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2022年9月の記事

2022年9月30日 (金)

「ちむどんどん」最終回

 昨日,理研の雇止めのことを書いたら,今日の日本経済新聞の記事で,理研が雇用上限の10年を撤廃するということが報道されていましたね。自主的に使用者側がこういう対応をするのであれば問題はないと思いますが,昨日ふれたようないろいろな問題が解決されたかどうかは不明で,今後の展開を見守りたいです。
 話は変わって,今日は昼食中に,「ちむどんどん」の最終回を観て,そのあとネットで大リーグの大谷翔平投手が,ノーヒット・ノーランを継続中という情報をキャッチしたので,あわててその試合をBSで観ました。残念ながら8回ツーアウトからヒットを打たれてしまい,そこでちょうどWebミーティングの時間が近づいていたので,仕事に戻りました。無事に15勝をあげたということで,よかったです。打たれたヒットは,遊撃手のグローブにあたっていたので,ちょっともったいなかったですね。8回表に先頭打者で内野安打を打って,ずっと塁に出ていたので心配していましたが,その影響で打たれたというわけではなさそうです。いずれにせよ見事な投球です。異次元の選手であり,どこまで成長するか楽しみです。
 「ちむどんどん」は,全回観ました(朝ドラだから朝に観るということではなく,NHKプラスで好きな時間に観ていました)。私は,これはコメディと思って観るべきだと思っていました。でも沖縄料理やイタリア料理のことを詳しく紹介してくれるなどの付加価値もありました。それに吉本新喜劇でも,ほろっとさせるところがあるのと同じように,家族や恋愛をめぐる喜怒哀楽のストーリーがふんだんに盛り込まれていて,こういうもろもろのサービス精神旺盛なところがよかったです。貧しい家庭が,そんなに大成功しなくても,幸せに子だからに恵まれて終わるというフィナーレも感動的というほどではありませんが,悪い後味ではありません。ということで,私は少数派かもしれませんが,この番組はとても素晴らしいと思っていて,番組が終わるのが悲しいです。

2022年9月29日 (木)

理研の大量リストラ問題について

 理化学研究所において有期雇用の研究者の大量雇止めが話題になっています。事件の詳細はわかりませんが,おそらく労契法18条の無期転換ルールの影響でしょう。5年の無期転換が科学技術・イノベーション創出の活性化に関する法律(イノベ法)で10年になっているので,(同条施行の2013年4月から起算して)20183月に起こるはずであった有期の研究者の雇止めが20233月まで引き延ばされていましたが,いよいよ「そのとき」が来ているということです。前に専修大学事件の東京地判で語学教員の事案について紹介しましたが,今回は一線の研究者も含まれているようなので,より事態は深刻です。
 労契法18条は悪法ですが,本来5年(イノベ法などの適用があれば10年)も雇っているなら無期にせよという理屈は,わからないではありません。ただ,これは有期にするか,無期にするかを,5年あるいは10年のところまでに判断せよということでもあり,そこで無期にならなかったら雇止めになるということを織り込み済みの法的ルールなのです。その意味で,無期転換回避目的の雇止めは違法という理屈はやや苦しいところがあると考えています。
 もちろん雇止めは簡単にはできるわけではありません。かつての判例の雇止め制限法理を成文化した労契法19条があるからです。ただ,同条は,10年の期間を超える更新の期待に合理的な理由がないと判断されれば,雇止めそれ自体の正当性審査に入るまでもなく雇止めが有効となる可能性のある規定でもあります。財政的に余裕がない研究機関側が,労契法19条の制約を乗り越えて有効な雇止めを行う方法は,この法理に詳しい弁護士などに聞けば,それを見つけ出すこと(不更新条項,更新上限条項など)はそれほど難しくないでしょう。かりに,このような方法を使用者が模索したとしても,その行動を頭ごなしに非難することはできないと考えています。
 もちろん,無期にできないから雇止めにするというのは,研究者側にはやりきれないところがあるでしょう。ましてや,それが無期で雇うだけの財政的余裕がないということであれば,財政支援を十分にしない国を恨みたくもなるでしょう。ただ,これは労働法だけでは解決が難しい問題で,研究者の研究環境をどのように確保するかという観点からも議論すべきもののように思います。
 ところで,労契法18条は,無期転換後の労働条件は従前と同一でよいとしているので,実は財政的な面だけが理由であれば,有期契約を10年で切らずに更新して無期転換すればよいともいえそうです。有期から無期に転換した研究者には,特別な就業規則を設けて,最初から無期で採用されている研究者とは違った処遇を用意することは可能です(そこでも,まったく法的な問題が起こらないとは言えませんが,詳細は省略します)。処遇が他の無期の研究者並みでなければいやという研究者もいるかもしれませんが,雇止めになるよりは,雇用の安定を得て,従来の処遇を維持できて,研究環境を維持できるメリットは大きいと考える研究者も多いでしょう。雇止めにするか,従来の無期研究者と同じ地位を付与するかという選択肢しかないのではなく,処遇を維持したまま無期にするという第三の選択肢(これこそが労契法18条が想定している本来の選択肢)もあるのです。もっとも,第三の選択肢に対しては,無期である以上,テニュアの研究者として,しかるべき処遇を認めるべきであり,半端な処遇はすべきではないという説得力のある反論もありそうです。そう考えると,労契法18条が想定していた第三の選択肢は,研究機関にはあてはめるべきではないのかもしれません(そうだとすると,期間の特例を設けるより,そもそも労契法18条それ自体の適用除外とすべきことになるでしょう)。
 また無期になると,能力不足が判明したり,財政状況がいっそう悪化したりしたときの解雇が難しくなり,研究者全体の処遇を低下させなければ雇用を維持できないことになりかねません。そうなると,優秀な人材が転職したりヘッドハンティングされたりする可能性が高まるでしょう。有期の研究者の雇用や研究環境の安定を考えたがゆえに,研究機関の存続に影響するようなことになれば,それは本末転倒でしょう。
 こうなると,解決策はおのずから限られてきます。研究機関には十分な財政支援をすべきであると同時に,一方で,研究者の能力審査は厳密にし,能力がない研究者には去ってもらうという解雇ルールが求められるということです。能力を度外視した雇用保障のためには財政資源は使わないが,今回の理研問題のように能力がある研究者まで雇用や研究環境を失うことがないようにお金を使うということが明確にされれば,国民の納得する税金の使い方といえるでしょう。研究機関(とくに税金が入っている国の研究機関)は通常の民間企業とは違うところがあり,国の将来を支えることになる研究には,徹底した能力主義が求められるということです(ただし安易な成果主義は,成果の出にくい基礎的な研究が不利になるので避けなければなりません)。もちろん,実はこれは民間企業でも同じことなのかもしれないのですが。

2022年9月28日 (水)

年功型処遇変更のシナリオ

 岸田首相は,先日のアメリカ出張で,ニューヨークの証券取引所での講演をした際に,労働市場の改革についてアピールしました。日本語版が外務省のHPで掲載されています。5つの優先課題があるとしたうえで,「第1に、「人への投資」だ。 デジタル化・グリーン化は経済を大きく変えた。これから,大きな付加価値を生み出す源泉となるのは,有形資産ではなく無形資産。中でも,人的資本だ。だから,人的資本を重視する社会をつくりあげていく。まずは労働市場の改革。日本の経済界とも協力し,メンバーシップに基づく年功的な職能給の仕組みを,個々の企業の実情に応じて,ジョブ型の職務給中心の日本に合ったシステムに見直す。これにより労働移動を円滑化し,高い賃金を払えば,高いスキルの人材が集まり,その結果,労働生産性が上がり,更に高い賃金を払うことができるというサイクルを生み出していく。そのために,労働移動を促しながら,就業者のデジタル分野などでのリスキリング支援を大幅に強化する。」とされています。日本語版ではキーワードは盛り込まれているのですが,英語版でみると,少しインパクトが小さい感じもしました。いずれにせよ,経済界と協力して年功型の処遇を変えるということを,すんなりそのまま信じるほどアメリカの投資家は甘くないと思います。労働市場改革は,新しい資本主義などと同じように,それだけではほとんど意味がない言葉です。
 年功的な職能給を職務給に変えるというのですが,経済界も協力してというのは,どういうことなのでしょうかね。経団連が音頭をとって,職能給を止めようということになるのでしょうか。そもそも年功型の処遇は,どうして存在しているのかが重要です。私も,年功型の処遇は変わっていくと考えていますし,企業は変えていくことになるでしょう。ただ,それを引き起こすのは技術革新などの客観的な要因です。年功型処遇は,長期雇用や企業内人材育成というものと密接に関係しているものです。これが日本型雇用システムです。まずは,このシステムの功罪をしっかり総括して,何が問題であるのかをきちんと示す必要があるでしょう。年来の労働市場改革の試みがうまくいっていないのは,このような総括をしないまま,票になりそうなところだけ手を入れていこうとするからです。同一労働同一賃金という名の不合理な格差の禁止規定なども,その類いです。
 DXによる定型的な業務の消滅,非定型的な業務に従事するプロ人材の需要の増大,技術革新のスピードによる企業内人材教育の難しさ,外部労働市場から労働力を調達する必要性などがあいまって,これまでの日本型雇用システムが激変して,それが賃金体系などに影響していくという一連の大きな構造改革を見据えた改革提言でなければなりません。
 「スローガン」というのは,ときには必要ですが,それが行きすぎると,あとに失望がきて,政府の信用がなくなります。国内だけでなく,国外での信用も落とすようなことはやめてもらいたいものです。いずれにせよ,この問題では,解雇改革にどこまで本気で取り組めるかは避けて通れません。岸田首相は,解雇改革に本気で取り組めるでしょうか。まずは山本陽大さんの『解雇の金銭解決制度に関する研究』をしっかり読んで勉強してもらいたいものです。

2022年9月27日 (火)

イタリアで女性首相誕生へ

 イタリアでは925日に国政選挙(Elezioni politiche)が行われ, Giorgia Meloni率いるFdI(イタリアの同胞),Salvini率いるLega(同盟),Berlusconi率いるFiForza Italia)ら中道右派(Centrodestra)が地滑り的大勝利となりました。イタリアの国会議員は,定数削減で上下院あわせて,以前の950から600になっています。上院(Senato)は200議席,下院(Camera dei deputati)は400議席です。中道右派は上院で115議席,下院で237議席,中道左派は上院で44議席,下院で85議席でした。ここまで中道右派が大勝するとは予想外でした。政党別では,FdIが,上院で66議席,下院で119議席で,どちらも第一党。Legaが上院で29議席,下院で67議席,Fiが上院で18議席,下院で44議席です。中道左派(Centrosinistra)のPd(民主党)は,上院40議席,下院69議席です。どちらにも属さないM5SMovimento 5 Stelle:五つ星運動)は,上院28議席,下院58議席です。
 第1党のFdIMeloniが首相に指名される可能性が高そうです。Draghi政権は挙国一致内閣でしたが,そこに主要政党で唯一参加していなかったFdIは,Draghi政権への批判を受け止めたという感じです。批判というのは,基本的には物価高ということでしょう。親欧州はイタリアにとってよくないという主張も,人々にかなり浸透しました。もちろん,FdIは,4分の1の支持を得たにすぎませんが,もともとは5%くらいであったので,飛躍的な上昇です。Meloniは,わかりやすくイタリア・ファーストを唱えました。既存政党への批判も訴えました。イタリアでは,いまでも「左(sinistra)」という言葉が政治家の間で使われています。日本では,たとえば保守系の政治家が,あの政党は「左」だからダメだというような言い方はあまりしないと思いますが,イタリアでは「左」「右」という言葉がまだよく使われています。とはいえ,政策において,もはや右と左の区別はよくわからなくなってきています。右のMeloniですが,よくある財政バラマキ的な政策を訴えています。一方,欧州との関係をどうするかはわかりませんが,連立を組むことになるLegaFiの親ロシア的な立場は,欧州との関係を難しくするでしょう。その他の経済政策も未知数ですが,イタリア経済がメチャクチャになる可能性は十分にあります。それでも,現状に不満がある人たちは,新しい可能性に賭けたのでしょう。女性であり,スピーチはわかりやすく,人を引きつける魅力は十分にあります。Mussolini支持者である(あった)ことなど,若い層にはあまり関係ないのでしょう。もちろんインテリたちは頭を抱えているでしょう。それが目に浮かぶようです。それでもコロナにおいて多くの死者を出し,人口構成が変わるほどの深刻な打撃を受けたイタリアでは,国民は解体的な出直しを求めているのかもしれません。現在の経済的苦境を乗り越えるには,左であるPdには無理であるというのがイタリア国民の評価なのでしょう。イタリアでも,コアなは左派支持者はいますが,それは20%くらいで,そこからなかなか増えそうにありません。
 前回の選挙で第一党であったM5Sは,今回でも第3党の地位をキープしています。M5Sになお一定の支持が集まり,いまや古い政党になりつつあるLegaが大きく得票率を減らしたのも,新しいものを求めるイタリア国民の気持ちを示しているような気がします。
 もちろん今回のMeloni人気も,あっという間に冷めてしまう可能性はあります。イタリアの政治情勢は,不透明だと言うべきでしょう。いずれにせよ,Trumpのときのアメリカと同様,イタリアでも自国民ファーストという政治家が出てきて,移民に厳しい政策を唱え,反民主主義的な勢力とも,実利で手を組むようなことになりそうなので,当分はイタリアの政治も困った状況が続くかもしれません。ただ彼女は左派政党は批判しますが,国民には分断ではなく,団結を求めているところは,まだ救いがある気もします。ひょっとしたら,より危険なのは,彼女が頼りにするはずのBerlusconiやSalvini らが,何かしでかすのではないか,ということです(Berlusconiの手がMeloniの肩や腕をやたらと触っているようにみえるのは,私の気のせいでしょうか)。

2022年9月26日 (月)

押し相撲の魅力

 大関がこれだけ弱い場所というのは珍しいのではないでしょうか。クンロク大関(10勝できない大関)というのは,弱い大関への非難をこめた言葉でしたが,いまは9勝どころか勝ち越しもできない大関が増えています。2場所ごとに勝ち越せば大関の地位は維持できるくらいの意識ではないかと疑いたくなります。大関は15場所在位して,横綱に昇進できなければ,引退か,さもなくば関脇に降格というくらいにしてもらったほうがよいですね。
 元大関,朝乃山は,6場所出場停止の懲戒処分で三段目まで落ちましたが,処分明けの先場所は優勝して幕下15枚目まで上がり,ここでも優勝すれば十両復帰が確実でしたが,まさかの1敗で6勝にとどまり,十両復帰は持ち込しとなりました。朝乃山も大関昇進後は,かつての輝きを感じなくなっていましたが,今場所の大関ほどひどくありませんでした。貴景勝は10番勝ちましたが,横綱戦はなく,大関御嶽海戦も組まれず,10勝の価値はあまりないでしょう。むしろ,優勝を目指していた北勝富士戦相手に,立ち会いの変化で勝つといった情けない相撲をとって,翌日は,若隆景に逆に立ち会いに変化されて負けています。琴ノ若戦も,張り手がちょっと見苦しく,大関の相撲とは思えません。地元出身なので,応援したいのですが,同じ押し相撲でも,今場所優勝した玉鷲の格調高さや,その玉鷲と最後まで優勝を争った高安の力強さに比べるとかなり見劣りします。貴景勝は大関とはいえ,押し相撲の第一人者とは言えないです。
 私は押し相撲は,単純な感じがして,あまり好きではなく,四つ相撲のほうが面白いと思っていましたが,今場所は押し相撲の良さを味わうことができました。来場所には照ノ富士も復帰するでしょう。陥落した御嶽海やカド番の正代はもともと関脇クラスの力士です。貴景勝も残念ながら同じような感じがします。次代を担うのは若隆景のような力士でしょう。先場所は8勝でしたが,今場所は11番勝っています。横綱戦と正代戦はなかったものの,御嶽海と貴景勝に勝っています。来場所は,横綱,大関を総なめにして14勝くらいで2度目の優勝をとげれば大関昇進もあるかもしれませんね。

 

2022年9月25日 (日)

幼い子どもを大切にする社会に

 万葉集のなかの山上憶良の有名な歌に,「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も なにせむに まされる宝 子にしかめやも」というものがあります。金や銀よりも,子どもこそが最も尊いものであるという親の気持ちを歌ったものです。ただ,子の尊さは親子だけの話ではありません。私たちの社会にとって,何よりも大切な宝は,自分たちの次の世代を担う子どもたちであり,子どもを大切にすることこそが,人々の行動の規準であるべきではないかと思っています。私たちの子孫が幸福に生きていけるようにするためには,何をすべきなのか。政府も企業も個人も,そこを真剣に考えなければなりません。年齢を重ねるにつれて,そういうように考えるようになってきました。
 しかし日々の生活では,親であっても,なかなか子どものことを優先させることができないことが多いでしょう。何よりも会社人間になると,「仕事」という理由があれば,「家庭」のことは犠牲にするのは当然という意識が昭和時代にはあり,その残滓がまだ消えていないように思います。ワーク・ライフ・バランス(労働契約法3条3項)という言葉はありますが,現実にはなかなか浸透しきれていないように思います。
 たとえば,幼い子どもが,原因不明の大泣きをして大変だったという理由で,取引先との約束を遅刻することは許されるでしょうか(2歳くらいまではまだしゃべれないので,泣いている理由がわからないことが多いのです)。テレワークでオンライン会議中に子どもが闖入してきたら,粗相をしたと叱られることはないでしょうか。しかしこれからは,子どもを理由とすることは大目にみるという会社でないと,仕事なんてやってられないという人たちが増えていくのではないでしょうか。
 育児は男女平等にと言われていますが,実際には女性に負担がかかっています(これは,日本だけの話でありません)。育児問題は,女性労働の問題でもあるのです。オンライン会議で,子どもを膝の上で抱えながら参加している風景をみて,ニコッとしてくれる上司や同僚,取引先に囲まれる環境があれば,親は幸せを感じ,仕事にも頑張れるのです。もちろん,これは女性だけではなく,育児を分担する男性も同様です。女性が幸せに仕事をできる働き方は,男性にとっても同様であるはずです。
 最近,幼児が悲惨な事故に巻き込まれて命を落とすニュースが多いような気がします。社会全体が,もっと幼い子どもたちのことを考えるようになってもらいたいです。まずは職場から改善が進めばと思います。

2022年9月24日 (土)

警察官の発砲

 2日前の深夜に近所で発砲事件がありました。某○○組の本拠地だったところが近くにあるので,抗争が始まれば怖いなと思っていたのですが,実は発砲したのは警察官で,コンビニの近くでカッターナイフをもって暴れていた男に対するものでした。3発撃って,1発は下腹部にあたったのですが,あとの2発は外れたということで,もしその場に居合わせていたらと思うとぞっとします。
 カッターナイフでも十分に殺傷能力はあるのですが,発砲までする必要があったのかはよくわかりません。ナイフをもった者には,まずはさすまたで対応と思いますが,手元になかったのでしょうかね。日中もっと人が多い時間でしたら,拳銃はぎりぎりまでやめてもらいたいので,警察官にはナイフ男を抑えるだけの技を身につけてもらいたいものです。
 とはいえ,これをあまり言い過ぎるのも問題があるのはわかっています。むしろ日本の警察官は発砲しないというという評価がかなり定着しているので,それを見越して凶悪な犯人が行動をエスカレートさせる危険があるからです。
 市民としては,凶器をもって暴れている者に対して発砲をするのは仕方ないと思う一方,発砲せずに抑えられる技をできるだけ身につけてもらいたいし,やむを得ず発砲するならしっかり犯人に命中するようにしてもらいたいです。
 実は警察官の武器使用については,警察官職務執行法7条に次のような規定があります。
警察官は,犯人の逮捕若しくは逃走の防止,自己若しくは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止のため必要であると認める相当な理由のある場合においては,その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において,武器を使用することができる。但し,刑法……第三十六条(正当防衛)若しくは同法第三十七条(緊急避難)に該当する場合又は左の各号の一に該当する場合を除いては,人に危害を与えてはならない。
 一 死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁こ(ヽ)にあたる兇悪な罪を現に犯し,若しくは既に犯したと疑うに足りる充分な理由のある者がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し,若しくは逃亡しようとするとき又は第三者がその者を逃がそうとして警察官に抵抗するとき,これを防ぎ,又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合。
 二 逮捕状により逮捕する際又は勾引状若しくは勾留状を執行する際その本人がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し,若しくは逃亡しようとするとき又は第三者がその者を逃がそうとして警察官に抵抗するとき,これを防ぎ,又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合。」
 つまり,警察官は,犯人の逮捕や逃走の防止,自分や他人の防護,または公務執行に対する抵抗の抑止のために「必要であると認める相当な理由のある場合」には,「その事態に応じ合理的に必要と判断される限度」において,武器の使用が認められるのです。
 この規定をめぐって,最高裁は,1999217日の判決で,警察官が武器使用で市民Aを死亡させたケースで,特別公務員暴行陵虐致死罪(改正前の刑法196条)で有罪(懲役3年,執行猶予3年)とされた事件において,次のように述べて,発砲について違法と判断しています。
 「Aが第二現場以降前記ナイフを不法に携帯していたことが明らかであり,また,少なくとも第三,第四現場におけるAの行為が公務執行妨害罪を構成することも明らかであるから,被告人[筆者注:警察官]の二回にわたる発砲行為は,銃砲刀剣類所持等取締法違反及び公務執行妨害の犯人を逮捕し,自己を防護するために行われたものと認められる。しかしながら,Aが所持していた前記ナイフは比較的小型である上,Aの抵抗の態様は,相当強度のものであったとはいえ,一貫して,被告人の接近を阻もうとするにとどまり,被告人が接近しない限りは積極的加害が為に出たり,付近住民に危害を加えるなど他の犯罪行為に出ることをうかがわせるような客観的状况は全くなく,被告人が性急にAを逮捕しようとしなければ,そのような抵抗に遭うことはなかったものと認められ,その罪質,抵抗の態様等に照らすと,被告人としては,逮捕行為を一時中断し,相勤の警察官の到を待ってその協力を得て逮捕行為に出るなど他の手段を採ることも十分可能であって,いまだ,Aに対しけん銃の発砲により危害を加えることが許容される状况にあったと認めることはできない,そうすると,被告人の各発砲行為は,いずれも,警察官職務執行法七条に定める『必要であると認める相当な理由のある場合』に当たらず,かつ,『その事態に応じ合理的に必要と判断される限度』を逸脱したものというべきであって(なお,仮に所論のように,第三現場におけるけん銃の発砲が威嚇の意図によるものであったとしても,右判断を左右するものではない。),本件各発砲を違法と認め,被告人に特別公務員暴行陵虐致死罪の成立を認めた原判断は,正当である」。
 Aは近所でも不審人物とされていたようで市民から不安視する声が出ていたなかでの事件だったのですが,発砲は行き過ぎだということです。「必要であると認める相当な理由のある場合」や「その事態に応じ合理的に必要と判断される限度」は,判断が難しい基準に思えますが,発砲には厳しい制限をかける趣旨であることはうかがわれます。今回のケースも,法に照らして,適正に対応してもらう必要があります。そして,その結果については,市民,発表されて負傷した人,また起訴するなら当該警察官にも,当局側が納得のいくように説明をしてもらいたいです。いずれにせよ,警察官には,市民の安心と安全のために大きな期待を寄せていることに変わりはありません。

2022年9月23日 (金)

霞ヶ関はホワイトになれるか

 21日の日本経済新聞で,河野太郎デジタル大臣が,「霞が関の崩壊が始まっている」と述べて,中央官庁の人材流出に危機感を示し,優秀な人材の確保へ業務内容や人事評価を改革する必要性を訴えたと報道されていました。
 15日のランチセミナーで,霞ヶ関はブラックで人材が集まらないということを口にして失言したかなと思っていたのですが,大臣の口から語ってもらえたので,私の発言は失言にはならないでしょう。
 このブログでも書いたことがありますが,私のゼミ生をみても,厚生労働省を辞めてしまったことを始め,霞ヶ関以外でも,大企業に就職したけれど,そう長い年数を経ずに転職している人が少なくありません。期待していたことと,実際にやらされることとのギャップに耐えられない若者が多いのです。多少の期待外れというのは,どうしても避けられませんが,問題は,それが耐えられない程度であるかです。組織に自分を合わせていく人と,そうでない人がいます。最近の若者には後者のタイプが増えているように思います。昭和世代の上司からすると,そういう若者は根気がないと評価してしまいそうですが,根気などの問題ではないのです。価値観が違うのです。価値観が多様化しており,仕事に重点を置いている人はそれほど多くないということを,昭和世代の上司は知っておくべきでしょう。給料は高いほうがよいでしょうが,そのために犠牲にしてもよいと思えるものはそれほど多くないということです。出世もそんなに望んでいません。もちろん,昭和世代の感覚にマッチする若者もまだ少なからずいるでしょうから,気づかないかもしれませんが,それは類は友を呼び,自分の周りには同じ価値観の人が集まっているだけで,全体でみると少数派かもしれないのです。
 とはいえ,企業が若手に迎合して,人を集めたとしても,長くいてもらうのは大変です。むしろ企業は明確に自社の理念やパーパスを掲げ,それに合致する人だけ来てもらえば十分とする一方,それでも社員が辞めていくことを前提に人員体制を組み立てていくべきではないかと思います。とりあえず人を集め,じっくり育てて行くというスタイルでは,その企業によほどフィットしないかぎり人は残らないでしょう。前述のように,かつては社員から企業に合わせていったのですが,社員はすり寄ってこないわけですから,退職者がある程度多く発生するのも仕方がないのです。
 こういうなかでも事業を継続して展開できるような柔軟でかつ強靱な企業が生き残るでしょうが,そもそも企業というものの形も大きく変わっていくでしょう。それが,よく言及するプロジェクト型企業というものです。特定のプロジェクトを立ち上げて,そこにプロ人材が集まり,プロジェクトが終了すれば解散するというタイプです。
 それでは霞ヶ関はどうかです。中央官庁の行政は継続的でなければ困るのですが,それでも持続的な行政組織であるためには,実は内部はつねに変化をしていかなければならないのだと思います。それは仕事の仕方もそうですし,仕事の内容もそうです。昭和世代の上司がやってきた方法で,平成生まれの若者がついていく可能性はきわめて低いと考えたほうがよいでしょう。
 国をよくしたいと考えている人は,どの世代にもいます。そういう人が集まって,国のためのプロジェクトを作り,そして提案をして行政に生かしていく,というようなあり方も考えていくべきでしょう。プロジェクト型行政です。次官レースがどうだとか,大企業の幹部と癒着したりとか,そういうことをやっている上司がおらず,そして政治家に怒鳴られたり,ペコペコしたりしなくてよい環境で,ほんとうにやりがいのある仕事をできる場を提供することが,いまの霞ヶ関には求められているでしょう(テレワーク時代ですから,霞ヶ関に集まらなくても仕事ができるようにしなければなりませんが)。
 河野大臣の方向性は賛成ですが,本気でそれをやるなら,よほどのリーダーシップを発揮して組織改革に取り組むことが必要です。かけ声だけで,あとは若手に任せてやっておけというのであれば,従来と同じです。ブラックの改善をホワイトなやり方で実現する。これが河野大臣にやってもらいたいことです。

 

2022年9月22日 (木)

里見さんピンチ

 今日は,里見香奈女流五冠の棋士編入試験の第2局目がありました。相手は,岡部怜央四段でしたが,たった1手の緩手をとがめられて敗れました。優勢になっていた展開のなか,相手の攻めに対して手厚く受けたつもりの2七金が悪手だったようです。将棋の厳しさを教えられた気がします。岡部四段も,里見さんの得意とする中飛車に対して,穴熊で守りを固めるなど必死の戦いでした。里見さんは他の棋戦でも調子を落としているので,少し心配です。女流棋戦では,西山朋佳女流二冠と白玲戦7番勝負を戦っているところですが,2連勝後,2連敗しています。棋士になるためには,あと3連勝するしかなく,かなり厳しいですが,可能性が残されている以上,調子を整えて頑張ってほしいですね。
 A級順位戦は3回戦がすべて終わり,2連勝していた稲葉陽八段が豊島将之九段に敗れて21敗になり,そのほかに斎藤慎太郎八段,豊島九段,広瀬章人八段,菅井竜也八段,藤井聡太竜王(五冠)が21敗で並んでいます。
 王将戦は挑戦者決定リーグが始まりました。いつも最強メンバーが集まるリーグですが,今年もそういう感じです。渡辺明名人,永瀬拓矢王座,羽生善治九段,近藤誠也七段(ここまでが残留者)と,予選通過してきた豊島九段,糸谷哲郎八段,服部慎一郎四段の7名で藤井聡太王将への挑戦をめざして戦います。すでに行われた羽生対服部戦は羽生勝ち,永瀬対糸谷は永瀬勝ちでスタートしています。昨年は糸谷八段ですら全敗で陥落したように(今期,予選を勝ち抜いて復帰したのはみごとです),厳しいリーグ戦ですが,今期は特にタイトル戦からすっかり遠ざかってしまった羽生九段がどこまでやれるか注目です。
 王座戦第2局は,千日手指し直しとなり,永瀬王座が,挑戦者の豊島九段を下しました。この二人の対局は長引くことが多いので,千日手となったと聞いても驚きませんね。

2022年9月21日 (水)

金銭感覚

 岸田政権の支持率が下がり,安倍元首相の国葬反対が高まる状況(死後にいろいろなことが起きてしまい,安倍さんには気の毒な気もしてきました)ですが,これは当然のことでしょう。国葬の根拠として内閣府設置法4333号があると言われていますが,それは内閣府が「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること」を所管してよいというだけで,国葬をやることの積極的な根拠にはなりません。国葬をするかどうかについてはルールがない状態で,いきなり首相の発案でやるといったにすぎず,その思いつきで税金が最初は25千万円,そして166千万が使われそうで,そして最終的にはその何倍にもなるとも言われています。少し前にインフレ対策として,住民税非課税世帯への5万円の給付も発表され,9000億円の費用がかかると発表されていました。一部の国民の懐に入る9000億に比べると,16億であれ,かりにそれが100億となっても,たいした額ではないであろうということかもしれませんが,どちらにせよ税金から出されるお金であり,納税者としてはこの大盤振る舞いには納得できないでしょう。あんたのお金ではない,と言いたいところです。しかもこれを予備費から出すということですが,予備費は政治家が勝手に使ってよいお金ではありません。有力な憲法学者らが参加する「立憲デモクラシーの会」が指摘しているように,大幅な予備費を計上して,閣議決定でばんばん使われるような状況にもっと厳しい眼を向けるべきです(最近の予備費制度の濫用について))。憲法83条は,「国の財政を処理する権限は,国会の議決に基いて,これを行使しなければならない。」,85条は,「国費を支出し,又は国が債務を負担するには,国会の議決に基くことを必要とする。」,86条は,「内閣は,毎会計年度の予算を作成し,国会に提出して,その審議を受け議決を経なければならない。」とされています。たしかに,87条は,「予見し難い予算の不足に充てるため,国会の議決に基いて予備費を設け,内閣の責任でこれを支出することができる」(1項)としていますが,「すべて予備費の支出については,内閣は,事後に国会の承諾を得なければならない」(2項)としており,これはあくまで例外的なものという位置づけです。
 国民のほとんどは,みずから弔意を示すことには反対しないでしょう。でも,国に強制されてやるものではありません。しかも税金を使うのです。そうなると6割以上が反対するのです。一般の人にとっては億というお金には縁がありません。数千円の賞与・一時金の引上げにも大喜びするのです。最低賃金は時間あたりではありますが,まさに1円や10円単位の世界です。そういうのが普通の国民の金銭感覚です。日本で資産1億円以上の世帯は130万くらいだそうで,最も多い3000万円未満の層は約4200万世帯です。この層は,まさに家計のやりくりをして懸命にこれからのインフレに耐えようとしているのです。
 昭和世代は,もったいない意識が強く,なかなかモノを捨てられず,食べ物は残さない,古いものも修理しながら使い続けるという感覚をもつのですが,そうした感覚からは,アベノマスクの無駄金は許容できないことです。統一教会問題もありますが,国民はいまでもアベノマスクのことは覚えているはずです。その安倍さんの葬儀に税金を使うというところも,すっきりしないところなのではないでしょうか。
 さらに東京オリンピックで税金がどうも変な使われ方をしているという報道が次々と出てきています。これまたやらなくてもよいと思っていた東京オリンピックに桁違いのお金が費やされ,あげくに負のレガシーを残してしまったのかもしれないのです。
 こういう国民の庶民的な金銭感覚もまた,国葬反対につながっているのではないかと思います。

2022年9月20日 (火)

マイナンバーカードの普及率

 台風一過。神戸は,夜中に強風は過ぎ去り,昼間は秋晴れとなり,同時に気温が下がりました。今日からLSの後期授業が始まりましたが,前日段階の予報のためか,今日はオンライン授業だったようです(私は,後期は,LSの授業は担当していません)。よく考えると,コロナ禍以降,LSと学部の授業では,私は休講をしたことがありません(それまでは,毎年,出張などで数回は休講がありました)。ずっと出張はせず,また授業もオンラインリアルタイムかオンデマンドであったので,災害の影響を受けず,休講の必要がなかったからです。
 ところでコロナというと,cocoaのサービスが休止されると聞いてアプリを削除しました。ただでさえスマホ上にアプリがたくさんあって整理したいと思っていたので,不要なものは即刻削除です。せっかく,cocoaログチェッカーを使って感染者との接触についてチェックできると思っていたのですが,意味がなくなりました(もともとあまり役立っていなかったのでしょうが)。
 私はなかなかモノを捨てることができないタイプなので,本の整理などができずに困るのですが,アプリも同様で,スマホ上でどんどん増えていきます。どこかで思い切って整理しなければなりませんし,政府系のものは使い物にならない可能性が高いので,できるだけインストール時に慎重に判断したいものです。
 さすがにマイナポータルはインストールしていますが,マイナンバーカードの普及率は半分以下のようです。政府は「マイナポイント第2弾」の期限延長を発表したと報道されていました。
 マイナンバーカードが普及しない理由については,前にも少し書いたことがありますが,かつて本人確認書類に含まれていなかったことが大きかったと思います。免許証やパスポートがない人には取得のインセンティブがあったはずですが,本人確認に使えないのであれば,この面では意味がなかったのです。いまは状況が変わっていると思いますが,当時は総務省が本気でマイナンバーカードを普及させようとしていなかった(以前に私の体験談をブログで書いたことがあります)から,国民の間には,マイナンバーカードへの冷ややかな視線があるのではないでしょうか。ここで一転して普及しようと頑張っても,国民はそう簡単にはついてこないでしょう。マイナポイントという餌を与えても,使えるところはあんまりないという感じで,食いついてもらえないようです。
 ただ,これは何を参照点とみるかであって,たとえばデジタル給与を期待する人は,○○payを使っていて,そういう人はマイナポイントを使えるところをよく知っているので,マイナンバーカードを取得するでしょう。そもそも国民のキャッシュレス派は,モバイル族以外に,カード族も含めて,半分くらいなので(https://infcurion.com/news/news-20220525_001/),マイナンバーカードの普及率が50%近いということは,マイナポイントを使えそうなキャッシュレス派にはかなり行き届いているという見方もできるかもしれません。取得率が8割を超えている運転免許証と比べると低いのでしょうが,要は何と比較するかです。政府は全員取得という目標を立ててしまったから,マイナンバーカードは普及していないという話になってしまうのかもしれません。いずれにせよ,根本には行政や社会のデジタル化の遅れがあるのであり,そこから改善していく必要があります。

2022年9月19日 (月)

映画「Suburra」

 邦語では「暗黒街」というタイトルのイタリア映画です。主人公は,少し前にも詳解したマフィア映画「Il Traditore」でも主役であったPierfrancesco Favinoです。ローマ近郊の再開発(カジノ建設など)をめぐる政治家と闇の怪しげな人たちの暗躍をめぐるストーリーです。登場人物すべてが悪人です。2011年115日から12日までの話という設定です。
 Favinoが演じる与党の大物政治家 Malgradiは汚職議員で,「Samurai」と呼ばれる裏社会のボスと古くから友人関係です(ここにサムライという言葉が使われるのは,ちょっと日本人としては複雑な気分ですが,強いボスというイメージでしょうか)。Malgradiは,ホテルに売春婦Sabrinaともう一人未成年者を呼んでドラッグセックスをしますが,そこで未成年者のほうがオーバードーズで死亡してしまいます。Malgradiは,とっとと逃げて,後の処理をSabrinaに頼みます。Sabrinaが頼ったのが,暗黒街を牛耳るジプシーのAnacleti一族のボスManfred の弟のSpadinoでした。死体を処理したSpadinoは,Malgradiに,ビジネスの利権をほしいとゆすりはじめたことから,Malgradiは,知人をとおして,ローマ近郊のOstia地方の裏社会のボスである,通称Numero 8に,Spadinoの脅迫を止めさせるようにしますが,彼は勢い余ってSpadinoを殺してしまいます。Spadinoの死を知って恐怖を感じたSabrinaは,旧知の実業家Sebastianoを頼ります。ところが,Sebastianoは,父親がManfred に多額の借金をして自殺していたことから,その借金の肩代わりとして別荘の引渡などを求められていました。Sebastianoは,保身のためにSabrinaをManfredに引渡します。彼らから事件の首謀者がNumero 8 と知ったManfredは,Numero 8を襲撃し,さらにはMalgradi にも復讐しようとします。Samuraiは,Ostiaの利権を得るために,Malgradiの抱える問題の解決に尽力することを申し出ます。Samuraiは,Manfredとは,再開発ビジネスの利権の一部を与えることを約束して弟の復讐を止めさせますが,Numero8は,Manfredと争わないようにというSamuraiの説得に応じません。そこで,Samuraiは,Numero8を殺してしまいます。一方,Sebastianoは,情報を提供したり,Sabrinaを引き渡しても,結局,財産を奪われてしまいそうで,自身も暴力をふるわれたので,Manfredを殺害します。そして,そのSamuraiは,Numero8の襲撃をかろうじて逃れた彼の愛人で薬物中毒者であったViolaにより,Numero8殺害の復讐として殺されてしまいます。
 Malgradiは,未成年者殺人の嫌疑で捜査対象となりそうでした。国会議員であれば不逮捕特権があるのですが,ちょうど首相が退陣すると告げたことを知ります。翻意させるために首相官邸があるPalazzo Chigi(キージ宮殿)にまで駆けつけたものの,首相に反発する集会が開かれていて行く手を阻まれてしまったMalgradiは,首相を乗せた車が去りゆくのを呆然と見つめます。この首相退陣は,どことなくBerlusconi退陣を想起させるものです。現実にも20111112日は第2Berlusconi政権がたおれたときで,その後にMonti政権が誕生して,昨日も書いたイタリアの解雇改革につながっていきます。

 

2022年9月18日 (日)

イタリアの政治と法

  久しぶりにイタリアの労働法(解雇法制)に関する原稿について執筆依頼がありました。もう引退したつもりだったのですが,実戦で投げるよう急遽要請されたので,老骨に鞭打つ感じで緊急登板することになりました。イタリアの解雇法制は,2015年のJobs Act で金銭解決制度がさらに進歩したのですが,憲法裁判所からいろいろな規定について「異議申立」(違憲判決)がなされる事態となっています。理論的にも面白いところがありますが,今回はイタリアの解雇法制の動きを,憲法裁判所の判決を通してしっかり追うということをもって,責めをふさぎたいと思っています。本格的な研究は,明治大学の小西康之さんや早稲田大学の大木正俊さんにお任せします。
 イタリア法の論文を書くとき,知っておいたほうがよいのは,政治的な動きです。いまはYouTubeTelegiornale(テレビでのニュース放送)の動画を,少し時間的に遅れますが観ることができるので,現地に行かなくても情報入手はできます。直接イタリア人と話すのも,いまやオンラインで簡単にできます。とはいえ,やはり日本語で専門的な分析がされている文献があれば助かります。そういう記事が,先週金曜日の日本経済新聞の経済教室に出ていました。八十田博人さんの論考です。八十田さんは,EUの専門家で,とくにイタリアのことについて詳しい方ですが,共立女子大学で教鞭をとっておられたのは,今回初めて知りました。
 この論考を読んで,イタリアの救世主として世論の支持が高いDraghi首相が,政権を投げ出した背景がよく理解できました。25日に国政選挙があり,右派圧勝と予想されるなか,第一党に就く可能性があるGiorgia Meloni率いるFdI(Fratelli d'Italia)を中心とする右派連合の政権がどうなるのかについても言及されています。
 ところで,労働政策の面でみると,Draghiより10年前に実務家内閣を率いたMonti政権では,Montiと同様に経済学者であったForneroが労働・社会政策大臣となり,2012年の解雇改革を断行するなど大胆な労働市場改革をしました。Draghiは,大学教授歴があるものの,それよりもECB(欧州中央銀行)の総裁として世界的に有名なエコノミストでしたが,この内閣で労働・社会政策大臣に就いたのは,民主党の政治家であるOrlandoでした。彼は労働政策の点ではDraghiと距離があったようです。Draghi政権が誕生した20212月は,新型コロナ真っ只中であり,イタリアでは一時的に経済的解雇が禁止されている時期でした。Orlandoは,その禁止期間を年末まで延長していくことになります。同じ実務家内閣とはいえ,Monti政権が解雇規制の緩和をしたのに対して,Draghi政権は,緊急避難的とはいえ,解雇規制を強化する方向の措置を講じてきたのです。
 アフターコロナで,経済が正常な状態に戻った後,イタリアの政治状況の変化も予想されるなか,解雇法制がどうなっていくか注目です。また,日本では,今後,雇用調整助成金の活用の成果が検証されていくでしょうが,イタリアではやや類似の所得保障金庫(Cassa Integrazione di Guadagni)がコロナ禍でも活用されてきており,法学者と経済学者で,両国を比較してみるのは面白いテーマだと思います。

2022年9月17日 (土)

デジタル給与

 労働政策審議会労働条件分科会で,資金移動業者の口座への賃金支払について議論されていて,ようやく解禁に向けて動いていきそうです。
 資金移動業者とは,「賃金決済に関する法律」というところに定義があり,内閣総理大臣の登録を受けて,「銀行等以外の者が為替取引を業として営む」者とされています(22項および3項,37条)。キャッシュレス決済アプリを提供する事業者などが,これに含まれます。賃金をアプリ上の口座に直接振り込まれることができるようになると,国内に銀行口座をもたない人(外国人など)は助かるでしょうし,○○payを日常の決済手段に使っている人にとっては,銀行口座からチャージする手間が省けて助かるでしょう。ただし,業者がどこまで信用できるかということなどをめぐって反対論もあるようです。労働者の生活に関わる根本的なものなので,賃金の払い方の規制緩和には慎重であるべきという主張はよく理解できるところです。
 ところで,「デジタル給与」が認められない法的根拠はどこにあったのでしょうか。それは労基法241項で定める賃金通貨払いの原則です。賃金は通貨で払わなければならないのです。これは,もともとは現物給与(Truck System)には弊害があるということで設けられたものなので,現物給与だけを禁止してもよかったのですが,通貨しかダメということになっています。小切手での支払もダメです。例外は,法文上は「法令若しくは労働協約に別段の定めがある場合又は厚生労働省令で定める賃金について確実な支払の方法で厚生労働省令で定めるものによる場合」であり,労働基準法施行規則7条に具体的な例外が定められています。それにより銀行口座や証券口座への振込は,本人の同意などの一定の要件を充足すれば可能とされ,現在では,これが一般的な給与の支払い方法となっています。
 本来の禁止対象である現物給与とデジタル給与とは質が違うものであり,デジタル給与は,例外として許容する範疇に加えてよいように思われます。問題は,資金移動業者が,銀行や証券会社ほど信用を置けるのかということですが,そこの部分は業法での厳しい規制で行ってもらうということでよいと思います。「人事労働法」的にも,通常の同意ではなく,納得同意は必要ですが,それがあれば,それ以上の規制は不要ということになります(拙著『人事労働法』(弘文堂)115頁も参照)。
 日常の代金の支払いなどでデジタル決済は普通に行われているのであり,労働契約における賃金の支払いだけ特別に扱うというのは,もはや時代に適応しないのではという気もします。もちろん支払われる側が,通常の取引の場合の多くは事業者で,労働契約の場合には労働者であるという違いをしっかりみなければならないという労働法的な思考方法は大切ですが,いやなら選択しないということでよいのではと思います。無知で,企業に強要されやすい弱い労働者がデジタル給与を選択させられて被害を受けるというシナリオは,もしそれが現実的な危険としてあるのなら,そうならないように情報の提供をしっかり行い,何かあったときのトラブル対応の行政窓口を充実させるという方法で対処すべきであり(上記の業法的な規制があることも前提です),労基法24条との観点からは,デジタル給与について,それほど強い制約を設けなくてよい気もします。
 それじゃ,お前は選択するかと聞かれると,私は選択しないと思います。公共料金をはじめ,いろんなものの引き落としを銀行口座で設定しているからです。でも,これって銀行口座にロックインされていることを意味するので,少しずつ見直していく必要があるかなとも思っています。賃金でデジタル給与というのが増えてくると,賃金ではない講演料や原稿料の支払いはアプリに振込みということにしてもいいですよね。当局も,そのほうが,お金の流れを追いやすくなってよいでしょう(ちょっとイヤですが)。

2022年9月16日 (金)

テレワークは定着するか

 予告していましたように,昨日は,佐藤博樹さんとのランチタイムセミナーがありました。時間が限られていて,どうなるかと思いましたし,打ち合わせはごく簡単なもので,ほぼぶっつけ本番でしたが,なんとか終えることができました。視聴者も多く,私にとっては貴重な経験でした。やはりWebセミナーはすごいです。どこかに人が集まっているところで講演するのとは違い,こちらが移動しなくても,たくさんの人に話を聞いてもらえるのは,何度やってみても,不思議な感覚です。聴衆の顔が見えるわけではなく,佐藤さんの顔だけを見て話すので,二人だけだと思ってつい余計なことを話してしまうことがないように,気を付けていました。
 実は講演後に佐藤さんやスタッフの方と雑談をしたのですが,そこでは少し過激な話もしていました。経営者や上司がテレワーク導入に賛成してくれなくて困っているという意見について,話が盛り上がりました。これは実は,私がテレワーク関係の講演をしたときに,よく質問されるテーマです。上司層からはテレワークについての批判的な質問をよく受けるのと同時に,若手からは上司たちの無理解についての質問や嘆きが投げかけられるのです。拙著『誰のためのテレワーク?』(明石書店)でも,プロローグで,先輩たちの無理解に嘆く主人公Aくんの話を取り上げています。それへの解答は,まずはテレワークの価値を理解してもらうために拙著を読んでもらう,と言いたいところです。拙著のメッセージは,テレワークは,導入するかどうかの問題ではなく,どのように導入するかが問題だというものであり,それを受け止めてもらえればと思うのです。ところで,テレワークが実現する場所主権は,在宅勤務オンリーではなく,個人が場所を選んで生活や労働ができるというところがポイントであり,結果として就労場所はオフィスであってもいいし,はたまたリゾート地であってもよいのです。大事なのは,労働者が選択できるということです。佐藤さんも昨日,このことを繰り返し指摘してくださいました。こういう働き方を許容するのは,マネージする側には大変な負担となるのですが,それを乗り越えることこそが,プロのマネージャーの仕事なのです。一方,労働者側からすると,そういうマネージメントができない会社には,とっとと見切りをつけてしまうのも大切です。これは多くの聴衆の前では言えないことですが,個人的に相談されたら,そう答えます。テレワーク体制やデジタル体制を導入するのには手間も費用もかかるでしょうが,その方向に行っていない会社の将来は暗いでしょう。いまはピンピンしているような会社でも10年後はどうなっているかわかりません。これからは次々とデジタルネイティブ世代が出てくるので,テレワークなんて当たり前という感じになるでしょう。場所主権を享受できないような会社には,優秀な人材は集まらないでしょう。役所も同様です。いまだにファックスやフロッピーを使っている会社に誰が入所・入社するでしょうか。そう考えると,いますでに働いている人も,自分たちの会社がどこまで新しい流れに適応する能力をもっているかを,しっかり見極める必要があります。
 私がテレワークのことを書き始めてからかなり時間が経ちますし,それを上記の本にまとめた2021年はすでに遅すぎると思っていましたが,いまなおアクチュアルなテーマであり,拙著のメッセージを伝えなければならないという状況で,日本はこれでほんとうに大丈夫かと不安になります。

 

2022年9月15日 (木)

村上55号

 糸井選手の引退は,現在の阪神の外野陣からして,彼が入る余地はない感じでしたので,やむを得ないところでしょうか。元阪神の福留も能見も引退ということで,寂しい感じもしますが,昨年の鳥谷も含めて,やっぱり阪神が戦力外としたことは仕方がなかったのかなという気がします。
 そのようななか,いま眩いばかりに輝いているのが,ヤクルトの村上宗隆選手ですね。ホームラン55本は,狭い神宮球場が本拠地とはいえ,それに関係ない感じがします。甲子園で3連発を打たれたときは衝撃的でした。村上一人で同点,逆転と試合を決めてしまい,ひょっとしたらヤクルトに追いつけるかもしないという阪神ファンのかすかな期待も吹っ飛ばされました。それと比べて,ほぼ同世代のサトテルのダメダメぶりにはトホホです。でも村上は高卒5年目でプロ経験は,大卒2年目のサトテルより長いので,サトテルには来期以降の活躍に期待したいです。
 55本というのは,長年,王貞治のとてつもない日本記録であり,特別な数字でした。その後,外国人がこの記録に並び,数年前にあっさりと(空気を読めない?)バレンティンが追い越してしまいましたが,それまでは,不滅の大記録でした。30本打てばホームラン打者,40本打てば歴史に残るホームラン打者と呼べると思いますが,50本台となるとほんのわずかしかおらず,レジェンドです。村上も間違いなくレジェンド入りです。
 もっとも,報道では,「日本選手最多タイ」という言い方をしていて,これってどうかなという気もしました。日本のプロ野球では最高はバレンティンの60本なのです。日本選手だけで比べても意味がありません(「日本人選手」という言い方をしていないのは,王さんの国籍が日本ではないからですかね)。いずれにせよ,外国人の記録を別扱いしている間は,日本のプロ野球もダメでしょう。村上は61本打って,堂々と国内歴代最高記録をつくってほしいです。残り15試合ですからチャンスはあります。ペナントレースの行方よりも,村上が何本打つかに,ヤクルトファン以外からも関心が集まっていることでしょう。
 王さんは,現役22年で868本ホームランを打っています。引退した年も30本打っていますね。驚異的です。1年あたりの平均が約39.5本です。村上選手は,5年目で現在159本です。今年はもう少し増えるでしょうが,ここまででいうと1年の平均が31.8本です。王さんの記録のすごさがわかります。国籍に関係なく,(当時の世界新記録の756号を打ったときに)国民栄誉賞第1号になったのは納得ですね。阪神ファンとしては,何度も痛い目にあわされた,憎き巨人の4番でしたが。

2022年9月14日 (水)

無電柱化

 明日はRandstadのランチセミナー(Webinar)で佐藤博樹さんと対談します。これからの時代の対談はオンラインでのものも含むのです。テーマは,それにふさわしい「テレワーク」です。佐藤さんとは久しぶりに「お会い」してお話しできるので楽しみです。興味のある方は, お申し込みください(無料です)。
 ところで,13日の日本経済新聞の朝刊の文化面で,石山蓮華さんの「見上げてご覧,夜の電線」という面白いエッセイが掲載されていました。電線を礼賛するのは,面白い感性だなと思いましたが,私は電線や電柱にはどうも肯定的になれません。欧州では電柱は見ないですよね。電柱の地中化は世界的な現象のようです。
 私はフードデリバリーなどの多くの宅配サービスは,人間によるのではなく,ドローンなどによる省人化が進むと考えていますが,その前提として,電柱の地中化が進むことを想定しています。電柱や電線の存在が,デジタル化を阻むことになるのは困ります。ドローンは電線が少ない場所での利用にとどまるということでは,ますます世界から後れをとるでしょう。
 こういうことを言うと,日本は日本のやり方でいいではないかという意見もありそうですが,いっときの宅配クライシスを忘れてはならないでしょう。人間がいつまでも運んでくれると思っているのは想定が甘いと思います。そのときにあわてて機械化を考えるのではなく,先手を打つべきです。
 生産年齢人口は,定義を変えて70歳に上限を引き上げても,減少傾向は変わりません。また人々は高齢化にともないきつい仕事はいやがるようになるでしょう。それに現状においても,ギグワークに対する否定的な評価があり,そのことが,この仕事に就こうとする人を減らす可能性があります。
 ドローンを安心して飛ばせる状況は,私たちのこれからの生活にとって不可欠なのです。景観だけの問題ではありません。電柱は地震のときに倒壊したり,電線にふれて感電したりする危険性もあります。無電柱化のためには,大規模な工事が必要となるでしょうから,政府には早く取り組んでもらう必要があります。
 2016年に成立した「無電柱化の推進に関する法律」は,地方自治体にも責務を課しており,兵庫県もHPを調べると,「無電柱化推進計画(20192023」を策定していました。まだ,あまり意欲的とは言えませんが,生活に必須のインフラの整備という視点をもって積極的に取り組んでもらえればと思います。

2022年9月13日 (火)

生前譲位

 イギリスの王室は,私が若いころは,それほど人気がなかったと記憶しています。スキャンダルも多く,極めつけはCharles皇太子(現国王)の離婚と,今回,王妃となったCamillaの存在でした。Charlesは,いまは知らないですが,イギリスでは不人気であるということは,よく耳にしていました。Dianaの死亡により,いっそうCharlesへの反感は高まったことでしょう。
 ElizabethⅡは,即位前にすでに,自分の人生が,長くても短くても,自分の生涯をその任務に捧げるというスピーチをしていました。でも,まさか自分が96歳まで女王として勤めるとは想定していなかったでしょう。彼女は誓いを守ったのではなく,Charlesに任せるのには不安があったから,生前譲位できなかったのでしょう。Charlesの治政をできるだけ短くして,孫のWilliamに引き継げるようにしたかったのではないでしょうか。
 イギリスが世界で犯してきた数々の非行は,決して消えないものです。Commonwealth(イギリス連邦)に50カ国以上も参加しているのは,それだけ侵略の過去があるということを示すものです。しかし,女王はその負の歴史を乗り越えて,しっかりイギリス連邦をまとめてきたのでしょう。女王は,自らの手で,見事に王室のイメージの回復に成功したのだと思います。君主制廃止論も,いまではあまり聞かれなくなっているのではないでしょうか。
 翻って日本の天皇制も,昭和時代には批判論が少なくなかったと記憶しています。戦争責任の問題が重くのしかかっていました。しかし平成になり,現在の上皇のもつソフトなイメージや美智子妃の国民的な人気もあり,天皇家に対するイメージはずいぶんと変わったように思います。上皇個人には戦争責任があるわけではなく,それにもかかわらず戦争をずっと語っていたことも(当然のことをしていたにすぎないのですが)好印象を与えていたと思います。イギリス王室ほどのスキャンダルはない日本の天皇家ですが,なにかあれば,やはり税金をつかって皇族を支えるのはどうかという批判が当然出てきます。上皇は天皇在位中,危機感をもって,したたかに戦略を練って天皇家を守ろうとしてきたのでしょう。上皇が生前譲位したのは,健康状態もあったのかもしれませんが,すでに天皇家のイメージを揺るぎないものにしたという確信をもてたからからもしれません。ここがイギリスとの違いだったように思います。
 令和への皇位継承はスムーズに行きましたが,その次はどうなるかはっきりしません。皇位継承順位は皇室典範で決まっているので,今上天皇の希望どおりにはなりません。しかし,譲位のタイミングは自分で選べるのだと思います。皇室典範では譲位の規定はありませんが,上皇のときは,特例法をつくって対応しました。先例があるので,できないことはないでしょう(ただし上皇は80歳を超え健康問題も抱えていた状況での退位であったので,それと同じくらいの状況でなければならないという縛りはかかってくるかもしれません)。それに生きていれば,皇室典範の改正だってあり得ます。女帝誕生もあり得ないことではありません(別にそれをとくに推奨しているわけではありません)。
 ElizabethⅡは天寿を全うしたのでしょうが,彼女が生前譲位をしなかったことを考えると,死ぬに死ねなかったのではないか,という気もします。(かなり話は違うのですが)アメリアのRGB(Ruth Bader Ginsburg)が最高裁判事のリベラルの椅子を死守するために,自分は死ねないと頑張っていたことを思い出しました。

2022年9月12日 (月)

「ちむどんどん」の楽しみ方

 自民党の政治家(落選中)が「ちむどんどん」の内容がひどいとNHK批判をしているようです。政治家がどう言うかはさておき,これだけ批判が集まる朝ドラも珍しいのではないでしょうか。民放なら批判があっても視聴率が高ければそれだけで成功ということかもしれませんが,NHKはそうはいかないでしょうね。ただ,私は,この番組が好きで,これまで全部観ています。
 嫌われるのは,ストーリーが強引とかそういう理由もあるでしょうが,前にも書いたように,私はそれほど気になりません。このドラマは,ストーリー展開の洗練性よりも,別のものを大切にしているのでしょう。頼りなくも,ピュアに自分の人生を突き進んでいる暢子に,次々に難題が降りかかり,でも家族や周りの人が助けてくれて乗り越えられるという救いがあるところが,それがワンパターンであってもホッとするのです。
 面白かったのは,料理人の矢作が,暢子の店で働くときに,きちんとジョブ型の契約を結んだことです。自分は厨房内で料理することだけが仕事で,接客などは手伝わない,給料の遅配があれば辞める,残業はしないなど契約条件をしっかり提示し,暢子もそれを承諾して雇用契約を結んでいます(自分がいなければ店が回らないことはわかっているので,交渉力では矢作が圧倒的に上です)。実際,矢作は契約以外の仕事はせず,残業もしなかったのですが,それを周りの人間が批判したりします。昭和的な対応です(というか,これは現在でもよくあることでしょう)。しかし矢作の態度は変わりません。今後は日本でも,こうしたスタイルで働くジョブ型のプロ人材が増えていくでしょう。ただ,職場に昭和時代の価値観が残っていれば,矢作のケースのように,うまくいかないこともあるので要注意です。ちなみに,矢作は,経営者である暢子の信頼の厚さに感動して,ジョブ型を捨てて働くようになります。ジョブ型を徹底できないウエットなところも,日本人の琴線に触れるところかもしれません。
 こういう視点で番組を楽しむこともできるのです。今月で終わりになるのが残念です。いままで家族に迷惑をかけどおしであった長男の賢秀が,最後にどうなるかが楽しみです。子どものときに大事に飼育していた豚を両親が勝手に解体して,お客さんにだしたときに涙をしていた賢秀が,大人になって,その豚のおかげで,失敗続きの人生を大逆転というようなフィナーレになればよいですね。

2022年9月11日 (日)

王位戦終わる

王位戦終わる

 王位戦は,藤井聡太王位(五冠)の防衛で終わりました。豊島将之九段は力を発揮できなかったですね。藤井竜王(五冠)に最も多く勝っているのが豊島九段ですが,最近では分が悪いです。昨年の竜王戦に続くストレート負けを逃れるのが精一杯でした。でも挽回の機会はあります。棋王戦の挑戦者決定トーナメントで,阿久津主税八段に勝ちベスト8に進出して,次に藤井竜王との対局となりました。豊島九段としては,何としても今年中にタイトルを一つはとりたいところでしょう。このままでは,来年にも前人未踏の藤井聡太八冠が実現してしまうかもしれず,それを阻止できる可能性が最も高いのは豊島九段です。豊島九段のタイトルの可能性は,棋王戦以外は,現在,永瀬拓矢王座と戦っている王座戦です。
 藤井竜王(五冠)は,竜王戦の防衛戦が始まります。広瀬章人八段との初戦まで時間はあるので,十分に準備できるでしょう。王位戦が予想より早く終わったことは,大きいかもしれません。今日もNHK杯で,唯一の年下棋士である伊藤匠五段に勝ちました。AIの評価値をみていなければ,最後はずいぶんと攻め込まれているようにみえましたが,余裕で余していたのでしょうね。
 順位戦は,A級で藤井聡太竜王(五冠)が1期で勝ち抜いて名人挑戦となるかが最大の注目点ですが,B級1組に陥落した羽生善治九段が一期でA級復帰するかも注目です。今期は好調だったので,期待はふくらんでいましたが,先日,三浦弘行九段に敗れて2勝2敗となり,少し厳しくなりました。順位は1位なので同星であれば頭ハネができるのですが,それでも3敗が限界でしょう。B級1組に昇級したばかりの中村太地七段が4連勝で飛ばしています。とはいえ13人の総当たり制なので,まだ先は長いです。千田翔太七段や佐々木勇気七段など,若手実力者も,そろそろ昇級をと思っているところでしょう。羽生九段をはじめ,丸山忠久九段や郷田真隆九段などのベテラン強豪もいる,まさに「鬼の住処」ですが,ベテランが勢いのある若手とどこまで張り合えるかですね(郷田九段は,先週のNHK杯では,若手の服部慎一郎四段に見事な逆転劇をみせてくれました)。
 A級に戻ると,第2局で藤井竜王(五冠)に勝った菅井竜也八段が,先日,永瀬王座も破り21敗となりました。難敵を破っていますので,今後の星の伸びが楽しみです。佐藤康光九段が3連敗で出遅れましたが,その他は混戦模様です。斎藤慎太郎八段は,次の藤井戦が,3年連続名人挑戦に向けた大きな一局となるでしょう。日本シリーズ(JT)では,斎藤八段は,渡辺明名人に勝ちました。2年連続,名人戦では完敗していますが,勝てない相手ではないのです。

 

2022年9月10日 (土)

コロナ規制の緩和にも丁寧な説明を

 日本人女性と結婚して近所に住んでいる(やや高齢の)イギリス人は,一時帰国後,日本に戻ってきましたが,日本人のほとんどがマスクをしているのに驚きだと,マスクをせずに話しかけてきました。思わず後ずさりしたくなりましたが,マスクなしはイギリスだけでなく,現在の国際標準なのでしょうね。日本だけがコロナ鎖国をしていてよいのか,という批判は,国の内外で上がっています。円安のメリットは,観光業が受けるはずだけれど,そうなっていないという批判もわからないわけではありません。
 そういうこともあり,7日から水際対策が緩和されました。入国者の上限が2万人から5万人になり,72時間以内の陰性証明書は,ワクチン3回接種で免除となり,さらに添乗員なしの旅行も可(個人旅行は不可ですし,ビザ取得は依然として必要)ということになりました。これでどれだけ外国人が来るようになるか,よくわかりません。一方,旅行業者をとおして,マスク着用の徹底を求めるということになっていますが,外国人相手にどこまで実効性があるかはっきりしないので,不安もあります。
 ところで,7月の世界陸上の際に,日本チームで陽性者が次々と出てしまって,棄権せざるを得なかったということがあったのですが,報道によると,検査は義務づけられていないのに,日本チームは自主的にやっていたために,陽性者が出てしまっただけで,検査をしていない外国人に陽性者がいなったとは言い切れないようです(世界陸上,
日本代表でクラスターが発生した本当の理由は? 「他の国はまともに検査していなかった」
)。この情報が正しいとしても,もちろん正直者はバカをみるという話にしてしまってはダメで,陽性者であるならば,激しい運動をしないほうが自身の健康のためには必要なので,日本チームは医学的には正しいことをしていると言うべきなのでしょう。ただ,この競技に人生をかけてきたような選手にとってみれば,外国人は検査をしないまま自主判断で出場しているのであれば,自分たちも同じようにできればと思ったことでしょう。そもそも,世界陸上で,なぜ検査を義務づけていないのかも不思議です。医学的にみて,コロナは恐れる必要がないということなのでしょうか。そうすると,日本だけ,国際標準から外れた過剰な規制をしているのでしょうか。
 ほんとうのところは,外国では,日本人ほどコロナに警戒してこなかったので早めに集団免疫ができてしまって,国としては,インフルエンザ並みの警戒でよいということになっているのかもしれません。それが国際的なスタンダードになって,検査不要とする上記の扱いにつながったのかもしれません。
 集団免疫を早期に獲得するために,あまり過剰には予防しないというのは,一つのやり方なのでしょうが,それはおそらく基礎疾患のある人や高齢者の命を危険にさらしても構わないということを意味するのであり,日本のように高齢者が多い国では,なかなか受け入れられないでしょう。今回露呈した医療体制の問題もあって,すぐに治療をしてもらえない可能性があるという事情も考慮する必要があるでしょう。
 以上は素人意見にすぎないのですが,いずれにせよ,いま自分がどういう行動をとるべきかを判断するうえでの十分な情報がないのが困ります。感染者の療養期間は,症状がある人は10日から7日に,症状がない人は7日から5日に短縮されました。日本人同士なら,ほとんどの場合,マスクを着用し,慎重に行動しているので,この程度の短縮なら問題はないのかもしれません。しかし,私たちがコロナ対策の専門家の代表と思っている尾身茂氏(基本的対処方針分科会長)の「短縮に懸念を持つ専門家が十分に議論する場がなかった」というコメントをみると(尾身氏「政府と距離感」 療養期間の短縮で苦言「十分な議論ない」),不安となります。加藤勝信大臣は,部会内で十分に議論したと言っていますが,政府がこれまで頼ってきた専門家が懸念を表明している事実は軽視できないでしょう。全会一致でなければダメというつもりはありませんが,これもまた政府の丁寧な説明が必要なテーマなのです。

2022年9月 9日 (金)

女王のスピーチ

 好事魔多しというのは,このことでしょうか。ある意味で政敵でもあった安倍元首相が突然亡くなり,そのおかげもあって,参院選に大勝して,黄金の3年間を手に入れて,政権は盤石になったと思ったところ,やらなくてもよい国葬をやると言ったり,旧統一教会と関係を断ち切ると言いながら党の幹部や閣僚のズブズブの関係が明らかになったり,言っていることに信用ができないという評価が定着してしまった気がします。岸田政権のことです。スピーチも原稿読むだけというのは,いつも不満を言っていますが,極めつきは,本日のElizabeth(エリザベス)女王への弔意を表す(はずの)スピーチですね。魂のこもっていないスピーチなど発表する必要があるのでしょうか。女王を嫌いであったのかと思わせるようなものでした。国益を損なうスピーチです。イギリスとの関係の深さの違いもあるのでしょうが,カナダ,ニュージーランド,アメリカの大統領や首相たちは,もっと心のこもったスピーチをしていました。
 「アナザーストーリー エリザベス女王の希望のスピーチ」という番組を,NHKプラスで,少し前にたまたま観ていました。3つのスピーチが採り上げられていました。第1が,彼女が14歳のときに,第二次世界大戦中に妹と一緒に行ったラジオでのスピーチでした。次が,Diana元皇太子妃が亡くなったときのスピーチです。3つめが,コロナ禍の中で国民に勇気を与えるために行ったスピーチです。王族として生まれたものの,おじさんのEdward8世の突然の退位(アメリカ人女性との結婚のため)で,父が予期せぬ王位継承をし,その父の死去にともない,女王は25歳で王位を継承しました。彼女はスピーチの大切さを知っていたのでしょう。父のGeorge 6世は吃音で悩んでいたことは,映画『英国王のスピーチ(The King’s Speech)』で描かれています(前にもこの映画を採り上げましたね)。彼が吃音を克服するために頑張る姿勢が印象的な映画ですが,国のトップに立つ人のスピーチの重要性を感じさせます。そして,娘のElizabeth 2世は,ここぞというときに印象的なスピーチをして,国民の悲しみに寄り添ったり,国民に勇気を与えたりしたのです。
 岸田首相のスピーチにいちいちケチをつけているのは,意地悪を言いたいわけではありません。スピーチをもっと大事にしてもらいたいのです。スピーチに深みをもたせるのは,その人に伝えたいものがしっかりあることが大切です。自分が言いたいことを考え抜いて,しっかり気持ちをこめて国民に伝えてもらいたいです。誰かが書いたものを読んでいるだけのスピーチしかできない首相には,何の価値もありません。草案は誰かが書いても,しっかり自分の言葉に置き換えて,自分のものとしてスピーチしてもらいたいのです。そんなあたりまえのこともできない首脳というのは,世界を見渡しても,日本の首相だけではないでしょうか。あまりにも情けないので,このことは,しつこく書いています。
 ところで,話題の国葬ですが,Elizabeth女王のような人だったら国葬はスムーズに行くのでしょう。国葬ってこういう人のためのものだよねと思う人も多いでしょう。数日前のNHKのニュースで,安倍元首相の国葬に反対が5割で,賛成が約3割という数字が出ていました。国民の5割が反対している事実は重いものです。これを税金の無駄な支出と考えている国民が半分いるということです。とくに,いまのように「仮」の額だけ16億とだしたうえで,海外からの出席者の規模によってはさらに追加支出があるというのは,許しがたいことだと思っています。予備費って,閣議決定さえすれば好き勝手に使えるというようなものではないでしょう。住民税非課税世帯への5万円というのも,一見,良さそうですが,単なるバラマキに終わる可能性もあります。これも税金の間違った使い方となりかねません。物価高で,国民の家計への意識はとくに敏感になっています。国の税金の無駄遣いがとくに気になるという庶民の声を「聴く」政治をしなければ,岸田政権は長持ちしないでしょう。

2022年9月 8日 (木)

幼い子どもを守れ

 牧之原の認定こども園の子ども置き去り死亡事故は,あまりにも可哀想で言葉を失います。酷暑のなか,水を飲み尽くし,必死に助けを求めていたであろう3歳児のことを思うと,関係者の人命軽視への怒りが収まりません。最初にうっかり置き去りにしてしまっても,その後も,子どもを救う機会は十分にあったはずであり,関係者の誰か一人でも気がついてくれていたら助かっていたのです。大事に育てていたはずのご両親や親族の悲しみを思うと胸が引き裂かれる思いです。
 これはバスでの送迎のチェックの徹底とか,そういうことをすれば十分という話ではないように思います。普通の保育所は,そんなことは言うまでもなくやっているのです。こういう事故を起こすところは,幼い子を預かるということの重みをわかっていない人が経営に携わっていると疑いたくなります。いくらチェック体制を強化しても,人の問題であれば限界があるような気もします。
 ところで,児童福祉法45条に基づき設けられている「児童福祉施設の設備及び運営に関する基準」の33条2項によると,職員配置基準は,(「おおむね」ということですが)0歳児の場合,3人に保育士1人, 1・2歳児の場合,6人に保育士1人,3歳児の場合は,20人に保育士1人,4歳児以上の場合は,30人に保育士1人となっています。3歳児20人を保育士1人がみるのは,かなり無理があるでしょう。2歳児6人を1人でみるのも,いくらプロの保育士でも限界ぎりぎりでしょう。日本は世界的にも基準が緩い国のようです。とくに3歳児以降は,危険水準です。たしかに,基準を強化すると,人件費負担で運営できない保育所も出てくるかもしれません。しかし,これは生命や安全の問題であると考えると,コストがかかるなら,税金を投入すべきなのです。国葬など無駄なことにカネをかけるくらいなら,もっと意味のあることに税金を使ってほしいです。
 人手不足も深刻なのでしょうが,有資格の潜在保育士がいるのであり,処遇改善すれば労働市場に戻ってくる可能性は十分にあります。
 岸田政権は,「人への投資」と言っていますが,幼い子が命を危険にさらしながら育っていること自体,「人への投資」の前提の問題として,対策に手をつけるべきでしょう。また預ける親が,安心して仕事ができないということも,「人への投資」の前提の問題と考えるべきでしょう。
 さらに言うと,ここでもデジタル技術が使われるべきなのです。韓国では,送迎バスの置き去りがないようにIT技術を使っている(運転手らが最後方のボタンを押さなければアラームが鳴るなど)と報道されていました。人為的なミスをできるだけ避けるための工夫が必要です。できれば,保育所内にカメラを設置して,保護者はいつでも子どもの状況をPCやスマホでチェックできるようにするということも検討してもらいたいです。今回ももしそういうシステムがあれば,親が子どもがいないことに気づいて,すぐに保育園に連絡できたかもしれません。企業は,職場で親がリモートで子どもをチェックしていることを,職務専念義務違反と言わないようにしてもらいたいです。
 もちろん,普通は,親は保育所を全面的に信用していますし,多くの保育所は信用に値するところです。それでも,こういうことがあると,全面的に信用してしまってはいけないのだと思います。誰でもミスはあります。それに幼い子どもたちは,何かあっても親には伝えることができません。保育現場をガラス張りにしてもらえれば,ずいぶんと安心感が高まります(実際,職場のすぐ横に保育所を設置して,文字どおりガラス張りにして,働く親が常に子どもの状況をチェックできるようにするサービスを展開している企業の話を聞いたことがあります)。そういうところにこそ,税金を投入してもらいたいのです。

2022年9月 7日 (水)

法律家になる人に

 司法試験の合格発表が出ると,そろそろ夏も終わりに近づき,陽水と玉置浩二の例の曲を歌いたくなる気分ですね。今年は,少し例年より合格発表が早くないでしょうかね。まだしばらくは残暑が続きそうです。
 神戸大学の法科大学院の結果は,だいたい定位置で,合格率(受験者中の最終合格者の割合)では,京大,東大,一橋,慶應,東北に次ぐ地位はキープしました。とはいえ合格率は5割で,半分は不合格というのは厳しいですね。
 最近は,企業内弁護士(in-house lawyer)が増えていて,需要が高まっているようです。(裁判官や検察官になる人はひとまず除くと),理想は,何かの専門知識がまずあって,プラスαで法律の素養もあるという人です。あるいは,まず法曹資格をとって,何か他の専門性も身につけるというパターンもあるでしょう。以前に拙著で,ソムリエ資格をもった弁護士などがいいと書いたことがありますが,これは冗談ではありません。保育士もできる弁護士とかもいいですね。
 企業内弁護士は,大企業にしかいないような気がしますが,社会の隅々にもっと法律家がいたら,社会も少し変わるかもしれません。ただし,「The法律家」のような人が,あまりいすぎても困ります。むしろ法律の専門知識は,最後の最後に出すのであり,トラブルになったときでも,議論をロジカルに整理しながら,相互の理解を深めて,一定の妥協点を見いだしていくことこそ法律家(法律に携わる職業をする人)の素養であり,そうしたものを社会に生かしてもらえたらと思います。もっとも,一部の弁護士は,顧客にべったりしすぎて,とにかく相手を言い負かすことが法律家の仕事だと誤解しているようにみえることもありますが,そういう法律家が増えると社会にとっては迷惑です。
 大学を出て,そのまま法科大学院に入って司法試験に合格したというような人は,弁護士になっても,社会にはなかなか貢献できないことを自覚すべきでしょう。庶民と同じ目線に立ったうえで,法律をうまくつかって社会に貢献するというのが,法律家としてのミッションです。そのためには年月をかけた修業が必要でしょう。今年,不合格であった人も,あせることはありません。良い法律家になることが目的であれば,その失敗は決して無駄にはならないと信じるべきです。
 西成活裕『逆説の法則』(新潮選書)は,とても面白い本ですが,そのなかに,無駄とは,「目的」「期間」「立場」の三つを定めないと決まらない概念だと書かれています(32頁。読んでいませんが,著者の『無駄学』(新潮選書)にも書いてあるそうです)。「期間」を短くとれば無駄に思えることでも,「目的」をしっかりもって,「期間」を長くとれば無駄なものなどないのです。無駄にも効用があるというのではなく,無駄なことなどそもそもあるのか,という指摘は重要だと思いました。

 

2022年9月 6日 (火)

誠実交渉義務について

 季刊労働法274号(2021年)143頁以下に,ベロスルドヴァ・オリガ(Belosludova Olga)さんの「団体交渉義務違反の判断視角―合意達成可能性模索義務の提言―」という論文が掲載されています。ロシアの方でしょうか。Olgaというと,かつてMichele Tiraboschiのところで助手をしていたロシア人女性Olga Rymkevitchという大変優秀な女性のことを思い出します。彼女はいま何をしているのでしょうね。JILPTのセミナーでも来てもらったことがあり,そのときのサイトがまだ残っていました(https://www.jil.go.jp/foreign/event/kouen/20020927/index.html)。彼女のことは,みんなオルガと呼んでいましたが,オリガが正しかったのでしょうかね。
 話を戻し,この論文は,団体交渉義務について正面から扱った,日米の比較法論文です。日本における誠実交渉義務は,主として交渉態度を問題とするものであるが,団体交渉には,交渉に入る前から誠実性が問われるところもあり,その部分が誠実交渉義務の問題となるかどうかの扱いがはっきりしていないという問題の所在を提示します。そして,アメリカ法では,団体交渉の本質として,そのプロセス全体において合意達成可能性を模索する義務があり,これを参考にして,日本でも団体交渉プロセス全体において合意達成可能性模索義務というものを観念できるのではないかという見解を提示しています。
 また団体交渉義務(誠実交渉義務)違反かどうかを判断する基準として,実務上,ある特定の行為をしたら義務違反となるという基準(per se test)と,関連するあらゆる事情を総合的に考慮して判断する基準(all the circumstances test)とがあるとされ,前者が適用される類型として会見拒否(ただし,開催条件をめぐる紛争については,all the circumstances test),合意の文書化(拒否),一方的変更(行き詰まりとなる前になされる変更),使用者による直接交渉,非義務的団交事項への固執があるとしています。
 興味深い議論で,日本の不当労働行為実務にも参考となるところがあると思います。ただper se test は,会見拒否や合意の文書化拒否などにはぴったりきますが,それ以外の,たとえば一方的変更や直接交渉(頭越し交渉)は,むしろ支配介入(3号)の問題として論じるほうがよく,そうなるとall the circumstances testのようになるのではないかという気もします。
 いずれにせよこの論文は,団体交渉全プロセスにおいて,合意達成可能性模索義務があるとして,広く不誠実性を問題とすべきだとしており(もとより,私も含めて,このように考えている人は少なくないと思いますが),そのうえで,判断基準の曖昧性はper se test を採り入れるという形で解決する方向性を示すものであり,今後の研究の発展が楽しみです。
 ところで,先日の神戸労働法研究会で,山形大学事件・最高裁判決をめぐって一つ議論となったのが,最高裁は,誠実交渉義務について,「必要に応じてその主張の論拠を説明し,その裏付けとなる資料を提示するなどして,誠実に団体交渉に応ずべき義務」と定義したことで,この義務の内容から,合意達成の可能性を模索するという要素を意図的に欠落させたのかという点についてです。オリガさんの論文でも指摘されているように,団体交渉の本質や目的は,合意達成の可能性を模索することにあると思います。その目的のために情報提供や説明をするのであり,合意達成の可能性を模索するという目的を取り除くことはできません。最高裁が,もしこの要素を誠実交渉義務や団体交渉義務から取り除く意図があるのだとすると大きな問題ですが,まさかそのようなつもりはないでしょう。最高裁は,使用者のやるべき客観的な行為義務の内容が「必要に応じてその主張の論拠を説明し,その裏付けとなる資料を提示する」ことであると述べたにすぎないのであり,団交の目的への言及はたんに省略しただけと解すべきだと思います。
 ところで,前記のper se test の発想は,行為規範のところでこそ重視されるべきでしょう。誠実交渉義務は,使用者が,労働組合の団体交渉申込みに対して,何をすべきなのかという,行為規範の面で機能しなければ意味がありません。法文上も実務上も,それが具体的に明示されていないところに問題があります。そういう捉えどころのない義務を扱うところに,労働委員会の存在価値があるという考え方もできるのですが,やはり,これをやったらアウトというものを具体化できるならば,できるだけそうすべきでしょう。
 今後は,誠実交渉義務違反の内容も,データ化してAIに学習させるべきだと考えています。All the circumstances test でも事例をうまく分析してAIに学習させることができれば,誠実交渉義務の不明確性にメスを入れることができるでしょうし,事後的な審査に活用するだけでなく,企業の交渉態度に警告を発するような事前的な処理をして,労使間で良き交渉がなされるように導いていくことができればと思っています(団体交渉での発言内容や状況をビデオカメラで捉えて,そのやりとりをAIで分析するというイメージです)。これもデジタル労働法の重要な要素であり,そのためにも,まずは現行の誠実交渉義務を分析することがとても重要な意味をもってきます。
 労働委員会は,いま管轄や除斥期間のようなやや細かい問題に取り組んでいるようですが,それほど時間をかけて検討するようなテーマではありません。むしろその時間を,大量のマンパワーを要する誠実交渉義務の分析に,労働委員会の委員や事務局職員を総動員して,AIの学習用データを作成することに充ててみたらどうでしょうかね。

2022年9月 5日 (月)

朝日新聞登場

 今朝の朝刊で,「資本主義NEXT 日本型雇用を超えて:5)会社を支える「プロ人材」たち」という特集の中で,私のインタビュー記事が出ています(デジタル版では,もう少し多めに出ているようです)。朝日新聞に登場するのは,2015年2月14日に,残業代に関して澤路さんのインタビューを受けて登場したとき以来だと思います。久しぶりです。昨年の10月くらいに一度オファーがあり,その後,立ち消えになり,新たに今回の担当の平林さんという記者から依頼があって,ようやく記事になりました。
 最初はどういう切り口かと思っていたのですが,ありがちなギグワークとフリーランスというものではなく,「プロ人材」にフォーカスしたもので,これは良いところに眼をつけてくださったと思いました。フリーランスと一言で言っても,いろんなタイプがあり,そのどこに焦点をあてるかはっきりしなければ政策は的を射たものになりません。そのなかで,今後はこういうプロ人材でなければ生きていけない時代がくるので,そこに政策の焦点をあてるべきなのです。
 プロ人材の方のインタビューの内容も面白いと思いました。最後の方も言われていたように,不確実性時代において,いろんなコミュニティーに帰属することが重要だというのも同感です。正社員というのは,会社というコミュニティーに帰属し,そのメンバーとして忠誠を尽くすもので,安定性はあるものの,制約も大きいです。しかも,その安定性は徐々にゆらいできていますし,また安定性を得るために失うものが大きすぎてペイしないという問題もあります。後者は,損得を評価する基準が変わってきていることとも関係します。ある組織で出世すること,お金をたくさん稼ぐことといったものより,真にやりがいのある仕事を充実感をもってやること,仕事は生活のなかの一部にすぎず,大事なのは幸せと感じられる毎日をすごすこと,といった価値感をもった人が若い層を中心に出てきていると思います。私は,そういう価値観に強いシンパシーを感じています。プロ人材というと,何か特別な人材であるような感じもしますが,そうではありません。デジタル技術のおかげで,自分がやりたいことをやるという当たり前のことが,やりやすい時代に来ていること,一方で,そのデジタル技術が,むかしふうの会社員の仕事を奪っていくこと,という両方を考えると,会社員ではなく自律した働き方を選ぶのはごく自然なことなのです。そして,そういう働き方をして経済的に自立していくためにはプロにならざるを得ないのです。ただ,そこでいうプロというのは,プロ野球選手のようなとてつもない才能や技能をもつことを指すのではなく,自分の住んでいる(大小さまざまな)コミュニティーのなかで,他人にはできないような得意技をもって貢献するといったプロでもよいのです。今回の記事が,こういうことを考えてもらえるきっかけになればよいと思います。

2022年9月 4日 (日)

オンライン会議の弱点?

 今年の甲子園の高校野球は,それほど雨の影響を受けなかったのではないでしょうか。日本全国を見渡すと,大きな水害をもたらした豪雨が多かったようですが,神戸ではそれほどひどい雨がありませんでした(これからは,わかりませんが)。ひょっとすると気候変動の影響はこういうところにも及んでいるのかもしれません。各地域の気候の特徴というものが,今後,どんどん変化していくのでしょうかね。
 ところで話は変わり,産政研フォーラムの134号で,いつも楽しみにしている大竹文雄さんの連載エッセイ「社会を見る眼」の今回のテーマは「オンライン会議は創造的な発想を阻害する?」というものでした。海外の実験データなどに基づき,結論はイエスであり,ただ集中力が必要な会議は,オンライン会議のほうが優れているとされ,結びは「私たちは,オンライン会議と対面会議とをうまく組み合わせていく必要がある」というものでした。まあ,そういうところかなとは思うのですが,一人の人間単位で考えた場合には,ハイブリッド方式は生活のオーガナイズが難しくなり非効率な感じもしますので,会社内で,この部署や業務は対面会議中心,この部署や業務はオンライン会議中心というように切り分けたほうがよいように思います。
 みんなが集まって雑談できるような環境こそ創造性を生むということは,よく言われてきました。それはそのとおりなのだと思います。私たちのコミュニケーションとは,言語的な情報のやりとりだけでなく,非言語的な情報のやりとりをしており,これがテレワークでは難しいのです。五感をつかった感覚的な情報や体験情報はテレワークでは伝わにくいということです。創造性には,こうした非言語的な情報が役立っているということは,直感的にもよくわかるので,これはテレワークの弱点といえるのかもしれません。
 たとえば会社員ではなく自身の職場をもっている作家や芸術家のような人たちは,どうやって創造的な仕事をしているかというと,おそらく自分で進んで外の刺激を求めて動いているのだと思います。自宅にこもっていては行き詰まるのは当然でしょう。会社員の場合は,オフィスに出社することもそれに含まれますが,何か決まった時間に,どこかの場所に行くことを強制されるということにいなると,それは創造性に必ずしもプラスにならないような気もします。
 創造性を要する仕事で,期待どおりの創造性を発揮してもらうためには,仕事の時間や場所の決定権はできるだけ本人に与えたほうがよいのです。創造性のポイントは,オンラインか対面かということより,個人の選択肢がどれだけ広く認められるような働き方のスタイルを認めるかなのだと思っています。その意味でも,時間や場所の自己決定ができる時間主権や場所主権が大切なのです。

2022年9月 3日 (土)

前期終了

 LSの期末試験の採点関連の作業がすべて終わり(厳密には不服申立てがあった場合の対応が残っていますが),やっと2022年度前期のすべての作業が終了しました。すでに9月で,来月初めから後期の授業が始まります。
 今学期の期末試験は,学部はWordでの答案提出で,LSは対面式の試験で手書き答案でした。こちらが文章を読むつらさは,LSのほうが深刻でした。LSの答案は,PDFファイルにしてもらったので拡大することができたのですが,拡大しても読めない字があってちょっと苦労しました。私は自分が悪筆なので,学生が解答のために懸命に書いた文字は,たとえ解読困難であっても,できるだけ理解しようと努力しています。とはいえ,字はきれいなほうが助かります。現在は法曹になっても手書きでやるようなことはないでしょうから,LSの期末試験も手書きは止めたほうがよいと思います。不正などの防止は必要ですが,パソコンで答案を書けるようにしてもらえないですかね(毎回言っていることですが)。
 ただ学部の採点が楽であったかというとそうではなく,どういうわけか今学期は他学部の受講生が結構いて,200以上の答案をみるのは苦痛でした。採点がぶれないように,できるだけ短期にやろうとしたのですが,画面をずっとみてやっていると気分が悪くなりました。「採点酔い」のような状況です。適宜休んではいたのですが,不十分だったのでしょうね。もっと休息の入れ方を工夫すればすむ話なのですが,苦痛をともなう作業でした。しかも学部のほうは,当初の採点で,優をつけすぎて,それを調整する作業が大変でした。従来は不可の答案を,なんとか見直して,可に上げられないかという点検をしていたのですが,今回は優のなかから良に下げる答案を選別する作業であり,これはこれで(精神的に)苦痛でした。
 大学教育の見直しも言われるなか,答案は電子答案とし,採点はAIがやって,教員は最終チェックのみやるという方法が望ましいと思います。自分で手書き答案をすべて採点したいという先生は,そうやってもらって結構ですが,選択制にしてもらえれば助かります。AIに任せるなんてけしからんという人はいるでしょうが,評価は人間がやったほうがよいというのは,思い込みにすぎないのです。人間がやったほうが,ミスが多いのです。人間のミスに寛大すぎることが,デジタル化を阻んでいるという,いつもの話になります。

2022年9月 2日 (金)

Une Intime Conviction

   実話に基づいたフランス映画だそうです。邦題は,「私は確信する」です。ある大学教授Jacques Viguierが,妻Susanneを殺した容疑で逮捕されましたが,証拠不十分で釈放されました。それから10年後に突然起訴されることになります。
 Susanneの死体はみつかっていません(彼女は名前だけで,映画では一度も登場しません)。殺人の証拠はなにもありません。いつ,どこで,どのように殺したかも不明です。
 そんななか重罪の刑事裁判を扱う重罪院(cour d'assises)は,参審制のようですが,そこで彼は無罪となりました。かつてのフランスではここで終わっていたのですが,制度改正があり,二審制となっていました。それでも普通は,検察官は,いったん無罪となった事件について控訴しないのですが,異例の控訴をしました。
 1審で陪審員として参加していた,シングルマザーで,シェフのNoraは,Jacquesの無罪を信じて,腕利きの弁護士Éric Dupond-Moretti(現在のフランスの法務大臣)を,駆り出そうとします。最初はいやがっていた彼ですが,引き受けるときにNoraに条件をつけます。それは,彼の助手のような形で,膨大な通信録音記録を紙にまとめることです。Noraは,一人息子の家庭教師をしていたJacquesの娘のためにも,二審でも無罪を勝ち取ろうとしていました。Jacques の裁判は必ずしも有利には進んでいませんが,職場にも,一人息子にも迷惑をかけながらも,ひたすら録音テープを聴き続けます。そして,裁判の進行に合わせて,的確なメモを Éric に渡し続けます。それで,なんとか盛り返すことができています。
 あやしいのはSusanneの愛人であったDurandet という男です。彼がマスメディアやネットを使ってJacquesを批判する発言をして,世間がJacquesが犯人であるという印象を持つように誘導していました。それが検察官にも影響しているようです。しかし,しだいにNoraは,Jacques が無罪というだけでなく,Durandetこそが犯人ではないかと考えるようになります(可能性としては,Susanneの失踪という線もありましたが)。
 この映画のタイトルは,原語からすると「心からの確信」というような意味でしょうか(あまり自信はありません)。Noraがなぜ他人の裁判にここまで入れ込むのかは理解できないところもありますが,無罪の人が有罪になるのは不正義だという純粋な信念からなのでしょう。Intimate の原義は「深いところから」というような意味です。そこからごく親しいというような意味も派生しています。Noraが無罪と確信するのは,ほんとうに心の深いところからそう思っているということなのでしょう。
 この映画では,フランスの警察も検察も裁判所も,推定無罪の原則を軽視し,警察はろくな捜査をせずにJacquesを犯人扱いし,検察も仮説と想像だけでJacquesが犯人というストーリーをつくって起訴していました。しかも裁判長までそのストーリーに乗りかけているなか, Éricは,証拠がない以上,推定無罪であるはずだということを,最終陳述で説得的に述べます。ここは感銘を与えます。
 一方で,Éricは,Noraが,DurandetがSusanneを殺したとする見解について, Éricはそれも仮説にすぎないとしてはねつけます。Durandet にも推定無罪があてはまるということです。Éricは,証拠に基づいた裁判をすべきで,安易に想像で物を言ってはならないという警告をしたのだと思います。仮説で人を罰するなということでしょう。
 とはいえ,Jacques が無罪となったのには,Noraの物的根拠のないJacques 無罪の「確信」があり,その正義感も大いに意味があったのです。ただ裁判でJacquesが勝てたのは,判事たちにJacques 有罪の確信がなかったからです。Éricが勝てたのは,真犯人が誰かを追求するのではなく,Jacquesが犯人である証拠がないというところにこだわったところにありました。弁護士としては当然のことですが,裁判というのも一つの専門的なゲームなのであり,素人のNoraの情熱とプロの技をもつ優秀な弁護士がタッグをくんで,Jacques 無罪を勝ち取ったのだと思います(映画のエンドロールでは,その後も,Susanne は見つかっていないし,Durandetもつかまっていないことが,流れていました)。
 私たちのいまいるネット社会では,簡単に犯人の決めつけがなされ,それが私たちの「確信」につながってしまう危険性があります。そうした主観的な犯人像の形成が,検察官や裁判員の判断に影響してしまうおそれもあります。推定無罪の原則,証拠に基づく裁判という原則の重要性を改めて確認させられるような映画でした。
 東京五輪の汚職事件では,どんどん検察から(?)リークがされている点が気になります。裁判所が有罪という判断をするまでは,私たちは,安易に有罪を「確信」しないように気を付ける必要があります。

 

2022年9月 1日 (木)

王座戦始まる

 将棋は王座のタイトル戦が始まりました。久しぶりに藤井聡太竜王(五冠)がいないタイトル戦です。永瀬拓矢王座に豊島将之九段が無冠返上を目指して挑み,初戦は豊島九段が快勝しました。終盤はAbemaで観戦していましたが,永瀬王座は勝ちがないのに,やや見苦しい抵抗をしていました。粘りが身上の棋士なのですが,アマチュアファン的には,あまり面白みのない将棋です。豊島九段は淡々と指す感じで対照的です。第2局は913日です。
 豊島九段は,王位戦でも挑戦者で,藤井王位に挑戦しています。コロナ陽性で延期となったあとの第4局で敗れ,後がなくなりました。この対局も,藤井王位の快勝でした。ここから3連勝でタイトルを奪取するのは難しいかもしれません。95日・6日に第5局が行われます。
 藤井竜王(五冠)は,棋王戦の挑戦者決定トーナメントで久保利明九段に勝ちベスト8に進出です。挑戦権を得て,渡辺明棋王(名人)からタイトルを奪取して六冠になるかが注目されています。次の対局は,豊島九段と阿久津主税八段の対局の勝者です。
 里見香奈女流五冠は,西山朋佳女王がタイトルをもっているマイナビ女子オープンの本戦の第1回戦で,脇田菜々子女流初段にまさかの敗戦となりました。ボクシングでいうとカウンターパンチを一発食ったというような衝撃の手(相手の歩の前に銀を打つという手)を指されてしまい,そのまま押し切られました。大本命の里見さんの敗退で,他の有力女流棋士はチャンス到来と思っているでしょう。
 里見さんは,西山朋佳女流二冠に挑戦している白玲戦の第1局では先勝していますが,若手棋士が参加する一般棋戦の加古川青流戦ではベスト8まで勝ち残っていましたが,斎藤優希三段に敗れてしまいました。忙しいスケジュールですが,棋士編入試験には,しっかり調子を上げて臨んでもらいたいものです。注目の第2局は,922日で,岡部怜央四段と対局します。

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