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2022年8月28日 (日)

大学教員と無期転換

 昨日の神戸労働法研究会では,専修大学事件・東京地判令和31216日が採り上げられました(控訴審もすでに出ていて,原判決維持のようです)。大学のドイツ語の授業担当の非常勤講師について,労働契約法18条(5年で無期転換)の特例(10年で無期転換)を定める科学技術・イノベーション創出の活性化に関する法律(イノベ法)15条の21項が適用される「研究者」に該当するかが問題となったもので,判決はこれを否定しました。大学の教員は研究業績に基づいて採用された場合でも,実際に行う業務が教育だけのとき,10年の特例の対象となる「研究者」には該当しないということです。
 判決は,次のように述べています。
 「科学技術に関する試験若しくは研究又は科学技術に関する開発(同法2条1項の定義する「研究開発」と同旨。以下「研究開発」というときこれを指す。)は,5年を超えた期間の定めのあるプロジェクトとして行われることも少なくないところ,このような有期のプロジェクトに参画し,研究開発及びこれに関連する業務に従事するため,研究開発法人又は大学等(同法2条の定義によるもの。以下「研究開発法人」,「大学等」というときこれを指す。)を設置する者と有期労働契約を締結している労働者に対し,労契法18条によって通算契約期間が5年を超えた時点で無期転換申込権が認められると,無期転換回避のために通算契約期間が5年を超える前に雇止めされるおそれがあり,これによりプロジェクトについての専門的知見が散逸し,かつ当該労働者が業績を挙げることができなくなるため,このような事態を回避することにあると解される」。このため,研究に従事しない非常勤講師は,研究者に含まれないというのが,この判決の結論です。
 非常勤講師がイノベ法の特例規定の対象か,あるいは,大学の教員等の任期に関する法律(任期法)にも同様の特例規定があるのですが(71項),その対象者(同法41項)かについては,不明確なままでした。厚生労働省のリーフレット 「大学等及び研究開発法人の研究者、教員等に対する労働契約法の特例について」では,任期法の適用対象となる「教員等」には,「教育研究の分野の分野を問わず,また,常勤・非常勤の別にかかわらず対象となります」と明記され,またイノベ法の前身である「研究開発システムの改革の推進等による研究開発能⼒の強化及び研究開発等の効率的推進等に関する法律及び⼤学の教員等の任期に関する法律」について,「15条の2による特例の対象者と有期労働契約を締結する場合には,相手⽅が特例の対象者となる旨等を書⾯により明⽰し,その内容を説明すること等により,相⼿⽅がその旨を予め適切に了知できるようにするなど,適切な運⽤をお願いいたします」と記載されていました。本件でも,大学は,原告労働者との間の2014年度以降の契約書には,イノベ法15条の2による特例の対象者となることが記載されていました。
 ということで,今回の判決は,大学側にとっては不意打ち感があることは否めないでしょう。判決だけをみると,理論的には,こういう判断もありえると思いますが,そうでない解釈もありえるのです。要するに,特例の対象者について,イノベ法でも,任期法でも,その範囲は必ずしも明確ではないのです。こうなると,各大学で書面明示し,説明して,内容が労働者に了知されるよう運用してほしいという厚生労働省の指示は,手続はきちんとやる必要があるが,それさえしていれば,特例制度の運用自体は各大学にゆだねる趣旨と読むこともできそうです。ましてや契約書をとおして同意を得ていたとなると,大学側はやるべきことはやっていたのではないかという気もします。
 この点は実は,私が前から指摘している規範的概念を含んだ強行規定の弊害の一パターンといえるでしょう。企業は労働者の同意を得ていても,裁判所の判断で後から同意の存在を覆すことが可能となってしまうのは,労働契約のような継続的な関係においても望ましくありません。やってはいけないことをやっていたのだから仕方がないというのが裁判法学的労働法の発想ですが,人事労働法的には,労働者の納得同意を得ていれば,やるべきことはやっていたとみるべきではないかと考えます。私は労働契約法18条の無期転換権の行使についても納得同意がある場合は,放棄は可能と解しています(拙著『人事労働法』(2021年,弘文堂)83頁)が,特例の適用(5年要件から10年要件への緩和)であればいっそう納得同意があれば,その内容どおりの効果をみとめてよいと考えることになります(ただし本件で「納得同意」があったかどうかは不明)。
 ところで判決によると,特例が設けられたときの法律案の国会審議で,法律案を提出した議員が,「多様な形態が存在する講師の個々のケースが「研究者」に当たるかは,最終的には個別具体的な事例に即しての判断がされるものであり確定的なことはいえないこと,大学における教育は研究と不可分のものであること,講師は,常勤,非常勤を問わず,教育研究を行う教授又は准教授に準ずる職務に従事する職と学校教育法に位置付けられていることを踏まえると,基本的には「研究者」に該当すると考えていること,講師の定義としても,教授又は准教授に準ずる職務に従事する職と学校教育法に位置付けられていることを踏まえると,講師は基本的には「研究者」に当たることなどを回答した」とされています。講師を研究者とする解釈をとることは立法者意思としても支持しうるようです(もっとも,そもそも立法者意思とは何か,これを法の解釈でどこまで重視するかは,明確でないところはあるのですが)。こうした点も,やや大学側に同情的になる理由の一つです。
 そもそも,この国会での答弁でいうような「最終的には個別具体的な事例に即しての判断がされるものであり確定的なことはいえない」というのであれば,将来的に解釈をめぐる紛争が起こることは予想できたのであり,それに対処せず,裁判所の判断に任せてしまっている点は,私に言わせれば立法府として無責任です。紛争が予想されるなら,責任をもって対処すべきでした。例えば,法令中に,行政によってどのような場合であれば講師が特例の対象となるかの判断基準を定める指針を設けることを授権する,あるいは一定の基準を法令で定めて,大学側でが過半数代表などと協定を結び(あるいは,労使委員会で決議をし),事前に対象者を確定して行政に届け出るような方式(企画業務型裁量労働制を参照)をとることもできたでしょう。個人的には,事前に特例の適用対象者適格を審査する行政手続を設けるなどの方法もありだと思っています(『人事労働法』では,労働者性や偽装請負性などについて事前審査手続を設けるべきではないかという提言をしています)。規範的な概念を使うことが避けることができない場合には,強行規定にすべきではないですし,もし強行規定にするのであれば,裁判所の解釈に丸投げしないようなやり方を考えるべきなのです。
 別に大学側の肩をもつわけではありませんが,コンプライアンスをいう場合には,コンプライすべき法令の内容が明確でなければなりません。本件の事情をふまえると,本判決の結論はあり得るものだったとしても,大学を非難するのは適切とは思えないのです(かつて,労働基準法412号の管理監督者についても同じような趣旨のことを書いたことがあります。曖昧な適用除外規定を設けて,企業を罠に誘導するようなことはやめろということです。これは,ひいては労働者のためにもなりません)。
 しかし,これとは別の意見もありえます。まず,この原告労働者のように,平成元年から長期的に有期労働契約を更新している以上,無期労働契約で雇用すべきではないかという議論は当然出てくるでしょう。大学にとっての不可欠の労働力である以上,無期雇用だろうということです。
 また,イノベ法の前身の法律の略称は,「研究開発力強化法」であり,そこでいう「研究開発」には,「人文科学のみに係るものを除く」とされていました(当時の21項)。その後の201312月の改正で,15条の2の特例が追加されたとき,「人文科学のみに係るものを除く。第15条の21項を除き……」とされ,人文科学のみにかかる研究開発も,特例の対象には含められることが明記されました。2018年に名称変更されたイノベ法でも,21項は同じでしたが,2020年改正で,「この法律において「研究開発」とは,科学技術に関する試験若しくは研究又は科学技術に関する開発をいう」となっており,人文科学の除外文言がなくなりました。つまり15条の21項の特例との関係では,2013年以降,人文科学はずっと排除されてはいないのですが,上記の法律の当初の文言からもわかるように,イノベ法自体は,2020年改正までは,理系を主たる適用対象と考えていたものではないでしょうか。文系や理系という区分は意味がなくなりつつあるとはいえ,研究スタイルなどでは理系と文系はかなり違うことが多いのであり,それが研究プロジェクトに要する期間といった点での違い(5年を超えるプロジェクトが多いかどうかなど)も生むと思います。判決の結論に賛成できるとすれば,それはイノベ法において,同法の目的の観点から設定したといえる特例を,文系のしかも語学の非常勤講師に適用することの違和感から来るのかもしれません(繰り返し述べるように,法律の文言上は,人文科学を含めているので,問題はないのですが)。
 以上のこととは別に,この問題の根っこには,院卒の就職をめぐる「均衡」が生じてしまっていることもあると思います。本件が実際にどうであったかは別として,一般に,とくに教養課程での非常勤講師の活用について,大学にとっては,優秀な人材を安価でかかえることができて,学生に良い授業を提供できるし,学生にとっては,自分が授業料を払っている大学には所属していない優秀な講師の授業が受けられてお得感があるし,講師側にとっても大学院を修了しても良い就職先がないので,とりあえず仕事をすることができる場があることは有り難いし,ということで,この状況を変えようとする動きが出てこないのです。均衡を動かすには,優秀な人材が,その能力を活かす職場で,もっと高い処遇が得られるポストに就くことができるようにすることが必要なのですが,これが日本ではなかなか難しいのでしょう。本件は文系の事件ですが,理系においては,博士課程を出ても就職状況の悪さは深刻と言われています。先日紹介したイタリア映画「Smetto quando voglio」ではありませんが,しっかり勉学をして学位をとった優秀な人材が,粗末に扱われない社会にしなければ,日本に未来はありません。ただ,これは無期転換の要件が10年か5年かというような次元のこととは違う話ではあります(無期転換しても,処遇は原則として同一でしょうし,学生不足で科目が閉鎖されれば,整理解雇となる危険はあるのです)。

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