女王のスピーチ
好事魔多しというのは,このことでしょうか。ある意味で政敵でもあった安倍元首相が突然亡くなり,そのおかげもあって,参院選に大勝して,黄金の3年間を手に入れて,政権は盤石になったと思ったところ,やらなくてもよい国葬をやると言ったり,旧統一教会と関係を断ち切ると言いながら党の幹部や閣僚のズブズブの関係が明らかになったり,言っていることに信用ができないという評価が定着してしまった気がします。岸田政権のことです。スピーチも原稿読むだけというのは,いつも不満を言っていますが,極めつきは,本日のElizabeth(エリザベス)女王への弔意を表す(はずの)スピーチですね。魂のこもっていないスピーチなど発表する必要があるのでしょうか。女王を嫌いであったのかと思わせるようなものでした。国益を損なうスピーチです。イギリスとの関係の深さの違いもあるのでしょうが,カナダ,ニュージーランド,アメリカの大統領や首相たちは,もっと心のこもったスピーチをしていました。
「アナザーストーリー エリザベス女王の希望のスピーチ」という番組を,NHKプラスで,少し前にたまたま観ていました。3つのスピーチが採り上げられていました。第1が,彼女が14歳のときに,第二次世界大戦中に妹と一緒に行ったラジオでのスピーチでした。次が,Diana元皇太子妃が亡くなったときのスピーチです。3つめが,コロナ禍の中で国民に勇気を与えるために行ったスピーチです。王族として生まれたものの,おじさんのEdward8世の突然の退位(アメリカ人女性との結婚のため)で,父が予期せぬ王位継承をし,その父の死去にともない,女王は25歳で王位を継承しました。彼女はスピーチの大切さを知っていたのでしょう。父のGeorge 6世は吃音で悩んでいたことは,映画『英国王のスピーチ(The King’s Speech)』で描かれています(前にもこの映画を採り上げましたね)。彼が吃音を克服するために頑張る姿勢が印象的な映画ですが,国のトップに立つ人のスピーチの重要性を感じさせます。そして,娘のElizabeth 2世は,ここぞというときに印象的なスピーチをして,国民の悲しみに寄り添ったり,国民に勇気を与えたりしたのです。
岸田首相のスピーチにいちいちケチをつけているのは,意地悪を言いたいわけではありません。スピーチをもっと大事にしてもらいたいのです。スピーチに深みをもたせるのは,その人に伝えたいものがしっかりあることが大切です。自分が言いたいことを考え抜いて,しっかり気持ちをこめて国民に伝えてもらいたいです。誰かが書いたものを読んでいるだけのスピーチしかできない首相には,何の価値もありません。草案は誰かが書いても,しっかり自分の言葉に置き換えて,自分のものとしてスピーチしてもらいたいのです。そんなあたりまえのこともできない首脳というのは,世界を見渡しても,日本の首相だけではないでしょうか。あまりにも情けないので,このことは,しつこく書いています。
ところで,話題の国葬ですが,Elizabeth女王のような人だったら国葬はスムーズに行くのでしょう。国葬ってこういう人のためのものだよねと思う人も多いでしょう。数日前のNHKのニュースで,安倍元首相の国葬に反対が5割で,賛成が約3割という数字が出ていました。国民の5割が反対している事実は重いものです。これを税金の無駄な支出と考えている国民が半分いるということです。とくに,いまのように「仮」の額だけ16億とだしたうえで,海外からの出席者の規模によってはさらに追加支出があるというのは,許しがたいことだと思っています。予備費って,閣議決定さえすれば好き勝手に使えるというようなものではないでしょう。住民税非課税世帯への5万円というのも,一見,良さそうですが,単なるバラマキに終わる可能性もあります。これも税金の間違った使い方となりかねません。物価高で,国民の家計への意識はとくに敏感になっています。国の税金の無駄遣いがとくに気になるという庶民の声を「聴く」政治をしなければ,岸田政権は長持ちしないでしょう。