朗読
読点とは,広辞苑によると,「意味の切れ目を示し,読みやすくするために文中に施す点」とされています。読むための便宜ということでしょう。しかし,意味の切れ目というものもあるので,単なる読むための便宜ではないところもあるでしょう。
朗読用となると,読点はもう少し違った付け方となる可能性もあります。聞き手が,文章をみていない場合には,変なところで切ると意味が不明となりかねないし,かといって長すぎるとやはり意味を追えなくなるので,意味のかたまりを意識しながら適切なところで切って読むことになるでしょう(英語のslash readingがこれに対応しますかね)。上手な朗読は,さらに意味の重要性に応じて抑揚をつけて読むものだといえます。
子どもたちに音読をさせる効用はいろいろあります。素晴らしい文学作品を目からだけでなく,耳から学ぶというものです。斎藤孝さんの本に『声に出して読みたい日本語』(草思社)がありますが,これは日本語の暗誦文化を意識したもののようです。また,教師的な発想からは,音読させると,文章をよく理解できているかどうかがわかるという効果もあります。上手な朗読は聞きやすいと同時に,本人の優秀さをよく伝えるものとなります。後者の点では,アナウンサーのように流暢に読めなくても,かまわないのです。
ところで,子どもの絵本に,文章をすべての言葉ごとに区切っているものがあります(読点ではなく,スペースが入っています)。これは誰のためにそうしているのか,わからないところがあります。絵本を読むのが親であるとすると,親にとっては細切れ文章はとても読みにくいですし,子どもに,そうした文章を聞かせるのは教育上よくない気がします。こういうのは,はじめて日本語を読むときに,すべての言葉を辞書で調べる必要のある外国人にはよいかもしれませんが。
話は変わって,朗読というと,前から気になっていることがあります。それは岸田首相の演説です。いつも原稿を朗読しているところからして気に入らないのですが,その朗読にしても,変なところで切ったり,強調したりすることがあり,それがとても気になるのです。言語は明瞭でその点では聞きやすいのですが,切り方が変なので,ひょっとしてこの人は読んでいても意味がよくわかっていないのではないかと疑いたくなります。さすがに,一国の首相がそんな低レベルなはずがないのですが,聞いていてとても気になる人もいるのではないでしょうか。政治評論家の伊藤惇夫さんも同じようなことをテレビで言っていたような記憶があります。
せっかくの夏休みということなので,ゴルフをするのもよいですが,読み方の訓練に少し時間を充ててみてはどうでしょうか(余計なお世話でしょうが)。本来,政治家にとって演説はとても重要なものです。岸田さんは,首相公選制になれば,当選できないタイプでしょう。もちろん言葉巧みな演説で人心を惑わすような凄いoratore (演説者)が出てくるのも恐ろしいですが。
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