさわしいチームです。阪神は,来季は岡田監督に託すことになります。彼は阪神の監督の難しさは経験済みです。コーチ陣を一新して,ぜひ選手にカツをいれてもらいたいですね。
 話は変わって将棋の里見香奈女流五冠の挑戦も3連敗で終わってしまいました。プロ棋士になる道は厳しかったです。対戦相手の棋士の強さを見せつけられた感じでした。これまで資格を得て挑戦した人のなかでは,初めての不合格となりました。女流のプロ棋士の誕生はいつになるでしょうか。里見さんには再挑戦してもらいたいですね(再挑戦が可能かどうかは知りませんが)。男性のアマの小山怜央さんも,編入試験の資格を得ており,同時並行になりそうでしたが,里見さんの不合格が先に決まってしまいました。力の落ちた男性棋士がアマチュアや女流棋士に負けて勝率要件で決まる受験資格を与えたところを,若手棋士が試験で阻止したという構図にもみえます。熾烈な三段リーグを突破したばかりの若手四段を対戦相手にするのは,受験者にはきついでしょうが,三段リーグを通らないルートですのでやむを得ないですし,公平な扱いだと思います。

2022年10月13日 (木)

昭和ホールディングス外2社事件・控訴審判決

 前にこのブログで、この事件の東京地裁判決を紹介したことがありますが,その控訴審判決が今年の1月に出ています(東京高判2022127日)。今日の労働委員会の会議で採り上げられて,若干の議論をしました。
 事案の詳細は省略しますが,この事件で気になったのが,団交の申込み事項の明確性です。団交事項は,使用者は明確にされている範囲のものと理解してよく,文書化されている部分が義務的団交事項でなければ団交拒否してよいというのが高裁(および中労委)の判断で,これは地裁の判断とは異なっていました。本件事案の特殊性もあるのでしょうが,やや硬直的な印象を否めません。私は初審についてのコメントでは,微妙なところなので,労働委員会関係者としては中労委の判断を尊重してもらえれば,というようなことを書きましたが,研究者としての視点でみると,やはり東京地裁の判断のほうが妥当ではないかと思います。岡山大学の土岐将仁さんも, 1審の評釈で,「労働組合が労働条件の改善等を目的としていることからすれば,通常は労働条件の改善等を求めて団交申入れをしているはずであり,申入れ段階で義務的団交事項でないと断定するには,……団交申入書の記載だけではなく,関連文書や一連の経緯を判断せざるをえないと思われる」という適切な指摘をしています(ジュリスト1572136頁)。上告がどのようになっているのかわかりませんが,上告審で採り上げてもらいたいです。
 親子会社の使用者性,経営事項の義務的団交事項性,救済命令の裁量(中労委は団交拒否事案での救済命令を文書交付だけとした)などの興味深い論点が含まれていますし,教材としても扱いやすい事件です。そのうち,これを基にして期末試験の問題を作りたいと思います。

2022年10月12日 (水)

みんな大好きアンパンマン

 以前に里中満智子さんの「私の履歴書」のなかで,やなせたかしさんは,94歳で亡くなる前日まで仕事をしていたと書かれていました。Elizabeth女王も,96歳で亡くなる直前,選ばれたばかりのイギリス首相と会っていましたよね。高齢になっても仕事ができる身体で,しかも呆けていないのは素晴らしいですし,うらやましいです。私は死ぬ前日まで原稿を書いていられるでしょうか。
 そのやなせたかしさんですが,亡くなっても,その影響力には,すさまじいものがあります。この点でも,うらやましいです。アンパンマンは,日本中のどこにでもいそうです。大人には気づかないとしても,子どもならわかるようなところにアンパンマンやその仲間たちのキャラクターが潜んでいます。もちろん,神戸のモザイクあたりにいくと,アンパンマンミュージアムがあるからかもしれませんが,堂々とアンパンマンファミリーが顔をみせてくれます。アンパンマンたちの像がありますし,高速神戸駅から地下でJR神戸のほうに歩いて行き,そのあと地上に出て海のほうに向かうと,その間ずっとアンパンマンたちの顔をみることになります(下を向けば,ということですが)。
 アンパンマンを嫌いな子どもなど聞いたことがないですが,私には何が魅力なのか,いまひとつよくわかりません。アニメを観るような年齢になる前から好きなようですから,あの丸顔が魅力的なのでしょうかね(でも,ばいきんまんもドキンちゃんも人気がありますよね)。それとアンパンマンという音もいいのでしょうね。どことなくピンポンパンと音の感じが似ています。1歳や2歳児くらいだと,まだ言葉はきちんと話せないですが,「ア」も「パ」も「マ」も出しやすい音ですよね。このネーミングが成功の秘訣かもしれません。
 ただし,アンパンマンが人気があるのは日本だけということを聞いたことがあります。日本のアニメは世界を席巻しているのですが,アンパンマンは違うようです。アニメ自体は,昔観ることがあったときには,ものすごく面白い内容とは思いませんでしたので,そのあたりが外国人の親には敬遠されているのかもしれません(また,食べ物の話ということも関係しているかもしれません)。「みんな大好きアンパンマン」という歌詞につられて,海外の子どもにも,アンパンマン関係のグッズのお土産を買っていくと,がっかりされる可能性があるから要注意です。

2022年10月11日 (火)

久しぶりの対面授業

 水際対策が緩和されて,外国人がドンドン来るようになるようです。これで景気も大きく改善するでしょうか。外国人がいないうちに旅行をと思ったりもしていましたが,結局ステイホームでした。飛行機・新幹線に乗らない期間記録は,どこまで伸びるでしょうかね。
 先週から授業が始まりました。対面型です。うちの大学も対面型推進です。遠隔授業をするには,面倒な手続をふまなければなりません。それに卒業要件単位数に含めることのできる「遠隔授業」の単位数の上限は60単位となっており,遠隔授業をすると学生に迷惑がかかります。だから教員にはできるだけ対面授業をやってほしいということになっているのです。これは間違った方針ですが,一労働者としては従わずにはいられません。従属労働者の悲哀です。
 遠隔授業といっても,オンデマンド型とオンラインリアルタイム型とでは全く違います。オンデマンド型だと通信教育と何が違うんだという議論もわからないではありませんが,オンラインリアルタイム型は,ICTの適切な活用方法であり,これをあえて封印しろというのは,理解できません。
 少人数授業では対話があるので,間隔をあけて座りますが,マスクを着用しなければならないので,話しづらいし聞きづらいことになります。声を張り上げると喉を痛めやすく,感染しやすくなります。これから冬になって寒くなると,喚起のために窓をあけていると風邪をひきやすくなります(電気代の節約のため温度も上げられません)。講義資料はネット経由での提供ですが,スマホしかもってこない学生には,やや大変でしょう。自宅でならパソコンにつなぎ,もっと楽にいろんな資料を参照しながら授業に参加できます。マスクなしでエアコンの効いた状況で授業に参加できるでしょう。教師の側も自宅でなら,多くの資料を手元におきながらできるので,授業の質も充実したものとなります。議論が少し脱線して事前に準備していない方向にいっても,次の授業までに確認するというようなことをせず、その場ですぐに確認することもできます。どう考えても,少なくとも私の授業では,対面授業は遠隔授業より効率が悪いです。せめてマスクが不要となるときがくるまでは,遠隔授業が原則であるべきです。60単位というような上限もなくすべきです。緊急事態宣言が出たばかりのころは対面型期待の学生にとって,遠隔授業は失望感を与えることがあったでしょうが,いまの1年生は,そういうことでもありません。すでにリモート環境に慣れているのであり,そういうことも考慮すべきなのです。学生も,オンラインリアルタイム型に積極的でない大学は,時代に乗り遅れているかもしれないので,大学選びの際には注意したほうがよいでしょう。
 いつも同じようなことを言っていますが,現場の声を無視した一律の対面授業重視(対面型のほうがよい授業もあるとは思いますし,理系などはそういう授業が多いのでしょう)は,大学授業の質の向上のチャンスを阻むものであり,社会の流れから遅れていることを,文科省も大学の幹部たちも気づくべきでしょうね。

2022年10月10日 (月)

スポーツの日

 「体育の日」から,いつのまにか「スポーツの日」となっていました。Wikipediaでみたら,国民の祝日に関する法律の改正で,2020年に10月の第2土曜日が「スポーツの日」になっていたのですが,オリンピックに合わせて特措法で祝日をオリンピック開幕の7月にずらせていました。ということで,今日が10月の本来の位置での最初の「スポーツの日」のようです。
 「体育」が「スポーツ」になったのは,そのほうが広い意味だからですが,カタカナのまま使っているのは,日本語にできない言葉ということなのでしょうね。イタリア語でもsportと英語のままで使っていたと思います。アングロサクソン的な概念なのでしょうか。
 ということでスポーツの話題をしますと,プロ野球セリーグは,阪神がDeNA21敗と勝ち越して,CSのファイナルへの進出を決めました。3試合ともロースコアの接戦で,先攻なので苦しかったですが,湯浅が頑張りました。相変わらずの貧打ですが,これはお互い様です。青柳と伊藤を使ってしまったので,ヤクルト戦は,先発はどうなるでしょうかね。二人は中5日で第3戦と第4戦の先発で使えるでしょうが,重要な初戦の先発を誰に任せるかが問題です。ペナントレースの開幕戦で投げた藤浪が,ここでも来るでしょう。第2戦は今日も投げた才木か西純矢でしょうかね。それとも巨人移籍が噂される西勇輝でしょうか。先発投手は5回まで抑えてくれれば,あとは盤石のリリーフ陣(岩崎を除く)で抑えることになるので,必ずしも先発要員でなくてもいけるかもしれません。ヤクルトには,シーズン最後のしびれる3試合で負けませんでしたし(2勝1分け),敵は実戦から遠ざかっているので,1勝のビハインドとビジターでの試合というハンディはありますが,それほど不利ではないでしょう。もちろん村上に爆発されたらおしまいなので,対策はしっかりやってもらいたいです。
 大学の3大駅伝の初っぱなの出雲駅伝もありました。全日本と箱根に比べて短い距離でスピードランナーが活躍できる駅伝です。今年3冠をねらう駒澤大学が大会新記録で優勝しました。駒澤は洛南出身の佐藤圭汰選手が入って,戦力アップです。今日も区間新で区間賞をとり,駒澤優勝に貢献しました。大エースの田澤廉選手は,調子がよくなかったようですが,それでも区間2位でトップを維持しました。故障あけで心配されていた鈴木芽吹選手もアンカーで区間賞の快走をしました。
 風が強く,前半の追い風では,風にうまく乗れるランナーが記録を伸ばし,逆に後半の向かい風では,風に負けずに力強い走りができるランナーが順位を上げました。駒澤のライバルの青山学院は4位でしたが,全日本では巻き返しをするでしょう。
 関西勢は4校出ていましたが,地元の関西学院が10位でトップでした。箱根駅伝シードの帝京大学に勝ちました。9位の東洋大学にも途中まで勝っていました。1区の守屋選手は西宮高校出身で区間4位の力走でした。ちなみに同じ1区で区間3位の青山学院の目片選手も須磨学園出身です。次の3大駅伝は116日の全日本駅伝です。関西学院もまた出場するので,応援しましょう。

2022年10月 9日 (日)

円安

 円安が進行しています。私も,わずかですが海外旅行のときに使わずに残っていたドルが貯まっていたので,ドルが上がり始めたころに135円で早まって売ってしまいました。
 数年前に東南アジアに行ったとき,ずいぶん物価が安いなと思ったものです。たとえばタイやマレーシアなどは実感として3分の1くらいでした。為替レートが,国力の違いを表しているような気がして,日本人であることが誇らしい気持ちにもなりました(そういう上から目線でみてはいけないのでしょうが)。いま円安で,海外の人たちがもしかしたら日本人のことを,そのときの私のようにみているかもしれません。これから日本に来ると,外国人旅行客を待ち望んでいた観光業界などが,もともと高いサービス精神をさらに高めて発揮し,それをきわめて安価に外国人に提供していくのです。円安のメリットを活かして経済の活性化を図るのは当然ですが,少し複雑な気分です。
 円安の原因は日米の金利差にあると言われます。たしかにドルを買えば,高い金利がつきますが,急に円高になる可能性もあるので,為替で儲けようとする人は要注意です。政府の円買いの市場介入にもかかわらず,180円くらいまで上がるという展望もあるので,ここで思い切ってドルに賭けるという人もいるかもしれませんが,先のことはまったく読めません。私はそういう博打は運の無駄遣いと思うので,やらないことにしています。コロナ後のアメリカ旅行などを楽しみにして,いまからドルを買っておくくらいのことはやってよいのでしょうが,当分はハワイ旅行も難しいでしょうね。
 円安の原因が日米の金利差ということであれば,アメリカでそのうちインフレがおさまり,景気が悪くなったときには金利を下げるでしょうから,そうなると問題が解決するという見方もできます。しかし,円安は国力の低下という日本側の問題を反映しているという見方もできます。日本の将来性が暗いと考えると,円資産を保有する外国人が減るでしょう。円が売ってドルを買う人が増えていくと,円安になります。実際,日本の膨大な財政赤字,少子化の進行,デジタル化の後れ,地政学リスク(私たちが感じている以上に,中国,ロシア,北朝鮮と接していることは,外国人からすると,大きな不安定状況とみえるでしょう)など,あまり明るい材料がありません。そして円安は,輸出関連企業の利益が賃金に反映して国民にその恩恵が浸透する前に,エネルギーを初めとする海外からの輸入品のインフレで,ただちに生活に打撃を受け,苦しむ国民を増やしてしまう危険性があります。
 円安がどうかということよりも,結局は,日本という国の抱える構造的な不安要因が気になります。

2022年10月 8日 (土)

竜王戦始まる

 竜王戦が始まりました。藤井聡太竜王(五冠)に,広瀬章人八段(元竜王)が挑戦します。第1戦は,広瀬八段が勝ちました。素人目にも面白い将棋でした。終盤で藤井竜王の飛車のタダ捨てが出現し,指した人が藤井竜王ですから,普通なら何かありそうで怖くなってもおかしくないのですが, 広瀬八段は15分くらいの考慮だけで冷静に対応しました。振り返れば,局面が苦しい藤井竜王の勝負手だったのですが,そこにいたるまでの広瀬八段のじわじたとした追い込みが見事でした。大方の予想は藤井防衛ですが,広瀬八段もこのタイトル戦には万全の準備で臨んでいるでしょうから,今後の展開が楽しみです。
 豊島将之九段が,永瀬拓矢王座に挑戦した王座戦は,結局,永瀬王座が初戦に負けたあと3連勝で防衛しました。粘り強い将棋で,4期目となります。永瀬王座という呼び方もすっかり定着した感じがします。どこまで防衛回数を伸ばすでしょうか。
 棋王位戦(タイトルホルダーは,渡辺棋王)は,ベスト4の最後の椅子をめざして,藤井五冠と豊島九段が戦います。すでに伊藤匠五段,羽生善治九段,佐藤天彦九段がベスト4進出を決めています。
 王将戦挑戦者決定リーグ(タイトルホルダーは藤井王将)は,前王将の渡辺明名人がまさかの2連敗スタートとなりました。対照的に,羽生九段は2連勝,また糸谷哲郎八段は2連敗というスタートです。全6局なので,まだこれからです。

2022年10月 7日 (金)

ミサイルと海の環境被害

 北朝鮮がミサイルを撃ち続けていますが,陸地や船舶・飛行機などに落ちてきて人的被害が出ないかとても心配で,ほんとうにやめてもらいたいです。もしJアラートが鳴ったらどうしましょうかね。どこに逃げたらいいのか,よくわかりません。あんなミサイルが落ち来たら,家の中にいても意味がありませんよね。各自治体はあちこちに巨大なシェルターをつくる必要があるのかもしれませんね。
 人的被害がでなければよかったというものでもありません。ミサイルが海に落ちたあと,どうなるのでしょうか。海はゴミ箱ではないのであり,落とした以上,拾ってもらいたいものです。それに有毒な物質が含まれている可能性が高いでしょう。
 人的被害が一番の懸念事項ではありますが,環境問題という観点からも,ミサイルを撃つこと,さらには軍事演習で海にミサイルを落とすことについて,もっと批判的な目を向ける必要があると思っています。どうしても演習でデータを得ることが必要というのであれば,デジタルツインの活用などもできるのではないでしょうか。
 「海は広いな大きな」ということで,有害物質を流し込んだり,いろんなものを投棄したりしても大丈夫と考えがちです。原発の汚染水の海洋放出なども,政府は健康に被害がないといいます。たしかに,少々のことならそうなのかもしれませんが,世界中でそういう小さなことが積み重ねられると,長い年月を経て海の生態系に影響し,ひいては人間の健康にも影響がでるのではないかと気になるところです。
 日本には水俣病などの悲惨な過去があります。あそこまでひどい有害物質(有機水銀)が放出されることは,今日ではないと信じたいですが,それでも不安はあります。動物性のたんぱく源は,歴史的にも長い間,陸上の動物の肉ではなく,魚に頼ってきた日本人にとって,海や川のきれいさにはこだわるという感覚が,DNA的にあるはずだと思うのです。
 北朝鮮の暴挙は論外ですが,軍事演習でも人的被害や物的被害がないだけで安心せず,要するに,「お魚さん」に被害がでないようにしてもらいたいものです。そういうことを言うと,どれだけの被害があるかの科学的データを出し,軍事演習の効果と照らして判断すべきというような議論になるのかもしれませんが,環境被害の数値化はできるのでしょうか。国土を守るためだから,環境は二の次というのにはやや抵抗があります。甘い議論なのかもしれませんが。

2022年10月 6日 (木)

やっぱり米が好き

 日本経済新聞の926日の電子版にあった「自治体が相次ぎ小麦の生産拡大を支援している。需要が減少傾向にあるコメからの転作を促し,農家の経営安定を目指す。」という記事に目がとまりました。米の需要がどんどん減っているそうで,減反政策も終わり,農家は競争力のある農業生産に取り組まなければなりません。ウクライナ戦争で,小麦不足が言われるなかでは,小麦への転作がいっそう進むのはやむをえないのかもしれません。
 私も若いときには,毎回の食事がずっとパンでも大丈夫でした(それに耐えれなければ留学はできませんよね)。でも徐々に,1日1回は米を食べるようになり現在に至っています。白米も玄米も好きです。もちろんパスタも好きですが,最近は米粉のパスタも悪くないと思っています。パンも米粉のものがあり,味は私には悪くありません。なんとか米をいっぱい食べて,米作で頑張る農民を応援したいです。みんなもっと米を食べましょう。私自身は,食事の量が減っているので,米をたくさん食べるといっても限界があります。11回米を食べるというのは朝のことで,夜はおかずしか食べないようにしています。米にしろ,小麦系のものにしろ,12回以上食べれば,体重が増えてしまいます(もちろん量によるのですが)。だから11回なのですが,米がなくなれば困ります。インディカ米やタイ米はパエリアにはよいでしょうが,日常の食事には物足りません。ということなので,若者にはもっと米を食べてもらいたいです。ハンバーガーが好きな人は,映画「Super Size Me」を1回は観ておく必要があるでしょう。
 おいしい米は,ふりかけなどがなくても,それだけですばらしい味がします。旅館で食べるブランド米となると極上の味で,何もかけなくても,何杯もお代わりできてしまいます(体重の面では危険ですが,幸か不幸か,日常生活ではなかなか手が出ない価格なので,その点は心配ありません)。おいしい米の伝統を守り,日本の素晴らしい食文化を,なんとか残していきたいものです。

2022年10月 5日 (水)

古川景一・川口美貴『新版 労働協約と地域的拡張適用―理論と実践の架橋―』

 古川景一・川口美貴『新版 労働協約と地域的拡張適用―理論と実践の架橋―』(信山社)をいただきました。旧版に続き,どうもありがとうございます。旧版は,近年では,ほとんどあまり研究がされていない労働協約の地域的拡張適用(労組法18条)について本格的な分析検討を加えた唯一の文献といえるものでしたが,ちょうど家電量販店での地域的拡張適用が認められる事例(UAゼンセンヤマダ電機労働組合他事件)が出てきたこともあり,新版では,その情報も追加してアップデートされています。
 本書では,地域的拡張適用には,労働者間の公正な競争だけでなく使用者間の公正な競争という意義があり,さらに協約締結使用者の利益に資することに何度も言及されていますが,労働条件が有利に拡張される場合,拡張適用される側の使用者の利益をどう考えるのかという問題がありそうです。当該労働協約の締結主体である使用者ではないという状況は,公正な労働条件の適用を免れているという場合もありえるでしょうが,自分たちの経営体力からすると,高い労働条件は提示できず,労働者もそれに納得して同意している可能性もあります。拡張適用のもつ強制的な性格は,労組法17条の場合によく議論してきましたが,18条の場合にもあてはまるものでしょう(なお,UAゼンセンヤマダ電機労働組合他事件では,協約外使用者2社のうちの少なくとも1社は,拡張適用される協約の条項よりも有利な規定をもっているので,この点は問題となりませんでした)。この点は,具体的には,労働委員会の決議や厚生労働大臣または都道府県知事の決定の際に考慮される事項かが問題となるのでしょう。前に紹介したことがある季刊労働法277号の山本陽大さんの論文「労働組合法18条の解釈について」では,労組法182項で,労働委員会に協約の修正権限が認められていることを考慮して,拡張適用の妥当性についても労働委員会に判断を行わせるのが適切と述べています(26頁)。一方,本書では,労働委員会の裁量を認めることを否定します(2956頁)。ただ,それについての次のような理由付けにはやや疑問があります。
 「労働委員会の裁量を肯定すると,使用者や使用者団体等から地域的拡張適用に対する反対意見が出されたとき(特に協約当事者以外の使用者については想定しうる),使用者等の反対を押し切って地域的拡張の決議に賛成した公益委員については,「公正さを欠いており,再任の際には使用者委員の同意見(ママ)を行使して不再任とするのが相当」との批判や圧力を防ぐことができず,地域的拡張適用が事実上困難となるところ,使用者等の反対による拡張適用ができないのであれば,同制度の存在意義自体が揺らいでしまうであろう」。
 不再任となるのを恐れて使用者側の意見に従うような公益委員がどこまでいるのかわかりませんし,そんなことを言ってしまえば,不当労働行為の救済命令だって,参与意見における使用者委員の意見に従った命令が出ることになりそうです(労組法27条の12第2項を参照)が,実際にはそういうことはないでしょう。ここで重要なのは,労組法18条が,協約適用外の使用者(および労働者)の意思に反して適用される強制的な性格をもつことで,その利益をどこかで考慮する機会がなければならないのではということであり,そのための適切な場としては,労働委員会以外はないであろうということなのです。労働委員会に裁量を認めても,(本書が懸念するように)使用者側が反対したから直ちに拡張適用ができなくなるというわけではなく,使用者側の反対の理由が妥当なものでなければそれを重視しないことは十分にありえます。この程度の判断をすることを労働委員会に認めないようでは,労働委員会制度はそもそも成り立たないのではないかと思います。労働委員会の判断の適否は,決議の内容から事後的に検証されるのであり,そうしたチェックで十分たと思います。ということなので,私は山本説と同様,労働委員会の裁量肯定説に立ちたいです。
 この問題は不利益変更のケースでは,いっそう深刻な話となるでしょう(本書では300頁を参照)。労働協約の効力を,私的自治的正当性の観点からみていこうとする私の立場からは,強制的な拡張適用の正当化をどのように行うかという原理的論点に,どうしても関心が向いてしまいます(なお, 日本労働研究雑誌の最新号747号の桑村裕美子さんの論文「労働法における集団の意義・再考」28頁でも,協約外の労使との利害調整の問題に言及していますので参考にしてください)。17条については,同種の労働者の4分の3以上という要件による高度の民主的正当性によって,私的自治的正当性の欠如を補う(したがって,不利益変更の場合でも裁判所の内容審査をすべきではない)というのが私の立場です(拙著『労働条件変更法理の再構成』(1999年,有斐閣)308頁以下)が,そこでは論じていない18条について,改めて考えてみると,私的自治的正当性の欠如を補う民主的正当性が,「労働者の大部分」への適用では弱く,そうすると労働委員会の決議のところでチェックせざるをえず,しかし,これでも私的自治正当性の欠如を補充するのには不十分なので,司法審査を受けなければならないという結論になりそうです。四半世紀前の宿題という感じで,いつかしっかり議論したい論点です。
 いずれにせよ,18条の立法論的な妥当性,および諸々の解釈論的論点は,同条の趣旨をどう捉えるかというところが重要となります。本書は,私とは違う立場ではあるものの,お二人の壮大な労働協約論のなかで地域的拡張の問題も一貫した形で展開しようとされている点で重要な文献だと思います。

2022年10月 4日 (火)

首相の所信表明演説

 臨時国会が召集され,岸田首相が所信表明演説をしました。そのなかで,「物価高・円安への対応」,「成長のための投資と改革」と並ぶ重点分野の一つに「構造的な賃上げ」が挙げられていました。「構造的」とは何だろうと思いましたが,日本経済新聞の今朝の朝刊では,リスキリングの1兆円パッケージは就職後に改めてスキルを高めた人材が成長分野に移り,生産性を高めて賃上げにつなげる好循環を狙い,「賃上げと労働移動の円滑化,人への投資という3つの課題の一体的改革に取り組む」と説明したとされているので,これが「構造的」ということなのかもしれませんね。
 人への投資⇒リスキリング⇒スキルアップにより,高い賃金を支払ってくれる企業に移動していくという流れは理想的ではありますが,このきれいなシナリオに欠けているのは,自分でキャリアを切り拓いていこうとする自立志向の労働者の存在です。職業教育というとリスキリングのような話になるのですが,これを成功させるために一番必要なのは,労働者の意識改革です。きれいなシナリオは,もちろんまず書かなければならないのですが,それだけでは社会は動きません。私は,そういう問題にずっと前にすでにぶつかっていて,新書などを書いていろいろ訴えてきたのは,労働者や国民に意識を変えたほうがよいというメッセージを届けたかったからです。光文社から20141月に刊行した『君の働き方に未来はあるか?』は,そういうメッセージを込めたものですし(昨年,大阪のある高校の国語の入試問題に使われたのを知って驚きました),文藝春秋から20192月に刊行した『会社員が消える』も同様です。もちろん,私の本くらいではインパクトが弱く,国民の意識改革には不十分でしょう。為政者からの力強いメッセージこそ必要なのですが……。
 また,首相は,年功序列的な職能給からジョブ型の職務給への移行も含め「企業間,産業間での労働移動の円滑化に向けた指針を来年6月までに取りまとめる」と話したと記事には書かれていました。まずは官邸がスローガンをぶちあげて,6月の閣議決定までに官僚にアイデアを出させるという,いつものパターンでしょかね。ただ,こういうやり方では,スピード感はでますが,促成栽培で内容がスカスカなものになりかねません。指針をバンバンだすというのは最近の流行ですが,じっくり構想を練って熟議した立法というものも,期待しています。

 

 

2022年10月 3日 (月)

タイガースCS進出

 阪神タイガースは,レベルの低い3位争いを勝ち抜き,クライマックスシリーズへの進出を決めました。矢野監督は,今年で退任する意向をシーズンの始まる前からすでに表明しており,後任には監督経験者の岡田彰布氏が復帰するようです。矢野監督は4年連続Aクラスというのは見事ですが,昨年,首位を独走しながら大逆転されたことなどもあって,結局,優勝はできませんでした。阪神ファンはやはり優勝を望んでいるのでしょうね。いまさら岡田かという声もあるようですが,ここは優勝経験のある監督に託そうというところでしょう。
 矢野監督の野球は手堅く勝ちに行くということではなく,ドラマを求めるタイプだと言われています。ここで彼が抑えてくれれば,あるいは打ってくれればいいなというような感覚で選手起用をするようです。選手思いなのはよいですが,相手方からすると,くみしやすいと思われていたかもしれません。それでも,ここまで勝てたのは,盤石の投手陣がいて,積極走塁などが功を奏していたのでしょう。しかし捕手を固定できなかったこと,チームの主軸打者である佐藤や大山のポジションを動かしすぎること,外国人打者に恵まれず,その起用にも疑問があったことなど,頂点を目指すには足りないものがあった感じもします。
 藤浪のポスティングや西勇輝の移籍なども噂されていますが,高橋遙人が来年の途中には戻ってくるでしょうし,投手陣はなお豊富であり,それほど大きな損失にはならないでしょう。あとは投手と打者に1人ずつでも良い外国人を獲得できれば十分です。ただ,それが簡単ではないのですが。
 CSはおまけという感じもしますが,選手は岡田新監督へのアピールもあるでしょうから,真剣に戦うでしょう。苦手の横浜球場でのDeNA戦から始まるのは試練ですが,ここを突破すれば,今期はヤクルトとは互角に戦ってきたので,56号の「村神様」さえ注意すれば,ひょっとしてという期待が出てきます。思えば開幕戦でヤクルトに7点差を逆転されたという衝撃の敗戦が,今期の躓きの始まりでした。藤浪の勝ちが消え,その後を投げて打たれてしまった斎藤も岩崎もケラーも苦しいシーズンとなりました。岩崎はケラーに代わって,抑えに抜擢されて,そこそこ頑張りましたが,岩崎が打たれて負けた試合もかなりありました。呪われた開幕試合の挽回をするためにも,ぜひDeNAに勝って,ヤクルトにチャレンジしてもらいたいですね。

2022年10月 2日 (日)

東野圭吾『沈黙のパレード』(文春文庫)

 映画化で話題になっている作品です。最後のどんでん返しが秀逸でした。以下,ネタばれあり。
 あるゴミ屋敷で火事が起こり,そこから二つの白骨死体が出てきました。一つは,その家に住んでいた老女で,もう一つは身元不明の女性です。どちらも火災が原因で死亡したわけではありませんでした。身元不明の女性は,その3年前に行方不明になっていた並木佐織で,菊野市の商店街にある料理屋「なみきや」の長女でした。佐織は歌手志望で,新倉という音楽家の下でレッスンを受けており,新倉は彼女の才能に大きな期待をかけていましたが,突然行方不明になっていました。老女のほうは,死後6年くらい経過しており,その息子の蓮沼は,23年前にある少女殺害事件の容疑者でした。その事件で,蓮沼は完全黙秘をつらぬき,結局,自白がとれなかったため無罪となりました。佐織の件でも,蓮沼につながるものがありました。彼女は店でトラブルを起こしていたことなど,さまざまな状況証拠から蓮沼が犯人である可能性は濃厚でした。23年前の事件で苦汁を飲まされた,当時駆け出しだったの刑事の草薙が,今度は係長としてこの事件を担当することになりました。しかし,今回も送検はしたものの,検察は起訴してくれませんでした。蓮沼の自白はなく,物的証拠も足りないというのです。保釈された蓮沼は菊野市にやってきて,かつての会社の同僚の増村の部屋に転がり込んでいましたが,あるとき蓮沼が増村の部屋で窒息死した状態で発見されます。殺害された可能性は濃厚ですが,蓮沼に恨みをもつ者は,佐織の父,その級友の戸島,佐織の婚約者であった高垣,佐織を指導していた新倉らたくさんいました。そしてどの人にもアリバイがあり,しかも誰も,この事件について何も語りませんでした。
 そこで登場してくるのが草薙から相談を受けた湯川教授です。彼は,蓮沼殺害のトリック(仮装パレードで使う宝箱をつかって液体窒素を運び,それをつかって睡眠薬で眠っている蓮沼を窒息させる)を見破ったのですが,さらにこの事件が23年前の事件と関係していることを指摘し,そのおかげで,草薙らは蓮沼と増村の過去を結びつけることに成功しました。そして徐々に,この犯行が,多くの人の蓮沼への恨みをつむぎながらなされたことがわかっていきます。ただ,蓮沼を実際に殺害したのは,思わぬ人が,思わぬ理由によるものでした。
 沈黙を通して無罪や不起訴を勝ち取ってきた蓮沼に対して,佐織を思う商店街の人たちが沈黙戦術で復讐しようとしたのですが,湯川はそれを許しませんでした。久しぶりに東野ミステリーを堪能しました。

 

2022年10月 1日 (土)

営業秘密侵害罪

 かっぱ寿司を経営するカッパ・クリエイトの田辺社長が逮捕されました。容疑は,不正競争防止法の営業秘密侵害罪だそうです(21条)。法人も両罰規定(22条)により送検されるようです。
 報道されているところによれば,はま寿司の取締役であった田辺社長が,カッパ・クリエイトに移籍することになり,それにともない仕入れ先データなどを持ち出して,社内で共有し,使用したということのようであり,これをサポートした社員も逮捕されています。かっぱ寿司も,はま寿司も行ったことがありません(どちらも,神戸にはほとんど店舗はないようです)が,両者は似たビジネスモデルを採用していたそうで,ライバルに差をつけられていたかっぱ寿司はかなり危機感をもっていたようです。いかによい品質のネタを安く仕入れるかが勝負の業界だそうで,そうなると,仕入れ先のデータは,業績に直結する最重要データなのでしょう。それを盗まれては,たまったものではありません。同業他社間の移籍となると,当然,こういう秘密持ち出しの危険性は出てくるわけですが,これまで耳にすることが多かった,従業員による技術情報の持ち出しのケースとは異なり,経営幹部が仕入れ先などの営業情報の持ち出しをしたということで,カッパ・クリエイトの企業イメージは大きな打撃を受けることになるでしょう。営業秘密侵害罪では,たとえば営業秘密の取得は「十年以下の懲役若しくは二千万円以下の罰金に処し,又はこれを併科する」となっていて,決して軽い犯罪ではありません(211項柱書)。営業秘密の取得についての法人に対する罰金は,5億円以下となっています(2212号)。
 営業秘密の定義は,「秘密として管理されている生産方法,販売方法その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であって,公然と知られていないもの」(2条6項)で,秘密管理性,有用性,非公知性という3要件が定められています。実際には,営業秘密とは何かをめぐって争われることもあります。企業としては,事後的に,損害賠償請求をしたり(不正競争防止法では,立証活動の困難性を考慮して,損害額の算定規定があります[5条]),行為者や法人に処罰を求めたりするよりも,事前に侵害を防止することが大切であり,そのためにも秘密管理の強化が求められることになるでしょう。労働法的には,退職時に秘密保持契約を厳格に結んだときの,その有効性というのが典型的な論点としてありますが,実は,これは民法90条の公序良俗違反という一般条項を用いるものにすぎず,その有効性の判断基準は明確ではありません。労働法では,この問題はむしろ不正競争防止法の問題であるという意識が強く,授業でもほとんど扱わないように思います。
 秘密保持契約を結ぼうが,不正競争防止法での刑事罰の厳格化がなされようが,一定の効果は期待できるもののやはり限界があり,根本的な解決手段は,データの持ち出しをいかにしてテクノロジーで阻止するかにかかっているように思います(デジタル・フォレンジック(Digital forensics)の導入なども予防効果があるでしょう)。

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