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2022年8月の記事

2022年8月31日 (水)

労働者派遣法40条の7

 少し前ですが,産経新聞に「刑務所は偽装請負でも採用義務なし 「官民矛盾」判決の波紋」という記事が出ていました。メディアは「官民」格差ネタが好きなようですね。法的には,公務員の勤務関係の特殊性は難問で,民間部門との「格差」がどこまで正当化されるのかは,よくわからないところがあります。
  労働者派遣法40条の6の定める偽装請負(その他の一定の違法派遣)の場合の「労働契約みなし申込み制」は,昨年11月の東リ事件・大阪高裁判決で,はじめて派遣先との直用を認める判決が出たのですが,この判決は今年6月に最高裁で上告不受理決定となり,確定したそうです(担当の村田浩司弁護士による。https://www.minpokyo.org/incident/2022/07/9362/)。
 今回の大阪医療刑務所事件(大阪地判2022630日)は,国の偽装請負をめぐり,40条の7の適用が問題となりました。40条の6とは異なり,40条の7は,労働者派遣の役務の提供を受ける国または地方公共団体の機関に,「採用その他の適切な措置を講じなければならない」と定めるにとどめていて,労働契約の申込みをみなすという規定にはなっていません。
 労働者派遣法40条の6は,立法論としては疑問ありと考えていますが,国や地方公共団体となるとどうかは,あまりよく考えたことがありませんでした。現行法の規定はさておき,理論的には,二つの考え方がありそうです。一つは,公法上の地位の特殊性を考慮して,強制的な採用はできないとする考え方,もう一つは,逆に,国などは民間企業のような採用の自由を主張できる立場にないので,強制的な採用は認められてよいという考え方です。また非常勤職員(公務員)の再任用拒否をめぐる議論も参考にしながら,この面での民間企業の労働者と公共部門で働く労働者(派遣労働者は公務員ではありません)との間の格差をなくしたほうがよいという考え方もありそうです。
 今回の裁判では,労働者は,国が採用をしなかった不作為の違法確認(行政事件訴訟法3条5項),採用の義務付け(行政事件訴訟法3条6項1号または2号),国家賠償法に基づく逸失賃金と慰謝料の請求をしました。
 裁判所は,次のように述べています。
 「私人間における労働契約関係が合意によって成立するのと異なり,国等の機関で勤務する公務員の地位については,国家公務員法その他の法令や条例によって規律されるものであり,国家公務員においては,能力の実証に基づく成績主義(国家公務員法331項)や公正な任用(同条21号)といった原則の下,『採用』は原則として競争試験によるものとされるなど(同法361項本文),採用及び欠員補充に当たって、様々な基準及び手続が法定されていること,常勤の職員については定員が法令等によって定められている他(国家公務員について,行政機関の職員の定員に関する法律1条等),勤務条件や職員への給与の支払につき,法令上の根拠や予算措置が必要であるといった公務員の地位の特殊性を踏まえたものと解される。」とし,また「労働者派遣法40条の71項は,このような公務員の地位の特殊性に鑑み,同法40条の61項の要件を満たす場合であっても,公務員については,派遣労働者の意思によって直ちにその地位が生ずることとなる効果をもたらすことは相当でないとして,国等の機関を同項の定める申込み擬制の対象から外すとともに,派遣労働者の雇用の安定を図るという同項の趣旨を踏まえ,これらの機関に対しては,『採用その他の適切な措置』を講ずべきこととしたものと解される。このような同法40条の71項の趣旨及び性格並びに同条が『採用その他の適切な措置』と規定し,採用は例示であると解されることに照らせば,国等の機関は,同条の要件を満たす派遣労働者からの求めがある場合であっても,直ちに当該派遣労働者に係る労働条件と同一の労働条件を内容とする公務員として採用すべき義務があるものではなく,当該派遣労働者の能力,職務内容,賃金や期間(労働契約の始期及び終期)等の労働条件,派遣労働者からの求めがなされた時期及びそれまでに取られた措置の有無・内容,当該業務にかかる定員及び欠員の状況等の諸般の事情を踏まえ,『採用その他の適切な措置』を講ずべきか否か(例えば求めが行われる前に労働者派遣法40条の7第1項所定の適切な措置に相当する対応がとられていた場合や,求めがあった時点で派遣労働者と派遣元との間の労働契約関係が終了していた場合は,措置を講ずる義務を負わないことも考えられる。)や,講ずる場合にいかなる措置を講ずるかを決すべきものであり,その措置の中には,他の機関における非常勤職員募集の情報を提供することや,一定期間経過後に欠員が生ずる見込みがある場合にその情報を提供することなど,当該派遣労働者の雇用の安定に資する事実行為を含む様々な行為が含まれる(したがって,処分に当たる行為に限られない。)と解するのが相当である。」と述べました。
 このように,裁判所は,公務員の地位の特殊性と40条の7の文言などを根拠にして,国に採用義務があるとする労働者側の主張を認めませんでした。このほか,40条の615号の「法律の規定の適用を免れる目的」があったとはいえないとし,さらに国賠の要件と解されている,職務上の法的義務違反もなかったとしました。
  裁判所は手堅い解釈をしたと思います。条文上は「採用その他の適切な措置」としか書かれていないので,採用を義務づけたと解すのは,かなり難しそうです。しかし,同条の制定過程での当時の民主党政権の大臣答弁では,文言は違っても,民間と同じであると述べていたようです。そうだとすると,「採用」以外の「その他の適切な措置」は例外的なものとする解釈もできそうではあります。 労働者側からすると,40条の7がある以上,一定の期待をするのは当然であり,その面を重視すると,裁判で救われてもよいということになりそうです。
  ただ研究者の観点からは,前述のように40条の6がそもそも問題のある規定ですし,また国民目線で考えたとき,国が偽装請負をしたからといって,その事実だけで労働者が国に採用されてしまうことに疑問をもつ人もいるでしょう。
  問題は,政府がこんな法律をつくったことにあります。法律に問題があるので,労働者に期待だけもたせておきながら,裁判所がはしごをはずすようなことが起こるのです。これは40条の6についても同様で,東リ事件のような判決が続々と出てくるとは考えにくいところがあります。裁判官からすると,派遣労働者が,違法派遣をきっかけに,派遣先に直接雇用となるとするのは,ことが労働契約の設定ということであるので,そう簡単には認めるべきではないと考えるでしょう。実際,条文上も,法適用の潜脱目的,善意無過失などの要件があってハードルが高いものとなっています。そうなると,よほどの恵まれた事案でなければ,偽装請負の事例で派遣労働者が直接雇用を勝ち取ることは難しいのではないかと思います。40条の7になると,なおさらです。
 だから経済界は40条の6を受容したのかもしれませんが,それはやはり無責任なことです。紛争が起きてこじれることは容易に予想できたはずです。そして,こうした紛争が40条の7をとおして国にまで及んできているのです。自治体も訴訟に巻き込まれることがあるでしょう。法律は紛争が起きないようにつくったほうがよいのです。紛争の芽があれば,それはできるだけ摘んだうえで,法律をつくってほしいものです。

 

2022年8月30日 (火)

Il traditore 

 昨日,Godfather のことを書いたので,その延長で,イタリアのMafiaものの比較的最近の映画を紹介します。邦題は,「シチリアーノ 裏切りの美学」です。原語は,「裏切り者」という意味です。
 この映画は,Mafia(Cosa Nostra)のボスで,PentitoになったTommaso Buschettaの半生を描いたものです。Pentitoとは,直訳すると「悔い改めた人」ということですが,犯罪者が改悛して当局に協力する者を指すことがあり,ここではこの意味です。
 映画は,Cosa Nostra内部でのPalermo派とCorleone派(Salvatore TotoRiinaがボス)が麻薬取引をめぐって対立するなか,Tommasoが,両派の手打ちを仕切ろうとしますが,うまくいかず,現在の妻と子をともなってブラジルに移住するというところから始まります。Tommasoは,ブラジルで麻薬取引の容疑でつかまり,激しい拷問を受けますが,口を割らず,結局,イタリアに送還されます。そして反マフィアで有名であったGiovanni Falcone判事を相手に組織の実情を話します。その結果,次々と逮捕者が出て,後のマフィア大裁判につながります。裁判では,Tommasoは,かつての親友であり,ブラジルに行くときに自分の先妻の子を託したGiuseppe Calò と対決し(Calòは,ブラジルでのTommasoの居場所について言わないTommasoの子を殺していました。子たちは父の居場所はほんとうに知らなかったのですが),Riinaとも対決し,さらにイタリアで何度も首相をつとめた大物政治家Andreottiの裁判で証言をするなど,なかなか見応えがあります。イタリア全土を震撼させたFalconeの暗殺シーンも出てきます。イタリアの80年代から90年代くらいまでのMafia のことを知るのに役立つ映画ともいえます(あくまでTommaso側からの見方が中心となりますが)。
 Tommasoは,若いころ,ある男の殺人を組織から命じられますが,最初に実行しようとしたとき,その男が洗礼が終わったばかりの息子を抱いていたので,諦めました。Cosa Nostraの掟で,子どもを殺すことは禁止されていたからです。命を狙われているこの男は,その後,外出時には,子どもと必ず一緒にいて,子どもを楯にしていました。Tommasoは,男の息子が結婚したときに,殺そうと決めており,映画の最後のシーンは,その殺人を実行するところで終わります。これは何を意味しているのでしょうか。Tommasoは,組織の掟に忠実な男ということを表現したかったのでしょうか。Tommasoは,Riinaに対しては,麻薬に手をだし,多くの人を殺し,Cosa Nostraを堕落させたと非難しています。一方,Riinaのほうからは,Tommaso が女性にだらしなく,組織で禁じられている離婚をしていることを非難していました。Riinaは恐ろしい殺人者でしたが,愛妻家だったようです。
 Tommasoは,その後はアメリカで過ごし71歳まで生きました。Pentitoは,仲間からするとTraditore です。身内も多数殺されました。それでも彼の証言で,Mafiaの全貌がかなり明らかになったのであり,その貢献は大きなものです。それでもAndreottiは逃げ切りました。国民の多くは,Andreottiがマフィアと深く関係のある政治家であることはわかっているのですが,それでも彼は塀の向こうに落ちずに94歳まで生きました。Riinaは獄中死ですが,87歳まで生きました(イタリアには死刑はありません)。
 主演は,一度見たら忘れない個性的な俳優Pierfrancesco Favino,監督はMarco Bellocchio です。

 

 

2022年8月29日 (月)

個人の命の大切さ

 日本赤軍が1977年に起こした日航機のハイジャック事件(ダッカ事件)で,当時の福田赳夫首相が,「人の命は地球よりも重い」と述べて,超法規的措置により,犯人の要求にしたがい受刑者6人を釈放して国外退去を認めたことがありました。人命よりも重いものはないということを考えさせられた出来事です。テロ犯に屈したという面もありますが,人命を尊重した判断は評価されるべきでしょう。
 現在ウクライナで起きている戦争では,ウクライナ人にしろ,ロシア人にしろ,国のために兵士とさせられ,命を危険にさらし,実際に落命しています(外国人傭兵も多いようですが)。もちろんウクライナには国土防衛という大義があり,そのためであれば個人の命が失われても仕方がないということかもしれません。自ら進んで国のために命がけで戦っている人も少なくないのかもしれません。しかし,そういう面があるとしても,戦争というのは,個人の命が軽く扱われるものであることは確かです。日本では、太平洋戦争で,多くの人が現人神の天皇のために命を落としたことから,戦後はそういう愚かなことが繰り返されないようにするために,憲法は天皇から政治権力を奪い,戦争の放棄を書き込んだのです。
 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は,昨日,ついに源頼家が殺されました。史実では残虐な殺され方だったとされていますが,それよりは普通の殺され方でした。彼は,北条家のために殺されたのです。執権の北条時政にとっては孫ですし,義時にとっても甥です。しかし,妻の実家である比企一族を滅ぼし,妻と長男一幡を殺した北条家に恨みがあった頼家は,反北条でした。時政も義時も反北条の頼家を生かしておくわけにはいかなかったのでしょう。ただ頼朝の長男の頼家の命がとても軽いと思ったのは私だけでしょうか。
 NHKの「英雄たちの選択」で,義時のことが採り上げられたときに,あの『京都ぎらい』(朝日新書)の著者である井上章一氏が,当時,京都からみた鎌倉は,テロが日常茶飯事のおっかないところで,映画の「仁義なき戦い」や「ゴッドファーザー」の世界のように思えただろうとコメントしていました。
 その「ゴッドファーザー」では,Part 2 で,Michaelの兄殺しがあります。初代Godfather,Vito の後継者であったSonnyが射殺され,次男Fredoは頼りないところがあり,三男のMichaelがボスの座を継承したのですが,Fredoは裏切り行為をします。Michaelはそれを許さずに殺すのですが,それはFredoにかわいがられていたMichaelの息子Anthony(母のKayの意向で,父とは違う堅気の道を歩んでいます)に強いトラウマを残します。Michaelの兄殺しは,Corleone家や父から引き継いだ組織を守るための苦渋の選択だったのですが,やはり人の道に反することです。その報いは,Anthonyのオペラデビューの後,Michaelを狙った2発目の銃弾が最愛の娘Maryにあたり,彼女が死んでしまうという形で受けることになります。
 家よりも個人が大切というのは,現代では,あたり前のことのように思います。しかし,歴史的には決してあたり前ではありませんでした。結婚相手は親が決めるということは普通のことでした。家の存続という観点からは,結婚はきわめて重要なことであったので,個人の勝手が許されなかったのです(天皇家では,眞子さんが,これで苦しみました)。生物として考えた場合も,種の保存のために,個の命が軽視されることは普通に起こります(人間でも,飢饉のときの,子の「間引き」などが起きてきました)。そうとはいえ,こうした個の軽視はやはり多くの現代人には耐えられないでしょう。
 家族の大切さを自民党の保守派が主張するとき,これまではそういう考えもあるかなという程度に思っていました。しかし,もしこれが合同結婚のようなことをする宗教団体の教えにしたがったものであったとするならば,激しい嫌悪感を覚えざるを得ません。そして,そうした個人軽視の主張をする政治家たちが,憲法9条改正のような議論を主導するとなると,背筋が寒くなります。
 冒頭の福田赳夫の言葉は,家制度のことや戦争のこととは関係がないのでしょうが,清和会の初代会長の元首相が,個人の生命を重視する言葉を語っていたことは,今日の清和会の議員たちにぜひ想起してもらいたいです。

2022年8月28日 (日)

大学教員と無期転換

 昨日の神戸労働法研究会では,専修大学事件・東京地判令和31216日が採り上げられました(控訴審もすでに出ていて,原判決維持のようです)。大学のドイツ語の授業担当の非常勤講師について,労働契約法18条(5年で無期転換)の特例(10年で無期転換)を定める科学技術・イノベーション創出の活性化に関する法律(イノベ法)15条の21項が適用される「研究者」に該当するかが問題となったもので,判決はこれを否定しました。大学の教員は研究業績に基づいて採用された場合でも,実際に行う業務が教育だけのとき,10年の特例の対象となる「研究者」には該当しないということです。
 判決は,次のように述べています。
 「科学技術に関する試験若しくは研究又は科学技術に関する開発(同法2条1項の定義する「研究開発」と同旨。以下「研究開発」というときこれを指す。)は,5年を超えた期間の定めのあるプロジェクトとして行われることも少なくないところ,このような有期のプロジェクトに参画し,研究開発及びこれに関連する業務に従事するため,研究開発法人又は大学等(同法2条の定義によるもの。以下「研究開発法人」,「大学等」というときこれを指す。)を設置する者と有期労働契約を締結している労働者に対し,労契法18条によって通算契約期間が5年を超えた時点で無期転換申込権が認められると,無期転換回避のために通算契約期間が5年を超える前に雇止めされるおそれがあり,これによりプロジェクトについての専門的知見が散逸し,かつ当該労働者が業績を挙げることができなくなるため,このような事態を回避することにあると解される」。このため,研究に従事しない非常勤講師は,研究者に含まれないというのが,この判決の結論です。
 非常勤講師がイノベ法の特例規定の対象か,あるいは,大学の教員等の任期に関する法律(任期法)にも同様の特例規定があるのですが(71項),その対象者(同法41項)かについては,不明確なままでした。厚生労働省のリーフレット 「大学等及び研究開発法人の研究者、教員等に対する労働契約法の特例について」では,任期法の適用対象となる「教員等」には,「教育研究の分野の分野を問わず,また,常勤・非常勤の別にかかわらず対象となります」と明記され,またイノベ法の前身である「研究開発システムの改革の推進等による研究開発能⼒の強化及び研究開発等の効率的推進等に関する法律及び⼤学の教員等の任期に関する法律」について,「15条の2による特例の対象者と有期労働契約を締結する場合には,相手⽅が特例の対象者となる旨等を書⾯により明⽰し,その内容を説明すること等により,相⼿⽅がその旨を予め適切に了知できるようにするなど,適切な運⽤をお願いいたします」と記載されていました。本件でも,大学は,原告労働者との間の2014年度以降の契約書には,イノベ法15条の2による特例の対象者となることが記載されていました。
 ということで,今回の判決は,大学側にとっては不意打ち感があることは否めないでしょう。判決だけをみると,理論的には,こういう判断もありえると思いますが,そうでない解釈もありえるのです。要するに,特例の対象者について,イノベ法でも,任期法でも,その範囲は必ずしも明確ではないのです。こうなると,各大学で書面明示し,説明して,内容が労働者に了知されるよう運用してほしいという厚生労働省の指示は,手続はきちんとやる必要があるが,それさえしていれば,特例制度の運用自体は各大学にゆだねる趣旨と読むこともできそうです。ましてや契約書をとおして同意を得ていたとなると,大学側はやるべきことはやっていたのではないかという気もします。
 この点は実は,私が前から指摘している規範的概念を含んだ強行規定の弊害の一パターンといえるでしょう。企業は労働者の同意を得ていても,裁判所の判断で後から同意の存在を覆すことが可能となってしまうのは,労働契約のような継続的な関係においても望ましくありません。やってはいけないことをやっていたのだから仕方がないというのが裁判法学的労働法の発想ですが,人事労働法的には,労働者の納得同意を得ていれば,やるべきことはやっていたとみるべきではないかと考えます。私は労働契約法18条の無期転換権の行使についても納得同意がある場合は,放棄は可能と解しています(拙著『人事労働法』(2021年,弘文堂)83頁)が,特例の適用(5年要件から10年要件への緩和)であればいっそう納得同意があれば,その内容どおりの効果をみとめてよいと考えることになります(ただし本件で「納得同意」があったかどうかは不明)。
 ところで判決によると,特例が設けられたときの法律案の国会審議で,法律案を提出した議員が,「多様な形態が存在する講師の個々のケースが「研究者」に当たるかは,最終的には個別具体的な事例に即しての判断がされるものであり確定的なことはいえないこと,大学における教育は研究と不可分のものであること,講師は,常勤,非常勤を問わず,教育研究を行う教授又は准教授に準ずる職務に従事する職と学校教育法に位置付けられていることを踏まえると,基本的には「研究者」に該当すると考えていること,講師の定義としても,教授又は准教授に準ずる職務に従事する職と学校教育法に位置付けられていることを踏まえると,講師は基本的には「研究者」に当たることなどを回答した」とされています。講師を研究者とする解釈をとることは立法者意思としても支持しうるようです(もっとも,そもそも立法者意思とは何か,これを法の解釈でどこまで重視するかは,明確でないところはあるのですが)。こうした点も,やや大学側に同情的になる理由の一つです。
 そもそも,この国会での答弁でいうような「最終的には個別具体的な事例に即しての判断がされるものであり確定的なことはいえない」というのであれば,将来的に解釈をめぐる紛争が起こることは予想できたのであり,それに対処せず,裁判所の判断に任せてしまっている点は,私に言わせれば立法府として無責任です。紛争が予想されるなら,責任をもって対処すべきでした。例えば,法令中に,行政によってどのような場合であれば講師が特例の対象となるかの判断基準を定める指針を設けることを授権する,あるいは一定の基準を法令で定めて,大学側でが過半数代表などと協定を結び(あるいは,労使委員会で決議をし),事前に対象者を確定して行政に届け出るような方式(企画業務型裁量労働制を参照)をとることもできたでしょう。個人的には,事前に特例の適用対象者適格を審査する行政手続を設けるなどの方法もありだと思っています(『人事労働法』では,労働者性や偽装請負性などについて事前審査手続を設けるべきではないかという提言をしています)。規範的な概念を使うことが避けることができない場合には,強行規定にすべきではないですし,もし強行規定にするのであれば,裁判所の解釈に丸投げしないようなやり方を考えるべきなのです。
 別に大学側の肩をもつわけではありませんが,コンプライアンスをいう場合には,コンプライすべき法令の内容が明確でなければなりません。本件の事情をふまえると,本判決の結論はあり得るものだったとしても,大学を非難するのは適切とは思えないのです(かつて,労働基準法412号の管理監督者についても同じような趣旨のことを書いたことがあります。曖昧な適用除外規定を設けて,企業を罠に誘導するようなことはやめろということです。これは,ひいては労働者のためにもなりません)。
 しかし,これとは別の意見もありえます。まず,この原告労働者のように,平成元年から長期的に有期労働契約を更新している以上,無期労働契約で雇用すべきではないかという議論は当然出てくるでしょう。大学にとっての不可欠の労働力である以上,無期雇用だろうということです。
 また,イノベ法の前身の法律の略称は,「研究開発力強化法」であり,そこでいう「研究開発」には,「人文科学のみに係るものを除く」とされていました(当時の21項)。その後の201312月の改正で,15条の2の特例が追加されたとき,「人文科学のみに係るものを除く。第15条の21項を除き……」とされ,人文科学のみにかかる研究開発も,特例の対象には含められることが明記されました。2018年に名称変更されたイノベ法でも,21項は同じでしたが,2020年改正で,「この法律において「研究開発」とは,科学技術に関する試験若しくは研究又は科学技術に関する開発をいう」となっており,人文科学の除外文言がなくなりました。つまり15条の21項の特例との関係では,2013年以降,人文科学はずっと排除されてはいないのですが,上記の法律の当初の文言からもわかるように,イノベ法自体は,2020年改正までは,理系を主たる適用対象と考えていたものではないでしょうか。文系や理系という区分は意味がなくなりつつあるとはいえ,研究スタイルなどでは理系と文系はかなり違うことが多いのであり,それが研究プロジェクトに要する期間といった点での違い(5年を超えるプロジェクトが多いかどうかなど)も生むと思います。判決の結論に賛成できるとすれば,それはイノベ法において,同法の目的の観点から設定したといえる特例を,文系のしかも語学の非常勤講師に適用することの違和感から来るのかもしれません(繰り返し述べるように,法律の文言上は,人文科学を含めているので,問題はないのですが)。
 以上のこととは別に,この問題の根っこには,院卒の就職をめぐる「均衡」が生じてしまっていることもあると思います。本件が実際にどうであったかは別として,一般に,とくに教養課程での非常勤講師の活用について,大学にとっては,優秀な人材を安価でかかえることができて,学生に良い授業を提供できるし,学生にとっては,自分が授業料を払っている大学には所属していない優秀な講師の授業が受けられてお得感があるし,講師側にとっても大学院を修了しても良い就職先がないので,とりあえず仕事をすることができる場があることは有り難いし,ということで,この状況を変えようとする動きが出てこないのです。均衡を動かすには,優秀な人材が,その能力を活かす職場で,もっと高い処遇が得られるポストに就くことができるようにすることが必要なのですが,これが日本ではなかなか難しいのでしょう。本件は文系の事件ですが,理系においては,博士課程を出ても就職状況の悪さは深刻と言われています。先日紹介したイタリア映画「Smetto quando voglio」ではありませんが,しっかり勉学をして学位をとった優秀な人材が,粗末に扱われない社会にしなければ,日本に未来はありません。ただ,これは無期転換の要件が10年か5年かというような次元のこととは違う話ではあります(無期転換しても,処遇は原則として同一でしょうし,学生不足で科目が閉鎖されれば,整理解雇となる危険はあるのです)。

2022年8月27日 (土)

政府のアプリ

 8月も終わろうとしています。朝夕は少し暑さがおさまってきましたが,昼間はまだ暑いです。
 夏休みに子どもたちが外で遊ぶのは熱中症の危険があり,あまり推奨されなくなってきました(かつては日射病と呼ばれていましたが,屋内でも危ないのです)。冷房が効いた部屋は快適ですが,幼児は,汗をかく能力を身につける必要があるそうで,汗をかくのが苦手で熱中症体質になるかどうかは3歳くらいまでに決まるということが,よくネット情報で流れています(真偽の確認は必要ですが)。だからといって,いたずらに暑いところに幼児を引っ張り出すのは,それこそ,汗をかく能力が未熟なので熱中症の危険が高まります。注意しながら鍛えていくということが必要なのでしょうね。昔は30度を超えるなんてことはほとんどなかったので,こんな心配はしなくてよかったのですが,日本は亜熱帯になっているので,過去の常識が通じなくなっています。そうなると電力の心配が出てくるのですが,とくにロシアの動向があるので,このタイミングで岸田首相は原発新増設を言い出しました。世論はどう反応するでしょうか。
 コロナの状況は依然として医療体制への影響が深刻なようで,暑くてもマスクをつけることをまず考えます(とくに軽症でも後遺症が長期的に残る可能性があるというのが気がかりです)が,それはそれでやはり熱中症などの危険もあるので難しいです。暑さ対策,コロナ対策,電力対策を,どううまくやるか。いろいろ知恵をしぼらなければなりません。
 ところで,最近はCOCOAログチェッカーで,11回は濃厚接触がなかったかチェックしています。COCOAアプリは,あまり役に立たないので,消去しようと思っていましたが,このログチェッカーが出てきたので,最近は活用しています。ただアプリ活用者が増えなければ,これも意味がないわけです。理想は,国民全員がスマホを携帯し,このアプリをダウンロードすることですが,うまくそういう方向に誘導してもらうよう河野大臣のイニシアティブに期待したいです。でも簡単ではないでしょうね。マイナカードの取得者についても,マイナポイント付与という露骨な誘導をしているにもかかわらず,想定どおりには増えていないと報道されていました。マイナカードをもつ意味がないと思っている人が多いのでしょう。それにセキュリティも心配ということかもしれません。うまく国民を誘導しなければ,せっかくの技術が,その効果を発揮できなくなります。しかし,それは露骨にカネをばらまくことではないと思います(今朝の日経新聞朝刊の「大機小機」も参照)。政府がやることだから安心という社会になってもらいたいものです。

2022年8月26日 (金)

ネットに依存しなさすぎるのも危険?

 昨日は,ネット依存への警戒感を書きましたが,首相のテレワークは,ネット環境なしの公務だそうで,これもどうかなと思いました。ネットはいまや普通の情報収集手段です。首相自らは情報収集をしなくてもよいということでしょうが,ネットを使えば官僚の手を通さずに,直に自分で情報を収集できるわけで,意欲のある首相であれば,時間的に無理な場合はともかく,少なくともネットの使える環境は用意してほしいと言うと思います。セキュリティが心配と言われていますが,それはきちんと対策をとればよいのであって,それができないというのは,日本のサイバーセキュリティは脆弱であることを世界に知らしめるようなものです。
 現代社会においてネットに無縁の生活をしている人はどれだけいるでしょうか。誰もが朝起きたときから夜寝るまで,程度の差はあれ,スマホやPCで様々な情報を収集します。仕事となると,いっそうそうです。WEB3.0への移行と言われている現在,政府がWEB0レベルではないかが心配です。
 WEB2.0以降,ネットでの情報発信は双方向です。情報はいわば民主化していて,権力者に集中しないようになっています。民間サービスの例ですが,例えば鉄道の事故情報は,鉄道会社の正式な発表は遅れがちで,職員に聞いても要領が得ないことが多いです。しかしツイッターをみると,いろんなところでリアルタイムで情報発信されていて,現時点での各地の運行状況を知ることができます。それにより,次の行動の選択もしやすくなります。天気についてもそうです。天気予報はAIがやりますが,現状や視認できる雨雲情報は,やはりツイッターでの発信が正確で迅速です。
 これらはほんの一例ですが,ネット社会というのは,誰もが多くの情報を標準的に入手できる社会です(フェイクもあるので注意が必要ですが,それは教育で対処すべき問題です)。情報が偏在し,それを独占する者たちが社会を牛耳るということが減ってきているのです。
 ひょっとすると閣僚などの偉い人たちは,情報というのは下から上げてもらうものと思っているのかもしれません。しかし,それはすでに下の者たちが分類整理したバイアスたっぷりのものなのですが,それはどうでもよく,自分の仕事は,優秀な部下が書いた原稿を読むことだと思っているのかもしれません。
 もちろん多忙な政治家が,すべての情報を自分で入手して分析することは不可能です。でも,おそらく普通の現代人(日本人だけではない)は,ネット環境にない状況で仕事をするのは,かなり特殊なことと思っているはずです。その感覚を共有していないかもしれない人たちに政治を任せることには不安がありますね。

  

2022年8月25日 (木)

ネット依存の怖さ

 今朝9時ごろ,突然,ネットがつながらなくなりました。後でわかったのですが,NTT西日本の事故でした。私の住んでいるところは,NTT系のプロバイダーでした。
 当初は原因がわかりませんでした。ほんのたまにWi-Fiルーターの不具合などもあるのですが,LANポートに直接つないでいるPCでも「ネット未接続」であったので,いったいどうしたことかと焦りました。今日は午後に労働委員会の会議へのリモート参加もあり,少し話をしなければならない案件もあったので,復旧しない場合も想定して対策を考える必要があると思っていたところ,1時間くらいで解決してほっとしました。
 スマホは4Gでつながっていたので,ネットが完全に使えなかったわけではありません。それに4Gでつながってさえいれば,プロバイダーのトラブルがあっても,パソコンの使用もテザリングでなんとか対応できたでしょう。ただ,私の携帯はUQモバイルというKDDI系で,これも昨日,東日本のほうで通信障害があったようであり,安心はできません(先日は大きなトラブルがありましたし)。スマホの4Gもアウトになれば大変です。KDDI系以外に,別のキャリアと契約をしておいたほうがよいかもしれませんね。
 いずれにせよ,最初からネットにつながらないところに行くという覚悟があるときとは異なり(その場合には,それなりに準備ができます),突然ネットが使えなくなるというのは怖いです。4Gがつながる場合でも,たとえば長い原稿の執筆は,スマホではできない作業です。
 10年くらい前までは,ネットにつながっていない状況なんてあたり前のことで,それで何も不自由はなかったのですが,すっかりネット依存症になってしまいました。いまの子どもたちは,インターネット前を知らないわけですから,ネットなき状況に突然陥ったときの不安感はいっそう大きいかもしれません。空気のように,どこでもネットでつながる状況にある時代が到来するならともかく,そうでないかぎり,非ネット状況への耐性を鍛えておく必要があるのでしょうね。

2022年8月24日 (水)

夜の来訪者(An Inspector Calls)

 イギリスの有名な小説を映画化したものです。何度も映画化されているものだそうです。以下,ネタばれあり(細部は記憶違いがあるかもしれませんので,そのときはお許しを)。
 1912年。第1次世界大戦より2年前のイギリス。爵位(Knight)をもらう寸前というところまできていた成り上がりの実業家Arthur Birling。長女Sheilaがライバル企業の御曹司Croft家のGeraldと婚約したことで,それを祝う晩餐をしていました。政略結婚はかなりミエミエですが,二人は幸せそうで,Arthurも妻のSybil(上流階級出身でタカピー)も満足しています。弟のEricは,素直に喜んでいるわけではなさそうで,ひたすら酒を飲んでいます。
 そんななか,突然一人の警部Gooleが訪問します。Gooleは,若い女性(Eva Smith)が自殺したと告げて,情報が欲しいと言います。Arthurたちは,自分たちには関係がないことだと思っていたのですが,Gooleは彼女の日記を読んだといい,彼女の過去のことを話し始めます。そこでわかったのは,Evaは,以前にBirling社の工場で働いていたのですが,労働争議の首謀者となり,Arthurに嫌われて解雇されていました。Geraldはアーサーの態度に同調しますが,Ericは非難をします。あまりにも低い賃金を上げてくれという要求をしただけなのに,解雇はひどいというのです(Ericは,父のようなブルジョワに嫌悪感をもっているようです)。Arthur Evaに故郷に帰ればよいと言いますが,Evaは身寄りのない女性でした。しかしそれは2年前のことです。自殺とは直結しそうにありません。その後,Evaは,あるブティックで働くようになります。仕事は順調にやっていたのですが,ある客に理由のないクレームをつけて,二度と店にいないように支配人に命じたため,再び解雇されます。クレームをつけたのが,実はSheilaでした。Sheilaは一緒に買い物に来ていたSybilとの関係があまりよくなく,むしゃくしゃしていました。Evaは美人で,Sheilaよりも洋服が似合いました。そのことへの嫉妬もあったようです。Evaは再び無職となりました。Evaは,男性が女性を買うために集まるバーに出入りするようになり,そこでGeraldと会います。Evaの美しさに惹かれたGeraldは,彼女を囲います(愛人にする)。彼女は幸せな生活をしていましたが,GeraldはSheilaとの婚約があるため彼女と別れることにします。生活苦となったEvaが頼ったのは,女性のための慈善協会でした。Evaは妊娠していました。その協会の会長がSybilでした。Sybilは,妊娠している彼女からの申請に対して,父親は身分違いなので結婚できないと言っていたのですが,Sybilは,その男と結婚して,生活の面倒をみてもらえばよいとして,Evaの申請を却下しました。ところが,Evaの父はEricだったのです。EricEvaと出会ったのは,例のバーでした。EvaにぞっこんであったEricは,父の会社の顧客から金を盗んでEvaに渡していました。彼もお金はあまりもっていなかったのです。しかし,Evaは盗んだ金は受け取れないと言い,またEricからの結婚の申込みにも,身分違いだと言って断っていました。慈善協会からも見放され,生活に窮した彼女が選んだのは自殺でした。
 ところで,Gooleが来たときには,実はまだEvaは死んでいませんでした。Gooleが帰ったあと,Gooleが警官らしくないこと,最初からすべてEvaとArthurらの関係がわかっている感じであったこと,そして記録もとっていなかったことを不審に思ったGeraldは,ひょっとすると自分たちが関わったEva(彼女は様々な偽名をつかっていました)が同一である保証はなく,これは誰かが自分たちを陥れるためにした策略ではないかと言い出しました。Arthurは警察の署長に電話をして,Gooleのことを聞きましたが,そんな警部はいないという返事でした。Geraldも自殺者がいたかを調べたところ,そういう人はいないということでした。少なくとも,彼らが会ったGooleは存在せず,Evaも自殺していないことがわかり,EricSheilaを除き,喜びの乾杯を始めました。しかしSheilaはGooleが語ったことは,すべて真実であったことにこだわっていました。そしてEricは,彼女を探しに行こうと言い始めました。
 そんなときに1本の電話がかかってきました。警察から,若い女性が自殺したという連絡があり,これから事情聴取に来るということでした。Goole は,Evaの死体に向き合い,その手をとっていましたが,次のシーンでは忽然と消えていました。Gooleは何者だったのでしょうか。なぜEvaの自殺を予測していたのでしょうか。答えは一つですね。
 裕福な人は,困窮している人のことも考える責任があるというGooleの言葉は,とりわけ絶望的な身分格差があるイギリスでは,重い言葉でしょう。

2022年8月23日 (火)

首相のテレワークに思う

 さすがにこれだけ連日,旧統一教会系のニュースが出てくると,自民党の支持率が下がるのはやむを得ないでしょうね。岸田首相としては,清和会の問題と言いたいところでしょうが,自分で選んだ閣僚にも教団と関係があった人がたくさんいるし,報道が確かであれば,前経産大臣で現在の自民党の政調会長は教団と濃密な関係があります。首相は得意の「検討する」とか「しっかり取り組む」という類いの言葉で逃げ切るのは容易ではないしょう。
 コロナ感染は気の毒ですが,タイミングとしては最悪で,同情よりも危機管理のなさが非難されています。テレワーク派としては,ここで首相も公務をテレワークでしっかりできるとアピールして,日本でのテレワークの定着に貢献してくれればよいなと思っていたのですが,テレビで映し出されていたのは,モニターの向こうで首相が話をしていて,手前にぶら下がり記者が並んで聞いているという異様な風景です。ここはZoomミーティング(役所だからWebEXか?)だろうと,多くの人がツッコミを入れたことでしょう。首相がリモートなのだから,ぶら下がるほうもリモートでということにならないのが情けないです。
 岸田首相が行く予定であったTICAD(アフリカ開発会議)では,最後のフロンティアと言われているアフリカをめぐる重要な話合いが予定されているようです。首相がリモートで参加するということで,これでうまくいくのなら,別にいちいち国際会議に行く必要はないことになり,こういうことが積み重なっていけば,テレワークの推進に追い風となるでしょう(航空会社は出張がなくなり困るでしょうが)。他方で,国際会議で大切なのは,公式のやりとりだけでなく,メディアでは扱われない「密約」のようなものなのだという話もあります。公式のやりとりは儀式にすぎないので,見栄えがどうかという問題を除けば,リモートでもやれてしまうのでしょうが,首脳どうしが腹を割った話をするのは対面型でなければできないのかもしれません。個人的には,そういう密約的なもので物事が決まっていくことに不信感があるので,やはりテレワークでやってもらいたいと思う反面,外交が現実には密約で決まるのであれば,リモートでしか参加できない今回の状況はデメリットになると思うところもあります。
 ところで,まったく次元が異なることですが,私は海外旅行のような大きな行事がある前には,風邪をひくなど体調を崩さないように注意をするようにしてきました。もう10年くらい前になるでしょうか,海外旅行の前に,ついうっかりと,ある焼き鳥屋(その頃は六甲にあった名店で,いまは芦屋にあり,巨人の選手が遠征時に食べにいく店です)で,店長の勧める生の鶏肉をつい食べてしまって,あとで深く後悔したことがありました。そのときは酒をけっこう飲んでいたので,勢いで食べてしまったのですが,カンピロバクターの恐怖にその後ずっと苛まれました。幸い発症はせず(店長は信頼のおける人で,たぶん心配のない鶏肉だったから出してくれたのでしょうが),事なきを得ましたが,そのときの経験から旅行前は食べ物も含め,いろいろと注意をする必要になりました。いまは海外旅行はしませんが,コロナ禍という状況なので,何か大きなイベントがある前には,他人にはできるだけ会わないようにするなど行動を自制しています(もともと自制をしていますが)。
 もちろん首相の今回のことは,久しぶりの休日で自身の休息や家族サービスをしていたのでしょうし,そのことを責めることはできません。休息や家族サービスはむしろ好ましいことであり,むしろ自身の健康や家族を犠牲にして政治一筋という人は,国民にも無理なことを求めてきそうで,かえって信用できません。とはいえ,このタイミングでの感染は,イメージとしてはよくないですね。

2022年8月22日 (月)

兵庫県の地域別最低賃金は960円

 兵庫県の2022年度の最低賃金は960円となりました(兵庫地方最低賃金審議会が労働局長に答申して,これで事実上確定です)。中央最低賃金審議会の目安の31円より1円アップです。神戸新聞NEXTの記事 「兵庫県の最低賃金960円に 32円引き上げ、物価高騰で過去最大の上昇幅」によると,使用者委員は14円,労働者委員は35円を主張し,「最終的に中立的な立場にある学識者らの委員が,物価高による個人消費のひっ迫が想定されると指摘し,32円増で決着した」そうです。学識者らの委員とは公益委員のことでしょう。兵庫の公益委員には労働法関係者はおらず,最低賃金は法的な問題ではないということでしょうね。
 時間あたり32円アップということで,これで過去2年間で60円の大幅アップです。物価が現時点ではまだ海外ほどは上がっていないなかで(体感ではかなり上がっているのですが),思い切った引上げですが,中小企業にはかなりきついものかもしれません。また兵庫県は,阪神地区は大阪と労働市場が一体化していますが,それ以外の地域は違うので,引上げの影響は重くのしかかるかもしれません。
 原材料の高騰もあるなかで,最低賃金の引上げとなると,私が経営者ならデジタル化による省人化をいっそう進めようと考えたくなるかもしれません。日本人の約7割は中小企業で働いているのであり,そこの経営が危なくなると失業問題が発生するでしょう。大事なことは中小企業と大企業との間の取引が適正に行われるようにすること(独占禁止法や下請法の問題です)であり,また中小企業のデジタル化への政策的なてこ入れでしょう。後者は,雇用政策的には逆効果(雇用減)となる可能性がありますが,時代の流れでもあり,やむを得ないでしょう。最低賃金をこれだけ急速に上げるとなると,(少し前に適用除外に消極的な意見を書いていたのですが)スタートアップには最低賃金の減額特例のようなものを考えてもよいかもしれません(現行法上は,最低賃金法7条で,一定のカテゴリーの労働者に対して,都道府県労働局長の許可を得られれば,減額の特例が認められています)。

2022年8月21日 (日)

映画「Smetto quando voglio」

 イタリア映画「Smetto quando voglio」の3部作をみました。2本目のタイトルは,「Smetto quando voglioMasterclass」,3本目のタイトルは「Smetto quando voglio- Ad honorem」です。邦語タイトルは,「いつだってやめられる 7人の危ない教授たち 」「いつだってやめられる 10人の怒れる教授たち」「いつだってやめられる 闘う名誉教授たち」です。「いつだってやめられる」まではよいですが,そのあとはちょっと意味不明です。劇中では主人公のZinniProfessore と呼ばれているのですが,これは「教授」という意味ではなく,たんに「先生」くらいの意味で(実際,刑務所で受刑者相手に授業を担当している),大学の講師クラスでも「Professore」と呼ばれるのですが,Professore a contratto(任期付き講師)のような表現になるので,これを「教授」と訳してしまうと意味が違ってきます。それとも「教授」くらいの能力がある人だからという意味をこめて「教授」と呼んでいるのでしょうかね。
 それはさておき,登場人物は,大学のすぐれた研究者であったのですが,大学の資金不足で政府の援助もなく,研究を諦めざるを得ず,アルバイトやそれに毛の生えた程度の仕事で糊口をしのいでいます。主人公のPietro Zinniも,優秀な研究者でしたが,教授のサポートを得ることができず(それどころか大切なプレゼンの場で,教授のミスでプロジェクターが使えなくなるなどの迷惑をかけられます),結局,契約が更新されず失業してしまいます。パートナーのGiuliaに,ほんとうのことを言えなかったPietroは,窮余の策として,合法的なドラッグを製造して売ることを考えます。6人の研究者仲間を集めて,それぞれの専門を活かすと製造できるのです。これが当たって,お金持ちとなります。しかしGiuliaにバレてしまい軽蔑されるし,縄張りを荒らされた「業界」のMurena に脅されて,Giuliaを誘拐されてしまい,解放の条件として大量のドラッグの引渡しを求められます。その製造に必要な原料を仕入れるために薬局に侵入したときに,店番にいた者(Zinniの生徒)にケガを負わせてしまいます。その後もいろいろあるのですが,結局,Zinniが刑務所に収監されるというところで,話は終わります。
 続編は,Zinniたち一味(banda)の力を認めた警察が,釈放と犯罪歴の消去を条件に,ちまたにでまわっている30の合法ドラックの成分分析をすることを依頼し,彼らはこれに成功します(メンバーが3人追加されています)。ノルマを達成してお祝いをしているところに,最後にもう一つSOPOXというドラッグの分析を依頼され,苦労の末,製造のアジトをみつけたのですが,犯人たちはすでに脱出していました。ちょうどタイミング悪く,ある女性ジャーナリストが警察とZinniたちの協力関係をすっぱ抜いたところ,警察はZinniたちとの関係を認めず,逆に彼らはSOPOXの製造の犯人として全員捕まります(Zinniは,出産したGiuliaのところに駆けつけて,子どもの顔を見ようとしたところで捕まるという切ないシーンもあります)。Zinniは,SOPOXが神経ガスであることに気づいたところで,話は終わります。
 3作目は,SOPOXを使ったテロの可能性を察知したZinni は,第1作でZinniにはめられて収監されていたMurenaの協力を得て,全員の脱獄を成功させます。Rebibbia刑務所からの脱獄ですが,ちなみにRebibbiaは,ローマの地下鉄のA線の終点の一つなので,よく目にする地名です。テロの実行場所は,ローマのSapienza大学で,Giulia の新しい彼氏のFabioの名誉学位授与式という行事が予定されていました。そこに大臣などが集まるところを,犯人は狙っていたのです。犯人もまた研究者でしたが,予算が削られるなか研究施設が事故で爆発し,恋人が死んでしまいます(実はMurenaも研究者で,この事故の犠牲者でした)。大学に恨みをもっていた彼は神経ガスで関係者を皆殺しにしようとしていたのです。すでにZinniの心から離れていたGiuliaですが,彼女も参加するこの行事にZinniは命がけでテロを阻止しようとします。最後は,仲間が神経ガスを中和させることに成功して,事なきを得ました。
 ドタバタコメディですが,大学は資金不足であること,研究者がテニュアをとれず苦しい生活をしていること,一方で,テニュアをすでにもつ教授たちはろくに研究もせずに政治と金儲けにいそしんでいる状況は,妙にリアリティがありました。研究者たちは貧しくても,どこまでも良い意味での研究者バカで,自分の専門分野にこだわりをもっていたところは大いに共感を覚えました。

 

2022年8月20日 (土)

「ちむどんどん」と「鎌倉殿の13人」

 NHKの朝ドラの「ちむどんどん」と大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は,これまですべて欠かさず観ています。
  「ちむどんどん」は,脚本が批判されているようですね(『ちむどんどん』への批判が激化…なぜ「朝ドラの脚本家」はここまで叩かれるのか?)。まあ強引なストーリー展開に対しては,もっと洗練されたシナリオが欲しいという人がいるのもわからないではありませんが,関西人は「よしもと新喜劇」とかに慣れていて,シナリオがそこそこあれば,あとは面白ければよいという感じの人が,私も含めて多いのではないでしょうか。個人的には,イタリアン・レストランのところが,とてもしっかりしていて,そこも評価しています(きちんとした人が監修しているのでしょう)。
  ストーリーとしては,何よりも主演の比嘉暢子(結婚して青柳暢子)の,とにかく前向きな姿にとても好感を抱いています。暢子は,幼いときからの目標である料理人になることを目指して,沖縄から上京し,たまたま家に泊めてもらった鶴見の沖縄県人会会長の平良三郎の推薦で「Alla Fontana」というイタリアレストランで7年修業をし(暢子とレストランのオーナーの大城房子が実は親戚であったり,房子と三郎には過去の恋愛物語があったりします),その間に幼なじみの智の熱烈なプロポーズを断って,青柳和彦との恋愛を成就して結婚し,その後に独立して沖縄料理店を開くというここまでのストーリーは,順風満帆とはいえないまでも,視聴者も暢子とともに成長していける感じがいいです。「家族」というテーマの扱いもよくて,どうしようもない比嘉家の長男(賢秀)と彼を溺愛するお母さんが,ありがちな母息子関係ですが,ハラハラしながらも「母親ってこうだよね」と思うし(和彦と鈴木保奈美演じる重子との関係も,こういうのあるよね,という感じです),しっかり者の長女(良子)が仕事と家庭の両立で苦しむとき,意外にも助けてくれたのが,夫の実家である石川家の古いしきたりに異議を申し立てた,石川家の女性たちでしたが,そのシーンは痛快でした。暢子はこれからもまだいろいろありそうですし,賢秀が養豚場の娘とどうなるのか,妹の歌子が歌手となることができるか,歌子が幼いときから慕ってきた智とどうなるかなど,目が離せません。
 『鎌倉殿の13人』は,小四郎(北条泰時)がいよいよ鬼になっていくところです。とにかく武士の話は人殺しのシーンが多いので(仕方ないのですが),夜寝る前に観てしまうと,眠りに影響してしまうのが困りものです(NHKの番組は定時には観ず,NHKプラスで好きな時間に観るのですが,実際には仕事に疲れた後の夜寝る前になることが多いのです)。
 ドラマでは,頼家が重病で死の床についたとの判断から,後継争いが激化します。ライバルが次々と滅んでいくなか,北条家にとって残された最後のライバルは比企家でした。その当主である比企能員の娘である妻せつ(側室)が産んだ一幡が有力な後継者ですが,その後につつじ(正室)が善哉を産みます。善哉の乳母夫は三浦義村(演じる山本耕史は存在感があります)で,義時の盟友です。一方,頼家には弟がいて,それが千幡であり,後の三代将軍の源実朝です。千幡の乳母夫は,頼朝の弟の阿野全成で義時の妹の実衣の夫です。政子からすると,一幡と善哉は孫,千幡も息子です。頼家の後継者候補としては,一幡,千幡,善哉の3人がいたのですが,比企家は一幡を後継者に,北条家は千幡を後継者にしようとして暗闘が始まります。義父の北条時政とその後妻りくに唆された阿野全成は頼家を呪詛しましたが,それがバレて幽閉され,最後は比企側の手で処刑されます。こうして比企家と北条家との全面戦争が始まります。義時は一幡と千幡とで領土を分割する案を提示しますが,一幡こそ後継者と考える比企能員はこの提案を拒否します。ただ,これは義時の仕掛けた罠であり,これで比企家を討つ大義名分が得られたとして比企家を攻撃し,一家皆殺しにします。せつも一幡もです。政子は一幡の助命をしましたが,それが史実かははっきりしません。いずれにせよライバルは根こそぎ絶やすという徹底ぶりが恐ろしいですね。子に情けをかけて生かしていると必ず復讐されてしまうのは,まさに源頼朝自身の例からもわかることだからでしょう(平治の乱で父の義朝は敗れて長男の頼朝も処刑されそうでしたが,平清盛の継母の嘆願で伊豆への流刑でとどまり,その彼が弟の義経らをつかって平家を滅ぼしたのです)。
  このあと,死の床から奇跡的に復活した頼家も惨殺され,千幡が三代将軍実朝となるも,公暁(善哉)に暗殺され,その公暁も殺されてしまいます。政子の子や孫が次々と北条側(実質的には義時)の手で殺されていくのです。最後は,朝廷との一大対決である承久の乱が最大の見せ所となるのでしょうね。大河ドラマの脚本は,歴史を扱うので,すでにわかっていることがあるのですが,そのなかでよくわかっていない部分をいかにして脚本家が想像力を働かせるかが腕の見せ所です。例えば,実朝暗殺の原因などは諸説あるところなので,三谷脚本が,どのように描いてくれるかが楽しみです。

2022年8月19日 (金)

里見さん初戦は敗れる

 里見香奈女流五冠(先日のブログで女流四冠と書いていて失礼しました。83日に加藤桃子清麗から,タイトルを奪回して復位して,五冠に復帰していました)の編入試験の初戦は,徳田拳士四段の快勝でしたね。徳田拳士四段は現在9連勝中の絶好調の棋士で,さすがに相手が強すぎた感じです。里見さんの得意戦法は振り飛車(とくに中飛車)ですが,トッププロで振り飛車党は,あまりいません(A級では菅井竜也八段だけ)。広瀬章人八段や永瀬拓矢王座は,かつては振り飛車党でしたが,居飛車党に転向して,ぐんと成績を上げました。AIでも,振り飛車を採用しただけで,序盤の評価値は低くなります。しかし,里見さんは,この振り飛車で,大勝負を突破しようということであり,これからの奮闘に期待です。
 ところで,王位戦第4局は,豊島将之九段のコロナ感染で延期になったのですが,棋士は,感想戦以外は,互いにしゃべったりはしませんし,基本的にはマスクをずっと着用しているので,本人の体調が悪い場合はともかく,無症状であれば,とくに延期する必要がないのかなという気もしないではありません。ただタイトル戦は,その前日の前夜祭などの行事があるので,そういうことも考慮しなければならないのかもしれません。もっとも,対局場となっていたところ(一般にホテルや旅館が多いのですが)は,とくに2日制のタイトル戦(名人戦,王位戦,王将戦)でキャンセルとなると大きな穴があいてしまい,(キャンセル料は発生するかもしれませんが)困ることが多いでしょうね。
 ところで,将棋の対局の2日制というのは,プロ棋士からすると実力が発揮できるという点で望ましいのでしょうが,ネットで,ライブ中継される現在では,視聴者にはちょっと間延びしてしまうところもありますね。最終盤で接戦のときはスリリングですが,1日目などは手はほとんど進まないことが多く,解説者も無駄話が多くなります(その無駄話が好きなファンも多いのですが)。昨日の里見さんの対局のように持ち時間が3時間くらいが,Abemaで観戦するような場合にちょうどよいのでしょうね。私もずっと観ているわけにはいきませんが,休憩をとるときには横に置いているタブレットで観ています(最高裁の判例によると,休憩中ではなく,勤務中であれば,タブレットのチラ見でさえも職務専念義務違反と言われるのでしょうかね)。

2022年8月18日 (木)

DAOの可能性

 これからの企業経営は「プロジェクト型」になり,会社員ではなく,プロ人材がそこに集まって,自己の得意分野で貢献するような働き方になるということは『会社員が消える』(文春新書)48頁で書いていますし,そこでも参照した「働き方の未来2035:一人ひとりが輝くために」でも言及されています。このときには,バーチャル空間に結集して働くプロジェクト型も頭のなかでは想定していましたが,WEB3.0は,さらに先に進んだものとなるかもしれません。
 メタバース,ブロックチェーン,NFTといったWEB3.0のキーワードを耳にすることが増えていますが,これに加えて注目されるのが,DAOです。Decentralized Autonomous Organizationの略称で,「分散型自律組織」という訳語があてられるのが一般的です。
 DAOは,その掲げるプロジェクトに賛同する者が,そのDAOの発行するトークンを所有して,プロジェクトに参加し,その事業遂行はトークンを所有する者の決議により決めていくというものです。そこでは経営者も従業員もない民主的な組織であるということが謳い文句です。各人はコントリビューションに応じてトークンを与えられます。
 ネット上のプロジェクト労働なのでしょうが,その実態はよくわからないところが多いですし,法的な位置づけも不明です。いずれにせよ,会社で雇用されて労働法の適用を受けて働くというのとは,まったく異なるものです。個人が自律的に自らのスキルや能力をいかして社会課題の解決のための諸プロジェクトに参加し貢献するというものであれば,悪いものではありません。これはWEB3.0でなければ実現できないものではないのでしょうが,ブロックチェーンを用いた技術(スマートコントラクト)で,誰でも場所や国籍や性別に関係なく参加でき,様々な活動がすべて透明化されている点が興味深いです。プラットフォームに支配されずに,各人がトークンによって,自分の価値を所有し,処分できるという構造も魅力的です。
 WEB3.0の時代には,多くの人がDAOで働くようになるかもしれません(もちろんネット上でやるのに適しない仕事は別です)。そこに至るまでに,いろいろ工夫すべき課題はありそうです。「民主的な」ガバナンス体制で,ほんとうに仕事がうまくいくのかは,やや疑問もあります。ただクラウドファンディングでもそうですが,誰かがリーダーシップをとって,この指止まれという形でプロジェクトを立ち上げると,それに賛同する人からお金が集まるというのと似たようなものだと考えると,それをネットでやっているようなものと言えそうです。
 もう少し勉強して,DAOの可能性について探ってみたいと思います。

 

2022年8月17日 (水)

朗読

 読点とは,広辞苑によると,「意味の切れ目を示し,読みやすくするために文中に施す点」とされています。読むための便宜ということでしょう。しかし,意味の切れ目というものもあるので,単なる読むための便宜ではないところもあるでしょう。
 朗読用となると,読点はもう少し違った付け方となる可能性もあります。聞き手が,文章をみていない場合には,変なところで切ると意味が不明となりかねないし,かといって長すぎるとやはり意味を追えなくなるので,意味のかたまりを意識しながら適切なところで切って読むことになるでしょう(英語のslash readingがこれに対応しますかね)。上手な朗読は,さらに意味の重要性に応じて抑揚をつけて読むものだといえます。
 子どもたちに音読をさせる効用はいろいろあります。素晴らしい文学作品を目からだけでなく,耳から学ぶというものです。斎藤孝さんの本に『声に出して読みたい日本語』(草思社)がありますが,これは日本語の暗誦文化を意識したもののようです。また,教師的な発想からは,音読させると,文章をよく理解できているかどうかがわかるという効果もあります。上手な朗読は聞きやすいと同時に,本人の優秀さをよく伝えるものとなります。後者の点では,アナウンサーのように流暢に読めなくても,かまわないのです。
 ところで,子どもの絵本に,文章をすべての言葉ごとに区切っているものがあります(読点ではなく,スペースが入っています)。これは誰のためにそうしているのか,わからないところがあります。絵本を読むのが親であるとすると,親にとっては細切れ文章はとても読みにくいですし,子どもに,そうした文章を聞かせるのは教育上よくない気がします。こういうのは,はじめて日本語を読むときに,すべての言葉を辞書で調べる必要のある外国人にはよいかもしれませんが。
 話は変わって,朗読というと,前から気になっていることがあります。それは岸田首相の演説です。いつも原稿を朗読しているところからして気に入らないのですが,その朗読にしても,変なところで切ったり,強調したりすることがあり,それがとても気になるのです。言語は明瞭でその点では聞きやすいのですが,切り方が変なので,ひょっとしてこの人は読んでいても意味がよくわかっていないのではないかと疑いたくなります。さすがに,一国の首相がそんな低レベルなはずがないのですが,聞いていてとても気になる人もいるのではないでしょうか。政治評論家の伊藤惇夫さんも同じようなことをテレビで言っていたような記憶があります。
 せっかくの夏休みということなので,ゴルフをするのもよいですが,読み方の訓練に少し時間を充ててみてはどうでしょうか(余計なお世話でしょうが)。本来,政治家にとって演説はとても重要なものです。岸田さんは,首相公選制になれば,当選できないタイプでしょう。もちろん言葉巧みな演説で人心を惑わすような凄いoratore (演説者)が出てくるのも恐ろしいですが。

 

2022年8月16日 (火)

旧統一教会問題を考える

 第2次岸田内閣の閣僚は,旧統一教会系と無関係な人が選ばれるかと思っていましたが,そういうことではなかったようですね。ひょっとしたら,そんな人はほとんどいないのかもしれません。この問題への政府の緊張感の低さが残念です。創価学会と関係が深い公明党への配慮もあるのでしょうか。もしそうなら,与党政権への国民の不信感はますます増すでしょう。旧統一教会問題は,政治の本質と違うと言いたいかもしれないのですが,安倍政権時代から問われているのは政府への信用であり,信用できない政府は,どんな政治をしても国民はついてこず,結局,国民の関心をひくためには,わかりやすくお金をばらまくしかなくなり,将来世代に莫大な借金を残すことになってしまうのです。
 その一方で,安倍元首相を殺害した犯人に同情する声があるのは,困ったものです。自家製拳銃で殺害するというのは恐ろしい犯罪であり,模倣犯が出てくるおそれがあります。私たちの生活の安全が脅かされることになるという不安があります。刑事責任能力がないのならば別ですが,そうでないかぎり,しっかり罪をつぐなってもらう必要があります。もちろん,この犯行に至った事情には気の毒なところがあるのは確かであり,この犯人にとくに寛大な対応をするよう求める声が国民の間で出てきているのは,理解できないわけではありませんが,犯行に対する罪とは切り離して考えるべきでしょう。
 犯人の母親を非難する声もありますが,これも難しいところがあります。以前に紹介した,岡田尊司『マインド・コントロール』(文春新書)でも書かれていたことですが,カルト教団のメンバーとなって,家族と縁を切った人がほんとうに不幸なのかがはっきりしないところがあります。家族からすると,自分の肉親がカルト教団の餌食になってしまい,悔しく絶望的な気持ちになり,怒りをそこに向けるのはよくわかりますし,私も同じ立場になれば冷静でいることができる自信はありません。しかし,親だって,ある意味で子どもをマインド・コントロールしているところがあるのであり,なぜ親ならそれをしてよいのかは明確ではありません。親が子にカルトに気をつけろという教育はしてよいでしょうが,少なくとも成人が自分の意思でカルト教団に入信し,自分の財産を寄付してしまったことをどう考えたらよいかは,(たとえ家族に犠牲が及んだとしても)とても難しい問題だと思います。
 もちろんカルト教団にも,大きな問題があります。法人は宗教法人も含め,自然人を基本とする私たちの社会において,単なる個人の集合である団体であるにとどまらず,法人格を付与されて,自然人とならぶ社会の一員と認められる存在です。しかも宗教法人は,免税の特権まであります。政府が宗教の教義に踏み込むことはしてはなりませんが,法人としての活動いかんでは,法人格や特権を剥奪することは可能です。宗教法人法81条は,一定の場合には,裁判所による解散命令を定めていて,実際,オウム真理教には解散命令が下されています。その合憲性が争われた裁判で,最高裁は,解散命令の制度は,「専ら宗教法人の世俗的側面を対象とし,かつ,専ら世俗的目的によるものであって,宗教団体や信者の精神的・宗教的側面に容かいする意図によるものではなく,その制度の目的も合理的であるということができる」とし,信教の自由を保障する憲法201項に反しないとしています(最高裁判所第1小法廷1996130日判決)。
 ただ解散命令により,宗教法人としての活動はできなくても,信者の宗教活動は可能であり,別の宗教団体を形成することもできます。そのため,もう一歩踏み込んだ介入が必要であるという議論もありえます。たとえば,一定の基準を設けて,それに合致する反社会的な団体は,もはや宗教団体とは認めず,カルト団体と性質決定してしまい,憲法の保障から外すという考え方もありえるでしょう。あるいは,それが行き過ぎだとしても,一定の団体について,客観的な指標にもとづき反社会性を認定して公表するという方法で,国民に情報を流すことくらいはやってよいかもしれません(それゆえ,名称変更は容易に認めるべきではありません)。慎重な議論が必要ではありますが,議論をすること自体は始めてよいと思います。
 しかし,いま最も問題があると思われるのは,法的な話ではなく,旧統一教会のような,多くの犠牲者が出ている団体から選挙の支援を得てきた政治家たちの道義的責任です。政府は,被害者対策のための行動をとろうとしていますが,そういうことでお茶を濁されては困ります。この宗教団体がいろいろ問題を抱えていることは,多くの国民が知っていたことです。それにもかかわらず,この宗教団体が多くの政治家にとりいることに成功していたことに,いま国民は慄然とし,かつ,それに対する岸田政権の対応の甘さに不安を抱いているのです。岡田氏は,カルト問題は依存症と似ていると指摘しています。依存症で苦しむ国民がいるなか,当該依存性物質の販売業者から支援を受けているのと変わらない構造だと言われれば,少しは首相も真剣さが増すことになるでしょうかね。
 首相は,誰から支援を受けるかは個々の政治家の問題と考えているのでしょう。それなら,リスクをおかしてでも支援を受けたいのなら,どうぞお好きにと言うことにしましょうか。あとは私たち国民の問題です。国家が民主的な手法で特定の宗教団体に乗っ取られないようにするために,私たちの対応が問われるのです。国民は次の選挙まで,旧統一教会と関係のある政治家のことを忘れてはならないでしょう。旧統一教会との関係を断ち切った政治家,過去の関係について釈明した政治家,関係を継続することとし,その理由を説明した政治家,何も説明しない政治家など,いろいろなタイプがいますが,私たちは個々の政治家の言動をしっかり評価しなければなりません。18歳で選挙権をもつ子どもたちにも,カルトの危険性をしっかり教育することも必要でしょう。

 

2022年8月15日 (月)

スタートアップの成功の秘訣?

 テレ東BIZの「セカイ経済」(Fundinnoの宣伝番組?)で,韓国でユニコーン企業(評価額が10億ドルを超える,設立10年以内の未上場のベンチャー企業)が日本(10社)の倍近くの18社生まれているということで,韓国の経済がどうして活気があるのかということが採り上げられていました。結論は,韓国は,1997年のIMF危機で国が生まれ変わったということでした。国家が破産しそうになって,危機バネが働いたということでしょう。
 韓国は,人口が日本の半分で内需が少なく,スタートアップは,最初から海外戦略を考えていることが多いそうです。確かにエンタメ部門をみると,BTSしかり,「パラサイト―半地下の家族」のアカデミア賞受賞もしかりです。
 また,韓国人は,アメリカなどの海外志向が強く,そこで知識と人脈を身につけようとする意欲が強いようです。もともとリスクをとるメンタリティがあり,失敗を恐れない国民性であり,ベンチャー精神が強いということもいえそうです。
 その一方で,極端な競争社会です。韓国の学歴社会ぶりは,日本の比ではありません。それに,儒教社会なので,若い上司の下で働くのを潔よしとせず,出世の可能性がなくなった人は早期退職を選びます。結果,事実上の40歳定年となっているそうです。
 目上の人は敬うのですが,そのことと競争とは別ということなのです。またシニアの起業はうまくいっていないようです。その結果,高齢者の貧困が深刻となっています。
 政府はスタートアップを支援するファンドに資金を提供して,税金をリスクマネーに投入する冒険をしたのですが,批判もあるなか,こうしたことを断行して,いちおういまのところは成功していることもポイントのようです。
 こうみると,デジタル化にともなうゲームチェンジが進むビジネス界で,韓国はもともとあったベンチャー精神と政府の後押しが,うまくかみ合って成功したという感じでしょうか。ただ,新しい技術に対応できない高年者には,厳しいものとなっているようです。
 さて,ここから日本は何を学べるかです。スタートアップに必要なのは,たしかに企業家精神です。しかし,それは他人と熾烈な競争をするという形で発揮させることが必然的なわけではありません。「アニマルスピリット」と言いますが,ほんとうのアニマルではいけません。ホモ・サピエンスは協力や協調をすることのメリットを知ったから,ここまで生き残ってきたともいえます。
 社会課題に対する鋭敏な感覚をもち,それを,テクノロジーをつかって,よりよく解決できないかを考えて事業化することが,これからのスタートアップの成功の秘訣です。若者が一攫千金を狙ったり,政府の雇用創出事業として考えたりするのもよいでしょうが,それだけがスタートアップではありません。高年法の高年齢者就業確保措置のなかにもある「社会貢献事業」のようなものもまた,これからのスタートアップの有力な一形態かもしれません。みんなが自分のもつ特性(高年齢者なら経験,若者なら斬新な発想や体力など),それに各人の専門性や,男女の視点の違いなどを持ち寄り,さらに外国人の視点も取り入れるなどして,社会で共生する多様な人材が多角的に社会貢献することを支えることこそ,21世紀型社会の中心的な労働政策(かつ産業政策)であると考えています。

2022年8月14日 (日)

棋戦情報

 A級順位戦で藤井聡太竜王(五冠)が,菅井竜也八段に敗れました。名人挑戦の大本命の五冠棋士ですが,順位戦はそう簡単にはいきませんね。菅井八段は先輩A級棋士の意地を見せました。渡辺明名人への挑戦を争う今期のA級は本命は藤井竜王(五冠)で,2番手は永瀬拓矢王座,3番手は豊島将之九段だろうとみていましたが,すでにこの3人に土がついていて,混戦模様です。
 竜王戦の挑戦者決定の3番勝負は,永瀬王座に勝った山崎隆之八段と広瀬章人八段の対局となりました。前に永瀬王座が残ると書いていましたが,山崎八段には申し訳ありませんでした。対永瀬戦では,山崎八段の独創的な将棋が存分に発揮されて天才山ちゃんの面目躍如です。3番勝負の初戦も大熱戦で,途中で山崎八段の勝ちになったところもあったようですが,広瀬八段が先勝しました。広瀬八段も3期前の竜王ですから,竜王復位に向けたチャンスと思っていることでしょう。
 15日から藤井聡太王位と豊島九段との王位戦第4局が始まる予定でしたが,豊島九段のコロナ感染のため延期となりました。豊島九段は,永瀬王座に挑戦するタイトル戦も始まります。少なくともとちらか一つのタイトルは欲しいところでしょうが,まずは体調の回復ですね。
 里見香奈女流四冠(⇒「五冠」の誤りでした。8月3日に清麗位を奪取していました)のプロ棋士編入試験も始まります。818日の初戦は徳田拳士四段です。里見女流五冠は,プロ棋士編入試験が決まったあとは,NHK杯で今泉健司五段に逆転負けし(今泉五段は,NHK杯で藤井五冠に勝ったこともあり,目立つ対局で勝負強さを見せます),一昨日も,これまで負けたことがなかった有森浩三八段相手に,朝日杯で負けてしまいました。プロ棋士も,本気で里見さんに向かってきている気がします。これがプロの世界ですね。これをどう乗り越えるか。将棋ファンにとって,里見さんの挑戦は,この夏,最大の関心事です。

2022年8月13日 (土)

スタートアップの支援

 第2次岸田政権は,スタートアップ支援に力を入れると述べています。これは「新しい資本主義」の主要テーマの一つです。日本からGAFAが生まれるにはどうすればよいか,ということを考えて,そうした心意気で事業に取り組んでいる企業者(entrepreneur)たちをどう支援するかは,とても重要な政策課題です。政府の取り組んできたフリーランス政策には,こういう側面もあります。スタートアップも最初は個人事業主かその仲間たちからのスタートで,起業し,成功を収めてIPO(新規上場)に至ることになるのです。スタート時点での様々な負担を助成することが大切ですし(失敗すれば致命的な打撃を受けるということがないようにすることも含みます。その点は,政府が「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」で,「初期の失敗を許容し長期に成果を求める研究開発助成制度を奨励する」としているのは高く評価できます),そのなかに人を雇用するときの負担を緩和することもあってよいのではないか,というのが,経済同友会の「規制・競争政策委員会」の提言「創業期を越えたスタートアップの飛躍的成長に向けて」のなかにある発想でしょう。
 スタートアップの支援には,基本的に賛成なのですが,そのための方法として,労働法規制の緩和をするのはハードルが高いのではないかと考えています。実は,私は約15年前に中小企業の適用除外について,神戸労働法研究会で共同比較法研究をしたことがあり,その成果は季刊労働法で連載されています(季刊労働法227号で私が総括論文を書いています)。
 あのときの研究成果は,いまなお有効であると考えており,スタートアップにおいて適用除外や特区的な扱いをするときに,どのような理論的な問題があるかを検討する際の参考になるのではないかと思っています。もちろん,そうした理論的な問題に関係なく,政治的なイニアシティブによりトップダウンで政策を断行することができないわけではないでしょうが,そういうことは「聴く力」を重視する岸田政権のカラーには合わないでしょう。
 適用除外構想に対しては,労働組合側が反対するのは当然予想されます。そうした反対は,たんなるポジショントーク的なものとはかぎらず,理論的な根拠もあるのであり,そういうものをふまえて,しっかり組合側とも対話して,スタートアップの支援をどうしていくのかを考えていく必要があります。
 私は,スタートアップの支援で問題となるような労働法の課題は,先日も書きましたように,そもそもすべての企業において問題となるものではないかと考えています。労働時間にしろ,解雇にしろ,規制の見直しが必要です。また,例えば,育児休業制度のようなものは,すべての企業に同じように導入を義務づけるのは行き過ぎではないかということは,拙著『人事労働法―いかにして法の理念を企業に浸透させるか』(2021年,弘文堂)で言及しています(203204頁)。
 規制緩和は必要だが,いきなり行うのは反発が強いので,まずスタートアップから始めようというのと,規制は維持されるべきだが,スタートアップには特別な配慮が必要であるから例外扱いをしようというのは,結果は同じですが,意味合いがかなり違います。前者は労働法そのものの見直しを志向するものですが,後者は現行労働法は維持しながら中小企業政策や産業政策の観点から例外的な規制緩和をしようとするものです。もしどちらかがよいかと問われれ私は私は前者だと答えるでしょう。
 ただ,私が提唱する人事労働法の立場は,スタートアップに雇用される人であろうと,それ以外の企業に雇用される人であろうと「納得」の要素を重視する納得規範を及ぼしていくべきというものです。スタートアップであっても,納得規範から免れることはできません。スタートアップが労働法規制を窮屈に感じるとすれば,それはその規制自体が硬直的であること,そして,そうであるにもかかわらずderogationの理論が十分に発達していないことにあります。納得規範は,これをふまえて,derogation の理論をさらに一歩進めたものであり,経営側と労働側にウイン・ウインをもたらすものだと思うのですが……。

 

2022年8月12日 (金)

計画年休

 神戸大学では,今日と15日と16日は計画年休日であるという連絡が大学の事務からありました。おそらく労働基準法39条6項に基づく年休日の特定があったのでしょう。法学研究科のある六甲台キャンパス(一事業場)では,(過半数組合が存在しないので)過半数代表者を選出しています。これは投票による民主的なもので,労働基準法施行規則6条の2に則した問題のないものと思われます。
 過半数代表者の選出は民主的な手続をふまなければならないとされていて,使用者側からの介入はしてはならないのですが,他方,代表される労働者側と過半数代表者との関係は明確ではありません。過半数代表制を一種の労働者代表制とみると,その民主的正統性が問われることになり,そうだとすれば,たんに選出段階での民主性だけでなく,実際に過半数代表として行動するときの民主性も問われることになるでしょう。しかし,過半数代表者と被代表者との間には法的関係がないので(過半数組合の場合には,組合と組合員には法的関係があり,組合員による民主的統制が可能です),この点をどう考えるかが問題となります。アメリカでは,排他的交渉代表権限をもつ労働組合と非組合員との関係については,公正代表義務を課すことをとおして,少数派の非組合員の利益も考慮されるようになっています。
 私は,かつて,過半数代表を過半数の意見の集約システムとみて,少数派の反対意見がある場合をどう考えたらよいかという問題関心から,これを過半数代表の正統性の問題として検討したことがあります(拙著『労働者代表法制に関する研究』(2007年,有斐閣)182頁以下。過半数代表者については,190頁以下)。その後,この問題意識をふくらませて,過半数代表をとおした間接的な方式ではなく,企業が従業員の同意を直接聴取して過半数を確認するという直接方式を提案しています(拙著『人事労働法』(2021年,弘文堂)30頁)。いずれにせよ,重要なのは,従業員の意見がきちんと反映されることであり,そうなると従業員が過半数代表者の選出には関与したものの,その代表者がその後にどのような行動をしたか(就業規則の変更にどのような意見を述べたか,三六協定や計画年休協定の締結などにおいてどのように協議したかなど)を知らされないという状況には問題があると思っています。
 過半数代表は,労働者代表制ではなく,企業が一定の措置をするうえでの手続的な要件にすぎず,従業員にインフォームするのは過半数代表ではなく,企業の責任であるというのが現行法の位置づけなのかもしれません。それならその手続要件は,もっと従業員の利益に配慮した,しっかりしたものにしなければならないでしょう。上述のように,私は,まず上記の『労働者代表法制に関する研究』では,過半数代表を真の労働者代表制として進化させるべく,代表としての正統性の検討をしたのですが,その後の『人事労働法』では,従業員の納得を重視する観点から,直接方式が望ましいという考え方に立ちました。いずれにせよ,私の立場からは,計画年休についても,従業員への事前の告知と意見表明の機会がほしいところです。拙著『人事労働法』191頁補注⑹では,現行の法制度の説明しかしていませんが,立法論的には,計画年休協定についても,直接方式で従業員の過半数の同意を得る方法が適切と考えています。なお,直接方式では,過半数代表と企業との間で協議する手続がとれなくなるという批判もありそうですが,労働組合であればともかく,たんなる過半数代表者にどこまで企業との協議によって従業員の利益を守れるかは疑問です。むしろ企業は本来従業員に直接向き合うべきであるという観点からは,直接方式が原則であり,そこに納得規範を組み入れたほうが,より従業員の利益を守ることができるのです。直接方式のような手法では手間も時間もかかり非効率だから,間接方式のほうがよいという考え方もありえますが,電子メールの一斉送信で一定期日までに反対の意思表示をしなければ賛成とするというような扱いにすればよいと思います(『人事労働法』270頁で若干このことにふれています)。デフォルトをどちらにするかは問題ですが,時間外労働については,これを例外的とするならばデフォルトは「時間外労働反対」とし,計画年休は法定年休の取得方法にすぎないとみることができるので,デフォルトは「計画年休賛成」というように事項ごとに分ければよいと思っています。
 812日,15日,16日の計画年休にはあまり異論はないでしょう。ただ日本人の意識が変わって年休を完全取得するようになっていくと,計画年休は不要という意見も出てくるかもしれません。一方で,年休は,事業の正常な運営を阻害する可能性もあり,企業側の利益との調整は必要です。これを企業の時季変更権という権利行使にまかせるのは,時季変更権の行使要件が必ずしも明確でないこともあり,年休日の特定方法として不安定となります。人事労働法では,企業に従業員のすべての年休の年内に付与義務を課したうえで,年休の特定方法は,納得規範を適用したらどうかという提案をしています(『人事労働法』189頁)。これと上記の直接方式の計画年休を組み合わせた年休制度の構想は,いかがでしょうか。重要なことは,年休はすべて取得する,そうさせるのは企業の義務である,年休日の特定は従業員の納得を重視する,ということです。筆者の構想はその一つにすぎません(時季指定権にはこだわらないということです)。知恵をいろいろ出し合って,よりよい年休制度を考えていきましょう。

 

 

 

2022年8月11日 (木)

医療逼迫

 医療逼迫を肌で感じました。父が夕方5時くらいに転倒して立ち上がれなくなったため,腰や尾てい骨の骨折の疑いがあるということで,あわてて病院に搬送することになったのですが,かかりつけの近くの病院は電話もつながらず,結局,車で30分弱の別の市の病院で,日帰りしかできないという条件で,当直医の方に診察してもらいました。父は大事には至らなかったのですが,超高齢ですので,いろいろガタがきていることがわかり,安心はできません。
 コロナの影響で,救急患者お断りというところが増えているという話は聞いていましたが,今日のように2件目で診察してもらえたのは,とてもラッキーでした(ケアマネさんのおかげです)。でも,入院を要するような場合でも,受け入れられないという約束であったので,もしそうなっていたらと思うと,おそろしいです(その場合,自宅に連れて帰るしかないでしょう)。もちろん病院側も,それだけたいへんな状況にあるのですから,病院を責めることはできません。
 コロナとの共存というのはよいのですが,ちまたではコロナを気にせずに大人数の宴会も普通に行われて楽しくやっているなかで,医療従事者はコロナ患者らへの対応に追われて疲労困憊し,そして,そのあおりでコロナに日頃から細心の注意を払っている高齢者などの健康弱者の治療機会が失われるというのは,どこかおかしいです。
 With コロナというかけ声はよいとしても,この日本で,医療機会を十分に与えられずに,命を落とす人がいるのであり,そのことを,どう考えたらよいのでしょうか。歌舞音曲を控えろとまでは言いませんが,現時点での医療提供体制は危機的であることは確かでしょう。コロナ対策の緊急性は依然として高いのです。こうした状況が経済の復活を阻む要因となっていることは政府もわかっているのでしょうが,これまで十分な対策ができていません。このまま終息を待つというのではなく,政府には緊張感をもって妙手を出してもらいたいです。

2022年8月10日 (水)

内閣改造に思う

 第二次岸田政権が誕生しました。今回の内閣改造は,「黄金の3年間」があり,支持率低下があっても,選挙のことはあまり考える必要がないのですから,ウクライナ戦争やそれに起因する物価高など国内外の情勢に対応した政権の強化ということが目的なのでしょう。これに加えて,安倍元首相の死亡による混乱状況にあり,かつ旧統一教会問題で揺れる安倍派をにらみながら,党内での岸田首相の立場を強化する狙いもあったのでしょう。このことは,早々に岸田政権を支える麻生派と茂木派の領袖の党四役留任を決めたことにも現れているように思います。安倍派は,旧統一教会問題で,下村博文氏は安倍後継レースから外れ,萩生田光一経産大臣が有力候補となるなか,彼も旧統一教会問題があるので,同じ安倍派の有力メンバーである西村康稔氏を経産大臣にしたということかもしれません。通産省出身の西村氏をこのポストにつけることは,誰も文句をつけられないでしょう。このようにして面倒な安倍派の処遇をすませ,さらに安倍氏に近かったものの,茂木氏と関係が悪いと言われていた高市早苗氏は入閣させ,女性大臣でもあるので,見栄えの点を考えても,悪くない選択となりました(もう一人の女性大臣は,少なくともテレビでは,文科大臣への就任を無邪気に喜んでいるようにみえましたが,本来はこの国の未来にかかわる重要なポストで,責任の重さに顔をひきつらせるくらいであってほしいです)。河野太郎氏はデジタル大臣で,デジタル強化の姿勢をみせる一方,高市早苗氏とともに,総裁選を争った二人を閣内に入れて,挙党態勢をアピール意味もありました。加藤勝信厚労大臣は,またこの人かという気もしますが,手堅い人事なのでしょう。防衛大臣は,アメリカの覚えがよかったそうですが,あまりにも頼りない感じであった岸信夫氏を外して(国家安全保障担当の首相補佐官になります),ハマコーの息子の浜田靖一氏の再登板となりました。防衛大臣経験者で,これも手堅い人選なのでしょう。親中派と言われる林芳正外務大臣の留任は,中国シフトというよりも,岸田首相にとって派閥内の最大のライバルとなる林氏を閣内に入れておく意味のほうが大きいかもしれません。同じ宏池会系の麻生派の後継者の有力候補である河野太郎(麻生派は河野氏のお父さんから派閥を継承している)氏の入閣にも,同様の意味があるのかもしれません。
 ということで,いろいろな思惑があるのでしょうが,要は国民のためにきちんと仕事をしてくれればよいのです。労働政策は,外交や安全保障よりは重要度が下がるのかもしれませんが,問題は山積です。今日は,経済同友会の「規制・競争政策委員会」に呼んでいただき,同委員会が4月に出した提言をテーマに講演をしました。そこでは,スタートアップに対する労働時間や解雇についての適用除外の可能性などについて議論をしましたが,これらについては,スタートアップにかぎらず,すべての企業を対象とした本来の規制それ自体を見直す必要があるのではないかということを述べてきました。こういう話になってくると,厚生労働省よりも,むしろ西村大臣が就任した経産省のほうに期待できる部分が大きいような気もします。

2022年8月 9日 (火)

契約と信頼とブロックチェーン

 フリーワーカーの時代になったときに,一つの障壁となるのは,日本に契約文化が根付いていないことに起因する問題です。日本人は,自分で契約書をかわして取引をするのに慣れていない人が大半であり,フリーワーカーとして契約社会にいきなり放り込まれると,いろいろなトラブルが起こる心配があります。私はフリーワーカーの契約の書面化を義務づけることを提案してきましたが,実は書面化しても,契約内容を理解するリテラシーに欠けていれば,かえって危険です。相手はできるだけ契約をうまく締結して,自分の利益を守ろうとするわけで,裁判となれば,そういう「プロ契約者」に負けてしまうのです。そのため,フリーワーカー時代の今後の教育という点では,法律や契約のリテラシーの学習が必要だということを,私は前から提案しています。
 根底にあるのは,日本人の契約リテラシーの低さです。ここでいう契約とは,口約束のようなものではなく,きちんと書面でかわしたものが想定されています。もちろん法的には,ほとんど契約は諾成契約でよく,書面などの要式性を欠いても契約は成立します(民法522条を参照)が,いざトラブルになったとき,口約束では,裁判所で契約内容を証明できないことが多いでしょう。逆に言うと,裁判を必要とするようなトラブルが起こらないという信頼関係があれば,契約書などをいちいちかわす必要はないともいえます。
 契約書というのは,信頼関係がない人と取引するからこそ必要となるものなのです。それは逆の視点からいえば,信頼関係がなくても契約書があれば取引ができるので,取引の範囲を広げることができるともいえます。日本でも借家契約では契約書をかわしますが,これにより,大家さんは見ず知らずの人にも家を貸すことができます(もちろん,それだけでは不十分なので,いろいろ信用調査をしたり,保証人をつけたり,敷金をとったりするのですが)。
 しかし,日本社会は,かつては,多くの取引が,社会のなかの構成員相互の目が届く範囲でなされていて信頼関係があったため(裏切ることが難しかったため),いちいち契約書をかわすといった契約文化が,あまり広がってこなかったのかもしれません。
 インターネットが発達して,クラウドソーシングのようなものが出てくると,見ず知らずの個人と契約をすることになるので,信頼は重要な問題となってきました。”Trust me” と言われても,そのこと自体,信頼できません(鳩山由紀夫が,首相時代にObama大統領に言った,沖縄の米軍基地移設問題をめぐる無責任な発言は有名ですね)。プラットフォームというのは,そういう信頼を担保する存在となるのです。もちろん怪しいプラットフォームを介したクラウドソーシングであれば,取引は広がらないでしょう。これに対し,信頼性のあるプラットフォームには発注側も受注側も人が集まり,ネットワーク効果で,その集中が加速化し,寡占状態が生まれてきて,Winnerーtakesーall の状態が生じることになります。
 それはさておき,フリーワーカーの時代に契約書が重要となるのは,契約書をきちんとかわせないようでは,取引を広げることができないからです。相手方も,どこの馬の骨ともわからないような者と取引をするのですから,しっかり契約書をかわそうとするでしょう。ただ契約書だけでは安心できない面もあります。契約違反の場合の訴訟コストは非常に高いからです。ここを乗り越えることができなければ,フリーワーカーとしての働き方は広がりません。上記のプラットフォームは,この問題の解決方法の一つですが,寡占・独占状態になると,プラットフォーム手数料で足下をみられやすくなります(独禁法で救うことも理論的には可能でしょうが)。
 いま注目されているのは,Trustlessを特徴とするブロックチェーン技術です。この技術は,ビットコインで有名ですが,そこでの分散型信用システムは,チェーンでつながるすべての者により信頼を担保しているようなものです。これからのWeb3.0の時代は,互いに知らない者どうしでも取引をしやすくなります。プラットフォームの「信用保証」のようなものがなくてもいいのです。これにより,取引をはばんでいた様々なリスクやコストが取り除かれていく可能性があるのです。
 Web3.0は,労働の面でもDAO(分散型自律組織:Decentralized Autonomous Organization)のような新たな可能性が指摘されています。DAOについては,日を改めて論じることにしますが,ここではフリーワーカーの就労の主たる舞台が,WEB3.0の主役であるメタバースになる可能性に言及するにとどめます。

契約と信頼とブロックチェーン

 フリーワーカーの時代になったときに,一つの障壁となるのは,日本に契約文化が根付いていないことに起因する問題です。日本人は,自分で契約書をかわして取引をするのに慣れていない人が大半であり,フリーワーカーとして契約社会にいきなり放り込まれると,いろいろなトラブルが起こる心配があります。私はフリーワーカーの契約の書面化を義務づけることを提案してきましたが,実は書面化しても,契約内容を理解するリテラシーに欠けていれば,かえって危険です。相手はできるだけ契約をうまく締結して,自分の利益を守ろうとするわけで,裁判となれば,そういう「プロ契約者」に負けてしまうのです。そのため,フリーワーカー時代の今後の教育という点では,法律や契約のリテラシーの学習が必要だということを,私は前から提案しています。
 根底にあるのは,日本人の契約リテラシーの低さです。ここでいう契約とは,口約束のようなものではなく,きちんと書面でかわしたものが想定されています。もちろん法的には,ほとんど契約は諾成契約でよく,書面などの要式性を欠いても契約は成立します(民法522条を参照)が,いざトラブルになったとき,口約束では,裁判所で契約内容を証明できないことが多いでしょう。逆に言うと,裁判を必要とするようなトラブルが起こらないという信頼関係があれば,契約書などをいちいちかわす必要はないともいえます。
 契約書というのは,信頼関係がない人と取引するからこそ必要となるものなのです。それは逆の視点からいえば,信頼関係がなくても契約書があれば取引ができるので,取引の範囲を広げることができるともいえます。日本でも借家契約では契約書をかわしますが,これにより,大家さんは見ず知らずの人にも家を貸すことができます(もちろん,それだけでは不十分なので,いろいろ信用調査をしたり,保証人をつけたり,敷金をとったりするのですが)。
 しかし,日本社会は,かつては,多くの取引が,社会のなかの構成員相互の目が届く範囲でなされていて信頼関係があったため(裏切ることが難しかったため),いちいち契約書をかわすといった契約文化が,あまり広がってこなかったのかもしれません。
 インターネットが発達して,クラウドソーシングのようなものが出てくると,見ず知らずの個人と契約をすることになるので,信頼は重要な問題となってきました。”Trust me” と言われても,そのこと自体,信頼できません(鳩山由紀夫が,首相時代にObama大統領に言った,沖縄の米軍基地移設問題をめぐる無責任な発言は有名ですね)。プラットフォームというのは,そういう信頼を担保する存在となるのです。もちろん怪しいプラットフォームを介したクラウドソーシングであれば,取引は広がらないでしょう。これに対し,信頼性のあるプラットフォームには発注側も受注側も人が集まり,ネットワーク効果で,その集中が加速化し,寡占状態が生まれてきて,Winnerーtakesーall の状態が生じることになります。
 それはさておき,フリーワーカーの時代に契約書が重要となるのは,契約書をきちんとかわせないようでは,取引を広げることができないからです。相手方も,どこの馬の骨ともわからないような者と取引をするのですから,しっかり契約書をかわそうとするでしょう。ただ契約書だけでは安心できない面もあります。契約違反の場合の訴訟コストは非常に高いからです。ここを乗り越えることができなければ,フリーワーカーとしての働き方は広がりません。上記のプラットフォームは,この問題の解決方法の一つですが,寡占・独占状態になると,プラットフォーム手数料で足下をみられやすくなります(独禁法で救うことも理論的には可能でしょうが)。
 いま注目されているのは,Turstlessを特徴とするブロックチェーン技術です。この技術は,ビットコインで有名ですが,そこでの分散型信用システムは,チェーンでつながるすべての者により信頼を担保しているようなものです。これからのWeb3.0の時代は,互いに知らない者どうしでも取引をしやすくなります。プラットフォームの「信用保証」のようなものがなくてもいいのです。これにより,取引をはばんでいた様々なリスクやコストが取り除かれていく可能性があるのです。
 Web3.0は,労働の面でもDAO(分散型自律組織:Decentralized Autonomous Organization)のような新たな可能性が指摘されています。DAOについては,日を改めて論じることにしますが,ここではフリーワーカーの就労の主たる舞台が,WEB3.0の主役であるメタバースになる可能性に言及するにとどめます。

2022年8月 8日 (月)

五百旗頭先生のご高説拝聴

 昨日のテレ東の日曜サロンには,五百旗頭先生が出ておられました。テレ東BIZで,後からみました。いつものことですが,先生の話は為になります。
 負け戦はしてはならず,軍事力では勝てない中国と戦争してはならないのですが,もし中国が攻めてきたときにはスッポンのように噛みつけるようにしておく必要はあるとし,その一方で,中国はリアリストなので,経済面でしっかり交流をしておくこともが重要だとおっしゃっています。「日米同盟,日中協商」が,先生の持論です。軍事力に頼るという点については,必ずしも賛成ではないのですが,しっかり防衛戦略を立てることが必要というのはそのとおりでしょう。防衛大臣はそのことに専念したうえで,首相や外務大臣は,それとは切り離して外交により高い視点から日中関係をしっかり築けるようにする必要があるというのは説得力があります。リアルな国際政治のなかで,どうやって生き延びていくかについて,五百旗頭先生には,ぜひ政権にアドバイスをする存在でいてもらいたいですね(すでに,そうなのかもしれませんが)。
 一方,先生の安倍元首相評も面白かったです。まず,外交・安全保障面での貢献はきわめて大きかったという評価です。米欧関係をズタズタにしたTrump氏をなだめながら(ときにはゴルフでわざと負けながら?),アメリカが離脱したTPPTPP11としてまとめたり,RCEPなどを実現したり,「自由で開かれたインド太平洋」という概念で,アメリカも巻き込んでこの地域の安全保障の枠組みをつくった手腕などを高く評価されていました。一方で,安倍元首相は「貴族」であり,庶民の気持ちがわからないところがあり,森友・加計問題は,その何が悪いかはわからないままだったのではないかと指摘されていました。たしかに赤木さんの問題などに,もう少し丁寧に対応していれば,ずいぶん印象も変わっていたかもしれません。
 外交・安全保障面は,なるほどそのように評価するものなのかと思いましたが,個人的にはロシアとの関係は改善せず,北朝鮮の拉致問題も前進せず,アメリカに寄りすぎて,中国とはうまくいかず,いまから思えばあれほど旧統一教会と仲が良かったのに,韓国ともうまくいかなかった(むこうの政権のほうにも問題があるのですが)のであり,こういう点をみていると,あまり高く評価できないのではないかという気もします。もちろん100点満点の外交や安全保障というのは無理なのですが。いずれにせよ,安倍外交の残したものが今後どのように影響してくるのか,また岸田首相が,これからどう取り組んでいくのかが注目です。

2022年8月 7日 (日)

ワクチン接種と政府の信用

 ワクチンというのは,たしかに健康な人に(弱毒化や無毒化されているとはいえ)病原体を注入するものなので,おそろしいと考えて反対する人の気持ちもわからないわけではありません。赤ん坊には大量にワクチンを打ちますが,まだ生まれたばかりの子に次々と病原体が注入されると考えると,親は複雑な気分になるでしょう。予防接種法は,「A類疾病」(22項)であっても,努力義務であり,16歳未満の子に対して接種させるのも,保護者である親の努力義務にとどまります(9条)が,赤ちゃんの予防接種の忌避は,子の命を危険にさらすことになるので,合理的な選択とはいえません。
 政府は,弱い立場にある赤ちゃんについては,ワクチン接種を推奨するために,定期健康診査のときにチェックしたり,無料にしたりするなど,親をワクチン接種に誘導していくことが必要でしょう(市町村長や都道府県知事は,予防接種の勧奨をするものと定められています[8条])。
 新型コロナウイルスについてもワクチン反対派はいますが,それはワクチンを打っても感染することはあるとか,ワクチンの副作用が大きいのに対して,ワクチンを打たなくて感染しても重症化しないという理由からのようです。ただ,後者は,ワクチンを打たなかったら感染時に重症化するリスクが高まるということを見落としています。前者は,ワクチンの副作用は,実際に感染したときの副作用と同じか,それより若干軽いと言われていますし,加えて,ワクチン接種により,他人に感染させにくくなるというメリットがあると言われています。
 ワクチン反対派のなかには,インフルエンザなどについて,感染した人がいたら,その人を招いて感染パーティを開いて,自然に感染しようとする人もいるそうです。水疱瘡などは,感染した子を招いて自分たちの子と遊ばせるというようなことをする人もいるそうです。早くに感染したほうが軽症ですむという親心よるものなのでしょう。そこにあるのは,自然感染のほうが,ワクチンよりも良いという判断ですが,毒を抑えたワクチンの接種よりも,子を危険にさらすリスクが大きいことを見落としているでしょう。
 ワクチンについて,政府が推奨することに批判が出てくるのは,結局のところは,政府が信用されていないからです。その隙をついてSNSなどで,ワクチン推奨は政府の陰謀というような怪しい情報を信じ込まされてしまうのです。ワクチンにもリスクがありますので,そのメリット・デメリットを冷静に考えたうえで,ワクチンを避けることはありえるでしょう。ただ,私は個人的には,赤ちゃんの予防接種やコロナワクチンなどにおいて,ワクチンの接種を政府が推奨することは間違っていないと思っています。むしろワクチン不足のほうが心配です。
 政府が国民の命を守るために大切なのは,ワクチンの接種を強制することではなく,国民が政府の言うことだからその推奨に従ってワクチンを接種しようとする気持ちになれるくらい,国民から信頼される存在となることです。

2022年8月 6日 (土)

人権デューディリジェンスガイドライン

 ビジネスと人権は,ホットなテーマです。季刊労働法276号で,特集されていた「労働と人権をめぐる新たな動き」でも,岡山大学の土岐将仁さんが「ビジネスと人権」という論文を執筆しており,これは,このテーマの最新の状況を知るうえでの重要文献です。
 ところで85日に,人権デューディリジェンスに関するガイドライン案が出されたということが報道されていました。私も,ビジネスガイド(日本法令)で連載中の「キーワードからみた労働法」の最新号では,「企業の社会的責任」というテーマを採り上げて,そのなかで,このテーマも扱っています。いまさらCSRかと言われそうですが,これは,いま一度注目されるべきものだと考えて,いろんな論考で言及しています。
 法的な強制があるかどうかに関係なく,サプライチェーンにおける人権侵害の有無に敏感になることは,企業の社会的責任として強く要請されるものです。もっとも一般の法律家の発想では,社会的責任というだけでは,法的強制力もなく,効果は期待できないということかもしれません。そうしたなか,私は,伝統的な法的手法とは異なる形での政策目的の実現手法に関心をもっており,例えば世界人権宣言にしろ,ILOの中核的労働基準にしろ,こういうものをどうやって企業に実行してもらえるかという手法に関心があります。CSRについてはISO26000のようなガイドライン規格が興味深いですし,国連グローバル・コンパクトは,官民協力の規範実現手法という視点でみることもできます。今回の人権デューディリジェンスガイドラインの詳細はまだよくわかりませんが,国際人権問題について,政府が本格的に国内企業に働きかけるものとして注目されます。
 企業にとっても,政府に言われるまでもなく,ESG投資に傾く投資家(とくに海外投資家)を意識すると,人権問題への対応は必要ですし,ユニクロ商品がアメリカで輸入を差し止められたりした問題などをみると,海外との取引で人権対応は不可欠となっています。ただ,個々の企業だけでは,どうしようもないところもあります。例えば,悪名が海外にとどろいてしまっている技能実習制度の見直しに政府が乗り出そうとしているのは,外国人の人権保障という面だけでなく,こういう評判が立つことで,日本のフラッグが日本企業に不利に働くことを防ぐ必要があるからでしょう。同様の観点から,今回の人権デューディリジェンスへの取組も,ガイドラインであっても,意味があるものなのです。
 もちろん,より重要なのは,こういう取組を実際に人権侵害状況の改善につなげることです。その点で必要とされるのは,企業自身の道徳的・倫理的な責任とされてきたものを,どのように企業を刺激して望ましい行動に誘導していくかという,制度設計をするための知恵です。これからの法律家は,こういう問題にも取り組んでいく必要があると考えています。

2022年8月 5日 (金)

令和4年度最低賃金

 近年は,最低賃金は世間で大きな関心を集めていて,テレビでも連日,藤村さんの顔がアップで出ていましたね。委員のみなさんは,たいへんだったと思います。
 中央最低賃金審議会(目安小委員会)では,労使の合意にいたらず,公益委員の見解が発表されるのです(これは毎度のお約束ごとです)が,今回の地域別最低賃金の目安は,最も高いAランクの地域と次のBランクの地域は31円(時間あたり),CランクとDランクの地域も30円(時間あたり)でした。Aランクの東京都も,Bランクの兵庫県も,31円の引上げが目安として提示されました。従来からの慣行で4ランクあるのですが,今回は実質的には,全国一律30円ほど引き上げろということですので,そういうことであれば,ランクを設ける必要はないかもしれません。
 問題は,この目安額が,これから各都道府県の地方最低賃金審議会で審議される最低賃金に,どのような影響力があるのかです。
 地域別最低賃金は,2007年の最賃法の改正で,どの都道府県でも設けることが法文で明記されました。そして,「地域別最低賃金は,地域における労働者の生計費及び賃金並びに通常の事業の賃金支払能力を考慮して定められなければならない」とされ(92項),「前項の労働者の生計費を考慮するに当たつては,労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう,生活保護に係る施策との整合性に配慮するものとする」(同条3項)と定められました。実質的には,3項が新たな追加規定です。生活保護との逆転現象をなくすことを目的としたものです。
 地域別最低賃金は,従来から,中央最低賃金審議会が,全国的な整合性をもたせるために目安を定める実務がなされてきましたが,2007年改正後も,それは続いて現在に至っています。
 中央最低賃金審議会では,労使のトップが賃金交渉をして,その決裂後,公益委員が,その仲裁裁定として見解を出すようなものだと言われることもあります。だから「交渉決裂」まで待たなければならないので,時間がかかるのです。もちろん「交渉妥結」すればいいですが,そういうことはまず期待できません。関与する公益委員も大変な仕事でしょう。
 公益委員見解では,地方最低賃金審議会へのメッセージもあります。令和3年度は,「目安小委員会の公益委員としては,地方最低賃金審議会においては,地域別最低賃金の審議に際し,地域の経済・雇用の実態を見極めつつ,目安を十分に参酌することを強く期待する。また,中央最低賃金審議会が地方最低賃金審議会の審議の結果を重大な関心をもって見守ることを要望する。」という簡単な付記がありました。
 今年度は「地方最低賃金審議会への期待等」という見出しをつけて,もう少し丁寧に書かれています。
「目安小委員会の公益委員としては,目安は,地方最低賃金審議会が審議を進めるに当たって,全国的なバランスを配慮するという観点から参考にされるべきものであり,地方最低賃金審議会の審議決定を拘束するものではないが,目安を十分に参酌しながら,地方最低賃金審議会において,地域別最低賃金の審議に際し,地域の経済・雇用の実態を見極めつつ,自主性を発揮することを期待する。また,中央最低賃金審議会が地方最低賃金審議会の審議の結果を重大な関心をもって見守ることを要望する。また,今後,公益委員見解の取りまとめに当たって前提とした消費者物価等の経済情勢に関する状況認識に大きな変化が生じたときは,必要に応じて対応を検討することが適当である。」
 丁寧に書いても,内容的には,地方最低賃金審議会に自主性発揮を期待すると言いながら,目安を十分に参酌するようにと言い,地方最低賃金審議会の審議結果に重大な関心をもって見守る(ことを中央最低賃金審議会に要望する)ということなので,どう自主性を発揮するのだろうと思ってしまいます。自主性というのは建前にすぎず,結局は,最低賃金引上げは,国の政策であり,地方はそれに従って決めればいいのだという感じもします。目安から逸脱できたとしても1円や2円のことでしょう。
 目安小委員会から地方最低賃金審議会へのメッセージは,いかにも役所言葉という感じがします。ネットで公開されているので,こういう統制的なやり方で最低賃金が決まっていくということを,私たちは知ることができました。もちろん,各都道府県では,何も基準がないなかで,ガチンコで審議しようとしてもおそらく困ってしまうでしょうから,目安をつくる意味は大きいと思います。ただ,それなら目安を参照してくださいくらいの言い方でよくて,目安を十分に参酌せよとか,監視しているとかは言う必要はないでしょう。厚生労働省は,官邸の意向をふまえて,言われたとおりやっていますよというポーズを示したいのかもしれません。
 いずれにせよ,いまのような決め方なら,もっと機械的に最低賃金を算出できるような方法を導入したほうがすっきりするかもしれません。そのためには,最低賃金の目的は何なのかを,まず明確にすることが必要です(同法の目的規定は抽象的です)。そうすれば何が「正解」かも特定でき,AIを活用できる可能性が出てくるかもしれません。

2022年8月 4日 (木)

Pelosi訪台に思う

 アメリカのPelosi下院議長の訪台は,悪いタイミングでしたね。報道によると,このタイミングとなったのは,自分の都合のようです。もちろん台湾を応援する行動それ自体は良いのですが,タイミングをまちがえれば,かえって周辺国を危険に巻き込むということを,よく自覚してもらいたいです。こういう配慮をしないで独善的な行動をとるのは,いかにもアメリカ人的だと思いますが,これは偏見でしょうか。
 ウクライナ戦争も長期化し,対ロシアで結束していたアメリカは,今回のPelosiの訪台を阻止できなかったことで,Biden大統領のリーダーシップの欠如を露呈しました。対ロシア強硬派であったイギリスは首相が退陣しましたし,イタリアも首相退陣が決まりました。フランスの大統領は国内基盤が脆弱です。結局,政権交代がほとんど起こらない独裁国家のほうが強いということになりかねません。そういうときにこそ日本も含めた西側は結束しなければならないのに,議員たちが勝手な行動をとるようではうまくいかないでしょう。あげくに,中国に余計な挑発をした感じになりました。これはまさに中国が言うように「火遊び」のように思えます。
 中国の覇権主義的な行動を抑え,台湾が香港みたいにならないようにするのが大切なのは当然です。しかし,日本と中国との関係は,圧力一辺倒で対処すればよいというような単純なものではありません。幸い,いまは日韓関係は良いですが,これも大統領が代われば,どうなるかわかりません。中国,韓国,ロシア,北朝鮮と周辺国が敵や非友好国ばかりになったとき,遠くにいて,しかも様々な面で弱体化してきているアメリカだけが頼りというのは,とても不安です。

 それにしても残念なのは,香港に行ける日が私が生きている間には来そうにないことです(←これはちょっと言い過ぎでした)。台湾が,そういうことにならないように心より祈っています。台湾有事となると,沖縄だって危険になってきます。

 岸田首相は,平和のための新構想というのをぶちあげましたが,海上安全とか防衛増強とかが中心で,台湾問題(それはひいては沖縄や本土の安全の問題にもつながる)にどれだけ効果があるのか疑問です。ただお金を使うだけの平和構想では困ります。平和のための明確なビジョンとその実現のための戦略があり,一つひとつの政府の行動が,その戦略に基づいて進められていて,そのために必要だから税金を使うのだという説明を国民にわかりやすくすべきです(もちろん外交などでは,言えないこともあるでしょうが)。平和は遠のき,国家は窮乏する,というようなことになっては,私たちの子孫に申し訳ないことになります。重要な政治課題が次々とふりかかっている現在,岸田政権のやることを,しっかり関心をもってみていくことが必要です。

2022年8月 3日 (水)

期末試験にデジタルを

 81日は,LSの期末試験でした。授業はリモートでしたが,期末試験は対面型ということで,今学期はじめて学生と対面となりました。とはいえ,学生も私もマスクをしているので,対面といっても,半分くらいという感じです。
 それにしても,いつも思うのですが,90分の試験中,学生はずっと集中しており,それはすごいと思いました。私にはとてもまねができません。法曹になるためには,こういうことができなければダメなのですよね。
 それに手書きです。手書きであれだけの字数書くのは,私には無理です。そもそも最近では自分の名前を書くのも,上手に書けなくて情けなく思っています。
 でも法曹も,いまはみんなパソコンをつかって文章を書いているのでしょうから,試験もキーボードで入力ということにしてよいのではないでしょうか。採点者も読みやすいですしね。大学がパソコンを貸与して,そこに答案を書いてもらって,メールで提出あるいはGoogle Classroom で提出というようなことにすればどうでしょうか。もちろんカンニングの危険はあるのですが,インターネットサイトにアクセスしたことがわかれば一発で退学というような厳罰を科しておけばよいのです。大学教員は,こういう厳罰を科す勇気がないので,不正の予防に力を入れるのですが,そのコストは大きいように思います。ほとんどのLS学生は不正などしないのですから,最低限の予防はして,あとは厳罰というほうが,試験をやるほうも受けるほうもハッピーです。抜き打ちで利用したパソコンのチェックをするということにすればよいのです。これは,(いまはどうか知りませんが)イタリアではバス乗車の際は事前に切符を買うことになっていて,実際に切符をもっているかのチェックはないのです(運転手の仕事は運転するだけ)が,あるとき突然,監視員が乗り込んできて,切符を持っていなければ多額の罰金を払わせるということになっているので,ほとんどの人は正規の切符(あるいは定期券のようなもの)をもっているというのと同じ発想です。試験の時期になると,いつも同じようなことを書いていますが,なかなか世の中は変わりません。
 今日はGEILという学生団体から講演を頼まれて,オンラインで60分話をし,30分は質疑応答でした。これからの労働というようなテーマでの依頼です。事前に質問を出すように頼んだら,よく勉強した良い質問が出てきました。講演のなかでは,学生たちに,思わずデジタル化が進まない社会の硬直性を愚痴ってしまいました。まだ大学1年生の将来有望な彼ら,彼女らに改革を託したい気持ちです。

2022年8月 2日 (火)

懲戒の官民格差

 8月1日の日本経済新聞で,「厳しすぎる懲戒『待った』」という記事が出ていました。公務員と民間で懲戒基準が違い,それは公務員には懲戒権の根拠があるのに対して,民間にはないからという説明をしています。ただ,民間企業にも懲戒権があることは,最高裁は前提としており,そのうえで就業規則に懲戒の種別と事由を定め周知することによって懲戒できるとしています(フジ興産事件・最高裁判決。拙著『最新重要判例200労働法(第7版)』(2022年,弘文堂)の79事件を参照)。こうした判例があるので,根拠論での官民の違いはあまり関係ないでしょう。むしろ公務員の勤務関係の特殊性が,この問題にどこまで影響するかが重要と思われます。これは大問題であり,すでに行政法では克服されていると思われる公法私法二分論の亡霊が公務員判例では徘徊しているのではないか,というような議論も出てきそうです。
 ところで,日経の記事で取り上げられている二つの事件のうち,公務員に関するのは,氷見市事件・最高裁判所第3小法廷2022年6月14日判決(令和3年(行ヒ)164号)です。まず,公務員の懲戒処分についての判例の一般的な枠組みは,「懲戒権者は,諸般の事情を考慮して,懲戒処分をするか否か,また、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択するかを決定する裁量権を有しており,その判断は,それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権の範囲を逸脱し,又はこれを濫用したと認められる場合に,違法となるものと解される」としています。公務員法における懲戒処分の適法性に関する判例の動向について詳しく調べたことはありません(公務員事件は,労働法研究者はあまり扱いません)が,判例の判断枠組みからは,たしかに非違行為と懲戒処分の重さとの比例性が厳しく審査される民間企業よりも,懲戒処分が有効とされやすい判断枠組みのようには読めます。
 ところで,この事案は,同僚の暴言・暴行などにより停職2カ月の懲戒処分を受けた公務員が,停職期間中に,被害者である同僚に対して,この懲戒処分についての審査手続の調査において,加害者に不利益となる行動をしないようにするなどの働きかけをしており,これについて,さらに停職6カ月の懲戒処分を受けたというものでした。原審は1回目の停職処分は適法としましたが,2回目の停職処分は重すぎるとして違法としましたが,最高裁は,2回目の停職処分も,「懲戒権者に与えられた裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したものということはできない」として,原判決を破棄して,差し戻しました。
 公務員の特殊性という点では,最高裁において,「懲戒の制度の適正な運用を妨げ、審査請求手続の公正を害する行為というほかなく、全体の奉仕者たるにふさわしくない非行に明らかに該当することはもとより、その非難の程度が相当に高いと評価することが不合理であるとはいえない。」という部分を指摘できるかもしれませんが,本件では,認定された事実によると,処分を受けた公務員の行動は相当に悪質であり,停職処分6カ月を違法とする原審判決のほうが甘すぎるような気もしました。民間企業で同様のケースであっても,その企業の従来の取扱いなども関係しますが,権利濫用とならない可能性があったと思います。
 ここで重要なのは,懲戒処分には,雇用終了型懲戒処分と雇用継続型懲戒処分の二つのタイプがあり,それは分けて考えたほうがよいということです(この区別については,拙著『人事労働法』(弘文堂)143頁を参照)。前者は,当事者の非違行為に対する制裁と他の従業員への(同種行為をしないようにとの)威嚇という機能があるのに対して,後者は,これらの機能もありますが,加えて,当該被処分者への教育的効果というものがあり,そちらのほうが重視されます。前者は制裁の程度が大きいので,まさに刑罰と同じような意味のある重い処分として,厳しい有効性審査がされるのに対して,後者は雇用が継続されているなかでの処分であり,非違行為との釣り合いは求められるとはいえ,教育的効果もふまえてある程度の裁量は認められるべきなのです(これは懲戒権の濫用に関する労働契約法15条の解釈で考慮されることになるでしょう)。
 もう一つの日本郵便事件では最高裁決定はネットではみられませんでしたが,決定なので上告不受理・上告棄却だったのでしょう。原審の札幌高裁の判決(20211117日(令和2年(ネ)第75号))をみると,出張費についての不正請求をしていた職員への懲戒解雇について,これを有効とした1審判決を取り消して,権利濫用で無効とされていました。この事件では,同種事案で処分された他の職員は,停職3カ月の懲戒処分にとどまっていました。札幌高裁は,非違行為の態様等は,他の職員とおおむね同程度にあるにもかかわらず,この職員だけ懲戒解雇というのは均衡を失すると判断しました。
 これは,懲戒権についての使用者側の裁量についての官民の違い(民のほうが狭い)と説明することもできますが,やはり処分が解雇のような雇用終了型となると,停職とは質的に異なるのであり,そこが大きかったとみるべきでしょう。私は,懲戒解雇は,普通解雇よりも,解雇の有効性が比較的認められやすいと書いてきたのです(拙著『解雇改革―日本型雇用の未来を考える』(2013年,中央経済社)67頁)が,それは非違行為が懲戒解雇に適した重大なものであれば,解雇回避の要請が働かないという点を述べたもので,非違行為自体の重大性がないという理由で懲戒解雇が無効となることは十分にありえるのです。今回は,やや日本郵便側に厳しいかなという気もしないわけではありませんが,やはり解雇となると,非違行為の懲戒解雇事由該当性の判断(あるいは権利濫用性の判断)で,労働者に有利な事情がかなり広く取り上げられます(普通解雇事案ですが,1977年の高知放送事件・最高裁判決[前掲『最新重要判例200労働法』の47事件]も参照)。本件でも,他の処分者との均衡だけでなく,不正請求の回数は多かったものの,1回あたりの額がそれほど大きくなく,私腹を肥やしたということでもないし,会社のチェックが杜撰という面もあることなどが考慮されました。
 日経の記事での,懲戒の官民格差というのは,面白い切り口で,重要な問題提起をしていると思います。ただ今回の6月の両判決を官民格差の例として挙げるのには,上に述べたような留保が必要ではないかと思います。
 公務員だから重い処分でよいというのは,市民感覚に合致するかもしれませんが,公務員も労働者だという観点から考えた場合には,問題があります。公務員の争議権の制限なども含めて,公務員に関する労働問題は,古くて新しい問題です。最近では,早津裕貴さんの『公務員の法的地位に関する日独比較法研究』(日本評論社)という重厚な研究書も刊行されています(お送りいただき,ありがとうございました。非正規公務員の処遇改善という問題意識によるものですが,公務員の勤務関係について,今後いっそう踏み込んだ研究をされることを期待しています)。

 

2022年8月 1日 (月)

医療現場の紙

 いつもブツブツ文句を言っているペーパーレス関係のことなのですが,先日の人間ドックでは,事前に問診票が送られてきて,それに記入して提出するようにと指示されていました。これはこのクリニックを利用し始めた10年以上前から様式が変わっていないと思います。ピロリ菌は陰性かという質問には答えを忘れてしまったので,書かないで提出したら,看護師さんがすぐ横にあったパソコンで過去のデータから陰性と確認してくれて,そのように記入してくれました。それはそれでよかったのですが,データで管理をしているのなら,受診者の問診票についても紙ではなく,スマホやPCで入力できるようにしてくれたら助かります。また,これらのデータは,私の健康データなので,いつでも私が観ることができるようにしてもらいたいですね。本人はピロリ菌がどうだったかというようなことは,すぐに忘れてしまいますし(胃がんにかかわるので,そういう大切なことを忘れる自分もバカなのですが)。
 医療機関の初診時にも,たいてい問診票を紙で渡されます。神戸市の医療機関がとくに後進的ということでもないと思います。コロナ禍なので,他人の使った鉛筆やペンは使いたくないです。いまはタクシーも,キャッシュレスがあたりまえとなっていて,お金のやりとりをしたり,行き先を言ったりしなくても,目的地にまで到着できます。医療機関も,予約はスマホで,質問事項もスマホで答えて,診療が終わると,明細をメールで送ってくれて,クレジットカードから自動引き落としというようなことにしてくれれば,よいのですが。さらに,その日の診療結果もメールで送ってくれればなおよいです。もちろん,重症でなければ,オンラインでの診療が助かります。人間ドックは別ですが,普通は体調が悪いときに医療機関に行くのであり,医療機関まで出向いていき,ときには長時間待たされることで,よけいに体調が悪化しそうです。
 ところで,近所の耳鼻科で,医師が,私に小児喘息の既往症があることを前提とした話をしていて,何か変だなと思いながら,まあ喘息に近いものをかかえているからなと思いながら聞いていたところ,パソコンに映し出された私の既往病が目に入り,それが小児喘息となっていたので,あわてて訂正したことがあります。どこでどう間違ってそういう誤データが混入したのかわかりませんが,こわいことです。ただこれはパソコン画面に映し出せるデジタル情報だから発見できたともいえます。手書きのカルテに書かれていると,私の目に入ることはなかったでしょう。
 その医師は,決して悪い人ではありません。私の前でメモ帳の切れ端のような紙を置いて,いろいろ鉛筆で書きながら症状やその原因などを説明してくれました。親切で丁寧なのですが,その紙は回収されてしまいました。どうしても欲しいと言えばくれたかもしれませんが,なんとなく手書きの紙をもらうというのも変な感じがして,言いそびれてしまいました。ただ,こういうのは手書きの紙ではなく,デジタルデータで送ってもらいたいものです。そのようにしてデータでもらえると,セカンド・オピニオンを求めて,他の医療機関にも行きやすくなります。
 デジタル化は,初期費用はかかるでしょうが,医療従事者の仕事を効率化させ,サービスのクオリティの向上につながるでしょう。診療結果のデータ化は可視化でもあり,上記のセカンド・オピニオンの場合のように,サービスのクオリティの事後点検もしやすくなるので,医師はいやがるかもしれませんが,これは受け入れてもらう必要があると思います。
 新型コロナウイルスの第7波で,医療現場が大変なことになっているのはとても心配ですが,外来予約の管理を紙の日程表に書き込んでいる映像が出てきたりすると,これでは業務が回らないのは当然だと思ってしまいます。こういう働き方をさせられている従業員は可哀想です。
 そういえば,前にテレビのニュースで,厚生労働大臣が執務室らしきところから,オンラインで話をしているところが報道されていましたが,背後に映っていた机の上に分厚い紙のファイルがありました。このアンバランスが滑稽でした。これでは,効率的な仕事ができないだろうなと思ってしまいました。こういう映像を出してダメージになると思わないところに,政治家や霞ヶ関のデジタル化への感度の鈍さを感じます。
 政府にデジタル化の音頭をとってほしいとは,もう言いません。ただ,DXを進めたいと思っている医療機関はたくさんあると思うので,政府は,せめてそれを邪魔しないように(できれば補助をするように)してもらえればと思います。

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